石岡朋也の奇怪な事件

初投稿です

 帰りがけのサラリーマンや学生たちによって賑わっている街に女の悲鳴があがったのは、午後六時を過ぎた頃であった
 それはあまりにも凄惨な現場であり、この目でそれを見た今でさえ到底信じられることではないし、あの場にいた誰もがその光景を正しいものとして認識することはできなかったのではないだろうか。
 コンクリートの上に大量の血液が流れ水たまりのように広がりそのうえ、それが一人の女性の――犯人を持ち上げるようで誠に癪ではあるが――人の技だとは到底思えないほど綺麗に切断された腕から流れ出ていた。最初は訳が分からず皆一様に呆然と立ち尽くしていたのだが、血液の鉄臭い匂いが辺りに広がり始めると場は一転、狂乱に包まれた。
 かく言う私も、喚き散らし逃げるように自宅に戻った。
 恐ろしかったのだ。
 あの場にいれば、私も女を殺した犯人によって全く同じようなものにされていたのではないかと思うと居ても立っても居られなくなってしまった。それほどまでにそれは、こう言うと不謹慎かもしれないが怪奇的な恐ろしさを孕んでいた。

「これは……」
「司先輩、『膨れ女』がやってきますよ!」
 司先輩の筆箱から覗いていた青い星を見て旅野は楽しそうにそう言った。司先輩は星をつまみ上げ首を傾ける。
「『膨れ女』……この青い星と関係があるのかい?」
「知りませんか?割り箸の袋とか装飾用の紙テープで作った星を人の鞄や筆箱に入れて、持ち主がそれに気づいたら一斉に「膨れ女が来るぞ!」って叫ぶんですよ」
「知らないな。そもそもこんな遊びが高校なんかで流行るのかい?」
 司先輩はぽかんとした顔でそう言った。
「それが流行っているんですよ。きっとみんな退屈してるんでしょうね」
「どうしてこんな遊びがひまつぶしになるんだ……」
「この遊び、「来るぞ、来るぞ、膨れ女がお前を殺しにくるぞ」って続くんです」
「それは穏やかじゃないね。まるで連続見立て殺人でも起こるみたいじゃないか」
 穏やかではない、と言いながら先輩の表情は新たな謎を見つけた探偵のように幸せそうだ。
「それが、全くその通りなんですよ。殺人じゃありませんけどね。階段から落ちた生徒の腕に妙に真っ直ぐな、真新しい切り傷があったんですって。それも2回」
「膨れ女と連続傷害事件、か」
「司先輩なら、あっ、と驚くような推理を披露してくれるんでしょう。楽しみにしていますね」
 旅野が無邪気にそう言い放った。司先輩はいつもより少し深刻そうな顔をしている様に見えた。

 文芸部員が集められたのは学校祭直前、夏冊子の原稿締切からは1週間ほどが経ってからだった。部室には「膨れ女の星」があちこちに落ちていた。部室だけではない。教室にも廊下におちていて、掃除は面倒だし、校内装飾やアーチにすら星は使われていた。床の星を踏み潰さないよう慎重に椅子を動かし座ると部長の峯田先輩がプリントを渡してくれた。
「夏冊子の目次ができたんだけどこの順番がいやとか、そういうのはある?」

