未来を拾いに

未来を拾いに

「お前さ。オレのこと好きだったろ?」
 カウンター席の隣に座るタカシからの不意打ちが、おれのほろ酔いボディにクリティカルヒットする。思わず何杯目かのビールを吹き出してしまった。
「あーあ、きったねぇな。早く拭けよ」
 タカシはおしぼりをボールに見立て、勢いよくおれの胸元に投げつけてきた。
 金曜日の古びた居酒屋は満席で、四方八方で会話に花が咲いている。カウンターの上にあるテレビではナイター中継が映されていた。ピッチャーが三球三振で討ち取ると、後ろのテーブル席から歓声が上がった。
 おれは口元に残したビールをワイシャツの袖で拭い、おしぼりを使って自分が汚したテーブルを拭きながら反論する。
「な、何言うんだよ。おれはそんなこと……」
「そんなことはない、とは言わせねーぞ。オレ、知ってるんだからな」
 言葉を遮り、タカシはニヤリと笑う。
 おれは昔から嘘がつけない。何とか平静を装うとしても、おしぼりを握った手の中にジワリと汗が出てくる。きっと不自然に目も泳いでいるだろう。タカシにそんな様子を悟られないように顔を下げた。
 だが、相手は見逃してくれない。
「やっぱりな。オレがシャワー浴びていると、お前の視線をいつも感じてたんだよ」
 そう言うと、おれの膝をコンコンと突いてくる。おれは何も言い返せない。
「こっそり見てたんだろ? 気付かれないとでも思ってたのか?」
 タカシは煙草に火を点けると、おれの返球を楽しそうに待っている。
 おれとタカシは、大学で硬式野球部に所属していた。おれのポジションはキャッチャーで、こいつはピッチャーだ。おれは当時、バッテリーを組んでいた同期のこいつに心を奪われていた。
 そう。ノンケ相手の叶わぬ恋だった。

 ――十五年前。
 大学キャンパスの脇に設えられた広いグラウンド。私立大だが野球部は強豪というわけでもないので立派な施設ではない。
 おれとタカシが練習から上がる頃には、決まってロッカールームは静まり返っていた。他の連中は全体練習が終わると、そそくさと帰っていったが、おれ達は必ず残ってピッチングの練習をするようにしていた。
「お疲れさーん!」
「おう、お疲れ!」
 おれの軽い口調に、いつもの返事が響く。
 タカシと二人っきりになれるこの空間が、おれにとっては何よりもご褒美だ。
 あいつはユニホームを脱ぎ終えて、もうインナーとスパッツ姿でいる。おれはプロテクターやレガースを外し、もたもたとユニホームを脱ぎ始めた。のんびりしているのは、あいつの後からシャワールームに入るため。そうしないと憧れの裸が見やすいベストポジションを確保できない。
 そんなスケベ心を知るはずもないタカシは、汗で肌に貼りついたスパッツを勢いよく下ろすと、タオルを片手に扉の向こうへ消えていった。その様子を見届けると、おれも急いで裸になり後を追った。

 扉を開けると、シャワーの音が耳に届く。おれは下手くそな鼻歌を響かせながら、目はしっかりとタカシの後姿を捉えていた。
 あいつは仁王立ちで肌にこびりついた汗を落としている。肩幅のあるガッチリとした体格に筋肉がバランスよく付いていて、男らしさを際立たせていた。
 おれは隣のシャワーに陣取って、シャワーの栓を開いた。
 タカシは最初に、頭から洗う。短く切りそろえた髪に爪を立ててシャンプーを泡立たせる。その二の腕にはガッシリと筋肉が付き、力こぶができている。前腕も筋肉が発達していて肌にスジを浮かべていた。
 おれは自分の体を洗うふりをしながら、横目でタカシの裸を覗かせてもらう。
 首や腕は真っ黒に日焼けをしている。ノースリーブのTシャツ跡が付いて、胸から下は白く目立っていた。まるでシースルーの下着を着けているようで妙にエロい。体毛は薄いほうだ。ハリのある肌は水滴を勢いよく弾いていた。
 おれは目線を動かしてみた。
 鎖骨の下から大胸筋がうっすら盛り上がり、乳首のあたりを頂点に発達している。腹筋は軽くシックスパックを覗かせていて、わき腹にも脂肪がほとんどない。シャンプーの泡が胸の筋肉をなぞるように滑り落ちていく。
 見ているだけで、少しずつムラムラしてくる。
「悪りぃ。そこのボディソープとってくれよ」
 タカシは空になった容器を手に、おれの近くにあるボディソープを指差している。
「ほいよ」
 おれは容器を渡しながら、どさくさに紛れて股間をチラ見する。
 濡れた陰毛から飛び出したズルムケの竿。おれよりも太くてボリュームがある。亀頭の先から水滴がしたたり落ちた。玉袋は温まった皮が伸びきって、中身を重そうにぶら下げている。試合が近いからオナ禁をしているのかもしれない。
「今日の球、どうだった?」
 何気なく投げつけられたタカシの言葉に不意を突かれた。
「あ、ああ。ちょっとキレが悪かったよな」
 おれはさっきの練習の記憶を呼び起こした。
「そっか。やっぱりな」
 タカシはソープ液をスポンジに含ませると、こっちに背を向けて胸や腹を洗いだす。
 肩幅のある背中は軽い逆三角形をしている。左右の背筋が逞しく、背中の中央には縦にうっすらとくぼみがあった。前を洗い終えると、手を回して広い背中を泡まみれにしていく。
 次は下半身だ。ずっと背中を向けているから、股間は見えないが、両手を使って股やケツの谷間を洗う時に、う~っと声を漏らす。ソープの滑るような手触りが気持ちいいのだろうか。
 ボンレスハムのような太ももを洗う時には、ケツを突き出すような格好になる。肉付きの良いケツは大きな桃のようだ。鷲づかみにしたらどんなに気持ちいいだろう。
 沸き立つ湯気に見え隠れするタカシの全裸。
 ここまで見ていると、おれは限界を迎える。憧れの体を目の前にして、股間が熱くなってくる。竿が頭をもたげそうになるが、石鹸で股間を洗うふりをして、興奮を抑えようと入念に揉みほぐした。
 おれはタカシに憧れていた。初めて好きになった男だった。

