下弦の月

壱の巻

2007年、革命が起こった。

情報革命だ。

飽和状態になったIT産業は、新たなデバイスへ。

昨春、スティーブ・マッケンジーが発表したiPoneは、世界的なセンセーショナルを巻き起こした。

それに乗じたのが、インターネット業界と、ゲーム業界。

時代の進歩は加速度的だ。

ウェアラブルコンピューティングの登場も目の前だ。

スピードとコンビニエンスの社会。

人は、どこへ向かっているのだろう?

いや、そんなことはどうでもいい。

そんな中で、生きていかねば。 時代の…潮流に合わせて…。

幸い、俺は小さな頃、とても好きなものに出会った。

コンピュータゲームだ。

ゲームが芸術かって?

もちろん答えはYESだ。

踏み込んでみれば、どんなものだって芸術になりうる可能性がある。

テクネーとアレテー。 要はそのバランスの問題なんだ。

いや、そんなことはどうでもいい。

とにかく、そんな煌びやかな希望を背負って、俺はこの部活に入部した。

そして今日は入部以来一番のビックイベント。 コンテスト応募作品の企画会議だ。

俺のビッグタイトル開発奮闘記が、今ここから始まる。

…はずだった…!


俺は思いっきりドアを開いた。

なんだこの、むわっとした空気は!

あぁ、スナック菓子か。

情報部と、スナック菓子。 全然スマートじゃないね。

パソコンが並び、スナックが散らばり、男だらけのむさ苦しい空間。

奥の方で、部長のヤマシタが完全にゲームをしていた。

俺は駆け寄る。

怒る為じゃない。 昨日徹夜で作ったプロトタイプを見せる為だ。

鞄からラップトップを取り出す。

「ヤマシタ、見てくれよ。昨日ちょっと作ってみたんだけどさ。」

「あー、おまえのせいでゲームオーバーになっちまったじゃねえか。」

「そんなのいいから、これ見てくれよ。」

ヤマシタが面倒くさそうに、横に目をやる。

すぐ目を戻す。

「え? 見た?」

「そういうの、受けないよ」

画面では白と黒で構成された、俺からすればスタイリッシュなアクションゲームが展開されていた。

こんなに相手にされないのは、ショックだった。 ため息をつきながら、

「…で、会議は?」

向かいのパソコンの影から、声が飛んできた。

「でもさぁ、RPGだとモンスターのグラフィック誰が描くんだよ。」

始まっていたのか!

「そりゃ、この部活が誇る絵師、オオハシ様にお願いするしかねぇな。」

「でも一つ問題がある。オオハシ君!」

「…あぁ…、俺…いわゆる萌え系イラストしか書けないんだわ。同人誌とかの。」

「んー、モンスターが可愛かったら、迫力出ないわなぁ。」

全員が一斉に、うーん、と唸る。

俺が空気を読まずに発言する。

「あのさ、俺、今来たから流れ読めなくてゴメンだけどさ、今度のコンテスト、スマホ対応なんだよな。だからさ、こんなのどうかなと思って!」

今度は皆が見れるように、ラップトップの画面を掲げる。

微妙な反応。

「なんでこんな、レトロゲームみたいなの作るの?」

「iPoneもさ、黒と白だっただろ。あれって”禅”なんだぜ。だからそれとリンクさせるように白と黒でキメてんだ。」

自信はあった。しかし微妙な反応。

「ないない、こんなの受けない。」

ヤマシタと同じ感想だ。

受けるか受けないかって、どういう基準なんだ?

「あ、今すんげぇこと思いついたんだけどさー」

今まで黙っていた部員その一が、突如として意見を言い始めた。

俺のゲームは無かったことにされて。

「モンスター、全員美少女にしちゃえばよくね?」

どっと歓声が上がった。

…え!?  …歓声!?

ヤマシタが飛び出して来た。

「それ、それだよ! オオムラ!」

モンスターが…

「いやぁ、良かった君がいて! 早速企画をスタートさせよう!」

全員美少女って…

「さぁこれから忙しくなるぞぉ! 皆! コンテスト優勝目指して、頑張るぞぉ!」

おかしくない!?

