果てしなき物語の果てに

『冒険王ンゴロ』の第一巻が出版された頃、ユズルはまだこの世に生まれていなかった。架空の世界を舞台にした大河ファンタジーで、当時から世界一長い物語になるだろうと言われていた。
 図書館に置かれるような本ではなかったので、最初にユズルが目にしたのは近所の本屋だった。表紙のイラストに惹かれて手に取ったものの、ページをめくると、中学生になったばかりのユズルには読めないような漢字がいっぱい並んでいた。それでも、とにかく第一巻だけでも読んでみようと、その時ポケットに入っていた小遣いをはたいた。
 家に帰るなり読み始め、母が夕食ができたと呼びに来ても、なかなかやめられない。それほど面白かった。食事もそこそこに、また続きを読み、そのまま一気に最後まで読み切ったときには、とうに夜半を過ぎていた。
 その後、二巻、三巻と読み進め、夏休みが終わるころには、十巻を超えていた。本当はもっとたくさん読みたいのだが、小遣いが続かなかったのだ。
 もどかしい思いをしているとき、突然、父が高額の図書カードをくれた。
「おれも若いころ、『冒険王ンゴロ』を読んでたよ。まあ、途中で挫折して、持ってた分は全部処分しちゃったけどな。これじゃ足りないだろうが、また、冬のボーナスが出たら、な」
 少し恥ずかしそうにそう言う父に、ユズルは精一杯の感謝の言葉を述べた。
 高校に上がる年には、五十巻まで読んだ。当時八十巻まで出ていた最新刊に追いつくのも、時間の問題だった。
 ところが、その頃からネット上で『冒険王ンゴロ』への悪評が目立つようになってきた。いわく、主人公ンゴロのキャラクターが途中から変わってしまった、いわく、ストーリー展開に無理がある、いわく、作品の雰囲気がどんどん暗くなっている、いわく、まったく伏線が回収されていない、いわく、他のことに興味が移った作者が惰性で書いている、云々。
 ユズルの友達の間でも、評価は割れた。それも、当初絶賛していた仲間が、一人減り、二人減り、気が付くと、読み続けているのはユズルだけになってしまった。
 悪評が気にならなかった、と言えばウソになる。ユズル自身、多少なりとも同じことを感じていたからだ。それでも、読み始めた以上、最後まで読みたかった。作者も百巻を目指すと言っていたし、それならもう半分は読んだことになる。
 二年生の終わりにはようやく最新刊に追いついたが、受験勉強のため、読書はしばらく休まざるを得なかった。
 だが、大学生活が始まり、彼女ができると、読書自体をほとんどしなくなってしまった。就職活動が順調に進み、入社の準備をしているとき、『冒険王ンゴロ』がついに百巻に達したことを知ったが、特に何の感慨もなかった。ネット上では、百巻を超えても一向に完結する気配を見せないことに賛否両論が湧き起こっていたが、ほとんど気にしなかった。
 百三十巻が出版された前後から、作者の体調不良が度々伝えられるようになり、ついに、『冒険王ンゴロ』は未完のまま、作者の訃報が流れた。
 その時になって、ユズルは後悔した。未完でも、最後まで読もうと思った。社会人になり、本代ぐらいは自由に使えるようになっていたので、再び猛スピードで読み始めた。しかし、もう少しで最終巻に到達しそうだというとき、思わぬ事態が起こった。
『冒険王ンゴロ』の続きをコンピューターが書くことになった、というのである。残されていた構想原案、作者が書いたあらゆる文章、作者の食べ物の好みや人間関係、さらには、影響を受けたとされる小説やマンガなど、およそ関連のありそうなすべてのデータが入力された。それらを基に、最新のAIが続きを書くというのだ。
 余計なことをするものだと、腹立たしい思いもあったが、『冒険王ンゴロ』が完結するならそれもいいだろうと、ユズルは続きを読むことにした。だが、……。

「ユズルじいちゃん、気分はどうだい?」
 久しぶりに見舞いに来た孫のヒカルの顔を見ても、ユズルの顔色は冴えなかった。体調を崩して入院してから、もう三ヵ月になるのだ。それでも孫に心配をかけまいと、笑顔を作った。
「まあまあ、だな」
 つられて少し微笑んだヒカルは、持参した紙袋から何かを取り出した。
「じいちゃんに頼まれた本、買ってきたよ」
「おお、そうか、すまんな」
 ユズルが受け取った本には、『ついに千巻! ついに完結!』という帯が付いていた。
 ヒカルが気を利かせて早々に帰ったあと、ユズルはだるい体を半分だけ起こして読み始めた。コンピューターとは思えぬほど、原作者の文体に似ている。いや、似ているのは文体だけではない。『冒険王ンゴロ』は、あれから数百巻を重ねても、一向に完結する気配がなかった。当然、読者もどんどん減って行き、今や店頭では手に入らず、オンデマンドで製本してもらうしかない。
 おそらく、出版社としてもこれ以上続けることは不可能と判断し、キリのいい千巻で完結することにしたのだろう。だが、これほど広がった大風呂敷を、どうやって締めくくるのであろうか。
 読み進めても、とても完結に向かっているとは思えなかった。残りの枚数が少なくなるにつれ、ユズルの脳裏にイヤな予感が浮かんできた。
 ついに、最後のページとなり、その最後の文を目にしたとき、ユズルはガラガラと世界が崩れ落ちる音を聞いたような気がした。
『その時、ンゴロは目を覚ました。今までのすべての冒険は、夢だったのだ(完)』
 ユズルは胸が苦しくなり、ナースコールを押した。
 すぐに看護士が病室に駆け込んで来た。
「しっかりしてください。目を開けて!」
「ああ、うん」

 ……………………

「ああ、うん」
「もう、ユズルったら、こんなとこで寝ちゃって。さあ、起きなさい。学校に遅れるわよ。中学生になったんだから、ちゃんと自分で支度してちょうだいね」
 ユズルは目を開いた。本を読みながら机で寝てしまったらしい。涙の跡がついてしまった『冒険王ンゴロ』の第一巻を見て、ユズルはつぶやいた。
「それでも、ぼくは、最後まで読むよ」
(おわり)

果てしなき物語の果てに

果てしなき物語の果てに

『冒険王ンゴロ』の第一巻が出版された頃、ユズルはまだこの世に生まれていなかった。架空の世界を舞台にした大河ファンタジーで、当時から世界一長い物語になるだろうと言われていた。図書館に置かれるような本ではなかったので、最初にユズルが目にしたのは......

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-31

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