空子さん

           空子さん




空子さんへ
 もう夏になりかけているこの頃です。空子さんはどうお過ごしですか? 暑がりやの僕にはとても厭な季節が始まろうとしています。
 僕は勉強をしなければいけないという焦りと、家ではどうしても勉強する気が起こらなくて(図書館ではかなりやってますけど)、僕の心のなかは、自転車競技に賭けたいという思いと、いろんないろんな複雑な思いでいっぱいです。
 僕の成績は伸びず、かえって下降線を辿っているような気がします。
 そして孤独感と。空子さんがやはり福岡へ引っ越していた寂しさと。
 寂しいです。長崎で僕は一人寂しいです。一日、誰とも口を聞かないときもあります。創価学会だけが僕の心の支えになっています。寂しいとき、とても寂しいとき、僕は創価学会の拠点に行きます。そこには同じ信仰に命を賭けた同志が何人もいます。みんな人のいい人ばかりです。
 不幸な人を救うという希望にみんな燃えています。多少、倦怠感みたいなものも確かにあります。以前の燃えるような情熱を持っている人は少ないかもしれません。でもみんな同志です。この信仰のために命を捨てる覚悟のついているみんなです。
 僕も命を捨てる覚悟を決めている青年です。引法のために命は惜しくありません。拠点に集まるみんなはみんなそうです。僕の孤独はそして消えてしまいます。温かい同志愛に僕は孤独なんて消えてしまいます。
 …でもやはり寂しいです。性欲の満たされない寂しさだと思います。満たされない性欲が、僕を寂しく孤独にしているのだと思います。僕も女の子と楽しく喋りたい。せめて女友達でもいいから欲しい。恋人でなくても。
 女の子と、僕と同じ歳ぐらいの女の子と喋りたい。友達でいいから。単なる友達でいいから。
 
 空子さんが福岡に引っ越していて、僕が窓から夜遅くなんかに見ていた橙色したカーテンの光は別の人のものだったと知って、僕は少し愕然としています。あの光は空子さんのものではなかったことに僕はショックを受けています。僕の心の支えになっていたあの光。橙色のあの光。空子さんの白い丸い頬のようだったあの光。勉強に疲れ、また涙を流しながら題目を唱えた深夜に見ていたあの光。

 あの光は幻の、まったく他人の人の家の光だった。幻の光だった。
 蛍の光でも、なにの光でもなかった。でも僕は幸せだった。幻の光を空子さんの住む家の光だと勘違いしていて。僕は幸せだった。






 日見に僕一人…長崎に僕一人…残して空子さんは福岡の南区の大池に旅立っていった。僕は毎日喋る相手もほとんど居らず孤独感に打ちひしがれています。
 博多の予備校に戻ろうかな?という気もしています。そうして毎日でなくても週に一度でも空子さんに会えたらどんなにいいだろう、と考えたりしています。






 僕は福岡駅から長崎行きの真夜中の夜行列車に乗りました。夜12時35分発の長崎に明日の朝着く普通列車でした。一つの駅に20分や30分も停車するゆっくりとした列車です。長崎に朝6時頃着きます。それから長崎駅前バスターミナルからバスに乗って家へと向かいます。僕らのあの日見へと。海や山に囲まれた僕らの日見へと。
 
 博多のその真夜中の駅は人影少なく、そこで汽車が来るまで英語の単語や熟語を憶えたり、数学の勉強をしたりしています。僕には高三の9月から燃え上がるような口惜しさがあると手紙に書いたことがあるでしょう。その口惜しさが僕を懸命に勉強に向かわせているのです。
 ノドの病気にならなかったら輝いていたと思われる僕の中学・高校時代。中二からのノドの病気がなかったら僕は空子さんか菊池さんかまたはほかの女の子とつき合えていたのにと思えて。
 その口惜しさが僕を勉強へ勉強へと向かわせているのです。腹綿が煮えくり返ってきそうな口惜しさが高三の9月から僕にあって、それが僕を勉強へ勉強へと向かわせているのです。






 今日はとても眩しい朝です。僕は2日前、やっぱり予備校に戻ろうと思って福岡に帰ってきました。別府橋のおんぼろな間借りに住み始めました。月一万円です。
 僕は今日ぐらい空子さんのいる大池まで自転車に乗って行ってみようかな、と思っています。でも空子さんは補習かクラブでやっぱり家にはいないだろうなあと思っています。でも空子さんの家だけでも確かめに行こうかな、と考えていました。
 今日も8月の暑い日になりそうです。とても暑がり屋の僕にとってはちょっと厭な日になりそうです。
 でもここから南区の大池までどれくらいかかるかなあと思います。そして僕は空子さんが学校から帰ってくるのを待ち伏せているんだ。ただ空子さんの姿を久しぶりに(3年半ぐらいになるかなあ)見るだけで僕はもう満足だから。


 イチョウの木の下で見たあなたの青白い翡翠のような美しい姿は僕の、中三の頃の僕の、幻だったのでしょうか。
 少しポッチャリとしたとても目の大きい砂場の横に立っていた体操服姿の輝くあなたの姿は幻だったのでしょうか。
 それとも、それは僕の目を幻惑させるために現れてきた精霊のいたづらだったのでしょうか。
 でもあなただった。たしかにあなただった。そして廊下ですれ違うときいつも大きな瞳で僕を見つめていたあなたの視線も。
 まるであなたはイチョウの木の下に咲いた青白い一輪のバラの花のようだった。9月に咲いた青白い大きなバラの花のようだった。少しピンク色を帯びた…。






       空子さんへ

 6年前のあの狂気お許し下さい。僕はあれから廃人のように過ごしました。
 あれはやっぱり幻だったのでしょうか。僕が中学の頃見た砂場の横の青い美しい少女は。やはり少年期に特有の幻だったのでしょうか。
 燃えています。あのときの青い美しい幻はいま炎に包まれて燃えています。めらめらと。呪われたように。
 今雨が降っています。九月の淋しい雨です。僕は今も中学の頃住んでいた処に依然として住んでいます。まるで自縛霊のように。
 今思うとあの頃の日々は何だったんだろうか、と思います。何だったんだろう、僕の瞼に今も残る中学三年の頃の日々。燃えていた。なにもかもが新鮮だった。君の姿も。大きな目をクルリと回しながら廊下を歩いていた君。
 いったい僕の人生において、かつ世界にとって僕のあの頃の日々はいったいどういう意味を持つのでしょう。今では幻のようにしか思い出せない日々の影像。






 空想は僕の過去を美しく彩り、それに沈潜しているはかない喜びは、はかないはかない幸せを僕に与えつづけていました。はかないはかない空想だと自分でも気付いていたのかもしれません。でもそれが単なる空想だと思うことは僕の過去——美しく彩られた過去を——僕は幻でもよかった。幻でもいい。信じていたかった。僕に寄せられるあなたたちの切ない真心を少年の日の美しい思い出として胸に秘めつづけておきたかった。 過去とはそして幻とはいったい何なのでしょう。同じなのではないでしょうか。過去も幻も同じだということを、僕は信じていたのです。僕の美しい少女たちの真心に彩られた美しい過去。そしてそのことごとくを踏みにじってきた僕の罪。美しい思い出でした。





               完

空子さん

空子さん

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
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