「ちょ、ちょっと待ったー」

俺が真っ青になって横槍を入れる。

凄い盛り上がった空気が、一瞬にして白けた。

「これ、本気で言ってる? なんでモンスターが美少女なの? おかしくない?」

ヤマシタが俺の肩にポンと手を乗せる。

「アヤノ、そういうところだよ。君には見る目がない。今はこういう作品が受けるんだ。」

「さっきから受ける受けるって!」

流石に、胸の奥底から怒りが湧き上がってきた。

「こんなオタクに媚びる作品作って嬉しいのかよ!」

 あまりにもひどすぎるからだ。

「俺の一番嫌いなところだ。 なぁヤマシタ、前もおまえと話したよなぁ。時代に風穴開けるような斬新なゲーム作ろうって。 その答えがこれか!」

「アヤノ、俺気づいたんだよ。 ゲームには2種類あるんだって。 一つは良いゲーム。もう一つは…」

こちらを真剣な表情で睨んできた。 彼の目はもはや…

「売れるゲームだ。」

ビジネス路線しか映ってなかった。

「もういいよ!」

周りの空間が真っ白になった。

俺はキレたのだ。

心拍数が一気に上がる。

そして俺は…

「辞める。」

その日から…

「こんな部活、辞める!」

帰宅部になった。

弐の巻

俺は公園のベンチで、コンビニで買ったクリームパンをかじっていた。

今となってはもう、世界のあらゆるものが不愉快だった。

コンビニの広告、オシャレなファッション、今年のトレンド…

何が「流行」だ。

そんなものは、誰かの思い込みに踊らされてるだけだ。

まぁこんな思考を巡らせてはいるけど、実質今の俺は負け犬だ。

どうにも、うまくいかないよなぁ。

ハトが数羽舞い降りて来た。

こちらの様子を伺いながら、俺の足元に接近してくる。

俺はパンをちぎりながら撒いてやった。

それを見て安心した数十羽が一遍に舞い降りてきて、俺の周りはハトだらけになった。

ハトおじさんだ。なにやってんだか…。

「お前らはいいよなぁ。何も考えなくてさぁ。」

自分でもよくわからないことをハトに向かって喋り始める、俺。

「俺、生まれ変わったらハトになりてぇな。いや、木とかでもいいな。養分吸ってるだけでいいもんな。」

一匹怪我をしているのがいて、ばら撒かれたパンをうまく取れない。

「おい、おまえ、あぶれてんぞ。 生きるのが下手だな。 まるで今の俺だな。」

大きくちぎった一塊を、そのハトめがけて投げてやった。

嬉しそうに突ついていた。

「おい、おまえもか。ちゃんと集団生活しろよな。 …ん?」

何か違う鳥が、そこにいた。

色が違う。 真っ黒だ。

こいつはカラスだ…ということまでわかったが、なぜ怪我をしていて…包帯まで巻いている? 誰かに介抱されたのか?

と推測した瞬間、上方から声が聞こえた。

「ちょっと、そこの人!」

ビルの何階かの窓から、女性が手を振っている。

「そのカラス、もしかしてここまで持って上がって来れたり、できます?」

”できます?”って…。いや、そんなことはできないと思いますけど、ただ一応やってみますが!

