十六年後の春
これは処女作「やわらかな籠」の続作になります。
十六年後の春
16年後の春。
~神山 知春の場合~
花梨が産まれたら、夫の史則も、きっと変わると思っていた。期待していた。でも、何も変わることはなかった。
幼い頃はいつも私の隣にくっついてきて、史則が何が不機嫌になるたびに「ママをいじめないで」と泣いていた、あの優しく可愛かった花梨も、最近はとても冷たい。
あれは、「家事ばかりでつらい」と、愚痴をこぼしたときだっただろうか。
それとも、史則のことで「私はこんなに頑張っているのに」と言った時だっただろうか。
高校生になってからぐっと背が伸びて、少し生意気な顔つきになった我が子。
本当にちょっと前まで私の腰くらいまでの背丈だった、あの小さな花梨。
「あのさ」
くるりと私の方を振り返って、驚くほど苦々しい顔をしながら
「それって結局自分のせいじゃん」
「見ててイライラする」
「お母さんのそういうところ嫌いだから。大っきらい」
そう吐き捨てて、目の前で大きな音を立ててドアを閉めた。
これが俗に世間で言う、反抗期というものなのか。
胸が痛い。今まで味方だったはずの、我が子にまで見放されたようで。敵になってしまったようで。苦しい。
どうして?どうして私ばかりこんな目に?
私は今まで、あなたや夫を支えるために、必死で頑張ってきたのに。
たまに泣きたくなることがある。
私の人生ってなんだったのか。
夫にも、愛してきた我が子にも冷たくされるなんて。どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
こんなに、頑張ってきたというのに。
全ては無駄だったのだろうか。
~神山 花梨の場合~
幼い頃から、父はどこか遠くにいる人だった。
ほとんどかまってもらえた記憶はなく、父は休日趣味の本や雑誌ばかり読んでいた。
遊んでほしさに近寄っていっても、不思議そうな顔をして、読みかけの本に戻る父。
そんな父はどこか威圧的なところがあって、気に食わないことがあるとすぐに態度に出して、ねちねちと母を責めた。
私は母が好きだった。
父と母が喧嘩…というより、父が何か不機嫌になってものにあたった時、怯える幼い私に向かって、泣きながら「ごめんね、ごめんね」「こんな思いをさせてしまって、ごめんね」と私に謝る母が、たまらなくかわいそうで仕方がなかった。
——私だけは母の味方でいよう。
そう思っていた。昔は。
大好きだったはずの母に疑問を持ち始めたのは中学生の頃から。
その時、私がいたクラスではいじめが起きていた。
色白で小柄で、いつもヘラヘラ、ニコニコしていた男の子。
派手で気が強い運動部の男の子達から、いじめを受けていた、あの男の子。
ものをこわされ、捨てられ、バカにされても、何も言わなかった。いつも、されるがままになっていたし、ヘラヘラするばかりで、全てを諦めているように見えた。
なぜ言いなりになっているのだろう。
一度、あまりにも耐えきれなくて、「ねえそういうのやめなよ!」と怒鳴ってしまったことがある。
委員長ぶりやがって。真面目ちゃんだな。そう毒づく男の子たちよりも何より記憶に残ったのは、諦めたように立ち尽くして笑う彼だった。
——その姿が母に重なった。
その頃から覚えるようになった、母に対する苛立ち。
どんなに夫である父に理不尽なことを言われても、されても、わがままに振り回されても、我慢してついていく母。言いなりの母。
母は泣きながらいつも、こんなことを言っていたのをおぼえている。
「守ってあげるからね」「こんな思いをさせてごめんね」
嘘つき!守ってなんかくれなかったじゃない!!
私がいつも守ろうとしてきたのに!
いつも父にボロボロにされている、あなたを見ているのが辛かったのに。
私を守りたかったなら、ねえママ、やめてよ。もう我慢しないでよ。
言いなりになるのはやめてよ。
どうしてそれができないの?
でも、そんなことを言っても無駄だとわかってる。
きっと、母はこう答えるに違いない。
「あなたのためなのよ」
「あなたを悲しませたくないの。生活だって苦しくなるでしょ」
「花梨のために、あの人と別れるなんてことはできないの」
十六年後の春
結婚し、花梨という子供を持った知春の物語。
母と娘のそれぞれの視点、すれ違い。