メイシュガール ~魔法少女大戦~ 第一話・上
第一話『羊飼い』・上
僕はその日もいつもと同じように学校で授業を受けていた。僕は先月中学二年になったばかりで世間的には将来の進路についてそろそろ考える頃という。と言っても、戦争の影響で教育制度は再建中。最高レベルの大学や高校は国が力をかけて守ったけど、それ以下の学校は取捨選択ではないが、防衛力が足りず破壊され、徴兵と戦災の影響で教師の数も減って閉鎖したところもある。
僕は孤児院育ちだし、あと二、三年程度で学校が戦前の通り復興される見込みもないので通信制の高校へ通いながら働こうかと思っている。インターネットインフラは戦後半年した今、すでにある程度復興されている。だから、インターネット上の高校に通う方が現実的だ、というのが僕と友達連中の見通しである。もっとも、僕らにはそれほど選択肢はないのだが。
「天羽 遼斗(あもう りょうと)君」
現代文の授業を終えた後に僕は担当教師に呼ばれた。
「どうしました、先生?」
僕は眼鏡をかけた中年教師の前まで行く。戦前すでに五十歳を過ぎていたために徴兵を逃れ、定年を過ぎても特別雇用という形で教員を続けている先生だ。年齢の割にまだまだ目つきは鋭かった。
「君、そういえば、パストラルの適性検査を受けたかね?」
パストラル……魔法少女のパートナーのことだ。戦後、魔法少女たちが異星人たちに向けられた力を無暗に振るわないように監視機関と監視するエージェント制度が整備された。パストラルはそのエージェントであるが、誰でもなれるわけではない。多少の魔力と戦闘適正が必要なのだ。それは終戦直後、十三歳以上の国民を対象に一斉検査が行われた。
一斉検査以後は中学一年生を対象に行われている。
「実は、一年前の検査の時、僕はひどい風邪をひいていたんです」
「それで、検査結果がなかったわけか。実は今朝のミーティングで文科省から通達が来たということでね。適性検査未受験者がいたらすぐに実施するようにとのお達しだ」
特に断る理由もない。
「ええっと、どこに行けば良いですか?」
「この町には検査施設がないからな。X市まで行く必要があるだろう」
電車で五駅ほどの大きな街だ。
「X市ですか。用意するものは?」
「あとで君のスマホにでもメールを送るよ。私も一緒に行く予定だ」
「授業はどうするんですか?」
「土曜だから気にする必要はない」
「げっ、土曜日ですか」
「不満かね? 数十年前は土曜日も授業があったのだ」
それは昔の話だろう。そんなことを言い出したら、昔は勉強しないで農作業をしていたとか、十五歳で大人と見られていただのという話になる。
「とにかく、今度の土曜日だ。忘れずに駅に来るのだぞ」
そう言うと、先生は僕の前を去って行った。
「ははっ、リョウト。お前、なにかやったのか?」
「悪いことでもしたのか?」
クラスメイトがからかいに来る。僕はため息をついた。
「パストラルの適性検査、今度、X市まで受けに行くことになった」
パストラルの検査と聞いて、二人はため息をついた。
「はぁ、あのかったるいやつか。受ける前に期待しちゃうんだけどな。漫画みたいだろ、あのウィッチたちのパートナーになれるって聞くとさ」
「まあ、実際は予備の予備という評価だけどな」
二人とも選ばれなかったらしい。
「どういう検査をするの?」
「なんだか変な機械でいろいろ調べられて終わったな。一〇分もかからないだろ」
「すぐだよ」
一〇分のために片道三〇分もかけて移動するのか。なんだか割に合わない土曜日になりそうだ。
その土曜日はあっという間に来た。
せっかくの土曜日を何が悲しくて定年を過ぎた男性教諭と過ごせなければならないのか。
駅で先生と合流し、X市へと向かう。電車の中では差し障りのない会話をしていたが途中で話が切り替わった。
