I'd love to, but I'm full.

「自分、すごい食べんなぁ」
 昼休み、憩いのひととき。
 食堂で、友人の天華と楽しくランチタイムを過ごしていた私の頭の上で、驚いたような声が上がった。
 思わず、カレーを掬いかけていた手を止め、その声の主を見上げる。
 そこには、大きく目を見開いた、でかい男が私を見下ろしていた。彼が両手で捧げ持っている銀色のトレーの上には、私に負けないほどに大盛りのカツカレーが乗せられている。私の皿に、カツは乗っていない。そこに、なぜか若干の敗北を感じ、そして、何となく食べていることを馬鹿にされたような台詞にも腹が立ち、私は、その失礼な男を睨みつけた。
 誰がどれだけ食べようといいではないか。なぜ、見も知らぬ他人に、そんなことで呆れられなければならない。そう思いながらも、自分の目の前に広がる愛しいものたちの姿を眺め、それから、「ああ、呆れられても仕方ないのか」と思い直した。横で、タラコスパゲティーを可愛らしく頬張っていた天華も、「双葉、しょうがないよ」という顔で、こっちを見ている。
 やっぱり、そうか。そうだよね。
 私の眼前には、無数の皿たちが仲良く整列し、その上に乗っている美味しそうなごはんは、私の口に入るのを今か今かと待ち構えている。
 その数、一、二、三、いちいち数えるのも面倒なほどの量だ。
「ここ、座ってもええ?」
 そのでかい輩は、一応、礼儀を弁えているのか、私と天華に許可を求めてから、向かいの席に腰をかけた。ただ、私も天華も良いとは言っていない。が、まあ特に誰が座るというわけでもなかったし、他に空いている席もなさそうだったので、とりあえずは「どうぞ」という意で、頷いてみせた。
 その輩は、「俺は、一年三組の黒川芭蕉っていうねん」と聞いてもいないのに自己紹介をし、あらためて失礼なくらいに、私(と皿たちを)をじろじろと凝視した。そのあからさまな視線に、不快感を覚え、
「何、文句あんの?」
と、思わず喧嘩口調で問いかける。ちなみに、私は小さくても、腐っても三年生。最高学年だ。一年生、年下の人間にとやかく文句を言われる筋合いはない。
 そう、人間に。
 黒川は、私の静かな怒りが伝わったのか、一瞬怯んだようだったが、その後、すぐに言葉を返してきた。
「いや、自分、めっさかっこええなぁと思って」
 この場合の自分とは、私のことを指しているらしい。黒川は、満面の笑みで、私へ賞賛の言葉を述べる。大した問題ではないが、どうやら、私たちが先輩であることには、まだ気が付いていないらしい。そして、目一杯のため口で、
「最近の女子ってのは、ほんまはよーさん食べれるくせに、何や男の前やと可愛らしい思われようと思ってんのか、ちょっとしか食べへんやんか」
眉根を顰め、したり顔で、
「俺は、あれはどないやと思ってるクチやねん」
うんうん、と頷いた。
「せやから、その食べっぷりには、えらい感動してもて」
 黒川の言葉に、再び、私は自分の皿たちを見る。
 確かに。年頃のうら若い乙女の食事風景ではない。もし、デートで、この量を注文されたら、相手はいろんな意味で、引いてしまうだろう。百年の恋も何とやら、というやつに違いない。
 それでも、しょうがない。これが私なのだから、どうにもこうにもなりゃしない。
 昼休みも、あと残りわずかだ。まだまだ残っているごはんたちを片付けるべく、私は、再びスプーンを取り上げた。まずは、このカツカレーを攻略せねば。
 そんな私の様子を、まじまじと眺め、
「で、早い話が、ですね」
黒川は、急に真面目な顔と改まった口調になり、私の方へと身を乗り出した。
 妙に顔が近い。邪魔だ。これじゃあ、ごはんを食べられない。
「何?」
 不快な声で尋ねると、私のそんな思いはまったく我関せずで、
「その食べっぷりに、一目惚れしてもてん。せやから、俺と付き合ってください」
