飛んで火に入る夏の虫
飛んで火に入る夏の虫。
多鍵です。
読み方は、たかぎ。
元々は緋澄凌駕という名前でやってましたがそろそろちゃんとしたいです。
ですがどんな呼び方でも構いません。
世に出す処女作になったこの作品。
ゆっくりと更新していきます。
更新した際にはTwitterでの報告とさせていただきます。
よろしくお願いします。
誠意書き上げ中です。続きはしばしお待ちを。
章前
***
急な話だが少しだけ付き合ってほしい。
ほんの少しだ。
貴殿の人生には何の影響も及ぼさないであろう、ある少年達の話だ。
……貴殿の人生の数分の一を使わせていただき感謝する。
だが、その少年達の話には前置きが必要だ。ここではまず、それを語らせてもらおう。
***
全ての生き物には、『走性』というものが存在する。
「『そーせー』って?」
……申し訳ない貴殿。この子は私から離れないんだ。離れられないんだ。
だから少しだけ気にしないでもらいたい。
……お心遣い感謝する。
「んーん!!」
ほら今から説明するから、少しくらい待てないのか君は…。
私が左手で少女を制すると、その少女は癇癪を起こしたかのように、
「はーやーくー……!」
と駄々をこねる。
ああ分かった分かった。説明するから、君は一度黙れ。
「……ん。わかった、よ?」
うん、それでいい。いい子だ。ちゃんと俺の話を聞ける子は、いい子だ。
「わたし、いいこ!!……あ、ごめんなさぃ……。」
あー、ゲフンゲフン!
……話が逸れてしまい申し訳ない。
戻そう。
軌道修正だ。
閑話休題、というヤツだ。
そう。
――『走性』について話そう。
簡単に説明すると、『ある現象に向かって正負の向きに近づいてしまう、生物の逆らいようのない、深層心理に刻まれているモノ』だ。
それを『神』と呼ぶ者もいる。
それを『欲』と呼ぶ者もいる。
結局の所、『走性』というモノは誰にも逆らえないある種の奇跡的な力なのだよ。
具体例を挙げようか?
――『飛んで火に入る夏の虫』だよ。
夜中、虫たちがコンビニの電灯に集っている様子を思い浮かべて見てほしい。
アレと同じだ。
キャンプファイヤーをした時などは虫がよく集まってきてることがよく分かるだろう。きっと蚊に噛まれることがいつもより多い筈だ。
――そう。
虫たちは逆らえないのだ。
光のもとに集まってしまう。それが轟々と燃え盛る炎でも……。
今例に挙げたこれらは【正の光走性】と呼ばれる『走性』の一種だ。
ここで、最初の説明を思い出してもらいたい。
私は、「全ての生き物には、『走性』というものが存在する。」と言った。
この意味が分かるかい?
そう。
人間にもあるんだよ。
具体的に言えば、
――【正の死走性】が――。
序章
***
闇夜。
その深夜の公園には、花が咲いていたようだった。
それでいて海の中にいるような、不思議で不気味な光景。
……それは一面の赤。朱。緋。紅。
その中心に、僕は立っていた。
何故かはしっかりと覚えている。
何も後悔なんてない。
勝手に来て、勝手に死んだのだ。
……それは血の色で、血の花で、血の海だった。
「…………ふぁあ……。」
欠伸。
例え、僕の周りに死体の山が出来ていても、それは僕のありふれた日常なのだ。
眠ければ欠伸だって出るし、腹が減ればキュルルと鳴る。
……死体を見れば、気分が悪くなる。
「帰ろ……。」
僕はそこいらに転がる死体を背にして歩き始めた。
夜は深い。
道を照らす電灯は、所々切れかかっていてチカチカと震えている。
――早く帰って寝たい。
それが、僕が今、一番思うことだった。
体が怠い。
その上赤黒い血を吸ったワイシャツが僕に纏わり付いて気持ち悪い。不快だ。
そんな考えを持って僕は帰路につく。
少し歩くと、僕の家が見えてきた。
古びたアパート。
その二階の一番端、二〇一号室。
そこが僕の家。
築四〇年というこのアパートは、階段も錆つき、所々腐っていて汚い。
だけど、僕にとってはそこがとても心地よい空間だった。
階段を上がり、奥の自分の部屋に向け歩を進める。
鍵は古いタイプのもので、指紋認証も虹彩認証もない、簡易なものだ。
ポケットから取り出した鍵を差し込み、ドアを開ける。
……ガチャガチャ、と小気味に鳴る音。僕はこの音が、なんとなく好きだ。
「おかえりなさい、間人。遅かったね。シャワー、ガス付けといたよ?」
僕を出迎える優しい声。
その声は、僕の唯一の家族、彩が発したものだった。
間人というのは僕のことだ。
名前の由来なんて知らないが、僕はこの名前をよく思ったことはない。
彩はベッドに入っている。それも、病院にあるような、機能的なベッドだ。
真っ白なシーツ、真っ白な布団の中に、ちょこんと座る彼女。
……美しかった。
どんなものより美しかった。
彼女の艶やかで長い黒髪。白い柔肌。整った顔立ち。それでいて、死んだ魚のような目をしている。
世界一美しい。
僕は彼女のことを愛している。
そう断言出来た。
「……いつもありがとう、彩。」
「ん……。」
僕は彼女に軽く礼をして、浴場に入った。
狭いその浴場はユニットバスで、所謂三点ユニットと呼ばれる簡易的なものだった。
トイレや洗面台、バスタブが同じ場所にあるこの浴場。
築四〇年だというのに、ここの壁や床だけはテカテカと光り、真新しい。
……まぁ浴場だから当然なのだが。
大家によると、ここだけ真新しいのは前の入居者が改築したからだそうで、僕ら家族にとってはありがたいことだった。
「……はぁ……。」
溜息。
こびり付いた血は、いくら洗っても取れそうにない。
洗っても。
洗っても洗っても。
――僕の脳裏にこびり付いたその記憶は消えそうにない。
どれだけの間、洗っていただろうか。
腕が赤く腫れていたのを見て、僕は洗うのをやめた。
石鹸が染みる。ヒリヒリと。
「いつまで入ってるのー?」
間延びした彩の声。
僕を心配してくれているのだろう。
いつもいつも、申し訳ない。
「もう出るよ。」
そう適当に返した僕は、さっさとここを出ることにした。
ふわふわのタオルで頭をワシャワシャと拭いて、バスタオルで適当に体の水分を取り除く。
いつも通り、ジャージに着替えて彩の待つ部屋に戻る。
そして僕はあることに気づいた。
今日はまだ、言ってなかったということに。
「ただいま。」
「……ん。待ってた。おかえりなさい。」
「ごめん。」
「許してるよ。とっくに。」
「ありがとう、彩。」
「ん。」
僕は彩を抱いてそう言った。
耳元で囁いてそう言った。
彩も僕を震える手で抱いてそう言った。
耳元で囁いてそう言った。
ここはまるで、今から愛を育むかのような、甘ったるく、それでいてほろ苦いような、人を酔わせる空間のようだった。
幸せが具現化した空間のようだった。
そのまま、軽く抱き合って続ける。
「血まみれでも、私は良かったのに。」
「彩が汚れるなんてこと、僕が許せると思うか?」
「ん。思わない。けど。」
「大丈夫。僕は彩を愛してるよ。誰よりも。何よりも。」
「…………ん。ありがと。」
ただの確認だった。
どうしようもなく溢れてくる愛の。
互いに信じ合って生きていることの。
互いがいなければ『きっと死ぬ』ということの。
こうしていると気怠さが吹っ飛ぶ。
眠気も安らいでいく。
「お腹減った、間人。」
彩が頬を赤らめて言う。
「じゃあ、なにか作るよ。彩は何が食べたい?」
僕は彩のそんな顔を見て微笑む。
――幸せだ。
そうとしか言いようがなかった。
「間人が作るものならなんでもいい、けど…、オムライスが食べたい。」
「了解。そんな気がしてたよ。」
軽く笑う。
こういう時彼女は好物のオムライスを選ぶ。いつも通りの日時風景だった。
「もうっ!」
「痛いって! 叩かないでよ……。」
ぽかぽかと叩いてくる彩。
それを痛がる僕。
……全て、いつも通りだった。
何かのルーティンのように。
ただそれをこなすだけの機械のように。
僕たちは幸せを感じ続けるだけだった。
***
「おやすみ、彩。」
「……ん。おやすみなさい、間人。」
草木も眠る丑三つ時。
ようやく僕たちは床に就いた。
彩はあのままベッドで、僕は床に座って、眠る。
確か公園に居たときは十二時を過ぎた辺りだった。
あんなことが起きてまだ二、三時間。
……眠れる訳が無かった。
夜が怖い。眠るのが怖い。死ぬのが怖い。死体が怖い。そんな思考が怖い。
…………人間が怖い。
ガクガクと震える。
ブルブルと寒気がする。
孤独をひしひしと感じる。
そして僕は、思う。
何が血の海だ。
何が死体の山だ。
何が『これが僕のありふれた日常』だ!?
何が『勝手に来て、勝手に死んだ』だ!!?
「……ふざけんな。」
右手を強く握りしめる。
噛みしめる。
それこそ血が出そうになるほど。
後悔なんてしてない訳ないだろ!!してるよ!!誰よりもしてる!!何欠伸してるんだ何腹鳴らしてるんだ何気分悪くしてるんだ!!死んだ人はもう何できないんだぞ!?分かってんのか間人お前は!!何様のつもりだ!!?何一人で幸せ感じてんだ!!何優越感感じてるんだ!!ふざけんなよお前!!!!いい加減にしろ全部お前の所為だろ間人!!お前がそんなだから人が死ぬんだろ!!分かってんのかぶっ殺すぞ!!!!人が怖い!?俺はお前が怖いよ間人!!孤独!?隣にいるだろうが愛してる人が!!死んだ人たちにはないものが全部あるだろうが!!!!
