秋の憂鬱

 秋の憂欝
             カメ太郎




                           (9月20日)
 ああ、鈴虫の声も小鳥の声も今の僕には哀しくしか聞こえない。僕はこの手記を何日書いていなかったろうか。もう秋になろうとしている。6時も近いのに外はまだ暗い。
 迫ってきた12月の試験が僕の心を重くしている。そろそろアルバイトをやめようと思っている。そして勉強のみに賭けようとも思っている。
 勉強もとても楽しい。でもまた留年したら…ということを考えるとアルバイトもやめられない。そして僕は授業に出るとやはりとても緊張して何も頭に入らない。このままアルバイトを続けていった方がだからいいような気もする。
 もしも12月の試験に必ずパスするなら僕はすぐにでもアルバイトをやめて国家試験などの勉強に打ち込むだろう。しかし落ちたら…と考えると僕はとても今のアルバイトをやめきれない。今のアルバイトほどいいアルバイトは他にありそうもないから。

 今日はバイクで行けるだろうか。白みかけてきた外を見てみると道は濡れている。そして何を着ていこう履いていこう。僕は昨日病院からずぶ濡れになって帰ってきた。夜の8時頃。

 3日前に赤ん坊が生まれて今姉の夫が来ている。今日か明日帰ると言う。でも残されている姉のことを思うともっと居てもらいたい気がする。

 12月の試験にパスするなら僕の悩みはすべて解決するような気がする。でも現実は厳しいから。でも僕は子供や姉のためにもここ数ヶ月は心を明るくして生きてゆこうと思っている。悪魔に魅入られないように。
 
 雨が降ってきた。朝早くから家を出ようと思っていた僕をあざ笑うように雨が降ってきた。ときには激しく、ときにはシトシトと。


      (僕もみんなのように)
 僕の焦燥感が取り払われ、早く新しい時代が来ないかと、早く新しい時代が来ないかと、僕は窓越しに雨に煙って見える浜辺を見つめている。僕も早く卒業して、早く罪悪感から解放されて、早く僕も幸せになりたい。みんなのように幸せになりたい。
 もう秋だけど海を見つめる僕の心は夏の頃とちっとも変わっていないようだ。もう秋だけど僕の心はまだ焦燥感や不安に包まれていて、今にも叫び出したいような、今にも泣き出してしまいそうな気持ちにふっと襲われる。もう秋になろうとしているのに。
 



                         (9月26日  月曜)
 僕は一週間ぶりかなあ。この浜辺に来ている。もうすっかり秋になろうとしている。そして厳しい12月の試験が近づいてきている。
 浜辺のそよ風はもう肌寒くて、僕は今ウインドブレーカーを着ている。緑色のウインドブレーカーでそして僕は今日部屋の中に大事に飾っていた赤いナバのヘルメットを被ってきた。
 この頃、朝が明けるのも遅くなってきて、今6時12分だというのにまだ少し薄暗い。
 僕は今朝、死のうかなとまた思ってこの浜辺に来た。でもやっぱりやめよう。12月の試験を乗り越えればいいんだから、と思ってきた。この浜辺で石に腰掛けて佇んでいてやっぱりそう思えてきた。
 秋のそよ風が僕の心を変えたんだなと思う。もう冷たくなってきた秋のそよ風が。

 昨夜でも夢の中でこの浜辺をとても白い美しい少女と岬の方へと駆けてゆく夢を見た。あれは誰だったのかなあ、と思う。
 でもその夢は僕を天国へと導く夢じゃなかったのかなあと思う。だから今朝こんなに希死念慮が湧いてきたように思います。
 今もまだ夢の中での天使さまの柔らかい白い手の感触が残っている。でも秋のそよ風が湧いてくる希死念慮をぬぐい去ってくれる。




                         (9月27日)
 自分はもうダメなような気がする。今年もまた留年しそうな、少なくとも卒業までにあと一年は留年しそうな気がする。
 やっぱり文学が悪いんだとも思える。詩や小説を書くため僕はたっぷり睡眠をとるけどこれがいけないんがと思う。もっと睡眠時間を減らして勉強にその時間を宛てなければと僕は思う。
 そして僕は今朝、学校に行くべきか病院に行くべきかとても迷っている。それに学年でたった5人しか落ちてなかった泌尿器の試験に落ちていたことが今朝僕の心をとても憂欝にさせ僕を絶望感に陥らせ今朝僕をこの浜辺まで呼んだのだろう。
 そして僕はバックから本を取り出し、勉強をし始めた。せめてこの教科だけでも上がっておかないことには12月の試験がとても厳しくなるような気がしていたから。
 僕は絶望感に覆われつつ浜辺で本を拡げた。

 もう星子さんが逝ってから十年以上も経った今この浜辺を眺めても僕には何の実感もあまり湧いて来ない。たしかに十年以上も前に僕を好いてくれていた車椅子のとても綺麗な少女がいたことを憶えているが。そして僕が一時の心変わりのため年上の女の人に想いを寄せ始めて返事を書かなくなりそれがきっかけでその子を死に追いやったことも。もう朧ろげにしか…遠くに煙って見える雲仙岳のようにもう朧ろげにしか感じられない。
 そして悲しみが…十年以上も前になるあのときの悲しみが今かげろうのように僕の胸に舞い戻って来ている。かげろうみたいに。もう秋になりかけた眩しい朝日に照らされながら。