と、深々と頭を下げ、黒川は右手を私へと差し出した。
 その様子に、昔「懐かしいTV特集」で見た番組を思い出す。ねるとん、だったっけ。
 私は、黒川の手をまじまじと見つめた。チョコレート色に日焼けした手の甲は、微かに震えていた。見た目は、厚顔無恥、恥ずかしいなんて言葉、俺の辞書には載ってないぜ、みたいな顔をしながら、本当はけっこう純情無垢、なのかもしれない。
 可愛いなぁ。最初の印象と違って、私は少しだけ、黒川に好感を持った。
 でも、私の答えは、最初から決まっている。相手が黒川だからというわけではなく、それは、揺るぎないものだった。
 私は、差し出された右手を、やんわりと押し返して、
「ごめん、悪いけど、それは絶対に無理」
 と、告げた。絶対に、というところの語気を敢えて強める。
 驚いたように、黒川が顔を上げた。落胆に彩られた黒川の顔が、捨てられた仔犬のような目で私を見ている。
 その食い入るような視線から、目を外せない。申し訳ないという思いが去来するけれど、考える余地などないのだ。それは、無理なことなのだから。
 私を見つめ続ける黒川へ、私は美しく咲き誇る花もかくや、といった笑顔で、もう一度、
「ごめんね」
と、拒絶の言葉をはっきりと返した。

「あんなにきっぱり断らなくてもいいと思ったんだけどな」
 放課後。学校近くのファストフードで、ストロベリーシェイクをストローで掻き混ぜながら、天華は私に言った。私はといえば、ちょうど照り焼きバーガーセットを攻略中だったので、その台詞の半分も聞いておらず、天華の言葉へ、まるで他人事のように、
「何が?」
と、返した。その返答に、天華は、
「何が、じゃなくって」
と、憤慨したように、ジューッっと大きな音をたて、シェイクを咽喉に流し込む。
「黒川芭蕉くん、だっけ?彼の、付き合ってください宣言に対して、だよ」
 天華は、いつもと違って、ちょっと興奮したようにまくしたてた。
「たくさん人がいる中で、あんな大胆な告白はなかなかできるもんじゃないでしょ?私、少し感動すらしたもん。それを、どうして、ああも無下に断ることができるんだか」
 呆れたように、天華は首を振った。
「勇気いったと思うよ、彼」
「そうは言っても、断るしかないでしょ」
 ハンバーガーに入っていたピクルスが、いつもより酸っぱいような気がした。まるで、あのときの私の気持ちみたいに。でも、どんな状況であれ、断るしかない。それがどれだけ周囲に冷たい行為だと映ったとしても。
 でも、私が黒川からのアプローチを断らなければならないことは、何よりも天華が分かっているだろうに。
「でも、理由も言わずに一刀両断、っていうのもどうかと」
「理由?言えると思うの?」
「……言えない」
「だよね?」
 そして、もし何もかも分かっていて、こんなことを言っているのならば、天華は随分といけずだ。そして、実際のところ、彼女は何もかも分かっている。それでも、なお、
「せめて、友達からとかでも」
と、しつこく言いかけてくるので、
「うるさーいっ!」
と、私は天華を一喝した。その大きな声に、ざわついていた店内は瞬間静まり、好奇心に満ちた視線が、私たちに注がれる。天華は、はっと、何かを思い出したかのように、口を噤んだ。
 ようやく落ち着いた天華に、私はやれやれと、溜息をつく。そして、周囲には見えないように注意を払いながら、
「これで、友達からとか、ましてや、お付き合い、なんてできるわけないでしょうが」
両手を軽く後頭部にかけると、私は、ばさり、と髪をかき上げた。これで、天華にも私の普段は隠されている髪の毛の中が見えるはずだ。
 ああ、という嘆息が、天華の口からこぼれる。それから、
「ごめん」
と、ぽつり、呟いた。