カラスに自分から手を出すのは、これが最初で最後だと思った。

おそるおそる、手を差し伸べる。

カラスはずる賢いらしい。

もしやここまで含めてカラスの陰謀では?というのは行き過ぎだろうか。

しかし意外にもあっさり、触れることができた。

そのカラスは、野性味溢れる他のとは違い、妙におとなしかった。

手を回し、体を掴んでやる。 全く暴れる様子がない。

上空から、ひらひらと紙切れが舞い落ちて来た。

部屋番号が書いてあった。

参の巻

なんということか、ここは病院だった。

受付の人に事情を説明し、書かれていた部屋までエレベーターで向かう。

受付の人は目を丸くしていた。 そりゃそうだろうな…。

俺も、カラスを大事そうに抱えながら歩いているなんて、心外です。

部屋が見えてきた。 少し騒々しい気がする。

部屋に入る。

そこで俺が見たものは…修羅場だった。

およそこの穏やかな気候と天気にそぐわない光景だった。

窓辺で、数人の看護婦と医師が、ベッドの上で暴れる一人の患者を抑えつけている。

何か発作を起こしているのかもしれない。

しばらく続くその状況下で、俺は何をすればいいかわからなかったが、患者の目がカラスを捉えた瞬間、流れは変わった。

「助六!」

女の子だった。その子の表情がパアッと明るくなる。周りの人も安堵の表樹を浮かべながら手を離し、引き下がる。

一人の看護師がツカツカと俺の方に歩み寄り、カラスを引き取る。

おそらく窓から手を振っていた人だろう…。

「ありがとう。通りすがりのお人。」

受け取られたカラスは、患者のすぐ横にあったゲージに入れられた。

ぞろぞろと医師たちが部屋から退散して、部屋には俺と、その看護師、患者の3人だけになった。

「本当にありがとうね。手が離せなくて…。 ほら、ミツキもちゃんとお礼言っときな。」

看護師さんは、去り際にそう言って出ていった。サバサバした、背の高いお姉さんだった。

部屋には俺と患者の二人だけになった。

病室ならではの、真っ白な整頓された空間。飾り気がなく、必要以上の物は殆ど何もない。

空気が止まったような感覚だった。

風でカーテンが大きく揺れていて、患者は窓の奥の景色を見つめ向こうの方を向いていて、顔はわからなかった。

まるで俺は無視されている。

ゲージの中のカラスが、かぁ、と一声鳴いた。

用は果たしたので早くも、おいとま、かな? 俺は踵を返した。

「ちょっと待って。」

引き止められた。

「少し、話を聞いてください。」

近寄ってみる。

やっとこちらを振り向いた。冷たい表情のまま彼女はこう言った。

「こんにちは。見ず知らずのお人。」

お礼ではなかった。

「…お体、大丈夫ですか?」

「大丈夫なように見える?」

歯にものを着せないものの言い方だ。

「さっきのは…」

「時々、あぁなるんです。普段とてもしんどいから…。今喋っているのもしんどいの。でも、もう限界だから…、赤の他人にこうやって鬱憤を晴らすしかない。」

つまり俺は、人生に一度しか会わない、良いように利用される犠牲者ってわけだ。今日は散々だな。

「どうして、カラスを?」

「カラスは、人間に媚びないでしょう? 真っ黒でいかめしくて、でも嫌われたって自分を貫いてる。 だから好きなの。 助六は、怪我をして窓から飛び込んできたんですよ。 多分、群れから外されたのね。 不器用な子。」

少し、自分の今の状況と重なって、親近感を覚えた。

でも、カラスを飼ってるなんて…ミステリアスな子だな…もうこうなりゃ、とことんまで付き合ってやろう、と思った次の瞬間彼女が発した言葉に胸が凍りついた。

「私、もうすぐ死ぬの。 不治の病なんです。」

思いの外重症、というか突如として叩きつけられた、生きるか死ぬかの問題。

「自分がこんなに早く死ぬなんて思ってなかった。」

うつむきながら、彼女は喋り続ける。

「皆そうなの。まさか自分がそうなるなんて、夢にも思わない。でもその運命は、突然訪れるの。」

窓の外を眺める。

「全てを失ってしまった。それまで楽しかった学校生活。友達との交流。家族との団欒。美味しかったご飯。自由に走り回れる足…」

俺の方を、きっと睨む。

「私が何をしたっていうの!」

びっくりした。不安定なんだ。

「これが試練だというのなら、あまりにもひどすぎるわ。あなたには、わたしのしんどさはわからない。毎日、本当にしんどいの。 あなたは…いいわね、呑気に生活を満喫できて。」

純粋な、嫉妬の目だった。

「どんな苦境だって、絶対に乗り越えられるはずだ。」

瞬間、自分の口から出た言葉に、俺自信が驚いた。どの口がそれを言っているのか。

でも多分、彼女を何らかの形で励ましたかったんだ。

ただ、それが良くなかった。 火に油を注いだ。

「他人事ね!」

物凄い形相で睨んできた。心を見破られた気がした。

「でも…」

でも? 俺は何を対抗しているのだ。 ただ、彼女に元気になってもらいたい。 なぜかそういう気持ちにさせられたんだ。 それから、俺は自分の言葉に嘘がないことを証明したかった。 完全ではないけれど、確かな気持ちはあったのだ。

「絶対に何か方法があるはずだ。君は…、君は、目の前に現れた壁を前にして、自分の運命を嘆いているだけだ。 俺なら…、俺なら、その目の前の壁をどうやって突破するかを考える。」

