Wizard Earth Traveler-ウィザード アース トラベラァ
[プロローグ]
突然だけど君は死後の世界ってどう思うだろうか?
“どう”とはつまり…もし存在したとしたらどんな世界だと思うかというこどだ。
もちろん「そんなものは存在しない」という答えも全然OKだ。
しかし俺はあえて、「存在する」と考える人に聞いてみたい。
それは極楽浄土か…。
あるいは無の境地か。
いずれにしてもこれは答えのない質問だ。
少なくとも死んでみないことには分からないことだと俺は思う。
では、質問を変えよう。
貴方は幽霊がいると思うか?
「幽霊がいる」と答えた人は暗に「死後の世界を肯定する」ということになるだろうか?
しかし、どうだろう?
考えてみてほしい。
“それ”は本当に“死後の世界”足りえるだろうか?
“肉体の死”は本当に“肉体の終わり”を意味するのだろうか?
……さぁ、そろそろ閑話休題といこう。
そもそもこんな哲学的な話は俺“神谷 翔”のキャラじゃない。
俺はなんて言うか、もっとこうフランクな思考回路を有している人間だ。
言うなればポジティブ。
でもまぁ、俺も好きでこんな質問をしたわけじゃない。
そう、わけがあるのだ。
だって俺は。
―――一度死んでいるのだから。
[ 一 ]
「何変な顔してんの?」
俺がとある丘の木陰で哲学的に脳内の友人に話しかけていると横からそんな言葉がかけられた。
ヒノエ・フランベージ。
均整のとれた顔立ちに燃えるような紅い髪を腰下まで伸ばした少女。
美人というより美少女といった感じで思わずドキリとするがいかんせん、その高慢な態度とふてぶてしい目つきがマイナスだ。
俺は両手を広げ仰々しく驚いてみせる。
「俺のような好青年を捕まえて変な顔だと?は!笑わせるなよこの魔女っこが!!」
「なんですってっ!?……て、それ悪口?」
(くっ!まさかの開口一番で言葉を誤ったかっ!!)
この少女は着込んでいる純白と紺からなるローブからも分かるように実は魔法を使いこなす。
“本物の魔法使い”なのだ。
“本物の魔法使い”に“魔女っこ”は悪口にならなかったらしい。
「むしろ響きが可愛くて気に入ったわ。これからは“魔女っこヒノエ”と名乗ることにしましょう」
「それはいいのか!?」
お前のようなツンケンした女が“魔女っこ”って似合わな過ぎるっ!
言った俺が言うのもなんだけどなっ!!
「“魔女っこフランちゃん”」
「名前の問題じゃねぇっ!お前に可愛いものが似合わなねぇんだよっ!!」
「“魔女っこショウちゃん”?」
「俺を引き合いに出すなっ!!男で魔女っこって素直にキモいわっ!!」
「そんなに自分を卑下しなくても……」
「そうゆう意味じゃないよねぇ!?」
ヒノエはひとしきり俺をいじると「ふふん」と何か勝ち誇ったように笑って踵を返す。
なんと性質が悪い女だろうか。
人の感情を逆なでするだけ逆なでして軽くあしらうとは…。
ヒノエが向かう先。この丘の眼下にはどこか中世的な雰囲気が漂うレンガ造りの町並みが見える。
そこかしこに風車が立てられており、中央には大きな鐘の付いた教会のようなものまである。
「ラクシュミ…か」
俺は感慨深くそうつぶやく。
ラクシュミ。それがこの町の名前。
俺が死んだ後に落ちた町の名前だ。
そう、俺は確かに死んだ。はずだった。
まぁそれは置いておこう。
なぜなら俺はその時のことを語りたくない。
でも、そうだな。
このままではあまりに投げっぱなしなので何故、語りなくないのかだけは教えておこうと思う。
なに。別に壮絶なドラマがあってその果てに死んだ、とかいうものではないのだ。
そんなドラマがあれば俺だってもろ手を挙げて末代まで語る。
語りたくない理由。
それは一重に俺の死に方がとことん間抜けな死に方だからだ。
語る価値もないくらい。
ええ、そりゃもうこの上ないくらいに間抜けな死に方だ。
豆腐の角に頭をぶつけて死ぬくらい間抜けな死に方だ。
いや、そう言う風に見ればある意味では爆笑モノの死に方かもしれない。
とにかく、もうあっさりと。
この上ないくらい、あっさりと死んだ。
あら不思議ってね。
でも本当に不思議なことが起こったのはその後だった。
自分が死んだと感じた瞬間俺は浮遊感に襲われた。
ああ、これが死ぬってことか…と思ったがそれは間違いだった。
だって俺は本当に空に浮いていたのだから。
というより落ちていた。
真っ逆さまに。されどもゆっくりとした速さで落ちていた。
どこまでも続く青い空。
どこまでも続く地平線。
俺はその光景をどこか夢見心地で眺めていたのを覚えている。
そして落ち続けたすえ、大した衝撃もなく降り立った場所がちょうどこの丘だ。
名前もない、ただの丘。
いやホント、死んだ後のことなんて分からないものだ。
俺は死んだと思ったその次の瞬間には新天地に足を踏み入れていたのだから。
『死んだものが全てそうなのか?』とか聞かれてもそんなことは分からないが。
少なくとも、俺がこの世界で知り合った人に俺が体験したような経緯でここに来たという人はいなかった。皆この世界で生を受け時間を経て今にいたった者たちばかりだ。
つまり、一概にこの世界は“死者の世界”とは言えないのである。
とにかく俺は死んだ後、この世界へと飛ばされた。
もしかしたら、何か未知の力が作用したのかもしれないし、
死の間際で願った俺の思いがそうさせたのかもしれない。
なんにせよ、そんなことは当事者である俺にも見当がつかない。
まぁ、これもいい機会だ。
心機一転。
この世界で俺は新しい一歩を踏み出すのだ。
そう密かに胸を躍らせながら、俺はこの新天地を見渡した。
ちなみにこの新天地がまた曲者だ。
俺が住んでいた世界の常識なんてまるで通用しない。
驚くことにこの世界ではファンタジーの象徴、というより定番とも言える魔法が横行しているのだ。
魔法だぜ?
あの漫画やアニメでこれでもかってくらいに見せ付けられる魔法をそのまま想像してくれれば分かりやすいと思う。
そんな魔法だ。
十人に一人は魔法を使いやがる。
俺も是非使えるようになりたい。
ついでにまだ見たことはないが魔物までいるらしい。
できることならそちらはご遠慮願いたいところだ。
そんなこんなでこの世界……、そういえばこの町の名前以外に聞いてなかったから仮に“幻想世界”とでも名づけよう。
「まんまじゃんっ」とか「ネーミングセンス悪っ」とかの苦情は一切受けつけねぇから悪しからず。
あ、でもカッコいい名前があれば気軽に言ってくれ。
いい提案はもろ手を挙げてウェルカムだ。
まぁこの幻想世界(仮)に落ちた俺は、当たり前のように右も左も分からず。
日本で普通に暮らしていた一大学生だったこともありサバイバル能力も皆無。
突然、飛びぬけた生存能力が開花するわけもなかったわけで。
ピンチだった。
いや、マジで。
だってねえ。二日も野宿したんですよ?
ほぼ呑まず食わずで。
確かに目の前に町はあったわけだけど。
なんつーか怖いじゃん。
今、俺のことをチキンとか思ったか?思っただろう!?
むしろ思ったと言えっ!!
……よし。
何がよしなのかは全面的に無視して…考えてみてくれよ。
俺は一度、死を体験したんだぜ?
自分の力ではどうしようもない現実を見せ付けられたわけだ。
その直後に見知らぬ土地に放り出されてみろよ。
心の中はもう大・混・乱☆って感じだよ。
文字通り頭の中で☆が乱舞してたね。
そんな心境で全然見たこともないような雰囲気の町に行きたいと思うか?
言葉が通じるかも分からない。治安が悪いかもしれない。
いきなり刺されるかもしれない。
いや、そこまではさすがにないだろうが。
人間追い詰められると、弱気が下方向に加速していくもんなのさ。
……たぶんそう。きっと俺だけじゃないよね?
とにかくそんな感じでもうマイナススパイラルだよ。
あっはっはっ。
情けない話なんだが、結論を言うとまぁ…なんだかんだで助かった。
目の前のこの紅い髪の少女のおかげで。
「……何よ?」
俺の視線に気付いて目の前の少女、ヒノエ・フランベージがその腰より長い紅髪を揺らして振り返る。
「いや、あの時は助かったなぁと思って」
「あの時?…ああ、あんたがゾンビよろしく私に物乞いしてきた時ね」
……ゾンビって。
「……俺、そんなに酷かったのか?」
「酷かった」
ひどっ
「腐敗してた」
腐敗っ!?
「なんか新手の魔物かと思ったわ」
「…いや、いくらなんでもそれは…」
「冗談だろ」と言いたかったがヒノエがあの時のことを思い出して体を抱え込むように身震いしているのを見ると言葉が詰まってしまった。
タララタッタラ~♪―――<神谷 翔>は<ゾンビ>へと進化した。
一度死んだだけにシャレにならん。
まぁ確かに思い返してみるとアレはそう思われても仕方なかったのかもしれん。
あの時の俺はどうかしていたのだ。
なんせ女神を見たからな。
正確には“女神を見た気がした”だけど。
しかし、残念ながら実際は女神ではなく、こいつ…ヒノエ・フランベージだったわけだが。
こいつ容姿だけはいいからな。
あの時、死にかけの俺は通りがかったこの女が不覚にも女神に見えてしまった。
そして文字通りゾンビのごとく助けを乞うた。ついでに言うなら当初危惧していた言葉が通じないという疑惑はこのときに払拭されたわけだ。
「ええ、ホントにゾンビだったわね。アレは。」
ヒノエが苦虫を噛み潰したような顔をして俺をみる。
というか、ゴミでも見るような目をしていらっしゃる。
その視線の悲壮さに思わず顔をそらす俺。
「メシぃ…食い物ぉっ!…ミズっみずっ…!」
ヒノエは身体をだらんと前に倒し上目ずかいで手を前に伸ばしながらそんなことを言いだした。
どうやらあの時の俺の真似らしい。
「…………」
俺ってホントにこんな感じだったのかな。
なんか見てるとすごいやるせない気分になってくるんですが。
「めしっ…水ぅ!…ついでに雨風しのげる部屋と暖かいベッドっ!!」
「いやいやいや!どんだけ図々しいんだよ俺っ!!」
さすがにそれは嘘だろ!?嘘だと言ってくれっ!!