 まあ、いいけど。私が、突然告白されるという予想外の事態に、普段は冷静なはずの天華までもテンションが上がってしまっていたらしい。でも、そのテンションを元に戻してしまうほどのものが、私の頭にはあるのだ。
 私の後頭部には大きな穴が、ぽかりと開いていた。正確には、穴ではなく、ひとつの口である。もちろん、口唇もあるし、ご丁寧に、その中には歯や舌まであった。赤く長い舌が、さらに赤い口唇をペロリと舐め上げる。私の意志とは関係なく、ケラケラと笑う。
「まあ、天華が謝ることじゃないけど。現実を見ましょう、ってこと」
 かき上げた髪を下ろすと、その黒い靄の中に赤い悪魔は消えていった。
 妖怪、二口女。
 それが、私の正体だ。
 とは言っても、それは大した問題ではない。こう見えて、私の横でシェイクをすすっている天華も、実は、雪女だ。
 私たちの通っている学校自体が、もともと人間世界で生活している妖怪の子どもたちのために作られたものなので、当然、そこに通っている生徒も妖怪だ。ただ人間世界と同じく、妖怪世界も、ここ数年の少子化による経営難のために、学校は多少のリスクを考慮しつつ、苦渋の決断をした。それが、三年前からの人間の受け入れだった。それまでも、幼稚舎から大学までの一貫教育で、地域でもある程度の進学校として名を馳せ、ある意味セレブな奥様方からは羨望の眼差しをいただいていたらしいが、人間が入学したいとは思わないような結界を張っていたらしい。つまりは、その結界を解いたのである。理事長を始めとする経営陣も将来的には人間との共存を望んでいたので、この試みは比較的すんなりといった。結界を解いた途端、次々と、入学を希望する人間たちが押し寄せたのである。それほどに、行かせたい、行きたい、けれど、なぜか行く気にはなれないと思っていた人間が多くいたということだろう。とにかく、目的は達せられた。が、まったく、何も問題がなかったわけではない。それが、生徒たちの恋愛事情、だった。
 基本、この学校に校則はあって、無いようなもの。但し、妖怪の生徒が持っている生徒手帳にだけは、密かに、一文が追加されていた。
 異種族間交際の全面的禁止。つまりは、人と妖怪、相交わってはいけないということ。これだけは妖怪たちの間では、暗黙の内に絶対不動の決まり事だった。人と妖怪が、付き合うなんて、ありえないことだ。天女の羽衣伝説しかり、雪女伝説しかり、人と妖怪が交わって幸せになった例なんてない。
 人間の生徒は、妖怪が自分たちと同じ学び舎にいることなど知りはしない。だからこそ、この決まり事は、事実を知っている妖怪が律さなければならないのだ。
 たとえ、どんなに相手を好きになったとしても。まあ、今回に関しては、私の中に黒川への恋愛感情はなかったのだけれど。万が一の可能性を考えても、芽は早いうちに摘んでおいた方がいい。
 でも、黒川くん、可愛かったな。
 ちょっとだけ浮かんできた良からぬ感情を慌てて追い払うと、私は、ハンバーガーに齧りついた。

 次の日。
 まるで、これから起こる出来事を予言するかのように、朝から空は不穏な色をしていた。見上げた空は、今にも泣き出しそうだった。
 傘を持ってくればよかったかな、と出かけに傘を差し出した心配そうな母の顔を思い出した。ちなみに、我が家の家族構成は、父と母、私、それから弟。父はのっぺらぼう、母は二口女だ。私は、二口女の特性を受け継ぎ、弟はのっぺらぼうの特性を受け継いでいる。
「おはよう、天華」
 校門の手前で、天華の姿を見つけ、私は手を上げた。
 天華は、呑気に挨拶をする私を見ると、慌てたように、こっちへ向ってくる。訝しげな顔で、私が、
「どうしたの?」
と、問うと、
「のんびり挨拶してる場合じゃないって」
そう言いながら、学校から遠ざけるかのように私の肩をぐいぐいと押してきた。
 その様子に、頭の中を疑問符でいっぱいにしながら、天華の肩越しに校門を見る。