そう、俺は本当に、そう思ってるんだ。

でも彼女は俺の言葉を汚いもののように跳ね除け、余計に反発した。

「あなたは、わかってない! どうしようもないことって、あるのよ! 自分の力ではどうにもできないこと。 私はこれを受け入れるしかない。 ただ死を待つしかない。 医者に聞いても”原因不明”。 看護師さんに聞いても”原因不明”。 周りの人も、もう諦めているのよ!…」

そこまで喋った後、少し興奮して喋りこんだ為か、ゴホゴホと咳をし始めた。

話が中断して、かなり、長めの咳だった。 容体はかなり良くないようだ。

俺は自分の無神経さを呪った。

「…疲れた。私は黙るから…よければ…今日あったことなんか、話してくれる?」

俺は話してあげた。色んなことを。今日学校で起こった面白い話、各教師のエピソード、友達と羽目を外した経験、そして、今日部活を辞めてきたこと…。

俺が話していると、その子は余程疲れたのか、すやすやと眠り始めた。

なんだ、俺ができることなんて、こんなことぐらいしか無かったんだ。

おそらく彼女の、もうすぐ訪れる最期の時までの、ほんの一幕の記憶として、刻み込まれるだけなのだろう。

”運命は変えられない、ましてや人の運命など。” そんな事実を悟った1日だった。

俺は、眠る彼女を尻目に、部屋を去った。 去る時に、机の上にiPoneが置かれてあるのが、妙に目に焼き付いた。 

病院の廊下を、だらだらと歩く。

”本当にそうなのか?”

…やっぱり俺は、まだ何かしたいのだ。

”運命”というものに、挑戦してみたい気になった。

俺は鞄からメモを引っ張り出し、ロビーの机で書き込んだあと、駆け足で病室まで戻った。

彼女は依然眠っていたが、そのメモだけiPoneの下に忍び込ませ、今度こそ部屋を後にした。

四の巻

私は、見知らぬ座敷に、呆然と立っていた。

周りは丑三つ時のような暗さ。

月明かりだろうか、そのおかげでやっと見える。

目の前に豪勢な襖があったので、開いてみた。

また広い座敷の空間と、襖。

また開く。 また座敷。 これを何回か繰り返すと、奥の方で、月明かりとはまた別の明かりがあるのがわかった。

何度目かの襖を開くと…。

そこには一本の蝋燭の明かりと、蝋燭を挟んで正面に、真っ赤な着物を着た女の人が座っていた。

「やっと火がついたわね。消さないようにしなくちゃ。」

女の人が、語りかけるように呟いた。

呆然と立ちすくむ私に、女の人は目で座るように促す。

蝋燭の灯火を挟んで、対面する構図になった。

「綺麗でしょ? でもこの焔は、あなたが昔から知っている焔なのよ。」

女の人がうっとりとして蝋燭を見つめながら言った。 妖艶だった。

「小さく可愛らしい焔でしょ? でもこの焔には、とても大きなエネルギーがあって、宇宙をも凌駕しまうほどなの。その焔は、限られた状況でしか現れない。本当に本当に、追い詰められた時なの。」

そう、確かに私は知っている気がした。 その焔の存在を…。

天井裏と、縁側を、何者かがガサガサと高速で走り抜ける音がした。

「あとはあなた次第。あれが見える?」

女の人が後ろを振り返る。 後ろには立派な掛け軸があって、その下に刀掛けがあって…刀が置かれてある。

周りのガサガサとした、不快な騒々しさが徐々に増していく。

女の人は目を見開いて、こちらを見つめてきた。

何かを試すように…。

とうとう縁側の雑音がこちらの座敷に飛び出してきて、襖が内側にバタンと倒れ、焔がふっと消えて、辺りは真の闇と静寂に包まれ、その中で私は黒い得体の知れない者に…!