        (波の音)
          ----真夜中の窓辺より----  (9月28日)
 僕には聞こえてくる。十年前の波の音が。あの元気だった頃の波の音が。そして星子さんの声とゴロの泣く声とともに。とても懐かしく。
 あの元気だった頃の波の音が、そして星子さんの声とゴロの鳴く声とともに、とても懐かしく、あの元気だった頃の自分は何処へ行ってしまったんだ。ゴロとあの浜辺を駆け回ったり、そっと星子さんのうしろ姿を眺めやったりしていた。純粋だったそして元気だった頃の自分は何処へ行ってしまったのだろう。
 僕には解らない。ただ時の流れがこう僕の心を変え果ててしまったんだろうと思う。ただ時の流れだけが、十年という時の流れだけが


        (夢での会話)
『カメ太郎さん。不安なの?』
『ああ、僕を慰めてくれる明るいとても明るい女の子が現れてくれたなら、そうしたら僕の心の不安はいっぺんで吹き飛んでゆくかもしれないけれど、僕はとてもとても不安で本当に僕の不安な心をいっぺんに明るくしてくれるような女のコが現れてくれないことには僕は今日にでもこの海の中に溶けてゆきたい。でも僕は泳げるし、首を吊るしか、裏の森で首を吊るしかないんだ。あの暗いところで』


        (夜の漁港)
          ----今はさびれて船もほとんどいなくなった漁港にて----
 僕は星子さんの旅立っていった港を眺めて今日も佇んでいる。十年前のあの日、夜に今はもうないあの桟橋から、黒い海の中へと沈んでいった星子さん。もう十年以上も前になることなのに、僕には昨日のように思い出されてくる。もう十年以上も前のことなのに。
 でも僕も今できればこの港の中に沈んでゆきたい。星子さんのあとを追って、十年たった今、沈んでいこうか、この黒い海の中に。星子さんを追って。寂しさに耐えられず。

でも十年も前にこの海の中に沈んでいった星子さんに追いつくのは大変だ。霊界の白い道を、十年も前に歩き始めていった星子さんに追いつくのはとても大変だ。でも僕は元気だった中学や高校時代の僕に還って、必死に駆けてゆこう。十年も前に旅立った星子さんに追いつくのは大変だけど、追い付けるか追い付けないか解らないけど、僕は必死に走ってゆこう。必死に必死に走ってゆこう。


                          (10月3日)
 僕にはこの頃、破滅の予感がしてくる。もう10月になって12月の判定が近づいてきています。でも僕はアルバイトばかり行って授業にはあんまり出ていません。
 黒い大波が僕の心を目がけてかぶさってくる気もします。僕をふたたび自殺へと追いやるとても怖い怖い大きな津波です。僕はその波に呑み込まれてこの一ヶ月のうちにでも自殺をするのかもしれません。不安が…黒い大きい波になった不安が今にでも僕に覆いかぶさってきてそして僕がその波に濡れたとき、僕は死ぬのだと思います。中学校かどこかで首吊りをしながら。


                           (10月5日)
 あれから10年以上も経った今、僕はもう年老いてしまって朝起きるのが辛くて僕はまだ布団の中にいます。もうこのごろすっかり浜辺へ行く気力も喪くしかけました。とても体がだるくて僕は一日10時間ぐらいも寝ているようです。
 僕は年老いてしまって、あの頃の元気さを取り戻そうと必死に思ったりもしているのですけれどそしてこのまえまでの焦燥感の方がずっとマシだったような気がします。

 僕は叫ぶようにして起き上がって今日久ぶりにこの浜辺にやってきました。もう8時です。学校へ行こうかな、ともバイクに乗って家を出るときものすごく悩みましたけどついここにハンドルが向いてしまったというか、学校の出席なんてもうどうでもいいや、と思ってもう破れかぶれでここにやってきました。
 何日ぶりになるかなあ、と思います。三日か四日ぶりだと思います。僕にもまだ10年前の元気や力があったんだなあと思っています。
 雨がぽつりぽつりと降ってきています。台風が近づいてきているそうですけど風もなく波もありません。ただ今朝の僕の胸のなかのように雨がしとしとと降っているだけです。
 僕は綿菓子のようにこの雨に溶けてゆきたいです。そして僕らの幼かった頃の思い出のこの浜辺に溶けてゆきたいです。何もかも苦悩から解放されて僕は自由に自由になりたいです。たとえそこがまっ暗い孤独な森の中だっていい。僕は今の僕を拘束しているいろんな足枷から自由になりたい。そして僕もみんなのように幸せになりたい。

 僕はそこが地獄であっても、今の僕を縛りつけているいろんな苦しみから解放されるなら、その世界へ飛び込んでゆきたい。たとえそこがまっ暗な沼や森の中だったっていいから、僕はその世界へ飛び込んでゆきたい。


