地の濁流となりて #11

第三部 二千年王朝編 王宮へ

 マールの路地を思わせる狭い石畳の道に,互いにもたれかかるように三階建ての古い家屋が伸びている。その一つ,周りとそっくりな外観の,くすんだ煉瓦を積んだ旅籠屋の一室にマンガラたちは居た。窓の外には,今にも嵐をもたらしそうな灰色の雲が,風の早い上空を,蛇みたいにうねっている。パガサはそれをぼんやり見ながら,カタランタに尋ねた。
 「また待つの。」
 ヘルバ草原で準備のために足止めされた記憶がまだ新しい。パガサの口から,つい不満がついて出た。どうせ例の「備え」とカタランタは言うのだろう。たしかに,到着してすぐさま王宮に取り次いでもらおうとしたら,当然のごとく拒否された。ここは,マールと違って,王は出歩かないようだし,王邸のように門から入ってすぐに「王の間」があるのでもない。
 王宮は丘の上にある。だが,その丘というのが,マンガラもパガサも初めて目にした幅の広い河,その対岸なのだ。市民の居住地とつなぐのは,鉄の巨大な橋だけ。その橋の手前に門衛ならぬ,橋番が甲冑に身を包んで立っている。橋の向こうには,王宮に並び,王権の象徴である大きな女神像の半身がそびえている。両手を胸の前で重ねているのは,守りの印だとカタランタが教えてくれた。
 「王宮には俺の仲間が入っている。その連絡待ちだ。指示がないと王宮に入れない。我慢しろ。」
 これからの行動を教えてくれるのは有難い。暗黙に「ついて来い」と背中が命令していた頃が嘘のようだ。だが,旅が進めば進むほど,自分たちの身ひとつでの行動ができなくなっていく。イスーダに入り込んだときは,ブッフォの導きがあったとはいえ,マンガラと二人でなんとかしたのに。自力で解決できないのがパガサには歯がゆい。エル・レイは「長年かかって仕組まれたカラクリ」と表現したが,王宮ひとつに入るのにも「カラクリ」が必要だとは。
 贅沢な食事を期待して,マールに寄りたがったマンガラの希望は却下された。カタランタには不要だったし,パガサは一週間の「遅れ」を取り戻したかった。マンガラは二千年王朝にお腹の欲求を託すことにして,不承不承,二人に同調した。地が揺れた荒地は北回りに避けて三人は進んだ。ボスクの森の端まで来ると,森に沿ってトゥールの丘をひたすら歩き続けた。途中から伴走しはじめた河が,あの橋のまたぐ大きなリウ河の上流であるのは後になって分かった。
 緑の丘陵に動物を放牧している人が見え始めた。放牧の民と違って,完全に放し飼いにし,自由に草を食ませている。その動物に付き添う人々がいずれも,のちに見る守りの印の刺繍を,腕や腰につけていた。市民もいるが,あれは王宮つきの牧者だなとカタランタが言った。
 「もう王朝のなかなの。あそこに見えるのが,王都なの。」
 マンガラが指差す先に,ゴツゴツした感じの建物の群れが見える。土色の帯に赤い何かが乗っかっているようだ。イスーダともマールとも違う。パガサの目を引いたのは,だんだんと広がってゆく河幅が,その壁と思しき帯を寸断している様だった。ナグニの果実を割ったのに似ている。茶色の皮から水色の果肉がのぞく感じ。
 土色の帯はやはり壁だった。イスーダのそれより高く,マールの王邸ほど頑丈に見える壁が,都市ツィユタートをぐるりと囲んでいた。その壁は,遠くから見ると,白と赤の王宮の下を遮る衝立のようであったが,近づくにつれ,壁は大きくなり王宮はその壁のなかへ沈んでいった。南東の開け放たれた市門まで来ると,門だけでエル・レイの「王の間」の高さほどあるのが分かって,マンガラとパガサは身を反り返して,その尽きる先を見上げた。
 「城塞都市という。エル・レイなら「旧態然」と言い表すだろうが。覇権を争っていた頃は,こうして壁を高く頑丈にして外敵を食い止めた。今は機能していないが,王宮の警備が厳重なのは当時と変わらないと聞く。」
 門をくぐるときにカタランタがそう言った。外敵。エル・レイが話した諸部族の者たちのことだろうか。放牧の民と暮らしていて,パガサにはいまひとつ理解できなかった。あの羊たちと生活を共にし,自然の恵みを大切にする人々が,王朝にとって脅威となった。エル・レイが話した辺境領の歴史。あの人々も武器を持って誰かを傷つけたりしたなんて。到底信じられない。
 王都ツィユタートは,マールほどではないものの,道行く人々と酒場や旅籠屋で賑わっていた。エル・レイの話,とくに拡張政策は,なるほど昔話と思われた。違いがあるとすれば,そこかしこに甲冑に身を包んだ者が,何をするでもなく佇んでいることだった。目立つのではない。路地の入り口,酒場の前の樽の横,よろず屋の脇,そんな場所に気づくと立っている。
 「衛兵だ。門は開放されていても,有事には備えている。マールよりは治安が良いかもな。」
