蝉騒

夏という季節。

じわりと滲む汗を手の甲で拭いつつ、
随分と日差しが鋭くなった7月の空の下を歩く。
道端の紫陽花は数週間前の瑞々しさをなくし、
静かに、ひっそりと、枯れ落ちようとしていた。
路面のアスファルトは容赦なく
受け取った熱を投げかけてくる。
明確に沸き立つ夏。
先刻まで涼しい部屋でのうのうと眠っていた
僕の眉間には、思わず皺が刻まれる。
特段、この季節が嫌いなわけではないのだが、
この噎せ返るような生の香り、
耳障りなほどの生の音。
これらをわっと一挙に押しつけられたような。
僕もなんだか精一杯、無我夢中に
鼓動を鳴らさなくてはならないような気がして、
なんだか息苦しい季節でもある。
意気揚々と喚く蝉の声。
僕のすぐ近くを駆けていくランドセル。
僕の後ろを歩く大学生は、
次の休みに海へ行こうとはしゃいでいる。
言いしれぬ高揚感が四方から発せられ、
ああ夏休みか、と悟る。
ほんとうに1ヶ月ほど、
僕は学校に訪れることはないだろう。
いつもなにひとつ約束をしなくても、
当たり前のように顔を合わせられるひとたちに
約束をしなければ、
携帯を開いてメッセージを送らなければ、
なにか理由がなければ会えない。
なんだかその事実だけは、
休みの開放感を殺しにかかるくらい寂しかった。
あの授業で、僕の2つ前の席にいつも座る、
黒髪の彼女はこの夏をどう過ごすのだろうか。
彼氏がいたりして、
浴衣で花火大会へ向かったりするのだろうか。
僕にいつもノートをせびる
日焼けしたあいつはどうなのだろう。
友達と海でバーベキューなんて
いかにも大学生のようなことをするのだろうか。
たわいもない会話を何度か交わしたような
微妙な距離感の彼らには
この長い休みの間、会う理由も、動機も、
なにひとつない。
当たり前で、きっと本当に取るに足らないことではあるが、一時触れないというだけで
こんなにも惜しく感じるものなのかと
ふと顧みては、驚いた。
僕は人と話すのがあまり得意なほうではないし、
きっと夏休みはじめは何もない一人で過ごす時間に幾分も満足するだろう。
ただ、やはり、こうしてここに来なくなる前に、
何かひとつでも誰かと会う
理由や約束を作らずに駅へ向かう自分を
寂しく思ったのはきっと間違いではないと思う。

例の黒髪の彼女が、自転車で颯爽と風を切り
僕の横を過ぐ。
互いになんと言えばいいかわからず、
ただ会釈をした。
なんともいえない空気を吸い込んだ後、
数秒止めた足を動かした。
足元になにかが当たる。
それはアスファルトの上を転がって、
植え込みにぶつかる。
とうに羽化したあとの蝉の抜け殻だった。
これの持ち主は、いま、僕の頭上で
うるさいくらいに命を鳴らしているのかと思うと、
迎えた夏を持て余している自分が
何故か申し訳なくなってきた。
せめて1日くらいはと思い、
慌ててスマートフォンを取り出し、液晶にさわる。
まだ間に合うだろうか。
たったひとつくらいでも約束をしたいような気になって、
僕はキーパッドに指を当てた。

蝉騒

会えない期間だからこそ、会いたいひと。

蝉騒

夏休みは寂しいというおはなし。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-23

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