                         (10月5日 夕方)
 まるで僕の涙のような雨が降っていた。この雨は何だろう。
 この雨は9年前の国際体育館で出会った女のコと付き合っていたことを僕がこの浜辺で思って流した涙のようだった。夕方、一日じゅう誰とも口をきいていない孤独な僕は朝と同じようにこの浜辺にやってきていた。家に帰ったって勉強しないからこの浜辺で浜の音を聞きながら、浜の香りをかぎながら勉強しようという気があった。そして僕のバックの中には今日買った『内分泌』の専門書があった。僕の病気は内分泌的な病気ではないかと僕はこの頃思ってきていたから明日買おう、明日買おうと思いながらもお金を出すのがもったいなかったり学校行かなかったりして今日まで買ってなかった僕だった。
 まるで夢物語のようにもう思われる星子さんと文通していた思い出。すべてすべて星子さんの手紙は僕が浪人しているときに家の庭で、ゴロを繋いでいた桜の木の近くで燃やしてしまっているから、そして9年半も前になる目の大きなあのコのことも夢物語のようにしか思い出されない。
 僕にはすべてすべて夢物語のようにしか思い出されない。すべてのことが、昔の思い出がすべて。この浜辺で海を見つめながら僕にはそうとしか思い出されない。
 聞こえてくる波の音は僕を勉強させるどころか僕に悲しい昔の思い出しか思い出させない。悲しい悲しいことしか。
 僕は砂を掴んだ。雨で濡れた砂はまるで僕の涙で濡れた砂のようだった。僕はそうしてますます悲しくなった。


              (僕の脳は)
 僕には星子さんのことも、9年半前の国際体育館での女の子のことも、すべてすべて夢のようにしか思い出されない。毎日の深酒で蝕まれ衰えた僕の脳は、もうその美しい思い出も、哀しい色に変えてしか僕に思い出させてくれない。あの美しい美しい思い出も、哀しい音楽と色でもってしか思い出させてくれない。僕に美しい少年時代があったことを、もう夢物語のようにしか思い出させてくれない。

                          (10月7日)
 僕は悲しい男だ。僕は今もまだある女の子の虚像に引かれつつある。もうすっかり星子さんのことは忘れてしまったつもりだけど、松山の国際体育館で見た女の子の虚像に10年も経とうとしている今も引かれつつある。
 一人ぼっちのいつも孤独な寂しがりやの男だ。そして人とほとんど口のきけない、そして精神科に通院していて先生たちからも完全なノイローゼの男と見られている悲しい男だ。
 この頃とても起き辛くなりました。でもその代わりかよく眠れている。でも夢ばかり見ているけれども。
 もう浜辺へ行く気力は全くない。ただ夕方、勉強をしにときどき行っているだけだ。
 もうすっかり寒くなってきて朝起きるのが辛くなってきた。その代わりによく眠れているのか、でも今年の2月3月頃は寒くても眠れてなかったから自分の精神状態はかなり良くなってきたのかなあとも思う。でもやはり僕にはまだ希死念慮があるのは否めない。
 昨日も今日も睡眠薬を全然飲まなくて良く眠れた。

 僕は今度はきっと留年しなくってそうして進級できてたらあと一年で卒業だから一生懸命勉強するだろう。去年のように悪霊に操られることなくこれから2ヶ月の間、僕は明るく明るくなろうかなとも思う。そうして今もまだ僕に食いついている悪霊を吹き飛ばしてしまおうかな、とか考えたりしている。
 そうしないとまた留年するかもしれないから。

 思えば僕がその死神にとり憑かれたのは学2の2月中旬頃だった。だからあのとき診断学の実習で落ちた。その死神から逃れないことには自分はまた留年しそうな気がする。しかしその死神から逃れる方法って何があるだろう。
 創価学会か、と思う。しかし




                         (10月10日)
 いろんなことが僕の頭の中を駆け巡る。心配事だけが、苦しいことだけが。
 自分は今まで良く生きてこられたものだと思う。中学・高校の頃は今よりももっと辛い毎日のはずだったけど僕には信仰があった。しかし信仰を捨てた大学時代僕は苦しさに耐えきれずに自殺を思ったりしてしまう。
 一昨日の夜、坑うつ薬を飲んでから頭が全く働かなくなり何も書けなかった。でも自分は今、こうして久しぶりに書いている。もうすぐ病院へバイトに行かなければならない。今日は体育の日だ。でも自分だけではない。みんな苦労して生きているんだと思って耐え抜いていくつもりだ。
 自分だけではないんだ。苦しいのは。自分はこれでも比較的恵まれている方なんだ、と思っている。
 でも自分はやはり恵まれていない方で、自分はやはりとても悲しくなってきて自殺を考えてきてしまう。苦しい毎日の生活のことを思うと。
 僕は、苦しみの中に溶けてゆこう。そうして自分よりもっともっと苦しんでいる人は世界中にたくさんいることを思って、その人たちのために、僕は生きてゆこう。僕は苦しみを何処へ捨てて。
 苦しみの沼の中にどっぷりと浸かると、世界中の苦しんでいる人たちの姿がありありと見えてくるようだ。そうして僕はその沼から這い上がり、今見てきた世界中の苦しんでいる人たちのために、必死になって生きてゆこうと、必死になって戦ってゆこうと、僕は思う。毎日の辛い生活を、必死になって耐えてゆこうと、僕は思う。
 自分はこの一年近くの毎日、本当によく自殺の誘惑と戦ってきた。苦しい毎日だった。そして今また12月の厳しい試験が近づいて来つつある。
 でも僕は、苦しい小さい頃から高校時代までの日々を生き抜いてきた。あの頃には信仰があった。でも今の自分には信仰がない。
 今の僕の心を支えているのはもし12月の試験に上がったらあと一年余りで卒業であるということぐらいだ。
 寂しい森の中や沼の光景が見えてくる。しかしそんなものは見てはいけないんだ。そんなものから目をそらして自分は生きていかなくてはいけないんだ。
 青い海だ。僕は昨夜、悪夢に唸されつつ何度もこの海を心に描いた。僕を力づけてくれる青い海。僕に勇気を与えてくれるこの青い海。自分は昨夜、何度死んでしまいたいと心に思ったことだろう。朦朧とした意識の中で。でも海は輝いている。青く青い苦僕に元気をつけてくれるように。
 僕は死なない。僕の心にこの海の輝きがあるまでは。僕の心からこの海の輝きが消え失せたとき僕はそのとき死ぬのだと思う。でも僕は
 現実はあまりに厳しく、自分は立ち上がりきれない。立ち上がりきれない。
 でも自殺だけはやめなくてはいけない。自殺だけは……

