ふる里
リビングウィルを示して旅立ちの準備を済ませ、「これですっかり終わった」と思ったら急に寂しくなった。このような心寂しい気持ちになった時は心の拠りどころにいつも昔のことを想う。すると、その都度「ふる里」という言葉があらわれ、私には鮭のように帰るべき故郷はないといつも気づくのである。子供の時から転々と移り住んだからだと思う。物心がまだ芽生えない幼い頃に戦渦で生家を後にし、今の持家に辿るまでに子供の時は親と他家に間借りをしたり、母子寮に移ったりして4、5回転居し、親を離れてからは下宿、アパート、公舎を10回ほど転居した。定まった故郷などあるはずがない。でも、私はその場所、その時々の思い出を心にファイルして、それをふる里としている。
ふる里を想う時は過ぎ去った事すべてに優しい感情がわいて心は癒され、幸せな気分になれる。70数年経つうちに当時の人々も家も殆どなくなり、あたりの様子も変わってしまった。しかし、心のふる里には昔のままの川があり、山があり、村があり、町がある。懐かしい人達と話ができるし、懐かしい家を訪ねることもできる。私がいつでも訪れる事ができるこれらのふる里はやがて私と共に消えてしまうのか。出来たら別世界に持って行きたい。
私が生きたのは小さな町や村だが、遠慮なく言えば、私はこの地球、この宇宙で生きたことにもなる。不思議な感じだが、悠久の時の流れの中で砂粒ほどの命が一瞬間だけ確かに生きた。であれば、星空も私のふる里である。美しくきらめく星空。変わる事のない星空。悲しい時には誰をも包んでくれた星空。受け入れられることより追われることの多かった私を慰めてくれた星空。
私のふる里は素晴らしい所だ。私はそこに帰って行こう。そして、星空のふる里から家族を見守っていよう。
2017年7月27日
ふる里