まるで映画のような。
夏の一コマを書きました。
夏の中
午後6時。お祭り開始の空発が空で弾けた。待ってましたと言わんばかりに、お祭り会場は一気に熱を帯びる。屋台の裏では、発電機が一気に稼働し、ステージでは一幕目のショーが始まり、人が一気に動き出す。
「あちゃー…一気に動き出しちゃったね。少しこの辺で時間潰してから中いこっか」
近くにある茶色のベンチを指差しながら、瑠璃がいった。淡い空色に金魚が数匹泳いでいる浴衣を着て、手には『第85回ヒナカタ祭大会』と書かれた団扇を持っている。正面には、会場の入り口があり、その周りは大きな塀で囲まれている。色とりどりの提灯が等間隔に吊るされていて、さらにその下に、小学生が書いた絵が貼ってある灯籠が吊るされている。
「懐かしい。あれ私たちも描いたよね」
灯篭を指差して瑠璃がいった。
「そうだな。たしか、夏休みの三日間ぐらいは絵を書くので消えた気がする」
「あはは。でも夏輝は毎回夏らしくない絵を描いてたよね。桜とか、雪だるまとか、紅葉とか。なんで夏らしいものを書かなかったの?」
「うーん…なんでだろう。小学生の時は夏が嫌いだったのかもしれない」
「え?!なんで?!黒焦げになるまで遊んでたじゃん!」
「それとこれとは別だよ。あの時の夏のイメージは『死』だったんだ。暑さで死ぬし、溺れて死ぬし、蝉は7日しか生きれないし、そんなの描けないだろ?」
「あー…確かに。そういう理由だったんだ」瑠璃は少し笑った。
「今考えると恥ずかしいな。素直に描けばよかった」そう言って僕も笑った。
夏というのはどうしてこうも暑いんだろうか。毎年毎年温度が上がっていくから、10年後にはきっと死んじゃうんだろうなって思う。子供の頃の自分はいい意味でバカだった。暑さなんて忘れて、火傷しそうな滑り台を滑り、火傷しそうな鎖を握ってブランコをこぎ、火傷しそうな鉄棒で技の練習をしていた。
「ただベンチに座ってるだけなのにすごい暑いね。死にそう」
「たしかに。10年後とかさ、もう外に出るの禁止とかになってるんじゃない?」
「かもしれないねー」
たわいのない会話がしばらく続いた。気がつくと、周りが静かになっていた。
「人も空いてきたし行こうか」
「うん」
会場の大きな門をくぐって中に入ると、黄色のTシャツで統一された学生達が粗品と、“当選チャンスあり”と書かれた抽選券を配っていた。
「今年は当たるといいね」
「願うだけ損だろ」
この祭では最後に抽選会があり、1等から3等までを司会者が読み上げていって、当選した人は豪華景品がもらえるという仕組みになっている。前年度は俺の友達の母親が一等のハワイ旅行を当てた。嬉しさのあまり泣いている母親と、英語喋れないからどうせいけないんだと嘆く父親が喧嘩をしだして小さな騒ぎになった。結局夏休み期間中に家族の予定が合わなくて、俺の家で一緒にゲームをしていた友達は「結局30万円ぐらいで売ったんだ」って自慢してた。
会場の中はとんでもない熱気だった。毎年恒例どころじゃない。温度がまるで違うのか、一年を通してこの熱を忘れてしまうからなのか、僕も瑠璃も引きつった顔を見合わせて笑った。
「倒れないようにね」という僕の声は、会場の騒音にかき消された。
広さ的には東京ドーム一つ分くらいだ。僕の感覚的には。その中に、ステージ閲覧用の大きなテント、座椅子が並び、たこ焼き、イカ焼き、箸巻き、綿あめ、りんご飴等々の屋台が30店ほど並んでいた。少し奥にある公園には、毎年恒例の巨大迷路と、数年前から始まった忍者屋敷がある。
「何か食べたいのある?」
数ある店舗を指差しながら瑠璃に聞いた。
「うーん…りんご飴が食べたい」
「腹減ってねぇの?」
「うん。あんまり」
「そっか」
「なんか食べたいのあった?」
「うーん。たくさん食べたいけど、夜食べると太るし、俺もりんご飴でいいや」
「あははっ。女子かっ」
そんな会話をしながら、屋台の前まで来た。
「いらっしゃい!何にする?」
