小噺 目玉
大原長介と遠藤実咲は薄暗い山道を散策していた。2人はある場所を探していたがかれこれ2時間見つけることができずにいる。2日前、長介の事務所に行方不明者の捜索依頼が舞い込んできた。坂本喜一、33歳の大手貿易企業に務める会社員。そして、その恋人小嶋隆子が旅行へ向かう途中突如姿を消し、それから連絡が取れなくなっている。警察が捜索した結果、ある山中に故障した車だけが残されておりその後消えた2人の手がかりを見つけることはできなかった。それから3ヶ月藁にもすがる思いで坂本喜一の両親が長介に助けを求めたのだった。長介は永田にも連絡してみたが、車が発見された場所以外に有用な情報を得ることはできなかった。そして、永田に教えてもらった場所を事務所で引き受けることになった遠藤実咲と何か手がかりはないか捜索することになったのだった。
「なんだよ恵子さん好きな俳優の舞台があるって。こういうときは少しでも人数いた方がいいのに...」
警察と同じく何の手がかりも得ることができず長介は苛立っていた。舗装されていない山の中を手あたり次第に行き来すると疲労が溜まるのも早かった。遭難しないようにするためあまり奥まで進めず、もどかしさも募っていた。同行者の実咲は2時間前から顔色一つ変えずに捜索を続けている。不老不死、疲れを知らない肉人形との差をまざまざと見せつけられている。時計を見ると既に13時を回っていた。
「遠藤さん!休憩してごはんを食べよう!」
「私は疲れてないので大丈夫です。肉人形なので」
「そんなこと言ってもコンビニで2人分のおにぎり買っちゃったんだよ。早めに食べないとダメになっちゃうから一緒に食べよう」
遠藤実咲は繁みをかき分けていた手を止め長介の元へと向かった。どうやら肉人形は食欲がないらしい。何か出されれば食べるが、食べたところで何かが満たされるということはないとのことだ。肉人形としての自覚がなかった時は食欲がないことにも自覚が薄かったようだが、肉人形として自覚を持ってからは進んで何かを食べようとすることはなくなった。2人は車道に近い、平な地面にシート敷いた。長介は鮭と明太子を遠藤実咲は昆布と梅干のおにぎりを食べることになった。長介は実咲の顔を見た。
「何かついてますか?」
「いや、何でもない」
遠藤実咲には自分の複製された魂が入っている。顔もどことなく自分の面影を感じる。おそらく何も知らない人が見れば娘だと思うだろう。恵子は魂も見た目も10分の1くらいが長介なのではないかと言っていた。自分と似ている肉人形と昼飯を食べると長介は奇妙な感覚にとらわれた。
長介が2つめのおにぎりを食べ終えようとしていると、車道を1台の車が通りすぎようとしていた。しかし、車は長介と実咲の目前まで来るとそのまま止まってしまった。その後、何度もエンジンを吹かす音が聞こえたが、車が動くことはなかった。運転席からがっしりとした体つきの1人の男が現れた。
「おっかしいなあ。なんでだクソッ!」
男は悪態をつきながら車のボンネットを開いた。ところどころ煙が出ており、男の手に負えるようには思えなかった。
「あの~どうかなさいましたか?」
「うわ!何でそんなところに?」
「いや、まあ、その.......ま、ま、それより車が故障されたんですよね?」
「あ、ええ。まあそうですけど」
長介は顎をさすった。ここは以前も坂本喜一の車が故障した場所。偶然同じ場所で車が故障するものだろうか。長介と実咲は車道へと入っていった。
「あの、2人で何されてたんですか?」
「私たちは探偵です。以前ここで行方不明者出ており、行方不明者の両親から捜索を依頼されました」
「え?行方不明?」
「ちょっと遠藤さん?何勝手に話してるの?」
「何してるのかと聞かれたので」
長介は顔をしかめたが、人に従順なのは肉人形のデフォルメなのでどうしようもない。男は実咲の発言にあっけにとられつつも、携帯で電話をかけようとしていた。