「……ところで、君は魔法少女という連中をどう思う?」
先生のような高齢の教師が『魔法少女』と言うのもあまり違和感がなかった。戦前はアニメや漫画でしかでない単語だったと大人たちが話しているのを聞いたことがあるが、今や日常会話にも出てくるほど浸透している。
「僕は尊敬していますよ。今は紛争の象徴という人もいますけど、僕はそう思いません。彼女らがいなかったら、僕たちの国は異星人のものになっていたかも知れないんです。だから、僕は魔法少女を英雄……いえ、天使だと思います」
「天使……か。人ならざる者という意見には同意するが……しかし、君はしっかりした考えを持っているね。普段の授業からはそうは見えなかった」
「魔法少女には、命を救ってもらいましたから」
「珍しい話でもないが、本人にしてみれば違うのだろうな」
なんだか冷ややかな反応だ。仕方がない。異星人との戦いの後、魔法少女たちの評価はその強大な力のせいで下がる一方だった。だから、先生のような反応する人がいても珍しくはない。どちらかと言えば、未だにネットやSNSなどで同好の士たちと情報を共有しながら活動していることが珍しいと思う。
X市駅に着き、駅前から出るバスに乗って五分するとパストラルの適性検査をする研究施設近くのバス停に着いた。そこからさら一〇分ほど歩くと、高い壁に囲われた施設が見えた。先生が壁を指さす。
「あそこだ。物騒な施設だろう。しかし、魔法少女関連の施設としては珍しくない」
それは知っていた。どこの国でも魔法少女は軍事機密の部類に入るため、中の様子がわからないように堅く分厚い壁に覆われている。施設の大きさも中に兵隊を駐屯させることもあり、うちの中学校が小さく見えるほどに大きい。
先生に先導されて、守衛に寄ってから施設へと入った。衛兵の先導付だから落ち着けたものではない。敷地内に入ってまっすぐ歩くと検査棟と呼ばれる白い建物に入った。
そこでも受付を通り、建物の奥へと進む。淡々と無駄口一つ言わずに、響く音は足音とたまに部屋の前から聞こえる抑揚のない業務的な話し声だ。
「ここです、中へ入ってください」
衛兵がそう言って立ち止まる。僕に続いて、先生も中に入る。
部屋の中も白で統一されており、白衣の男女が数人ほどいた。彼らは資料が散らばった長机の前に座っていた。そして、向き合うように椅子があるかと思いきや何もなかった。部屋の広さが学校の教室の倍以上もあったからなんだか異様だ。もっとも、部屋の半分には真四角の白い箱のような機械が置いてあったから広々とした印象よりも圧迫感を感じた。
「はい、こんにちは、天羽 遼斗さん。私はセレナ・クラウディウス。隣の仏頂面のおじさんは山本博士、反対側のインテリお兄さんはモントゴメリー博士。今日はあなたの適正について調べさせてもらいます。早速、そこの機械の中に入って」
金髪碧眼の美女博士、セレナが自己紹介を手早く終わらせ、部屋の半分を占める機械の前に立つよう指示を出した。僕は言われる通りにする。
「レバーがある。さっさと入りたまえ」
モントゴメリー博士が言った。髪型をオールバックにして、黒い縁の眼鏡をかけている。美形だが、かっこいいと言うより冷たい印象が強い。
レバーを引いて、中に入る。中は思ったよりも狭く、歯医者などで見る椅子が置いてあった。椅子の下にはいくつものコードがあり、それが壁の中へと続いていった。
『早く座りたまえ』
今度は中年の男性の声だ。山本博士とかいう人の声だろう。野太くて傲慢な印象がある。とりあえず椅子に座る。なにかヘルメットでも付けなくていいのだろうか。