自分の叫び声で目を覚ました。

反射神経的に、ナースコールのボタンを押すと、ヒトミさんが飛んできた。

私は汗をびっしょりかいていた。

「また同じ夢を見たのね…。 かわいそうに…。」

辺りはほんのり明るくて、早朝だった。

私は心身ともに、疲弊していた。

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今日も食事が喉を通らないので、流動食。 バニラ味なら続けられる気がする。 ストロベリー味は最悪。

昼下がりのいつも見慣れた窓辺の光景を眺めながら、液体をチューチューと啜る。

今日もしんどい。 体が鉛のような感覚で、頭の指令とは裏腹に、思ったように動かない。

居ても立っても居られない、というのは言葉の使い方が違っていると思うけど、まさにそんな感じ。この世に存在しているだけで辛い。 でも、夢の世界でも見るのは今日みたいな、繰り返す悪夢だけ。 私の居場所はどこにもない。 ただ死後の世界に期待するだけ。

投げやりざまに、ゴミ箱に空になった容器を放る。

うまく入ったと思ったけど、容器は端に当たり、床に転げた容器から残った液体が汚く散らばった。 もういいよ…ヒトミさんが後で何とかしてくれる。

今何時なんだろう? ふと気になったので、iPoneを手にする。

この一挙動だけでも、相当にしんどい。

父が持ってきてくれたiPone。世界的ブームになってるらしいけど、全然興味が無いし、嬉しくなかった。使い方もよくわからないし…。

iPoneを取ると、ひらひらと紙切れが机の上から床に落ちた。

なんだろう? 気になったけど、自分では取れないので、ナースコールで呼ぶ。

ヒトミさんも、散々な迷惑だね…。

「はいはい、どうしました?」

「それ…取ってくれる?」

「はいよ。 その他は? お変わりないですか?」

ヒトミさんは、はっきり言って良い人だ。 話すと少しばかりか気が紛れ、気持ちが明るくなる。 人生の最期にして、やっと出会えた相性の良い人。 この人とあと数ヶ月しか過ごせないなんて、運命とは皮肉なもの…。

ヒトミさんが出ていった後、紙面を確認する。

”さっきはごめん。全然関係ないんだけど、俺、ゲーム作ってて。もしよかったら遊んでみて。君のiPoneでプレイできる。ホームページもあって、そこからダウンロードできるから。”