 居酒屋の喧騒が耳に戻ってくる。
 煙草に火を付けると、目を細めて煙を吐きだした。遠い記憶だが、今でも鮮明に思い出せる。
 おれは学校を卒業すると一般企業に就職した。社会人になってからは地元の草野球チームに入り、今でも趣味で野球を楽しんでいる。一方、タカシは類いまれなる体と野球の資質で、プロ球団・マウントスターズにスカウトされた。おれは遠い世界へ行ってしまった相方に手を振ると、少しだけ泣いた。それで終わりだった。
「そ、そうだよ。おれ、お前のことが気になってたんだよ」
 自分でも顔が赤くなっているのが分かった。逃げ場のない雰囲気にヤケになってジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。
「そうか。やっぱりな……」
 タカシの顔から悪戯が成功した子供のような表情は消えていた。煙草の火を灰皿で潰すと、目線を落としている。
 長らく音信不通だった仲間との十五年ぶりの再会。ぽっかりと穴が開いたように静まり返ってしまった。
 おれは別の会話を必死に探したが、何も思い浮かばない。ペナントレースの話に戻そうか。いや、それもわざとらしい。真っ白な頭の中で、小さいおれがぐるぐる走り回っていた。
「そろそろ、出ようぜ」
 タカシは伝票をつかんで席を立つと、おれは無言で上着を羽織った。

 店を出ると、夜空に星が輝いていた。
「オレが誘ったんだからいいよ」
 カバンから財布を取り出すと、タカシはあっさりと断った。
「なあ、学校に行ってみねぇか?」
 タカシは返事を待たずに歩き出す。
「ああ……」
 おれはから(・・)返事(・・)をすると、その背中を追った。
 おれのバカ野郎! いくら昔のこととはいえ、本当のことを言う必要なんかなかっただろ。なんでバカ正直に認めちまったんだよ!
 広いグラウンドにボールは何処までも転がっていく。白球を拾おうと追い駆けるが、いつまでも捕まえることができずにいる。
「おい、こっちだ!」
 遠くからの声に、おれは我に返った。タカシは駅前から続く商店街の端で呼んでいる。いつの間にか足取りが重くなっていたようだ。
「悪い、悪い」
 おれが追いつくと、タカシは薄暗い道の先を指差した。
 この先には学校がある。確か桜の並木道があったはずだ。タカシに指し示された先をたどると、道の両脇に連なる桜の木が満開の花を咲かせていた。
「ああっ……」
 おれは小さく声を漏らした。
「行こうぜ」
 タカシは独り言のように呟く。
 おれ達は並んで桜のトンネルに足を踏み入れた。街灯に照らされた花がぼんやりと白く輝き、花びらは弱い風に吹かれて静かに舞っている。
 おれは何か会話を探したが、適当な言葉が見つからず、隣の顔をこっそり見た。タカシは黙ったまま、酒に少し顔を赤くして目を細めている。横顔から見える僅かな陰り。
 タカシは期待のルーキーとして注目されていた。おれはスポーツニュースで、その活躍を見るのが楽しみだった。だが、プロ二年目で肩を壊して、再起不能となった。肩を壊すことはピッチャーにとっては致命傷になることが多い。
 おれは無理をして言葉を探すのをやめた。足元に目線を落とすと、コンクリートに落ちた無数の花びらが白い絨毯のように広がっている。静かな夜に革靴の足音が響く。

 道の突き当たりに学校が見えてきた。
 おれ達は正門の前で立ち止まった。正門は固く閉ざされている。校舎に灯りはなく、頭上の街灯がぼんやりと正門を灯していた。
 暗がりの中で、周囲に掲げられたサークル勧誘の立て看板や手書きのチラシで賑わっている。おれは懐かしくなり野球部のものを探した。
 だが、タカシはそんなものに見向きもせず、脇道を歩き出す。
「お、おい。タカシぃ!」
 おれは慌てて後を追った。
 この先には野球部専用の練習球場がある。しばらく歩くと、以前と変わらない練習場が見えてきた。
 ここにもライトの明かりはなく、静まりかえっていた。
「おれ達、よく練習したよな……」
 月明かりだけで薄暗く照らされた野球部のフィールドを柵越しに見ながら、タカシは独り言のようにつぶやいた。
「そうだな。懐かしいな」
 おれは金網の向こうに思いを馳せた。
 タカシと一緒に、ここで毎日ボールを追い駆けていた。誰よりも速い球を投げたくて、誰よりも鋭い球を受けたくて、汗がにじんだ毎日が楽しくて仕方なかった。
 タカシがフェンスのゲートに手をかける。施錠されているので、もちろん開くことはない。だが、上着を脱ぐと、背の低い場所を選んでフェンスを登り始めた。
「ちょっと、ダメだよ。見つかったらやばいって」
 おれは慌てて止めようとした。
「大丈夫だって。行ってみようぜ」
 タカシの言葉に、眉をしかめた。
「お前のそういうところ、ホントに昔と変わらないな」
 タカシは口元を緩ませると、自分の身長よりも少し高いフェンスを軽々と登り、向こう側へジャンプした。
 おれはその様子を見届けると、軽いため息をついて金網に手をかけた。遅れて練習場に侵入する頃には、タカシは先にマウンドへ向かっていた。

 マウンドには片付け忘れたボールが転がっている。
 タカシはそれを拾うと、投球の姿勢に入った。月明かりに照らされたその姿。ここで豪速球を投げていた昔の姿と重なる。大きく振りかぶると、誰も居ないキャッチャーボックスへ投げられたボールはフェンスに当たり金属音が響いた。
「そんなところでボケッとしてんな。早くポジションに就けよ!」
 タカシはキャッチャーボックスを指差している。さっきまで取り巻いていた気不味い雰囲気はどこかに消えていた。
 おれは何だか嬉しくなった。鍵のかかっていない倉庫へ走り、キャッチャーミットを持ち出した。
 ボックスに入ると、ボロボロのミットを手にはめる。
「メットもプロテクターも無いんだから、手加減してくれよ」
 肩を壊したとはいえ相手は元プロのピッチャーだ。本気を出されたら、おれが怪我をしてしまう。
 おれは方膝を着くと、ミット胸の前に構えた。
「分かってるって」
 タカシは笑みを浮かべ、ボールを構える。
 その目には、ピッチャーの闘志に燃える光が宿っていた。放たれた白球は、肌寒い春の空気を切り裂くように走り抜ける。おれは一瞬、目をつぶってしまった。次の瞬間、ボールは乾いた音を立ててミットに収まっていた。
「コントロール抜群だな。まだまだいけるんじゃねーの?」
 おれはボールをつかみ、タカシへ返球した。
「からかうなよ。オレなんかもうダメだよ」
 もう一度、ストレートを投げてきた。豪速球ではないが、球にはキレがある。
「最高だな。やっぱりタカシがピッチャーだと、おれもやりがいあるって!」
「オレだって、お前が受けてくれるのが一番だ!」
 今度はチェンジアップだ。スピードが遅く緩やかな弧を描く球には伸びがある。
「何言ってるんだよ。プロじゃ、おれなんかより上手いヤツはたくさん居ただろ!」
 おれは見え透いたお世辞を軽くあしらってやった。
 マウンドのピッチャーはボールを握り締めて、ひとつ息を吐き出した。
「上手いヤツは沢山いた。でも相性ってのはお前が一番だったぜ!」
 さっきよりも強いストレートを投げてきた。
 おれはミットで受けながら、違和感を覚えていた。タカシは昔から何かあると球に影響する。毎日のように球を受けていたおれには分かるのだ。十五年経っても、ミットに伝わる感覚は鈍っていない。
 いつの間にか会話が途切れていた。あいつも無言でボールを投げ続けている。ボールがミットに収まる乾いた音だけが、夜のグラウンドに静かに響いている。
 タカシは、ふと投球の手を止め、手にしたボールを見つめた。
「お前さ。あの試合の時、オレのこと、どう思ってた?」
 そう言うと、腕を降ろした。
 少しの間、おれ達をつないでいたボールはマウンドに転がり、静かに止まった。