すると、白一色だった壁に様々な映像が映された。歴史映像みたいなものがあったかと思えば、自然風景が出て、その後は単色がころころと移り変わる。そして、部屋が反転した後にツバメの絵が出た。そして、しばらくすると、それはグニャリと形を変えて、まったく奇妙な話だが、僕が頭の中に思い描いたもの、その時はたまたま僕の命の恩人である魔法少女、桜 彩花の姿だった。九歳当時の元気な笑顔を振りまくとても可憐で、茶色い長い髪を首筋のところで左右に輪のように結っているのが特徴的だった。
頭の中で別のことを想像すると、その通りに映像が変わった。何の意味があるのか。
『ほう、面白い結果ですな。早速、椅子を用意しよう』
『わざわざ出張してきた理由が出来たな。退屈な研究報告会よりも意味がある。君、よく来てくれたね』
『天羽さんでしたか、よろしければ出てきて頂けますか?』
三博士の態度が一転してとても友好的になった。気にくわないと思ったが、科学者とはそういうものなのだろう。
とりあえず、僕は機械から出た。すると、三博士は作り笑顔で僕を迎え入れた。いつの間にか椅子も用意してある。僕はその椅子に座った。
セレナ博士が資料を見た後で、手元のタブレット端末を見る。
「天羽さん、今の適性検査の結果ですが」
「えっ、もう結果が出たんですか?」
「ええ、最新の機材ですからね。学校の健康調査でもあるまいし、結果に一週間もかけていたら、何世紀かけても研究が終わりませんよ」
よくわからないが、この博士たちがとてもすごいことだけはわかった。
「結果ですが、パストラルとして問題のないレベルですね。年齢が低いですが、早速パストラルとしての研修を受けて頂き、特別カリキュラムのもと、義務教育をこなしながら、パストラルになって――」
「なにを勝手に決めているのだね、法律違反ではないのか! 彼はまだ中学二年生だ。パストラルになるにはいくら早くても高校生からのはずだろう!」
先生が怒りながら言うと、モントゴメリー博士が鼻で笑う。
「これは失礼、ミスター。しかし、法律なんてないんですよ。魔法法案の一つにパストラル就任は年齢を問わないとあるはずです。アメリカでもありますし、この日本にもあると確認済みですよ」
「担当教師として反対する、ふざけるな」
先生が言うと、モントゴメリー博士は肩を竦めて、困ったジェスチャーをする。
「あなたにそんな権利はないよ、先生。国家の利益、魔法規制に関わる世界の利益を考えればそんな身勝手言い方は出来ないだろう」
年配の山本博士が諭すように言うと、先生は言葉に詰まった。
「決定権は天羽さんにあります。どうしますか、天羽さん。了承頂けるなら、孤児院に補助金も出ますし、あなたは公務員扱いしますから、お給料も出ますし、この施設の私室はあなたの部屋よりも快適かと思いますよ」
「いつの間に孤児院育ちなんて調べたんですか?」
セレナの言葉に驚いて、言った。
「資料は手元にありますから」
「補助金って、どれくらいですか?」
「まあ、孤児院の子供たちが負担するであろう奨学金をかなり減らせます」
「具体的には?」
「今いる方全員」
数十人はいるぞ、うちの孤児院。それが全部免除されるのか。
四年間もお世話になった孤児院に恩返しが出来るのなら、それにお金ももらえるならば。
「……いいですよ」
「天羽、君はわかっていない! パストラルになるということは、国家の犬、いや、セイレムの奴隷になるようなものだぞ」
「言葉が過ぎますよ、先生。少なくともセイレム機関の人間の前で言うことではない」
モントゴメリー博士は苛立った様子で言った。すると、セレナ博士が苦笑する。
「博士、彼は教員としての職務を果たしているだけですよ。天羽さんはまだ中学生。ということで、義務教育を受けさせなければならない、だから敢えてこのような言い方をしたのでしょう」
「ふん、まあ、そういうことにしておいてやろう」