「あれ、おかしいな。圏外になってる」
「え?圏外?さっきまで電波は入っていたはず...」
長介も携帯を取り出したが圏外になっていた。
「あの、あなた達はどうやってここに来られたのですか?まさか、歩いてじゃないですよね?」
「僕たちも車で来ましたよ」
「よかった。申し訳ないんですが、近くの街まで乗せていってもらえませんか?」
「いいですよ。この状況じゃどうしようもないですからね」
長介と実咲、そして車が故障した男、田中和弘の3人は路肩に停めてあった車まで歩いた。長介はレンタルした車のエンジンをかけようとしたが、全く反応がない。何度もエンジンのボタンを押しても反応がない。田中和弘が心配そうに運転席の長介を覗き込む。
「う~ん、ダメですね...」
「そんな、ここまで来れたんですよね?」
「何かおかしいな」
長介はある生物について思い当たりがあった。グレムリン。あちらの世界の生物でこちらではそう呼ばれている生物。目視することが難しいほど小さな生物なので気づかなかったのだ。行方不明の件もあちらの世界のものが関わっているかもしれない。長介は運転席で腕を組んで思考を巡らした。グレムリンを取り除くには待つしかないが、少なくとも1週間は待たないといけない。
「あの、どうかしましたか?」
田中和弘が長介の肩に手をかける。
「あ、いや、ちょっとね。車はもう動きそうにないですね。こういうときはバラバラで行動するよりなるべく固まって行動した方がいいので、僕たちと一緒に街まで行きませんか?」
「そうですね。僕も1人じゃ不安なので同行させてもらいます」
長介、実咲、田中和弘の3人で道沿いに歩いていくことになった。長介は田中和弘を警戒していた。あちらの世界の生物が擬態しているようには見えなかったが、端野賢三のように人間でもあちらの世界のものを利用することはできる。長介は実咲にいつでも迎撃できる準備をしておくように小声で伝えた。
「田中さんはこれからどこに行くつもりだったんですか?」
「僕ですか?僕はこの山を下ったところにあるホームセンターに行く予定だったんです。趣味でガーデニングをしているのでその用品を買いにね」
「なるほど。ガーデニングですか。いいですね。何を育てらているんですか?」
「今は、雪柳に凝ってますね。バラ科の植物なんですが、白い小さな花をたくさん咲かすんですよ。これが綺麗でね。上手く丸い形にしたり、好き勝手に伸ばしてみたりするんですよね。あ、知ってますか?雪柳の花言葉は愛嬌なんですよ。この花にぴったりだとは思いませんか?」
「はは、そうですね」
その後も田中和弘のガーデニング話が尽きることはなかった。長介は田中和弘が行方不明に関係している人間ではないと結論付けた。実咲はすっと田中を睨んで歩いていた。
しばらく歩くと、田中和弘が何かに気付いた。
「あ!あれ家じゃないですか?こんなところに家あったんだ。今まで知らなかったな」
長介と実咲も田中和弘の視線の先にあるものに目を向けた。確かに古民家が見えた。よく見ると、その古民家以外にも家がちらほらとある。ちょっとした集落みたいである。
「あそこで、電話借りませんか?そうしたら、レッカーも呼べますし」
長介は携帯を見た。未だに圏外。これも1週間はしないと直らないだろう。このまま山を下った方が安全だが、もしかすると行方不明の件で手がかりがあるかもしれない。ここは田中和弘の提案を飲む方がいいだろう。
「そうですね。とりあえずあの家まで行ってみますか」
3人は車道を離れ、獣道をあるきながら、家の近くまでやってきた。周囲には家と畑しかない。キョロキョロと視線を動かしている3人の前に30代の夫婦らしき2人組が現れた。2人ともサングラスをかけていた。
「どうかなさいましたか?」
夫婦は田中和弘に話しかけた。
「あの~、僕ら車が故障してしまったんですが、なぜか携帯が圏外になってしまって。それで申し訳ないんですが、電話をお借りすることって」