 あの試合――。それは、おれ達がバッテリーを組んで初めての大会のことだ。その大会は下級生を中心にメンバーが組まれた試合だった。おれ達を含めたメンバーは、先輩のサポートを受けながら練習を重ね、試合に臨んだ。
 九回の裏、相手チームの攻撃。おれ達は一点差でリードしている。走者は一塁ベースに一人だけ。次の四番は強打者なので注意が必要だ。
 おれは作戦通り、敬遠球のサインを出した。
 だが、タカシは首を横に振り、ストレートを要求している。疑問に思って左上に目線を移すと、バッターが舌舐めずりをしているのが見えた。
 バカ。相手の誘いにのるんじゃねぇよ! 
 おれは怒って、もう一度同じサインを出した。指示に従おうとしないピッチャーに内心焦っていた。それでも、タカシは頑としてサインを受け入れない。仕方なくストレートを受ける構えをした。
 二球目まではストライクが入った。だが、三球目の甘いボールが餌食になった。
 金属製のバットが豪快に鳴り響く。バッターの豪快なスイングにボールは高く飛ぶ。おれはマスクを外して立ち上がり、飛球の流れを追った。だが、舌打ちをすることしかできなかった。
 ボールは外野フェンスを大きく超えた特大のサヨナラホームラン。タカシは呆然と立ち尽くしている。
 おれはミットの中で強く拳を握り締めた。

「おい、タカシ! さっきのは何だよ!」
 おれはロッカールームに戻ると、ふてくれされた態度でベンチに座るタカシに怒鳴りつけた。おれの声に、近くでユニホームを脱ぎ出した連中の視線が集まる。
「しょうがねぇだろ。タイミング良く捕まれちまったんだから」
 タカシは目を反らしたまま低い言葉を吐き出した。
「そうじゃない! なんでサインに従わなかったんだ。試合はお前だけのためにやってるんじゃないんだ!」
 タカシの勝手でチーム全体に迷惑をかけたことが、どうしても許せなかった。周囲に気不味い空気が流れる。
「うるせぇんだよ……」
 タカシは言葉を吐き捨て、ロッカールームを出て行こうとする。
 おれはその態度にキレた。立ち去ろうとするヤツの頭めがけて、手にしたキャッチャーミットを思い切り投げつけた。
 的に当たったミットは鈍い音を立てて床に落ちると、タカシはおれを睨みつけた。周囲に嫌な緊張が走る。タカシが足早にこちらに向かってくる。
 次の瞬間、おれは思いっきり突き飛ばされた。瞬時の動きに身構える余裕もなく、ロッカーに激突し背中と後頭部に鈍い痛みを感じた。同時に尻もちをついてしまい、手のひらに冷たい床の温度が伝わる。
「いってぇ……」
 おれは情けない声を出しながら目を上げた。
 タカシがおれを見下げている。その唇が右に少し上がるのを合図に、おれは勢いを付けて飛びかかった。床に倒れたタカシに馬乗りになると、胸ぐらをつかんだ。一発ぶっ飛ばしてやろうと拳を振り上げたが、一瞬の隙をつかれて右頬にパンチを食らってしまった。
 その後は無我夢中でよく覚えていない。気付いた時には先輩たちに力尽くで引き離され、取り押さえられていた。

「で、喧嘩の原因は何だったんだ?」
 騒ぎを聞きつけた監督に、おれ達は引きずられるように監督室へ連れて行かれた。おれ達は正座をしてうつむいていた。
 おれは何も答えなかった。隣のタカシも、口をへの字に曲げている。おれが殴った左頬にはうっすらとアザが浮かび上がっていた。きっと、おれも同じようにアザが出来ているのだろう。
 痺れを切らした監督はため息をついた。
「もういい、事情は他の連中に確認する。内々のことだから学校にも黙っててやる。だが、お前達は明日から一ヶ月間、部活動を禁止するからな。じっくり反省しろ!」
 そう言い放つと、ズカズカと部屋を出て行ってしまった。

 おれは、はらわたが煮えくり返る思いだった。
 タカシはいつだってそうだ。負けん気が強くて、バカ正直なほどに正面から勝負に挑むんだ。作戦を立てた時だって、監督やおれが真剣に考えていたのに、あいつは何も考えていなかったじゃないか。二度とあいつと組むもんか!
 謹慎になって十日ほど経っても、怒りの炎が消えることがなかった。

 ある晩、自宅のテレビでプロ野球中継を見ていた。
 マウントスターズとパンサーズの試合だ。今季は打線が爆発しているパンサーズ相手に、マウントスターズのピッチャーが好投を続けていた。パンサーズのスコアボードにはゼロが並び、ついに九回裏も得点ゼロでマウントスターズが勝利を収めた。
 ヒーローインタビューには無失点で、無敵のピッチングを披露したピッチャーが選ばれた。
『タカハシ投手、おめでとうございます! 素晴らしいピッチングでしたね!』
『ありがとうございます。ここまでできたのはサイトウのお陰だと思ってます。アレのリードで気持ち良くできました!』
 おれはタカハシ投手のコメントに目を開いた。
 タカハシは決して優秀なピッチャーではない。だが、サイトウ捕手のリードが最高のピッチングを導き出したということなのか。
 おれは、風呂の中でも部屋で携帯をいじっていても、ずっと考えていた。
 あの試合は本当にタカシだけが悪かったのか? おれはキャッチャーだ。ゲームの展開をあの場所から見守り、全体のことを考えなくてはならない。だから、あいつの身勝手な行動に怒りを覚えた。
 でも、ピッチャーが望むプレーを、支えてやることができていたのか。あいつが真っ向勝負を挑むプレースタイルは前から知っていたことじゃないか。おれは作戦を遂行することだけ考えて、あいつのことを全く考えていなかったんじゃないのか?
 そう思うと、自分を不甲斐なく思った。あいつはどうしているだろう。少しだけタカシのことが気になった。

