地の濁流となりて #12

第三部 二千年王朝編 蜘蛛の巣

 カタランタの箱の炎を明かりに岩盤の通路を進む。最後尾を歩くパガサへの気遣いからか,なるべく後ろへ光が届くように,自分の肩の辺りに持ち上げていてくれる。その分,足元が薄暗くなるのが,鼠を恐れるマンガラには堪らない。さりげなくカタランタにくっつこうとするので,三人は一塊になってノロノロと進まざるを得なかった。
 最初は一本道が長く続いた。固い岩盤を無造作に掘ったのか,通路というよりも坑道に近かった。奥へ進むほど,気温が下がり,それにつれて,岩肌が湿り気を帯びてくる。カタランタの持つ灯が,突起から落ちそうな雫を浮かび上がらせる。地面のくぼみも,いつの間にか水を貯めていた。冷たかったのか,マンガラが何度か「あっ」と声を上げ,カタランタとパガサは鼠と勘違いした。
 しばらくすると,王宮の近くまで達したのか,次第に道が分かれはじめた。まっすぐと左右に闇が続く。分岐にたどり着く度に,カタランタが通路を示した皮を広げて確認する。中身を初めて見たパガサは,その複雑に交錯する線の数に驚いた。これでは,この見取り図がなければ,確実に道が分からなくってしまう。
 そうして,いくつ目かの分岐にきた時だった。繰り返される作業に飽いたマンガラが,灯の届く範囲で枝分かれする通路をぶらぶらしていた。あれだけ鼠を怖がっていたのに,忘れてしまったのかとパガサが思い,カタランタの指先を追っていると,左手の通路から悲鳴があがった。とうとう鼠と遭遇したのか。うろうろするから。苦笑しているカタランタを残して,パガサがマンガラを迎えに行った。
 「こ,これ。これ,何。」
 え,とパガサが,震えているマンガラの指差す先を見ると,そこには暗い通路に不似合いな白い塊があった。長い棒のような形状に,細かいものが散らばっている。そのなかには,丸い頭のような。人の骨だ。骨がこんなところに。パガサの体にも震えが走った。ここには誰かがいる。誰かにこんな風にされたのだ。誰が。
 「迷うとこうなる。興味本位で入ったのか,何かから逃れようとしたのか。」
 気づくと背後にカタランタが立っていた。灯のもとで見ると,白い骨の周りには何一つ落ちていない。生前に裸だったとは思われない。とすれば,やっぱり誰かが服や帽子などを獲っていったのだろう。
 「いいか。ここには俺たち以外はいない。それに,これがある。迷うことはない。マンガラ,あまりうろうろするな。今度は鼠だぞ。」
 どうやら鼠よりもよほど効果があったらしい。マンガラはその後,大人しくなったというより,少しおびえながら慎重に歩き始めた。もうあの白い塊と遭遇するのは嫌らしい。それよりも,パガサは「俺たち以外はいない」が気にかかっていた。カタランタはああ言うけれど,誰かが待ち伏せしていないことをどうして断言できるのだろう。
 「ねえ,カタランタ,ここが蜘蛛の巣みたいに入り組んでいるのは,その,すごく良く分かった。けれど,「敵を捕らえる」ってどういう意味。ぼくらも捕まるかもしれないの。あの骨の。」
 マンガラが尋ねるのはもっともだ。王宮に忍び込むのだから,危険なのはパガサも承知している。だが,この暗い通路が「敵を捕らえる」ために掘られたのなら,わざわざその罠にかかりに行くことにならないか。もしかしたら,あの骨の持ち主だって。ここまで歩いてきた限りでは,カタランタの言うように敵が潜んでいる感じはしないが,もっと奥に進むと,あの衛兵のような甲冑姿の者が現れたりしないだろうか。
 「いや,心配するな。この通路は,いざという時のために掘られた。いいか,王宮に敵が入ってくる。それを正面から迎え撃つのは一つの選択肢だ。敵の知らない影から撃つ。これがもう一つの選択肢。「蜘蛛の巣」のように,知らずに飛んできた虫を絡め取る。この通路の役割だ。」
 王朝側の人間が「外敵」を影から撃つ。そのための通路。それなら,争いが起きていない限り,ここに王朝の人間はいない訳だ。けれど,そもそも「外敵」とは何だろう。
 ぼくら里の民に「外敵」はいない。だからか民は戦わない。内部の言い争いも,「争い」というより協議に近い。お互いの意見を言い合って,必要なら長老が居合わせて意見の調整を行う。マールでカタランタが「情報屋」を打つ時の,あの動きなどは誰もできない。でも,この通路の役割を聞いていると,外から入って来る人々と,内で王宮を守る人々が,力で争った過去が想像できる気がする。
 辺境の地にしても,この王朝にしても,ルーパの与り知らない「覇権」と呼ばれるものを争ってきた。おそらく血を流してまで。ぼくらの土の民だけでなく,アスワンやアロンたち海の民も,まだ知らない砂の民に木の民も皆そうした争いを知らないと思う。パガサは胸のなかが,きゅっと冷たくなるのを覚えた。ルーパの諸々の民が今後争うことなど,あるのだろうか。でも,あの放牧の民ですら,そうした過去を負っていたという。