 カタランタに案内されるまま,橋に近い旅籠屋の一つに落ち着いた。そこからが,再び「待つ」時間となった。ヘルバ草原にいたときほどではなかったが,パガサはまたじりじりする感覚を味わっていた。旅に出て以来,土の里の人々の動静が一切分からない。そのことが次第にパガサの心労に与っていた。王朝の食事に期待していたマンガラは別の意味で落ち込んでいた。もっとも,場末の旅籠屋に王朝風の食事を期待する方が間違っていたが。
 パガサの焦燥感が爆発する寸前を見極めるかのように,カタランタの仲間は連絡を取ってきた。その日も,パガサは窓から代わり映えのしない外を眺めていた。口の形に建物が取り巻き,その下の中庭は石畳が広がるだけで,目に入る物といえば,向かいの同じような建物か,殺風景な中庭,それと建物の上に広がる空くらいだった。
 その中庭をパガサが何気なしに眺めていると,ある日,赤いベールを頭からかぶった子どもが一人,さっと通り過ぎた。どの建物から,と考える間もなく,部屋の扉を叩く音がする。カタランタがさっと立ち上がったが,それ以上は動こうとしない。何かの続きを待つようにその場にじっとしている。それから扉が,今度は拍子をとって叩かれた。それを合図に,カタランタが扉を細く開けた。
 「今夜,決行。リウの門から。橋番は任せて。」
 小さなつぶやきだったが,女の子の声だったのでパガサもマンガラも辛うじて聴き取れた。今日の夜,王宮に。カタランタは扉を閉めると,ひとつ息をついた。ようやく王宮に入れる。決意を固めたのは,何もパガサだけではなかったようだ。「少し出てくる」と,カタランタが卍だけを腰に吊るして,一人で部屋を後にした。
 カタランタのきつい言い付けで,マンガラもパガサも建物から外へ一歩も出られなかった。当初は不平をこぼした二人だったが,「マールの時みたいに男たちに囲まれたいか」とカタランタに一喝され,出るのを諦めた。王宮に忍び込もうというのに,あの衛兵に助けられるのも違う気がした。必要な物は,カタランタが外に出るたびに揃っていくようだった。文字通り監禁された二人に同情してか,カタランタは嫌な顔をせず,いつもよりも質問に答えてくれた。
 ヴァルタクーン王朝は,百一代に及び「二千年王朝」と呼ばれている。現在の王はレボトムス二世,誰が名付けたか知らないが「不安王」と呼ばれている。由来は分からない。辛うじて勝ち獲った王位を手にし,いまだ宮内に敵が多いのを案じているからだとも,長きにわたる王朝の歴史が憂鬱だからだとも,実しやかな噂が流れている。少なくとも不機嫌この上ない王らしい。
 王と言われ,あのくるくる態度の変わるエル・レイを,マンガラとパガサが思い浮かべたのは無理ない。飄々として掴みどころがないかと思うと,威厳に満ちて近寄りがたくなる。真相と秘密を知り,それでいて,どこか生一本な性格と,周囲を包み込む明るさを持つ。王とは,やはり得体が知れない。パガサは一人「不安王」なる新たな王を想像して,胸の奥でつぶやいた。
 「危険をあえて承知で王宮に忍び込むのは,パガサ,お前なら分かるな。」
 部屋に戻ってきたカタランタは開口一番にそう言った。分かるなと言われても,とパガサは困惑したが,パウがカタランタに渡した物を思い出した。王宮内の見取り図は忍び込むのに必要な道具だとして,古文書博士への私信。古文書博士が何者なのか知らない。けれど,おそらく博士は王宮にいる。そして,「輝石」につながる何かをその博士から聞き出す。マンガラが,不審そうにパガサの顔を覗き込んだ。
 「何なの。ぼくだけ知らないって。ぼくだって,いつも食べることばかり考えている訳じゃないよ。まあ,いつもじゃないけど,考えているのは,考えているから。でも。」
 パガサは吹き出しそうになるのを我慢して,マンガラに,放牧の民の宿営地で過ごした最後の夜の出来事を話した。途中でマンガラが,駄々をこねるように反論しようとしたが,「起こしたよ」の一言に,顔を赤らめて口をつぐんだ。どうせあの後すぐに伝えても,きっと同じ反応だっただろうな,とパガサは思ったが,それは口にしなかった。
 「まあ,いい。その古文書博士とやらが王宮にいる。「輝石」の過去を知るらしい。パウが断言した。」
 あの「輝石」の過去。見つかる前の「輝石」のことなのか。あれは,突然現れた物ではない。そうなのか。パガサはそう自問しながら,しかし釈然としなかった。土に埋まっていたなら,その過去を知ることなどできるのだろうか。いやできまい。それとも,「輝石」とルーパの者は呼ぶが,あれは「石」ではなくて,生き物なのだろうか。
 久しぶりの長衣を羽織って,階下の酒場へ降りてゆく。すでに外は陽が落ちている。旅籠屋の主人から,その夜の割り当て分の干し肉と穀物を受け取る。座って食事をしたいマンガラの提案は,またもや二人に却下され,数日ぶりに石畳へ続く扉を三人で押した。行き先は決まっている。リウ河にかかる鉄の橋。そこを抜けて王宮を目指す。カタランタは夜目が利くのか,建物の影から影へマンガラとパガサを案内し,あっという間に橋が見える場所までたどり着いた。