 週末、おれは授業で一緒になる仲が良い連中と遊びに出かけた。映画館で話題の超大作を見て、流行のショップで服を買う。居酒屋で安酒を飲んで、野球では味わえない大学生の楽しい時間を過ごした。
「次、カラオケ行こうぜ!」
 おれは久しぶりに気分が良く、もっと遊びたかった。
「悪いな。この後、用事あるんだ」
「俺、もう金ねぇからパスパス」
 連中からあっさり断られてしまった。
 飲み会がお開きになると、おれは駅の方角とは反対の川の方へ歩いていった。川沿いを歩いていると、吹きつける風が酔いを醒ましてくれる。河川敷に広がる野球場が目に入った。きっと近所のリトルリーグとかで使っているのだろう。
 夕闇に紛れて、一つの人影があった。その影はマウンドにたった一人で投球の練習をしている。誰も居ないキャッチャーボックスに向かって投げられたボールは音を立ててガードにぶつかる。立ち止まってその様子をみていると、ボールを投げているのはタカシだと分かった。
 そうか。あいつの家はこの近くだったな。大学で練習できなくなったから、ここでピッチングをしているんだ。
 タカシは一球のボールを投げては拾い、また投げる動作を繰り返している。
 声をかけようか。でも邪魔しちゃ悪いよな。そう思うと、その場を静かに立ち去った。

 謹慎を受けてから二十日ほど過ぎた頃に、おれの携帯に連絡が入った。
「その後、どうだ? 少しは反省したか」
 監督からだった。
「はい。すんませんした」
 おれは謝罪を口にした。
「今度の日曜日に練習場の草むしりを手伝ってくれないか? タカシと一緒にな。手伝ってくれたら、少し早いが部活に復帰していいぞ」
「分かりました」
 監督の温情に、即答で返した。やっと部活に戻ることができる。
「じゃ、お前からタカシに連絡してくれよ。じゃあな」
 監督はさっさと電話を切ってしまった。
 おい。おれから連絡するのかよ。少し躊躇したが、仕方なく携帯のアドレス帳からタカシの番号を探すと、発信ボタンを押した。
 数回コールが鳴る。
「……何だよ」
 タカシは無愛想な声で電話に出てきた。
 そんな反応しやがって。おれの方が何だよ、だ。面倒なヤツだな。
 おれは監督からの伝言を早口で伝えると、相手の返答を待たずに電話を切った。その伝え方が正しいかどうかは分からなかったが、携帯を放り投げて風呂へ向かった。

 日曜日の午後、練習場に行くと監督が待っていた。タカシはまだ来ていないらしい。
「監督、お疲れさまっす」
「ご苦労さん。悪いが、俺は用事ができたんで、お前たち二人でやっといてくれ」
 監督はそう言うと、どこかへ行ってしまった。
 おれはたった一人で取り残された。話が違うじゃないか。不満を顔に浮かべながら、草むしりを始めた。それでも、これで部活に復帰できるなら、一人でも全部片付けてやる。
 今日は天気が良くて日差しも強い。内野にまで生えた雑草は強敵で、まだ十分の一も終わらない。体中から大量の汗が噴出してくる。
「よう」
 前かがみで草を抜く背後から、タカシの声が聞こえた。
「遅いぞ。早く手伝えよ」
 目の前の草を抜きながら、短く言葉を吐きだした。
 タカシもおれの隣に腰を下ろすと、草むしりを始めた。日差しの強さが最高潮を迎えている。Tシャツは汗でへばり付き、水でも被ったように濡れてくる。隣のタカシも額に汗を浮かべていた。
「悪かったな……」
 隣から小さな声が聞こえてきた。
 それは今日遅れてきたことが悪かったのか、この前の試合のことなのか、どっちなんだろう。二年付き合って、初めての謝罪の言葉だった。
「お前のせいで、こうなったんだぞ」
 おれが皮肉混じりにニヤリと笑った。
 タカシは何も答えずに軽く口角を上げて草をむしり続けている。少しは反省していたのか。そう思うと、胸のわだかまりも消えていった。
 おれは手を止めて、口を開いた。
「この前、お前のこと見たんだよ」
「どこでだよ?」
 タカシは根の深そうな雑草を引き抜いた。
「河川敷の球場で、一人で練習してただろ」
 夕闇に紛れて、黙々と練習をするタカシの姿を再び思い描いた。
「ああ、見てたのか。学校で練習できなくなったからな。動かさないと鈍っちまうだろ」
 タカシは引き抜いた雑草の小山を運搬用の一輪車に放り投げる。
「寂しいことすんなよな。お前の球は、おれが受けてやるよ」
 おれは額に溜まった汗を拭いながら白い歯を見せた。
「仕方ねぇな。今度、お前の練習に付き合ってやるよ」
 タカシはいつもの勝気なあいつに戻っていた。

 それから、おれ達は一緒に練習をするようになった。チームの練習が終わっても、残って自主錬を欠かさなかった。
 タカシの速球を毎日のように受けていると、少しずつ癖や欠点が見えてくるようになる。確かに球の速度は速い。だが、投球を続けていると、疲労からコントロールが微妙にズレてくる。たまに見せる甘い球をバッターに捕らえられてしまうのが、最大の弱点だ。
 おれはいつも考えていた。最高のピッチングをどうすれば引き出せるのか。
 ある日の練習後のことだ。
「お前もよくやるよな」
 シャワー後のロッカールームで、タカシから不意に声をかけられた。
「何だよ」
 おれはバスタオルを首にかけて、スポーツバックの中から替えのパンツを探していた。
「コーチにも相談に行ってるんだってな。そこまでしなくてもいいんじゃねぇの?」
 ちゃんと持ってきたはずなのに、パンツが見つからない。
 おれは先輩キャッチャーやピッチングコーチの元まで足を運んで、相談をしているのだ。
「いいんだよ。それがおれの役割なんだから」
 そう。キャッチャーはグラウンド上の監督とも言われているのだ。
 バックをさかさまにして中身を全部出してみる。野球マガジンに紛れて、白いナイロン製のボクサーパンツを見つけた。
「何か文句あるのかよ?」
 おれはパンツを履くと振り返った。
 タカシはベンチに座って携帯をいじっていた。
「いや、そうじゃねぇって」
 タカシは続けながら、メールを打っている。
「キャッチャーって、女房役なんて言うけどさ。お前、まさにそんな感じだよな」
 メールを送信すると携帯を閉じて、おれを見て笑った。
「何だよ。それ」
 おれは眉間にしわを寄せる。それでも、心の中では小さいおれがガッツポーズを決めていた。