少なくとも俺にそんな記憶はないっ!!
「いや、実際はこれに付け加えてお風呂と着替えも要求してきたわよ?」
「嘘だぁっ!?」
「ついでにドサクサにまぎれて私の胸を触ろうとしたからその場で昏倒させたけどね」
「どんだけ欲に忠実なのっ!?ゾンビの俺っ!!」
たしかにいつの間にかベッドに寝かされていたけど、そんな過程があったのかっ!?
てっきり疲労で気絶しただけだと思っていただけに聞きたくない事実を聞いてしまった。
俺、エロゾンビ。
「俺…もう立ち直れないかもしれない。…さようならクールな俺…」
「大丈夫」
ヒノエは俺に微笑みかける。
おぉ、あのヒノエが俺を慰めてくれるのか。
ヒノエは基本、俺以外には優しいみたいだからな。
俺にもそうゆう風に接してくれるときもあるのかもしれない。
「私があなたを見る目はいつもクールだから」
「うわぁぁあああああああっ!!」
俺はその場に崩れるようにうずくまる。
そうか。今分かった。
やけに俺に対してだけ辛らつに対応すると思ったんだ。
そう。
出会い方が悪すぎたのだ。
そりゃそうだ。エロゾンビとなんか誰が仲良くしたいと思うだろう。
俺だってそんなヤツ願い下げだ。
ヒノエはやはり優しい方なのだろう。
そんなエロゾンビでもちゃんと助けてくれて、なおかつ身寄りのない俺を養ってくれているのだから。
いや、養ってくれてるって言ったが別にヒモって意味じゃないぜ?
ちゃんと居候させてもらうかわりに色々と家の仕事なんかを手伝ったりしてるんだ。
そうだ。落ち込んでる暇があったら頑張ろう。
失った信頼…というか元からゼロに等しい信頼度はこれからの行動でプラスにしていかねばなるまい。
そう決意して俺は立ち上がる。
「……仕事だ」
「え?」
ヒノエが怪訝そうに俺を見る。
「俺に仕事をくれっ!!ヒノエっ!いや女王様っ!!」
「誰が女王様よ、このエロゾンビっ!!」
「ぐはっ!?」
俺のみぞおちに弾丸のようなドロップキックが飛んできた。
回避不能。というか予測も不能だった。
いや、女王様でエロゾンビって…まぁ考えてることはなんとなく分かるんだがそうゆうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ。
てか、どんな仕事だよ。SMプレイの仕事か?
……悪くないかもな。
「がっはっ!?」
そんなことを考えてると今度はカカト落としが脳天に直撃した。
お前そのローブ着こんどいてどんだけ足技が華麗なんだよ。
でも…あぁ、なんか美しい。
垣間見えるお花畑と重なって目の前がキラキラしてる。
あ、俺このままじゃ何かに目覚めてしまうかも…
とそこまで考えたところで俺の側頭部を破壊せんばかりの殺意がこもった回し蹴りで俺は意識を失った。
…意識を失う直前に見たヒノエは顔を真っ赤にして涙を目の端に溜めていたのがかなり可愛くてツボだったのだが、その光景が俺のメモリーに残されることはなかった。
[ 二 ]
さて、そんなことがあった昼下がり。
目を覚ました俺は昼食もとらずに(怒ったヒノエが用意してくれなかった)町のふもとにある大きな池に来ていた。
気を失っていたせいでずいぶん遅くなってしまったが本日最初の仕事である“水汲み”をするために来ているのだ。
町のふもとと言ったがこの辺りは丘陵地帯になっているため歩くのにもかなり苦労する。
よって町から出た俺は苦労に苦難を重ね、一時間以上の時間をかけてここまで来たのである。
「はぁ……たりぃ…」
俺は持ってきた大きめの水筒を池の水に浸しながら思わずぼやく。
ここまでしてここの水を汲んでくる必要性が分からないからだ。
普段使う水は近くを流れる川から直接町へと引き入れているのでいつもはそちらを使っているし、ここは比較的降雨量が多い地域らしく水資源は豊富だ。
だからこそここまで時間をかけてあえてこの池の水を汲んでくる理由が俺には分からなかった。
理由が分からないからためにこの仕事に対して気が入らず、ついついぼやいてしまう。
まぁ、ただの水汲みなんだけどね。
それ故になんで?って思ってしまう。
「ちゃんと理由、聞いとくんだったかな…」
そうつぶやいて、やはり思い直す。
気を失った俺が目を覚まして、ヒノエに話しかけようとしたとき、ヒノエは淡々と本日の仕事(水汲み)を言い渡した。
俺はそのときのヒノエに何か声をかけようとは思えなかった。
恐怖で。
仕事だけ言い渡してこちらを振り向きもせず、黙々とマキを割るヒノエの姿が脳裏に蘇る。
うつむき加減の顔は黒い影が差し、表情の窺えないヒノエが…手にしたナタを―――振り下ろす。―――振り下ろす。―――振り下ろす。
「あれはヘタに話しかけるとこっちの頭が割られていたな……」
俺は嘆息して立ち上がると、中身がいっぱいになった水筒の口を閉じて空を見上げる。
青い空に浮き出た真っ白な雲がジッと見ていないと分からないくらいゆっくりと流れていく。
ピーヒョロロとどこかトンビの鳴き声を思わせるものまで聞こえてきて、しばし穏やかな気持ちで目を閉じる。
ここに来て…というか俺が死んでから、もう一ヶ月は経っただろうか?今日も一日平穏に過ぎていきそうだ。
「っと、そういやなんか事件があったんだっけ…」
事件というよりニュースみたいなもんだが、今日町を出るときにこの町では珍しく人だかりが出来ていた。
そこはこの町を管理、統括している協会の人が最新の外情報なんかを張り出す掲示板のある場所だ。
この町、ラクシュミは先にも述べたように回りが丘陵地帯になっている。
ついでに言えばこのラクシュミ自体も小高い斜面の上に栄えているために外界とはほとんど隔絶されてしまっていると言ってもおかしくはない。
そのため町は人の出入りが少なく、あまり活気がない…と言えば少々語弊があるがまぁ静かな町、ということだ。落ち着きのある雰囲気が町全体を包んでいる。
そんな町だからか外からの情報や新しいものに必要以上に敏感なのだろう。
今もこの掲示板に張り出された新しい情報に人々は珍しく活気付いていた。
「なにかあったんですか?」
俺は近くにいたお爺さんに訪ねてみる。
俺も掲示板を観ればいい話なのだろうがいかんせん、俺はこの国の字が読めない。
使っている言語は俺と変わりないから会話はできるのだが。文字体系が違いすぎる。
この掲示板には臨時の仕事なんかも張り出されるらしいので、居候の身としては早く文字を理解できるようになって働いて収入を家に収めたいところなのだが…。
お爺さんは俺に気付くとにこやかに手を俺の肩に置いて口を開く。顎に蓄えた白い髭が特徴的で人懐っこそうな人相はまさに好々爺といった感じだ。
「おお、これはヒノエちゃんとこの若旦那。今日はどちらに?」
「若旦那って…」
ヒノエが聞いたら血相変えて怒り出しそうなことを言う。
たぶん怒られるのはこの爺さんじゃなくて俺なんだろうけどなぁ。
「今日はヒノエに頼まれてふもとの池まで」
「ほうほう、それはまたどうしてそんなところに……大変じゃろうて。どれ、これをあげよう」
そういって爺さんは懐から小さな袋を取り出す。
中には赤や黄色といった色の透き通るような丸い玉が何個か入っていた。
「…これは?」
「アメじゃよ。道程はきついじゃろうからの。それ食べて元気だすとええ」
「あ、ありがとうございますっ!」
うわっ。めちゃくちゃ嬉しい。
昼を食べ損ねた分、今日は何も食べずに行く覚悟だった俺は予期せぬ収穫を得て小躍りしたくなるくらいテンションが上がる。
(爺さんサイコ―っ!!)
そんな俺を見て爺さんは優しげな笑みを浮かべる。
「そう言えば掲示板はもう観なさったかね?」
「…あ」
そうだった。それが聞きたくて俺はこの爺さんに話しかけたんじゃなかったか?
あれ、でも最初に話を変えたのって……まぁいいか。
「いえ…まだ観てないです。何があったんですか?」
さすがに文字が読めないとは恥ずかしくて言えずにそう問い返す。
「いやなに、このすぐ近くの町…と言っても山の向こうになるから見えわせんが…、エンキドというその町の近くにドラゴンが巣を作ってしまったらしくての。そのドラゴンを追い払うため討伐隊が組まれたらしいのじゃ」
「ドラゴンっ!?」
俺はドラゴンという言葉に声をあげて驚く。
つーかドラゴンまでいるのかよこの世界は……いやこの場合はいてもおかしくはないのか?
それでもやはり、ドラゴンがこの近くにいると思うと驚きだ。
「やっぱ危険、…なんですよね?ドラゴンって…」
俺がこの世界のドラゴンがどれほどの脅威なのか検討がつかないのでそう尋ねると、爺さんは別の意味で捉えたらしくこう答える。
「それはのう。いくら討伐隊といえど歯が立つとは思えんのう…。討伐隊とは名乗っているものの精々ドラゴンを人のいない地域へ誘導するのが関の山。それすらもやはり困難じゃろうて」
「そんなにっ!?」
はっきり言って人間が無力ってことじゃぁないかっ!
ゲームなんかではバンバン倒してるこのご時世にっ!!
……リアルはやっぱ凄いってことか。
「なんじゃ?ドラゴンの被害を聞いたことはないんですかいのう?」
「え?…ええ、まぁ…」
そんなドラゴン被害がさも当たり前みたいに言わないでいただきたい。
初耳です。ドラゴンの存在自体。
「それでも大陸中央部の方に行けばドラゴン退治を生業にするハンターがいるとかは聞くので、討伐自体が不可能というわけではないんじゃろうが…」
「それもまた…」
人としての域を超えすぎてないか?