「双葉、見ちゃダメだってば」
 天華の制止を振り切り、校門へ一歩踏み出すと、そこには、たくさんの女子が立っていた。明らかに殺気にも似た空気を漂わせながら、誰かを探している風だ。その中のひとりと目が合う。彼女の口が動いた。
「いた、いたわよ」
 どうやら、その誰かとは私だったらしい。待ち構えていた獲物を発見したハンターたちは、私を射程距離に入れ、色めき立った。
「先輩、どういうことですか」
 ハンターの中でも、一際目立つ女子が、私の方へ詰め寄ってくる。その剣幕に驚きながらも、私は引くことをしなかった。
「どういうことって?」
 争い事は好きではないけれど、売られた喧嘩は買う主義だ。私は、相手の目を見据え、逆に問い返した。
「惚けないでください、黒川芭蕉くんのことです。食堂で、こっぴどく振ったそうじゃないですか」
 まるで、噛みついてくるかのような勢いだった。彼女たちは人間だ。それでも、私の妖気に圧されながら、その恐怖心に負けることなく、挑んでくる。
 勝てない勝負に挑む彼女たちを、愚かだなぁと思いながらも、私は愛しく思った。
「先輩、聞いてますか?」
 返事をしない私に、業を煮やしたのか、苛々した様子で、私の顔を覗き込む。
「ああ、何のことだっけ?」
「……だから、黒川くんのことです」
 呆れ顔で、溜息をつきながら、彼女は、重ねて黒川の名前を告げた。そうか、恐れを知らぬ対抗心は、恋愛感情から生まれたものだったのか。妙に納得する。私の、そのしたり顔も、彼女は気に入らなかったらしい。イラっとした雰囲気をさらに漂わせ、
「どういうつもりなんですか?」
と、畳み掛けてきた。
 ?
 私は首を傾げた。どうも腑に落ちない。たかだか男ひとりの交際を断っただけで、どうしてここまで、しかもかなりの人数に責められなければならないのか。思い切り、反論しようとして、後ろで不安そうに成り行きを見守っていた天華に制服の裾を引っ張られる。
「双葉、ちょっと」
「何?」
 天華は、私の耳元に口を近づけると、
「黒川くん、VIPだったんだよ」
と、囁いた。
 つまりは、こういうことだった。
 私に、無謀な告白をしてきた、黒川芭蕉という輩は、地元の名士(現在、市会議員をしていて、次期市長の有力候補)の息子なのだそうだ。そして、私はどうも思わなかったけれど、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、天が二物も三物も与えたほどに完璧だと評判で、どうやら私設ファンクラブができるほどの人物だった。そのファンクラブの会員が、事もあろうか、黒川の告白を無下に断った私に怒りの鉄槌を食らわしに来たというのが、この騒動らしい。
 もうじき、始業の鐘がなるというのに、彼女たちは、明確な返事を聞くまでは、私を校内に入れるつもりはないようだった。とは言っても、断った明確な理由など、人間の彼女たちに言えるわけもない。とりあえず、
「好きな人が他にいるから」
と、当たり障りのなさそうな答えをすると、
「嘘つかないでください」
と、跳ね除けられた。どうして、嘘、だと決めつけるのか。確かに、嘘だけど。始業の時間は刻々と迫ってきている。どう答えれば、納得してもらえるのかと思案していると、
「何してはんの?」
場違いにのんびりした声が、この間と同じように頭の上でした。黒川芭蕉だった。
 王子の登場に、校門前はにわかに色めき立つ。そこにいた女子たちは、皆一様に、黒川をうっとりと見つめた。私に詰問していた彼女だけは、何とか自制心を保っていたようだったが、それでも、頬は紅潮している。
「真島さん、これってどういうこと?」
柔らかな口調とは裏腹に、ずいぶんときつい顔で、彼女、真島に黒川は質問を投げかけた。真島は、消え入りそうな声で「……はい」と答えになっていない答えをし、私をねめつけた。その視線と私の間に、黒川が割って入り込む。目の前に、大きな背中。思わず、胸が高鳴った。