 タカシのことを野球での相棒以上に意識をするようになったのは夏休みの頃からだ。その年の夏は特に日差しが強かった。炎天下で練習をしていると、真っ黒に日焼けしてしまう。
 おれは屋根の付いたベンチで休憩していた。ヘルメットを脱ぐと、蒸れた頭から大量に汗が噴出してくる。汗だくの頭をタオルで拭いていると、タカシも休憩にやってきた。
「おい、あっちいぞ!」
 キャップをうちわにして、文句を言った。
「……おれに言うなよ」
 おれだって暑いんだ。隣に座ったタカシを横目に、冷たいスポーツドリンクを口へ運んだ。
「いや、お前が悪いんだ。それよこせ」
 タカシは無茶苦茶を言うと、おれのドリンクを横取りする。躊躇なく同じ飲み口に唇を付けて喉の渇きを癒した。
「うめぇ! サンキュ」
 タカシは容器をおれに渡すと、どこかに行ってしまった。
「……」
 文句を言う間もなかった。
 おれは気を取り直して残りを飲もうとした時、容器に残されたタカシの飲み跡を見て手が止まった。夏の暑さとは違う熱を体の中に感じた。

 そうして、時間はあっという間に過ぎていった。
 三年になると、タカシの能力が一気に開花した。チームは勝利を重ねるようになり、大会では一目置かれる存在になっていた。タカシはピッチャーとしてマスコミからも注目され、彗星のごとく現れた期待の人材として脚光を浴びるようになった。
 最後の大学野球大会では準決勝で敗れしまったが、タカシの冴え渡るピッチングはプロ球団のスカウトにも認められた。秋のドラフト会議では三球団が指名。マウントスターズが交渉権を獲得し、順調にプロ入りが決定した。
 同じ頃、おれは地道に就職活動を行い一般企業へ就職が決まった。子供の頃から続けていた野球人生に一つのピリオドを打つことになった。

 卒業式の前日、おれは一人で野球部に顔を出した。タカシは選手寮への引越しや春季キャンプの参加で忙しく、おれと一緒に過ごすことも少なくなっていた。早めに練習を終えた後輩たちとロッカールームで冗談を交わすと、夕焼けに染まるグラウンドに足を向けた。
 キャッチャーボックスに腰を降ろすと、いつものようにグラウンド全体を見渡した。遠くで数人の一年生が練習の後片付けをしている。目の前のマウンドには誰もいない。
 楽しかったな。おれはこの場所で見続けた景色を思い出していた。マウンドに立つタカシの姿を思い描き、一緒に同じ白球を追い駆けた記憶が呼び起こされる。
「そんなとこで、何やってんだよ」
 聞き慣れた声が耳に届く。
 おれは寂しさを隠すように笑顔を向けると、片付け忘れられたボールを声の相手に投げた。タカシはそのボールを素手でキャッチするとマウンドに登った。
 おれは一年生に声をかけて、練習用のキャッチャーミットを借りてきた。
「さあ、こい!」
 おれは片膝を着き、ミットを構えた。
「しっかり受けろよ!」
 期待の新人ピッチャーの投球。これからプロで活躍をする剛速球は夕日に染まり、乾いた音を立てて、おれのミットに納まった。
 ずっと一緒に野球がやれて良かった。お前は知らないだろうけど、おれ、お前のことがずっと……。おれは心の中で語り続けた。
「オレ、お前のこと忘れないから」
 タカシは投球の手を止めると、呟くように言った。その言葉に、目の前の視界がぼやける。
「お前の口うるさいアドバイスは、ちゃんと向こうにも持っていくからな!」
 ピッチャーはそう言ってマウンドを降りると、集まってきた後輩の元へ歩いていく。
「口うるさいは余計だ!」
 おれはタカシの背中にそう叫ぶと、ミットを外して何度も目をこすった。

 おれ達が白球を追い続けたグラウンドは、静かに月明かりで照らされている。
 一塁側に設えられた古いベンチに、タカシは腰を下ろすと、スーツの膝についた土ぼこりを払った。おれは倉庫の脇にあった自販機に明かりが灯っているのを見つけると、缶コーヒーを買って渡した。
「ほいよ」
「サンキュ」
 タカシはコーヒーを受け取ると、プルタブを開ける音を響かせる。おれも缶を傾けると、ほろ苦い味が軽く汗ばんだ身体に染み渡った。
「なあ。教えてくれよ。あの試合の時、どう思ってた?」
 缶コーヒーを両手に抱えて肘を膝に着けながら、おれの顔を覗き込んでくる。
「あの時は身勝手な奴だと思ってたさ。勝気が強くて、強情でさ。でも……」
 おれは正直に話した。
「でも?」
 タカシはマウンドを見つめながら、耳を傾けている。
「一緒に練習するようになって、分かったことがたくさんあった。お前の野球は才能だけだと思ってたけど、本当はすげー努力してたんだって。自分に正直で、真っ直ぐ前を向いてたんだって。だから……」
「オレのこと好きになった?」
 タカシは言葉を遮り、説明下手なおれの気持ちを三段跳びで見透かしていた。
 おれはまた赤面し、手にした缶コーヒーを見つめた。しばらくの間、お互いに沈黙を守り続けた。おれは残ったコーヒーを飲み干すと、缶をベンチ脇のくずかごに投げ入れた。