 僕は昨夜、夢の中で何度、星子さんに手紙を書いたことだろう。悲しい手紙ばかりだった。絶望感に沈み込んだ手紙ばかりだったけど。
 昨夜、喉の病気を治そうと思って布団の中で自律訓練法をしているとき、凄く体が震え出して怖い思いをした。
 怖い夜だった。僕にとって。そして長い苦しい夜だった。
 僕は今朝、悲しみを一杯湛えて目を開けた。もう病院へ行かなければならない。でも僕は悲しくてそれに起きる気がしなかった。このままずっと横たわっていたかった。でも今日は先生が来るかもしれないから早く病院へ行って部屋の片付けをしなければならなかった。
 僕は悲しみを一杯湛えて起き上がった。創価学会に戻ろうかな、創価学会に戻るしかないな、と思った。
 心の中で題目を唱えた。元気が、元気が湧いてくる。でも僕にはこの信心は向かないんだ。
 僕はこれから悲しみを一杯湛えて病院へと行くだろう。バイクに乗って寒さを堪えながら。
 苦しい現実に勝つためにはどうしたらいいのだろう。以前のように創価学会に戻るべきなのだろうか。でも。
 苦しくったって、どうなったって、僕は今まで27年近くを苦しみの中で生きてきた。そして耐えてきた。僕は死なない。


             (蒼白の空)
 僕はときどき思い出す。こんな僕をも愛してくれてた少女がいたことを。もう十数年も前のことになるけれど、とても可憐に、とっても純粋に、愛してくれていた少女がいたことを、僕はときどき思い出す。蒼白の空を眺めながら。
 僕は蒼白の空を眺めながらときどきぽっとあの子のことを思い出してしまう。車椅子の少女だったけど、とっても綺麗で、斉藤由貴にそっくりで、そうして僕たちは小さい頃すぐ近くに住んでいて、そうして僕が中一の7月頃から、二つ年下のあの子と文通し始めたことを。
 でもあの子は僕らが文通を3年近く続けたある寒い5月の夜に、海の中に落っこちて死んでしまったことを、そうして僕があの子から最後の電話を受け取ってすぐに、あの子が今から飛び込もうとする網場の桟橋めがけて、あの頃元気だった僕は、闇の中を、一生懸命に走っていって、そうして桟橋からあの子が浮かんでいるのを見つけて、頭から飛び込んで、必死に助けに行ったことを、僕は今でも真夜中に唸されながら思い出す。とてもとても苦しく唸されながら。


            (僕は今でも思い出す)
 僕は今でも思い出す。あの子の最後の電話での悲痛な叫びと、ほとんど一言も口をきけずに震えていた吃りの僕の、僕らのあの悲しい姿を。あのときむせび泣いていたあの子の姿と、ただオロオロと受話器を握りしめて震えていた僕の姿を、僕は十数年たった今も、昨日のことのように真夜中に唸されたりしながら、ときどき思い出してしまう。そうしてあの子と文通していた頃飼っていて、その子と文通し始めるきっかけとなった日についてきていたゴロという犬のお母さんが、今日、とても悲しげに僕の家の近くを歩いていたことを、白いポインターの老いさらばえたその姿は、まるで僕らのあの悲しい恋の思い出のようだった。もう消え果てていこうとしている、でもとても悲しくて、真夜中の夢の中や、蒼白の空を眺め遣ったりしているとき、ときどきふと思い出すその悲しい恋を、僕はさっき夢の中で見た。とっても綺麗だったあの子の姿とともに、そして元気だったあの頃の僕の姿とともに、でもあの子は泣いていた。受話器を握りしめて網場停留所の電話の前で、赤い受話器を握りしめて、泣いていた。何の返事も寄こさない、ただ唸るだけの僕の声を聞いて、死の寸前の最後の灯を燃やしていた。悲しく悲しく燃やしていた。
 今思い出せばあの頃の恋は、昨日見たゴロの親犬の老いさらばえた姿のように、もう僕の心からも老いさらばえて、今にも消えゆこうとしている。
 空を見上げると蒼白の空は、僕には何も語りかけてこない。ただ車椅子の可憐なあの子の姿と、土佐犬とポインターの合いの子のまだ小さかったゴロの姿とが、そうして元気で明るかったあの頃の僕の姿と一緒に、思い出されてくる。涙の一粒とともに。僕らはみんな若くて(ゴロも星子さんも僕も)とてもとても元気だった。とてもとても僕らは元気だった。
 今僕の心は老いさらばえてもはや何の感動もなくしかけ、明日死のう、今日死のう、と思い詰めたり。
 もう苦しさに耐えきれなくなっていて
 あの頃は今よりも辛い厳しい毎日だったのに、あんなに元気だった。僕は今日もまた自殺を考えた。元気をなくした僕の心はそう思っている。