 「少し待て。」
 橋の前に設けられた門の影で,一呼吸すると,カタランタは二人に囁いた。あの鋭い眼は閃いていないが,低い声と口調で緊迫した感じが伝わる。パガサはごくりと唾を飲んだ。腰をかがめたまま,カタランタは卍を手にし,顔と一緒に卍を影から差し出した。橋を照らす灯に,反射するように二三度,その刃を傾ける。カタランタの腕の筋が浮かんでいる。込められた力をパガサは想像して,自分も身に力が入る気がした。
 一瞬だった。あの橋番がいた辺りから,同じ銀色の光が走った。カタランタが一つ息をついたが,それは先ほどのとは違い,安堵のため息であるのが分かった。連絡係の言った通り,橋は誰にも見つからずに通れるようだ。あの甲冑姿の橋番をどうしたのか,パガサには分からないが,ともかくこれで王宮に一歩近づいた訳だ。
 「交代が来るまでの間だ。急ぐぞ。」
 そう言うと駆け出したカタランタを,パガサが追い,パガサをマンガラが追う。ヘルバ草原と同一の順番で,石畳の上を走る。橋番の側を過ぎる時,少しだけ甲冑の右手が挙げられた。カタランタに対する挨拶なのだろう。鉄の橋は,いかにも頑丈だった。三人が走っても揺れ一つしない。エル・レイの「王の間」の光景も土の民の二人を驚かせたが,金属で橋まで造ってしまうとは。しかもこんなに長い橋を。王朝の強大な力をパガサは自分の足の下に感じざるを得なかった。
 橋番は対岸の王宮側にも立っていたが,その者もカタランタの仲間のようだった。先ほど同様,走り過ぎる時に右手を軽く挙げた。カタランタは一体何者なのか,事ある度に考えてきた問いが,パガサの脳裏に浮かんだ。エル・レイを知り,パウと懇意であり,王宮へ忍び込む手配をする仲間がいる。ルーパの民ではない。と言って,辺境の地の民でもない気がする。それにどうして,ここまで自分たちに協力してくれるのだろう。
 「パガサ,遅れるな。あの階段の中ほどに王宮へ入る通路がある。急げ。」
 知らないうちに,マンガラに追い越され,パガサがしんがりを務めていた。橋の灯が届かないのでよく見えないが,カタランタの影が「階段」状のものに近づいている。確かめるようにパガサが足をかけてみると,石造りの塊が段々になって星空まで続いていた。登り切れば王宮の外へ出るのだろうか。途中で二つの影が立ち止まって,パガサを待っていた。階段の横にひときわ黒い穴がある。
 「ここからが,王宮に張り巡らされた通路になる。火を灯すから,離れるな。」
 あの透明な箱を取り出しながらカタランタが言った。小さな棒に火がつき,それが箱の中で炎となって揺れる。照らし出された穴は,固い岩盤を削ってできたものと見え,灯の届かないほど奥まで通じている。外からみると,潅木で遮られているが,明らかに人の手で掘られたものだった。
 「カタランタ,この中を進むの。」
 大人が少し腰をかがめなければ入れないほどの暗闇の道。マンガラが不安そうなのも仕方がないとパガサは思った。里の岩にできた洞穴でさえ,怖がるのがマンガラだ。それを進むとなると,これは旅が始まって以来の「大冒険」となるに違いない。
 「マンガラ,心配しなくても大丈夫だよ。カタランタもぼくもいるし。怖いなら,二番目を歩くのはどう。前にはカタランタ,後ろにはぼく。これなら安心でしょ。」
 そう言われても,当マンガラは尻込んでいるようだったが,肩にカタランタがそっと手を置くと,口を尖らしながら頷いてみせた。それでも「ダガ鼠,噛むのは二人目ってことわざ忘れないでね」と,付け加えた。カタランタは「ことわざは知らないが,鼠は引き受ける」と,暗闇で苦笑しながら約束した。
 「さあ,行くぞ。この通路は「蜘蛛の巣」と呼ばれる。蜘蛛が張る巣のように入り組んでいる。そして,蜘蛛が張る巣のように敵を捕らえる。気をつけろ。」
 これにはパガサもよく分からないという表情を浮かべた。通路が複雑なのは分かるけど,敵を捕らえるって。ぼくらも捕まってしまうの。それじゃあ,危険じゃない。マンガラはと見ると,足元をずっと先まで見つめている。どうやら頭の中は想像上の鼠でいっぱいだったようだ。

地の濁流となりて #11

地の濁流となりて #11

放牧の民の元を後にし,ヴァルタクーン王朝の王都ツィユタートを目指すマンガラたち。忍び込む王宮は,リウ河という大河に阻まれ,唯一近づけるのは河を渡す鉄橋のみ。無事王宮にたどり着けるのだろうか。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-11

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