空渡りは狐の世渡り

空渡りは狐の世渡り

今からおよそ九百年前……。
日本は内乱や飢饉に辻風やらで世が乱れていた。
目の前には死があふれかえるのは当たり前だった。
それでも明日を生きるため、何としてでも今日を生きなければならなかった。

それは人間たちだけの問題ではなかった。
そのすぐ近くに、人間には決して見えない場所に「管狐」という"力"を持った狐たちの村がありました。
その地は人間の地と違い、風が吹けば草や花が揺れ、芳しい匂いが漂っていました。
そして彼らはいつも温かく穏やかでした。

けれども、食糧がたんまりあったという訳ではありませんでした。
戦は人間だけでなく、そのほかの生きとし生きるもの全てを巻き込んだのでした。

「化けるとは如何に相手を騙し、欺くこと……」

生きるため、人はあるものは盗人や悪党に変わる。そして、大切なものを守るために。
生きるため、狐はその身を変え人間どもを欺く。そして、己や仲間や家族を守るために……。

 

プロローグ

はるか昔のこと。
人間たちがこの時代のことを「かまくら」だとか「むろまち」だとか呼んでいる時、何の目的があるのか、同じ生き物なのに互いを切り付け、傷付け合い、はたまた食べる物が無くなって飢え死んでゆく嫌な時代。
 当時、「ちょうてい」と人間が言っていた大きな建て物のちょっと離れたところに、人間が知ることのない、緑がいっぱいに広がる長閑な平原がありました。そよ風が吹き抜ける度に地に生える草花はその体を流るるままに揺れ動き、その芳しい匂いを放っている。その香はすぐ側にある小さな集落へと運ばれてゆく。
 しかし、人間にはこの匂いも美しさも気付くことは決してありません。
 では今、そんな事を知ってて話している君は誰かって?
ふふふっ。それはね……。

第一章 戦乱と狐の村

1.

