尾のない主

 
 私以外の人たちには視えないモノが視えると気がついたのは、まだ私が幼い頃だった。

淡色が混じったふわふわした白色の毛をしているモノ。
絵の具の黒や夜の闇よりも暗い色をした毛をしているモノ。

あるモノは家のすぐ近くの狭い路地にひっそりと隠れるように、
またあるモノは小さな神社の赤が剥がれてきた鳥居の下にかしこまったように。
確かにそこにいるのに誰も気づかない。

だからそれらが視える私を、視えない人たちは恐ろしいモノを見るような目で見る。
「気味が悪い。」わざと私に聞こえるように話しているのか、
そんな言葉たちはいつでも無遠慮に幼い私に刺さってきて。

そんなとき、いつも

私の耳をそんな言葉を聞かなくてもいいようにと優しく塞いでくれたのは

― 誰?

*憂鬱の次

 瀬戸 小夏は列車に一定のリズムで揺られながら車窓の外を見つめていた。
車窓の外の景色は、ようやく来た春に対する喜びを身体いっぱい表現している草花たちが
まるで手を振るように過ぎていく。

小夏はほんの2ヶ月ほど前まで周りと一緒に受験勉強に励んでいた。

― あの山吹色の封筒を受け取るまでは。

 あの日。ショートホームルームを終えて帰ろうとしていた小夏の背中を担任の先生が呼び止めた。
早く家に帰って勉強をするつもりでいた小夏は、少しだけ煩わしく思った。

先生の言葉を聞くその瞬間までは。

「校長先生がお話があるそうです。校長室に行ってらっしゃい。」

その時はとりあえず「はい。」と小さく呟いたが、
心の中では疑問であふれていた。何かをした記憶もないし、何か呼ばれる思い当たるふしもない。
そもそも、中学校に入学してから一度も校長と面と向かって会話を交わしたこともない。

そんなことを考えながら、生徒たちが帰宅し人気の少なくなった廊下を一人で歩き、
校長室の前まで来たのはいいが、小夏はドアをノックするのを躊躇った。

早く呼び出された理由だけを聞いてすぐに家に帰って勉強しよう。

そう自分に言い聞かせ、ようやくドアをノックする。

「入りなさい。」

ややあって、低く優しそうな声がドアの向こう側から曇って聞こえてきた。
小夏はその返事をしっかりと最後まで聞いてからドアノブにそっと手をかけた。

校長室の奥のイスに座っているのは
優しそうな瞳を湛えた声のとおりの人物が座っていた。

「瀬戸 小夏さんだね?」

「はい。」

校長は静かに机の前のイスに座るように小夏を促した。小夏も素直に従った。

小夏の不安そうな表情を見てか、校長は先ほどよりもゆっくりとした口調で
話し始めた。

「・・・受験勉強は上手く進んでいるかな?」

「はい。」

当たり障りのない話題から始められて、小夏は内心ほっとした。
別に何か心当たりがあったわけではない。

ただ、いきなり途方もないようなことを言われる気がしていたからだ。

しかし
そんな小夏の気持ちを裏切るように校長は続けた。

「そうか・・・。単刀直入だが君に考えてもらいたい話があるんだ。」

「話、ですか?」

急に心臓の音が大きくなる。

怒られるわけでも、褒められるわけでもなく、
校長は私は私に考えてもらいたい話があるという。

校長の優しい瞳が何故だか急に怖くなって小夏は下を向いてしまった。

「君宛にとある高校から手紙が来ている。特待生として君を招待したいそうだ。」

突然のことに小夏はぽかんとしている。

特待生。

小夏は部活動に入っていなかったわけではない。
3年間管弦楽部に所属してヴィオラを弾いていた。
けれど、特別に秀でていたわけでもなかったし、

勉強だってそこそこできるくらいで学校のトップにいたわけでもない。

そんな私を特待生だなんていったい何処の学校が・・・

何が何だか分からなくなって小夏は逃げ帰りたくなってきた。

何かの間違いに違いない。
誰かもっと別な人と間違われているに違いない。

そのはずなのになおも校長は続ける。

「決して悪い話なんかじゃないんだよ。でも、君の志望校はここではない。
とりあえず君に手紙を渡すけど、
もしこの高校に行きたくなければ遠慮なく断ってくれてかまわない。
返事もすぐにとは言わないから3日後までによく君自身だけで考えてみなさい。」