 パガサが答えの出ない問いに思い悩みながら,マンガラの背中を追っていると,通路が次第に上向きの傾斜になっていった。そして,再び一本道になった傾斜を登りきると,通路が平坦になり,先ほどの掘った穴ではなくなった。すべすべした石が四方向に積まれている。地下で感じた冷んやりした空気も変わり,外気がどこからか流れてきていた。
 「もう王宮の内部に来ている。空気孔があるから,あまり音を出すな。」
 空気孔がところどころに開けてあるのだろう。たしかに,先ほどよりも通路が少し明るくなっている。夜目が効き始めたとパガサが思ったのは,この空気孔によるものだった。ふと横を見ると,通路に一定の間隔でくぼみが設けられている。これは。
 「武器を置いておく棚だ。攻められて一度ここに入ったら,なかなか出られないからな。この辺りは,エル・レイの話した昔は,きっと一度ならず使われたはずだ。」
 ふと,パガサは奇妙な組み合わせに気づいた。エル・レイはマールを守護している。あの口ぶりからすると,辺境領時代にかなり詳しく,しかも何かに関わっている。カタランタが持っている見取り図は,なかに潜んだ者か,王朝内部の人間しか持ち得ないはず。それなのに,エル・レイの信書がパウに見取り図を与えた。古文書博士への私信も。エル・レイは王朝の人間なのだろうか。
 石積みの壁を隔てた王宮内は,三人が思っていた以上に静まり返っていた。宵という時間と現在のラユース大陸の「平和」がそうさせたのだろう。パガサが聞く話は剣呑この上ないが,いずれも過去のものだった。もっとも,今ある「平和」が表面上にすぎず,見えないところで対立が続いていることを,パガサとマンガラは後にまざまざと知ることになる。
 カタランタはもう一度,皮を広げた。パガサも次第にその線に見慣れてきていた。王宮の通路に入ってかなりになる。近くには,何語で記されているのか,文字では「クニンガス」と読めるものを中心に,「バルティヤ」やら「オセ」などが古風な字体で描かれている。カタランタの眼の動きをなぞると,「アルキスト」を目指しているようだ。古文書博士はそこにいるのだろうか。
 パガサの想像通り,カタランタは,すでに今いる通路から最短で古文書博士の部屋へ向かう道を見つけていた。そうパガサが見取り図に見た「アルキスト」へ向かう道である。
 カタランタの「ここから狭くなる」という言葉通り,通路は人が横になってようやく通れるくらい狭くなった。横ばいで進まざるを得ないので,歩む速度は先ほどまでの通路と比べると段違いに遅くなる。王宮の中程にいるのだろうか,それとも奥に入ってきたのだろうか。パガサが小声で尋ねようとするのを,カタランタは,炎が揺れる箱を高く掲げて制した。何かあったのか。
 通気口の役割も果たしている石の隙間から,明るい宮内を観察する。と,黒い長衣を身にまとった人影が,やたらと辺りを気にかけながら,柱から柱へと移動していく。あれは。
 「どうやら入り込んだのは,俺たちだけじゃないようだな。」
 そう言い終えると,カタランタは少し横歩きを早めた。あの人影に覚えがあるのか,あるいは,あの人影の向かう先に覚えがあるようだ。遅れるマンガラの横腹をつついて,カタランタについていくようにパガサは促すが,マンガラはそれがくすぐったいようで,小さく「ひひひ」と漏らしながら,身をよじるように先へ進む。笑っている場合か,とパガサは思う。
 横歩きで,ただでさえ難儀をしているのに,直角に折れた角はさらに進むのが大変だった。マンガラが腹一杯食べていたら,そのお腹がつかえていたかもしれない。幸い,旅籠屋でゆっくりしなかったので,マンガラの腹部も無事通れた。折れるとすぐに,出口らしき明るみに出た。灯がまぶしい。宮内の廊下へ出る細い通路が,簡単な作りの木の柵で塞がれている。誰も普段は入らないのだ。
 「やはりな。」
 カタランタは例の人影を見失わなかったようだ。視線を磨かれた石の廊下に向けながら,短くつぶやいた。パガサもすぐに確認したかったが,マンガラが柵につまずいたので,身を起こすのを助けながら,遅ればせにカタランタの見る先を追う。
 「あいつは,どうやら俺たちと目的地が同じらしい。」
 え,ということは,古文書博士のところ。「なぜ。あの怪しげな人も「輝石」の過去を知りたいと思っているの。」「さあ」とカタランタは曖昧に答えたが,眼光は知らないうちに鋭さを増していた。
 人影はこちらに気づかない様子で,相変わらず柱から柱へと移って行く。カタランタは音もなく影の背後に回りこんでゆく。もう少しで手が届きそうなところで,足が素早く床から離れた。と思う間もない,ほんの一瞬の出来事だった。影は男性だった。卍の刃の切っ先の冷たさを喉で感じたのだろう。男は両手を挙げた。