 こんなご時世だと言うのに天気はのほほんと晴れている。村の中にいわゆる青空学校っていうのがあるのだが、今日はオラの師匠(弟子入りした覚えはないけど、なんだかんだとよく一緒にいるから)が先生をしていた。
「せやからオイラ達、管狐にとって大事なんは、要はいかに他人を騙し、相手を欺くかや」
 いつもと変わらない、まったりとした関西弁でおっちゃんきつねが話す。常に優しく……というより能天気に喋る。これでよく先生を任せられるなあっとよくオラは思ってしまう。
 ところで「管狐って何?」と言う人間もいるだろう。管狐とは簡単に言うと「力」を持った細長いきつねのことだ。人間よりすごく長生きする者もいる。文字通り「管」のように細くて長い。あとオラたちの村の者は兎のように耳は長い。人間より長く生き続ける妖。
 いつ誰の人間が決め付けたのかは知らないけれど、貂は9化け、狸は8化け、狐は7化けと化ける上手さに差があると言われているらしい。
管狐には呼び名が他にもある。「飯縄」(いづなと言う)とか表記されているようだ。
 それなのに人間とかによく化けたり、見つかったりしたら必ず「化け狐!」って言われてしまうけれど、違いないか。
 さてさて、黄色い毛がよごれ毛並みがボサボサで太り気味のおっちゃん先生の話は続く。
「化けるんは管狐にとって基礎中の基礎やねんで。姿だけやない。声も喋り方もぜーんぶ化けんとあかんのや。男も女も種類もなんも関係あらへん。さっきはタヌキとかイヌとか人間の若いサムライってゆーやつに化けたやろ?」
狐は7化けと言われているが彼の場合は別格だと思った。とにかく化けるのに関しては一流なのだ。頭の先から手足の先まで物の見事に変わってしまう。貂や狸なんかに全く劣っていない。
おっちゃんきつね――オラはいつも親びん(親分)と呼んでいる――は前説のようにそこまでいうと、「はいっ」と小さな白っぽいきつねがその小さな手を目一杯びしっとあげた。「ん? 樹(いつき)か、何でもゆーてみぃ?」
「僕、背が小さいし、化けても尻尾とか目とか管狐の名残が出ちゃうんですけれど、どうしたらいいですか?」
「あたしも」
「オレもだ」
「私も」
「ぼくもぼくもっ。先生教えてください」
様々な声が挙がった。
若い管狐がよくしてしまう失敗だ。
――オラもこの前までよくそんな事あったっけ……。
名残を消すのはお決まりだなと思われがちだが、実際やってみると本当に難しい。なかなか上手く行かない。寺子屋にいそうな人間の少年に度々化けるオラは今でも目がどうしても「ん? よく見るときつねみたい」と言われる。どうやら丸い目が少し釣り上がって、瞳も名残が消え切っていないらしい。どうすればいいのだろうか。
 樹が目を輝かせて真剣に指導者の顔を見つめる。その隣にいる兄妹の水(もとり)もその他のきつね達と樹と同じようにその目をきらきらさせる。
「大丈夫、大丈夫。さっきから見ての通り背も大きさもなんも関係あらへん。細くても太っててもなんも心配あらへん。上手くなりたい?」
「はい!」一斉にきつね達が声を上げる。
「そりゃあ答えは一つや」
「はいっ」
みんなの身体に力が入る。
彼だけでなくそこにいるほかのきつね達も更に熱が入ってまじまじと聴き入る。
「そりゃぁ、答えは一つや。何事も練習、やろ?」水を始め全員小さな頭をがくんとさせた。
そんなことは余所に親びんはバカ笑いする。
「そんな当たり前やで。近道なんて無いで。ずるい事考えたらあかんで。オイラだってちゃんと出来るよぅになったんは20、30年かかってんで、色んなんに化けんの」
「……はい」
親びんはちょっとかかり過ぎかも知れない。それでも化けの美しさはピカイチだ。
水らはそんなにもかかるのかと少し驚きつつ「分かった」というような素振を見せた。でも、ちょっと不服そうな顔であった。
「そんなしょげた顔せんでもええって。誰かって難しんやから。」
 なぜなら――……
「そんじゃあ、久しぶりにオイラが先生やし、ええお手本見せたるさかい」
 にやにやとうれしそうな顔をして、先程よりも明朗に話しているのが分かる。
そしてオラはそれだけで分かった。
じたばたと身振り手振りして止めようとする。
「親びん!! ありゃぁ、この場でやっちゃていいんですかい……だって小さいき
つねもいるのに――」
「銀次ゆーたらあかん! ネタバレは禁止や!」
「ですけどっ」
 いつもの流れだ。止めようとしても言い出したら聞かない。たいてい親分は真面目な事をしないのだ。
「真面目ちゃう真面目ちゃうって。オイラはいつも真面目やん? そこまで心配するようなんじゃあらへんやろ? それになぁ、オイラの十八番やし、一番手本になるねん」
「『ねん』って……。いやオラがいたたまれない気持ちになるんですっ」
「……まあ、ええわ」
「ちょ、ちょっと!」
「ほな、よう見ときや。人間に化けんのんはこうするんやぁ。いーち、にぃのさ
んっ!」
ぽっくん。
その瞬間はじけるような音がして気が付くといつの間にか彼の姿は消えていた。
その代わりに彼ではなく若い"人間の女"が立っていた。
 その女は肌に艶があり、唇は朱く、長い髪は雅やかで、そして容姿は小柄ながらも誰がみな引き寄せるようか美貌と妖しさを持っていた。どんな者でも虜にする。誘惑する。取り込む。そんな得体のしれないものを持った姿。それらはきつねの目から見ても美しいというのが判る。