その下に、ホームページのアドレスらしきものが書かれてあった。

昨日のあの人だね。

さて…私はそれを確認して、再び目を閉じた。

言い忘れていたけど、このような状況になると、はっきりいって何にも興味が湧かなくなる。何もしたくなくなるのだ。

だって、何をしたって、あと数ヶ月で終わってしまうもの。

それに、何かをするには、あまりにもしんどいの。

よく、病気になると、本を読むようになるって言うけど、あれは嘘だ。

今の私は重い本を手に持つ体力すらギリギリだし、内容も頭に入ってこない。

語られる希望や甘い言葉は、今の私の世界では幻想にすぎない。

どんなものも、無効なの。

だからこのゲームだって…。

そう思ったけど、目を閉じながら、なぜだか妙に気になった。

期待はしてないけど、何か少し変わるかもしれない。

そんな他愛ない気持ちで、iPoneのインターネットを開いた。

ホームページにアクセス。 意外とシンプルなデザインだった。

分かりやすかったので、ゲームのダウンロードは、私でも簡単にできた。

プレイしてみる。 黒と白で構成された、レトロ風のアクションゲームだった。

ゲームなんて、全然やらないけど、この機会にちょっとやってみよう。

プレイを進めるうちに、気持ちが変わっていった。

最近のゲームは複雑すぎて良くわからないけど、これなら私にもできそうだ。


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「何やってるの?」

ヒトミさんの顔が突然ひょっこり現れた。

「あぁー、ゲームオーバーになってしまったじゃなーい」

ヒトミさんが目を丸くする。

「なんだか今日は珍しく楽しそうねー。 ゲームやってるの? どんな?」

私はヒトミさんにiPoneの画面を見せてあげた。

「アクションなんだけど、とてもスタイリッシュで爽快なの。 この刀をもった主人公で、この黒い敵をやっつけながらステージを進めていくんだけど、結構難しいのよ。」

「へぇー、ミツキちゃんもそんな戦う系のゲームするんだねー、意外。」 

確かに、私も言われてみれば不思議だった。 こういうのは、今まで縁がなかった。

でも、この世界観と爽快感には、久々に文字通り”ハマった”のだ。 何時間も連続でやるくらい。

「ん?」

部屋を片付けながら、ヒトミさんは紙切れを目にする。

ヒトミさんは一瞬で読み取り、ニヤリと笑った。

「ははぁ〜ん、そういうことか〜」

「なによ。」

部屋のゴミをまとめて、荷台に乗せながら、ヒトミさんはいたずらっ子のような表情を浮かべている。

「ここから始まる何かも、あるかもよ?」

「掃除終わったら、さっさと出てってよ」

ゴロゴロと荷台を押しながら、部屋を去り際に、ヒトミさんは言った。

「ひとつ言えることは…、今日のあなた、顔色がいいわ。」


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丑三つ時。

今日の月明かりは、一段と美しい。 鈴虫の鳴き声が、かすかに座敷まで響いている。

私はいつも通り、何層もある襖を開いて、進んでいく。

最後の襖を開くと、一本の蝋燭と、赤い着物を着た女の人が座っていた。

蝋燭は、日に日に短くなっていて、もう倒れてしまいそうなほどに縮まっていた。

灯された焔もそれに伴って、少し元気を失っているように見える。

「ようこそ、いらっしゃい。」

女の人はうっとりとした妖艶な表情を浮かべながら、私に座るように促した。

「今日が最後になるかもしれないわ。 ご覧の通り、あなたの中の焔は、もう消えかかっています。 あとは、あなた次第…。」

また、縁側と天井裏でガサガサと不気味な者が横切る音が聞こえた。


「誰も助けてくれやしないわ。 あるとすれば、あなたに与えられた小さな変化。 そう、昨日のような…。」

背筋がぞっとした。 事柄をよく思い出せないけど、この人は知るはずもないことを知っている。

「どうしてそれを知ってるの!?」

ふふふ、と不敵な笑みを浮かべた。 そして、さぁ、という風に、視線を後方にある掛け軸…、否、刀の方に誘った。

繰り返す悪夢。 そして、与えられた小さな変化。 その変化をきっかけに、ほんの小さな勇気を振り絞って前に踏み出してみれば、”運命”というものは変えられるのだろうか。

縁側に、ガサガサとした不気味な存在が集まって塊を成しているのが、月明かりで障子に投影されていた。

赤い着物の女の人の目が、今までで一番に丸く大きく見開かれた。

障子がミシミシと音を立てて、重量に耐えきれなくなって、バリバリと砕けた瞬間、私は刀の方へ駆け出した。

”目の前に現れた壁を前にして、自分の運命を嘆いているだけじゃなく、その目の前の壁をどうやって突破するかを考えろ。”

どこかの誰かが、そんなことを言ったのを思い出した。

そして私は、黒いものと…

戦う。

そう、戦うのよ。 

生きるために。

この刀で。

刀に手が触れた瞬間、今までに感じたことのない感覚を伴って、蝋燭は小さな灯火が爆発した。赤い着物の女の人は、不敵な笑みを浮かべながら、消え去った。

爆発の中、私は、胸の奥底から湧き上がってくる生命力みたいなもの。絶対に何があっても生きてやる、っていう覚悟。絶対にこのまま終わらせないっていう信念。その為ならどんなことでもするっていう凄み。ここから絶対に這い上がってみせるっていう誓い。

そんな感情や思いを、一遍に思い出した。

そう、私は、生きて、そして、戦う。

あたりは、闇から光の世界へ一変した。

月明かりと、六畳の座敷の四方に置かれた行灯だけではなく、私は自らの明かりで確実に今の状況を捉えることができた。

私は綺麗に刺繍された着物をまとい、刀を不器用に持っていた。

そして目の前には、打ち砕かれた障子と、そこから溢れ出てきた数匹の漆黒の塊が、私に対峙していた。

伍の巻

私の前で、闇が蠢いている。

行灯の炎が、闇の引力に呼応してジジジと揺らめいた。

やっと光に照らされたこの世界は、黒と白の世界だった。

色がない。 まるで墨で書きなぐったよう。

そう、水墨画の世界に迷い込んだみたい…。

不気味な闇の物体は、うめき声を上げながら私との間合いを詰めてくる。

戦うしかない…けど、本当に戦えるのだろうか。

私は戦い方を知らなかった。

いきなり、ひとつの闇が私めがけて飛びかかってきて、私はすんでのところで身をかわし、畳に転げてしまった。

頰に冷たいものを感じた。 触ってみた。

血だ。 私の。

血だけど、黒い。 墨みたいだ。

私は刀で身を支えながら起き上がり、さっと前方に構えてみた。

刀の扱い方など、微塵も知らない。 学校で習うことじゃない。

次の闇が、そんなことお構いなしに飛びかかってくる。

”もう後がない…!”