とは思ったが魔法があるくらいだ。もしかしたら何かドラゴンに有効な手段があるのかもしれない。
俺には到底相手取ることは無理だろうがな。
「そのハンターですら数人のパーティーを組んでドラゴン退治に挑むと言いますしのう。こんな辺境にそんなに強者がごろごろいるわけでもなし…やはり討伐は不可能でしょうな」
爺さんは快活に笑ってそんなことを言う。
いや、笑い事じゃないだろうに。
「でも、そうなるとここも危険じゃないですか?」
俺はふと思ったことを口にする。
「討伐もできないような強いドラゴンを移動させるためとはいえ無闇にちょっかい出したりしたら。下手するとドラゴンが怒って近隣の町なんかを襲うんじゃないですか?」
俺の話を聞いて爺さんはフムと思案気にマユをひそめるがそれも数秒。すぐにまた、快活に笑って首を横に振る。
「それはないじゃろう。たしかにドラゴンは好戦的で怒らせると手がつけられんほどに強力じゃが…ドラゴンには一つ欠点があるのじゃ」
「欠点…」
「弱点と言い換えても良いじゃろう。ドラゴンの強すぎるところが逆に今は幸いと言えるじゃろうな」
「へえ?」
俺は要領を得ずに首を傾げる。
強すぎるところが幸いってことはつまり…どういうことなんだろうか。
俺が悩んでいると爺さんは笑いながら説明を続けた。
「結論を言うとじゃな、ドラゴンには持久力がないのじゃ」
「はぁ…持久力ですか?」
「ドラゴンの強力な力はそのままドラゴンを消耗させる原因にもなるんじゃ。だからドラゴンは一度暴れるとしばらく眠りについてしまうのじゃ」
「数ヶ月から数年ほどの」と爺さんは説明に付け加える。
とそこでようやく俺は話の主旨を理解した。
「ああ、つまり“ドラゴンはすぐに疲れるからいくつも町を襲うことはない。だからたとえすぐ近くの場所にいたとしてもここが襲われる可能性は少ない”ってことですね?」
「そうゆうことじゃ。というか若旦那」
「……若旦那はやめてください。なんですか?」
「このくらいの話はこの町では常識的に皆知っておるんじゃが…、若旦那の故郷ではドラゴン被害が少ない地域だったのですかな?」
その言葉に俺は苦笑いを返すだけで答えた。
回想終了。
「というかドラゴン被害もなにも、ドラゴンなんて存在すらしてなかったつーの」
俺は軽くため息をつく。
回想している間に結構歩を進めて来たおかげであと十分ちょっとで町に帰りつくだろう。
日はまだ少し傾いたくらいで、まだまだ沈むにはかなり時間があるだろうがさすがに今日一日を水汲みと世間話だけで終わらせたくないので少し歩を早める。
「結局、ヒノエも怒らせたまんまだしな」
ヒノエとはできるだけ仲良くしたいものだ。
だって俺は…。
「帰る場所があそこしかないのだからっ!!」
俺は強く握り拳を作って高らかに空へと叫ぶ。
どうしてだろう…。
こうゆうことをすると自分が無償にアホらしく思えてくるのは…。
しかし事実だ。
いや、自分のアホらしさが事実って意味じゃなく。
俺が言いたいのは帰る場所があそこしかないということだ。
少なくとも俺が一人で生きていけるくらいにこの世界に慣れるというか、なじむというか。
この世界のことを知って、この世界の常識を身に付けるまではヒノエの家に厄介になるしかない。
だからこそヒノエとはこれからのためにも、もっと信頼関係を築かなければならないだろう。
とゆうことで。まずはあの、ナタを振り回すナマハゲよろしく子供の恐怖対象へと変貌したヒノエをどうにかしなくてはなるまいっ!
大丈夫。
「ナマハゲはいい子には優しいはずだっ!」
新たな決意を胸に俺は握った拳を振り上げた。
やっぱり、こうゆうことするとアホらしさで逆に冷めてくる。
ビークールというよりローテンションだ。
「……駄目かもしれないな」
そう言って俺はトボトボと帰路を脱力した様で急いだ。
あまり急いでいるようには思えない速さだったことは言うまでもない。
[ 三 ]
そのころヒノエ・フランベージはあることについて悩んでいた。
悩みの種はもちろん神谷翔である。
ふと自分の手元を見る。
そこには本日の晩御飯用に作られた料理が二人分用意されていた。
その料理をいつものテーブルに持っていく。
木製の簡素なテーブルだ。
その横には同じく木製の簡素なイスが三つ備え付けてある。
もともとは父と母、そしてヒノエ用に備えつけられていたイスだ。
嘆息する。
「……こういう時どうゆう顔すればいいんだろ…」
ショウはもうすぐ帰ってくるだろう。
そう考えると胸が苦しくなる。
きっとこのまま会ってもまたすぐに怒ってしまうのだろう。
「……はぁ…」
もう一度大きく嘆息する。
吐いても吐いても胸のつっかえは出ていってくれない。
「こういう時みんなはどうするのかな…」
“みんな”というのは普通の家族のことだ。
ヒノエは家の都合上ほとんど家族というものを知らない。
そしてもう、これから先もそれを知ることはできない。
ヒノエの両親は“ブレイカー”という仕事をその生業としていた。
“ブレイカー”とは“闇を絶つ者”意を込めて付けられた名称で、ようするに闇の眷族である魔族および魔物を討伐する職業だ。
ブレイカーを生業にしていた両親はその職業がら命の危険が常に付きまとっていた。
特定の住居を持つことがなかった両親は生まれたばかりのヒノエを危険から遠ざけるためにこのラクシュミに一人預けて討伐業を続けることにした。
その後も両親は仕事に忙しく、ほとんどヒノエと顔を合わせる機会がないままに数年前、事故で先立ってしまった。
ヒノエは長年愛用してきた自分のイスに腰掛けてテーブルの先、壁に立てかけている杖を眺める。
魔法の杖。
今は亡き両親がヒノエのために送ってくれた特注品だ。
ヒノエが生まれつき魔法の才に恵まれていると知った両親が旅先から送ってくれたもの。
そして、ヒノエの叶うことのない夢の始まりでもあった。
家族を知らないヒノエが、家族を追うために掲げた夢は自分もブレイカーになることだった。
もう置いていかれないように。
少しでも自分の両親のことを知るために。
ヒノエは必死になって修行に明け暮れた。
その甲斐もあって今ではかなりの使い手になっているのだが、結局ヒノエがブレイカーになることはなかった。
なぜならヒノエはブレイカーになりたいからそれを目指した訳ではなく、結局のところ家族のことを知りたかったからブレイカーになろうとしていたからだ。
だからヒノエは、十分に力をつけた後もブレイカーになることはなかった。
そのころにはもう両親は死んでいたからだ。
そして、一番の夢でもあった家族のことすらヒノエが知ることはなかった。
「…私って、こんなに不器用な性格してたんだ…」
町の人たちは親切で、昔からの馴染みではあるが知っているのは家の外だけで、家の内にいるヒノエのことは知らない。
やはり外と内では人との接し方に些細ながらも違いがあるのだろう。
初めての同居がここまで神経を使うものだとは知らなかった。
「それとも、私だけなのかしら…普通の人たちはもっと自然に振舞うのかな?」
答えはでない。
それは考えても分からないことだと頭では理解していても、ついつい考えてしまう。
「…ショウ。…カミタニ、ショウ…」
変わった名前だと思った。
呟くと思わず笑みがこぼれた。
ふと朝方のやりとりを思い出す。
こんどはクスクスと声を上げて笑った。
「変なやつ…」
そして良いやつでもあると思う。
「いっつもテンション高くて、バカ。ホントなんにも知らないし…あれでよく生きてこれたよね」
ついでに言うと文字も読み書きできないのだろう。
前に買い物リストを渡して買出しを頼んだ時、渋い顔をしてリストを睨みつけていたのを思い出す。
あの後時間が空いたので店に見に行くとショウは品物が分からず買い物リストを見せながら店主に聞いて回っていた。
あんなに世間知らず、というか何も知らないのではやはり行くあてがないというのも本当だろう。
というよりあれではどこにも行けやしない。
まだ一ヶ月とそこらの付き合いだがヒノエはもうショウのことを家族のように思っていた。
しかし、どうしても家族との距離感というものがわからない。
どこまで踏み込んでいいかわからず、結果壁を作って突き放してしまう。
初めての同居人。
初めての同居生活。
それはどれもが手探りで、不器用なヒノエはひどく臆病で。
それでいて、そんな感情を表に出さないように緊張してしまう。
結果、感情が不安定になり。つい声を荒げてしまう。
本当は言うほど怒ってなかったとしても、だ。
「私は…怖いのかな…」
それはあるだろう。何事も初めては怖いと思うものだ。
でも、その感情とはどこか違う気がして少し首を傾げる。
ショウのことを思い浮かべる。
ヒノエの紅い髪も珍しい方だが、この国でショウのような黒髪はさらに印象的だった。
ところどころ跳ね気味の黒髪に屈託のない笑顔が思い浮かぶ。
ドキリと胸が跳ねるのが自分でもわかる。
恋、とは違うと思う。たぶんこれは…
「恥ずかしい…そう、恥ずかしいんだわ。私」
初めての同居人。
歳は自分と同じくらいだ。
他人には見られたことのない自分の色んな姿を見られていると思うとやはり恥ずかしい。
だから家の中でも緊張して、必要以上に突き放してしまう。
恥ずかしいから。
この理由がいろいろ考えた中で一番しっくりくる気がする。
「って、違う!そうじゃないでしょ私っ!今は理由とか考えてる時じゃなくて…」
そうだった…どうゆう顔をして会えばいいのかだった。
しばらく顔を見ないでいいようにと思って、とっさに口をついて出た“水汲み”だったのだが、今となっては悔やまれる。
だって今は、こんなに悩むくらいなら腹を括って普通に話してみればいいではないかと思うのだ。
やはり自分はとことん不器用のようだ。
「はぁ…たくっ。遅いわねアイツ、どんだけ待たせる気よっ!」
一度腹を括ってしまうと今度はショウの帰りが待ち遠しく感じてしまう。
勝手な話だと思うが、悪態でもついてテンションを保ってないとすぐにまた思考の海へとダイブしてしまうだろう。
