短編 雨茶寮

沙久

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「ありがとう。カフェオレを一杯いただきたいんだが」
「かしこまりました」
「あぁあと、サンドイッチはあるかな」
「ございますよ。何を挟みましょうか」
「そうだな…卵とハムが良い」
「かしこまりました。タオルをどうぞ」
「すまないね。急に降り出して、雨宿りなんだ」
「えぇ、構いませんよ。『雨はもてなせ』ですから」
「…初めて聴くな」
「あっ…すいません、私の父の言葉でして」
「ほう。…良いお父様だ。この店はお父様のお店かい?」
「いえ、曽祖父の代からでして。私は4代目でございます」
「随分長いな。…店の名前は、何て言うんだい?」
「『グランシャリオ』と申します」
「…北斗七星か」
「はい、博学でいらっしゃる」
「いやいや、フランス語はむかぁし大学で少し齧った程度だ。役立って良かった」
「何処で役立つか分からない、それが学問や知識の面白い所ですね」
「あぁ、まさに。…あれは…久しぶりに見たな。あのレコードプレーヤー、私も持っていたよ」
「当店現役のプレーヤーです。…ごめんなさい、何か違う曲にしましょうか」
「いや、このままで構わないよ」
「この曲がとても好きなので、ずっとかけてるんです」
「ジャズが好きとは、気が合うな。しかもこんな古いセッションが好きとは」
「ジョン・コルトレーンやビル・エヴァンス、アート・ブレイキーも好きなのですが、私はこの、69年の鴻島 彰吾のセッションが一番好きで。…あまりメディアに出ない方なので、私自身もお顔は存じ上げないのですが、この音を広く知っていただけたら、と思いまして」
「…君は、随分若いのにシッカリしてるな。歳はいくつだ?」
「今年21になります」
「私の孫より若いとは…いやはや」
「お客様とお話させていただくことが、私にとっての勉強ですから」
「…一人で切り盛りをしてるのか?」
「はい」
「ご両親は?」
「別の場所でバーを営んでます。お酒は繊細なので、まだ私には難しくて」
「なるほど…」
「こちら、カフェオレになります」
「…随分フンワリとしてるが」
「カフェ・クレム風でございます。フランスのカフェオレはこうだと本に書いてありましたので、アレンジしてみました」
「…粋な事をされてしまったな。嬉しいよ」
「ありがとうございます」
「はてさて…この雨は、続くかな」
「夜までには弱くなるとラジオでは言っていましたが…。傘、お貸ししましょうか?」
「あぁ、帰る頃にまだ降ってたら借りよう。…店の雰囲気がこんなに良いのに、その、今日は雨だから少ないのかい?」
「平日は毎日こんな感じですね。いかんせん店員は私一人ですので、実際はあまりお客様が多いとちょっと、って感じなんです」
「そうか…。…バイトは雇わないのか?」
「何度か検討した事はあったのですが…」
「…私が決める事ではないんだが…どうだろう、お互いが良ければ1人、心当たりがあるんだが」
「私としてはありがたい事です。こちら、サンドイッチです」
「ありがとう。…こんなに良い所を、空っぽにしておくのは惜しい」
「えぇ、私も…。…」
「どうした?」
「いえ…偏に、私の力及ばない事が、今のここの姿ですから」
「そんな事はない。カフェオレの工夫も、わがままで作ってもらったサンドイッチも、君との会話も、私は一つも不満に思ってないぞ」
「それは…嬉しいです。…やはり、一人だから、でしょうか。外観も、私はとても好きなのですが、古いとか、入りにくいとか、思われているんでしょうか」
「…それが味だと私は思うが…若者受けだけ考えたら、そうかも知れん。だが、若者だけが客じゃない。私みたいな奴も、客だからな」
「…ありがとうございます。…もしかしたら、この自信の無さが、お客様に伝わってしまっているのかも知れませんね」