鉢巻を巻いた坊主の怖そうなおじさんだった。祭りの屋台って基本的にそんな感じだ。正当派のあまり目立たなそうな人(この言い方が正しいかはわからない)がやっているところを見たことがない。
「どれにしよっか」
瑠璃が目を輝かせながらいった。
大きなりんご飴、小ぶりなりんご飴、色とりどりなりんご飴。一概にりんご飴といっても、いろんな種類があった。前までは大きなりんご飴しかなかった気がするが、いつからこんなに増えたのだろう。
「じゃあ…普通のやつにで」
「夏輝の普通ね!わかった!じゃあ、これとこれで!」
「はいよ!ちょっと待ってね」
そういうとおじさんは、大きなりんご飴と、カラフルで小ぶりなりんご飴を取って、僕らに渡した。もちろん大きい方が俺だ。
「2人ともカップルでしょ?カップル割やってるからさ。特別に500円でいいよ」
「ほんと!?やったー!じゃあ、これで」
「ほい、じゃあ500円お釣りね。ありがとう!色々頑張ってね!」
「はーい!」
去り際、おじさんはゲスい顔をしていたが、瑠璃は負けてもらったことが嬉しすぎてるんるんしていた。
りんご飴を食べながら手を繋いで祭り会場を歩いた。地元の祭りだからもちろん同じ学校の同級生、先輩後輩、近所のおじさんから親戚のおばさんまで、ありとあらゆる知り合いとあった。祭りという特別な環境下に置いて、テンションが普通の人などいるはずもなく、普段は言われないような事を言われたり、やたらとテンションが高かったり、普段はしないような格好をしていたりと、みんなそれなりにハメを外していた。
「よう!夏瑠璃コンビ!今年も相変わらずお似合いだな!」
声をかけて来たのは幼馴染の松下康平。
親が同級生という事もあり、小さい頃から一緒に育った野郎だ。普段からおもしろいやつだが、祭りの時の康平は普段のそれを数段上回るおもしろさを醸し出す。
「お前もいい加減彼女作れよ」
「馬鹿野郎!彼女は作るもんじゃねぇ!手に入れるもんだ」
「じゃあ早く手に入れろよ」
「馬鹿野郎!早く手に入れればいいってもんじゃねぇ!物事には順序があってだな!」
「毎回すっ飛ばして、遊んでるやつがよくいうぜ」
「おいおいおいおい!それは言わない約束だろ??」
「うるせぇヤリチン野郎」
「はっはっは!相変わらずお前はクールビューティだな!な!瑠璃ちゃん」
「あははっ。2人とも言葉が汚いよ」
この手の会話には慣れたもんだと、瑠璃は笑っている。
初めて紹介した時はめちゃくちゃ引いてたが、悪いやつじゃないと知ってからは、それなりに心を開いてくれた。
「で、何してんの1人で」
「待ち合わせだよ。19時に水泳館前に集合だっていってたんだけどさ、ちょっと早めに来ちまった」
「そうか。今年も翔たちと回る感じ?」
「いや、あいつ先月に彼女できてさ。光も晃も同じ時期に出来たらしくって、今日は京斗と2人で回る」
「はははっ。正直笑うわ。まじかよその話」
「笑えねぇよ。まじで早く作らねぇとやべぇ。置いてかれる」
「あれー?彼女は作るもんじゃないってさっきどっかの誰かさんが言ってたよー?」
俺が突っ込む間も無く、瑠璃からツッコミが入り、みんなで笑った。
それにしてもパッとしない3人組にもついに春が来たとは。
夏って怖いな。
「まっ、また後で会おうぜ。時間余ってるけど、いくわ」
「またな」
おうっと言うと、康平は元気に走っていった。
「変わらないね」
「だな。変わる事ないと思うけどな」
「いやー、わかんないよー?」
「ははっ。ねぇな」
そう言いながらまた歩き始めた。
数年前の話だ。
康平には隠れて付き合ったいた彼女がいた。
確か二つ上だったかな。名前はナミさん。
それなりに長かったと思う。
高3と高1の恋愛だ。いろいろあった末に別れたんだろう。それ以来、康平に女っ気はない。
祭り会場について2時間ぐらいが経過した。入場してくるお客さんが少しディープになってきた。会場自体も最初ほどガヤガヤしていない。瑠璃が座りたいと言い出したから、公園近くのテニスコート閲覧用屋根付きベンチに2人で腰掛けて、祭り全体を見ていた。