体育館の悪戯――時咲 綾

水曜日の午後、図書室にて――栗原 十色

影だまり――奈琴 写

リグレット――綿貫 嘘

戦争と電話――泉 笑花

猟犬――元蔵 陽樹

極彩色の悪夢――八月 朔


 反対の声を上げるものは居なかった。

「司くん。冊子のことだけどどうだ、また君はお得意のミステリかい?」
「何か不都合でもあったかな。仕方ないだろう、すきなんだから。それに君だってまた怪奇を書いたんだろ。大して変わらないじゃないか」
「怪奇?今年はそんなちゃちなものじゃないよ。本当にあったことを書いた、いわばノンフィクションだ。楽しみにしてくれ」
「あっ、司先輩!翔先輩!どうしたんですか?」
「滝沢くんか。久々だね。夏冊子に載せる作品の事を話してたんだ」
「ミステリーと怪奇ですか。俺、どっちもすきなんですよ!当日は遊びにい行きますね!」
 部活が終わって部員が自分のクラスへ、他の部活へ向かう流れの中でこんな会話を聞いた。司先輩と菅野先輩だ。もうひとりの2年生は知らない。皮肉の言い争いをしていたふたりの緩衝材になっているようだ。
「あ」
 彼らの会話に気を取られて、足元にまで注意が回らなかった。床に落ちていた青い星がぐしゃりと潰れ、五角形に戻る。どうしようと思わないこともなかったが、こんなものが床に落ちている方が悪いのだと思い、図書室に向かう階段へ足を踏み出した。
 ひゅ、と風を切る音、浮遊感。踊り場がすぐ近くまで迫っていた。身体が床に叩きつけられ痛みを感じる直前、けたけたと笑う女の声が聞こえた気がする。

 問題は翌日に起こった。
 どこで聞きつけたのか、雑誌編集を名乗る黒一色で染まった男が突然我が家を訪れたのだ! これは由々しき自体であった。どうにか事件のことを忘れようとしていた矢先の来訪である。私はもう一度あの恐怖を味わうこととなった。
 しかし、どうしたわけだろう。この黒ずくめの男は存外私の記憶に踏み込もうとはせず、柔らかな口調で精神診断でもするかのように話を始めたのだ。最初こそ警戒していたが男の不思議な魅力に惹かれるようにして私は気を許していた――

 階段から落ちたこと、それ自体は大したことがなかった。うまく受け身をとることができたのか次の日には痛みはほぼなく、クラスメイトには相変わらずこき使われるハメになったくらいだ。問題は手首の傷である。血をだらだらと零す2本の線は平行だった。階段から落ちるのは一瞬の出来事だ。落ちている時の一瞬は間延びした長い時間だったけれど、落ちたあとは記憶や意識が飛んだりはしなかった。
「確かに不可解だね」
 司先輩は見舞いと称して「膨れ女連続傷害事件」の被害者となった僕の話を聞きに来ていた。
「何か心当たりはないのかい」
 心当たり、1つだけあった。廊下に落ちていた青い星を踏み潰したことだ。その時初めて僕は気づいた。廊下や教室に転がっている星には潰れているものがなかったのだ。あんなにたくさんあるというのに。漠然と感じていた不安の正体はこれだった。潰れない星。左手の傷をぎゅうと握りしめる。痛かった。これは現実なのだ。気を取られた菅野先輩の言葉……
「随分と恐ろしい心当たりがあるようだね」

 それからのこと、男は毎夜私の家を訪れた。
 仕事があるからどうしても遅くなってしまうんですよと笑う未だに顔を見せもしない男に、私は少なからず友として好意的に思っていた。
 すっかり私が彼という友人を信用しきったころだったろう、彼は一つ貴方には話をしても大丈夫でしょうと前置きをしてから、例の事件、そう私が目撃した事件の全容についてある界隈で実しやかに囁かれている話を彼は私に告げたのだ。

「星を踏み潰した、って……あちこちに落ちている紙の星をかい?」
「先輩、見たことありますか?潰れて五角形になった星を。あんなにたくさんあるのに僕は自分で踏み潰すその時まで、一つも見たことがなかった」
 廊下。散らばった色とりどりの星。やはり潰れているものは、一つもない。司先輩の目にも恐怖の色が浮かんでいるように思えた。
「この遊び、膨れ女の正体は一体どんなものなんだろうね。」
 実の事を言えば、膨れ女の正体はなんとなくわかっていた。わかっていたというよりも見当をつけることができたと言うべきか。ただその真相があまりに非現実的なことに思えて、真面目に考える気にはなれなかったのだ。ふと、菅野先輩の言葉を思い出す。――怪奇なんてものじゃない、ノンフィクションだ――もしや。背筋に冷たいものが走った。
「あの、夏冊子を製本するのっていつですか……」
 声が震えて上擦っているのが自分でもわかった。
「明日だけど……」
 僕は膨れ女の正体について、思いついた全てを司先輩に話した。恐怖によって掠れた、ほとんど涙声のような言葉を彼は黙って聞いていた。