 女は目前のきつね達に色気付いた仕種をし、袂で口許を隠して言う。
「こんにちは。よろしうおねがいします、かわいい狐さんたち」
「おおぉ!!」と幼いきつねも、若いきつね達は一斉に尊敬と感激の眼差しを彼女(?)に送った。
顔も姿も気品があり、そして声までも奇麗に師匠は化けて見せた。
人間でいう"姫"というのによく居そうな娘であった。
一方、少し離れた所に居る大人で雄のきつね達は、「げへへ…」と口許や鼻の下を伸ばし、その切れ長目を更に細くして、人間なのに関わらずすっかり酔いしれていた。
これは子供達の前では教育上よろしくない。それほど完成度が高かった。なのに、
「どうです? お茶をお入れ致ししましょうか?」気付かない振りをする師匠。
「わああ、すごいや!」扇ぎ立てる子供達。
「御料理、お作り致しましょうか?」更に調子に乗る先生。
「もっと、もっと他に何か言って見せてください!」
「それとも御風呂にしましょうか?」
今度は風呂焚きの侍女に化けて見せる親分。
「ヒューっ」ついに口笛を吹く大人まで出てきた。
「いいぞ! 良いぞ! 親分!」
「もう一丁!」
勢いを衰えるどころか乗っかる親分。
「それともォ」
大人きつねの視線が妙に熱い。
子供達も尊敬やら羨ましいさやらと様々な空間を漂わせる。
青空学校に妙な一体が生まれた。
「うふっ」
草を揺する風が一瞬止まった。
親分の妖煙が上がる。その中からゆっくりと姿を現したのは……
「それとも、こ・の・わ・た――」
「言わしやせんぜ親びん!! もう止めてくだせぇー!」
折角新しく変化しようとしたのに、と親分が初めに化けた女の姿に戻った。
あともう少しというところで少年きつねの声が遮った。
ええ?っという顔が広場内に広がった。無論大半は大人の雄きつねからである。
「なんやねんいきなりぃ」まったりした女の声が応えた。
「ナニをやってるんですか!?」
弁えととどまることを知らない親分についに見兼ねて銀次が叫んだ。
「なにって、もちろん授業やん。銀ちゃん見てわからへんのん?」
「そうじゃなくって。第一、子供の前でですよッ。もっと周囲を見てくだせぇ。しかも親びん全くイイ年してッ。それでも何歳なんですか?」
「たしか341歳やけど」人間の年で言うと48歳くらいだ。
「真面目に答えてどうするんっすかッ。というか人間だったらその歳でその美貌はないですって!」
「だって」
低くくてまったりと穏やかなおっちゃんの声が言う。
「生きてるもんはみな何かに夢持たなあかんやろ?」
「やろ? じゃないですよ。人間の女に夢持ってどうするですかッ。」
人間達は戦乱に飢饉や辻風やらで最悪のご時世だと言うのに。
だからこそ夢や希望は持つべきかもしれないけれども……。
「ええやん、最初の姿で服装だけちょっと豪華なんにしようと思っただけやん。ちゃんと考えてんで?」
「あとその恰好でその声で喋らないでください! 美少女の顔と容姿からその低いおっちゃんの声は不愉快です」
「でも、おもろいやろ?」
「面白いじゃなくて、変!」
「じゃあ、樹に訊くけどオイラの今のやり取り見てどう?」
「話を逸らさないでくだせぇ!」
「今、樹に訊いてんねん。なぁどう?」
「………………無理」
「なんでやねん。樹それでも子供かぁ」
「あなたが全然大人のように見えないんですって」
「じゃあ、幼い水は飛ばして」
「せんせいひどいィ」
 仮にも先生、そこはちゃんと弁えているんですね……。
 ふと親分は辺り見回す。水の後ろの後ろにいる背が低く青色のかかった毛並みをした銀次と同じくらいの年のきつねに目を向けた。
「そんじゃあ、日雀(ヒガラ)どないや?」
「……ん、あ、すみません。途中から聞いていませんでした。必要のない情報は要らないので。それでなんでしたっけ? 化け学に必要なコト今言ってましたっけ?」
「……」
「相変わらず日雀はしっかりしてますね、親びん?」
「どうも」日雀がまんざらでもなさそうに会釈した。
はぁと親分は溜息を吐いた。
「ノリは空気読むのと同じくらい大切やのにぃ」
授業が可笑しな流れになってきた。このままだと不味い。
親分は暫く下を見詰め自分の不埒な行いに反省した、かと思うとポンと手を叩き、性懲りもなく何かを言わんとする。
「せや。冗談は場を和ますのにちょうどええねんでー。たとえば……」
ぽっくんっ。
女はいつの間にか消え失せ、その代わりに毛並みがごわついて太ったきつねのおっちゃんが立っていた。
それを見てつまらなく思ったのか、授業が何の前触れもなく終わってしまったのかと思った広場はがやがやと騒がしくなった。
「たとえばなぁ……。うん、じゃあ」
「先生。いきなり化けるのを止めて、次は一体何をするですか?」端っこにいる
一番幼いであろう仔きつねがすっかり親分に懐き、そのつぶらな瞳を輝かせて訊
いた。
「このえげつない空気穏和にすんねん」
「えげつないって?」
「どうやって?」再び子きつねが訊いた。
親分はごほんとわざとらしく咳ばらいした。
「――あっまさか……」
オラは思い出したかのように呟いた。
そしておっちゃんの先生は大声で叫んだ。
「オオカミが習字しててこうい言うた、おお!紙、がない!!」