「……ねぇ、」
突然の声に、僕は跳ねる。
そして、彩だと気付いて、
「ご、ごめん。……どうしたの?」
溢れ出てきそうになった涙を拭う。
「……いや。えと……、大丈夫?」
彩は困ったような顔で、そう僕に尋ねた。
「……っ、……ちょっとだけ、大丈夫じゃない……かも、しれない……。」
言葉を濁した。
そうしないと泣きそうだったから。
一番愛してる人には、無様な姿を見られたく無かったから。
一番大事な人には、幸せな姿だけを見ていて欲しかったから。
「……こっち来て。」
「……いい。」
「こっちに来なさい。」
「……ごめ、ん、」
彼女に従うしか僕が生きる道は無かった。
彼女は僕を、左手で抱く。
僕は彼女の腕の中で、泣く。
微かなプライドを守る為に、声だけは上げまいと必死に堪える。
「……間人のせいじゃないよ。誰のせいでもない。……だけどね、間違っちゃいけないと私は思う。目の前の生が喪われた。それは事実なんだよ。いくら間人の周りで人が死にすぎていようと、わざとしているかのように間人の周りでしか死ななくても、間人のせいじゃなくても。それは事実。だから間人はね、何もしなくていい訳じゃない。弔わないといけない。考え続けないといけない。その人がどうしたかったのか。どう生きたかったのか。進む道が半ばだったなら、次の走者が誰もいなければ、継がないといけない。だって哀しいじゃんか、迷い迷ってそれでも自分を信じて進んできた道が、断崖絶壁の崖で飛び降りるしか無かったら。だからね、間人。あなたはその死を、どうしたいの? どうするべきなの?」
彩は僕にそう告げた。
単調に。それでいて説得力を持たせて。僕を落ち着かせてくれて。僕に考えさせてくれて。
……ああ、僕は恵まれている。
だって、生きている。
だって、寄り添ってくれる人がいる。
だって、進む道がある。
分かった。
これも、後に生きる人のエゴかもしれない。
だけど。
僕は――、
「――生きるよ。あの人たちの分まで。」
「……ん。」
彩はもう何も言わなかった。
僕は泣いていた。
時間も忘れて泣いた。
***
日が昇り始めたころ、ようやく僕は泣き止んで、落ち着いた。
彩は笑って、
「間人、今日はこっちで寝よ。」
「……そうするよ、彩。」
「ん。じゃあ、おやすみ。」
「ありがとう、彩。じゃあ、おやすみ……。」
……いつも通り、僕たちは幸せをこなす。
だけど、この思いだけは、紛れも無い、純粋な、
――本物だった。
序章、了
第一章
***
「おはよう、間人。もうお昼みたいだよ。」
「……おはよう。いや、おそよう……?」
彩の一言で、僕は目覚めた。
二人ともまだ横たわったままだ。
見つめ合って、互いの目に涙の跡が残っているのを見つけて、笑った。
「……あはは、何がおかしいんだろうね、ほんと。」
「……だな。」
しばし笑いあって、僕は立ち上がった。
カーテンを閉め切っているというのに、燦々と溢れる日差し。
ひどく眩しかった。
「開けるよ。」
「ん。」
勢いを付けて、バッと開く。
暗かった部屋に光が差し込む。
既に太陽は登りきっていた。
ぽかぽかと暖かい。
カーテンの奥の方、桃色の景色が見えて、僕は呟いた。
「ああ、もう春か……。」
「そうだよ。桜が満開みたい。見にいく?」
「彩がそうしたいなら。」
「私はそうしたい。」
「じゃあ行こう。」
「そうしよう。」
季節は春。
日時は四月十日の正午すぎ。
僕らは花見に行くことにした。
***
適当に朝食兼昼食を済ませ、準備を始める。
「夜桜がいい。」
という彩の提案に乗る形で花見は夜に決行することになった。
その為に今から準備をしている。
何故こんな昼間っから夜の準備をするのか。
そんなことをする理由があるからだ。
……彩が、歩けないからだ。
歩けない。
彩は自力で歩くことが、とても困難なのだ。
僕は彩に尋ねた。
「車椅子ってどこで借りられるっけ?」
「近くの公民館で借りられるんじゃなかったっけ?」
「ああ、じゃあ行ってくる。」
「後でいい。……今はもうちょっと一緒に居たい。」
「……そうか。」
彩が歩けない理由。
それは簡単明瞭なものだ。
――足を切られたから。
いや、ない訳ではない。
ちゃんとある。幽霊でもないし、欠損してしまった訳でもない。
後天性のものだ。
切られたから。
……親に、足の腱を切られたから。
どこの漫画なんだ、と言って笑われるのも仕方ないかもしれない。でもそれは事実だ。
彼女は十分に歩くことが出来ない。
だけど、歩けない訳ではない。
しっかりとは言えないが、治療済みの彩の足はぎこちないながらも歩くことが可能だ。
だけど歩けないのは、心の問題だそうで。
彩は、人が居ない所でなら少し歩いたりするらしい。
ちょうど昨日なんかのようにシャワーのガスを付けるくらいのことなら出来る。
……まぁ、僕が彩に軽々しく何かさせるようなことが出来ないのも理解しているようで、今は僕に甘えきっている状況なのだが。
彩がどう思っていようと、僕はそれでいいから、それでいい。
そこまで彩が理解しているかどうかは分からないけれど、頼られないよりマシだ。
愛してる人に頼られることで、頑張る気になれる。
少なくとも、僕にとっては、歩けないことが悪いことではなかった。
「楽しみだねー、夜桜。」
「そうだな。風流でいい。」
他愛のない会話。
だけど、二人の目は笑っていなかった。
どちらも、桜にいい思い出なんてなかったから。
無言だった。
二人とも、過去を思い出してしまった。
僕は、告げる。
「こうやって、いっぱい色んなことして、いっぱい遊んで。……塗り替えていこうな、彩。」
「……ん。そうしよ。」
心から笑いたい。
心から笑ってる彩を見たい。
その一心だけで今の僕は生きている。
***
「暑いね……。」
「そうだな。ちょっと休憩するか。冷えたお茶淹れるよ。」
冷蔵庫で冷やしてるお茶のペットボトルを出して、コップに注ぐ。
春でも今日は特に暖かい。少し汗ばむ程に。
「汗やばいよ私……。」
「そっか、拭く?」
「シャワー浴びたい。」
「行く前に?」
「うん。もう無理、耐えられない。」
「…………。」
「浴びさせて。」
「………………………。…………分かった。」
注いでいたお茶が溢れていることに気づいたのはこの時だった。
「何その間……。」
「……男としての葛藤だよ……。」
びちゃびちゃに濡れた床を掃除しながら、仕方なく声を漏らす。
彩はプププと笑いながら、
「欲情してるの? 浴場なだけに。あはは! 笑っちゃう!」
「笑えないが。ちっとも笑えないが。」
彼女の笑顔が見たいとは言ったがこういうものじゃない。
これは僕が幸せじゃない。
「じゃあ、おんぶ。」
「はいはい、わかりましたよ、お姫様。」
「崇め讃えよー!」
そう言って背中をよじ登ってくるお姫様。
崇めるというよりも可愛さに悶えると言う方が正しいような気がした。
彩は足が不自由なだけでない。
右手がほとんど動かない。
抱きしめてくれる時だって、彩の右手はずっと震えている。
こちらは怪我をした訳ではなく、百パーセント心因性らしいが。
理由は知らない。
聞こうとも思わない。
だから、シャワーを浴びるだけでも人の力を借りなければならない。
人が嫌いな彩が、人に頼らなければ生きていけない。
……彩がまともに動かせるのは左手だけだ。
***
ここで、僕は深呼吸をしなければならない。
目の前に在るのは、彼女の裸体なのだ。
あられもない、生まれたままの姿なのだ。
汚してはいけない。
怪我させてはいけない。
細心の注意を払って砕心してでもやり遂げなければならない。
「……ねぇ、そんなに緊張するの? もう何百回としてきたことでしょ?」
「何万回しようが緊張するよ……。」
「じゃあ試さないとね。」
「何万回で済んだらいいけどね。」
互いに、暗に『一生を共にする』と告げている。
思わず微笑んでしまう。
この状況を思い出してまた固まる。
ずっとこんな調子だ。
「はやくしてよ。」
「ちょっとまっ」
「はやく。」
「はい……。」
嫁の尻に敷かれる旦那というのはこういうものなのだろう。痛感した。
空のバスタブの中に二人。
カーテンを閉めて、外に水が出ないようにする。
さらに、僕は膝立ちでシャワーを手に持ち、しゃこしゃこと彩の頭を洗っていく。
黒く長い髪はキラキラと光り、彩の美しさをさらに強調している。
「痒いところないですかー?」
「ないですー。」
「分かりましたー。」
泡立てたシャンプーをしっかりとつけて髪に浸透させていく。
これもまた愛の形なのだろう。
僕はそう思うことにした。
「流すよ。」
「ん。」
泡を洗い落とす。
ついでに色々洗い清められてるみたいな感覚。
心の中の黒いものがどんどんと流れ出ていっているような。
「ありがと。体は自分で洗うから。終わったら呼ぶね。」
「了解。なんかあったら呼んでね。」
「ん。」
ここで僕の出番は終了した訳だ。
流石の彩も体を洗わせるのは少し抵抗があるようで、たまにしか頼んで来ない。
たまに頼んでくるのは、まぁ、ね?
――寂しいんだろう。
基本的に僕は彩のそばにいる。
今だって風呂場の入り口の所で座って待っている。
だけど、僕だって寂しい時は寂しい。
彩はもっとそう思っているんだろう。
彼女はきっと……、
「終わったー。」
「ん。了解しましたよ、お姫様。」
「傅きたまえー。」
「急にひどくないかなー。」
「すみませんでした。」
彩を抱えて風呂場から出して、体を拭いていく。
ユニットバスの難点だ。
シャワーを浴びる時でも、浴槽に入らなければならない。
だから、足を高く上げないといけない。
彩にとっては一人ではできない行為だった。
引越しを考えたことがある。
だけど、ここは『僕にとって最高の立地』なのだ。
――『死神』のような僕にとっては。
「何考えてるの、間人。」
「いや、なんでもないよ。」
「そういうのが間人のダメな所なのよ。」
「そうだね。」
「ほんっと、変わらないよね。」
「変わりたいんだけどな。」
「変われるよ、絶対。」
彩の体にバスタオルを巻いて、ドライヤーで髪を乾かしていく。
ブォーという激しい音で、僕は彩の言葉の最後が聞こえなかった。
***
僕の周りでは、よく人が死ぬ。
よく、程度では済まない。
関わった人のほぼ百パーセントが死ぬ。
今現在、僕と関わって未だに生きているのは彩ただ一人だ。
――僕と関われば死ぬ。
それが僕が生まれながら持つ性質だった。
何故なんて思わない。
そういうものなのだ。
変えようのない、変わりようのないただの事実。
だから、僕は『死神』なんだ。
死をもたらす。
いや、死をばら撒く。
……タチの悪い『死神』だ。
母は僕を産むと同時に死んだ。
父は僕が二歳の時に自殺した。
預けられた母方の祖父母も僕が五歳の時に相次いで病死。父方の祖父母は僕が生まれる前にすでに亡くなっていた。
そこで、他に親戚がいなかった僕は孤児院に入ることになった。
一つ目の孤児院では、飲酒運転の大型トラックが突っ込んできて院が崩壊。僕以外の人達が最終的には皆死んだ。
二つ目の孤児院では、火事が発生。逃げ遅れなかった子も後遺症か何かで皆死んだ。
三つ目、最後の孤児院。そこで僕は彩と出会った。
最初は特に何とも思わなかった。
この頃には何となく自分のことが分かっていたからあまり接しようともしていなかった。
だけど、彩は僕に近づいてくれた。
優しく接してくれた。
だから、代わりに僕が出来ることを全部してあげようと思った。
そして次第に僕らは愛し合うようになった。
そんな時だった。
院長先生が僕達を盾に国相手に喧嘩を売った。その結果僕と彩を残して全員が殺された。
この時、僕は十七歳、彩は十六歳だった。
そして二人で様々な街を転々とし、現在。
僕らの年齢は二十を過ぎようとしていた。
僕はこんなくそったれた性質を狙われている。
人と喋るだけで対象を殺すのだ。
どんな暗殺者よりも確実。
どこから聞きつけたのか、どこの国からかは分からないけれど時折通知が来る。
読めないけど。
……大抵は、こういう意味だろう。
『私達に従え』
誰が従うものか。
ふざけるな。
僕は兵器じゃない。人だ。
一番死に近い、ただの人だ。
人なんだ。
だから、僕は人と関われない。
関わるとその人が死ぬから。
それを分かっているからこそ、彩は夜遅く人がいない時間帯に花見を指定したのだろう。
その気遣いに僕は感謝するしかなかった。
***
あれから、少し休憩した後、車椅子を取りに行き、早速二人で外に出た。
日は既に落ちている。
少し歩くと、公園が見えてきた。
公園というよりも、小さな川に沿っている長い河川敷のような場所だ。
――夜の桜。
闇に映える桃色。
川辺に並ぶ桜は、月の光に包まれて優美な姿を見せていた。
「……きれい……。」
「そうだな……。」
彩はそう言った。
僕は頷いた。
――本当に、綺麗だった。
暗くて、どす黒くて、どうしようもない世界。
だけど、ちゃんと残ってた。
美しいものもあった。
汚いものだけじゃなかった。
穢らわしくなんてなかった。
本当は綺麗だった。
――つ…、と涙が零れ落ちた。
「ねぇ、間人……、」
「……ん、ねぇ彩、」
彩は。
僕は。
視線を重ねて。
声を重ねて。
こう言った。
――「「ずっとずっと、愛してるよ。」」
***
……僕は、いい加減に甘えるのをやめるべきだろう。
この消えない疲労感も、虚無感も。
この人殺しの性質も。
誰かに作られたものじゃない。
最初からこうだったんだ。
僕の。僕自身の作り上げたものだ。
――だからこそ。
彩に迷惑は掛けられない。
いつ彩が死ぬのか分からないのだから。
これだけ彩と過ごして、何故まだ死んでいないのか僕には分かっていない。
いつ死ぬか分からない恐怖と隣り合わせなのは、追われる身の僕じゃなくて、彩なんだ。
死と隣り合わせ。
死神と一つ屋根の下。
冗談じゃない。
……だからこそ。
いい加減、僕は甘えるのをやめるべきなんだ。
「ごめん、彩。」
もう振り向かない。
寝息を立てて、幸せそうに眠る彩に、告げた。
「……さよなら。」
一章、了
第二章
***
僕は家を出た。
町を出た。
もう彩に会わない。
それが彼女の一番長生きする方法だから。
僕は彩に生きて欲しい。
幸せになって欲しい。
「本当に良かったのか…?」
僕自身、彩には救われてきた。
これまで何度も何度も。
それは彩も同じかもしれなかった。
「それでも……、」
僕は彩にちゃんとした幸せを感じて欲しかった。
僕じゃ作り上げれない、本当の幸せを。
***
僕は彩から逃げるように歩いた。
歩き続けた。
どれだけ歩いたのだろう。
三日三晩?