 「動くな。動けば首が胴体から離れる。袖に隠している針を出せ。」
 袖に隠している針。何のことだろう。カタランタに追いついたパガサが,イスーダで同じように背後に立たれたマンガラを思い出して振り返ろうとすると,軽い金属音を立てて何かが床に落ちた。布を編むには長すぎ,そして太すぎる針が,そこにはあった。これが針。よくカタランタは,これが袖にしまわれているなんて分かったものだ。
 「どこの者だ。言えば離す。」
 カタランタと男の間にみなぎる,急に密度を濃くした圧が,パガサたちにも伝染する。やはりあの時と同じ。こうして傍から見るとはっきり分かる。微かな動きもしないで,当てた刃先から相手の動きをすべて感じ取っているのだ。短い冷たい言葉が,相手に自分の覚悟を伝えている。パガサは自分がその男でもないのに,背筋に汗が一筋流れた。
 「俺は雇われた者にすぎない。尋問しても無駄だ。」
 その言葉を待って卍の刃が男の喉に少し食い込む。そこから赤い筋がにじんで行く。あのまま力を入れたら男の首が。パガサは見ているのが辛くなってきた。と,その時,突然マンガラが声を上げた。
 「ねえ,この針。何か印がついているよ。何だろう。丸い模様から,トゲトゲが出ているような。果物かな。」
 その言葉に,カタランタの卍を持つ手の力がほんの少し弱まった。それを男は見逃さなかった。刃を当てられたまま,後頭部をカタランタの顔にぶつけ,よろめいたカタランタから身を解くと,凄まじい勢いで宮内の奥へと駆け出した。
 「カタランタ。大丈夫なの。」
 カタランタの片方の鼻から血が流れていた。それを左手で押さえながら,しかし男を追うのではなく,マンガラの手にしている針をしかめた顔で見つめる。そして何かに打たれたように,驚きの表情がその顔に浮かんだ。「まさか」そうつぶやくと,袋から布切れを出して血を拭いた。
 「それは,太陽の印だ。あれは,ラスーノ国に雇われた者だ。なぜ,ラスーノが古文書に興味を持つ。」
 最後の自問は独り言のようだった。ラスーノ国は,土の民二人には初耳だった。もちろん,その知らない国からこの王朝に忍び込み,それが自分たちと同じ古文書博士に用事があるとなれば,興味のわかないはずがなかった。しかし,今はカタランタの怪我の方がずっと心配だった。
 「かすり傷だ。大したことはない。それより,宮内に出てしまった。急いで古文書の間へ向かう。」
 ここで衛兵などに見つかってしまえば,暗く狭い通路を抜けてきた意味がなくなってしまう。それに,カタランタの争う姿も,あの冷たい目も見たくない。マンガラもパガサも,カタランタの言葉に従い,あのラスーノ国の男がしていたように,柱の陰から柱の陰へと移って行った。幸い,王宮の柱はどれも大きく,小柄な三人を隠すには十分だった。
 「もうそろそろだ。」
 カタランタがパガサとマンガラを振り返ってそう言った。これだけ広いのに,王宮の者がいない。隠れて進んできたのが,まるで無駄なようだ。パガサは口には出さなかったが,「蜘蛛の巣」からここまでの行程を思い出していた。その行程は帰り道にもなるのだろう。また明け方まで動き続けるのか。
 パガサの安堵感が生んだつかの間の気の緩みを,金属のぶつかる音が破った。鉄と鉄,そしてそれが石に当たる音。それが石造りの構内に響いてきた。どうやら三人が目指す方向から聞こえ,しかも次第にこちらへ近づいてくる。カタランタがマンガラとパガサを,左腕でこれでもかと自分の背後に下がらせた。金属音が近づくにつれ緊張が走る。
 もうすぐ側で音がする。このままでは。と,街で見かけた甲冑姿の衛兵が二人,一人の男の脇を抱えるようにして目の前を歩いていく。ひときわ大きく石が響く。陰に潜むこちらにはまったく気づかない様子だ。横を過ぎた時,パガサはその挟まれた男が,少し前にカタランタに卍を突きつけられた男だと分かった。逃走する最中に拘束されたと思われる。やはり,どこかに衛兵は立っていたのだ。
 「あの男が捕まったとなると,俺たちのことも知られるかもしれない。古文書博士を訪れたら,すぐに「蜘蛛の巣」に戻ろう。宮内を歩き回るのは危険だ。」
 小さな声で低くつぶやくカタランタに,背後の二人は頷いた。

地の濁流となりて #12

地の濁流となりて #12

王宮に張り巡らされた通路,通称「蜘蛛の巣」に入るマンガラたち。カタランタの残した「敵を捕らえる」という言葉は気になるが,王宮内目指して三人は進んで行く。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-15

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