校長の差し出した封筒は山吹色で、そしてどう見間違えるわけでもなく
瀬戸 小夏様と記されている。

差し出し先は

― 葛葉学園
 それから3日後、小夏は無受験入学という特待生ならではの魅力と
入学金とその他もろもろ全免除という経済的にも優しいという理由から
親の意向によって半ば強引に葛葉学園へと入学を決めた。

そして、今。

こうして列車の中で一人無抵抗に揺らされている。

ずいぶん遠くに来てしまったな。

小夏はすっかり見知らなくなった外の景色を
ぼんやりと見つめながらそんなことを考えていると、
小さな駅に列車がゆっくりと足を止める。

小夏は列車のドアが閉じる音だけをなんとなく聞いていたから
すぐ隣の通路に自分と同じ制服を着た少女が自分に声をかけているのに
気づくのに少し時間がかかった。

「あの?」

「・・・はい?」

とても清楚な雰囲気を出している少女は躊躇った後に小さく言った。

「向かい側に座ってもいいですか?」

「どうぞ。」

嬉しそうに少女は微笑み、ありがとうと言って向かい側に遠慮がちに座った。

少女はまだあどけない表情が残っていて制服も新しいから同い年だろう。
外を見るだけの時間に飽きを感じ始めていた小夏も正直嬉しかった。

「新入生ですよね?」

少女は可愛らしく微笑みながら聞く。

「そうです。」

小夏もぎこちなく微笑み返した。

「良かったー。実は私もなんです。これからよろしくお願いしますね。」

少女の目はきらきらと輝きながら小夏を見つめる。

相手が同い年であるのが正確にわかった小夏自身も、今まで入っていた肩の力がいっきに抜け、
自然に笑顔がこぼれた。

「こちらこそ・・・」

そこまで言って黙り込んだ小夏を少女が不思議そうに顔をうかがう。

「えっと。名前聞いてもいいかな?」

思い切ったように小夏がいうと

「あら!私ったら自己紹介もしないで・・・」

と少女は、頬を赤からませてはにかんだように笑った。

「私は、高原 天音です。」

 天音は大人しそうな印象とは打って変わって
よく笑ったし、よくはなしてくれた。

天音の笑顔は緊張していた小夏の頬までも緩ませた。

「ふふ、それでね・・・」

今の今まで嬉しそうに笑っていた天音が突然あっ。と声を上げた。

「小夏ちゃん、降りる駅ここだよ!!」

嘘、と小夏も慌てて立ち上がった。

― 葛葉学園前

確かかにここだ。

小夏は意外と重かった荷物を持って二人であわてて通路を走る。

ぎりぎりの所でドアを抜けて、息を荒くしている2人に

さようならと言わんばかりに高らかに汽笛を鳴らして
列車はゆっくりと走り出していった。

お互いに顔を見合わせひとしきり笑うと

小夏は呟いた。

「行こっか。」
うん。と天音は頷く。

まだ見えないながらも学園をひしひしと感じながら小夏は思った。

これからいったいどんな学園生活が待っているのだろう?
それに、何故私は特待生なのか。

それを考えるとまた不安になってくる。

小夏は重い荷物を背負い直す。

天音も同じようなことを考えているのか、
きゅっと口を結んで先ほどとは違う真剣な顔をしている。

言葉は交わされず
春の木漏れ日できらきらとしている森の小道を2人で並んで歩く。

しかし、学園を目の前にした2人は声を上げずに入られなかった。

はやくはやくと天音が急かす。カントリー風の可愛らしい外観。
校舎を増築に増築を重ねているらしく建物自体がでこぼこしている。
そして、終わりが見えないほどに大きい。