「オレ、プロに入ってから最初は楽しかったんだ」
 タカシは立ち上がり、マウンドを見つめながら語りだした。
「二軍スタートだったけど、すぐに一軍で登板させてもらえて、それなりの成績を残すことができた。自信もあったんだよな」
 おれは静かに耳を傾けていた。
「次第に、キャッチャーと上手くいかなくなってな。今考えれば、おれが自分勝手にやってたのが悪かったと思うんだ」
 目を落として革靴で足元の砂をかき集めるような仕草をしている。
「オレは登板中、肩に違和感を覚えた。それでも勝ち投手になれる権利を取れるチャンスだった。だから、肩のことは黙ってたんだ」
 意味もなく集めた砂の山を再び散らすと、おれの方に振り向いた。
「そしたら、次のイニング前にヤマザキさんに声をかけられたんだ。肩の調子が悪いんじゃないか、ってな」
 ヤマザキさんは、当時マウントスターズの正捕手だった人だ。
「オレ、ヤマザキさんとは一番相性が悪くてさ。素直に言えなかった。本当の事隠して、無理して投げてたら……」
 そこまで話すと、肩を手で押さえて苦笑いをした。
「キャッチャーって凄ぇよな。ピッチャーのこと何でも分かるんだな」
 タカシはもう一度ベンチに座ると、目線を落とした。
「その後は治療を受けてリハビリして、ファームで調整もしたけど、結局はダメだった」
 ゆっくりと語りながら、瞳を曇らせている。
「お前からここで教えてもらったアドバイスも、活かしきれなかった。ごめんな」
 そう言うと、月明かりを追うように夜空を見上げた。
「その後は、どうしてた?」
 おれは続きを知りたかった。
 あの頃、連絡を取ろうか迷っていた。あいつの性格を考えると、変に自分を追い込むのではないかと思った。だから、そっとしておくことにした。
「しばらく何もしなかった。野球の道を絶たれて絶望しかなかった」
 タカシの口調は、少し明るくすっきりとした言い方だった。
「ちゃんと回復すれば、またどっかで入団テストを受けることもできたんじゃないか?」
 おれは当然のように、タカシならそうすると思っていた。
「医者にはっきり言われたよ。海外で手術をする方法もあるが、今のままでプロとして続けていくのは不可能だって」
 海外の手術は高額な費用がかかると聞いたことがある。年俸何千万、何億と稼ぐプレイヤーならまだしも、期待の選手とはいえ新人には不可能な話だ。
「オレはきっぱり諦めた。その後は、就職したりしたけど、野球しか知らないオレは何やっても上手くいかなった」
 タカシは軽く鼻を鳴らした。
 あれだけ野球に夢を託した奴にとって、その後の道はどんなに辛いものだったのだろう。そんな状態だったのであれば、おれも躊躇せずにもっと早く話をきいてやれば良かった。おれは自分を責めた。
「お前がそんな顔するなって」
 タカシは、おれの表情に気付くと口を尖らせる。
「これでも、最近になってようやく自分で何が悪かったのか、考えることができるようになったんだぜ。そしたら、急にお前に会いたくなったんだ」
 そこまで話すと、タカシは深呼吸して大きく息を吐き出した。

 練習場を取り囲む黒い木立が葉音を鳴らしている。軽く汗ばんだ体に夜風が刺すように染みてきた。
「寒くなってきたな。そろそろ帰ろうぜ」
 おれは両膝を手で叩くと、勢いをつけて立ち上がろうとした。だが、不意に左の手首を強い力でつかまれた。
「お、お前さ」
 タカシは途切れがちに言葉を並べる。
「い、今でも、オレのこと好きか……?」
 タカシは目を細め、足元をずっと見ている。おれは引っ張られるように、もう一度ベンチに座り直した。手首には痛いほどの力を感じる。
「今でも、す、好きだよ」
 おれは、また自分の言葉にのぼせているに違いない。
 一方、タカシは固まったように動かない。体を硬直させたまま、瞳を閉じるとゆっくりと息を吐き出した。
「ど、どこかで飲みなおそうぜ」
 おれは、そう言うとタカシの背中をポンポンと叩いて、もう一度立ち上がろうとした。
 タカシは顔を上げると、おれの動きを抑えるように突然唇を重ねてきた。それは余りにも唐突で、おれは目を開いてその場で固まることしかできなかった。
 風に吹かれて流れてきた雲は月を隠す。キスをするおれ達の姿を静かに懐に抱いた。熱い体温が伝わってくる。タカシの唇から心臓の鼓動が響いてくるようだった。おれの心臓も激しく脈を打っていた。長く短い時間が過ぎてゆく。周囲の景色は水で溶いた絵の具のように、にじんでいった。
 二人だけの空間。タカシは唇を離すと、おれの両肩に手を伸ばしワイシャツに顔を埋めた。胸のあたりに火照った頬の体温を感じると、熱と共にシャツが湿ってくる。胸の中の男は小さく肩を震わせていた。こらえるような嗚咽がこの耳元に届いてくる。
 おれはその背中を優しく抱きとめた。

 タカシの家は六畳一間の小さなアパート。居間にはシングルベットとテレビ、テーブルが置かれていて、カーテンとベットカバーは同じ柄で統一されている。部屋の中はさっぱりとしていて、軽いコロンの匂いがした。

 ベットに腰を下ろすと、おれ達はもう一度キスをした。互いの舌先が弧を描くようにまとわりつく。生ぬるい唾液からは薄いアルコールと煙草の香りがする。ねっとりと絡み合う舌の粘膜は、エロい気持ちを高揚させた。
「ん、んんっ」
 おれはタカシの勢いに押されていた。舌先は力強く、おれの舌を押し返すように口の中に進入してくる。炎のような情熱が口の中で激しく暴れまわる。
「す、好きだ」
 タカシは呼吸をする度に、何度もストレート球を投げてくる。その言葉だけでもいい。おれの心を少しずつ溶かしていく。
 おれは唇をむさぼり尽くされると、首筋にゆっくりと舌が這いまわるのを感じた。うなじに走る感触がこそばゆい。舌は耳の輪郭を捉え、ゆっくりとなぞるように動きだす。耳元で熱い呼吸を感じた。
「んあっ!」
 おれは耳たぶを甘噛みされて声を上げた。性感帯の一部を襲われ、快感は電気信号となり血潮が股間へ集中する。
「感じるのか?」
「うっ」
 タカシはおれの反応に笑みをこぼしている。その悪戯めいた笑顔には何をされても逆らえない。

 おれはワイシャツを脱がされた。ボタンを全て外され、白いTシャツの裾を首元まで捲し上げられた。おれだって昔は筋トレをしていたが、今では不摂生で体にぜい肉が付いている。昔は平気で裸を見せ合っていた相手なのに、今では気恥ずかしさを感じる。
 タカシはベルトの上に乗った腹まわりをゆっくりと触った。温かい手の感触が腹部に広がり、おれは目を閉じる。閉じられたまぶたの裏にも蛍光灯の光を感じた。
「柔らかいな。あったけぇ」
 タカシはそう言うと、へその辺りをゆっくりと撫で回した。
 薄目を開けて見ると、タカシは満足そうな顔をしている。手が少しずつ腹から胸に動いてくる。温かい感触が胸の辺りを包み込むと、親指と人差し指が右の乳首をつまんだ。
「ああっ!」
 また声を上げてしまった。
 おれは乳首が一番感じるのだ。タカシはいやらしい目をして、両手で左右の乳首をいじってくる。強弱を付けた刺激に、波打つような快感が体中を襲う。
「んはっ、んんんっ!」
 モロ感の乳首を攻められ、悶絶してしまう。
「お前、乳首感じるんだな。泣き声が可愛いぜ」
 耳元でささやかれる湿った声に、抗うことなんてできない。
 タカシは満足そうな顔で、今度は舌を使って乳首を刺激し始める。十分に硬くなったおれの乳首は感度が増し、舌先が触れただけでも強い信号になる。ゆっくりと乳輪をなぞられ、唾液で濡れた突起をレロレロといたぶられる。絶え間ない快感が股間をより熱くさせた。