でも、本当に少し遅いような気がした。
「なんなのよ…もうっ」
心配になってイスから腰を上げたときだった。
「―――っ!?」
“それ”は唐突に。
本当に突然。
この夕暮れ時の町に響き渡った。
[ 四 ]
夕暮れ時の木立の中、神谷 翔は息を切らしながら歩いていた。
町はもう目と鼻の先だ。
空腹と疲労でもう体力は限界だった。
途中何度か休憩したが空腹が手伝ってあまり回復できなかった。
一歩足を踏み出す。
ようやく木立を抜け視界が開けたところで安堵する。
もうすぐ家に帰り着く。
まるで我が家に帰るかのように思う自分に苦笑しながら俺は歩を早めた。
「っ!?!?」
次の瞬間。
俺の身体はまるで電気でも流されたかのように激しく跳ね上がる。
意識までもが遠いどこかへと持っていかれそうになった。
「なっ…っ!……あ?…っ」
まるで貧血でも起こしたように目を回して、その場に膝をつく。
そしてようやく俺は自分の身体を襲った衝撃の正体に気がついた。
それは音だ。
理不尽なほどに強大なその音は、空気さえも割ってしまいかねない衝撃をもって俺の身体を襲ったのだ。
その音は俺が膝をついた後もビリビリと身体を圧迫していたが、やがて尾を引くように小さくなっていく。
しかし、その音と背反するように俺の身体はジィンと痺れ、脳が酸欠にでもなったかのように目の前が暗く染まっていく。
俺はいつの間にか自分の呼吸が酸素を求めて必要以上に荒くなっていることに気付き、ゆっくりと息を整えていく。
「はっ!…はぁっ!…はー、はー……ふぅー…」
息を整えたおかげか身体の痺れが若干引いた。
俺はゆっくりと立ち上がる。
心臓は…意外にもやけに静かだった。
「……ふぅー…」
俺はもう一度息を大きく吐く。
「…なんなんだよいったい。…驚かすなよな」
誰にともなくそうつぶやいて空を見上げる。
赤と紫の交じる空。
日はゆっくりと落ち始めていた。
[ 五 ]
ヒノエは家の中でその音が殷々と消えゆくのを聞いていた。
音が鳴り始める瞬間は本能がそうさせたのか、両耳を手でふさいでいたおかげでショウが感じたほどの衝撃はなかった。
やがて音が完全に消えるとヒノエは険しい表情で窓の外を見やる。
あまりに唐突なその衝撃に肝を冷やしたのだろう。
外では町の人たちが一様に混乱している。
中には失神してその場に倒れている人までいる始末だ。
町の人たちはまだその音の正体に気付いていないようだ。
ヒノエは嘆息して頭の中で響いた音を反芻する。
「……咆哮…よね、やっぱり…」
あまりに強大な音だったせいでそれと判りにくかったが最後の尾を引くように響いた音のおかげで、ヒノエはそれが魔物の咆哮だと気がついた。
最初に耳をふさいだヒノエと違って町の人たちは耳が酷く聞こえにくくなっているのだろう。
そこかしこに大声で近くの人と今起きたことを確認しあう人たちが見受けられる。
この分だとほとんどの人が魔物の咆哮だと気付いていないかもしれない。
ヒノエは立てかけてあった杖を手に取り、魔法具の詰まった携帯用のポシェットを腰に提げてから家を飛び出した。
「―――最初に弾けるような爆音の後、空気を揺らしながらゆっくりと消えゆく……」
家を飛び出した直後、ヒノエはふと思い出した書物の一節をつぶやいて足を止める。
「嘘…これって、まさか…」
みるみる全身から血の気が引いていくのを感じる。
(嘘…。いや、ちがうっ!)
自分の考えを否定したい一身で頭を抱えて振り乱す。
しかしそこで、さらに悪い情報を思い出してしまった。
昼前に協会が張り出した掲示板のことだ。
その情報はもちろんヒノエの耳にも届いていることだった。
その内容は―――ドラゴンの巣とそれに伴う討伐隊の結成。
そのドラゴンの巣はこの町の近くだったはずだ。
ドラゴンは魔物の中でも群を抜く強さを誇っている。
もしも、ドラゴンが猛威を振るえばこの町なんて一夜にして滅ぼされてしまうであろうことは誰の目にも明らかだ。
第一この町にはそんな脅威に対する備えも全くと言っていいほどなかった。
だからそんなことは起きてはいけない。
ドラゴンがこの町を襲うなどあってはいけないことなのだ。
「…っ」
否定したいのにヒノエは書物の一節を思い返す。
それはまさにドラゴンのことがテーマにされている書物の一節だった。
―――ドラゴンの咆哮は最初に弾けるような爆音の後、空気を揺らしながらゆっくりと消えゆくのがその特徴である―――…。
「嘘…」
さきほど聞いたばかりの咆哮が耳の奥で何度も繰り返し響き渡る。
すべては繋がっている。
もう間違えようもないほどに。
そう、やはりあれは…。
あの咆哮は―――。
「ドラゴンの……咆哮……」
[ 六 ]
赤と紫の混じる空。
俺、神谷 翔はその空の一点に違和感を覚えた。
「…なんだ?」
目を凝らす。
“それ”は夕暮れ時の空に溶けるように見え隠れしながらゆっくりと視界の端を流れていく。
その物体はやがて赤く染まった雲の下を横切る。
雲の下を横切る際、後ろが影になったおかげで俺はその全貌をようやく視認することができた。
「うわ…なんだありゃぁ」
鳥。
というより飛行機と言ったほうが近いかもしれない。
それも旅客機を連想させる重圧感。
それに生物のそのものがもつ威圧感を加えたらちょうどあんな感じだろうか。
恐ろしくデカい。
今の今まで何故気付けなかったのかとその事実事態にも驚くほどだが。
それはおそらく、あれ自体の体色が茜色をしていたためにあるのだと思われる。
ちょうど今現在の夕日の色と合わさって姿を上手く隠してしまっていたのだ。
俺はそれを眺めて悪感する。
ゴツゴツした体に大きな翼はここから見てもその異彩を放っている。
「…てか、あれ…、ドラゴンだよなぁ。たぶん」
この世界では何を指してドラゴンと呼ぶのかは知らないが、少なくとも漫画なんかで見てきたドラゴンと相違ないであろうその姿はまさに、俺の知るところであるドラゴンだ。
ドラゴンはこちら――というより、町に気がついたのか、体を捻り滑るように降下を始める。
「おい、おいおいおいおいっ…やばくないか!?もしかして」
みるみるその巨躯が近づいて、その全貌がよりはっきりと、より大きく視界に広がっていく。
ドラゴンが俺の頭の上を過ぎる。
俺は恐怖のあまりに身をすくめて息を呑んだ。
前に映画なんかでドラゴンを見た時、「リアリティあるなぁ」とか思ったものだが実際に見るのと画面とではやはりその威圧感に雲泥の差がある。
空気を揺らし、風を巻き、うなりを上げながらドラゴンは町へと一直線に飛んでいく。
「……は…」
足が笑って動かない。
前に進むことはおろか、後ろに逃げることさえも俺はできない。
恐怖。
圧倒的な恐怖が俺の体を、心を支配していた。
遥か前方ではドラゴンが町を中心に旋回し、眼下をへいげい睥睨するように見下ろしている。
それでも俺は震える脚をどうにか一歩踏み出す。
それと同時にドラゴンが口を大きく開く。
まるでコマ送りのようにドラゴンの口内から火球が生み出される光景を目にする。
ゴオォォオンッ!!
一瞬、視界が白に染まる。
気付けば俺は走っていた。
町に向かって、ドラゴンに向かって走っていた。
「なにをっ…やってんだよ!俺はぁっ!?」
そう叫んでみたものの足は止まらない。
俺は町の入り口にある門をくぐる。
すでに息は切れている。
それでも俺は前へと足を進めていく。
「…俺がいてどうにかなるわけないだろっ!」
言葉と裏腹に、俺は近くにあった棒切れを手にとる。
もう自分で自分の行動がよく分からなかった。
「…くっ!!」
俺は手にした棒切れを両手で持って、それを自分の額に叩きつける。
ゴパンッと小さく音を立てて、棒切れは二つに折れた。
額から血が地面に滴り落ちるのを目にしてスッと体から緊張が取れるのを感じた。
「…っふー…」
頭がジンジンする。痛みは…あまり感じなかった。
緊張は取れたが、興奮していたせいで痛覚が麻痺しているのだろう。
それでも一つ深呼吸すると、額に痛みが広がっていく。
「…ぃってぇ、少し強く叩きすぎたか…」
だが痛みのおかげで少し頭は冷えたと思う。
俺は呼吸を整えてから町を見渡す。
気付けばそこかしこから人々の悲鳴が聞こえてくる。
皆一様に混乱しているようだ。
町の中を人々が右往左往し、人によってはその場にうずくまっていたりする。
「とにかく…この場にいたら危険だ」
俺は路地裏の影にうずくまっている人に話しかける。
気の弱そうな中年の男だ。
「おい、あんたっ」
俺が話しかけてもその男はこちらを見ようともしない。
仕方なく俺はその男の肩に手をかける。
「ひっぅあぁぁぁあああああっ!!?」
「っ!?お、おいっ!?」
俺が手をかけたとたん、男はまるで電流でも流されたように立ち上がるとそのままこちらも見ずに走り去ってしまう。
「…くそっ!」
その後も何度かそうゆうことを続けた。
中には話しを聞ける状態のものもいたがほとんどの者が話しかけた途端逃げていく。
異常だ。
いくらなんでもこの混乱ぶりは異常だった。
俺は、「そんなにドラゴンで、恐ろしい経験でもしたのか?」と問いたくなるほどにこの町の住人たちは混乱を極めていた。
しかし、俺はすぐに理解する。
「…なるほど…ね」
町の中心部を見上げる。
視線の先にはドラゴンがいた。
崩れた教会の上で夕日を背景にしながら君臨する絶対的な破壊者。
破壊そのものよりもその姿そのものに恐怖を煽る何かがある。
俺は一つ身震いする。
たしかにあれは怖い。
見ているだけで怖いのだ。
あれを見た後に背を向けたものはもっと言い知れぬ恐怖を感じているだろう。
そして振り返ろうとは絶対に思わないのだろう。
俺はその点、前に来てしまった。
天邪鬼な性格がこんな場面でも発揮されてしまったのか…。
とにかく前に来てしまった。
前を向いて見えている分、次にドラゴンがなにをするか分かるわけで、そう言った意味では怖さは半減していると思う。