『十年間もよ。私、十年間もよ。十年間も私この冷たい海の底に沈んでいるのよ。私、十年間もよ』
(哀しい星子さんの叫び声が聞こえてきていた)
『でも星子さん。僕も十年間生きてきて辛かった。冷たい水の中の方がずっと良かったような気もする。僕には、僕にとってはそっちの方がずっと良かったんだ』
(そして星子さんの声は聞こえなくなった。後には暗い沈黙だけが訪れていた。僕はまたたった一人で夜4時の自分の部屋の中に横たわり続けた。眠れない苦しみと訪れてくる朝への焦りだけが僕にはあった)

 辛い現実が毎日僕を襲ってきていたあの少年時代。でも僕は明るかった。今のように落ち込んだり絶望感に沈み込んだりはしていなかった。あの頃は希望があったからだろうか。あの頃に比べると今はずっと楽なはずなのに、僕は毎日、絶望感や苦悩によく襲われて、よく自殺を考えてしまう。あの頃に比べるとずっと楽なはずなのに。
 本当にあの頃に比べるとずっと楽なはずなのに、僕はつい絶望感に襲われてしまって自殺を考えてしまう。もう先が見えてしまったからだろうか。もう僕には元気や勇気が湧いてこない。
 あの頃の元気さと勇気がもし湧いてきたら、そうしたら僕は卒業までの辛い毎日をどんなに楽しく送れるだろう。でも僕には絶望感と罪悪感しか湧いてこない。そして激しい焦燥と不安と。
 でも僕の不安は近いうちにきっときっと癒される日が来るにちがいない。僕に明るい美しい恋人ができたならば、きっとそのとき癒されるにちがいない。もしも僕に恋人ができたならきっと。

 僕にも明るい日々があった。辛い日々の方がずっと多かったけど、僕にもみんなと楽しく遊んだりできてた楽しいときもあった。あれは僕が小学六年や中学一年の時だろう。あの頃は喉の病気に罹る前で、大きな声が出せて、みんなと楽しく遊べていた。吃りなんかも気にせずに僕は楽しく遊べていた。
 でも僕の心に暗い暗雲が立ち込め始めたのは、中一の冬か中二の夏にかけてだった。たしかその頃から大きな声が出なくなって、僕は休み時間なんか騒がしい時には喋れずとても辛い思いをし始めた。その頃からの僕はでも星子さんと始めた文通によってだいぶ慰められていた。星子さんが死んだ高校二年の始めまで僕はとても慰められてきた。
 でももう遠い昔のことになろうとしている。あの楽しかった日々や星子さんと文通してお互いを励まし合っていた日々は、もう遠い昔のことになって、もう遠い空の向こうの雲のようにしか思い出せない。毎日の深酒に蝕まれた僕の頭は過去のことを、遠い遠い昔のこととしてしか思い出せないようになってしまっている。お酒で蝕まれた僕の頭は、もう昔のことも遥か彼方の雲のようにしか思い出せない。毎日の淋しさを紛らわすたった一人の酒で。
 もう僕は思い出せない。少年時代の美しい思い出も、少年時代に楽しい思い出があったことも、もう僕は思い出せない。美しい少女との出会いも、松山での白い美しい少女との思い出も、文通していた思い出も、僕はもう漠然としてしか、遠い彼方の国での出来事のようにしか、僕には思い出せない。悲しいけれども、涙が落ちてきそうになるけれども、僕には思い出せない。
 眠れなかった。朝方少し眠っただけだった。もう学校へ行かなければならない。死かし僕は今日は休もうかとも思っている。
 今から再び眠りたい。しかし、せっかくアルバイトを休んだからには学校へ行かなければならない。でも僕は寝足りなくて再び眠りたい。それに学校へ行ったって緊張して勉強にならないから。
 僕は自分だけが辛いのだと思ってきた。夜、悪夢に唸されるのは自分だけだと思ってきた。でも現実ではみんな辛いようで、僕より辛い人もいっぱいいっぱい居るようで、僕は自分の甘い考え方に今朝ちょっと唖然としている。でも昨夜の夢は本当に辛かった。やっぱり僕は本当にとってもとっても苦しい立場に置かれた人間なのかもしれない。本当に現実の僕って辛いみじめな人間なのかもしれない。もう起きるのが寒くて辛くなってきたこの朝僕はそう思っている。
 窓から外を見てみると黄金色に焼けた朝雲が、青い大空や、地平線の赤い雲や、霞に煙ってよく見えない島原半島などと一緒に、ゆっくりと動いているのが見える。でこぼことした黄金色の朝雲がゆっくりと動いている。とてもゆっくりと、でもだんだんと白くなってゆきながら。
 僕は昨夜久しぶりにお酒を飲んでから寝た。でも2時間したらぱっちりと目が醒めてお酒だけ飲んで寝たら脳が萎縮してしまうことを知っている僕はすぐ下へ降りて行って魚などを食べた。昨夜の鮮明な悪夢はそのお酒のためだったのかもしれない。でもとっても教訓になる夢だった。