あっさり流されたけど、先生の発言はけっこう危険だった。セイレム機関とは魔法少女たちの管理・研究をしている国際機関だけど、機関・職員への罵詈雑言は処罰規定が各国で制定されている。下手をすれば先生は法律で罰せられるかもしれないのだ。
「しかし、先生。今の発言、しっかりと録音させて頂いております。天羽さんは同意、そして、先生はセイレム機関への問題発言。天羽さんがパストラルになってくれれば誰も嫌な思いはせずに丸く収まります」
セレナ博士はそう言うと、腕を組んで先生を見た。先生は舌打ちをする。
「お前たちは、お前たちはいつもそうやって子供たちを戦争に巻き込む。少女の次は少年か。戦うならば自分たちで戦うべきではないのか」
「ふふっ、神話をご存じですか、先生。各国の神話には子供たちが戦った話が数多くあります。そして、歴史的に見ても子供が戦った例はいくらでもあります」
セレナ博士がそう言うと、先生は僕を見た。
「……天羽、パストラルに本気でなるつもりか?」
「みんなが幸せになるんですから」
それに僕は魔法少女を尊敬している。彼女たちの傍で仕事をしていればいつか、桜 彩花に会えるかも知れない。
「……幸せ、幸せか。君はこの取引で孤児院の子たちを幸せにするかも知れないが、代償を支払うのだよ、それを忘れてはならないよ」
先生はまるで別れの言葉のように言った。このときの僕はまだ先生の言葉の意味がわからなかった。先生の悲しげな顔、博士たちがほくそ笑んでいることが印象的だった。
パストラルになることを同意すると、あとは手続きが早く済んだ。必要な書類にサインをして、いくつかの書類に書かれた質問事項にも回答した。未成年者にも関わらず同意書は本人のサインのみでいいと言われた。
「はい、天羽君。これですべてだ、お疲れ様」
僕は研究施設内の個室で軟禁されていた。職員の声でほっとして、時計を見るともう夜の七時だった。土曜に五時間も個室でひたすら紙に必要事項を書く。ひどい休みだ。
「荷物は明日到着する。なにもなくて申し訳ないが、君に割り当てた部屋に住むといい。職員寮への案内は――」
「彼は職員寮に入れないわ」
職員が言っている途中でセレナ博士の声が聞こえた。声のした方向を見ると、ドアの傍に博士が立っていた。初めて会った時と違って、ポロシャツにジーパンと印象が随分違う格好をしていた。
「博士、ではどこへ?」
「研究員寮へ入寮させます」
「研究員寮……って、あそこは女性研究員用でしょう」
「子供だからいいでしょう。職員寮に入れていじめられたら可哀想ですし」
「僕らいい大人ですよ」
「そういう趣味の人がいたら、研究に差し障りも出ますし」
「どういう意味ですか」
セレナ博士はそう言うと、僕の両肩に手を置いた。
「今日は自分の部屋で報告書を書く予定でしたし、案内しますよ。さあ、天羽さん」
セレナ博士はそう言って僕に起立を促す。とりあえず言われるままに立ち上がった僕は、借りてきた猫のごとく大人しく後に続いて部屋を出た。
無理もないことだ。彼女のような美女は滅多に見ることはない。しかも国際機関に所属している博士と何を話していいのかわからないほどの存在なのだ。
「明日から、早速パストラルの研修に出ます。魔法少女についての知識は?」
廊下を歩きながらセレナ博士が質問してきた。
「あ……その、一般常識的な範囲では知っています」
「ファンサイトでも名だたる会員なのに?」
そういえば、この機関、すごい情報力だったな。適性検査の時もあっという間に資料を揃えていたし。隠すだけ馬鹿らしいかも知れない。
「普通の人よりも知っていますよ。ウィッチランキング百五十位すべてのことを知っていますし」
「正直でよろしい。魔法についての知識は?」