…………………………………。

一瞬、時が止まったかのように、場の空気も風も凍り付いた気がした。
何を言ったのか反応できず、他のきつね達は口をあんぐりと開けたまま、目が点となり静止した
「寒っ!」
オラは身を震わせた。
「せぇんせい……いきなりどうちぃたの?」水も意味を理解できず何をしたらいいのやらと困惑する。
――しかし、親分は……
「……プフッ。ガッハハハハハハハ!」
そんな事はお構いなしに一疋だけ突然バカ笑いした。
「――っだってさ……ガッハハハハ!」
「なに一疋で大笑いしてるんでやすか! ちっちゃい子だって、みんな笑ってはいませんぜ……」
「ええねん、ええねん。みんながそれで楽しく笑ろうてたら」
「笑ってないです」
「銀ちゃん、居るやん此処に一疋。……おばちゃんが親父ギャグのドツボに嵌まってオーバッチャン! ……ってオイラ男やった…プハハハハ」
「また笑うんかぃ!」
オラのツッコミに益々笑い出す親分。
「ほな、女にちょっと化けたろか?」
ぽっくん。
下町の旅館に居そうな足のガクガクした人間のよぼよぼの老婆に化けて見せた。
「あかん、後ろ脚だけで立つん、目茶苦茶キツなったわ……あかん、あかん、あかん」
「何がしたいんですかっ」
「あかんわ」
結局、辛かったらしくすぐに元に戻った。それから頭を掻きつつ毛並みを整えた。
「よっしゃ! 次は女の芸者さんにでも」
「もういいです」
「ええやん」
「ねぇドツボってなあに?」
後ろ足で立って、小さな鼻をひくひくさせて訊く子供。金(コガネ)は好奇心旺盛なのだ。
「ツボならオラは知っているけどなぁ」
「ウツボ? 魚の奴やんなぁ。飛び込んだ海にウツボおるんかいな? 日本海におっバッチャン! ガッハハハハハハハ!」
そう言って何故か顔だけをウツボに化けて見せる親分。
「うるさい」日雀が不機嫌な顔をした。
それにしてもウツボの頭に狐の体。
逆に一部だけを自在に変化させるのは難しいのだが親分はそれで弄んでいる。
力量はある。しかし……、
「せんせい、きしょくわるい?ぃ」
子供は正直だ。
がくっと親分は頭(コウベ)を垂れた。
「先生はなんであんなに笑ってるの?」
「あの水、訊かない方がいい……」
「なんでぇ?」
「銀ちゃん見て。ウ゛っツボ。なあ?」
急に声を掛けられてついオラは彼の顔を見た。
「顔だけ富士壺は止めてくださいッ」
「しかもでかいねんで」
「悪趣味です」
なんで顔だけなんですか。しかも海の産物ばかり。
「なぁ銀ちゃん、今度は盛りだくさん」
「……」
咄嗟に両手で口を押さえた。吐きそうになった。
親分も何かが気に入らなかったのか、すぐに変化を解いた。
「銀次さん、先生ってある意味すごいですね……」樹が頭を掻きながら感心していた。
「うん……でも複雑」
「そうですね」樹は気弱そうに笑って相槌を打った。
「話を戻しますけれど、親びんソレ語呂合わなさ過ぎでしょ。おばちゃんが嵌まってオーバッチャンって」
自分で言い返して起きながらやはり寒かった。
(何を言っているんだろう自分。なんで蒸し返したんだ?)

冷えた風が流れる。少し冷静になる。もうすぐ秋が来るのだと気付かされる。
実りの秋。ああ、でも実るものが殆どないのだっけ。管狐の村はまだゆとりが残っている。
けれど、食糧がたくさんあるというわけではない。人間はもっと大変だろうに。
この地はまだ長閑だ。太陽の光をいっぱい吸った香ばしい草の香りが風と共に運ばれる。
(それよりどうしよう! この空気!)
突発的に言った自分の言葉でまた妙な雰囲気が流れ始めた。
しかしその静寂を切り裂くかのように声が響く。
「ガッハハハハハハハ!」
今度は腹を抱え笑い転げ出した。
人間齢48歳。……還暦間近。
そのはしたなさに居たたまれなくなったが、少し感謝した自分が居た。

変わらないな。

昔から心遣いは欠かすことはなかった。どんなにふざけていても誰かを悲しませるようなことは見た事がなかった。が、今日の授業を見返してみると、オラが幼い時にも当日若かった親分が臨時で先生をしていたことがあったが、その時以上に非道くなっていた。
どこか抜けててどこかしっかりしている。
風変わりな先生だけど「なぜかキライになれないな」と思ってしまう。