 タカシは自分の服を脱ぎ始める。おれはその手を押さえて、ワイシャツを脱がしてやる。服を大人しく脱がされるタカシの姿が可愛らしい。野球ではあんなに頑固だったくせに、そんな表情もするんだな。
 目の前には、小麦色に日焼けした逞しい体が現れる。シャワールームで視姦しかできなかった憧れの肉体。あの頃よりも、大人の色気が加わって成熟した体を強く抱きしめた。
 タカシをベットへ横たえると、おれもその隣に身を寄せる。逞しい体は少し汗ばんで熱く火照っている。おれよりも筋肉の形がしっかりと残っているが、軽く上乗せされた脂肪がさらに魅力的だった。
 ゆっくりと厚い胸板に手を這わせてみる。大胸筋の硬い弾力が気持ちよい。ボリュームのある胸を鷲づかみにすると、乳首を中指でいじってみた。
「おお……」
 タカシは軽く眉間にしわを寄せて声を漏らす。
 おれは右の乳首に唇を這わせてみる。舌先で刺激を与えながら、左の乳首を人差し指で転がすように愛撫する。ため息交じりの低いうなり声がタカシの男らしさを際立たせ、おれは乳首をさらに攻め続けた。
 タカシは目を閉じて快感に身をゆだねている。だが、待ちきれないのか、おれの手を握るとゆっくりと自分の股間へ運んだ。ズボンの上からでもハッキリと勃っているのがわかった。
 股間の熱を確かめると、それまでギリギリの状態で保っていたおれの心のストッパーが外れる。タカシの黒皮のベルトに手をかけ、急かすようにズボンを脱がした。
 引き締まったスネにはアンバランスなむっちりとした太もも。股間には黒いローライズのボクサーパンツが肌に張り付いている。パンツの中央部には、大きなテントが張られている。

 おれは股間へ顔を近づけると、色気を放つコロンに混じって蒸れた雄の匂いがした。鼻先から火照った雄の熱を感じる。憧れの男の恥部を前にして、心臓が鼓動を早めていった。
「そんなに見るなよ」
 鼻息を荒げて股間を凝視するおれの様子を、タカシは恥ずかしそうに見つめている。
 パンツ一枚の姿で、そんな目をしやがって。頭に血が上ったおれには、誘惑しているようにしか見えなかった。
 少しだけ手が震えた。パンツの上から勃起した雄をゆっくり撫でてみる。布地の中で硬くなった雄は、手の動きに合わせてゴリゴリと動く。硬くなった竿が苦しそうにもがいていた。
 おれは両手でパンツのゴムを握ると、一気に膝まで引きおろした。納められていた雄が勢いよく飛び出す。ズルムケの竿は、もういやらしい汁で亀頭がベトベトに濡れていた。
 雄をゆっくりとしごいてみると、手の中でどんどん硬さを増していく。タカシは軽く口元を緩ませた。
「しゃぶってくれよ」
 タカシの言葉に、おれは目で答える。
 汁に濡れて光る亀頭を軽く舐めてみると塩気を感じる。舌先に力を入れて亀頭を舐めまわすと、鈴口から汁が溢れてくる。その様子を確かめると、口を開いて奥まで雄を咥えた。
「おおぅ、気持ちいいぜ」
 タカシは恍惚の表情を浮かべながら、おれの頭をゆっくりと撫でる。優しい手の触感に心が高鳴ってくる。
 のど奥の粘膜に亀頭を擦り合わせながら、竿の裏筋を舐め続ける。呼吸が苦しくなるまで口の中を雄でいっぱいにする。タカシは少しずつ息を上げていく。
「はぁっ、んあっ」
 タカシは時々感度の良い声を上げる。おれはジュポジュポといやらしい音を出して、しゃぶり続けた。
 じっくりと味わうタカシの味。シャワーを浴びる前に、気持ちだけが先走ってしまった状況が、よりエロい気持ちを高めてくれた。
 おれは咥えながら、目線を上げてみた。いつの間にか、タカシは自分の肉体が受けている痴態を見つめている。
 おれは上目遣いでタカシに不敵な笑みを投げかける。これからもっと感じさせてやるからな。小さな悪戯心に火が付いた。
 口から竿を離すと、足を持ち上げて太ももの内側に舌を滑らせる。内側も肉付きが良くボリュームがある。触れるかどうかの微妙な力加減で、線を引くように肌をなぞった。
「くっ!」
 タカシは苦しそうな声を上げる。刺激に反応するように竿がビクンビクンと反応する。快感とこそばゆさの狭間にいるのだろう。おれは脚の付け根やタマ袋の裏側にも舌を動かし、刺激を与え続けた。
「うあああっ!」
 舌先を使って竿の根元から亀頭にかけてなぞると、タカシは刺激に耐えられず、強い喘ぎ声を上げる。
「お、お前、上手いな。どこでそんなテク覚えたんだよ」
 押し寄せる快感の波の狭間を見つけてタカシは声を漏らす。
 おれはニヤリと笑うだけで、呼吸を荒げる相手の声には答えなかった。ガチガチに硬くなった憧れの雄を悦ばす。それだけを考えた。