「いや~~~~~~~~~~~~~~~~!!それなんですが、実はこの辺電話線が通ってなくて、電話はないんですよ」
「は?!電話がない?そんなバカな!」
「そう言われましても、ないものはないんですよ」
「あのね、貸したくないなら貸したくないってはっきり言ってもいいんですよ。今の時代、携帯はまだしも固定電話もないなんて信じがたい」
「疑われるなら私たちの家の中を見ていきますか。案内しますよ」
田中和弘は眉をひそめて、長介と実咲の2人を振り返った。長介は首を縦に振った。
「じゃあ、中を見せてもらいましょうか」
3人は夫婦に連れられて、古民家の中に入って行った。古民家には表札がなかった。夫婦は家に入ってもサングラスを取らなかった。夫婦は自分達の自己紹介をしながら、3人を案内した。古民家の中は床にものが散乱していた。玄関、キッチン、客間、リビング全てに猫の形をした置物、ティッシュのくず、電池などが転がっていた。全て壁の端に置かれたままっだった。古民家の中を一通りみたが、確かに電話はなかった。それどころか、テレビや電球さえなかった。あるのは古ぼけたラジオだけ。先ほど電話線が通っていないと言っていたが、これではまるで電気が通っていないみたいであった。3人は客間に通された。
「ほ、本当にないとは」
「言ってた通りでしょう」
ボーーーーーーーーン
時計の鐘が鳴った。16時になったことを古民家の中にいる人間に知らせた。
「おや、こんな時間ですか。みなさん、早く自分の車をどうにかしたいとお思いでしょうが、ここらはすぐに暗くなってしまいます。この時間から山を下ろうとすると、遭難する可能性がありますよ。どうでしょうか?今日はここで1泊なされては?」
「いや、でもそんなこと言われても」
「そうですね。そうしましょう。3月になったとはいえ暗くなるのは早いですし、ここは御言葉に甘えます」
田中和弘は驚いたように長介の顔を見た。
「ちょっと大原さん。こんなところで1泊する気ですか?正気の沙汰じゃないですよ」
田中和弘は長介に耳打ちした。
「田中さん。我々はここに来るまで3時間ほど費やしてます。この山は大きな山じゃないですが、素人が下手に動けば遭難するというのは嘘じゃない。怪しいところはありますが、ここは大人しくご好意を受け取っておくのがいいかと」
田中和弘は長介の提案に納得いっていないようだったが、既に日が落ち始めている外を見ると諦めたように首を縦に振った。
「3人とも泊まられるということでよろしいですかな?」
「はい。申し訳ないですが」
長介は黙って握手を求め手を差し伸べた。夫婦のどちらも長介の手を取ろうとしない。
「いえいえ、申し訳ないだなんて。客人なんて滅多に来ないので私たちもうれしいですよ。部屋はここを使ってください。薄いですが、一応布団もありますので。夕食は私たちが腕によりをかけて」
「いえ、それは結構。我々は持ってきたものがあるので、それですまします」
「ははは。遠慮なさらず、こう見えても私のツレは料理が上手いんですよ」
「いえ、これ以上迷惑をかけることはできないので」
「迷惑だなんて。そんなことないですよ。ここでしか取れない山菜などもありますよ」
「大丈夫です。自分達でどうにかしますので」
「食えって言ってんでしょ!!黙って食いなさいよぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
先ほどまで黙っていた夫人がいきなり大きな声をあげた。突然の怒声に田中和弘がたじろぐ。長介はまだ手を差し出したままだった。
「こらこら。急に大声を出すなよ。すいませんねウチのツレが」
「いえ、いいんですよ。こちらこそ申しわけない」
夫が夫人をに何かを耳打ちをしながら部屋から消えていった。
「やっぱり、なんかおかしいですよね。ずっとサングラスをかけてるのもそうだし、ちょっとご飯を断ったくらいであんなに怒りますかね?」