それくらいあり得る。
ともかく、不眠不休で歩き続けた。
……そして、倒れた。
地に伏せ、泣いた。
「何してんだ、僕……。」
彩の為。そう思ってここまで来た。
だけど、僕は結局何も出来ないまま。
――『虚無』。
それだけが目の前に立っていた。
黒くて暗い世界の中で、そいつが立っていた。
真ん中に、中心に。
世界の中心が私だと宣言するかのように。
神々しく。
それでいて禍々しく。
男か女かも分からない。
中立にして中心。
――そいつが、立っていた。
『何様なんだよお前。』
そいつが尋ねてくる。
僕は何も言えなかった。
『意味あるのか?』
そいつが尋ねてくる。
僕は何も言えなかった。
『その行動の意義は?』『何がしたいの?』『見捨てたんだな。』『どうせ自己満足なんだろ。』『知ってるよ。』『くそったれ。』『自己管理能力皆無。』『想うだけなら誰でもできる。』『薄っぺらいんだよお前は。』『雑草以下。』『止まってないで動けよ』『お前は逃げた。』『ただただ卑屈だ。』『無意味。』『存在意義。』『赦しを乞え。』『誰も気づいてくれないぞ。』『空気。』『ぐっちゃぐちゃになったそれを押し付けるな。』『ただの現実逃避。』『自慰見せつけんな。』『絶望なんてこんなんじゃないだろ?』
『ーーお前は、死神だろ?』
あ、
ああ、
あぁああああああああああぁぁあああああああああああああぁああああぁぁあああああああああああああああぁああああああぁぁぁあああぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!、
「――お兄さん、大丈夫?」
すんでの所で、
その声のおかげで、
僕は堕ちずに済んだ。
***
声を掛けてきたのは少女だった。
薄幸そうで、傷だらけで、みすぼらしい格好で、長い髪もボサボサだった。
――この子も、一緒なのかな……?
同類の匂いがした。
どうにかしてあげたい、そう思った。
だけど、僕は人と触れ合っちゃいけない。
……この子が死んでしまうから。
そう思って、僕はここを一刻も早く離れようと、立ち上がる。
「あなたが、『死神』さん?」
「……え?」
突然のことに、一瞬訳が分からなかった。
「っ!」
『死神』。
その言葉を聞いた僕は跳ね起きて、少女と距離を取る。
どこの組織だ、こんな少女まで使ってきて…っ!!
怒り、嘆き、哀しみ。
様々な感情がふつふつと湧き上がる。沸騰していく。
……もう、堪忍袋の緒が切れた。
許せない、そう思った。
行き場のなかった怒りが方向性を持つ。
憎しみに変わっていく。
「君は……、」
どこから来たのか、どこの組織の人間だ、そう訊こうとして、やめた。
……だって哀しいじゃないか。
僕を『死神』と呼んだ少女。
僕をそう呼ぶということは、自分がこれからどうなるのかを知っているということだ。
年端のいかない少女の覚悟を踏みにじることなんて出来ない。
例え、洗脳されていたとしても、だ。
何故って、彼女は笑っているんだ。
――それも、満面の笑みで。
僕の哀しみは憎しみに変わっていく。
染まっていく。
そして、少女は僕に近づいてくる。
「……やめてくれ。」
少女は僕に近づいてくる。
「……僕はもう、人を殺したくないんだ。」
少女は僕に近づいてーー
「やめろって、言ってるだろ!!!!」
「……大丈夫だよ、『死神』さん。私は、死なない。」
柔らかい体温が僕を包み込む。
そしてそれが、温かい声で僕に囁いてくる。
「落ち着いて。あなたはきっと勘違いしてる。私はあなたとお話ししたいの。」
純粋な優しさ。
慈愛に満ちた笑み。
それは、誰にも強制されていない愛だった。
――この子は、違う。
どこかの組織の人間とは違う。
他の人とは違う。
彩や僕とは、違う……。
決定的に、違う。
――あるんだ。
この子には『愛』が、『無償の愛』がある。
それに気付いた僕は、少しだけ落ち着いた。
愛があって、その上害意がない。
そんなこの子が嘘を吐く筈がない。
まだ疑問は残っているが、僕はとりあえずそう思うことにした。
「……落ち着いた?」
少女が苦笑してそう言う。
「……うん。落ち着いた。」
僕は、彼女から離れてそう言った。
「……『死神』さん、で合ってる……?」
不安そうに尋ねる声。
そして僕は、こう応えた。
「ああ、そう呼ばれることもある。」
* * *
白いボロボロのワンピースを着た少女は、自分の事をエリスと名乗った。
その少女、エリスは、思っていたよりも大人びていて、接しやすい人だった。
「……私の身長は小六の時に止まってるの。コンプレックスだから、もう何も言わないで。」
顔をしかめて言うエリスは、悲しそうな顔をしていた。
他にもいろいろな話をした。
エリスは聞き上手で、僕の覚束ない話にもちゃんと答えてくれた。
「ねぇ『死神』さん。」
「間人でいいよ。」
「……そう。じゃあ間人、さっきから気になっていたんだけれど……。」
「何?」
「――訊かないの?」
「訊かないよ。」
「…………。」
何を? なんて無粋なこと、訊かなくても分かる。
『なぜ『死神』という呼び名を知っているのか』
そりゃあ気になる所ではある。
だけど――、
「エリス。君はいい人だから。僕は何も気にしないよ。」
「…………。そう。ならいいわ。……もう時間だから、行くわね。」
「ん、ああ。じゃあ。」
突然の別れに僕は一瞬戸惑って言葉が詰まる。
だけど、エリスはこう言った。
「じゃあ、また明日来るわ。」
***
その晩、僕は安いカプセルホテルに泊まった。
久しぶりに浴びるシャワーや、久しぶりの布団。
何もかも懐かしく感じた。
それほど時間は経っていないというのに。
「ここは、良い場所だなぁ……。」
エリスによると、この町の名は丘町。
あの公園があった丘がこの町のシンボルだそうだ。
田舎でも都会でも無く、平凡でのどかなこの丘町。
このホテルに案内されるまでも、エリスと一緒に歩いていたが、色んな人に話し掛けられた。
皆優しくて、いい人だった。
「この町で、いいかもしれない。」
数日間歩き続け、偶然辿りついたこの町。
これからもずっと歩き続けるという訳にもいかない。定住の場が必要だ。
………………いや、だめだ。
ここにいれば皆死ぬ。
何を忘れているんだ!?
思い出せ。
僕は『死神』だぞ?
きっと今日話したあの人は近日中に死ぬ。
あの人も、この人も、町中の人が死ぬ。
「…………やばい。」
僕は後悔した。
僕の行動ひとつで大勢の人が死ぬ。
理由は分からない。だけど死ぬ。それは事実だ。
だから、僕は出来るだけ人を避けて生きなければいけないんだ。
忘れるな。
「僕は、『死神』だ。」
そして僕は、少ない所持品を持って、丘の上のあの公園に向かって走り出していた。
***
夜の公園は暗くて冷える。
丘の上ということで、風邪を防いでくれる建物も少ない。
僕は、電灯の下のベンチに寝転がって空を見上げていた。
「結局、こうなるんじゃないか……。」
孤独だ。僕はどうしようもなく孤独だった。
人は一人では生きていけない。
なのに僕は一人だった。
せっかくの幸せを捨てて。
「くそ……。」
僕の選択は正しかったはずだ。
僕と一緒にいると彩に迷惑がかかる。
…………それだけは、嫌なんだ。
月の灯りと、たった一つの電灯だけが、この場所を照らしていた。
答えなんて一生出ないだろう。
そう、思った。
***
――パァン!!
と、大きな破裂音が公園に響く。
「っ」
やばい。アイツらだ。
……また僕を狙って……。
公園中を飛び交う銃弾が、地面や遊具に当たって嫌な音を立てている。
アイツらは、僕と直接交戦すれば『死ぬ』という事を理解して、遠くから狙って来ている。
弾は、見る限り麻酔弾だった。
僕を捕まえるつもりなんだろう。
「くそっ!!」
僕は走った。
このように襲われると、僕には逃げることしかできない。
だから、走るしか、ない!!
きっとスナイパー達と目が合いでもすれば、勝手に死ぬだろう。
だけど、僕は――、
「誰も殺したくない……。」
走る。
走る。
何処にも行く当てなんてない。
朝になるのを待つだけだ。
朝になればきっと、この銃撃も止む……。
「――あれ、間人、どうしたの……?」
「エリス!!?」
どうしてこんな時間に外を出歩いているんだ!?
いやそんなことはどうでもいい!!
このままだとエリスも巻き込まれる!!