「はぁー、結構疲れたね」
手で仰ぎながら瑠璃が言った。額には少し汗が滲んでいて、提灯の明かりに照らされて光っている。
「そうだなぁ…もう一通り祭りは満喫したな」
「ねー」
「てか暑そうだな。浴衣」
「暑いよ。もう全部脱ぎたいもん」
「捕まるぞ」
「分かってるよ。冗談でしょ」
沈黙が流れる。沈黙と言っても、遠くで薄っすら太鼓の音が聞こえる。ステージももう直ぐ全てのプログラムが終わる。
そんなことを考えていると、瑠璃が俺にもたれ掛かってきた。
「…暑くないか?」
「うん」
「汗臭くないか?」
「うーん。ちょっと臭いかも」
「まじか」
「あはは。冗談だよ。私の方こそ変な匂いしない?」
「うん…。むしろなんか…うん」
「うん?」
「気持ち悪いこと言うけど、いい匂いがする」
「気持ち悪いね」
「間違いない」
そこで太鼓の音が止んだ。
普段部屋にいるときも、音が止む時間はあるけど、それとはまた違った沈黙が俺たちの間に流れた。自然と顔を見合わせる。提灯の淡いオレンジ色に照らされている瑠璃は、いつもの100倍可愛かった。
「…いいよ」
瑠璃がそう言って目を閉じた。
こうしてまた一つ、夏の思い出が出来た。
『さぁ!!皆さん!今年も無事晴天に恵まれ、85回目のヒナカタ祭りが開催できたわけですが、ここまでのステージ、どうでしたかー?』
そう言うと、サンプラスとカラフルなハットを被ったスーツ姿の司会者が、会場に向けて大きなジェスチャーで耳を傾けた。
毎年恒例のMCだ。
『楽しかったー!』
会場から元気な声が聞こえた。
『そうですね!!今年も楽しかったねぇ!他にはありますかー??』
『マジックショーがすごかった!』
『うんうん!あれはすごかったねぇ!来年は私も出来るように習っておきます』
そう言うと、会場から笑いが溢れた。
『さて皆様!物事には終わりがあります。それは、このヒナカタ祭りとて、例外ではございません」
しーんと静まり返る会場。
「最後のプログラムは…毎年恒例の打ち上げ花火です!!」
MCの声が会場全体に大きく響き渡り、その声とともに、歓声が上がった。
「さて、俺たちも行くか」
ベンチから立ち上がって言った。
「え?どこ行くの?」
座ったまま瑠璃が言った。
「秘密。行くよ」
俺は瑠璃の手を引っ張って立たせた。
テニスコート向かいの公園に向け歩いて行く。ここまで来ると、提灯がなくなって、暗闇が目立つ。
「ねぇ、ちょっと怖いんだけど」
「じゃあ何かしながら行こう」
「何する?」
「うーん…。しりとりだな」
「あはは、懐かしい。うちら何歳だよ」
「しりとりのり」
「りんご」
「ごま」
「まぐろ」
しりとりが続いていく中、公園の隅にある階段をしばらく登った。
「ろば」
「ばな…言ったか。バンコク」
「車海老」
「び………ビーム」
「紫」
「黄色」
そうこうしているうちに展望台についた。
「おお…結構雰囲気あるね」
「だろ?まぁ、本当は入っちゃいけないからさ」
「てか、よく考えたら入れないじゃん?」
「と、思うじゃん?」
おれは得意げにそう言って、入り口のドアを開けた。
「じゃーん」
「いやいや待ってよ!ダメだって勝手に入っちゃ」
「いいから」
瑠璃の手を引いて中に入った。警備会社のシールが貼ってあるが、警報はならない。そういう手筈になってる。
中は展示品を照らすスポットライトだけがついていて、静まり返っている。昼間は大人から子供までいろんな人が、展示品を見にくる。小さな街のシンボルと言ってもいい。
「毎年何かしてくるけど、今年は何するの?」
さっきまで怖がっていた瑠璃だったが、なんとなく落ち着いたらしい。少しはにかんで、ワクワクしているのがなんとなく伝わってくる。
「今年は、展望台の双眼鏡で花火を見せてあげたいなと思ってここに来た」
「なるほど…。とっくに閉館してるのに入れたのはなんで?」
「それは」
『もちろん俺の力だ!』