田中和弘がいぶかし気に夫婦が消えていった廊下を除く。
「確かに色々とおかしいですが、ここを出て外を歩くには危険な時間であることには間違いないですから」
長介は最後まで取られなかった手を握りしめた。長介がここに留まることを決めたのには理由があった。案内中に夫婦は島原と名乗っていたが、男の方は捜索している坂本喜一、女の方は小嶋隆子だった。
「そういえば、食料はあるっておっしゃられてましたよね。僕にも少し分けてもらえるとありがたいんですけど」
「そんなのはないですよ。さすがにあの2人が出すものを食べれないからあるって言っただけですよ」
「ええ......」
長介はおもむろにカバンの中に手を突っ込んだ。
「な、何かあるんですか?」
長介は小さな紙袋を取り出して田中和弘の目の前にぶらさげた。
「残念。これは薬です」
田中和弘はガックリと肩を落とした。
「まあ、水はあるので分けますよ」
夜がふけた。月明かりがかすかに部屋に差し込んでいる。部屋の襖がゆっくりと空いた。空いた隙間から十数人の人の塊が部屋に侵入してくる。侵入者は膝をつき、手探りをしながら部屋を物色した。そして、1人の侵入者が布団の中に人間がいるのを発見した。侵入者は布団で寝ている人間の頭をがっちりと掴むと、目の中に人差し指と中指を差し込もうとした。
「侵入者です!!!」
布団で寝ていたのは実咲だった。勢いよく、押入れの戸が開いた。そこには長介と田中和弘の姿があった。長介が懐中電灯で侵入者たちを照らす。膝をついていた侵入者は特になにか変わったところのない人間の男女だった。目がくりぬかれているところ以外は。
「見えないどころじゃないなこりゃ」
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
実咲の頭を掴んでいた侵入者が実咲の目をくりぬこうとする。実咲はくりぬこうとした腕を掴んだ。骨が砕ける耳障りな音が響く。
「あぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
侵入者は激痛に飛び退いた。侵入者たちは立ち上がると、ふらふらと押入れに向かってきた。
「あれ、あれ、あれなんですか!あれええええ!!!!」
田中和弘は目がない侵入者たちに怯え長介の肩を掴んだ。長介は振り払おうとしたが、田中和弘の腕力はかなり強くそのままにするしかなかった。
「巻き込んですみませんね。あなたの安全は僕たちが責任をもって確保しますから」
長介は押入れの目の前まで来ていた侵入者を蹴飛ばした。どうやら、目がない以外は普通の人間にようである。長介は安心した。これならどうとでもできると慢心した。その慢心も襖の奥からさらに大量の侵入者が見えてくるまでだった。
「うわああ!!!あれ!!!あれ!!!ヤバいですよ!!あれえええええええ!!!」
田中和弘が長介を激しく揺さぶる。長介の体は全方向にグラグラと揺れる。
「分かってますって。遠藤さん!ここは一度退こう!」
侵入者を手あたり次第殴り倒していた実咲が黙って首を縦に振る。侵入者を襖の方へと投げると、窓に向かいガラスをたたき割った。
「ここから逃げましょう」
長介は田中和弘を半ば引きずるような形で窓へと向かった。田中和弘の足を侵入者が掴む。
「ひいいいいいいいいやあああああああ!!!助けて!!!!!」
長介が足で侵入者の手を蹴った。侵入者の手が田中和弘の足を放した。長介が田中和弘を実咲に引き渡した。
「彼を窓から出してくれ」
「了解です」
実咲は田中和弘の尻を窓から押し出すと、窓枠を掴んで半分外に体を出した。
「長介さんも」
実咲は長介に手を差し出した。
「悪いね」
長介は目の前の侵入者にローキックを入れて転ばせると、実咲の手を取った。実咲は長介の手を引いてそのまま外へと脱出した。外に田中和弘が不安そうな顔で2人を見ていた。