「エリス!! こっちだ!!」
「……へ!?」
とっさの判断で、僕は、エリスの手を取って走り出す。
今はエリスの命を救う事だけが最優先だ。
「ね、ねぇ! 説明してよ!?」
「後じゃダメか!?」
「ええ!!」
「くっ!! ……僕の『死神』の力が狙われている!! このままだと捕まってしまうし、エリスが人質にされることも在り得る!! だから今は逃げなきゃいけない!!」
「な、ななななるほど!! やばいじゃない!!」
「やばいよ!!」
「私が街に案内すれば撒ける!?」
「それでいい!! 任せた!!」
様々な方向から打たれる弾を、少しでも防ぐため、左へ右絵曲がりながら突き進む。
時には狭い路地だっり、塀の上だったりを走り回った・
「痛っ!!」
「どうしたんだエリス!?」
もしや撃たれた……、そう思ってエリスの方を向くと、彼女はしゃがんで、足を摩っていた。
血だらけの、生足を。
……しくじった。
どうして気がつかなかったんだ。
エリスが靴を履いていなかったことに。
今のところ、あいつらは僕らを見失ったのか、銃撃は止んでいる。
だけど、次に見つかったら、もう……。
「……エリス。」
僕は、決めた。
今一番優先すべきなのはエリスの命だ。
「あっちを向いて、目をしっかり瞑って。」
……だから、僕は間違ってなんかない。
「耳を塞いで、頭の中で好きな音楽を大音量で流してくれ。」
「え……、なんで……、」
「早く!!!」
「は、はい……っ!!」
エリスが僕の言うことを素直に聴いてくれたことにホッとして胸をなで下ろす。
僕は、間違ってなんか、ない。
だから、これは……『正義』だ。
「――お前らは今すぐ死ね……。」
***
ポロポロと涙が溢れて、零れ落ちる。
「僕は正義だ……、僕は正義だ……、」
自己正当化。
だけど、今人を殺してしまったのは間違いないのだ。
いくら、エリスを救う為とは言え。
そうして、自分が救ったエリスに問いかける。
「エリス、大丈夫か……?」
応じる声はなかった。
「え……、おい、エリス……?エリス!!?」
「な、何よ!?もう耳を塞がなくていいの!!?」
エリスのキレ気味な声が深夜の街に響いた。
……よかった。
「……ああ、もういいよ。」
「……そう。ならよかったわ。」
エリスはポンポンと膝に付いた砂埃を払い、立ち上がる。
あまりに冷静な態度に僕は少し驚いて、
「……訊かないのか?」
「……そうね、訊かない。あなたが訊かないようにね。」
「……。」
何も言えなかった。
「じゃあ、私は帰るわね。」
何も言えない僕に、エリスはそう言った。
「その足で?」
「まぁ、仕方ないじゃない。」
血が流れている足で歩けるわけがない。
足の裏はズタズタで、見るだけで痛そうだ。
「……エリス、家に送るよ。」
「え?いいわよ、別に。」
「いや、だめだ。このまま帰らせるわけにはいかない。ほら、おぶってあげるから。」
そう言って、僕はエリスを背負う。
「な、何よ!私もう子供じゃないのよ!!」
「僕よりは子供だよ。」
「何よもう!!」
僕の背中で暴れるエリスも、家が近くなるとその勢いは次第に収まっていった。
「ありがとう。」
……小さな声が聞こえたが、僕にはよく聴こえなかった。
「もう歩けるわ。降ろして。」
「ああ、うん。」
家の近くなのだろうか。
ギリギリまで送りたかったが、降ろせと言われたのだから降ろすしかない。
「……じゃあ、またね。」
エリスはそう言った。
「ああ、また。」
僕はそう返した。
そうして僕らは別れた。
再会の言付けを添えて。
――その日、僕は一人、あの公園で夜を過ごした。
***
鳥の鳴く声。
暖かな日差し。
その中で僕は微睡んでいた。
少し眩しいな、そう思って寝返りを打つ。
ベンチもなんだか暖かくなっていて
とても心地よかった。
「ふぁあ……。」
微睡みの中に沈むと、自分がどうでもよくなる。
ただただ眠い。
何も考えなくていい。
何も、しなくていい……。
「おはよう、間人。」
「彩!?」
僕を呼ぶ声に、ガバッと立ち上がる。
周りを見渡しても彩はいない。
……当たり前だ。
彩の身体でここまで来れるわけがない。
……幻聴……?
だとしたら僕はとんでもないことをしてしまったのではなかろうか。
僕がたった数日でこうなった。
なら彩は?
もっと酷いことになっているのかもしれない……。
「ね、ねぇ間人?な、なんでそんな怖いカオしてるの……?」
声の出所はエリスだった。
ベンチの背から少しだけ顔を出して、ちょっと涙目になっている。
さっきの声も幻聴じゃなくてエリスのこえだったのだろう。
そうだったと気付くと、僕は安心して、エリスに声を掛ける。
「おはよう、エリス。僕そんなに怖い顔してた?」
ニコリと微笑んで言った。
「……そんなムリに笑わなくていいわよ。哀しいだけだわ……。」
エリスは、ムッとして言う。
「……そうかな?」
「そうよ。ムリに笑ったら本当の笑顔の価値が下がるじゃない。」
「笑顔の価値。」
「そうよ。本心からの笑顔っていうのは人を幸せにするの。だけど、道化のように張り付いた笑顔は人を不快にさせる。……だから、あなたのその笑顔は私にとって不快。二度としないで。」
「……そうだね、気をつけるよ。」
この一言で、僕は愛想笑いを封じられた。
哀しみを、誤魔化せなくなったのだ。
『死神』の僕が笑うことなんて出来ない。もちろんその権利すらない。
「ま、まぁ?たまにだったらいいけど……! か、かわいいし……。」
「どっちなんだよ……。」
「……そんなに思い詰めるな、ってことよ。」
「……ありがとう。」
エリスは良い子だ。
僕なんかよりもよっぽど『人の心』というモノを理解している。
これほどまで大人びている少女は見た事がない。少女という括りを除いても、だ。
「…………今度、私の家の本を持ってくるわ。」
いきなりエリスがそう言った。
なんの脈絡もなかったが、多分この空気が嫌だったのだろう。
面と向かって感謝するというのも感謝されるというのも、恥ずかしいモノなのだ。
……僕も少しそう思っていたからありがたい。
「本?」僕はそう訊き返した。
「ぜひ読んでほしいの。」
「エリスが言うなら、読むよ。」
「ふふっ。ありがとう。一応あらすじを言うとね――、」
なんだか名前の聞いたことのある作者と題名だった。
一度くらい読んでおいても損は無いだろう。どうせ暇なのだから。
そうやって話し込んでいるうちに、熱が入りこんだ。
「いやいやそれは違うだろう……!僕が考えるにあれはこうで……。」
「何を言ってるのよ間人。こちらが正しいに決まっているわ。解釈文も読んで無いの?」
その日は夜が更けるまで討論しあった。
エリスが帰った後、ふと空を見上げた僕は、『彩のことなど忘れてエリスとの会話を楽しんでいた』ということに気付いた。
――そして、一度でも忘れてしまった事をひどく後悔した。
空は、黒かった。
二章、了
第三章
***
朝。
それも早朝。
私は目を覚ました。
唯一しっかりと動く左腕で体を起こし、窓を開ける。
鳥のさえずりが聞こえてきた。
太陽のぽかぽかしたあたたかさが身体に染みる。
「んー……、」と伸び一つ。
身体を伸ばして目を覚ます。
「……はぁ……っ、」
息を吐いて、新鮮な空気を取り入れる。
……昨日二人で見たあの夜桜は綺麗だったなぁ……。
あの光景は一生記憶から離れないと思う。
ちょうど、二人で愛を囁きあった事を思い出して、ちょっとだけ顔が赤くなる。
ロマンチックな思いに耽って、『また間人といちゃいちゃしたいな』なんて思っていた、そんな私に訪れたのは、……とんでもない尿意。
……朝だからね、仕方ないよね?
昨日の夜に面倒くさがってトイレに行かなかったのが悪いのだろう。お腹がタプタプだ。
とても恥ずかしいが仕方ない。私はまともに歩くのが難しい。間人に頼るしかない。
「ねぇ間人起きて……。ちょっとお花摘みたい……。」
隣で寝ている間人に声を掛ける。そして、私はそこで気付いた。
――間人が居ないという事に。
……どうせまた前みたいに適当にフラついていたら襲われた、みたいな感じなのだろう。
「まぁ、すぐに帰って来るか……。」
仕方ないな、そんな風に思って、ふぅ、とすこし溜息を吐く。
そして、力を振り絞って、立ち上がる。
「ああ……、痛い、痛い痛い……。」
私だって、立ち上がったり歩いたりする事くらいなら出来る。
だけど、ものすごく痛いのだ。
内からハジけるかのように。
外から撃ち抜かれるかのように。
ギシギシと軋み、ぐにゅぐにゅと肉が動くのがハッキリと分かる。
「くぅ……、」
脚の痛みもそうだが、……膀胱が、ヤバい。破裂しそう。いや、漏れそう。
……いやいやいやいや、私はもう二十歳だよ?
大人だよ?
まさかこんな年になっておもらしはないでしょ?
したことが無いとは言わないよ? この足だしね?
でもその時は間人がいたから歩けなかったというのもある訳で。
もし今ヤってしまうと間人が帰ってくるまで私のパジャマは愚か二人の部屋がびしょびしょじゃない?
しかもそれを掃除するのはきっと間人じゃない?
やらせる訳にはいかないじゃない?
いやおもらし属性を付けるのもありかmいや何考えてるの私は?
ただでさえ私は足手まといなのよ!? 要介護なのよ!?
だけど一人の時は頑張れば自分でやれるのよ?
なんでわざわざ漏らす必要があr……おちつけ私。
数メートル先にトイレがあるじゃないか。
こんなこと考えている暇があるなら必死に歩みを進めろ。
右足を出して、左足を出す。
それだけのことだ。
簡単簡単。
うん。
それだけのこと。
うんうん。
「…………あ、 」
***
「……危なかった。」
まさかTVのコードに引っかかり漫画みたいに転ぶとは思っていなかった。
「……本当に危なかった。」
まさか転んだ勢いで箪笥の角に足の小指をぶつけるとは思っていなかった。
「……いや、ほんと、危なかった。」
まさか箪笥の上に飾ってある写真立てが落ちてくるとは思っていなかった。
「………………………………ぬれなくてよかった…………。」
Q,上から洪水、下からも洪水。これなんだ?
A,二十歳なのにおもらしして恥ずかしい&痛い&申し訳ないでガチ泣きしてる私。
「神様! もしいるのなら何故私におもらし属性を付けたもうた!? 需要少ないの分かってるでしょ!! ふざけんな!!」
と、転んで写真立てを受け止めて勢いで漏らした、その体勢のまま私は叫ぶ。
「あああもうっ!!」
私は一人じゃ何もできない。
びっくりするほど何も出来ない。
やろうとしても失敗して、さらに大変なことになる。
「……間人が帰ってくるまでに片づけないとなぁ……。」
それでも、ここまで何もできないとは思っていなかった私だった。
***
片づけ終わるのに一時間もかかった。
新聞紙で湿気を取り除き、換気しつつ、シャワーを浴びて、最後にファブっておいた(ファ○リーズを吹きかけておいた)。
「……これで大丈夫だよね? 綺麗だよね? クサくないよね……?」
自分で嗅いで最終チェック。
長かった。
私の無力さを痛感した。
――悔しいなぁ……、ほんと。
TVでも見て忘れよう、そう思って電源を入れた時、ぐぅうと腹の音が鳴った。
「そういえばご飯食べてない……。」
いつも間人が出かける前には軽いモノを作り置いていてくれているのだが、今日はそれが無い。
急用だったのだろうか。
「……まぁ、適当食べよう。」
私は料理が得意ではない。右腕が動かないのだから、そもそも出来ないようなものだ。
でも食パンを焼くくらいは流石に出来る。
トースターで食パンにこんがり焼き目が付くのをじぃっと見張って、ちょうどいいタイミングで引き出す。
「あっつ!」
軽く火傷した指にふぅふぅと息を吹きかけて冷ます。
冷蔵庫から取り出した安物のマーガリンをたっぷりと塗りつけて、その上にちょっと高めなあまぁい砂糖をまぶす。
砂糖パンの完成だ。
「ふふふ。」
私だって、本当に何も出来ない訳じゃないんだぞ!! どうだ!!