 昨夜僕が見た怖い夢は次のようなものだった。
----父が18歳の頃、とてもミステリーじみた夢を見て、それが父の家への祟りの原因なのだという。もしこれを小説に書けばベストセラー間違いなしだと若い頃小説家を夢見てきたこともある父はそう言っていた。そして何故かそう言う父の姿はまだ30少し過ぎぐらいの若さで日見に引っ越してくる前の本河地のところが背景になっていた。
 父が見たその夢の呪いの源泉は僕がこの頃薄々気づいているように心中した父の兄とその女性の霊によるものだと思う。それが父の実家を祟ってきたしもう分家した父にも祟っているのだと思う。
 そして今年の呪われたような留年の仕方をしたこともその呪い故なのだと僕は今朝思った。


                          (10月22日)
『僕は生きたかった』
(ポツリと僕は星子さんの胸に抱かれながらそう答えた。僕は力を喪くし敗残兵のように星子さんの腕の中でそう答えた)
黒い布団はまるで星子さんの手の平のようだった。でも僕はもう眠れなかった。
 僕は敗残兵のように星子さんの手の平の上に横たわっている。しかし僕は眠れない。
 もう2時間もだろう。僕は眠れないで横たわり続けている。いや3時間近く経つかもしれない。もう5時を過ぎている。そしてこの間クルマを売ることや創価学会に戻ることをずっと考えていた。そしてもちろん自殺することも。
 でも心の中で題目を唱えているといつか自然に力が湧いてくるのだった。

 2時間眠った。5時10分から7時10分までだった。目が醒めると頭の重さも重い気分も吹き飛んでいた。僕は心の中で題目を唱えながら寒さに耐えながら起き上がった。窓からクルマを見た。赤いクルマの一面に霜が降りていた。僕はやっぱりクルマを売るのはやめようかな、と思った。それとも今日か明日にでも長崎新聞社に4000円の広告を出そうかな、と思った。
 それとも松尾さんの彼女のツゲちゃんに電話してツゲちゃんに売ろうかな。それともどうでもいいいから、こんなに朝日が眩しくて綺麗だからどうでもいいから、クルマ屋さんに20万円ぐらいで叩き売ろうかな。
 眠れなくて3時間近く布団の上に横たわっていたときの落ち込みは2時間眠っていつの間にかすっかりと吹き飛んでいた。僕はこんな爽やかな朝は久しぶりだった。
 眩しい朝日は、この朝はかなり寒いけど、久しぶりに僕の心を明るくさせてくれる。とてもとても美しい朝日で、昨夜眠れず自殺まで考えた僕の心を一変させてくれている。僕は明るく元気にあの朝日のように今日一日を送ろうかなと思っている。久しぶりにこんなに明るく思っている。
 そして僕は創価学会に戻ろうかな、とも思っている。心の中で少し題目を唱えながら、父や母のため元気にならなければと、僕は半年ぶりぐらいに思っている。思えば長い暗いトンネルのような半年間だった。

『苦しくないの? 苦しくないの、カメ太郎さん』
『ああ、僕は気が狂うほど苦しい。だから僕は昨日一日じゅう創価学会に戻ろうか戻るまいか悩んだ。人にも相談してみた。泥沼だから僕は。僕は
 僕は文学を棄て、もう創価学会に戻ろうかと思ってきている。僕は全てに…何もかもにも敗れ去ったようなそんな感じがする。僕は自分を悲劇のヒロインにしたてあげた小説ばかり書いてきたから。それに悲劇のヒロインでないといい小説は書けない、そのために自分は不幸でなければならない、と心の中で暗示を繰り返してきたから。それに創価学会に戻ると元気になれるし不思議と願いがかなえられる。僕はそのことを小さい頃から大学一年の11月までやってきて知っている。しかし……

 自分はあの辛い厳しかった小さい頃から高校までの間、自分が耐えてこられたのは、元気でいられたのは、すべて創価学会の信心をしていたからだった。僕は厳しい宿業を背負って生まれてきた人間だ。小さい頃から言語障害だったし家は貧乏で父と母は毎日夫婦喧嘩をしてきた。でも僕が信心をするようになった小学三年の頃(小学四年のときはしていなかったと思うけど、そして再び始めたのは小学五年の頃だったと思う)僕は自分の家が薄紙をはぐように幸せな方向へと向かっていることに、不幸な状況から脱皮しつつあることに気づいていた。