「こうなってはしかたない。さっさとこの場から離れましょう」
「は、はいぃぃぃ」
魂が抜かれたような田中和弘の手を引きながら長介と実咲は一目散にその場から走り去った。古民家から離れることはできたが、夜遅くに山の中を闇雲に動くわけにはいかなかった。長介は懐中電灯で周りを照らしながら、自分達が昼間に歩いていた車道を探したが、なかなか見当たらない。しばらくすると、さきほどの侵入者たちが後ろにつけてきた。うかうかしていると目をくりぬかれてしまうかもしれない。長介は足取りを早めた。20分ほどさまよったが、ついに長介は明かりがついている一軒家を見つけた。さきほどの集落とそこそこ距離が離れており、明かりがついているので少なくとも目がある人物の家であることには間違いない。長介は一軒家のインターホンを押した。扉が開くと、白い肌と黒い長髪が対照的な細身の女性がでてきた。
「どうかしましたか?」
「理由は聞かないでここに入れてほしい。頼む」
長介の疲れ切った顔と田中和弘の恐怖でひきつった顔を見た女性は黙ってうなずいた。
「いいでしょう。入って下さい」
女性は3人を家に招き入れ、扉に鍵をかけた。
3人はリビングに案内され、ソファに腰をかけた。長介と田中和弘は額に大粒の汗をかいていた。田中和弘は緊張から解放されて顔がゆるみきっていた。実咲は涼しい顔のままである。
「ありがとうございます。のっぴきならない事情がありましてね」
キッチンから金属がこすれ合う音が聞こえてきた。女性がお茶を入れているようだった。
「いいんですよ。たまにあるんです。ここから少し歩いたところにある集落の人達に襲われたんでしょう?」
「ご存じで?」
「ええ。昔の話なんですが、あの集落は結構歴史があるんです。最初は普通に暮らしていたんですが、ある時突然現れた盗賊に集落を荒らされたんです。その盗賊は集落の人間を殺さずに目玉をくりぬいたのです」
女性がキッチンから歩いてくる音が聞こえる。
「抵抗できないようにということもありますが、何よりも盗賊は人間の目玉が好きだったんです。ずっと見ていられるくらいに」
女性がプレートを持ってキッチンから戻ってきた。プレートの上にはカップはなくスプーンが並べられていた。女性はプレートを側にあった台に置いた。
「そして、その盗賊の子孫は今もこの地にいて集落の人間の目玉をくりぬき、集落に近づいた人間の目玉もくりぬくように集落の人間に命令しているんです。そして、その集落の人間から逃げてきた人達がよくここへ来るんですよ」
女性は後ろから実咲の顔を掴んだ。もう片方の手にはスプーンが握られている。
「まあ、その子孫っていうのは私の事なんですけどね!!!!!!!!!」
女性が実咲の右目の眼瞼にスプーンをねじ込む。先ほどの侵入者たちと違い手際がよく、実咲に抵抗する暇を与えなかった。長介と田中和弘が言葉を発する前に実咲の目玉は銀色のスプーンの上へと移動していた。
「はああああああああああああああああああああああああ。いいわ~~~~!!!!!!!!左も頂くわよ!!!!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
田中和弘の悲鳴が壁を通りこえて山中に響くが、それを聞いている人間は壁の内側にしかいない。長介も突然の凶行に驚きを隠せなかった。女性は抜き取った目玉をプレートに置き、悦楽に浸っている。唯一冷静だったのは実咲だった。実咲は頭を掴んでいた女性の腕に指を食いこませた。
「落ち着いてください。私は大丈夫ですよ。肉人形なので」
女性は目玉をくりぬかれも平然としている実咲の冷静さに不気味さを感じ取った。プレートに置いた目玉を見ると、ピンク色の肉くずに変わっている。実咲の右の眼窩に再生された目玉が既に入っていた。
「ふう。最初に襲われたのが私でよかったですね」