そんな気分になって、思わず笑ってしまう。
外はサクッと、中はふわっとしたパンに、心地いい甘味が程よく口内に広がる。
「……ふふ、おいし。」
――間人がいれば、作ってあげたのにな。
***
夜になっても、間人は帰ってこなかった。
さすがに三食砂糖パンというのも飽きるので、夕食は出前を取った。
天丼を二人前。一応、間人の文も頼んでおいた。
「……いただきます。」
一人で食事というのは、美味しくてもなんだか味気ない。
間人と一緒に食べる方が美味しい、ということを知っているからこそ、余計に孤独に感じるのかもしれない。
朝から付きっぱなしのTVはクイズ番組を放映していた。
ろくに学校にも通っていなかった私にはちっとも分からない。
だけど。
ひとつだけ、分かったことがあった。
――私は今、寂しいんだって。
***
「ごちそうさまでした……。」
ふぅ、と一息吐いてズズズと熱いお茶を啜る。
――やっぱり、不安だよね……。
バカな私だって不安にはなる。
お金の心配は、まぁない。間人が(何かよく分かんないけれど)普通に暮らしていくのには困らないくらいのお金を稼いでいた(すごい才能だと思う)。
問題は、そこじゃない。
間人の力と私の身体だ。
間人の力は本当に訳が分からない。
面識を持った人が必ず死ぬ。何だそれは。
二十年ずっとこうなら流石に運だとは言いづらい。
私だっていつ死ぬか分からないのだ。
十年一緒にいる。
だけど間人と出会ってもそれほど長く生きているのは私だけ。
何故、私だけが生きているのか。
もし、私が死んだら……。
――多分間人は壊れる。
言っちゃなんだが、私達二人は互いに依存しあっているフシがある。
どちらかが壊れればもう一方が壊れるのは自明。
……たとえ二人とも死なかったとしても、問題はまだある。私の身体だ。
もうコレは一生モノ。治らない。天寿を全うするまでこのままだ。
そんなの疲れるじゃない?
愛想を尽かして出ていく、ということは無いだろう。だけど私だって気になる。
「……不安だ。」
言葉にしちゃいけない気がした。
だけど、つい口にしてしまっていた。
ついこの間は私が引っ張ってあげたのに、なんて脆いんだろう……。
泣きそうになった。
……無性に、間人に抱かれたくなった。
***
間人がいなくなってから、三日経った。
「さすがにこれは怒ろう……。」
今までも何度か長期間で家を空けることはあったが、無断ということは一度も無かった。
そろそろ帰ってくるだろうと思って、そう思い続けて、三日が過ぎた。
――未だに連絡すらない。
「激おこだよ……! 激おこ……!!」
ぷんぷんと手を振り、口をツーンとしながら怒る。どう見ても怒っていない。
間人が帰ってきたらこうやって怒ってやろう。
そして思い切り抱いてもらおう。なんならそのまま……、
「……ふふっ……。」
思わず笑みが零れる。
最近はそんなことばかり考えている。
よくないよくない。
妄想と現実は違うのだ。それに、ちょっとだけ、はしたなかった。自重しろ私。
……未だに……、いや考えるのは止めとこう。
時間は山ほどあるのだ。
急ぐ必要は無い。ない。ないはず。大事なことだから三回言いました。
……でも間人は何もしてこないんだよなぁ……。
彼の中での私は、恋仲と言うよりも、もはや家族という一次元上の領域にいるのだろう。
すっ飛ばさないで欲しかったと思う心と、素直に嬉しいと思う心が私の中でケンカする。
『おいおいィ? なんで迫ってこないんだよォ? ここにいい女がいるだろうゥ?』
『ありがとうっ! 私をこんなにも愛してくれて! 私っ! もう嬉しすぎてっ!』
……みたいな?
げふんげふん。
まぁそんな妄想くらいします。女の子ですから。うん。
……私だってキスくらいはしたい。
もう二十歳だ。さすがに急いでしm急がなくていいんだって!
「…………。」
お、おそいなぁ……間人(思考を切り替える)。
日々の食料品や生活必需品をネット通販で購入し、普通に生活を続けていたものの、一人というのはやはり寂しい。
少しでも連絡を入れてくれない事に憤ったり悩んだりしていた私は、少し滑稽かもしれなかった。
間人がいなくても私の日常はいつも通り続くのだ。
朝から晩までずっと点き続いてるTV。
いつも通りの朝食の砂糖パン。
……おもらしはいつも通りじゃない。ほんとだから。
ちょっとだけ、おっちょこちょいな所はあったけれど。
逆に非日常のようなこともあった。
昼食だ。
焼き鮭と味噌汁を頑張って作った。
鮭は当たり前のように焦げ付いたが食べれないことは無かった。
味噌汁も豆腐とわかめだけの簡単なものだった。ちょっと塩辛かったけど美味しかった。
……夕食はちょっとズボラして出前の寿司。
普通に美味しかった。昼に作った味噌汁と一緒に食べた。
……朝昼夕、全部二人前だった。
時計の針がてっぺんに上った。
私はもう一度味噌汁を温め直して、
「……味噌汁作れるなんて私の料理スキルも急激に上昇してない……?」
味見しながら、目をキラキラさせて自分で自分を褒めた。
――少しだけ虚しくなったけど、ちゃんと美味しかった。
***
間人がいなくなってから、一週間が経った。
「…………。」
この頃、私は無言で過ごすことが多くなってきた、ような気がする……。
一人でもなんだかんだ言って楽しくやれていた。
バカみたいな妄想をして笑って、時には失敗してまた笑って――。
――そんな生活が虚しくなった。
だって空っぽじゃないか。
何が楽しかったのか。
独りで笑って気持ち悪い。
「……ああ、ダメだダメだ、切り替えろ私。」
グジュグジュな思考を、顔を叩いて締め出す。
少し暗くなってしまった。
こんなの間人が帰ってきたら心配するに決まってるじゃないか。みっともない。
「……よしっ! 今日も作るか!!」
張り切っていきましょう。本日の夕餉は私の好物ハンバーグです。
オムライスも大大大好きだけれど、ハンバーグも同率一位です。
間人の知らない私の秘密です。
施設時代、ハンバーグは誕生日くらいにしか食べれなかった高級品だったので、今でも何故か作ってもらう事に忌避感があって、あんまり間人に作ってもらうことは無い。
施設にいた時はただ単にお肉というだけで好きだった。
けれど、今は施設の過去なんて関係なく、なんとなく懐かしい気持ちになって心がポカポカするから大好きなのだ。
「ふふふ」
思わず笑みが零れる。
「ふへへへ……。」
ッ!! 涎が!! 涎が!!
準備するものは、あいびきミンチ200g、たまねぎはんぶん、パン粉だいたい50g、牛乳適当、卵一個、塩胡椒しょーしょー。
あ、先に付け合せのレタスを切っておこう。
ザクザク、とまな板と包丁がぶつかりあう心地いい音が部屋に響く。
「~~♪」
適当にお皿に盛り付けて、ハンバーグの作成に取り掛かる。
――いざ、ハンバーーーーーーーグ!!!
まずは、たまねぎをみじん切りにします。
「~~っ!!」
涙が……!! 何か痛い……!!
しかし、そんなことばかり言ってられないので作業を続行する。
切ったたまねぎを塩胡椒でサッと炒めてすぐに火を止める。
そしてパン粉をボウルに入れて、ひたひたになるくらい牛乳をとーにゅー。
牛乳なのに、とうにゅう。
「……ふっ、」
つまらないダジャレでも笑ってしまうのは私の悪い癖だな……。
たまねぎが冷めたら、ボウルに投入。
玉子もミンチも全部ぶっこんで、さらによく混ぜる。
……一応、ここで塩胡椒を加えておこう。たしかそうするはずだ。
うろ覚えなレシピをアテニ作業を進める私。
だけどなぜだろう、全く失敗する未来が見えない。
……作ったこと、一回しか無い筈なのにな……。
適当に混ぜたハンバーグのもとをニ当分にして丸める。
ぱっぱっぱ、と両の手でぎこちないキャッチボールをして空気を抜いて、油を引いて火のついたフライパンに並べる。
その時に真ん中凹ませておくと火の通りが早いのだ。……確か。
「うわっ! あぶないあぶない、火強すぎた……。」
火加減は中火。これ大事。
……焦げたら台無しだしね。大事大事。
「……美味しくなーれ、美味しくなーれ……。」
……こういうのも大事。大事。大事なことだから二回言う。
いい感じに焼き目がついたら、
「――そーれっ!」
ひっくり返す。
成功だ。大成功だ!
あとは、フタして蒸し焼きにして、待つのみ!!
待つのみ!!(大事なことなので二回略)
「……ぃよっし!!!!」
べすとたいみんぐ!! 最高の焼き加減だよ!
――バババッ、しゅびびんっ、とすでにレタスが盛り付けてある、かわいいウサギが描かれたお皿にハンバーグを載せる。
そのまま、焼き終わったフライパンに一対一でとんかつソースとケチャップをいれて加熱、特製ソースもささっと作る。
そのソースをハンバーグにかけて……、
「完☆成!!!!」
……うーん、美味しそう。すっごく美味しそう。
あふれ出る肉汁、鼻腔をくすぐるソースの香り、何をとっても間違いのない完璧なハンバーグだ……。
至高。
その一言に尽きるだろう。
……あとは、間人と一緒に食べれれば……。
「完璧ね……。」
美味しそうな匂い。涎が垂れそうになる。
だけど、絶対に二人で食べた方が美味しいのだ。
だから、私は今晩も待つ。
――延々と。
***
いつのまにか、眠っていたみたいだ。
時計の短針は真下。もう六時だ。日が昇ってしまっている。
「…………。」
座って寝たからだろうか、体がすごく痛い。
……まだ眠気も覚めてない。ねむねむでダルダルだ。
何度も何度も温め直したはずのハンバーグは冷え切って、なんだかとても不味そうだった。
「……おなかへった……。」
結局、昨日の夜は何も食べていない。
ぐぎゅるるる、という腹の音がとても恨めしい。
空腹は万能の調味料とは言うが、間人と一緒に食べないご飯は美味しくない。
もうなんだかめんどくさくなって、ハンバーグを手で掴んで貪る。
「…………冷たい。」
当たり前だ。レンチンしてないし。
二人前の冷えて不味いハンバーグを、適当に食べて、汚れた手を拭いて、私は呟いた。
「…………寝よう」
不貞寝だった。
***
間人がいなくなってから、一月経った。
「………………。」
部屋の隅のベットに寝転がって、ボーっとすることが多くなった。
間人はいつになったら帰ってくるのだろう。
いつになったら私のつくったハンバーグは食べてもらえるのだろう。
もう日課になってるんだよ?
週に一回近くのスーパーに行ってまとめ買いするの。
脚も動かないし、物もあんまり持てないけれど、間人に食べて欲しくて、頑張ってるの。
すっごく頑張ってるの。
スーパーの常連のおばさん達には白い目で見られるし、店員さんにはすごく気を遣われるの。
仲良くなった女の子の店員さんが家まで運んでくれたりするんだけど、本当に申し訳なくて……。
でも、どんなに辛くても、しんどくても、申し訳なくても、
――私はハンバーグを作り続けることにしたの。
間人に、私が愛したあなたに。
……『美味しいね。』って、言われたくて。
――『ありがとう。』って、言われたくて…………。
ただ、その一心で私はハンバーグを作り続ける。
***
――たまねぎを切る時に流れた涙は、日に日に大きくなっていく。
***
間人がいなくなってから、三か月経った。
なんだかなにがなんだかわからなくなってきている。
間人がいない事が日常になってきている。
間人がいない事が普通になっている。
――――そんなのはイヤだ。
私にとって間人は無くてはならないもの。
必須。
私の幸せのためには絶対に必要。
というよりも間人と共にすごすことが、それこそが、私の幸せなのだ。
間人以外考えられない。
間人以外必要ない。
全て失ってでも、間人といたい。
「――そうだ、」
私は、気付いた。
全てこわせばいいのだ。
わたしには間人以外必要ないと証明すればいい。
そうだ。
そうだそうだ。
そうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそうだそう。
そうと決まれば――、
私は防犯用の木刀を、
掴み、
振り上げ、
「……あは、は、」
――薙いだ。
ガシャン、何かが壊れた。
パリン、何かが割れた。
ドスッ、鈍い音が、響いた。
「ハハはは、」
バランスを崩してよろめく。
だがそんなこと関係ない。
私は私の為に、壊す。
一緒にホームセンターで買ったマグカップ。
孤児院から持ってきた手作りキーホルダー。
今日も大泣きしながらつくったハンバーグ。
……大事にしていた、二人で映った写真立て。
どうでも、いい。
すべて、どうでもいい。
わたしには、何も、いらない。
必要、ない。
間人さえ、いれば、それで……。
「あハハハハハはっハハハハハははははっハハハハハハハハハハはhhhhhhhhっハハハハハははははああははっははっはhっはっはあははははっはははははははははははははははははははははははははははははっはははhhhっはははははははははっはははははははははははははhはっはっはああはははははははははははははははh母はハハハハハハハハハハhhっハハハハハはっはっはっは母ああああはっハハハハハハハハハハハハハハハhっ葉はハハハハハははあはっハハハハハッは八ははっハハハハハはっ母ははっハハハハハはあはhhっハハハハハぁああはっははああっは八ははっははっはっは果あっはっ八はhhっ葉は八ははっはハハハハハあああああああハハハハハはっははっはっははははははhっはhっはhっははははははははははははははははははhhhhっはははははああああああああああああははhっははははははははははははははははははははははははhhhhhhhhhhhhhh」
笑う。そして嗤う。
どうして気付かなかったのだろうか。
簡単なことじゃないか。
すぐ証明できた。
何でいままで、しなかったのだろうか。
何でいままで、思いつきもしなかったのだろうか。
何で、何で――、
「――何で、帰ってこないのよ、間人…………。」
全身の力が抜けて、崩れ落ちる。
ぐちゃぐちゃになった、
愛の巣のまんなかで、
独り――。
第四章
***
月が光る。
ただそれだけしか見えないし、何も聞こえない。
感じるのは時折吹く春の夜の冷たい風と、手に持ったボロボロの詩集だけ。
……こういう時はどこか感傷的になってしまう。
例えば。
意味もなく、死後の世界について考えてみたり。
意味もなく、生きる意味について考えてみたり。
そして、いつも結論はこうなる。
――俺は俺の世界をどうも好きになれないみたいだ。
真っ黒で、ペラッペラで、顔に張り付いただけの笑顔。
自分には責任がないと悪意を押し付けあう人々。
ぐちゃぐちゃで、誰かに縋るしかないと全てを諦めた泣き顔。
難しいカタカナ語で取り繕って中身が見えない会話をする人々。
「……嫌いなンだよ。」
吐き捨てたその言葉を拾う人はいない。
結局は俺自身も孤独なのかもしれない。
でも人間ってそういうモンじゃないか。
どうせ一人だ。
誰も信用なんて、できない。
ごう、と風が吹き抜ける。
川の上、古びた鉄橋が揺れる。
「――なぁ、」
月光の裏、闇に語る。
「……俺は、俺でいいンだよな、俺」
答える声は、ない。
当たり前だ。
一人でいるのだから。
――それは、当たり前。
「……当たり前、だよな。そりゃあそうだ。」
もう一人、自分がいればいいのに。そんな風に思ってしまう自分が確かにここにいた。
相手の考えることが分かれば楽なのに。
***
月光の下で願った日から数日、俺は片時も手放さないあのボロボロな詩集を片手にとある場所を訪れていた。
いわゆる、社交パーティーってやつだ。
養父母がその道を牛耳る会社の代表らしく、俺はこのクッソ面倒な連れ出されることが多いのだ。
「……めンどくせぇな……。」
養父母の取引先やオトモダチへの自慢。その為の道具として扱われていうのだと思うと、自分を拾ってくれた恩人に対してでも、疎ましく、さらには腹立たしいとまで思ってしまう。
「……優人さま、そのような発言はおよしくださいませ……。」
優人、俺をそう呼んで注意を促したのは、家の者に『シャルル』と呼ばれる女従者だった。
「うっせぇよ。」
「優人さま……!」
「あぁ、もうわかったよ。直す。」
咳払いを一つ。
「あー……。……ほら、直したよ、シャルル。これでいいかい?」
……我ながら気持ち悪い。身の毛がよだつ、この猫被りっぷり。
「優人さま……!」
だが、手を合わせ目を燦々と輝かせながらそう言うシャルルの顔を見ると、悪い気はしなくなる。
しかし、やはりと言うか何と言うか、養父は俺のことをよく思っていないようで、俺たちの話を聞いていた養父の目が「早くここから失せろ」と言っているような気がする。
……命令されたことだし、面倒くさいし、俺はとっとと隅に移動することにした
せっかく元に戻した口調も、無意味になった。
笑ってしまうな。
……ちょうどいいところにテラスがあった。そこでコイツをゆっくりと読もう。
「優人さま、そちらに行かれるのですか? 一度ご主人様に言付を……。」
「もうしたよ。」
「あっ……、」
厳密にはしたわけではないのだが。
……シャルルは俺がこの家に来た時から俺の専属従者として働いてくれている。
俺と同様に拾われた身だそうで様々な英才教育を仕込まれている。
あの地獄みたいな日々を彼女も過ごしたのだろう。
今はこんな場ゆえ畏まって緊張しているが、普段のシャルルはポンコツだ。
「優人さま、今何か変なこと考えたでしょう……?」
「いいや、全くもって考えてないよ、シャルル。」
「……なら、よかったです。」
……妙に勘がいいのも彼女の特性の一つだ。
正直ちょっと気持ち悪い。
「……まだ、ソレ、持ってらっしゃったんですね。」
シャルルが言うソレとは、俺の持っているボロボロになった詩集のようだった。
「ああ、もちろんだ。オジキに貰った唯一のモンだからな……。」
オジキは、…………オジキだ。他の誰でもない俺のオジキだ。今はどこにいるのか分からないけれど、オジキがくれたこの詩集は俺にとっては永遠の宝物だ。
「言葉遣い、ですよ、優人さま。」
「あっ、ごめん。」
イチイチうっせぇな。話の腰を折るなよ。
「で、コレがどうしたのかな、シャルル?」
――気持ち悪い話し方だな本当に。こんなのどこがいいのか。全く分からない。
「あっ! そですそです! その詩集ってなんていう題名でしたっけ?」
「お前も口調軽くなってるぞ……。」
「あっ……、すみません、優人さま……。」
「……まぁ何でもいいけどさ。」
自分も出来てないくせに人に注意するな、とは思うよね、まぁ……。
俺の宝物の詩集。その題名はシンプルな文字列の美しさが光る一作。
「――『悪の華』、だよ。」
「……優人さまは、その作者さんって知ってますか?」
「……いや、掠れてて読めないから、分からないや。」
「――シャルル、です。シャルル=ピエール・ボードレール。『悪の華』の作者です。」
「…………そっ、か……。」
今の今まで調べようともしなかった、作者の名前。
なんというか、
なんか、
「――神のいたずらって怖いですね、優人さまっ。」
動悸。
一瞬。ほんの一瞬だけシャルルがとても美しく見えた。
何物にも代えがたい、そう思った。
――彼女の笑顔に、救われたような気がした。
***
そんなことを思ってからどれだけの時が過ぎただろうか、よく覚えていない。
「なあシャルル、暗いのが怖いのは理解している。が、何故こうも毎日毎日俺の寝室に来るンだよお前は。」
俺が寝息を立てていると、『いつものように』シャルルが急にベットに入り込んできた。
シャルルは暗いのが怖いらしく、部屋に忍び込むと同時に真っ暗な俺の部屋に常夜灯を点ける。
毎度毎度それで起こされることになる俺は、今日ついにキレた。
部屋に入ろうとするシャルルをどうにか追い返してここは部屋の入口。あともう少しで押し出せる、そんな時にシャルルは泣いた。ガチ泣きした。
パジャマ姿でぬいぐるみと枕を持って、わんわんとガチ泣きしやがった。
――なので説教をすることにしました。
「泣いたって入れねぇからな、お前……。俺はもう眠くて仕方ねぇの……。」
「ゆ、ゆゆ優人さま、言葉遣いがなっておりませんよ……!!」
「ここ、俺の部屋。俺の自由。アンダスタン?」
――何様なんでしょうか。
「で、ででですが……!」
「それにそンな今にも泣きそうな顔で言われても説得力がない。話を逸らすな。なんで来るのか説明しろ。まったくもって意味不明。奇々怪々だ。」
――なして俺の睡眠時間を奪うのか。
「こここ怖いからです。」
「そうか。」
――(@ω@)
「はい! なので一緒に寝させてください!!」
「よおし分かった出てけ。」
ガチャリとドアを閉じた。
寝ようそうしようもう無理眠たい。
「あっ!! 開けてください!! 優人さま!!?」
無視して寝ます。
おやすみ、世界。
***
バンバンバン、ドンドンドン、と延々と続くノック。
疲れたのか、間に半泣きになりながら叫ぶシャルル。
ドンドンドン。
「ゆ、優人さま!!」
バンバンバン。
「あ、開けてくださいよ!!」
ドンドンド
「シャルル、騒がしい。いい加減にしなさい、優人さまはお疲れなのよ」
……シャルルがあまりにも騒ぐからか婦長までやってきたようだ。これはめんどくさい。
「痛っ、婦長……」
「あなたももう大人なのですから、我儘言わないで早く自室に戻って寝なさい。」
「で、でも……」
「でももへったくれもありません。あなた、いい加減に立場をわきまえなさいな……」
私みたいにはなって欲しくないのよ、なんて呟きが聞こえたような気がしたが、そんなものもやはりどうでもいい。
「うるせぇンだよ、お前ら……」
俺はもうぶち切れ寸前だった。
どうしてどいつもこいつも俺の睡眠時間を奪うんだ。ただでさえ今日は疲れているというのに。
「ああもう何でもいいから静かにしてくれ……」
「ですが優人さま……」
婦長が言う。
シャルルが返す。
あーだこーだあーだこーだ……ピーチクパーチク……。
「――めんどくせぇ、早くしろシャルル」
あまりにうるさすぎて寝れやしない。怒り心頭という面持ちで俺は部屋から出た。
「優人さま!!」
パジャマ姿(枕ぬいぐるみ持参)で泣きじゃくっていたシャルルの顔が、ぱあっと輝きだした。……本当なんなんだこいつは。
「……シャルル、明日話がありますからね」
「婦長もお疲れさん」
適当にいなす。もう眠くて仕方ない。
「本当に申し訳ありません優人さま。明日、きつく言っておきますので」
「ああ頼む」
いつの間にか俺の後ろで身を隠していたシャルルが「ひっ」と小さく叫んでいたが知ったことではない。
「では優人さま、おやすみなさいませ。明日は久方ぶりの休日です、しっかりお休みください」
長ったらしい婦長の挨拶に「おう」一言で返す。
「……俺はもう寝るぞ、シャルル」
「ありがとうございます……」
か細く消えていくかのような声で彼女は言った。
***
嬉しいのと怖いのとが混ざり合ったよくわからない感情ということなのだろうか、シャルルの顔は真っ赤に染まっている。
俺のベットに入り込んできて、ぬいぐるみを抱く彼女は、少し安心したようで、すぐに寝息を立て始めた。
もちろん常夜灯だ。
「明るくて寝れやしない……」
これだから嫌だったんだ。そんな気分になる。
豆電球の淡い光がシャルルを照らす。
「……寝れやしねぇ」
いつもいつも俺のそばで無遠慮に騒いでこれだ。どうにかなりそうだ。
シャルルの抱くぬいぐるみは、よく見ると所々穴が開いてあった形跡があった。
不器用なシャルルにしてはよくやったと言うべきなのだろうが、自分で繕ったようで、端の糸がにょろりと顔を出している。
危なっかしい、またほつれて破れてしまうじゃないか。
なんて思った俺自身よく分かっていなかったけれど。
少し、ほんの少しだけ微笑んでしまった俺が確かにここにいた。
なんだか、とても罪悪感に苛まれてしまった。
なんで俺は笑っているんだ、なんで俺はシャルルに、こいつに笑いかけているんだ。
やはり俺には分からなかった。
すやすやと安眠している彼女が恨めしい。
そう思った。
とても、恨めしい――。
「……はぁ、」
嘆息とはこのことだろう。
俺はもう彼女の顔を見る気分ではなくなってしまった。
なんなら目が冴えてしまった。
一服、してこよう。
***
安い煙草だった。
どこにでも売っているもの。パイプや葉巻なんかは性に合わない。
深く息を吸って、肺に煙を入れる。
少しだけ高揚した気分になった。
「――はぁ、」
煙草を吸うとなんとなく気分が落ち着くような気がする。
上がって下がる感じだ。
ふと、空を見上げると、たくさんの星が見えた。
都会から少し離れたこの家からは星の光を遮るものはなく、燦々と輝いて見える。
どれがデネブで、どれがアルタイルで、どれがベガなのかは分からない。
蝉の声が次第に少なくなっていくこの季節。
そもそもまだ見えるのかさえ、俺には分からなかった。
分からないことだらけだ。
夏の終わりの夜は少し冷え込む。思わず身震いした
「もう秋か……」
秋は嫌いだ。どっちつかずの天候にむかっ腹が立つ。
それと同じ理由で春も嫌い。暑いから夏も嫌い。寒いから冬も嫌い。
真ん中が欲しい。
ちょうどいいのが欲しい。
星の名前が分かっても、その場所が分からないような。
今この瞬間、夜と朝の間の静寂のような。
そんな、ちょうどいいのが――。
「優人さま、お煙草は体に障りますよ……」
ふぁあ、とあくびをしながら俺に話しかけてきたのはシャルルだった。
「……どうでもいいだろ」
あれだけ眠い怖いと喚いておいて起きてきたのかと突っ込みたいところだったが、なんだかどうでもよくなってしまった。
夜のせいだ。
「どうでもよくは、ないんですがね――」
シャルルは小さく呟いた。
「なぁ、シャルル」
「どういたしましたか、優人さま」
「どれがデネブでどれがアルタイルでどれがベガだ?」
空を見上げて問うた。
「さぁ、分かりません」
「……お前に訊いた俺が馬鹿だった」
「えー……」
そもそもコイツは馬鹿だった。
夜中に人の布団に潜り込んでくるようなタイプの。
――でも、とシャルルは続ける。
「でも、星に名前があるのってなんだかおかしいですよね」
「ん?」
「え、だって名付けた昔のおじいさんと私たちの見ているものは違うかもしれないじゃ無ですか」
「まぁ、そうだな」
「誰かが感じているものが、自分の感じているものと同じだとは限らない……と私はそう思うんです」
「……そうか」
俺には答えることができなかった。
彼女の言葉を借りれば、『俺には彼女の見ている世界が俺の見ている世界と同じだとは思えない』からだ。
しかし、シャルルは俺に微笑みかけて、
「でも、私は優人さまと同じ世界で生きて、同じものを同じように感じたいです」
と言った。
俺はもう一度、そうか、と答えた。
そうとしか、こたえることが出来そうになかった。
「では、優人さま、私はもう寝ますね。優人さまもしっかりお休みになってくださいね」
「……おう」
空返事だった。
結局、この日俺は日が昇るまでこの中庭にいた。
***
翌朝、部屋に戻った俺に、寝ぼけ眼のシャルルがおはようございましゅ、と言った。
昨日はありがとう、という喉から出かけた言葉も口に出さずに閉じ込めて、おう、とだけ答えた。
「優人さま、着替えて朝食の準備をしてきますね、少しお待ちください」
「わかった」
伸びをしてしゃんとしたのかシャルルはそう告げてきた。
きっと小一時間はかかるだろう、こいつ朝は弱いから。いや夜も弱いが。
シャルルが部屋を出たのを確認して俺はベットに体を沈める。
――ようやく、安心して、眠れる。
そう思うと体がどんどん沈んでいった。
なんとなく甘い香りがした。
でもそんなのはどうでもよかった。
沈んでいく。
沈んでいく。
沈んでいく……。
***
夢を見た。
幼い男女数人が広い野原で駆け回っていた。
俺にそんな記憶はないのできっと映画かなんかの記憶なのだろう。
すごく楽しそうだった。
嫉妬してしまうくらいに。
***
「優人さま、起きてください。朝食の時間ですよ……」
優しい声がした。
体が揺らされる。
目覚めなければいけない。
――この生き地獄を今日も生きなければならない。
これが俺の起動スイッチだった。
「おう、起きた。だからもう揺らすな」
優しく体を揺らし続けるシャルルを制止する。
「おはようございます優人さま」
シャルルはなんだか嬉しそうだった。
昨日の件で婦長にこっぴどく怒られて涙目で戻ってくると思っていたのに。
……まぁ、なんでもよかったが。
使う人数と比較しても広すぎる食堂に移動すると俺の分の朝食があった。
トーストにサラダ、ソーセージとスクランブルエッグ。実に洋風だった。
和風の方が好きなのだが。
食堂には侍従たちがほぼ全員集まって俺の食事を見守る。食べづらくて仕方ない。
その後別室で侍従たちは食事を摂るそうだが、詳しいことは知らない。
「父上サマは」
ちょうど近くにいた婦長に嘲るように、養父の存在を問うた。
「今日も自室で朝食を摂っていらっしゃっています」
毎日繰り返される問答だった。
もはや通例、いるほうが珍しい。
慣れっこだった。
わかった、そう告げてこのルーティンは終わりだ。
「……いただきます」
最高級品を使っているという朝食を胃に詰め込む。
……誰にも言ったことはないが、俺には味が分からない。なんの味もしない。
分からないというか、分からなくなった。
この家に来てから数週間後にはこうだったような気がする。覚えてないけれど。
この朝食を作るのにどれほどの手間と金が掛かっているのだろうか、そう思うとなんだか申し訳ない気がしてならない。俺には勿体ないと感じる。
「ごちそうさま」
食事中、話す相手もいないので実に単調な食卓になる。
これも慣れっこだった。
「シャルル、今日の予定は?」
「はい――、」
これもまた、食事を摂った後、コーヒーが淹れられるまでに行うルーティン。
今日も御曹司を演じなければならないようだった。
「どうぞ」
婦長がコーヒーを差し出した。
やはり俺には味が分からないので、正直泥水でも構わないのだが、この家では食後にコーヒーというのが通例となっているのだ。
誰が決めたのかも知らないが。
「では優人さま、これから外出ですので準備を……」
「分かった。今日もよろしく頼む。俺は書斎にいるから呼んでくれ」
シャルルが全ての予定を言い終わるころに、コーヒーのカップが空いた。
待ちぼうけは馬鹿らしいので少し勉強でもしようかと書斎に向かう。
書斎というよりも、もはや図書館の風貌を醸し出す書斎に足を運んだ。
紙とインクの匂いが鼻の奥を刺激する。
自室や中庭と同じくらい居心地のいい場所だった。
経営学の本でも読もうか、と本棚を探す。
数分ほど探しただろうか、
「優人」
声をかけられた。
「……父上サマ」
自室で朝食を摂っていたのではなかったのか……。なんて思ったがそんなことはどうでもよかった。
「なんだか久しぶりだな、優人。」
俺はこの父上サマが大の苦手なのだ。
***
「優人、少し話がある」
「なんでしょうか、父上サマ」
「お前は俺のモノだ。分かっているな」
「はい、重々承知しております」
「だからお前のモノも、俺のモノだな」
「そうですね」
「そうか、分かっているのならそれでいいんだ」
父上サマはそう言って嗤う。
まるで悪魔のような笑みだった。
絶対に何かしているじゃないか。それも俺の身の回りに関わることを。
くそ……。
俺には何もできない。俺はこの父上サマに縛られているのだ。
束縛、拘束。
胸糞悪い言葉だ。
「で、本題だ」
父上サマはそう続ける。
「うちの会社はどんどん大きくなり続けている。俺の手腕のおかげという訳だが、俺はこんなところで満足するような人間じゃない。お前だってそうだろう優人。人間は上へ上へと昇り詰めたいものなんだ。終わることのない高みを望むものなんだ。俺はこの国の、いやこの世界の覇王になりたいんだ。すべてを牛耳って、すべてを俺のモノにしたい。今この国はほぼ俺が掌握したようなものだ。衣食住、娯楽などなど俺の関わっていないものを探すほうが難しいだろう。しかし俺が関わっていないものも存在する! 恨めしいことにな。俺はそれが嫌なんだ。俺はそれが耐えられないんだ。すべて俺の目の届く範囲にないと気が済まない。すべて俺の掌の上で踊っていてくれないと気が済まない。そんな風に思うようになってしまった。誰のせいだ? 俺に期待という圧力をかけ過ぎた親や親族たちのせいだ。そいつらはみんな死んだ。だけど俺は生き残ってここまできた。なら最後まで行くべきだろう。そして我が子優人にその任を押し付けるべきではないだろう。そのために俺は死に物狂いで働かなければならない。お前の為に、生きて生きて生きて生きて生き通さなければならない。お前の為に、働き続けなくてはならない。愚図で馬鹿で阿呆で地べたを這いずり回って生きてきた捨て子のお前の為に、だ。分かるか、優人? だから俺は新しいことに取り組まなければいけないんだ。今度は化学だ。お前の為に生き続けなくてはいけない。だから俺は死ねないんだ。故に死なない為に俺は不死になる。その為の金と協力者は手配した。しかし一つだけ足りないんだ。少~~~~~~~~しだけ法に障る行為だからな、やはり足りんのだ。俺のこの権力と地位を以てしても、だ。どんな薄汚い力でも使ったさ。お前の為だったからな。痛くも痒くもなかった。だけど。だけど! やっぱり足りなかった。ならどうするか。身を切るしかないと俺は思った。だから仕方なく、本当に仕方なく俺はこの家の侍従をすべて送り込むことにした。侍従はまた雇えばいいだけだしな。安いものだ。そう思わないか、優人?」
…………わけが、わからなかった。
頭の中で反復して唱えても全く分からなかった。
コイツハナニヲイッテイル??
うちの会社の急成長は父上サマのおかげ、わかる。
もっともっと上に行きたい、わかる。
すべてを手中に収めたい、わかる。
そう思ったのは過去の親族のせい、わかる。
俺にその重圧を押し付けるわけにはいかない、わかる。
すべては俺のための行動、わかる。
その為に不死になる、わからない。
しかし足りないので侍従たちを送り込んだ、わからない。
侍従たちを、すべて…………?
わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。
わからない。
「あの、父上サマお聞きしたいことが………」
「なんだ」
震える手、震える体、震える声。
すごくおぞましいものと相対している気分だった。
時間が止まったように感じる。
しかし『早く』とせかされている。
後ろからすごい力で押されている。
前を向きたくない。
何も聞きたくない。
だけど、
「……………………なにが、たりないのですか」
「実験体だ」
父上サマはそれに続けてべらべらと話している。
父上サマはそれに続けてべらべらと話している。
父上サマはそれに続けてべらべらと話している。
父上サマはそれに続けてべらべらと話している。
父上サマはそれに続けてべらべらと話している。
「殺す」
俺は訳も分からずこのクソ人間を殴り飛ばしていた。
拳が痛い。
そこら中にある本で殴りつける。
一冊が的から外れ窓に飛ぶ。
激しい音とともにガラスが割れた。
俺はその破片を握ってコレにぶっ刺した。
「あ、ああああああああああああああ!!!!!!??!?!???」
「……………殺す」
ぶっ刺した。
ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。ぶっ刺した。
「………………」
「殺す殺す殺す殺す」
刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す。
………………どれほど繰り返しただろうか。
冷静になっても訳が分からなかった。
なんで俺はこんなことをしたのか。
なんで、なんでなんで、なんだ?