私は目をつぶって叫びながら、出鱈目に振ってみた。

すると、闇は少し怯んだのか、私の目の前で着地しただけで引き下がった。

私は叫んだ。 冷や汗をかきながら、目を思い切り見開いて、精一杯、威嚇した。

とても不器用だけど、真剣だった。

闇の者たちは少しずつ後方に下がっていく。 

少し、強くなった気がした。

でも…、もっと、強くなれる…。

私は刀を握りしめた。

闇の方もしぶとく、私がその気と見ると、二体同時に左右から飛びかかってきた。

その瞬間、私の中で何かが弾けた。 全力で声をあげた。

私はいつの間にか、闇の者たちの背の方にいて、刀を足元まで振り切っていた。

闇は二体同時に、ぱっくりと二つに割れ、墨汁のような漆黒の血の飛沫が飛び散り、障子を汚した。

まだ目の前に数匹残っていたが、その様子を見ると、慌てたように四方に逃げていった。

私は血振るいをしてから刀を鞘に収め、後ろを振り返った。

畳の上は墨汁で殴り描きをしたように、汚いことになっていた。

相変わらず行灯の火が、チリチリと静かに燃えていた。

彼らは、一体何者なのだろう。

そして、この刀。 私は鞘を触ってみた。

私が気持ちを切り替えれば、まるで私の体の一部であるかのように、連動し始めた。

それから、そう、この身体もだ。 私は腕を伸ばしてみた。 こんなに自分が思い通りに動けるなんて、何年ぶりだろう。

ここで私はやっと、微かな嬉しさを噛み締めることができた。

陸の巻

白いカーテンがバタバタと揺らめいている。

私は窓を開けるのが好きだった。

流石に上階ともなると風が激しいが、ここでは少ない自然を直に感じ取ることができるからだ。

ああ、目が覚めたんだな、って、徐々にわかってくる。

自分の腕を見てみた。

白く、ほっそりとした弱々しい腕。

これが現実なんだ…。 幻滅…。

私は、夢の続きを見れやしないかと期待して、目をつぶってみた。

ヒトミさんが配膳車を押して、部屋に入ってきた。

「おはよう、今日の調子はどう?」

と言いながら、体温計を渡してくる。 いつもの朝だった。

私は昨日の夢のことを話した。 繰り返していた悪夢に少し変化があって、動き始めたこと。 話していて、昨日やったゲームみたいな内容だと思った。

きっとゲームをやり過ぎたんだ…。

ヒトミさんが、嬉しそうな表情で相槌を打ちながら、メモを取っている。

書き終えるとヒトミさんは、配膳車に並べられたトレイではなく、銀色の缶を取り出してきて机の上にボンと置いた。

「はい、あなたのはこっちね。」

普段より、銀色が無機質に見えた。

過ぎ去ろうとするヒトミさんを、私は呼び止めた。

「ヒトミさん」

「?」

「そっち、もらえる?」

私は、色とりどりにあしらわれたトレイの方を指さした。

ヒトミさんは最初驚いていたが、やがて包み込むような表情でトレイを机の上に綺麗に置いてくれた。

「これ、なに?」

「豆乳スープよ」

私はひとさじ、口に含んでみた。

「何も…味がしない…」

横で見守るヒトミさんは、少し涙ぐんでいるように見えた。

「今のあなたは、細かい味が感じられないほどになっているのよ。」

「それって、まずいこと?」

「そうね…、美味しいものを食べられないなんて、多分人生の半分くらいは損してるわね。」

ヒトミさんは、軽く腕を組みながらひょうひょうと言ってのけた。

握りしめたシーツがボトボトと大粒の雫で濡れ始め、気がつくと私は大泣きしていた。

感情が、大きく、激しく、揺れ動いていた。

「ヒトミさん…、私…、生きたい…、ちゃんと……生きたいよ。」

顔を抑えながらむせび泣きながらそう言う私に、ヒトミさんはそっと寄り添い、強く抱きしめてくれた。

下弦の月

下弦の月

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 壱の巻
  2. 弐の巻
  3. 参の巻
  4. 四の巻
  5. 伍の巻
  6. 陸の巻