しかし、そんなことに気付いてしまったせいで、もう背を向けたいとは思えないのだが。
俺はとにかく前に向かって走り出す。
どんな結果であれ、俺が話しかけることによって住人が逃げてくれることは幸いだ。
とにかく、この場に留まることだけは危険なのだから。
「ヒノエは…ちゃんと逃げたかな…」
ポツリとそう呟く。
まぁ大丈夫だろう。
あの子は、しっかりしている。
そう自分に言い聞かせてから俺は町の中心を目指した。
最初にドラゴンの被害を受けた場所だ。
中心ということもあり逃げ送れている人がいるかもしれない。
ドラゴンが空に向かって一つ吼える。
それはまるで逃げ惑う人々をあざ笑っているかのようだった。
[ 七 ]
「た、助けてください!!」
中心に向かう途中、突然横からそんな声が飛んできた。
顔を向けると、若い女性が地面に這いつくばって必死に手を伸ばしている。
「だ、大丈夫か!?」
俺は即座に駆け寄る。
茶褐色のキレイな髪をした女性だ。
この人とは何度か話したことがある。
名前はたしか、エルグ…エルグ・ティウムさんだ。
エルグさんもすぐに、駆け寄ってきたのが俺だと気付く。
「あぁ、ショウさんっ…私、足がっ…ごめんなさいっ」
エルグさんも例のごとく混乱気味なのか、あまり呂律が回っていない。
俺はエルグさんの足元に目を向けた。
最初、崩れた瓦礫の前に座り込んでいるだけかと思ったがよく見るとエルグさんの足は崩れてきた瓦礫に挟まれているのが見て取れた。
「…ちょっと待ってくれ。すぐにどけるから」
俺はエルグさんを刺激しないよう、なるべくゆっくり話しかけながら腰を下ろす。
「……っ…ビクともしないな…」
瓦礫の隙間に指を差し込んで持ち上げようとしたが、思ったよりも簡単には上がらなかった。
俺はあたりに目をさまよわせる。
すぐ近くで何かが崩れる音がした。
上を見る。
建物はいつ崩れてもおかしくない状況だった。
「あ、あのショウさんっ…私のことはもういいですから。…早くここから離れたほうがいいです」
エルグさんが突然そんなことを言い出す。
思わず見ると、エルグさんは震えながらもまっすぐ俺の目を見てきた。
何かを決意したような目だ。
俺は叫びたい気持ちでいっぱいになったが、なんとかそれを押さえて言葉を紡ぐ。
「っ―――大丈夫だから。…必ず助ける。だからそんなことを言わなくていい」
俺がエルグさんの肩に手を置いてそう言うとエルグさんはぎこちないながらも笑顔を向けてくれた。
俺は、「向こうに使えそうなものがあるから取ってくる」と言って一度その場を離れる。
見つけたのは鉄の棒だ。これで瓦礫をのけることはできなくても、足を引っ張り出す隙間くらいは作れるだろう。
鉄の棒を拾い上げて振り返ると、エルグさんはまた笑顔を向けてくれた。
俺も笑顔で答えてから、早く駆け寄ろうと一歩足を踏み出す。
とそこで、ドォオオオンッ!!とすぐ近くで爆発が起こる。
その轟音と地響きに俺は思わずタタラを踏んで立ち止まる。
不意に耳の奥で、ガラガラという嫌な音を聞いた気がした。
俺はゆっくりと顔をあげる。
視線の先にはエルグさん。その頭上には再度崩れてきた瓦礫。
音が、空気が、時間さえも止まった気がした。
そして―――
グシャァァアッ!!
一瞬の間。
そのすぐ後は、そんな理不尽な音とともに視界を覆う瓦礫の山。
土ぼこりが大きく空へと舞い上がる。
「うぁぁぁああああああああっ!!!!」
俺は持っていた鉄の棒を投げ捨てて駆け寄る。
瓦礫の下からはエルグさんの小さな手が見えていた。
俺は座り込んでその手を掴む。
「ぁぁあっ…うっぁあ」
その手から体温がゆっくりと失われていく。
そして瓦礫の下からは真っ赤な血がとめどなく足元を浸していく。
「ぁああぁぁあああああああぁぁああぁあっ!!!!」
俺は空に吼えた。
血で赤く染まった足元。炎で紅く染まった大地。夕焼けのあか。
―――赤。―――紅。―――あか…。
世界が赤で塗りつぶされていく。
それを拒絶するように俺は瞼を閉じた。
「…なんで……こんな……」
世界はどれだけ俺たちに理不尽を突きつければ気がすむのだろう。
世界は…痛みなしでは存在しえないとでも言うのか。
だったらこんな世界なんて―――壊れてしまえばいいんだ。
―――――――。
―――――。
―――ピチャッ。
何かが手に触れた気がした。
俺は瞼を上げて自分の手を見る。
エルグさんの手が…俺の手を握り返していた。
俺は驚いて眼を見開く。
その手が俺の手を強く握る。
―――いきて…。
エルグさんが…そうささやいた気がした。
そして、エルグさんの手はゆっくりと力を失って…。
俺の手から離れた。
「―――前を向け!」
俺は拳を地面に突き立てる。
足元を浸していた血が勢いよく飛び散った。
「……エルグさん…」
人が目の前であっさりと死んだ。
さっきまで俺と笑いあっていた人が、あっさりと死んだ。
けれど、その死はけしてあっさりなんかしていない。
とても重くとても太く俺の心に突き刺さる。
俺はいつ以来になるかも分からないが、涙を流した。
記憶がフラッシュバックする。
俺が死んだ時の記憶だ。
その時の死もやはりこんなにあっさりしたものだった。
そしてやはりその時も、誰かの心に重く、太い杭が刺されたのかもしれない。
たとえ世界が変わろうとも、世界が誰に対しても理不尽なのは変わらない。
そしてその理不尽に、必ず誰かが傷ついて生きていくのだ。
世界は…優しくなんて出来ていないのだ。
「うっく…っ……はぁっ」
俺は涙を呑んで拳を固める。
傷は誰しもつけられる。
生きている限りこの理不尽は終わらない。
そしてそれは、生きている限り、乗り越えて行くべき壁なのだ。
傷は癒えないかもしれない。
それでも、抱えた傷を胸に前へ行く。
この世界が優しくないなら、俺が誰よりも優しくなろう。
この世界が理不尽を突きつけるなら、俺はそんな世界を許さない。
俺は―――
「その理不尽を…この脅威を…全力でぶっ壊すっ!」
それは俺が一度死んだ時に己に誓った言葉だ。己に願った言葉だ。
だから、俺はこの傷の痛みにも堪えてみせよう。
助けられなかった命は返らない。
傷の痛みは抱えて進もう。
なんで俺がここにいられるのかは分からない。
それでも、俺はたとえこの場所で生きていけるとしても、二度と元の世界には帰られないだろう。だって俺はその場所で死を迎えたのだから。
俺の命は返らない。
エルグさんの命も返らない。
そう考えると悲しいけれど、それでも俺はここにいる。
もしかしたら、死の間際での願いがここに俺をこさせたのかもしれない。
死の間際での願い。「こんな理不尽を壊せる力が欲しい」という願いが。
「そうだ…それが俺の…最後の願い」
今考えるとふざけた願いだと笑いたくなる。でもやはりそれは俺の切実な願いだったのだ。
こんな理不尽はなんとしてでも破壊して、俺は生きてみせる。
こんな簡単に死んでたまるか。
そんな切実な願いだったのだ。
俺は目を伏せて、エルグさんの冷たくなった手を強く握る。
「ごめん…エルグさん。助けられなくて…ごめん」
ゆっくりとその手を地面に横たえる。
「後で必ず戻ってくるから…俺、行くよ」
答えが返ってくるはずないのに、そのまま数秒エルグさんの手を見つめる。
また込み上げてきた涙を拭って、俺は立ち上がった。
「願いは叶える。そうしないと死にきれないよな…俺っ!!」
拳を固めて睨みあげる。
その先にはこの理不尽の元凶。
茜色のドラゴン。
「俺は…この理不尽を、ぶっ壊すッ!!!!」
俺は勢いよく駆け出す。
そこにはもう、ドラゴンに対する恐怖はなかった。
[ 八 ]
ここに来て俺は語りたくなかったあの話をしようと思う。
そう、俺が死んだあの日のことだ。
語りたくなかったのでは?と疑問に思うかもしれないが、ここまで来て隠すことでもないだろう。
いや、隠すほどのことでもない。と言ったほうが良いかもしれない。
なんにせよ、俺はあえてこのタイミングであの日のことを語ろう。
その日、俺が住んでいた町では祭りが催されていた。
みこし神輿を担いで町の中を練り歩くアレだ。
俺は神社で神楽舞を奉納する役割を担っていた。
神楽舞というのは神前で奏する舞楽。
簡単に言うと神様に願いを聞いてもらう変わりに楽しんでもらおうっていう舞いのことだ。
俺はそこで“剣の舞”を舞っていた。
他のところではどうか知らないが俺の町では本物の刀、それもご神体である宝刀を用いて神楽舞を行う。
さて、ここからが本題だ。
俺はその舞の途中でなんと!
…こけた。
ええ、はい、こけたんですよ。
すてーん!とね。
そして思わず上に放り投げた刀がどんぴしゃで心の臓を貫いたわけだ。
御神体を放り投げた俺に天罰が!って絵面だったと思う。
理不尽だろう?
いや、アホっぽいだろう?
嘘っぽいとも言えるかな?
そんなアホみたいな死に方するヤツがいるわけないだろう、と。
…分かってる。
だから語りたくなかったんだ。
しかし、事実は小説より奇なりという言葉通り。
これは偽りのない真実である。
きっとアレのお陰で来年からは真剣ではなく模造刀が使われるだろうよ。
もっと行けば今年で中止だろう。
ただ一つ言い訳をさせてもらうと、ただ単に俺がドジって言う話でもない。
秋、季節の変わり目っていうのは往々にしてホコリが溜まりやすい。
それで神主である、おっさんが滑らないようにと配慮して床に水をバラ撒いたんだ。
結果的に見れば分かるように。逆☆効☆果
その場に留まって舞うはずの演舞であろうことか思いっきり軸足がすべる始末。
おっさんには申し訳ないが、アレがなければ恐らくすべってこけることはなかっただろう。
そんな新聞記事にでも載ったらそれだけで、赤面して自殺したくなるような出来事を経てあっさりと死んだ俺。
まさか神楽舞の最中に死人が出るなんて誰が夢見ようか。
俺はこの理不尽に直面した時に心の中で強く叫び続けた。
―――こんなのねぇだろ!?
―――こんなあっさりと死ぬのかよ?俺
―――いや死なねぇ!