けれど、どんなに才能があっても、流石にここまで醜態を晒してしまうと、もはや威厳の欠片も見えない師匠は分別のある受講者からは冷ややかな目で見られていた。途中去って行く者もいた。中には母親か父親かはたまた兄姉に引っ張られ無理矢理帰らされる者まで出て来た。それでも尚、器が大きいのか、鈍感なのか、わざとなのかは知らないが本当は相変わらずニコニコ笑っている。
「だから見るに見かねないって言ったんですっ。見てるこっちが恥ずかしいんデ
ス!」
「……てあま――って、とおばちゃんがドツボに嵌まってオーバッチャン! やで? ……プフっ…プッハハハハハハハハハハハ!! ……ゴホンッゴホンッゲホエホンッ――!」
笑い過ぎてむせ出す親分。
「……ハァ……」
溜息をつく若輩者の銀次。
「ふぅー、えらいむせてもうたわぁ。アレ? どうしたん、みんなきょとんっと
して?」
 このきつねは子供の純粋さを汚すなあ……。
「親びんの所為でしょッ」
「せやった…ガッハハハハ」
……年上じゃあなければボコボコに殴りたいと思った。
 他の大人達は主に母親以外は仕事や家に戻り始めた。草の芳しい匂いが鼻孔を擽る中、子供や若者らの中にはこそこそと話しをするものもいたり、先生の話しだからと意味が分からないことを言っててもじっと始めから真剣に聞いている者も多くいたりした。そのもっと遠くの少し大きな稾の家から長老がずっとこっちを見て微笑んでいた。
「せんせい、さっきから言ってる言葉に意味はあるんですか?」
小さな女の子が訊いてきた。
「ないない。むしろ、くだらなくて役に立たないよ」
オラは優しく教えた。そしてそのままじぃっと親びんの顔を白い目で見てやった。まだこんなにも小さい子供に変な言葉を吹き込まないでくださいよと。
 親分が先生の目で辺りを見回した。見れば殆どが親分と銀次とよく話している者や彼の授業を始めて聞く子供がばかりだった。


 

2.