俺の言葉を遮って、天井についているスピーカーから声がした。
「…びっくりした!康平君?」
『如何にも』
康平は何かのキャラクターのモノマネをしながら話しているが、それがなんなのかは俺にはわからない。
「でも…どうやって?」
『ふはは…簡単なことよ。俺はこの展望台でバイトをしている!それだけのこと!』
まぁ、間違いなくクビだがな!と康平は笑った。それにつられて俺も瑠璃も笑った。
『それでは手筈通り、この展望台は9時まで俺の城だ。好きに使うがいい』
そこでスピーカーの音が止んだ。
「ま、そういうことだから、早く花火見に行こう」
「うん!」
手を繋ぎなおして、俺たちは展望室に向かった。
エレベーターはさすがに使えないから、階段で3階まで登った。少し疲れたが、疲れは一瞬で吹き飛んだ。
街を見下ろせる大きな窓いっぱいに、花火が咲いていた。それはまるでスクリーンで映像を見ているかのように綺麗で、俺も瑠璃もしばらくそれを見ていた。
「綺麗…」瑠璃の口から逃げていくようにその声は出た。
握っていた手により強い力が込められた。
「だろ?先輩に聞いたんだ」
静かな館内にうっすらと花火の音が響いている。
「なんか…贅沢だなぁ」
「ま、とりあえずあそこに座ろう。俺たちの特等席だ」
指差した方には館内の椅子が置いてある。これも康平の仕業だ。
今までいろんなことがあった。
年をとっていくたびにいろんな経験をした。
日本には春夏秋冬があるが、夏は特別な気がする。
いろんな思い出が増えるのも、開放的になれるのも夏な気がする。
蝉の声が夏を知らせる。
風鈴の音が涼しい。
日が長いからたくさん遊べる。
空が一番青くて綺麗な気がする。
太陽が鬱陶しく感じるが、悪くない。
祭りが好きだ。
こうして俺たちはゆっくり大人になっていく。
いろんなことを夏のせいにしながら。
20時30分まであと2分。ここまでが長かった。
「さて、そろそろ双眼鏡を覗いて見て」
俺はそう言って、3つあるうちの真ん中の双眼鏡に、100円を3枚投下し、瑠璃に覗かせた。
「わぁ…」
口から自然と漏れたように声が出た。瑠璃はしばらく双眼鏡を覗き続けた。俺もベンチに座りながらその様を見ていた。
浴衣姿の彼女。薄暗い部屋。3台の双眼鏡。観葉植物。でかい窓に映る花火。さっきはスクリーンだと言ったが、この光景はまさに映画だ。
その映画を完結させるような綺麗な花火が夜空に一輪咲いた。
最後の花火はしばらく夜空に残像を残し、ゆっくりと消えた。
さっきまでの音が嘘だったかのように、あたりは静かになった。
「どうだった?」
「…びっくりするぐらい綺麗だった。なんて言えばいいんだろう…。ごめん。綺麗だった以外出てこないや」
「いらねぇな。綺麗だったで十分だ」
瑠璃はゆっくりと俺の座っているベンチに腰掛けた。
「はぁ…毎回いろんなことしてくれてありがとうね」
「瑠璃の誕生日だからな」
「だからこそ感謝だよ。お祭りの日が誕生日だと、プレゼントとか、サプライズとかなさそうだけど、夏輝は毎年何かしてくれる」
「好きなんだ。サプライズも。瑠璃も」
「あはは。まだ夏輝には早いセリフだ」
「俺もそう思った。大人ってなんでこんな恥ずかしい言葉を平気では言えるんだろうな」
「わっかんない」
あははと、俺たちは笑った。
『えー、vip様方、閉館5分前であります』
何もかもが落ち着いたタイミングで、康平のアナウンスが流れた。
「じゃあ、帰りますか」
「そうしましょうー!」
俺たちは改めて、手を強く握り合った。
夏の一幕が終わった。
ある一定の残響を残して、祭り会場は片付けの準備に追われていた。
かき氷や焼き鳥の串、綿菓子の袋や箸巻きのトレイ。さっきまでの光景からは想像もできない量のゴミが落ちていた。
そのゴミの中を、手を繋いだまま帰った。
俺は後何回夏を迎えることができるんだろうか。
そしてその隣に瑠璃はいるんだろうか。
柄にもなく黄昏ながら帰った帰路は、夏のくせにそれほど暑くなかった。
まるで映画のような。