「一般に出回っている範囲までですね」
「実践経験もないということね。まあ、機材がないと自分にどの程度魔力があるなんてわからないでしょうからね」
魔力はみんな少なからず持っているが、魔法少女やパストラルになれるほど持っている人は本当に少ない。量が少ないのだ。ゲームで言えば、ポイントが一以下ということだ。
「明日からは座学もあるし、実践研修もあるから楽しめると思うわ。学校の成績は?」
「中の下というところです」
「それは努力が必要ね」
「博士は、学校の成績はどうだったんですか?」
「困ったことはないくらいね」
国際機関に雇われるくらいなんだから、学校の成績なんて気にするまでもないんだろうな。羨ましいけど、そういう人でだいたい頭のネジが一本か二本跳んでいるとも聞く。
「羨ましいですね」
「小学校くらいの時は嬉しかったけど、学年が進むほど、気にしなくなった。まるで当たり前のことのようになって、私は学校とは別に自分で勉強するようになった」
「勉強が好きなんですか?」
「……私のような人種になると好きだからやるんじゃなくて、本能でやっていると表現した方が正しいかも知れない。私の話なんかより、君の話を聞かせて」
「僕の話ですか?」
「そう。パストラルになる人間の共通性を知りたいんだよ。法則がわかればあんな大きな機械を使って無差別に検査をする必要なんてない。金も時間も労力も削減できる
大きな貢献だよ」
「尋ねられても僕は自分で言うのもなんですが、普通ですよ。魔法少女については人より詳しいかもしれないけど、特殊な能力なんてないし、身体能力も特に高いわけじゃない」
「特殊な能力については、パストラルになるんだから期待していいわ。パストラル独自の、天羽君独特の魔法を少なくとも一つは手に入れるはずよ」
「僕だけの?」
「そう、まだ使えないけどね。君はまだ正式なパストラルではないから」
「そうか、デバイスコアがないから」
「さすが、知識はあるわね」
デバイスコアとはパストラルの手の甲に取り付ける魔力の増幅機だ。それがあって初めて僕の魔力は増強され、コントロールできる。
「そういえば、この施設には他にもパストラルがいるんですか?」
「セイレム機関の施設だからね。予備役で十名ほどいる他に、魔法少女と契約を結んでいるものが五人ほどいるわ。一人はトップ7の一人と、他二人は上位五十人に入る実力者たちと、残り二人は百位以下というところよ」
「トップ7? もしかして、桜 彩花が?」
僕が期待を込めて言うが、セレナ博士はため息をついた。
「天羽さん、知っているでしょう。かつて一位の座に君臨した桜 彩花は今、トップ7どころか、ランキングの圏外にいるってことを」
桜 彩花がランキング圏外にいることを僕は知っていた。
翌日の午後、義務教育のカリキュラムを受けながら僕は考えていた。授業は僕だけの個別授業……とはいえ、録画されている授業内容を聞き、達成度を確認する問題を受けるだけだ。先生の脱線した話もなく、生徒を指名して問題を解かせることもない。だから、授業は効率的に進む。
だが、理屈上効率的でも受ける側にしてみれば気が滅入り、別のことを考えてしまうのもまた事実だ。
僕は桜 彩花のことを、僕の知っている限りの知識を思い出す。
桜 彩花。七歳にして魔法少女になり、異星人たち(インベーダー)と数々の激闘を繰り広げる。撃破数は十二歳で終戦を迎えるまでの合計で数十万を超え、計算上、異星人軍の一個軍団を単騎で全滅させたことになる。その戦闘力もさることながら、どんな過酷な戦場の中にあっても明るさを忘れず周囲に笑顔を振りまく、天使のような少女だったという。彼女の魔法属性が「光」ということもあり、光の天使と呼ばれていたそうだ。それで、ランキングは常に一位。彼女を崇拝する人々も多く、同じ魔法少女の中にも信奉する一派ができ、終戦後は救世主などと褒められたほどだ。