「その自信は、客が付けてくれるものだからな。…まぁ何にせよ、今客は私一人だ。もっと楽しい話をしよう。…喫茶店で働くのは、ずっと憧れていたのかい?」
「いえ、ホントは…小説家を目指していました」
「小説家?」
「はい。大衆文学を書きたくて」
「それは、あの、ライトノベルとかか?」
「どうでしょう。もしかしたらそういうのも選択肢にあったかも知れません。…ただ、去年の末に、大学は辞めてしまいまして」
「…またどうして」
「…今と、同じです。力不足、才能不足と感じて、そこからは原稿用紙が怖くなってしまって…」
「それほど打ちのめされるような文章に出会った、と」
「…はい。…文字が、美しかったんです。あぁいや、それは印字された文字列だったんですけど」
「言葉以上の美しさが文字に表れていた。…だろう?」
「…その、通りです。…私にはあの美しさを、あんな純粋な若い言葉で綴る事は出来ない。出来たとしても、その時にあの若さがあるか。…そう考えたら…文章どころか、文字すら…。…ごめんなさい、変な話ですよね」
「いや。…まだ、筆は置いていないか」
「時々、メモ書きのように筆を執るくらいです」
「…人は負けるように造られてはいない。人は殺されるかも知れないが、決して負けはしない」
「…ヘミングウェイですね」
「私はこの言葉が大好きなんだ。挫けそうになった時は、心で自分に言い聞かせる。何度も、念仏のようにね」
「…」
「…だが最近、その負けも、時には良い気がしてきたんだ」
「どういう事ですか?」
「百回負けても、一回勝てたら良い、とね。まぁ、何分この歳まで生き長らえて、不意に浮かんだ結論だ。君に合うかどうかは分からないが」
「…百回負けると分かっていても、続けるだけの魅力があれば、勝つ時まで続けられる」
「流石、理解が速いな」
「…あの、失礼ですが、お客様は…?」
「なぁに、ただの老婆心だよ。ジジィだがな」
「…私より頭の柔らかいお爺様ですね」
「ハッハッハ!君は抜かり無いね。…宮沢賢治は、読んだことは?」
「はい、一通り」
「彼は私の恩師だ。会ったことはないが、彼の文章は実に私の心に沁みたんだ」
「…彼の詩は、いつも清いと思います。その分脆くて儚いから、大事に読みたくなります」
「あぁ。…『永訣の朝』は、私の墓に掘ってほしいくらい好きだ」
「妹さんへの愛の詩、ですね」
「私も妹が小さい時に亡くなってね。こう、時々重なるんだ」
「文学が美しいと思える一端ですね」
「そうだな。…実に、その通りだ」
「…雨は、神様の嘯いた、旅人を休ませる最良の口実である。止まり木に二羽の小鳥が寄り添いその頬を擦り合わせるように、旅人達は雨を言い訳にして、空を見上げ、一時語らう。雲が晴れた時、旅人はまた歩き出す。孤独でない一人として、歩き出す」
「…それも初めて聴く。それもお父様の言葉なのか?」
「いえ…恥ずかしながら、私が昔書いた一説です」
「君が?」
「初めて人に褒められたので、忘れられなくて」
「…聞かせてくれて、ありがとう。その頃の気持ちを、忘れちゃいけないよ。…そうだ、これを渡しておこう」
「…お名刺、頂戴させていただきます。…鴻島…彰吾…あの、まさか」
「傘、お借りするよ」
「あ、はい。こちらをどうぞ」
「ありがとう。…今度は…そうだな、カフェモカを飲みに来るよ」
「…はい。お待ちしております」
「お代はここに。お釣りは結構。サンドイッチはこのまま貰っていくよ、美味しいのに残すのは勿体無い。…ご馳走様。また来るよ、マスター」
「…ありがとうございました」

短編 雨茶寮

短編 雨茶寮

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-08-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted