The green-eyed monster (1)

「君が……ジツ君?」
 初めて小木野家を訪れたあの日、樹春は彼にそう声をかけた。中庭で水やりをしていた彼は、樹春を一瞥するとそのまま何も無かったように自身の手で植えた植物達に向き直った。
「ああ、待って! 怪しい者じゃないんだ、その。新しい世話係だ、って言えばいいって言われたんだけど……」
 無視をされたことに気づいた樹春が慌ててそう付け足す。しかし、彼は相変わらず植物に夢中だった。
「えーと……」
 と、しばらくして彼は水やりを終えたのか、蛇口を閉め、こちらへ近づいてきた。
「――みのる」
「みのる?」
「僕は、みのる」
 春風が揺らした髪の隙間で、鮮やかな若草とはまた違う薄暗い緑の瞳が樹春をじっと見つめていた。
「……! みのる君、ね。失礼した、話は聞いているよ。あ、僕、九条樹春って言います」
 樹春は、その言葉を理解するのに数秒を要したが、すぐ思い出したように手を叩いた。
 それが樹春にとって最初のみのるとの出会いだった。正確には、二重人格者である小木野実の――表の人格である’みのる’との出会いであった。

「みのる君」
「……ん……」
「朝だよ!起きて!」
「みのる君!!」
 その出会いから約一年。樹春はすっかり彼等の世話係が板につき、今日もいつものように目覚めの悪い‘みのる’を起こすことに奮闘している。

 九条 樹春(くじょう みきはる)、二十四才。この小木野家の世話係として住み込みで雇われている人物である。彼の雇い主は、小木野 修(おぎの おさむ)。家主であり、両親のいない小木野 実(おぎの みのる)の現在の保護者である。しかし、大学教授である修は研究に没頭している為かほとんど家に帰らないため、基本的に小木野家にはいつも世話係のようなものが雇われていた。家主のいない家の管理、及び生活能力皆無である彼等の世話をする者が必要だからだ。昨年の三月に雇われていた男性が辞めてしまい、代わりを探していた小木野教授の目に留まったのが大学卒業と共に内定先が見つからなかった樹春であった。樹春は大学時代小木野教授の下で研究をしており、小木野教授に日々こき使われていた。樹春は研究人間で人使いの荒い教授の元に雇われるのは断固拒否したい所だったが、タイミング悪く父親が病に臥せって休職をしてしまった為に無職になる訳にもいかず、彼に選択の余地は残されていなかった。
「とりあえず布団から出よう? 布団離して、――力強ッ」
 初めは一時的な措置のつもりで、すぐにきちんとした内定先を探すはずだった。しかし、同じ体に存在するふたりの人物――みのるとジツと関わる日々は存外忙しなく、そんな暇も無いまま一年の月日が過ぎていた。

「いただきます」
 結局、みのるが起床したのはそれからしばらくの格闘の末だった。ようやく目の覚めたみのるは、テーブルに並べられたサンドイッチの前で手を合わせた。樹春の手によって作られたそれは、食べることがあまり好きではない彼の食欲さえも刺激した。
「最近はいつにも増して手こずるなぁ……」
 みのるの正面に溜息をつきながら座る。樹春が言っているのは、みのるの起床のことだ。彼は既に朝食を済ませていた。
「ジツが寝るの、遅いんでしょ」
 人の苦労も素知らぬ顔で、みのるはもう一人の彼に責任をなすりつけた。
「まぁ……この頃ジツのことが多いしね」
 ジツ――それがもう一人の彼の名前であり、みのるが表に出ている今はジツの姿は微塵も見られない。一方が表に出ていれば、もう一方は眠っているというのが二人の感覚だそうだ。二人は同時に存在することはなく、お互いに意思疎通が出来る訳でもなかった。
「……最近、わからないことが増えた」
 新たなサンドイッチに手を伸ばしたみのるが、ふと呟いた。彼が大学に入学してから一月。今でこそみのるであるものの、その生活環境の変化の為に、高校生の時と比べてジツの時間の方が増えていた。
 二人は記憶も共有しておらず、片方が表に出ている間の記憶はもう片方にはないことが原則だった。それは科学的に言えば、ひとつしかない脳に記憶をする部位がそれぞれ別にある可能性を示唆することであり、小木野教授が彼等に興味を持って手元に置いている理由のひとつだったが――だから彼等の生活の中には、ジツしか知らないジツの事やみのるしか知らないみのるの事がたくさんあった。
「何か気になることがあるなら、聞いておくけど……」
 二人で生きてきて約十年余りが経つそうだが、今迄もかなり苦労してきたようだ。しかし、そんな二人をサポートする為の世話係でもあった。樹春がこの家に来てから、二人は樹春を介して情報を得るという手段を自然と憶えた。
「……手紙」
「手紙?」
「ジツの机に置いてあった、薄水色の手紙。気づいた?」
「そんなのあったけなぁ……」
 樹春が首をかしげて頬をかくと、みのるは少し不満そうな顔をした。樹春なら知っていると踏んでいたのだろう。出会った当初と比べれば、樹春は多少なりとみのるの感情が読み取れるようになっていた。
「手紙、だね。聞いておくよ」
「よろしく。ごちそうさま」
 そう言いながら、中庭に続く扉に手をかけようとしたみのるに樹春は制止の声を放った。
「もう行かないと、学校遅刻するから!」
「水やりしたいんだけど」
「そんなの僕がやっとくからさ! 今日遅刻するとまずいんだってば~」
「えー……」
 小木野家の中庭にはみのるが植えた様々な植物が蔓延っており、毎日の水やりは欠かせなかった。
「ジツから伝言だよ。’一限のテスト、俺が受けるから’…だそうです」
 樹春は、'ジツ'の口調をそのまま彼なりに再現してみせた。それを聞いたみのるは、樹春をじっと見ると、
「――‘一限のテスト、’」
「え、」
「‘俺が受けるから’」
「みのるく……?」
 ジツの真似をした。いや、真似というより――その口調は、声のトーン、語と語の間の間延びの程度まで本当に樹春のよく知る'ジツ'だった。むしろ自分の知るジツよりジツらしいような口ぶりに本当に彼等が入れ替わったのかと思ったが、目の前にいるのは相変わらず感情のない目をしたみのるであった。
「――なんて。じゃあ行ってくるね」
まるで狐に化かされたかのように呆然としていた樹春だったが、みのる自身の一言ではっと我に帰る。
「ああ、待って、送ろうか?」
「樹春は水やりがあるでしょ」
「そうだった……」
「どうせジツに交代するんだし、良いよ」
「そっか、いってらっしゃい」
 そう言うと、みのるはリビングを後にして行った。リビングのドアが完全に閉まってから、樹春は安堵の溜息をついた。
 樹春はおおよそ見ただけで、みのるとジツの判別がつくようにはなっていたが、それでも先程のようなことをされると混乱してしまう。
 二人はお互いに話したことがないと言う。それなのにみのるは、ジツ自身のことは誰よりもよく知っていた。どんな喋り方をするのか、どんな人間なのか。まるで自分のことのように知っていた。――だからこそ、知らないことがあるのが余計に嫌なのだろうか。樹春は「わからないことが増えた」と言ったみのるの少し寂しげな姿を思い出しながら、水やりの任務を遂行すべく席を立った。

***

 小木野邸からみのるの通う大学まで徒歩数十分。みのるはいつも比較的人の少ない抜け道を通って大学へ行っていた。
 考え事をしていた為か、気が付くとすぐに大学が見えてきた。小木野教授の勤務先でもあるその大学は決して小さくなく、多種多様な学部のある総合大学だった。当然、通う生徒もそれに比例して様々だ。
 みのるはジツからの伝言を思い出し、溜息をついた。ジツがテストを受けるというのは、暗にそれまでに引導を引き渡せという意味だ。彼等の交代の条件は単純なものだったが、みのるは入れ替わる時の感覚は好きではなかった――というより、好きになれるはずがないのだ。
 人の群がる大学へ足を踏み入れた。爽やかな朝のキャンバス内は、友人と談笑する者、どこか先を急ぐ者、各々の時間を過ごす学生でいっぱいだ。みのるはその中をどこにも意識を向けず、ただ人の波を避けながら歩いて行った。
 その時、ふと甲高い笑い声が耳に障った。反射でびくりと肩を揺らしながら、その声がした方向へ目を向けた。
(あの人で良いかな)
 カールのかかった茶髪の女性が、男性相手に談笑していた。みのるは、その人をじっと見た。ふわふわと動くたびに揺れる長い茶髪、人のことを見下しているような甲高い声。その姿を意識し出すと、自分の心臓がうるさく警鐘を鳴らし出した。じわりと嫌な汗が背筋を伝う。感じるのは恐怖だった。
 女性。ある理由から、それがみのるがジツに入れ替わるきっかけの大部分を占めていた。女性を認識すると漠然とした恐怖が自然と湧き上がってきて、暗闇へ引き摺り下ろされる。もはや条件反射のようなもので、過去に何百回と繰り返してきた一連の流れは今更変えようがなかった――二人で生きていく為には。
「――」
 昂った恐怖が弾けた。次の瞬間、そこに居るのは確かに小木野実であったが、先程とは随分様子が異なっていた。紫菫の色の瞳に、少し鋭利な雰囲気。彼がもう一人の小木野実、ジツだった。
「……あー……今何時だ」
 まるで眠りから覚めたばかりの様に欠伸をすると、ジツはポケットから携帯を取り出した。その日付はジツにとっての‘今日’と合致していた。一日まるまる表出しないこともあるジツにとって、日付と時刻の確認はいつも重要だった。まだ一限の授業が始まっていないことから、樹春がきちんと伝言をみのるへ伝えてくれたらしいことを判断する。
「ジツ、ジツ」
 ジツが急いで教室へ向かおうとしたその時――自分の名を呼ぶ声が聞こえた。声の方角を見やるとそこには見覚えのある人の姿があった。
 べたべたと指紋がついた眼鏡に、だらしのない無精髭の年配の男性。校内は全棟禁煙にもかかわらず、その口には煙草が咥えられている。
「……」
「おいおい、無視することないだろ」
 ジツはあからさまに嫌な顔をして、彼の横をそのまま通り過ぎようとした。
 この男との間に良い思い出は無かった。彼が小木野修。現在の彼等の形式上の保護者だ。
「……なんか用かよ。俺今急いでるんだけど」
 修は、彼の遠縁にあたる人物であったが、近い親戚でもない。
 小木野実は、母親を亡くしていた。元々父親は居らず、残された彼を誰が面倒を見るかという話で親戚中で揉めた。誰も彼等を受け入れたくは無かったのだ。
 ただ当時多重人格の研究をしていた修にとっては、彼は魅力的に映った。学問的な探求心のみで生きている修にとっては、彼を引き取る理由としてはそれだけで十分だった。
「用がないと話しかけてはいけないのか?」
「だって別にお前と話すことなんてないだろ」
 よれたシャツの男は、残念そうに笑った。修の家に来た当初、よく分からない機械に何度も通され、ありとあらゆる検査という検査に付き合わされた。その中には例えば、絵具を撒き散らした絵が何に見えるかといった、何の検査なのかよく分からないこともさせられた。
 修のその研究者として行動は、人に関する研究倫理委員会だとか、どこかに訴えれば勝てそうな気もするが、修の手を離れても行く場所がない彼にはどうしようもなかった。それに修は、好き勝手人のことを調べていたが、彼等の触れてはいけない部分には触れなかったし、学校に行きたいだとか自分達の希望をなるだけ尊重はしてくれた。そういう点では完全に嫌な男という訳もなかったが、人を小馬鹿にするような言動、生活能力皆無、研究以外に興味がない、不潔等……ジツは彼を別次元でも気に入らなかった。
「いや、用ならある。手紙、読んだか?」
 手紙、というワードを耳にして、ジツは眉をひそめた。数日前、ジツは修からある手紙を受け取っていた。
「読んだけど」
「で、どうなった?」
「どうなったって……まだ、みのるに聞いてないから」
 そう言うと、修は息を吐いた。長い溜息と共に煙草の煙が彼の口から溢れ出す。
「僕はね。ジツ。君が決めるべきだと思って君に渡したんだ」
 何かこちらには分からないことを知っている、というような意味を含んだ笑み。ジツは、修のこの笑い方がどうしても好きになれなかった。
「は? どういう――」
 修の言葉にジツが疑問を掛けようとしたその時、授業の始まりのチャイムが校内に響き渡った。
「やべ」
 ジツは修に背を向け、教室へ向かう。’呼び止めるタイミングが悪い’……また、彼が修を嫌いな理由が増えることだろう。

***

 その部屋には学習机がふたつ、部屋の左右の端にまるで対になるように置かれている。一方の机の上には「四季の花図鑑」「育てて楽しむ!多肉植物~初心者ガイド~」等のタイトルがついた本が開きっぱなしにされたまま積み上げられていた。もう一方の机の上には使いかけの絵具や筆が散乱しており、中央には一枚の絵があった。画用紙にのせられた薄い空の上を一羽の鳶が飛んでいたが、その絵はまだ描き始めたばかりのようで半分は白紙が広がっていた。
 各々の机は、みのるとジツ、それぞれのものだった。持ち主が決して同時に存在することはない部屋。しかし樹春はこの部屋を見るたびに、ふたりがそれぞれ確かな自己の輪郭を持ってここに存在している、と感じるのだ。実際にふたりのうちの片方が、元となる人格から生まれた不安定なものであったとしても。
 物心ついた時から実は母親に虐待を受けていた。確かな理由は分からない。家に寄り付かない父親によく似ていた息子にストレスによる反動だったのかもしれないが、その幼い頃の経験が明らかに彼の人格形成の要因となっているようだった。度重なる暴力にみのるは、母親との関わりをもう一人の人格に押し付けるようになった。そうして出来たのがジツだそうだ。
 しかし、ある日母親は亡くなった――何者かの放火による不幸な火事によって。幸か不幸か、結果としてみのるだけが生き残ってしまったという。しかし、幼少期の傷は癒えることはなく、彼は今でも女性を見るとジツに入れ替わってしまう。そうして、夜眠ると朝には必ずみのるに戻るというのが彼等のルールであった。
 ――中庭の水やりに加え、洗濯、夕飯の買い出し等一通りの家事を終えた樹春は、みのるとジツの部屋に来ていた。今朝みのるが気にしていた‘手紙’とやらが、樹春も気になり始めたからだ。
「置いてるとは言わないだろコレ……」
 みのるが気にかけていた薄水色の封筒。机上に置いてあるというよりは、ジツの机の引き出しの奥に大事にしまわれていた。つまり、みのるはこの封筒を自分のもっとも近い隣人とはいえ、他人の机を漁ったということだ。今こうして同じように人の机を勝手に探っている樹春に人のことを批判できる権利はなかったが。
「おい」
「わーー! おかえり!?」
 今最も帰ってきてほしくない人物の声がして、樹春は思わず勢いよく開いていた引き出しを閉めた。その振動でジツの机の上に置かれていたペンや紙が転げ落ちてしまった。
「何してんだよ……」
 ジツは呆れるような溜息をついて、落ちた私物を拾い集め始めた。樹春も罰が悪そうに机を元通りにしようとする。
「いや、あの、ごめんよ……別に見るつもりじゃなかったというかその……」
「みのるが見たんだろ。別にいいよ」
「流石話が早い」
「だからって、別に人の机漁っていい理由にはなんねえけどな」
 樹春をたしなめるようなジツの言葉に樹春はもう一度謝罪の言葉を漏らした。ジツは短い溜息をつくと、樹春が閉めた引き出しをゆっくりと開けて例の封筒を取り出した。
「探しものはこれ?」
「それ」
「……読んで」
「いいの?」
「俺一人じゃ、どうしたらいいか分かんねえから」
 ジツの手から封筒を受け取る。中を開けば、‘実へ’――から始まるその手紙。便箋一枚程度に収められた文章。しかし、最初の二、三行を読んだ所でその内容に激しく動揺した。
「えっ…? ジツ、これ……」
 たまらず不安になってジツを見つめたが、とりあえず最後まで読んで、というジツの表情に樹春はジツに言及したい気持ちを抑えて、もう一度文面に目を落として最後まで読み切った。
「……修先生が持ってきたの?」
 頭の中は疑問でいっぱいだったが、樹春が口に出来たのはその中でも大して重要ではない問いだった。
「そう。この前学校で会った時に押し付けられた」
「……急な話だね」
 どうして今になって?……これ、どうするの?……樹春の頭の中は疑問でいっぱいだったが、ジツの心情を察するとどの疑問も口に出すことが出来なかった。きっと彼の方が動揺しているに違いなかったから。
「今更、何考えてんだろうな」
 その手紙の差出人は、彼の血の繋がった父親だった。手紙には端的に言えば家族を捨てたことに対して「すまなかった」という謝辞と、再婚した家庭で「一緒に暮らさないか」という提案が書かれていた。