「えらい人数少なくなってしもうたなぁ。さてと、残っている子達には折角やし、ちょっと真面目な話しようか」
さっきから立ってばかりいた親分が座った。
それに合わせて他に立っていた者も座り出した。
「この際や、なんか訊きたい事ある?」
唐突に言われて誰も手を上げれなかった。化ける事以外で聞きたいこと……。みんなが考えている間その周りでがやがやしている音だけが響いた。続く沈黙。と、その中から一疋がすーっと手を挙げた。
「先生」
「お、なんや?」
日雀が相変わらずの表情の読み取りにくい顔で訊いてきた。
「以前から疑問だったのですが、俺ら、管狐の村は外界である人間の世からは見えないから見つけられ無いんですよね。何故ですか?」
「お、日雀良(え)え質問やな」
先生はほんの数秒間考え事をするかのように少し黙って、それからにっこり微笑して諭すように答えた。
「この村にはな、護り神が居んねん。と言(ゆ)うても本真もんの神さん違(ちゃ)
うけどな。この村のあっちこっちに祠(ホコラ)があるやろ?」
彼は見回しながら弧を描くように指を指していった。
「あれら祠にその力が宿ってるんや。だから丁寧に扱わなあかんで」
「はーい」と子供達が返事した。彼は「せやせや」と頷きながら聞いていた。
「わかりました」日雀が言った。
「他に質問はないかいな?」先生は腰を低くして訊いた。
はーいと一人の若者が手を挙げる。
「めずらしいな、今度は木葉(コノハ)か、よっしゃ言うてみぃ?」
いつもは口数の少ない彼女であるが、流暢な喋りで質問した。
「管狐は自分達の姿を別のモノに変えたりしますが、その他にも、例えばその変の石ころをお金に変えたり出来ると聞いた事があります。私も実際に何度もしようとしたのですが、どうすれば出来ますか?」
「そうか、わかった木葉。せやな、みんなもちょっと誤解している所がありそうやから、ちゃんと説明しとくで」
「ええ。でも、『誤解』ですか……」
「そう。どこの誰かは知らへんけどな、人間のお伽話とか民話とかが生んだ作り話がそうゆうちょっと違う、空言(ウソ)が運ばれたんやろう」
「空言……ですか? あの何が間違っているのですか」
「木葉のさっき言うた『石ころをお金に変える』ってこと。それはつまり『ただの石』から『鉄』や『金』や『紙』に変えるってことやろ? それ、狐でも狸でも貂でも無理やねん」
「えっ!」
日雀と同じようにあまり顔に表情を出さない木葉がかなり驚いた。
「私、凄く練習していたのに、不可能なんて」
「それは遥か遠い遠い地の『錬金術』って奴やないかな? 昔、遠い場所の妖(アヤカシ)の古い友人に聞いたわ。『異なる物体から違う物に変える』のと『姿』を変えるんはちょっと違う。似ているところもあるけど」
「……そう、だったのですか……」
木葉がぼそりと呟いた。そして、その話を聞いた他の狐達も残念そうにした。
「けど、木葉もみんなも、話はまだ続くで。そんなきょとんとせんと。似たような物体や使われてる物が同じ物なら、そりゃあ技術や知識は要るけれど、変えるん出来んで?」
「ええ! やっぱり」木葉が物凄く驚いた。
「ちょっと聞いてて頭混乱して矛盾してるんじゃないかと思うかもかもしれへんけどな……。例えば、銀次、人間が使ことる『刀』という武器は元は何で出来とる?」
「えっあっ」
いきなり言われて焦った。
「主に『鉄』という鉱石です」
「そうそう『鉄』な。その鉄を含んだ石をいくらか集めて、形や物の作り方さえ知ってれば『刀』に変えられるねんで。まあ、あと『火』が要るかな」
 そこまで言い終えると彼は深く呼吸をした。真面目な話はやはり苦手らしい。
オラは樹など小さな子供らを見た。難しくて話に上手くついてない様子だった。
ふと視線を外すと先程から授業を監督している長が親分に向かって手招きしていた。彼は全く気付いていなかったし、話もまだしていたから、いつも彼の付き添いであるオラが代わりに行った。さっきのあんな不真面目な授業は良かったのですかと長に言ってみたけれど彼はいいのじゃいいのじゃと穏やかに言っていた。
 さっきまでいた場所の中で樹が立って喋っていた。
「では、こういう事ですね。宝石や金はそれを持った石からなら変えられる、紙なら主に木で変えられる、こういう事ですか」
「そうや日雀、相変わらず物分かりがええなあ……。だから、間違いを知らんかったらいつまでも出来ない訳や。知ればみんなもできるんや」
「ほんとう!?」
「そうなんですか!」
「僕にもできます?」
「おぅ、できるできる! かんなり練習しなあかんけどな。それにさっきも言うたけど沢山知識が要る。『宝石』や『紙』ならできるかもなあ。でも、ただ変化させただけの『刀』や『彫刻』は技術の結集やから簡単には出来ひんなぁ……本当の作り方とか知る必要があるから、こういうのはもっと大きゅうなってからやな。それに創っても、人間からはちゃんとモノとして見てもらえへんやろうし。あと『お金』もな。偽物ってばれてしまうから。危険な目に遭うかもしれへんし」
「キケンなことって?」
「人間に何か痛い目に遭わされたり、殺されるかもしれへん。私鋳銭って言う悪銭(質の悪い硬貨)も出回っているけどな」
