アーモンドフィッシュの思い出

葵上

 わたしがまだほんの小学生だった頃、給食にアーモンドフィッシュが出た。乾燥しきった小魚と味のしないアーモンドを混ぜただけの、簡単なおやつ。あの頃、給食のデザート言えば、瑞々しい果物や、甘すぎるくらいのミルクセーキや、小学生の拳くらいの大きさのシューアイスが人気だった。

アーモンドフィッシュはまずいわけではなかったけど、どうにもはっきりしない、首をひねるような味だった。残す子もいなかったけれど、休んいでる子の分が余っていてもじゃんけんで争奪されることは無かった。なぜ、これがデザートに分類されているのか。それは、子ども心に不思議な食べ物だった。
 
 十七歳のわたしは電車で三十分もかかる進学校に通っていた。優雅に時を刻んできた場所で、かつてはありしお城の門をそのまま校門にしていたり、敷地内に武器庫があったり、お濠の中で亀がのんびりしていたりする、そんな古めかしくも愛らしい学校だった。

制服が可愛いと評判の学校だったけれど、わたしは部活のために毎朝ジャージに着替えて寂れた電車に乗り込んだ。六時には目覚め、誰も起きて来ない食卓で電気も点けずにに朝食をとり、一時間に二本しか電車の来ない駅へ自転車で向かった。

 わたしには兄と姉がいて、二人とも実家を離れて生活していた。姉は大学を終えて社会に出たばかりだったけれど、結婚が近いという話をたびたび兄から聞かされた。姉はバイトと勉強を見事に両立させ、海外留学を経て教員になった。どうしたらあんなに自立した女性になれるのだろうかと、たびたび瞠目した。

兄は隣県の大学生だったけれど、三連休のたびに実家へ戻ってきた。昼は友人と庭でバーべキューをし、夜には別の友人と居酒屋へ出かけた。たまに家で会えば、ビール片手にわたしの恋愛事情をひっくり返そうとした。話せる事は何も無かった。それから、兄は自分の彼女がいかにいい女性であるかを語らった。

いつか帰省した姉に「いかにも頭の悪そうな女の部屋ね」と言われたことがある。少し悔しかったけど、何か言い返そうとは思わなかった。好きだったバンドのポスターや、中学の卒業式で撮った写真や、猫のイラストなんかを散りばめた壁に、もう背の合わなくなった学習机が置かれているだけの部屋だった。

 わたしはまだ、父が福島土産に買ってきれくれた猿らしき何かが取手にマグカップを愛用していたし、ジャージの膝には葡萄のアップリケがあった。毎日欠かさず授業の予習と復習をしてから寝た。たまに眠れない日は、絵本を抱っこして布団に入った。角がすっかり丸くなって、全体的にボロボロになっていた。


そんなわたしに高校の友人たちはみな大人びて見えた。快活で自律的な。話す内容も、歩き方も、持ち物さえも違って見えた。友人のうち、何人かは大学生と付き合っていて、学校が終わるとたびたび車に乗ってどこかに出かけていった。教室の中ではだれとだれが「やったらしい」なんて会話が飛び交っていた。

そんな友人に呼ばれて、大人びたカフェで大学生と話をすることが何度かあった。みな、わたしにいろいろなことを聞いてくれた。好きな音楽は、休みの日は何をしているの、どんなところに住んでいるの。そのたびにわたしは返答に窮した。兄姉ことが頭をかすめた。あの二人もこんなことをしていたのだろうか。

わたしは何を聞かれても、うーん、とか、特には、とか、そんな返事しか出来なかった。話しかけた男の人が、ああ失敗したな、という顔をして、ちょっとすると、他の女の子に話しかけた。わたしも、笑顔と相槌だけでその輪に入った。アーモンドフィッシュ。いたたまれなくなると、いつもそれが頭に思い浮かんだ。

一度だけ、大学生とデートに行ったことがある。山の上の湖を見に。彼とても優しい目をしていた。思い返せばそう分かるのだけど、あの日のわたしはそうでは無かった。ただ、処女だなんて面倒なものを早く捨て去りたいだけの十六歳だった。彼がわたしのその見た目を気に入ってる事だけは何故かよくわかっていた。

うだるように暑い日で、待ち合わせの駅についた時から汗が止まらなかった。タータンチェックのワンピースが手や足に張り付いた。わたしは精一杯おしゃれだと思う服装を選んだつもりだったけれど、それどころではない暑さだった。結局、彼は道に迷ったとかで約束の時間に二十分遅れてやってきた。

それからわたしたちは黒板みたいな色をしたセダンで湖を目指した。彼の車は、廃車寸前のそれを無理やり車検だけ通したもので、古い匂いと埃っぽさがひどかった。クーラーはあまり効かず、その上彼がタバコまで吸うものだから、仕方なく窓を開けて走った。それでも暑くて、二人してダラダラと汗をかいた。

彼は性懲りも無く質問をした。わたしも、また何も言えなかった。受け答えの途中で、持ってきたハンカチにあの葡萄がついている事に気がついて、それからは仕方なく手で汗を拭った。あまりに会話が続かなくて、彼が一方的に話すようになり、最後はラジオの声だけになった。窓の外の雑音と、たまにこちらを見やる彼の視線が心地よかった。

湖に近づくにつれ、空がだんだんと黒くなっていっき、ついに激しい雨になった。窓を閉めるよりなかった。しばらくして彼が「どうする?」と聞いてきた。気が付けば彼の目は随分と小さくなっていた。Uターンして欲しいと伝え、窓の外を見た。帰り道は、車を打つ雨の音でラジオの声さえ聞こえなかった。

あれから十年。わたしは地元を離れ、大学も卒業し、全く違う男の人と結婚をした。あの日のような高揚感もないままに。たまに、わざと言ってみることがある。わたし、高校二年の時、初めてドライブデートに行ったのよ。
でもそれは、口に出した瞬間に、わたしが伝えたかった事とは全く違うものになってしまう。

ただ、暑くて、つまらなくて、何もうまくいかなくて。そんな夏を過ごした、十六歳の夏。
『アーモンドフィッシュの思い出』作:葵上

アーモンドフィッシュの思い出

アーモンドフィッシュの思い出

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-14

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