「何かよう分かれへん、ファンクラブとかいうの作られて。それでも、害がないっちゅーか、俺のこと応援してくれてんのやなぁと思ってたから、黙認しててんけど」
 黒川は、そう言いながら、手を顎に当てた。
「こないな騒動起こすんやったら、考えなアカンなぁ」
「黒川くんっ」
 そんな殺生な、とでも言いたげな悲痛な声を出し、真島は黒川に縋りついた。それを、黒川は一蹴する。
「だったら、この人に手を出さんといてや。俺が一方的に好きになってもただけやで。自分らには関係ないよな」
 泣きそうな顔をして、真島は、黒川の言葉に頷いた。そして、蚊の鳴くような細い声で、「ごめんなさい」と呟く。その真島の台詞に呼応して、校門前に屯していた女子の群れは波が引くように消えていった。
 やれやれと、黒川が、頭を振る。それから、後ろに立って、事の顛末を見守っていた私を見た。申し訳なさそうに、目を伏せ、
「先輩、すいませんでした」
と、謝る。
「別に、黒川くんが悪いわけじゃないし」
「あ、名前覚えてくれはったんですか」
 沈んでいた声は、私が自分の名前を口にした途端、弾んだ声に変わった。嬉しそうに微笑む。
 始業の鐘が鳴った。黒川は、
「放課後、食堂に来てくれはりますか?」
と、言い残すと、私の答えを待たずに、校門をくぐり、校舎の向こうへと消えていく。私は、その背中を見送りながら、どうすればいいのかと、途惑っていた。

 放課後。
 私は、食堂で、ひとり、黒川を待っていた。他には、誰もいない。どうして、ここで、私は黒川を待っているのだろう。分からなかった。「いっしょに行こうか」という天華の誘いは、やんわりと断った。どうしても、ひとりでなければならない気がしたのだ。
 じっと待っていれば待っているほど、いろいろな考えが浮かんでは消えていく。
 黒川は何を言うつもりなのだろう。
「遅くなって、申し訳ないです」
 気配を殺していたわけでもないだろうに、突然、声をかけられ、私はびっくりした。それほど、ぼんやりと、考えに耽っていたということか。これで、黒川の声を聞くのは、三度目だ。それも、すべて第一声は頭の上から。なぜか可笑しくなって苦笑していると、黒川もつられてか、笑った。それから、
「すいません、わざわざ呼び出してもて。でも、ほんまに来てくれるとは思わへんかったから、めっさ嬉しいっす」
と、頭を掻く。
「で、先輩を呼び出したのは、きちんと謝らなアカンことが、いくつかあると思って」
 急に沈痛な面持ちになると、
「まず、こないだは、先輩だとは思わず、タメ口で、しかも生意気に告白なんぞしてもて、すいませんでした」
黒川はこっちが驚くほどに、深々と頭を下げた。その言葉を聞いて、私は、内心、複雑な心境だった。謝るということは、告白をなしにしてしまうということだろうか。それに動揺している自分に、さらに動揺しながら、私は黒川の次の言葉を待った。
「そして、今朝、何やファンクラブの女の子たちが、いらんことして、先輩たちに不快な思いさせてもて、申し訳なかったです。ほんまに、えろうすんません」
 さらに、頭を下げる。私は、
「だから、あれは朝も言ったけど、黒川くんのせいじゃないし」
と、黒川のテーブルにこすり付けている頭を押し戻した。土下座してしまいそうな勢いだ。
「いや、自分のせいや」
 いつの間にか、言葉はタメ口に戻っている。
「俺が、分も弁えず、先輩に告白なんかしてしまうから」
 は?
 どういう意味だろう?
「後輩なのに、あんな生意気な態度だったら、交際、断られて当然やんなぁ。せやのに、俺は、俺は……」
 そのままにしておくと、黒川はどこまでも自虐的になってしまいそうだった。大丈夫だろうか?