―――こんなあっさりと死ぬわけねぇだろ!?俺!!
―――こんな理不尽はなんとしてでもぶっ壊して、俺は生きてみせる!!
―――こんな簡単に死んでたまるか――――……
そんなことを胸に抱きながら死んでいったのを覚えている。
まぁ実際に胸に抱いていたのは刀だったわけだけど。
ええ、いやまぁ…それだけなんだけど。
それが俺の死因だ。
結局俺はそんな感じで死んだ。
その時の願いの結果なのかは分からないが今、俺はもう一度生を与えられている。
そして俺は生きてはいるみたいだが、恐らく前の世界…俺の両親や友達、慣れ親しんだ風景。そんなものは二度と見ることができないと分かっている。
もしも戻れる手段があったとしても、そこで俺は生きていられないだろうから。
そして。
だからこそ誓ったんだ。
もしもあの時の願いで俺がこの世界で生きていけるんだとしたら、俺はあの願いを叶えることを目標としようと。
そうすることで俺はあの時の死を乗り越えられるのだと思う。
それがつまり。
理不尽を破壊するということだ。
そして今、その理不尽が目の前にいる。
[ 九 ]
大通りに出たすぐ目と鼻の先が協会だ。
今もその上にはドラゴンが鎮座している。
「さて、勢いで来ちまったが…どうすればいい?」
とにかくアレをこの場所から離すのが俺の目的だ。
できることなら町の人に危害が及ばないところまで離したい。
俺はあたりを見渡す。
大通りをまっすぐ突っ切ったあたりに大砲がある。
あらぬ方向を向いてはいるがアレは使えそうだ。
「……自らより上のものを倒す常識と言えば、気合、根性、そして罠だな!」
俺はドラゴンの目を避けて駆ける。
目指すのは大砲が置いてある横の武器庫だ。
他にも何か使えそうなものがあるかもしれない。
大きく迂回しながらその場所を目指す。
もう少しで到着だ。
俺はドラゴンがこちらに気付いていないことを確認する。
「?」
俺はふとドラゴンの視線の先が気になった。
さっきまであたりをぐるりと睥睨していたドラゴンが今は一点を凝視していたからだ。
俺はさっきの大通りから横にはずれた位置にある広場を見る。
「っ!!」
驚愕のあまりおもわず声を上げそうになる。
そこには少年が立っていた。
まるで夢でも見ているかのようにボーとドラゴンを見上げている。
(バカっ!早く逃げろっ!!)
心の中でそう叫ぶ。
いっそ声を上げて叫ぼうかとも思ったが今こちらに気付かれて武器庫を破壊されでもしたらたまったもんじゃない。
心の声も虚しく少年は突っ立ったままだ。
よく見ると少年の足は小さく震えている。
「ちっ!」
俺は急いで武器庫の中に入る。
少年はたぶん動かないんじゃなく動けないのだと俺は悟った。
本能的なものかは分からないが、たしかに今動いたら攻撃されるだろう。
中に入って俺は愕然とした。
「嘘だろ…ほとんどなにもないじゃないかっ!!」
そこで俺はあることを思い出す。
ヒノエにこの町を案内してもらったときに聞いた話しだ。
俺が、「丘陵地帯で山々に囲まれているせいで人の出入りが少いならいろいろ不便なんじゃないか?よくこの町から出ようって人がいないな」
と言ったときヒノエはこの町に関してこう言っていた。
「でも、やっぱりここに住むメリットはあるのよ。資源が豊富なわけでもなければ雨が多くて地形的にも攻めにくいこの場所は自然、自国が戦争の時でも攻められることが少ないしね。」
戦争がない。
つまりそこまで戦に警戒する必要がなかったこの町は、そうゆうことに対する危機意識が薄かったんじゃないか?
それならこの武器の少なさも頷ける。
力に対して圧倒的に弱すぎる。
だからこそ皆も一目散に逃げていたのだろう。
「くそっ!!」
それでも“何か”は必要だ。
まさか素手でドラゴンの相手ができるわけがない。
とにかく今は少年から意識をそらせるようなものがほしい!
しかしどこを漁っても使えそうなものが出てこない。
剣や槍なんかは結構あるが、ドラゴン相手じゃ論外だ。
そこにゴウッと扉を叩きつけるような音が聞こえる。
俺は慌てて外に出る。
崩れた協会の上ではドラゴンが翼を広げて、口を大きく開けている。
また火球を放つつもりのようだ。
「まずいっ!!」
俺はなりふり構わず駆け出した。
少年はドラゴンが翼を広げたことに怯えたのか、今は座り込んでいる。
逃げようとする素振りすら見せない。
ゴッ!!
ドラゴンから火球が放たれる。
その放たれた衝撃だけで俺の身体は宙に弾かれる。
「がぁっ!?」
俺の身体が思いっきり地面に叩きつけられる。
もう間に合わない!
耳の奥でカッカッとなにか叩くような反響音を聞いた。
視線の先で火球が炸裂し爆炎が巻き起こる。
爆風がここまで押し寄せてくる。
「ぐっ!…ぶはっ!べっ」
口の中に砂利が入り、俺はそれを吐き出す。
また、何もできなかったのか…俺は!!
歯を食いしばり、視線を上げる。
視線の先では黒煙が上がっている。
「…え?」
黒煙の下から何かおぼろげに光るものが見えて俺はそれを凝視した。
黒煙はゆっくりとはれていく。
「……魔方…陣?…なっ!?」
光の正体が魔方陣であると気がついたあと、黒煙の向こうに現れた姿を見て俺は驚愕した。
「ヒノエ!!」
あの特徴的な紅い髪に気が強そうなツリ目は間違うはずもない。
ヒノエ・フランベージ。
俺にとって命の恩人みたいなヤツだ。
魔法陣がゆっくりと消えるとヒノエはその場に片膝をつく。
服はボロボロで白い顔もススと血で汚れ、ところどころ怪我が見受けられる。
よく見るまでもなくすでに満身創痍だった。
それでもヒノエは気丈にもドラゴンを睨み上げると腰まわりにつけてあるポシェットから何かを取り出し投げつける。
投げつけたのは様々な色をした丸い宝石だ。
カッカッとさっき耳の奥で聞いた音がまた響く。
それはヒノエが杖で地面を二回叩く音だった。
音は反響するようにあたりに満ちていく。
杖を中心に魔方陣が広がる。
それに共鳴するように投げつけた宝石が光を放った。
宝石は互いに支点となることで結びつきそれを軸にして大きな紅の結晶を生み出す。
結晶はまるで剣のような形を形成し、ドラゴンへと向かって速度を上げた。
ドラゴンはその口内から炎を打ち出す。
(駄目だっ!)
俺はとっさにそう思う。
ヒノエの得意とするのはその燃えるような紅髪とは裏腹に氷系の魔法だ。
紅い色なのは術者の特有のものというだけであの結晶剣が氷系の魔法ということに変わりはない。
俺が危惧したとおり、結晶剣はドラゴンの炎によっていとも容易く溶かされる。
ヒノエはそんなこと百も承知だったのだろう。
結晶剣をおとりにしている間に少年を連れて逃げ始める。
しかし―――
「あっ!」
ヒノエはその場に倒れる。
身体に限界が来ているのか立ち上がるのもやっとといった感じだ。
ドラゴンが再度、炎を放つ。
少年が泣き始める。
場面が、時間が、全てがコマ送りで進んでいく。
俺は。
これを。
この状況を見てるだけなのか?
俺は。
自分の心臓が急速に早くなっていくのを感じた。
心臓が脈を打つ。
胸を激しく叩く。
―――ちがう。
これは心臓の音じゃない。
俺は今更気付いた。
心臓はいつも、どんな時でも静かだった。
俺の心臓は、やはりこちらの世界でも止まったままなのだ。
では何が脈を打っている?
今この場面になって、この脅威に共鳴しているものはなんだ?
俺の心臓があるはずの部分に何がある?
答えは――――
「ここにあるっ!!」
俺は胸を強く、強く叩いた。
そして掴む。
そこにあるものを。
そこにないものを。
そこにあるべきものを。
俺は引き抜いた。
途端世界が色を失う。
白、そして黒の世界。
火球がヒノエと少年にあたるその手前。
俺は駆けた。
風を超え、空間さえも絶つ煌き。
そう形容できる程の速さで俺は駆けた。
刹那、ヒノエの前に立つ。
俺は心臓から引き抜いたものを大きく振りかぶりそして袈裟切りで襲う火球を。
―――空間ごと割った。
ィイイイイインッ!!