そんな彼女は終戦後、国家連合同士の紛争が始まると、第一線から身を退け、パストラル制度が整うと目撃情報さえも途絶え、いつしかランキングからも姿を消していた。
彼女は死んだのか、と問う人もいたが、圧倒的な力を持った彼女を誰が殺せるのか。病気という情報もあったが、それにしては入院している情報も一切入らない。
折角、セイレム機関に入っているのだから調べてみても良いかもしれないと僕はその時思った。
午後の座学は三時に終わり、僕は研究棟の一室へ行くよう指示を受けた。
第三研究場と呼ばれる大きな部屋の扉を開くと、相変わらず白亜の壁に囲われた大きな部屋へと出る。なにかの検査機械がいくつも並び、部屋の中央にはステージのようなものがある。天井は六メートルほどの高さはあるだろうか、高さが教室の倍以上もある。研究員が八名ほどいて、その中にセレナ博士がいた。彼女は僕に気づくと手を振った。最初の印象よりも随分と話しやすい人だと思うようになってきた。僕は早足で彼女の元へと近づく。
「天羽さん、時間通りですね。では、早速、デバイスコアの施術を始めましょうか。怖がることはないですよ、すぐに終わりますから」
セレナ博士はそう言うと、他の研究員を見る。若い男性の研究員は頷くと、僕を見た。
「天羽さん、こちらです」
研究員の案内でステージの上に上がる。床には碁盤の目のような文様なのかディスプレイなのかそんなものになっていた。ステージの中央には椅子が備え付けられていた。言われるままに僕はそこに座る。
「では、施術を始めますから、左手でも右手でもデバイスコアを付けてほしい方を肘掛けの隣の台の上に手の甲を上に向けて置いてください」
椅子の横を見ると、肘掛けの隣に台座が付いてあった。
「普通はどちらなんですか?」
「人それぞれだねぇ。利き手を選ぶ人もいれば、反対側を選ぶ人もいる」
「どうして利き手の反対なんですか?」
「パストラルを無効化するにはデバイスコアを破壊する。つまり、デバイスコアを持つ手が攻撃を受けやすい。そういうわけさ」
最悪、失うことになった場合のリスクを減らすということかな。だからどちらの手にするかは重要な訳か。
……僕は左手を台座の上に置いた。利き手はフリーにしておきたい。そうだ、僕はこれから戦いの中に身を投じるんだ。そう思うと手が震えた。慌てて、右手で左手を押さえる。
「これはいけない」
いつの間にか別の研究員が来ていて、僕の左手を押さえる。そして、すると、向かいの研究員が僕の右手をどけると、注射器を僕の腕に刺した。
「鎮静剤です。収まるのを待っていられませんからね」
さすが国際機関の研究員、やることが強引だ。
次第に左手の震えは止まった。すると、二人の研究員は頷いて、ステージから出た。
……施術ってこれで終わりじゃないよな。
そう思っていると、ステージの床の一部が動き、マニピュレータが床から出てきた。一本、二本、瞬きをすればどんどん増えていく。驚いている間にマニピュレータたちが僕の左手に群がり、何かをしている。痛みは感じない。さっきの注射器、鎮静剤じゃなくて麻酔だったんじゃないのか。そんなことを思っているうちに意識が遠くなっていった。
目を覚ますと、僕は先ほどとは違う部屋にいた。左手を見ると、手の甲に十二角形の大きな青い宝石がついていた。それがデバイスコアだった。僕は左手を伸ばして、デバイスコアを見る。
僕もパストラルになったのだな、と改めて思った。
『天羽 遼斗。起きていれば、立ち上がってください。パストラルとしての能力値測定と固有魔法の確認、ファミリア形態の確認をします』
機械音声……か。固有魔法? ファミリア?