実咲は女性の腕を掴む力を強めた。女性は腕を引いた。腕の皮膚が実咲の手の中に残され、皮膚の中身が露出した。緑色の腕には大量の目玉がついていた。
「あんた、肉人形ね。今時こんなものを見かけることになるなんて思わなかったわ」
女性の皮膚がドロドロと溶けていく。長介は樂泉籠の店長とエミリーちゃんを思い出した。女性の皮膚が全て溶ける。形は人間とそれほど変わらないが、大きな頭部には巨大な黄色い目玉が1つついていた。そして、体全体には人間のものと思われる目玉が所せましと埋め込まれていた。長介はソファから飛び上がり、臨戦態勢に入った。田中和弘は突然の化け物の出現に恐怖し、失禁していた。実咲もソファから立ち上がって目玉の化け物の方を向いた。
「どう?この姿きれいでしょう?」
「キレイだあ?どういう趣味してるんだ?」
「うふふふ。心配しないでちゃ~~んとあなたの目玉もここにい・れ・て・あ・げ・る」
目玉の化け物が自らの体を指でつつきながら全ての目玉で長介を舐めるように見つめる。長介は背中に寒気を感じた。
「「逆にお前の目玉を全部くりぬいてやる」」
「あれ?」
「あ...」
長介と実咲のセリフがかぶった。長介の魂が実咲の中に入っているからの現象だろう。長介は無性に恥ずかしい気持ちになった。
「なにボーっとしてるのよ!!」
目玉の化け物が実咲の脇をすり抜けて長介に突っ込んでくる。田中和弘が白目を向いて失神している。白目長介が田中和弘の腕を掴んでどうにか立たせた。実咲が目玉の化け物の腕を掴んだ。掴んだ腕の目玉の1つが実咲の目と視線が合った。実咲は家の中にはいなかった。車の中にいた。周囲は暗く、音は全く聞こえてこない。実咲の右目が何かまぶしいものを察知した。車のヘッドライトだった。まっすぐ実咲が乗っている車に突っ込んでくる。衝突。実咲は目を閉じると真後ろに吹き飛んだ。
「うわ!!!!」
実咲が顔を上げると先ほどまでの家だった。いつの間にか目玉の化け物の腕を放して膝をついていた。実咲は見た交通事故に遭うビジョンが何だったのか理解できず、立ち上がることができなかった。目玉の化け物が田中和弘を担いでいる長介ににじり寄っている。長介の後ろは壁だ。
「そいつを置いていけばあなたは逃げれるかもしれないわよ」
「そんなに薄情に見えるか?大量についている目玉は節穴なのか?」
「節穴かどうか確かめてる?うふふ」
目玉の化け物が右腕を前へ突き出した。前腕部についている目と長介の目が合った。長介は先ほどの家ではない別の家にいた。火が見える。何も聞こえない。屋根が崩れ落ちてくるが、何故か足が動かすことができない。火が眼前に迫って来る。思わず目を閉じた。
「うおおおおおおおおおお火がああああ!!!!」
長介が再び目を開けると目玉の化け物がさらに近づいてきていた。
「あれ?確かに火が」
目玉の化け物の背後から実咲が拳を振り下ろそうとしている実咲が見えた。まだ、目玉の化け物は気づいていない。勝ったと長介は思ったが、実咲の腕が止まって動かない。
「どうした?遠藤さん!チャンスだ」
「うふふ。無理よ」
「やめろおおおお!!」
実咲が尻もちをついて、手を使い後ろに引き下がった。
「うふふ。凌辱されたのねかわいそうに」
「凌辱?」
「遊びは終わりよ!」
目玉の化け物が長介に突っ込んでくる。長介が避けようと田中和弘を抱えたまま倒れこんだ。なんとか体勢を立て直そうと背後にいる目玉の化け物を振り返った。数ある目玉のうちの1つと目が合う。長介はいつの間にか先ほどのソファに座っていた。座ったまま女性を見上げている。女性の手にある何かが光りを反射している。光りが消え真っすぐ手が長介に向かって振り下ろされた。右目の視界が消える。女性のスプーンの上に血が滴る目玉がのっている。右目を抜き取られている。長介は叫んだが声は聞こえない。逃げようとしたが体が動かない。女性が長介の頭を固定する。そして再び手が振り下ろされた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお目があああああああああああああ!!!!!」