ただ、やるべきことはこんなことじゃなかった。
それは、それだけは分かった。
時間がない。それも分かった。
だから行動しなくてはならない。
なのに。
だというのに、
「どうして零れるんだよォおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
咆哮。
血の涙だった。
衝動が激情にとって代わったんだ。
「……やらなくちゃ」
もう引き下がれない。
***
急いでクソ野郎の部屋に向かう。
屋敷を走っても誰一人の気配もない。
……本当に、連れていかれたのか。
未だに俺の中では『嘘だ』という意見が大多数を占める。しかしこの現状を見るに、現実はそんなに甘くない。
そしてアイツは言ったことは絶対に成し遂げる男だった。
「クソっっっっ!!!!」
重たい扉を開け、アイツのスマートフォンを確認する。
メール、電話、SNS……片っ端から履歴を確認。
「見つからねぇ……!!!!」
そりゃそうだ。見つかるほうがおかしいのだ。
アイツは地力でこの国のトップにまで成り上がった人間だぞ?
自分の身のことしか考えない悪魔だぞ?
証拠なんて残すものか。
「…………ッ!!」
部屋に手紙でもないか探そうとしたとき、一通のメールがアイツのスマホに届いた。
「……ビンゴ」
中村歯噛、聞いたこともない宛名からだった。はがみ? 何と読むのだろうか。
『物資、移動を確認いたしました。受け取り次第、確保済みのモノを含め三十ほど実験を行います。三日後の視察をお待ちしております。』
短い文章だった。
しかし、十分だった。
***
時間がかかった。
長すぎるほどに。
一分一秒コンマ一秒さえが惜しいというのに。
中村歯噛、このメールの差し出し元を探るのに二日もかかってしまった。
そもそもこんな名前の人間はこの世に存在しない。そしてこのメールの発信元も太平洋のど真ん中、何もない場所だった。
しかし俺はここ何があったか知っていた。
だって、ここは俺が計画していたリゾート地の座標だった。
どこまでも、こいつらは……。
馬鹿にされているという怒りよりも、悲しみの方が強かった。
しかしどうでもいい。
一刻も早くあそこへ向かわなくては、みんなが。
「シャルル……」
自分でもどうしてここまでしているのかわからなかった。
他人は他人、そう言って切り捨ててきたはずの俺がどうして……?
「っ」
悩んでいる暇があれば行動しろ。
今すぐ動け。
***
屋敷を出て十数時間、ようやく目的の人工島が見えた。
「おせぇ!! もっと早く出来ねぇのか!!!!」
うちの系列の子会社を使ってここまで来た。
中村歯噛、そしてその研究とソレに関わるもの全部ぶっ壊すために。
そして――。
「…………っ」
手に届かないのがもどかしい。
今すぐ彼女のもとへ……。
そう思うと、もう待ちきれなかった。
「もういい、飛び降りる。パラシュートはどこだ。出せ」
「えっ」
「早く!!」
「は、はい!!」
ヘリの操縦士は死ぬほど驚いていたが死ぬわけじゃないんだから許せ。
こっちは人命が掛かってるんだ。
「おい、高速船はちゃんと来ているんだろうな。」
「は、はい、二時間後には来るかと」
「遅い、一時間で来させろ」
「無理です!!」
「……じゃないとお前をクビにするからな」
「えぇ!!」
五月蝿い奴だ。来なかったら本当にクビにしてやる。
その前に俺の首が飛ぶかもしれんが。
もしものための手段はすべて考えた。
手も打った。
しかし相手は不老不死の研究者だ。
何をされるかわからない。
――あのメールが届いてから三日経った。
経ってしまった。経たせてしまった。
まだ何も行われていないことを祈るしかない。
せめて、
「せめて――」
そのあとの言葉は続かなかった。
そして俺は飛び降りた。
***
「――っ」
衝撃。
鈍い痛みが俺の脚を刺激する。
上空から見て目星のついた、一番大きい施設に入る。
……俺が計画しているときはこんなもの無かったってのに。
一応俺はこの会社の御曹司、後継ぎだ。最初は話し合いから入るのが筋だろう。どれだけクソ野郎でも殺すのはだめだ。アイツを殺したことを少しだけ後悔し始めているような気がした。決意が鈍る。
呼吸が激しくなる。
はぁはぁと荒くなる。
――行け、行け、行け……!!
時間がないだろ!
バンッ!!
扉を蹴破った。
「俺は上神優人!! お前ら直属の上司だ!! 今すぐ作業を中断しろ!! 動くな!!」
シン、と静まり返る。
だだっ広い部屋は少しばかり暗く、白衣の男声が数人。ベットで寝させられている男女が数十人。そしてその中には見知った顔もあった。
「…………シャルル。」
俺は安心して呟いた。
少しづつシャルルのもとへ歩く。
心臓が跳ねる。
ようやく、ようやく……。
「――お前の世界は、俺の世界なんだよ、シャルル」
小さく、ほかの誰にも聞かれないように彼女に告げた。
轡を噛まされていて何も喋ることが出来ないシャルル。
彼女は泣いていた。
だけど彼女は、確かに笑った。
いつもと同じように。
まさに実験を行おうとしている所だった。
……危なかった。
少しだけほっとした。
ほっとしてしまった。
「おうおう……? こちらはご子息様、なぜにここへ?」
静寂を破ったのは、眼鏡をかけ、白衣の上からパーカーを羽織った、若い青年だった。
……こいつが中村歯噛か。
直観だった。
というよりもこいつが、こいつだけが異質だった。
身に纏う衣装が違う。
身に纏う空気が違う。
しゃべり方が違う。鼻につく関西弁がかったしゃべり方だった。
「ここを潰しに来た」
「はぁ。」
歯噛は気の抜けた返事をする。
「会長がそうおっしゃったので?」
「いや、父上サマはつい数日前事故でお隠れなさった。故に今は俺が会長だ。だから全権限は俺にある」
「なぁるほどなぁるほどぉ……」
気の抜けた返事をしやがる。人の命を何とも思っていないのかこいつは……ッ!。
怒りに身が震える。
しかしそれを見せるわけにはいかない。
俺は歯を食いしばった。
「紹介が遅れました、ワタクシ、中村歯噛と申しますぅ。で、ご子息様、いやぁ、新会長とお呼びすべきですかなぁ?」
「ああ、会長でいい」
「何を言われようが、――ワタクシ達は、止まりません」
――ザッ!!
すべてが一斉に動いた。
「やめ、」
俺が制止したときにはもう遅かった。
俺が歯噛の手を払ったときにはもう遅かった。
……全員に薬品が投与されたのだ。
得体の知れない薬品が、
「なんやと思いますぅ? これ」
「は、歯噛ぃいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!」
中身?
どうでもいい。
一発ぶん殴ってやらないと気が済まない。
殺してやらないと気が済まない。
しかしそんなもの全てを掻き消して俺の中には一つのモノしかなかった。
哀しみ。
……どうしてこうなった?
やはり俺には分からなかった。
――シャルルがいないと、俺にはわからない。
「はい、ストップですよぉ、会長。まだワタクシが話をしとります」
「っ!!!?」
瞬間、俺は停止した。
何が起こったのかわからない。
わからない、わからない、わからない……ッッ!!
「ちゃぁーんと説明しますから、落ち着いてくださいよぉ、会長」
っ、声にならない声で叫ぶ。
「おうおう、怖い怖い。一から十まで話しますからぁ、ね?」
これが落ち着いてられるか。
こう話している間も歯噛はシャルルになにか薬品を投与し続けている。
なぜだ。何故体が動かない!?
「まずこの薬品の説明からしましょうかぁ。コイツは『ジェネシスⅡ』。ジェネシスには創世記、起源みたいな意味があるわけですがぁ、こいつはⅡ。ツーですぅ。分かりますぅ? 二回目の始原。リスタート。まぁ簡単に言えば『不死の薬』ですなぁ。ネーミングがダサい? そんなもんですよ」
もう完成していたのかよ、クソっ!!
父上サマのメールの中身は今から作るという内容だったはずなのに!!
「はいはい、焦らさんなぁ、会長さん。まぁこの『ジェネシスⅡ』は元々ワタクシが自費で実家で研究していたものなんですわぁ。ぜぇーんぶ自作。でも一回だけ大学の研究室を借りてぇ、動物実験したら上手いこと言ってしまったんですわ。そしたらトントン拍子。我が国の最高学府、そして世界一のなんたら研究所に連れていかれて今や世界ナンバーワンの会社の元で働いとります。世界がワタクシを認めてくれとるんです」
俺は認めてない。
「まぁ認めとるのは世界を裏で牛耳るような人間しかおらんわけですが。会長のように認めん人もおります。そりゃあそうですな、」
だったら――
「でもワタクシはやりたいことはやる。それがポリシーなんですわぁ。だから、これらは必要。必要悪なんですわぁ。悪でも何でもいい。不死に挑みたい。わかりますぅ?」
わかるわけが、ない。
わかるわけが!!!!
「――がぁっ!!」
吠える。
叫ぶ。
目の前にシャルルがいるのに、歯噛を止められない。
目の前に、目の前に……。
「おっとー喋れるんですね、会長ぉ、素質ありますわ素質。いやまぁそんなことはええんです。コイツの話ですね、『ジェネシスⅡ』。コイツを静脈注射すれば不死になれるんですわ。動物実験で認証済み。どうやって不死やと分かったか、わかりますかね会長ぉ?」
まさk
「はぁい、その通り、『殺し続ける』んですね、人間が考え付くすべての方法で、ただただ淡々と、粛々と、ころころするわけです。」
……ふざけるな、
ふざけるな!!
「で、今もう打ったのであとは殺すだけです。ワタクシ自身が手を汚すのは嫌なので全自動で殺ってくれる機械を作っちゃいました。人体実験なので長い目でみて、そうだなぁ、五年ほど殺す設定にしておきましょう。あ、会長はそこで見ていてくださいねぇ、アナタの仕事は最後まで見守ることですぅ。これも実験ですな。実験実験♪」
この話を聞いているのは俺だけではない。
シャルルも聞いているのだ。
今から惨殺されると聞いて苦痛に滲んだ顔をしている。
涙でぐじゅぐじゅになった顔で、俺に助けを求める顔を……。
「この子の世界は会長のものなんでしょう? 苦しみも悲しみも痛みも全部全部全部、ぜぇえええんぶ、味わってください。その結果どうなるのか、ワタクシは見たいだけですぅ」
俺は、
俺は……、
「全然関係ないんですけどワタクシ、自分の体に薬品打ち込みまくったせいで超能力に目覚めたんですわぁ、それも超ぉ~~~~すごいのなんですぅ。時間操作。時を操れるんですわ。なので五年と言いましたがこれは現実世界の話。実際アナタたちが経験するのはぁ、たぶん数百年くらいじゃないですかねぇ。もしかしたらもっといくかも。その間食事とかなくても生きられますのでモーマンタイですよ、会長ぉ。そっちの子やほかの被検体はちゃんとお腹減るようにしておきますが……。まぁ餓死と老死の実験も兼ねてますしね。こんなもんです。この五年でワタクシ、この会社乗っ取るつもりなので、よろしくですぅ」
何も……………………。
――涙すら、流せなかった。
ではでは~、と去る歯噛。
俺は何も出来ず、
ただ、
泣く彼女を、
見ることしか出来なかった。
(続
飛んで火に入る夏の虫
なんと前回の更新から半年以上の月日が流れてしまいました。たかぎです。4章、だいぶ長くなりましたがまだまだ続く予定です。優人とシャルル、いったいどうなってしまうのでしょうかね()。間人と彩、エリスの方にもどるのにはまだ時間がかかりそうです。
良いお年を!
次回こそは早めに!!