 そのうち自分の体も疼きだしてくる。おれはズボンもパンツも脱ぎ捨てると、勃起した竿を目の前の男にさらす。タカシよりも小さいが、こんなに硬くなったのは久しぶりかもしれない。
 おれ達は激しく舌を絡ませながら、互いの乳首や熱を持った雄を手で愛撫した。発情しきった体から噴き出す汗が熱くまとわりつく。
「なあ、タカシと一つになりたい……」
 おれが熱っぽく呟くと、タカシは無言で頷く。
 おれはタカシの雄を唾液で十分に湿らせると、指を使って自分のケツを軽くほぐし始めた。
「オレが入れていいのか?」
「お前がピッチャーだろ」
 タカシの言葉に、おれは当然のように返した。
「ああ、そうだったな」
 気の抜けたような返事に、おれは口元を緩ませた。
 タカシの上にまたがると、熱く火照った雄めがけてケツを下ろした。だ液とガマン汁で滑りが良くなった雄が、少しずつ穴を広げていく。穴が亀頭を飲み込み、太い竿がゆっくり中に入ってくる。久々のケツに痛みを感じながらも、おれは我慢して挿入を続けた。
「お前の中、あったけぇな」
 タカシは表情を崩すと、おれの太ももに手を添える。ケツが竿をすっぽり咥え込むと、おれはゆっくり息を整えて静かに動き出した。
「ど、どうだ?」
「ああ、気持ちいい。最高だぜ」
 おれが腰を上下する動きに合わせて、タカシは気持ち良さそうな表情を浮かべている。ケツが慣れてくると、おれにも快感が襲ってくる。タカシの雄がおれの前立腺を刺激する。上下のピストン運動に合わせて、ベットの骨組みがギシギシと音を立てる。
「ああっ、ああんっ! ああっ!」
 おれはリズミカルに喘ぎ声を上げた。卑猥な姿をしっかりタカシに見られている。狭い六畳の部屋で濃密な空気が漂った。
 しばらくすると、騎乗位の体勢からタカシは身を起こした。おれは体を抱きかかえられ、ゆっくりとベットに押し倒される。
「好きだ」
 タカシは何度でも同じボールを投げてくる。おれの返事を待たずに、両足を持ち上げるとケツを開いた。まだまだ治まらないというように、熱い雄を挿入してくる。
 広がった穴はすんなりと雄を受け入れる。おれはゆっくりと出し入れされる竿の触感に心を許す。今、おれはタカシの全てを受け止めている。そう思うと、何倍も愛おしさが強くなった。
 相手の腰の力が少しずつ強くなってくる。パンパンと肌の触れ合う音を響かせながら、タカシは額に汗を浮かべて、おれの顔を覗き込む。
「気持ちいいか?」
「う、うんっ。んあっ、ああっ」
 おれは痺れるような快感で、答えるのがやっとだった。
 タカシはおれの左足を自分の肩にかけると、腰に力を入れ深く雄を突っ込んでくる。激しく掘られるケツ。おれの乳首や竿にも手がまわる。体中が性感に支配され、理性が飛んでいきそうになる。

 肌からじっとりと汗が浮かび上がってくる。濃密な交尾に息も絶え絶えになると、タカシは動きを止め快感に溺れた半泣き状態のおれの顔を見つめる。
「あの時、お前の気持ちに答えていれば良かった」
「そんなこと、言うなよ」
 おれは、下らないことを言うタカシを諭した。
「今日、お前に会えて良かった」
「おれも……」
 おれ達は言葉にならない会話を続けた。ゆっくりと時間を越えて距離が縮まっていく。
 タカシは再び腰を動かした。二つの息が狭い空間で交じり合う。前立腺が刺激されて、おれの雄も固くなってきた。激しくなる腰の動き。頭の中に電気が通るような激しい快感が近づいてくる。
「だ、出していいか?」
 タカシの振り絞るような声に、おれは頷いた。
「んんっ、ツッ!」
「ああっ、ンアッ!」
 タカシが絶頂を迎えると同時に、おれも自分の腹の上に雄汁をぶっ放した。

 テレビではナイターの試合結果を伝えている。おれ達は壁に寄りかかり、ベットに足を放り出していた。煙草に火を付けると、白い煙は狭い空間を漂う。
 テレビの上に小さな写真立てがあるのに気が付いた。あれは大学四年の最後の試合で、皆で撮った記念写真だ。おれ達は中央で肩を組み、果てしない未来を見つめていた。
 おれは目を細めて、ゆっくりと煙を吐き出した。
「な。タカシは土日休みなのか?」
「休みだけど。急に何だよ」
 急な問いかけに、タカシはあっさりと答えた。
「おれ、草野球のチームに入っているんだ。強いチームじゃねぇけど、皆、気の良い奴らばかりだからさ。お前も一緒にやろうぜ」
 タカシは何も答えずにしばらくの間、煙を漂わせていた。
「さっき、オレの球見ただろ。もう前のようには投げられないんだよ」
 短くなった煙草の火をもみ消して、吐き捨てるように言った。
「ばぁか。プロじゃないんだ。気にするなよ」
 おれは食い下がった。
「でも……」
「もう一度タカシと野球やりてぇよ! おれ、お前の球、もう一度受けたいんだよ!」
 おれは渋る言葉を遮った。タカシは強い口調に目を丸くしている。
「分かった。考えとく」
 そう言うと、おれの手を握った。

 五月の日曜日――。
 青空の下、河川敷の野球場では隣町のチームと練習試合が始まろうとしている。今日はおれのチームに先月入団したばかりの新しいピッチャーの初試合だ。
 おれは使い古したプロテクターとヘルメットを身に付け、キャッチャーボックスに腰を降ろした。
「リラックスしていこうぜ!」
 緊張しているかもしれない新人ピッチャーに向けて、両手を広げて笑顔で声をかけた。
 目の前には、同じユニホームに身を包んだタカシがいる。タカシは新しいキャップの角度を調節すると、強い眼差しでおれを見つめている。おれはその光に答えるように頷くと、マスクを下ろしキャッチャーミットを胸の前へ構えた。
 タカシは大きく振りかぶって、第一球を投げた。

未来を拾いに

 今回は野球をネタにしました。ゲイ小説をいくつか書きながら、スポーツに焦点を当てて書いたのが、今作で初めてとなります。
 何かで見た記憶があるのですが、海外(アメリカ?)ではタチ、ウケのポジションを、ピッチャー、キャッチャーと表現することもあるようです。バッテリーコンビは深い信頼で成り立つもの、キャッチャーはピッチャーの女房役なんて言われていることに、憧れを感じていました。
 主人公はタカシと野球を通して青春を謳歌し、深い友情と恋心を抱きます。それが実るのは十五年も経った後のことではありますが、二人の時間は色あせることなく、再起に向けて歩き出す。ドラマチックなことは何もない物語ですが、二人はこれから未来を拾いにいきます。
 二〇一七年の新作、二作目として発表することができました。最後までお読み下さり、ありがとうございます。

二〇一七年八月

未来を拾いに

おれは大学野球でバッテリーを組んでいたタカシと久しぶりに再会をした。 あいつはピッチャーで、おれはキャッチャーだ。 「お前、オレのこと好きだったろ?」 突然投げ付けられたタカシからの不意打ちに、おれは口にしたビールを噴き出してしまった。 白球を追い続けたグラウンドで、おれは憧れのタカシと何時も一緒だった。 あの恋心は封印したはずだったのに……。 15年の時を超えた2人の懐古と再起の物語。 ※ゲイ小説です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2017-08-05

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著作権法内での利用のみを許可します。

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