写真に収められてしまった
写真に収められてしまった
「あーあ、撮られちゃった」
と 私が撮られた側だったら思うな きっと
私が話しているのは 人のことではなくて
人以外の よく撮られるもの について
最初に 言いたいことを 簡潔にいうと
撮られたものは損をしている
ということ
そう思い始めたのは 以前 アメリカの
アンテロープキャニオン というところに
行ってから
いつかの私がそれを写真で見て 感動し
必ずこの目で見ると決意し 夢を叶えた
そしてそのとき 思ったことはひとつ
写真で見る方が綺麗
アンテロープキャニオンにしてみれば
本当にいい迷惑だと思う
勝手に期待されて 勝手にがっかりされるんだから
性能の良くなりすぎた現代のカメラは
私たちの目が追いつかないほどの
解像度を持っている
つまり 実物の美しさを 人間以上に 捉えてしまう
カメラは人間以上に
被写体の美しさを知っているし 表現してしまう
その結果として起こること
カメラが表現した 人間には知り得ない
被写体の美しさを 追い求め そして失望する
だからいつだって被写体は損をする
もちろん
思い出を形にしてくれるカメラは大好きだし
私もいつもパシャパシャしてる
だけど 被写体の希望でもないのに
勝手に被写体を余計に美しくしてしまう
カメラは大嫌いだ
悪いのはカメラだけじゃない
私たち人間 (日本の若者というべきか) も悪い
というか 日本の若者が悪い(全員じゃないよ)
花火<デート<インスタグラム
この図式が当てはまる若者 わりといると思うんだ
花火が見たい
というより
好きな人と花火デートがしたい
というより
さぁフォロワーよ “私が撮った”美しい花火をその目でしかと見るがよい そして いいね をするがよい
って思ってる人 絶対いるはず
インスタグラムのプロフィールに
#ファインダー越しの私の世界
とか書いてる人って絶対そうだし(すごく偏見)
あと 自分のこと個性的 だと思ってる人ほど
花火をバックに 後ろ姿の自分や横向いてる自分を
撮りたがると思う(女性に多く見られる)
あなたが生み出しているのは個性ではなくて
撮ってくれている人の
「この写真で満足してくれるだろうか」
っていう不安なんだ(私がそうだから)
早くそこに気付いてあげて
っていうふうに 最後少しずれたけど
カメラのせいで被写体が損してる
っていうことを書きたかったんです
自分の知らない世界に興味をもたせてくれる
カメラにはとても感謝してるけど
あまり実物以上に美化しないでっていうこと
私がただ思うことは
カメラで美しく撮るのは
子供たちの遊ぶ夕暮れの公園だったり
家族が手を繋ぐ帰り道の商店街 だったり
人が普段気付かない日常の美しさ
だったら素晴らしいなっていうこと
あと、若者はちゃんと花火を見てっていうこと
ただ、それだけのこと
写真に収められてしまった