 幕府が急激に外の国と貿易をし始めたため、それに応じて更にお金が出回った。しかし、その急な変化に貨幣の量は追いつかず「私鋳銭」という幕府に無断で作った粗悪な貨幣(いわゆる偽金)が市場に沢山出回った。しかし、その量の多さに幕府は処罰しきれず、本当の銭貨より価値の低い硬貨であると条件にし、やむを得なくそのお金を使うことを許した、と言うらしい。先生は「でもなぁ」と話しを続けた。
「それ以外なら、『紙』とかなら出来るはず。『お金』と似たようなものだけど使うだけなら支障ないやろうし。人間からすれば出来栄えわるくても高価なもんやけど。そんなもんかな。で、誤解とけた?」
「ご丁寧にありがとうございます」木葉がお礼を言った。それに続くかのようにそれぞれにみんな礼を言った。その中からまた声が挙がる。
「けど、せんせいは何にも持っていないのにさっき変化した時、着物とか着ていましたよね……。どうして?」好奇心が多い水が訊いた。
「水それ訊くんかぁ……。それはなぁ………………秘密」
「えぇどうしてなの?」
「そ、その方がかっこいいいからや」
「うーん、ケチだなぁ」
「ケチってなんやねん。どこで覚えたんやそのコトバ?」
「ヒミツ」
「なんでや」
「だってその方がかっこいいんでしょ?」
「……っ」
小さな子供に言い返せず負ける大人。
―――いつの間にか一度去ったはずの数名のきつね達が興味を持ったらしく再び少し離れた所で聞いてた。きつねは耳が良いから離れていても音や声がよく聞こえる。
「ついでに言うと、その空言を踏まえた狐とかが人間を莫迦にして嫌がらせするという話は……フザケは実際にあったんやろうけれど、下手こいたどっかの狐か狸の変化する姿の見た人間が創った作り話や。こんな時代や。滑稽で面白い話がなければ人間は真っ直ぐ歩けへんのやろうな。」
彼はそう言って立ち上がり、毛にくっ付いた泥やら落ち葉やらを払い落した。
「よし、次で今日は最後や。もう一つなにか質問ある?」
はいと一疋だけ素早く手を挙げた。
日雀だった。
「よっしゃ、さいご日雀言ってみぃ」
「再び初めの話に逢着するのですが、この外では人間達が何かに争って飢饉も起きて、食糧も本来ならこの村も皆が暮らせるほど豊かでないはずですよね。なのに、此処の村は、いや、特別な力を持った動物の土地は人間の地に比べて随分と豊かだ。大人は誰も教えてくれません。何故ですか?」
「長にも訊いてみたんか?」
「はい」
「よし、じゃあオイラが教えてあげよう」
「本当ですか!?」
日雀が今日一番の嬉しさを顔に出した。先生は暗い顔もちで話し出す。
「それはな、大人のきつね達がなあ、みんなが寝静まった深い夜の中。こっそり提灯を持ち出し外に出るんや。そんで、祠の周りを囲んで、血眼になりながら、『この村を御救い下さい、この村を御救い下さい!』ってそりゃあ神妙な想いになりながら、手に釘と藁で作った人形持って、『これでもか!!』というほど人形に釘を打ちつけてお祈りの儀式をも毎晩毎晩繰り返しているんや……そうあんたらのおかあさんもおとうさんも毎晩毎晩コンコンコン、人間なんか呪ってコンコンコン、私たちの村だけをシアワセにコンコンコン……コンコンコン……フフフハハハハハハ!! ってなぁ……」
「うわあーんこわいよぉ!」幼いきつねがベソをかきながら悲鳴を上げた。
「それ丑の刻参りじゃないですか!」
「幸せにすんでぇー」
「呪いで幸せに出来ればこの世の中は平和ですよ」
「なんや、ノリ悪いなぁ。銀ちゃんやったらズゴンっとツッコんでくれんのに」
「……銀次さんの苦労が少しわかった気がします」
「おもろないなぁ」
 親分がそう言うと日雀は溜息をついた。あんな小さい子供まで泣かせて何をしたいのだろうこの方はと言いそうになったが、樹も妹も含めてその子らの面倒を見ていたから諦めた。
「うそつき」
そう言ってやれやれと日雀は自分の家に帰って行った。
「おーい、もう帰るんか。まだちゃんと終わってへんのに……。本当かどうかも知らへんのに決め付けたらあかんねんでー。本真かもしれへんやん。せやなぁ、銀次? ……って、あれ? 樹、銀ちゃんは?」
「さっき向こうに行って―――」
「オラが居ない隙にナニ子供たちを泣かせてるんですかい! 日雀も帰っちゃうし。何言っていたんですか?」
「おった銀次! 何って村のこと。どこ行ってたん? 」
「どうやったら『丑の刻参り』っていう言葉が出るんですか! 子供は何故か泣かせているし。はぁ、ホントにもう……」
 世話が焼ける。
 そんなオラの気持ちを余所に親分は「おおこれやこれや。このツッコミや」だとか一疋訳のわからないことを言っていた。
「それよりも親びん。長老がさっき呼んでいましたぜ。手招きしていても親びん全然気付かないもんだから、オラが代わりに」
「なんて言うてはった?」
「今後の見通しについて話し合いたいから、あとで長老の家に来てくれって」
「おっ、そうか」
 分かったと言って、そして何やらぼそりと呟いて安堵していた。
「銀次ありがとう。よし、今日は切りがいいし授業終わりにしよか。泣かしてごめんなぁ。それじゃ、挨拶するからみんな立って」
 先生が号令をかけると皆立って「ありがとうございました」と礼をして解散して行った。
こわがってまだ帰ろうとしない子供達は親分が微笑みながら「大丈夫、大丈夫」と優しく頭を撫でてなだめた。それから青年の何人かに礼を言って「それじゃあ、長老の所に行って来るから、木材とか筆とか後片付け頼むな」とオラと樹に言い残して去って行った。



