sakura

「君に見せたいものがあるんだ」

鉛色の空。例年より雨が多かった今年の3月。私は地下鉄を乗り換え、都心から少し離れた彼の町に来た。駅を出ると彼が待っていた。「おーい、おーい」無邪気な笑顔で手を振る彼を見ていると、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。
彼の家は坂道を上った所にある。普段から運動不足の私にはキツかった。心の中で自分を励まし歩いた。隣を歩く彼は「俺、田舎の緑がたくさんある中で育ったから、都会の空気は苦手で」と息を切らしながら、まるで言い訳の様に話した。なんだか好きな女の子の前でカッコ付けている男の子の様にかわいく思えた。マンションとアパートの中間のような白い建物。4階に彼の部屋はあった。玄関を開けるとお香の匂い。廊下の先にリビングが。大きな窓を開けて彼が、「あれ」と言って私に手招きした。旅先でたくさんの風景を見て来た彼。その中で一番のモノ。私は興奮した。『期待し過ぎは人生を台無しにするよ』と友人の言った言葉を思い出した。彼の視線の先には、一本の桜。それも小さな。ささやかな。「えっ?これ?」と思ってしまった私。答えに困った。「...桜?」とだけ言った私。「そう」と彼は言った。「逆によくない?」一番大事な物を見せた満足感に目が輝いていた彼。思わず「いいかも」って私も言った。お花見とは決して言えないけど一本の桜。それも小さな。ささやかな。私達はしばらく見入ってしまった。
 そして、また今日も雨が降り出した。雨に打たれて桜の匂いが舞い上がって来た。「逆にいいかもね」と私も。二人で部屋に戻り、彼が「こうして眺める桜、カウンター越しに見る山本さん。今日はじめて桜を間近に見てる」と照れながら私に告白した。
 私の心に、花びらをつたった雫が大きな波紋を広げた。 

sakura

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-08-16

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