長介がゆっくりと目を開ける。目の前には目玉の化け物がいた。長介は確かに自分が目を抜き取られるのを見ていた。目は少し痛みを感じるもののしっかりと眼孔に入っている。
「そうか。そういうことか」
長介は目を閉じた。
「遠藤さん!!目だ!あいつの目を見るんじゃない!!」
目玉の化け物が体に取り付けている目玉は単純に視界を広くするためのものではないのだ。化け物自身の目玉は黄色い大きな目玉のみ。その他の目は他の人間から奪ったものなのだろう。その奪った目と視線が合うとその目が見たことのあるものを一瞬のうちに追体験させられている。家が燃えている映像は火事にあったことのある人間の目玉、目玉をくりぬかれる映像は全ての目玉が体験しているはずである。
「あら、気づいたのね。そう、対策するにはそうやって目を閉じるのが一番よ。でも、その状態で私とまともに渡り合えるかしら」
長介は両手を合わせ口の前へと持っていき、霧を吹いた。
「もちろんそんなつもりはないさ」
長介は目を開けてゆっくりと立ち上がった。屋内なので霧がこもり少し先のものでさえ見えなくなっている。これで互いに見えなくなったが、逃げるには先ほど目玉の化け物がいた方向と反対に行けばいい。田中和弘を抱えようとした瞬間、眼前の霧が激しく揺らめいた。長介の瞳に黄色い巨大な目玉が映る。
「見たわね!!!!!!!!」
長介の視界が揺らめく。
「馬鹿ねえ。目つぶしなんて散々やられてきたから慣れてるのよ。あんたのはぬるい方だったけど」
長介の視界がはっきりとした。目の前に映っているのは自分だった。
「どうなっている」
目の前の自分の口が動く。
「さあ?どうなってるのかしら?」
長介が前へ1歩進もうとすると自分が1歩近づいてきた。右手を挙げようとすると目の前の自分が右手を挙げた。
「これは...」
再び霧が大きく揺らめく。実咲が霧の中目玉の化け物へと突っ込んできた。実咲の前蹴りが目玉の化け物を吹き飛ばす。長介の視界が大きくぶれる。
「おわああ!!」
「うわ!長介さん?どうかしましたか?」
長介は霧の中にいた。すぐ近くにいるはずの実咲が見えない。いくら霧が濃いとはいえこれほどはっきりと声が聞こえる近さなら見えるはずだが、霧以外は何も見えない。
「分からない。目がおかしい。見えるんだけど、何かおかしい」
実咲が長介の目の前で手を振る。
「今私が何をしてるか分かりますか?」
「遠藤さん?やっぱり近くにいるんだな。どこだ?どこにいるんだ?」
実咲は怪訝そうに眉をひそめた。
「どこってここに」
長介の視界が激しく動き始めた。霧から抜けて実咲の背中が見えた。
「遠藤さん後ろだ!!」
実咲が振り返る。目玉の化け物の顔がそこにあった。
「見たわね!!!!」
実咲の視界が揺らめく。そして再びはっきりと見えるようになると目の前には振り返っている自分の姿があった。
「あれ?どうして?」
「うふうっふ。勝った」
実咲と長介の体がぎこちなく動くがまともに歩くことさえままならない。
「ふ~。ここまでできたらタネ明かししてあげるわ」
目玉の化け物は勝ち誇ったように腕を組んだ。
「長介って言ったかしら?あなたが予想した通り私の体についている人間の目と視線が合うとその目が体験したことのある映像を追体験させることができるのよ。ショッキングな映像をいきなり見せられたら誰だって驚いて後ろに下がったり、混乱したりするものよねえ。さらに、人間は情報をほとんど目から得ているから、見た映像が実際その場で起こっていなくても体がそれを体験したかのように反応するのよ。たまにあんた達みたいにしつこく抵抗する人間がいるからその時は目玉がくり抜かれる映像を連続で見せるの。そうするとね、1度だけなら少し目が痛い程度ですむけど10回くらい見ると本当に目玉が飛び出すのよ」