                          (10月27日)
 僕は何を耐えつつ、何に頑張りながら生きてゆこう。たった一人のこれから。
 僕はやっぱり言いしれない不安におびえている。自分はまた落ち込まないか、自分はまたどん底まで突き落とされるんじゃないか、という不安が僕の胸をよぎってゆく。
 もう寒くなって朝起きるのが辛くなって、でもそのためかよく眠れるようになったけれども、僕の胸のなかは生きることへの懐疑感や不安やそれに焦燥感に満たされている。もう寒いのに、朝日だけは眩しくって、朝起きたとき不安で胸いっぱいになっている僕はとても何か耐えられないような、周囲から押し潰されそうな気がする。でも困っている人のため、みんなのために僕は頑張ろう頑張ろうと自分を励ましてやっと布団から起き上がる。でも起き上がってもまたどうしようもない不安が僕を落ち込ませてしまう。
 
 その音は痴女の叫びにも、心めいた宇宙船のときめきにも似ていた。
 眠れないので、夢のなかで、僕はチベット高原を駆け回る。僕はチベット高原を駆け回る。
 僕は悲しく目を開けた。

 僕は緊張してしまうから。僕は人がいるところではとても緊張してしまうから。
 でも教授は冷たく僕の言葉を遮った。また留年が、また厳しい一年が始まろうとしているようだった。

 辛い一年を過ごしてきました。何度も死のうと決意しました。でもその度に僕は思い出したように仏壇の前に座って涙をこらえながら題目をあげました。でも僕のノドの病気は中二の頃、あまりにも熱心に題目をあげ過ぎたためになったのでした。ですから次の日になると僕はもう題目を唱えないようになっていました。
 最近でも発狂するような恐怖に襲われてきていました。だから今度は本気になって創価学会に戻ることを考えていました。でもそれも3日ほどで終わりました。でも3日間は僕はとても元気でした。

『もうあれから何年経ったの? カメ太郎さん』
『ああ、もうあれから十年経つと思うよ。でも解らないな。僕にははっきりとは解らないな。もう長すぎて解らないな。星子さんも解んないだろ。僕にも解んないよ』
----暗い海の底から微かに聞こえてきた星子さんの声は創価学会に戻ろうかそれとも死のうかと思い始めてきた僕の耳に暗い中学や高校時代の波の音とともにまるで夢のように朧ろに届いた。

 ああ、僕の大学六年間の歳月が、目の前の夕暮れのように、あんなに速く流れていってたなら、そうしたら僕はもうとっくに医者になっていて、今頃はきっと幸せだっただろうにと思うと、僕は机にうっ伏して、泣きたくなってくる。でも現実の僕は、人の一・五倍も年月をかけても卒業できるか解らなくて、もう三年も留年している。そんなに遊んでいた訳じゃないのに、不幸ばかりが重なって、僕は3年も留年した。そして親に申し訳がなくって、最近はアルバイトばかりしたり貯金ばかりしたりしてきた。死ぬ前の最後の親孝行のようだった。
 僕は目の前の雲仙岳に懸かる夕焼け雲を眺めながらそう思っている。
 もしも僕のこの対人緊張症さえなかったなら楽しい大学生活だったろうになあと思うと、僕は今にも僕の思い出の中学校のグラウンドにでも行って、夕焼けに照らされながら今にも首を吊ってしまいたくなる。僕の9年近くになる大学生活を今にも終わらせてしまいたくなる。
                     (大学5年の秋に記す)

 僕は漁船の音が微かに聞こえているけれど、少し薄明るくなりかけた窓辺を見遣りながら、布団のなかで再び目を閉じようとしている。悲しく、悲しく、まるで今から死ぬように目を閉じようとしている。

                            (10月30日)
 もしも僕が若かったなら、こんな寒い朝も、ゴロを連れて、あのペロポネソスの浜辺へと駆けて行って、そうして雲仙岳に懸かる朝日を眺めながら、目覚めかけたばかりの微かに息づく海に向かって石を投げたり、浜辺を思いきって駆けたりしていたのだろうに。
 今の僕には強い焦燥感があって、いろんな迫害妄想や被害妄想があって、布団の中に横たわったまま強く苦しんでいる。強く強く、このまま死んでしまいたいほどに。

 僕にとっては辛いものになるだろう。みんなにとっては楽だけども、僕にはとても辛い一年間になるだろう。僕は蛇の口の中に呑み込まれてしまうような気がしてしまう。

 僕は一人で死にゆこう。暗い夜道をとぼとぼとたった一人で歩いてゆこう。いつまでもいつまでも、たった一人で。いつまでもいつまでも、たぶん一人で僕は歩いてゆくだろう。暗い夜道をいつまでも。

 いいかい? 君には僕が見えるかい? 僕は何年も前から君を好きだった男の子で、ずっとずっと内緒にしてきたんだ。

 君の前に現れたのはもう九年前の僕じゃない。昔の僕はもう死んだんだ。今の僕は別人なんだ。
 あれからもう何年が経っただろう。君が僕を捨ててから。そして僕はそのためにどんなに孤独感と戦ってきたことだろう。九年間も。とてもとても長い九年間も。

