苦い過去、甘い未来
三題話
お題
「背後から」
「チョコ」
「タイムマシーン」
私はその光景をぼーっと眺めていた。
「お、たくさんもらってるなあ。羨ましいねえ」
机の上に綺麗にラッピングされた包みが置いてある彼のところへ、のそりと近付くヨコヅナ。
「こら、勝手に人のやつ取るなよ」
「ボクは一つももらってないんだ。お前はいくつももらってるから、一つくらいいいだろ」
バレンタインデー。女の子が意中の人へチョコを送るイベントだが、どうしても偏りがある。
たくさんもらえる人もいれば、一つももらえない人もいる。たとえ義理チョコであっても。
女の子達から不評なヨコヅナは、モテモテな彼と仲良しであっても見向きもされない。
こうしておこぼれにあずかるのが精一杯だろう。
「カードが付いてるぞ。ほれ」
「ああ……えっと『苦い過去を、甘い未来で包み込みました』だってさ。そういえば名前が書いてないけど誰からのだろう」
ラッピングのリボンを解き、袋を開けるヨコヅナ。
白い粉をまとった一口サイズの丸いチョコを一つ取り出し口に入れると、二個三個と続けて放り込んだ。
「せめて最初は俺に食べさせろよ……まあいいけど」
「んぐ、んぐ、堅いことは言うなよ。む、表面は甘いけど中はめちゃくちゃ苦いな。でもおいしい」
「あ、こら、それは食べ過ぎだ!」
四個五個とチョコを口に入れるヨコヅナから、彼はようやく袋を奪い取った。
「たくさん入ってるから気にするな」
「半分以上食べただろ……それにしても誰からのチョコなんだろ。朝来たら机に置いてあったんだけど」
呆れた表情で彼はヨコヅナを見ている。対してヨコヅナは満面の笑み。
「じゃあもしかしたらボクのだったかもしれな……ごほ、ごほ」
「ふん、一気に食べ過ぎだな」
手で口を押さえて咳き込むヨコヅナ。しかしそれは止まらず、座り込んでなお苦しそうにしている。
「お、おい、大丈夫か?」
ようやく異変に気が付いた彼が、顔面蒼白になってゆくヨコヅナの背中を摩る。近くにいた人達がざわつき始めて、教室内で注目の的となった。
「ごほ、ごほ……うう」
ついにヨコヅナは床に横たわり、そして、がくがくと体を震わせた。
「おい! どうした!」
もがくように手足をばたつかせて周りの机を蹴飛ばした。
しばらく暴れた後、糸が切れたかのように動かなくなってしまった。
ヨコヅナの見開いた両目と強張った顔が、周りに集まったクラスメイト達の脚の隙間から見えた。
とても苦しそうだった。
◇
ざああ――――。
この日は大雨だった。
「…………」
あの事件から一週間が経った。
バレンタインデーのあの日、俺がもらったチョコを食べたヤツが死んだ。突然に。
もしかしたら死んでいたのは自分だったかも、と考えると夜も眠れない。
実際、この一週間はずっと寝不足だ。
目の前で人が死んで、何も感じないわけがない。警察から話を聞かれてもまともに答えられなかった。
今日から授業が再開されるらしいが、俺は今日も休むことにした。
カウンセリングを受けた後は家でゆっくりしていよう。
まだあの時の光景が頭から離れないでいる。
「ねえ、シュウくん」
後ろから突然声を掛けられて驚いた俺は、びくりと飛び上がるようにして振り返った。
彼女はすぐ後ろに立っていた。傘で顔は隠れているが、たぶん同じクラスの人だ。
「ど、どうしたんだ。いきなり」
俺は二歩後ずさりして距離を開ける。
彼女は俯いていて表情は見えない。
「やっぱり今年も私のチョコを食べてくれなかったね」
「え……?」
「去年、学校のゴミ箱に捨てられているのを見つけたときは、その場で自殺しようかと思っちゃったよ。受け取ってくれたから、少なくとも食べてくれると思ったのに……ひどいよ」
顔を上げた彼女は、無表情だった。感情がこもっていない、まるで人形のような。
「だから試してみたんだ。どうせ食べないから何を入れたっていいかと思って」
「もしかして、あのチョコは、お前が作ったのか?」
勝手に机の上に置かれていた袋。カードには短い言葉だけで、名前はなかった。
それを食べたクラスメイトが、俺の目の前で苦しみながら死んだ。
「やだなあ、もお。あれは事故なんだからしょうがないよ。シュウくんは気にしなくてもいいのに」
そこまで無表情だった彼女の頬に朱が差した。状況にそぐわない照れ笑いが恐怖を感じさせる。
会話の意味を理解しているはずなのに、脳は展開に付いて行けていない。体は全く動いてくれなかった。
「お、お前……」
「だからこうするの――――」
胸に衝撃。体はぐらりと後ろ向きに倒れる。
両手を突き出した彼女は俺よりも頭一つ分以上小さいけれど、今の俺では踏ん張ることすらできなかった。
吹き飛ぶように背中から倒れ込む。はらりと舞う真っ赤な傘が視界の端に映る。
「あの時のことは第三者視点で頭に映像を再生できるわ。まるでタイムマシーンに乗って見てきたかのように。それだけショックだった」
信号待ちをしていた俺が倒れこんだ先は、当然ながら道路の上。
こちら側が赤ということは、自動車が通るということ。
瞬間、雨の音を消し去るほどのけたたましいブレーキ音を耳にしながら俺は目を閉じた。
その後の爆発音は、自動車がどこかへ衝突した音だろう。
苦い過去、甘い未来