長介は化け物の自分語りを聞き流しながら体を動かしていた。足元に倒れている田中和弘に気付かずつまずいて転んだ。
「あははは。何やってるのよどんくさいわね」
実咲の拳が空を切る。
「人間の目玉はオマケなの。私の本領はこの大きくてカワイイ目にあるの」
長介と実咲の視界に化け物の映る。
「この目で人間の目を見ると私が今見ている映像を体験させられるようにできるの。だから、あなた達は今見てるのは私が今見ているもの。そして最後見ることになる映像よ」
「最後だと?」
長介がなんとか立ち上がる。
「そう。最後。今からあなたの目を抜き取るのよ。こうやって目を抜き取るのは久しぶりね。この状態のまま抜き取ろうとするとね、さっきまで視界を元に戻せって言ってたやつがお願いだからずっとこのままにしてくれって言ってくるのよ。ふふふふ。そりゃそうよね、この状態を解除されたら永遠に光りを感じることができなるんですもの。ははははははは」
「何だって目玉を集めてるんだ。ただのコレクションにしては趣味が悪いな」
「人間の目玉そのものがどうとは思わないわ。私の目に比べたら貧相で可愛げがないもの。大切なのはその目が何を見てきたか。私は人間の目玉を奪うことでその目が見てきたものを感じることができるの。人生は可能性の連続。その人間が選択してきた可能性を見ることで実感できる。そして、私が目玉をくり抜くことでその可能性を終わらせる。堪らない感覚だわ」
「どちらにしろ悪趣味だな」
「私が先祖からずっと受け継いできた伝統なの。他人にとやかく言われる筋合いはないわ」
目玉の化け物がずっとあらぬ方向を蹴ったり殴ったりしている実咲を突き飛ばし、霧をかき分けながら長介の方へと歩みを進める。
「これからあなたの人生をいただくわ。そして、ここで終わらせる」
「俺の人生はめちゃくちゃにヘビーだぜ」
長介の視界に自分がはっきりと映る。化け物との距離は1メートルもないだろう。
「あら、それはそそられるわね」
「今だ!!!」
化け物の大きな目玉に田中和弘の強烈なアッパーパンチが炸裂した。
「「「うぎぎゃああああああ」」」
長介、実咲、目玉の化け物が一斉に叫び声を上げる。アッパーパンチを繰り出した田中和弘が長介を振り返る。
「あれ?大丈夫ですか」
長介の視界には田中和弘が映っている。長介は自分の目の前に手を持ってきた。人間の自分の手だ。視界は元に戻っていた。
「大丈夫です。助かりましたよ」
長介は倒れている田中和弘につまずいた時、田中和弘が意識を取り戻し、うめき声を出していることに気付ていた。長介は田中和弘に起き上がらず、しばらくそのまま動かずにいるように指示。合図を出したときに化け物を攻撃するように頼んでいたのだった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!よくも私の目を!!!!!」
化け物がうずくまり両手で目を覆っている。体中についている目玉はぐるぐると目まぐるしく動きどれも焦点が合っていない。長介は左手で右手を叩き爪を伸ばした。
「俺がお前の可能性を終わらせてやるよ」
長介がうずくまっている化け物に近づく。
「やってみろよ!!!!!!!!」
化け物は痛みをこらえて大きな目玉を再び開く。長介はそこに容赦なく爪を突き刺した。爪が刺さった部分から黒い液体が流れだす。
「あ.........」
化け物は絶命した。
「一件落着ですね」
実咲が化け物の死骸を後ろに引き、長介の爪を引っこ抜いた。田中和弘は未だに状況を理解できていないのか長介と実咲の顔を交互にせわしなく見ている。
「いやいや。僕たちがここに来た理由忘れてないかい?」
長介は目の前に転がる大量の目玉と集落にいる盲目の被害者たちのことを考えると目の奥が痛くなったのだった。
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