「うわぁ~でっかいね。」

さっきからそればかりを天音は繰り返している。

「いったいどこの教室で勉強するんだろうね。」

無数にあるような気がしてならない
校舎から顔をのぞかす教室の窓たちに小夏も圧倒される。

この中のどれかひとつで

これから出会うであろうまだ名前も知らない
同級生たちと肩を並べてともに時を過ごす風景は

まだ

ぼんやりとしか小夏の中には浮かんでこない。

「にしても、始業式のわりには人いないね。」

別段不思議に思っているようには聞こえない天音の声に
小夏は不思議な感情を抱いた。

確かに
見渡す範囲にいる生徒は小夏と天音だけである。

「おかしくない?」

天音が何かをいおうと少し口を開いた瞬間、急に背後から
幼い声が聞こえた。

「ようこそ葛葉学園へ、小夏さんと天音さん。」

突然の声に驚いて振り返ると
まるで天使のように可愛らしい男の子が
にこっと愛くるしく笑った。

「誰?」

天音がたずねかけると男の子はただもう一度だけ
にこりとしてからくるりと小夏たちに背を向けると

歩き始めた。

「ちょっ・・・待って。」

小夏が呼び止めると、男の子は振り向きはせず、言葉を返した。

「来ないんですか?今から、入学手続き始まりますよ。」

表情にクエッションマークを浮かべる天音と
一瞬だけ顔を見合わせてから

そうしている間もゆっくりと歩いていく男の子の背中を
慌てて追いかけた。

「へ?」

思ってもみなかったような返事に
拍子抜けしたような声が漏れた。

悪戯っぽい表情を微動だにさせず
男の子は

真っ直ぐな視線をまるで諭すように
小夏に投げかけてきた。

「分からない?」

その言葉がそれと言わなくても

この男の子は・・・

傷つくのが怖くなったあの日から

ずっとずっと、心の奥にしまってきた
誰にもいえない秘密。

それをたった今であったばかりの男の子に
引きずり出されそうになる。

小夏の微妙な表情の変化を読み取ったのか
天音が静かに声をかけてくる。

「・・・大丈夫?小夏ちゃん?」

「一体。」

小夏は天音の質問には答えずに
ただ男の子から顔をそむかせないようにだけしていた。

「僕はね。」

分かっているんでしょう?

男の子はそういう表情をして
もったいぶったように小夏から視線をはずした。

「・・・やっぱり、やーめた!」

何も言えないでいる小夏に男の子は
上目遣いで最後に付け加えた。

「僕はね、葛葉って言うんだよ。覚えといてね。」

葛葉と名乗った男の子は
学園長室はそこだからといつの間にか
目と鼻の先にあった立派なドアを指差して

手を振って駆け出した。

「えっ?!ちょっと待ってよ・・・」

天音は小走りに追いかけていったが
そばにあった曲がり角を曲がっていったところで
葛葉を見失ったらしく
不思議そうな顔をして戻ってきた。

「おかしいな?見失っちゃった・・・」

「どこかの教室にでも入っちゃったんじゃない?」

どこか上の空で返すと天音は首を振った。

「あっちはね、廊下じゃなくて行き止まりだったの。
ちょっと窪んでて彫刻がおいてあるだけだったの。」

何とも言い辛い雰囲気が続いたあと
少女たちは目の前の大きな扉に視線を向けた。

先ほどから歩いてきた廊下を見てもそうだが
校内は美しいモダン調でとても高貴なつくりに見えた。

扉のノブは繊細なつくりの小鳥である。

ふたりは視線を交わすと片方ずつノブを掴んだ。
鼓動が早く打つのが感ぜられる。

扉を開くと一人の存在感を一際放つ女性と
こちら側を興味深そうに見つめる少年少女が並んでいた。

*特待生たち

 
 「待っていたわ。そこに並んで。」

微笑みながら女性は
真っ白な細い手で
自分の大机の前に並ぶ生徒たち倣うように促した。

小夏は一目で目の前に座る女性が学園長だと察した。
それほど凛とした身のこなしだった。

すらりと細く、容姿も可憐で
柔らかな栗色の髪、
黒く大きな瞳と正反対の真っ白な肌。

その微笑は優しそうに見えて
どこか近寄りがたく冷たい女性。

学園長の初印象はそのようであった。
小夏は暫く彼女に見とれていた。

すると女性は長いまつげを瞬かせながら
とても心地の良い声色で話し出した。

「まずは、自己紹介をさせてもらうわね?」

誰かが「駄目です」というわけでもなく
そもそも女性は返事をさせる余裕も無く続けた。

「私は、この学園の学園長の芙蓉です。
ここの経営は理事長から一任されています。
何か分からないことがあれば遠慮なく
聞いてくださって構いません。何か質問は?」

学園長は一通り並ぶ顔をなぞる様に
視線を流すと物怖じしないような声が上がった。

「あの、質問いいですか?」

いかにもちょっと変わっているというオーラをかもし出している
少年が手を上げている。

「何でしょう?」

学園長はにっこりとしながら笑顔で少年を見つめ返した。

「何で僕たち特待生なんですか?」

瞬時にその場の空気に緊張が走り、
学園長はその質問に目を細める。

「やはり気になりますか。」

その言葉に頷かない者はいなかった。
反応を確認してから学園長は長い脚を組みなおす。

その仕草は自分をどうすれば一番美しく見えるかを
計算しつくしたかのような艶やかな動きだった。

「いいでしょう。これからみなさんがなぜ特待生なのかを
お話いたしましょう。」

一息おいてから学園長は唐突に切り出した。

「みなさんは、
人には視えないものを視ることが出来る。
それは自分自身のことですから良くご存知でしょう?」

沈黙がその場を包んだが、なおも学園長は続ける。

「それはとても素晴らしいことなのです。
みなさんは選ばれた者であるということですから。
それゆえこの学園に招待しました。」

「どういうこと?何が目的?」

1人の少女が学園長の威圧に怯むことなく
問いかけた。

「率直に言うなら、
あなたたちにはあなたたちが視えているもの、
・・・妖狐の主になってもらいます。」

「な!?」

先ほどの少女はある程度この言葉の意味を
理解しているかのような反応をする。

しかし小夏にしてみれば妖狐も主も何のことか
少しも分からない。

「どういう・・・ことですか?」

天音も困った顔をして言う。

「先ほどの言葉のとおりです。まぁ・・・分かる人も分からない人
もいるでしょうけど。」

「あたしは、絶対ごめんだから。」

先ほどの少女がそう言って立ち上がり、ドアに向かって歩みだすと
学園長はその背中に投げかけた。

「構いませんよ、嫌ならば。
でもその場合は退学という扱いになります」

「・・・それでも、
それでも。あたしはあんなやつらと関わりたくない。」

最後の言葉の語尾が消えかかりそうになりながらも
少女はなおも強い口調で言った。

「そうですか。・・・仕方ありませんね。」

学園長は残念そうな表情をしてから手を軽く上げ、
ぱちりと指先を鳴らした。

「っ!?」

急に狭い空間を窓も開いてないのに勢いよく風が渦を巻くのが
感じられた次の瞬間

今までそこにいなかった

” それ ”

がそこにしなやかな身体を怒らせて現れた。

「・・・なっ、何?!」

「何だっ・・・こいつ!!」

ひるんだような声があちこちから聞こえる。

一見普通の狐のようにも見えるが、
どこか神々しさを感じさせるその風貌。

白い毛並みは新雪のように柔らかそうで
つやつやと輝いている。

「半ば強引に思われるかもしれませんが、
この学校の威厳にもかかわるので、もしここで私の要求を
断るというならそれなりの対処はいたすつもりです。
覚悟してください。葵、」

葵と呼ばれて狐のように見えるそれはかしこまりましたと
返事をした。

「げっ!狐がしゃべった。」

質問をした少年が軽く後ずさりをしながら言う。

「・・・分かった。俺はあんたの意思に従うよ。」

「考太郎!」

孝太郎と呼ばれた少年は名前を呼んだ少年の方には見向きもせずに
きっと学園長を見据えた。

「怖いからじゃない、ここまで来て浪人なんて
やってられるわけないからな。それなりの優遇はあるんだろ?」

「物分りの良い方ですね。そして賢い。」

学園長は嬉しそうに微笑んだ。

「・・・私も。痛いのは・・・嫌だし、家には帰りたくないから」

天音は怯えた表情でぽつりと言った。

それに続くように質問をした少年も半ば諦めたように
「俺も。」と付け足した。

「律はどうすんだ?」

孝太郎と呼ばれた少年が名前を呼んだ少年に声をかけると
唇をかみ締めていた律という少年も目を伏せ
「分かった。」と呟く。

「いつきさんと小夏さんと洋くんは?」

学園長の痛いほどの視線が三人に向けられた。

「・・・分かった・・・わ。」

先ほど部屋を出ようとした少女が悔しそうに言った。

「僕も。」

ずっと黙っていた気の弱そうな少年が答える。

皆の視線が一斉に小夏に集まる。

「・・・私もそうします。」

張り詰めていた空気が自由に動き出す。
学園長は嬉しそうに手を叩いた。

「皆さん物分りの良い方ばかりで良かったです。
きっと有意義な学園生活が送れることでしょう。」

尾のない主

尾のない主

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-19

Copyrighted
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  1. 1
  2. *憂鬱の次
  3. *特待生たち