甲高い音が響く。
世界に色が戻る。
白と黒の世界を割って俺は、この世界から火球を消した。
俺の手には薄く光る一振りの刀。
それは俺のよく知る刀だ。
俺の胸に突き刺さって死に至らしめた、神社の宝刀。
朧月。
「…そうか、お前が俺を生かしたんだな」
俺は悟って、刀にそう呟く。
まるで肯定でもするかのように刀の放つ光が七色に揺れる。
その輝きは極光を連想させる。
「ショ…ウ…?」
後ろから声がかかる。
俺は振り返って笑顔で答える。
「よう、ヒノエ。半日ぶりだな」
つとめて明るくしたつもりだったがそれがヒノエの逆鱗に触れたようだ。
ヒノエは顔を上気させると一気にまくし立てる。
「あ、あんたねぇ!なんでまだ避難してないのよっ!!死にたいの!?殺すわよ!?だいたいそんなに強いなら早く出てきなさいよっ! 私がどれだけ走り回ったと思ってるのよっ!!みんな…み、な…わた、私の目の前で、どれだけ死―――――」
「ごめんヒノエ」
俺はヒノエに謝る。
それ以上、ヒノエは口をつぐんで何も言わなかった。
ヒノエは顔を伏せて唇を噛む。
ヒノエは沢山の知り合いを失ったのだろう。
俺だってエルグさんを…目の前で死なせてしまった。
ヒノエの気持ちは痛いほど分かる。
でも―――。
俺は大きく息を吸い込み、言った。
「前を向け!!ヒノエ・フランベージっ!!!!」
ヒノエがびっくりして顔を上げる。
俺は構わずヒノエに背を向けて続ける。
「俺は生きる!!ヒノエも生きる!!まだ終わりじゃない!!!まだ生きてる人のためにも!この巨壁を打ち破る!!!!」
ドラゴンが丸太のように太い尻尾で横から凪いでくる。
それを俺は下から打ち上げた。
キュィィイイインッと甲高い音が響いて砂が舞い上がる。
「我が災い!汝が災い!全てをほふ屠って切り開く!!俺の名は神谷 翔!!神をも恐れぬ翼なり!!!!」
ありえない光景だった。
ありえないことに重量が桁違いのはずの尾を俺はその場から一歩も動くことなく受けたのだ。
遠くで真っ二つになったドラゴンの尾が轟音を立てて落ちる。
ドラゴンが吼える。
痛み、怒り。
今の俺はかなり感覚が冴えているのか、ドラゴンのそういった感情が読み取れた。
それでも、感情移入はしない。
ドラゴンが退かない限り、俺は俺の大切な人を守る。
「そういうことだヒノエ!全ての壁は俺が貫いてみせるっ!!だからヒノエ、お前も俺を助けろ!!!」
まさか、助けろなんて言うとは思わなかったのだろう。
その突飛な言葉にヒノエの目が生気を取り戻す。
ドラゴンが口を開く。
また火球かと身構えたがこんどは様子が違う。
ドラゴンを中心に魔方陣が展開されたかと思うと、その魔方陣の外円をさらに四つの魔方陣が展開され、外円にそってバラバラに、しかし確かな規則に従って回り始める。
感覚の研ぎ澄まされた俺は、その膨大な魔力の動きに顔をしかめる。
「何それ…バッカみたい」
ヒノエのそんな言葉が聞こえて俺は向き直る。
「ヒノエ、俺に力を貸してくれ」
ヒノエが首を振る。
「無理よ…あんなのどうにかできるわけ―――」
「できる!!」
俺は力強く答えることでヒノエの言葉をさえぎる。
ヒノエが目を見開く。
俺は自分の気持ちを持てる言葉全てに乗せて言い放つ。
「人間、できないと思った時がお終いなんだ!そんなんじゃ、できることまで見失うぞ!!前を向けヒノエ!俺とお前ならできる!!全力でやって開けない道があったとしても、それでも俺は諦めない!!!俺はこの手で切り開く!自分の可能性を信じる!!!!」
俺は刀の切っ先をドラゴンに向ける。
「ヒノエはあそこまで俺を飛ばしてくれ。その後は俺が何とかする」
ヒノエは呆れたように嘆息すると、吹っ切れたように笑う。
「バカね。あんた、…ホントにバカ」
ヒノエの笑顔は、なんだか久しぶりに見た気がした。
俺も便乗して、軽く笑う。
「惚れるなよ?」
「安心して。バカは嫌いよ、私」
「それは残念だ」
俺は大仰に肩を落とす。そこに、「でも―――」とヒノエが続けた。
「あんたみたいなバカは…好きかもね」
俺は思わずドキリとしてヒノエを見る。
それを見てヒノエは口の端をニヤリと吊り上げた。
どうやらハメられたみたいだ。
ははっ。調子が出てきたみたいで何よりだ。
「よしっ!じゃぁいっちょやろうかぁ!!」
「ええ!……死んだら許さないんだから」
最後に何か言ったように聞こえたが、問いかける前にヒノエは顔をそらすと腰のポシェットから一枚のカードを取り出す。
ドラゴンは魔法陣から大量の炎を巻き起こし、炎の嵐を形成していく。
まさに、万物を蹂躙するそれは、
もはや天災よりも性質が悪い代物だ。
「…準備はいい?」
ヒノエが最後の確認を問う。
「もちろん」
俺は即座に答えた。
ヒノエは頷いて、手にした杖を地面に二回打ち付ける。
カッカッという軽快な音が反響するとともに魔方陣が展開される。
ヒノエは小さく息を吸って、俺にカードを投げる。
「爆ぜろ!!『翼の踊り手』!!!!」
ヒノエの投げたカードが俺の中へ溶けるように滑り込むと、ヒノエの言霊をトリガーに魔法が一気に展開する。
風が俺を中心に渦を巻くと、弾けるように俺の身体を持ち上げる。
向かう先は言うまでもなくドラゴンだ。
ヒノエはさらにショウを支援する魔法を展開する。
ポシェットから丸い宝石を取り出すと真上に軽く投げる。
カッカッと杖で地面をタップして。
投げた宝石を支点とした魔方陣を展開。
杖を手のひらで回転させながら振りかぶると、野球のバッティングよろしく落ちてきた魔法陣を打ち上げる。
魔方陣は俺をすり抜けるようにして前方に展開された。
俺が、ドラゴンの発した炎の渦に突入する瞬間を見計らって術式が発動する。
「『氷花の膜』!!」
「っ!!」
一瞬ヒンヤリとしたが、すぐにジリジリと焼けるような熱さが俺を襲う。
「くっ!ぁあああああ!!」
ヒノエは全力で魔法力を放出する。
なんとしてもドラゴンまでショウを送るために。
そして―――
「貫けた!!」
俺は炎の内へと飛び込む。
それに気付いたドラゴンが鋭い爪で俺に襲い掛かった。
「らぁああっ!!」
俺は身体を回転させて爪をいなすと、一気にドラゴンの眼前に躍り出る。
ドラゴンが口を開いた。
火球だ!
それでも俺は前へと進んだ。というより魔法で前にしか進めない。
火球が放たれる!
俺はその火球を刀で切り裂く。
「ぁぁぁああああああああ!!!!!」
肉が焼け激痛が走る。
さらに前へ出る。
俺は。
頭の中に色んな映像が浮かぶ。
町。店。出会った人々。そしてヒノエ。
俺は―――!!
「絶対!!守るんだぁぁあああああああああ!!!!!」
ギィィィ―――――――――――――――――ィンッ
光が弾けた。
七色の光。
ドラゴンの魔方陣が消滅する。
俺の握り締めた刀がドラゴンを切り裂く。
辺りが白く染まる。
行き場を失った魔法力がドラゴンを中心に収束しだす。
俺は…やったのだ。
この脅威を…打ち破った。
死に際の願いは叶ったと言っていいだろう。
これでいい。
収束した魔法力はやがて光の渦となって空へと上る。
魔法陣のあった場所、全てを飲み込みながら。
俺の体は動かない。
力を使い果たしたように、指の先一つ動かせない。
このままでは、俺は魔法力の爆発に飲み込まれて死ぬだろう。
…でも。
……これでいい。
俺は微笑んだ。
これでようやく俺は眠れるのだ。
ゆっくりと瞼を閉じる。
俺の物語は、これでようやく終わりだ。
心残りは―――…ないこともないか。ははっ。
―――ヒノエ怒るだろうなぁ…。
―――またバカって言われるのかな。
―――それもまた、いいかもなぁ…。
俺の頬を涙が伝う。
笑っているのに、笑っているはずなのに。
涙はとめどなく溢れてくる。
―――楽しかったなぁ。ヒノエとの生活は。
―――嬉しかったなぁ。ヒノエの料理。
―――やっぱ死ぬのは…このまま分かれるのは悲しいなぁ。
笑顔が歪むのが自分でも分かる。
それでも最後は笑っていく。
今度こそ最後は笑っていこうと決めていたのだ。
白。
どこまでも白い世界が視界の全てに広がっていた。
俺は自然と手を伸ばす。
今日はずっと動きっぱなしだったからな。
もう…疲れた。
瞼がゆっくりと落ちてゆく。
「さよなら…ヒノエ。ありがとう」
伸ばした手に、何かが触れた気がした。
[ 十 ]
「バカッバカっ!バカぁ!!」
…だれかが叫ぶ声がする。
「死んだら許さないって言ったじゃないっ!バカぁ!!」
…聞き覚えのある声…。そうだ、その子は紅い髪が特徴的で――…
「なんでっ…一人にするのよっ!みんな…みんな…っ」
泣いているのか?