聞き慣れない単語を聞きながら僕は立ち上がる。まだ麻酔が残っているせいか。頭がいつもより回らない。
とりあえず、立ち上がる。
『デバイスコアが取り付けられている腕を前に突き出してください』
言われたとおりに左手を前に出す。
『初歩的な攻撃・防御の魔法発動はデバイスコアで問題なく処理できます。あなたの能力を測るために正面に見えるターゲットに向かって、魔法弾を撃つイメージをしてください。かけ声が言いたければご自由に』
魔法がそんな簡単に使えるのか? とりあえず言われたとおりにやってみる。魔法弾をイメージして撃つ。桜が魔法弾を撃った時の写真や映像を思い出す。
「行け!」
言った瞬間、水色の魔法弾が左手の先から出て、部屋の向こう側(数十メートルほど先)の標的を撃ち抜いた。
『あと二度行ってください』
言われたとおり、さらに二度標的を撃ち抜く。
『次に防御力です。これからゴム弾を撃ちますので身体を守ってください。シールドを張るイメージをすれば防御魔法が発動します。ゴム弾は十秒後、正面より撃たれます』
いきなり、ゴム弾を撃たれると聞いて、僕は驚いた。
「なっ、何を言って……」
言いつつもとりあえず、自分の身を守るシールドをイメージする。
なにかが僕の前で音を立て吹き飛んだ。
『二十秒後、三十秒後にそれぞれまたゴム弾を撃ちます。警戒してください』
機械音声がまた物騒なことを言ったが、シールドを張り続けて防いだ。
『防御能力の計測終了。続いて、固有魔法を確認します。今までの攻撃、防御以外のイメージで魔法と聞いて直感的に思ったものが発動します』
直感的に思ったものか。出来るだけ役に立つものがいいけど。
ふと気がつくと、近くで鳥が羽ばたく音が聞こえた。鳥なんてどこにいた? ここは室内だろ。周りを見るが、鳥の姿は見えない。妙だな。
少し動いてみると、いつも感じているはずの地面の感触がない。身体の重さもなんだか違う。とても軽い。
「なんだ、何が起きているんだ」
僕の声はいつも通りに出た。機械音声がなかなか来ない。
『ファミリアの確認完了……? 固有魔法の確認検査が終了しておりません。固有魔法確認検査へ戻ります。攻撃、防御以外のイメージで魔法と聞いて直感的に思ったものが発動します。イメージしてください』
ファミリア形態のことがよくわからないので、困惑するが、もう一度イメージしてみると、突然、僕の視点が低くなった。床が随分と近い。どういうことだろうかと、手を見てみようとすると、驚いて言葉を失った。僕の手が犬のようになっていた。いや、自分の身体を見てみると、僕は犬になっていたのだ。
「どういうことだ?」
『固有魔法確認。……サンプルデータの追加収集依頼を確認。もう一度固有魔法を発動してみてください。ただし、今度は右に見えるモニターに見えるものをイメージしてください』
サンプルデータがほしい、か。右のモニターを見上げる。たぶん、人の姿であれば横を向くだけで十分だったのに。
モニターに映ったのは猫だった。魔法で変身するイメージをする。すると、またさらに視点が低くなった。とりあえず、両手を見てみると、猫のそれになっていた。
次に移されたのはバイクだった。こんなものになれるかと思った。もちろん、なれなかった。僕が首を振ると次に移ったのは見ず知らずの若い男の人だった。頭の中でイメージしてみる。すると、僕よりも背が高い、イメージ通りの男性の姿になった。
「これが僕の固有魔法か?」
僕でもだんだんとわかってきた。すると、機械音声はファミリア形態の確認と言うことで動物を何かイメージするように指示してきた。後ろに鏡があるという。僕は後ろを振り向いて、鏡を確認すると、動物をイメージする。それはツバメだった。