「なんだか、嵐のような時間でしたね……」
「そうだね」
あたたかい午後の日射しが草原と2疋を照らす。もうすぐ夕暮れになる空はまだ東は随分と紺碧色をしているのに、西の空はほんの少し黄色帯びていた。
―――空はおだやかで優しい色をしているのに……。
どこからともなく夕方の虫の聲も聞こえ始めて来る。
親分に頼まれたオラと樹は使ってあっちこっちに散らばったものを片づけ始めた。

 


 

3.

 銀次らの住まう村には小数の管狐の藁屋があるのだが、内一つは少しだけ離れた所にあり、それだけが他と比べ大きな住まいとなっている。
彼はその家へと向かった。
(銀次はああ言っていたけど、あの狐本真は抜目がないから自分のさっきの授業の事凄く叱るんだろうか)
彼は少しびくびくしていた。子供を泣かせてしまい、自分を含め大人達の悪態を晒してしまったのだから。
(度が過ぎたかもしれんなぁ、ウケは良かったけど)
そう思いながらも太り気味の身体でのっそりとその中へ入って行った。


「村長先程はどうも。オイラ、気が付かなくて」
彼が入ると既に長はお茶を二疋分用意して座っていた。長はその片方を手に取りまだ熱いその茶を飲んだ。そしてほぉーと言うと「お疲れさま。ほら、こちらに座りなさい。お茶もあるから遠慮せずに」とゆっくりとした口調で言った。
「どうも、おおきに」と言って彼は座った。
「緑茶や麦茶でなくてすまんのぉ。時勢が時勢だけになぁ……。これはたんぽぽ茶なんじゃが、やはり茶は手作りに限るわい」
 どうも化かして作ったものはやはり偽物であるが故に本物より劣ってしまうからのうと年下の彼の目を見、茶を啜りながら言った。
長はどうも昔から自分の手で作れるものはそうやって作るのにこだわりがあった。今の2疋が飲んでいるこのたんぽぽ茶というのは、たんぽぽの根を乾燥させて火で炒ったものを煎じた茶であるが、長は村でわざわざ採ってきて自分で一からちゃんと作っていた。その辺の草や木から変化させて作れば簡単にお茶はできるのだが、長はやはり詐欺のようなやり方は好かなかった。
「うん、おいしいです」彼は正直に感想を言った。
長はほっほっほっと笑いながら「それは良かった」と嬉しそうに言った。
長は手に持った湯呑を静かに机に置いた。
「ところで、犹仁(ユウジン)」
犹仁というのは彼の呼び名である。
「お前さんに話したい事があって来てもらったのだが……」
「はい……」犹仁はすこし緊張した。

空渡りは狐の世渡り

日本史を高校生の時に専攻して思ったことがあった。
教科書を開くと穏やかにその当時の様子が過ぎてゆく。
当時の文化や遺産が資料集に鮮やかに乗っている。
お高い貴族や豪商の裕福そうな生活。

けれど、庶民はどうだったのだろうか。

飢饉。飢饉。打ちこわし。内乱。戦。権力争い。巻き込まれる。貧しい。
裕福な貴族。食べるものがない。食べればまた吐きまた食らう貴族。
米がない。需要が上がれば米は高く売れる。金がない。買えない。
また誰かが何処かで息絶える。ありふれたし死。身分。盗人。罪人。悪党。飢饉。飢饉……。

実際は教科書のようにそんな安易な時代ではなかっただろう。
中には身を投げ打ってその手を差し伸ばす者もいたようである。
都が京にあるためそこに大勢の人が集まった。
が、そのあまりにも多くの人々の山に物資が足りず行き渡らなかったり、物資の搬送の途中に賊に食糧を奪われたり。

すべては今日明日明後日、そして未来を生きるため。

フザケたタッチが多い作品ですが、ほんの少しでも教科書から抜け落ちたメッセージを伝えられたらと思います。

空渡りは狐の世渡り

鎌倉から室町時代にかけたちょっと古いお話。 現代風のタッチで描き、コメディー好きの著者が描く物語。 妖(アヤカシ)である「管狐」が登場するお話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-02-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 第一章 戦乱と狐の村
  3. 2.
  4. 3.