 男は、古代より生き続ける暗黒のファラオにそそのかされた狂信の徒がその狂った知性と精神によって名状しがたきものを招来せしめるがために行ったものであると語った。
 まさか! と私はその場で笑い、妄言を言うなと男を嘲ろうとしたが男の嫌になるほど真剣な声音を前にして、それを笑う勇気を私は持ち合わせていなかったし、それに加えて、話の前に男に手渡された本が彼の発言を助長するような代物であったから、とうとう私の中にあったオカルトを否定するために準備したロウソクのように儚い勇気さえも吹き消されてしまって、彼の話を真実のものであると考えることしかできなくなってしまっていた。それほどまでに、その本が纏う雰囲気は異様だったのだ。

 次の日、司先輩は僕に2人がどんな会話をしたのかを教えてくれた。
「君の想像の通り、『膨れ女』の話を流行らせたのはやはり彼らしい」
「どうしてそんなことをしたのか、は聞けましたか?」
「聞いたけどね、答えになってないんだよ。滝沢に考えてもらった、教えてもらったって、そればかり」
「そうですか…」
「それからもう一つ。星には暗きものが宿っているってね。そういってたよ」
 チャイムが鳴った。警備に行く前、先輩は僕に夏冊子をくれた。ベージュの表紙を開くと目次があってそこには僕のハンドルネームと小説のタイトルが確かに載っていた。

 男に手渡された本は薄茶色の装丁が施された本であった。目に見える特徴を並べるにしてもそれはあまりにも簡素なものだったので、それを表現するにあたっては丁寧な文字で題が書かれているというのが精一杯だ。
 本を差し出され、その本を受け取った時に私はその本の違和感に初めて気がついたのだ。
 動物の革であることは一目見て理解することができた。見た目の質感が紙とは全然違うからだ。しかし、触ってみるとはて、不思議なことに今まで触ったことのある革製のカバーとはどこか感触が違うのだが、覚えがある。確かに知っている感触なのに、やはり思い出せない。
 その時、私の本を持つ両手の指が微かに触れ合った。
 ああ! なんということだろうか! どうして知っているかなど単純な問題であったのだ! そう、常日頃から私たちはそれに触れているのだから!!
 それに気がついたとき、私はどうしたことか言い知れぬ恐怖と好奇心とに釣られ、何かに操られるようにして本を開いてしまった。後で知った話だが、その本は漢文で書かれいて、私は語学や古典文学、漢文学には堪能ではないのでもちろん読めるはずもないのだがその時は何故かスラスラと読めていた。
 ああ、よせばいいのに、私は黙々と文章を目で追っていく。それはまるで、その本の著者の狂気に侵され飲み込まれるようなそんな感覚に陥っていた。

 あれだけ流行った膨れ女は学祭が終わるとともに姿を消した。 階段から落ちた時にできた傷もあとを残さず消えてくれそうだ。
「石岡くん、夏冊子にこれを寄稿したのって誰かわかる?」
 不意に後ろから声をかけられた。鈴丘先生、文芸部の顧問だ。
「ナイアーラトテップ……知らないです」

 ふと、顔をあげると先程までそこにいたはずの男がいなかった。どうやら帰ったらしい、なんともったいないことをしてしまったのだろうか。
 あの男を引き止めることさえしておけば手間が一つ省けたというのに! 駄々をこねても詮無きことではあるが、口惜しい!
 それにあの男には言ってやらねばいけないことがあるのだ! どうして、私にこのような本を今更読ませたのかと、もっと早く私に渡すことを何故しなかったのかと! こんなことならば怯えることはなかった! 我が忌まわしくも愛おしい同志たちを恐るなどどうかしていた!! イア!イア!クトゥルフ・フタグン! イア! イア! ああ、この手記を読んだ者が同胞であることを祈って筆を置こう。私はこの後アメリカのマサチューセッツにあるアーカムへ向かおうと思っている。そこにはきっと多くの同胞たちが潜んでいることだろう。しばらくはそこで仲間を探し、好機を伺うことにしようと思う。

石岡朋也の奇怪な事件

ご閲覧ありがとうございます。
約5000字近くの文章ではありましたが、ご満足いただけたでしょうか。 よろしければ次回も見てやってください。

石岡朋也の奇怪な事件

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-31

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