『それがあなたのファミリア形態です。ファミリア形態は魔法少女たちと連携をとる際などに利用する変身です。解除方法は自分の元の姿をイメージしてください。詳しい使い方は明日以降の座学、実践訓練で学んでいくことになります。では、魔法測定に関しては以上です。お疲れ様でした』
機械音声が聞こえた後にとりあえず元の姿に戻る。服も元通りだったので不思議に思ったが、そこは明日以降の座学で教えてもらうことにしよう。
「天羽さん、お疲れ様」
セレナ博士の声が聞こえたので、その方向を見る。すると、白衣姿のセレナ博士がいた。いつの間にか部屋に入ってきていたようだ。
「博士、お疲れ様です」
「ふふっ、検査は疲れたでしょう。今日は先に帰っていていいわ。もう遅い時間だし。鞄は部屋に届けさせたから手ぶらで帰って大丈夫よ」
僕は時計を探して見てみると、すでに八時を回っていた。
「五時間も検査を?」
「ほとんど麻酔で寝ている時間だったでしょうけどね。初めて魔法を使ったから疲労感は相当なはずだけど」
セレナ博士にそう言われたが、自分ではあまり疲労感がなかった。その様子に彼女も少し驚く。
「あら、さすが若い子は違うのね」
「博士は帰らないんですか?」
「私は今日の検査データをまとめるのと他の魔法少女の定期検査結果をまとめないといけないの」
「何時頃に終わりそうなんですか?」
「そうね。午前になる前には終わらせたいわね」
セレナ博士は言った後で笑顔を見せた。毎日、そんなに残っているのだろうか。そういえば、昨日も遅かったようだし。
「博士、無理しない方が良いですよ」
思わずそんなことを言うと、セレナ博士はきれいな碧眼を大きく開けたあとで満面の笑顔を見せた。
「ありがとう、天羽さん。わかったわ、今日は無理しないで早く帰るようにする。そういえば、今日の検査で気になったことや質問とかある?」
セレナ博士が聞いてきた。この美人の博士ともう少し話したいこともあって、思ったことを言ってみることにした。
「あの、僕の固有魔法って、どういうものになるんですか?」
尋ねると、セレナ博士は腕を組んで右手の人差し指を自分の頬を軽く突いた。
「そうねぇ、変化系の魔法ね。しかも割とレベルが高い方よ」
「いろんなものに変身できるものはわかりましたけど、機械とかは無理みたいです」
「そうね。そこまで出来るパストラルは今のところ、見たことがないかな。名前はあとでセイレム機関から連絡が来るけど、希望があれば上申するわ」
ネーミングセンスがあるわけでもないので、任せることにした。
「他には?」
「ええっと、僕の能力って高い方なんですか?」
セレナ博士は手元のタブレット端末を見る。
「そうね、まだ計算中みたいね。でも、見ていた感じ、悪くなさそうよ」
悪くないと言われると、とりあえず安心する。
「博士、ここにいましたか」
話を続けようとすると、男性職員が入ってきた。セレナ博士は職員を見る。
「何か用?」
「新しい機材の設置が完了したので、説明をさせてください」
「わかりました」
セレナ博士が歩き始めると、僕は声をかけた。どうしてももう一つ尋ねたいことがあった。
「セレナ博士、桜 彩花さんは今、どこにいるんですか?」
僕の質問にセレナ博士は一瞬だけ笑ったように見えた。しかし、それが気のせいだったかのようにセレナ博士は急に冷めた表情を見せた。
「……君が桜 彩花を尊敬していることは知っているけど、そんな都合よく会えるわけがないでしょう。さあ、さっさと部屋に戻って休みなさい」
つれないことを言われたが、確かにセレナ博士が言う通り、都合がよすぎる話だ。僕はとりあえず、部屋に戻ることにした。
メイシュガール ~魔法少女大戦~ 第一話・上
設定や世界観について考えるのが大変でした。でも、デバイスコアの施術用機械や戦争が起きたら学校はどのように守るのだろう、とか、徴兵制度などで教育制度が瓦解するとどれくらいで復興されるのだろうと想像するのは楽しかったです。