「でも」
 立ち直らせるために、どうしようかと私が思案にくれていると、自分で解決の糸口を見つけたのか、黒川は、はたと顔を上げた。そして、私の目をまっすぐに見据え、
「でも、俺、ほんまに先輩に惚れてもたから。もう、どないもこないもならんくて。寝ても覚めても、頭の中は先輩のことばっかりで」
衒いもなく、本人に自覚があるのかないのか、聞いていて恥ずかしくなるほどの甘い言葉をずっと紡ぎ続ける。
「いや、黒川くん、だから、あの」
「でも、こんな綺麗な先輩に、分不相応な俺なんかが、つりあうわけもないし」
「……黒川くん」
「でも、やっぱり、それでも、俺は」
 黒川は、ずっと自問自答を繰り返しているようだったが、
「うん」
やっと、決心がついたのか、あらためて椅子から立ち上がると、私の横の席に移動した。テーブルを挟んで向き合っていた時よりも、当たり前だが、距離が近い。私は、動悸が早くなるのを感じた。
「先輩」
「はい」
 背筋が、ぴん、と伸びる。黒川は、大きく息を吸い込むと、
「失礼を承知で、もう一回だけお願いします。好きです。俺と、付き合ってください」
 この前と同じく、ストレート、直球勝負だった。まっすぐなんだな、と思った。好きなものは好き。自分の欲求に忠実である。嘘とかごまかしとか、そんなものが彼にはないような気がした。それはそれで、ある意味、人間というよりは妖怪に近いのかもしれない。
 黒川を見ると、この前と同じように、飼い主の指示を待っている仔犬のような目で、私の返事を待っていた。その態度に、少し意地悪をしたくなる。
「私、おなかがいっぱいになったこと、ないんだよね」
「え?」
 黒川が、不思議そうに目を細めた。私の言葉の真意が、まだ伝わってないらしい。
「だから、このおなかをいっぱいに満たしてくれたら、友達からなら考えてあげてもいいけど」
「それって……」
 信じられないといったように、黒川が大きく目を見開く。
「付き合ってくれるってことですか?」
「だから、私をおなかいっぱいにしてくれたらだってば。しかも、友達からで」
 最後の方の私の言葉を、黒川は聞いていないようだった。私に見えないように、小さくガッツポーズをとりながら、
「分かりました。とりあえず、今日はいっしょに帰らへん?荷物、教室から取ってくるわ~」
と、叫びながら、脱兎のごとく、廊下に飛び出し、走っていく。
「あれは、大変だねぇ」
 いつの間に来たのか、後ろに天華が立っていた。
「うちの相方も、かなりの変わり者だと思うけど。黒川くんも、大概だね」
「河童一族の末裔といっしょにしないでくれる?それに、黒川くんは妖怪じゃないし」
 私は、一人ごちた。そうだ、彼は、妖怪ではない。それなのに、いくら友達からとはいえ、条件つきとはいえ、「付き合ってもいい」なんて返事をしてしまったのか。
「いや、あの執着ぶりは、ある意味、妖怪的だってば」
 天華は、感心したように、腕を組んだ。
「それに、ここまで騒ぎになってるなら、学校側が介入してきてもおかしくないでしょ?ということは、私のときと同じで、黒川くんが妖怪である可能性がなくもないということじゃないのかな」
 したり顔で、天華は言った。
「それは、ないでしょ」
 苦笑する。黒川が妖怪、いや、それはない。
「それか、新種の妖怪かもよ。妖怪『しつこい』とか」
「妖怪『完璧王子』とか」
 顔を見合わせて、ふたりで、今度は爆笑した。
「先輩、何笑ってはんの?」
 走ってきたのか、肩で息をしながら、黒川が戻ってきた。
「別に」
「ねえ」
 天華と含み笑い。それが、気になるのか、黒川はしつこく聞いてくる。本当に、新種妖怪『しつこい』、かもしれない。
 確かに、異種族同士の恋愛は悲劇を生んできた。悲しい結末がほとんどだ。でも、だからと言って、私たちが、そうなるとは限らない。それに、とりあえずは、私のおなかが満たされてから、友達から。まだ、恋愛なんて域には達してないし。
 妖怪『しつこい』の追求は終わらない。それを、若干ウザいなぁ、と思いながら、私は、何だか楽しくなっていた。
 クスクス、という含み笑いが、私の頭から漏れ聞こえる。
「先輩、笑った?」
「笑ったけど、笑ってないよ」
 黒川は、私の答えに首を傾げる。黒川なら、この頭の赤い悪魔を見ても、大して驚かずに、受け入れてくれるかもしれない。
「帰ろうか」
 私は、最高の笑みを口元に浮かべると(多分、頭の口も微笑んでいる)、黒川に手を差し出した。

I'd love to, but I'm full.

I'd love to, but I'm full.

校内でも有名な大食漢の双葉は、その食べっぷりに惚れこんだ黒川芭蕉に、突然愛の告白をされる。何となく芭蕉に惹かれながらも、双葉には、それに応えることができない理由があって……

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-20

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