―――ぃてっ!なんだこれ…。ははっ身体が全然動かねぇや。
それでも俺はゆっくりとだが目だけは開けた。
焦点がなかなか合わない。
俺はもう一度目を閉じる。
「うぅっ…ぅあっ」
耳元からくぐもった声が聞こえる。
俺は悲しませたくない一心で目を開く。
視界に彼女の泣き顔が広がった。
記憶どおりの紅い髪。
いつもの気が強そうな顔はなりを潜めているがやはり、彼女は俺が知る人物だった。
俺は軽く微笑んだ。
どうやら死に損ねたみたいだ。
それとも…願いはまだ叶っていないってことなのかもしれない。
俺は走る激痛を無視して手を動かす。
彼女の頬に触れる。
正直、何の感覚もないような状態で触ったかどうかも怪しいところだった。
それでも彼女はその手に気がつく。
彼女は俺の手をその両手で硬く握った。
「ショ…ウ?ショウ、ショぉ…」
俺は精一杯、彼女に笑いかける。
「…ただ、いま。……ヒノエ―――」
彼女、ヒノエはその言葉を耳にしたとたん顔さらに歪めた。
「バカっ…心配なんて…してないんだからっ」
そう言って堰を切ったように俺の胸で泣き崩れるヒノエ。
俺は穏やかな気持ちで瞼を閉じる。
こんな心地の良い、泣き声があるなんて知らなかったな―――
俺はその暖かさを胸に抱いて、深い…深い眠りに付いた。
[ エピローグ ]
昼下がり、俺は久しぶりに家から出た。
木造の簡素な家。
ヒノエの家なのだが、あの日以来、怪我のせいで外出を禁止されていたのだ。
それが今日、ついに解禁された。
「くぅ~っ!太陽が眩しいぜっ!!」
俺は家から出た直後、大きく伸びをして太陽を浴びる。
「どう?久しぶりに家から出た気分は」
後から出てきたヒノエが後ろから声をかけてきた。
「うむ。大変満足な気分だ」
「それはよかったわね」
口調こそ他人行儀だがヒノエは珍しく機嫌よさそうに笑う。
「おう。満足満足。さて…」
「……踵を返してどうしたの?」
「いや、もう十分外は満喫したから帰ろうかと」
「早いわよっ!まだ十分どころか一分も経ってないわよっ!!」
「いや、だって歩き疲れたし」
「だから早いわよっ!まだ、家から数歩しか歩いてないじゃないっ!!」
俺はヒノエの横を通り過ぎて家に戻ろうとすると、思いっきり首根っこを掴んで引っ張られる。
「何故だっ!あれほど外出をきつく禁止していたくせに、何故、家に戻る邪魔をするっ!?」
「はぁ!?何故も何もあんたが外出したいって駄々こねたんじゃないっ!!」
俺はその言葉に「うっ」と顔を引きつらせる。
たしかに出たいとは言ったものの、動かしていなかった体がこんなにキツイとは思っていなかったのだ。
「そ、そんなこと言った覚えはないなぁ…」
「へぇ…」
ヒノエが俺から手を離す。
俺は不穏な空気を感じて、おそるおそる振り返った。
ブオッ
「ひぃっ!?」
「何で避けるのよ」
「何で蹴ろうとしてんだよ!?」
ヒノエのハイキックが俺の側頭部をかすめた。
相変わらずの丈の長いそのローブでよく蹴りが出るなと関心する。
関心してる場合じゃないが…。
「蹴ったら思い出すかと思って」
「逆に何の話をしてたかすら忘れたわっ!!」
「………。………。まぁそんなことはどうでもいいわね」
「何、その間!?どうせお前も忘れたんだろっ!?」
「じゃあ行くわよ」
「忘れてない!?ちょっ…待って痛い!痛いからッ!!」
俺は引きずられるようにして家を後にした。
ああ、屋内が遠ざかっていく…。
それから少し歩いて、俺たちは町の大通りに出る。
「どう?結構復興してるでしょ?」
ヒノエが辺りを見回して満足そうに俺へ振り返る。
「あ、あー…そだね…」
「何そのダルそうな反応。刺し殺すわよ?」
「なんでいきなり殺傷沙汰っ!?」
「え?」
「なんでそこで意外そうな顔すんのっ!?こっちがビックリだっ!!」
「こうさつ絞殺がいいの?」
「どう結論したらそうなるんだよっ!!お前の思考回路は殺し一色かっ!!」
危ないやつだ。なんとか更生させなくては…。
「冗談よ…。別に本気でそんなこと考えてるわけないじゃない。せいぜい杖で後頭部を叩き割ろうと思ったくらいよ」
「撲殺する気かっ!?」
ヒノエは軽く嘆息する。
まったく…ため息つきたいのはこっちだって。
俺が肩を落としてジト目で視線を送るとヒノエは特に気にせず「で?」と続けた。
「なんでそんなダルそうにしてるの?」
「久々に歩いたら疲れたんだ!…お前のお陰でダルさが一割増したがな」
「迷惑な話ね」
「ホントにな…」
「はぁ」と俺は大きくため息をつく。
しかし、実際はため息というわけでなく少し呼吸がキツイのだが。
そんな俺の様子を見て、ヒノエは心配そうにこちらを窺う。
「本当に大丈夫?…ちょっと休も?」
ヒノエは俺を先導してすぐ近くの店に向かう。
俺は店の看板を見た。
「ミ…ミゼ…ト…『ミゼット』?」
「おしい。『ミシェット』ね。ここの店主の名前から来てるのよ」
「あー…そう」
「ちなみにその上の文字『食事処』ね」
「……一文字で?」
ただのロゴかなんかだと思っていたもんだから思わず聞き返した。
ヒノエは「そうよ?」と不思議そうに返す。
まぁ常識の相違は今に始まったことじゃないので、ヒノエはすぐに納得して、店内に入っていく。
ここ最近ヒノエにこの国の文字を習っていたのだが、どうにも俺は異国の言語が苦手だ。
自国の言葉も十分、不得手だったが。
俺は看板を再度見上げる。
「……いつか、読めるようになるさ」
適当に希望的観測を口にだしてから、ヒノエの後に続いて店に入った。
店の内装はなにやら重厚な雰囲気だった。
重厚と言っても、どこもかしこも木製で出来ているため、趣きがあって落ち着いた空気が店内に満ちている。
俺はヒノエに促されてテーブルに着く。
「はふぅ…」
ようやく腰を落ち着けることが出来て嘆息する。
ヒノエが身を乗り出して顔を覗き込んできた。
「…大丈夫?」
「おう、へーきへーき」
ヒノエがあんまり心配そうにするので、俺は勤めて軽く言った。
ヒノエの目が疑うようにジト目になる。
「まぁ、アレだ。しばらく動いてなかったせいか、やけに歩くのが疲れるんでな。そうゆう意味では大丈夫ではないかも」
俺がそう言うと「なるほどね」と、ヒノエが納得したように身体を戻した。
「ご注文は?」
いつの間にか立っていた店の店員がそう尋ねてくる。若い女性店員だ。
ヒノエがすぐに「アルファティー」と告げて、店員がこちらを向いたので俺は戸惑う。
つーか食事処で飲みモノだけでいいのかと疑問に思うが、どうなのだろう。
「…えと、…同じので」
テーブルの横にメニューがあったが、俺が読めるわけもないので無難にそう答える。
と、店の女性店員が俺をジーと見て固まっているのに気付いた。
やっぱり飲みモノだけではまずかっただろうか…。
…いや、もしかしたら別の理由があるかもしれないと俺はあたりをつけてから口を開いた。
「あ、あのー…。もしかして俺に一目惚れ?」
ガンッ
思いっきり弁慶の泣き所であるすね脛をヒノエに蹴られて、俺はテーブルに突っ伏す。
冗談なのに…。
テーブルの下でそんな出来事が起きているとも露知らず、女性店員が俺に話しかけてくる。
「あの、こんなこと言うの失礼かもしれませんけど…」
「やっぱり一目ボぅっ―――っ!!」
ガンッガンッガンッガンッ
まだ最後まで喋ってないのにヒノエが俺の脛をつま先で打ちまくる。
ガンッガンッガンッガンッガンッ
(って、いつまで蹴ってんだこいつっ!!)
俺は声無き悲鳴を上げながら訴えるように視線を投げかける。
ガンッガンッガンッガンッガンッガンッ!
「ごっ…ごめ…もう許してっ」
俺が痛みのあまりに白旗を揚げるとヒノエはフイっと顔を逸らして蹴るのをやめた。
てか、なんでこんなに怒ってんだ?
そんなことを少し疑問に思ったが、「いつものことか…」と俺は嘆息した。
店員は俺の不自然な動きに戸惑っていたようで、言葉を続けていいかどうか迷っていた。
しかたないので俺が、「すいません。何の話でしたっけ?」と聞くと安堵したように口を開く。
「あの、つかぬ事をお伺い致しますが…」
「はぁ…」
「もしかして…“黒髪の勇者様”ではありませんか?」
「………。………。………はぁ?」
俺がたっぷり熟考したすえに素っ頓狂な顔をすると、変わりにヒノエが答える。
「ああ、そういえばあんた。そんな風に言って祭り上げられていたわね」
「はぁ!?」
何で!?という目でヒノエを見ると、ヒノエは何を今更という顔をする。
(そんな顔されても俺は何も聞いてねぇぞ!?)
「だってショウ、ドラゴン。倒したじゃない」
「いや…まぁ、確かに倒したけど…」
なんか俺の知らないところで妙なことになっていた。
ドラゴン倒したら勇者って…どうゆうことよ。
「つーか…別にドラゴン倒せるの俺だけじゃないだろ?ほら…前に何か言ってたろ?ブレイカー…だったか?」
確かそんな魔物退治専門の団体がいるって聞いた覚えがある。
それに対してヒノエが答える。
「あくまで団体で…だからね。そっちは。たった一人でドラゴンを相手にするなんてそれこそ伝説の中だけだし。…祭り上げられても不思議はないんじゃない?」
「そもそも一人じゃなくて、お前もいたじゃねぇか。…お前も勇者ってことになるのか?」
あ、でもなんか“女勇者”ってちょっとカッコいいかも。
「なるわけないでしょ。私の実力なんて高が知れてるんだから。あんたがそれだけ突飛な強さじゃなきゃどうにもならなかったわ」
「だからって勇者はないだろうっ!?」
俺はテーブルを叩く。
「……妙なところで食い下がるわね。いいじゃない勇者。いかにも無謀そうなイメージがショウにピッタリよ」
「……なんかバカにしてないか?」
「………。………。……してないわよ?」
「だからその間はなにっ!?」
ヒノエはその言葉には応じず、あさっての方向を見る。
バカにしやがって…俺だっていろいろ考えて行動してるっつーの。
「とにかく!」
と、俺たちの会話がひと段落ついたところで一人置いてけぼりをくらっていた女性店員が声を上げた。
なんか、瞳に星でも入っているかのようにキラキラしている。
「あなたが勇者様なんですよね!?ドラゴン倒した!黒髪の!!」
「あー……」
俺は言葉に窮してヒノエを見る。
ヒノエは横目で「厄介ごとになりそうだからパス」というようなアイコンタクトを送って、目をそらす。
(丸投げかよっ)
俺は深く息をついて適当に、率直に答えることにした。
「まぁ…そうなる…かな?」
女性店員は「きゃーっ☆」と黄色い声を上げて一人で悶えまくる。
誰かあの店員を止めてやれ。という視線で店内を見渡したがそもそも人がいなかった。
女性店員は店の奥に駆けていく。
「おい…いいのかよ、店内で走って…」
「いいんじゃないのぉ?」
ヒノエは、もはやかかわる気ゼロだ。
店の奥から店員と店長と思わしき人の声が響いてくる。
「てんちょ――っ!!いました!いましたよぉ!!勇者様っ!!!!」
「なにぃ!?怪我で療養中って話だったが治ったのか!?」
「はい、もうピンピンでしたよっ!!」
「よっしゃぁあああっ!!すぐに確保しろぃっ!!祭りじゃぁぁあああああ!!!」
えぇ―――……
なんか不吉なやり取りが聞こえてきている。
俺は額から汗を流しながら、ヒノエに助けを求めようと声をかける。
「お、おい…ヒノエ―――」
「………がんばってね」
一刀両断。死刑宣告。
ガシッと両肩を掴まれる。おそるおそる振り返るとさっきの女性店員と、筋骨隆々の年配のおじさんがニコやかに笑いかける。
汗が…。汗が止まらない!
「さぁ!勇者様!!快気祝いと勝利の宴を兼ねて、祭りを開催しましょう!!モチロン本日の主役はぁ……勇・者・様、だぁあああああ!!!!」
「い…いやぁあああああああああああああああああああ!!!!!!」
その日、俺は疲れ果てて倒れるまで町の人たちに引っ張りまわされ絶叫する破目となった。
―――町の人たちはいつまでも…
いつまでも楽しそうに盛り上がっていた―――……。
Wizard Earth Traveler-ウィザード アース トラベラァ
よく知らない人から物をいただきます。
今のところ毒は盛られていないようだ……。