花火と娘

 ソファで猫の顎を撫でていると、娘に肩をつつかれた。
 花火大会に行くんだけど、と言って、そのまま俯いてもじもじとした。そういえば昨日の打ち合わせで、編集の荻原くんに誘われた気がする。何だかよくわからないまま断ってしまったけれど、今日だったら予定もなかったし、行っても良かったかもしれない。
 娘は紺の浴衣と黄色の帯を差し出した。こういうところが父親にそっくりになってきたなと思う。二年ぶりに浴衣を着たいから、手伝ってほしいということらしかった。
 思春期真っ盛りのまま、娘は高校生になっていた。娘が母親に冷たくなるのは当然だと言われてきたから仕方がないとしか言えないけれど、ここまで会話が続かないと、壁に向かっているように思えてくる。父親譲りの無口さも手伝ってるから、尚のこと厄介だ。
 「これねえ、この、この柄ね。素敵よね、紫陽花。私の初めての浴衣。おばあちゃんがくれたのよね。」
 娘に浴衣を羽織らせて一言。
 「お父さんと一緒に花火大会に行ったのよ。これを着てね。巣鴨だったかしら。そこで待ち合わせて。雨が降ってきて結局見れなかったんだけど。」
 おはしょりを整えて一言。この話は何回もしすぎたかもしれない。
 「帯は今度買いなおした方が良いのかな。あなたには、そうね、ピンクなんかが似合うと思うのよ。ね、どう?」
 帯を巻いて一言。
 「……うん」
 帯を結んで、娘が一言。
 返事が返ってきたのがあまりにも久しぶりで、三回くらい結び間違えてしまった。反応があったとしても、話すぎてため息をつかれるくらいと思っていた。
 「じゃあ今度買いに行こうね。次の土曜にでも。あ、もし、空いてたらだけど。」
 「うん、空いてる。行く。」
 いつもは買い物に誘っても断るのに、珍しく乗り気なようだった。娘は頷くと、髪を手早く三つ編みにした。日焼けして茶色くなった髪と、地の黒髪とが交互に重なる。それを見てると、なんだか娘が知らない間に、知らない姿に変わっていくような気がした。距離を置かれてる間に、自分の娘がこんなに変わるのは、なんだかちょっぴり悲しい。いつからこんなに大人っぽくなったんだろう。娘は、一体誰と花火を見るんだろう。
 「すぐ行くの」
 ねえ誰と行くかお母さんに教えて、なんて、そんなことは聞けなかった。浴衣効果でたまたま機嫌が良かったかもしれないけれど、うざがられてさっきの約束を反故にされたらたまらない。
 「うん。待たせてるから。」
 娘はいそいそと下駄を履いた。慣れないのに、転ばないかしらなんて心配になる。もう小さい子でもないのに。靴擦れしたら痛いからと思って絆創膏を渡すと、いい、と断られた。そう、とすこし落ち込むと、
 「……あのねえ、彼氏できたの。絆創膏、多分持ってきてくれるから。それ、もらいたいんだ。」
 と言った。小さな小さな声だった。私は、まさかそんなことを言われるなんて思わなくて照れてしまった。多分、娘も照れていたんだと思う。
 「そっか」
 「うん」
 娘が恥ずかしいのを隠すように出て行ってから、しまったなと思った。可愛い髪飾りの一つくらい、つけてやればよかった。ちょっといい匂いのする練香水でも、持たせてやればよかった。外ではあんな風にたくさん話すのかしら。なんだかとっても気になってしまって、無駄に廊下を行ったり来たりしてしまう。
 花火大会は七時かららしい。花火大会なんてもう興味がなかったのに、無性に見たくなってしまった。ここからも見えるんだろうか。あっちからは見えないだろうな。花火は、一緒にいたい人と見るのが一番なのに、と思って、携帯を取り出す。
 「もしもし、あのねえ」
 久しぶりの電話は、前と同じ。私がまくしたてるだけ。
 あの子に彼氏が出来てね、あと私と話してくれて、それで、一緒に花火大会に行くって……。
 「ちょっと嬉しくなっちゃって」
 だから私も花火見てるんだよね、と言うと、
 娘によく似た笑い声が聞こえた。
 来年は家族で見に行きたいな、と思った。思ったことが素直に言えないのは、私の方だった。

花火と娘

めっちゃ花火大会行きたい

花火と娘

花火大会行きたい気持ちを爆発させて書きました。 書いてる最中に近所で誰かが打ち上げてる花火の音がして、運命しか感じていません。 珍しく家族ものを書いたのでつむじがかゆい。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-08-09

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