 ジツの瞳には軽蔑の表情が浮かんでいた。母親が彼に暴力を振るった原因だったかも知れない彼の父親は、物心ついた時からほとんど家に居なかったという。母親の葬式にも現れず、彼はそれがどんな人物だったかも思い出せないという。母に手を上げられた時、母親と妹の死後、親戚中に引き取りを拒否された時。救ってほしい時に手を差し伸べに来なかった時点で‘父親’という存在は無いに等しくなっているのだろう。
「……みのる、なんか言ってた?」
 樹春が何と声をかけるべきか迷っていると、先にジツが口を開いた。
「いいや、特には。その手紙のことが気になるって言ってたくらい。でも目は通してる……とは思う」
 そう言いながら、手紙を封筒に戻すとジツに渡し返す。確実に手紙を読んでいるはずのみのるが、深く言及しなかった理由は分からない。
「これ、俺じゃなくてみのるがどうするか決めることかなって思って……すぐにあいつに渡してもらおうと思ってたんだけど……」
「けど?」
 樹春は、ゆっくりジツの次の言葉を待った。
「もし、あいつがこれ受け入れたら……俺とうとう要らなくなるんじゃないかって思うと……見せたくなくてさ。まあ結局もう見られてるけどな」
 何かを誤魔化すように力無い笑みを零す。樹春はそんな彼を見て非常に居た堪れない気持ちになった。
 ジツは、定期的にこうした不安を零した。彼を虐げる母親はもういない、それなのに自分が存在する意味はあるのだろうか。みのるに不要とされてしまえば、自分は消えてしまうのではないか。でも、まだ必要とされていたい、たとえそこに存在意義が無くても。そういった葛藤がずっと彼の中にはあるようだった。
「あくまで僕の見解だけど……」
 ただ日頃のみのるを見ている樹春からすると、そんな心配は無用に思えた。
「みのる君が何を選択しても、君を不要とすることはないと思うよ」
 むしろ、何でもかんでもジツのことを知りたがる彼はジツに執着に似た何かを持っている、そんな気さえする。みのるが今更、ジツから離れて生きるなど到底思えない。
「……そうかな」
 思い悩む時のジツの表情は少し幼くなる。その顔を見ると、なんとかして元気づけなければという気持ちになった。
「えーっと……ほら、逆で考えてみなよ。ジツは、何年も一緒に居た相手を今更、見放したりはしないだろ?」
 どうにか慰めようとして咄嗟に出た例え話だったが、ジツはそれを聞くと少し納得がいったような顔をした。
「確かに、俺はそんなことしない」
「だろ?」
「でも、みのるは何考えてるかわかんねえからな」
「……そうだね」
 樹春は肩を落とした。それを言われると、もう慰める言葉が出てこなかった。樹春が何を言った所で、みのるの真意は彼にしかわからない。しかし、そんな樹春を見てジツは笑い出した。
「ミキ、こないだも俺にその例え言ったぞ」
「えっ!?」
 思わぬ指摘をされて、飛び上がる。
「ああ、あの別に適当に受け答えしてるとかじゃなくて……単に思いつかないだけで……」
「いいよ、頑張って慰めようとしてくれてるんだろ?」
「そのはずだったんだけど……」
 ジツは優しい。だからこそ沈みやすいのかもしれないが、彼は意外と素直で真面目な性格の持ち主だった。そして、みのるより数段人間らしさがあった。
「まぁ、考えてもしょうがねえ。みのるにこれ、渡しといて」
「分かった、僕からも伝えておくね」
 ジツはもう一度、樹春に封筒を手渡した。
 そんなに不安ならば、手紙を見られる前に処分してしまえば良かったのに、と思うのは、樹春の心が擦れている証拠だろうか。
「じゃあ、洗濯物でも取り入れるか~」
「本当に? 助かるよ」
 しかし、樹春が邪な考えを巡らせた所で、きっと素直で真面目な彼にはそんなことは出来ないのだろう。樹春は、立ち上がったジツの後姿を見ながらそう思った。

つづく

The green-eyed monster (1)

The green-eyed monster (1)

或る二重人格者の話。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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