 ひっそりと生きてゆこう。誰にも迷惑をかけないように、静かに生きてゆこう。そうして与えられた仕事を、熱心にやってゆくだけにしよう。そうして僕は静かに生きてゆこう。

 僕は、今まで苦しんできて、明日からは苦しむまいと、いつもいつも誓うのだけど、でもやっぱり毎日苦しみ続けて、僕はいつまでもいつまでも苦しみ続けるみたいだ。僕はいつまでもいつまでも苦しみ続けるのだろう。
 僕の人生は失敗続きだった。そしてこれからは決して失敗するまいと、いつもいつも誓うのだけど、やはりいつもいつも失敗ばかり続けてきて、そして今はもう身動きができないほどになっていて、もう僕には元気が湧いて来ないようになってしまって、自殺を考えている。こんなこと考えてはいけないと解ってはいるのだけど、僕はついそう考えてしまう。それしか方法がないことを、それが一番いい方法であることを、僕は最近気付いている。
 いつからだろう。僕を救ってくれる誰か女の子が現れると、僕は思ってきた。でもそれからもうどれだけの月日が流れたことだろう。そして僕は今あきらめかけている。天使さまは僕には現れないということを、僕は最近やっと気付いてきた。僕の前には永遠の暗い闇しかないことを、僕はやっと気付いてきた。
 僕は立ち上がれない。黒い魔の手が僕を押さえていて、僕は立ち上がろう、僕は明るくなろう、元気になろうと思うのだけど、僕は立ち直れない。これからは魔の月日が続くのだろうか。もう立ち上がれない力を喪った僕には。

 僕は今朝とても白い天使さまの現れる予感を感じ取っている。小鳥の囀りが聞こえてきていて、太陽が雲仙の山裾を登り始めようとしている。
 僕にはきっと、早ければ2、3日のうちに美しい女の子が現れて、そうして落ち込みがちの僕を励ましてくれると僕は信じている。きっとその女の子は赤い服を着ていて、どこかのお嬢さんで、とっても明るくて目がまんまるくて、今苦悩に沈んでいる僕を救ってくれるとても美しい女の子だろう。そうして僕の長い孤独な年月も終わりを告げて、僕はその女の子と今度は明るい元気いっぱいの年月を送れると思える。きっと僕はそうなると思える。
 僕はこれからは淋しいウイークエンドは迎えないだろう。僕の今からのウイークエンドはいつもその女の子と一緒でクルマに乗って何処かに行ったりして遊ぶだろう。僕の暗かった人生はやっと終末を告げて、自殺寸前だった僕は自殺寸前のところでギリギリで救われて、首にロープを巻かれていた僕はその女の子にそのロープをほどかれて、僕はこれから卒業までのうまく行けば一年半の年月を明るくとても朗らかにその女の子に励まされながら送れると思うのだけど。


                           (11月8日)
 厳しい季節がやって来ようとしている。もうすぐ冬だ。そうして12月の試験がどんどん近づいてきている。
 僕はもう浜辺へ出て行かなくなった。もう僕には浜辺へ出てゆく気力も虚しいものにしか思えない。僕はもう心の余裕もそして時間的余裕もそして過去を振り返ることもできなくなりつつある。ただ厳しい現実に題目を唱えたりしながら(中学や高校時代の元気だった僕のように)必死で耐えることしか今の僕には許されていない。もうロマンチックな感傷めいた心で浜辺へ出かけてゆく気力は湧いて来なくなった。
 僕はこれから厳しい現実に感傷的になったりせずにただ歯を喰い縛って耐えてゆくしかない。そしてもう決して留年しないよう頑張ろうと思ってきている。


                          (11月11日)
 中学時代、あの元気だった僕を思い出そうとする。僕はあの頃創価学会の信仰に燃えていた。そして僕は創価学会の信仰を19歳の秋まで、20歳の誕生日を迎える直前まで一生懸命にやってきた。
 あの頃は元気だった。でも僕はこの信仰をしたために中二の頃からもう14年もノドの病気で苦しんでいる。
 でも今、僕は再び創価学会に戻ろうか、と悩んでいる。自分も幸せになりたいし不幸な人を救ってゆきたい。
 自分の心はこの冬になりかけた荒海のように揺れている。僕はもし創価学会のことを思い出せなかったなら、それに家に御本尊様がなかったら、この苦しかった一年9ヶ月近くの間に自殺していただろうし、発狂していたかもしれない。でも僕は自殺しようと思いつめた時、また発狂するように頭がもやもやとなったとき、この信心を思い出してそして今まで救われてきた。
 他の信仰ではとても元気にはなれないし、今流行している瞑想法や信念の魔術というのではなかなかうまく行かないことを知っているから。
 この信心を思い出すだけで落ち込んでいる心ももやもやとした頭も劇的にすっきりとなる。

 僕は虫か鼠が僕の首元にいる、と思って『ハッ』と起き上がったのだが枕元を撫でてみても灯をつけてみても何もいなかった。たしか僕の首の下をさっきから虫らしいものが行き来をしていたみたいなのに。
 僕はそれで最近の『創価学会に戻ろう』という決意もあやふやなものになってしまった。どうも僕がそう決意すると悪夢というか良くない夢を見るし、良くないことが起こりそうだから。
 毎日『創価学会に戻ろうかどうしようか』と思い悩む毎日だ。僕には解らない。

『あれから、あれから何年経ったでしょうね?』
『あれから、あれから、解らないわ。私、もう何年経ったのか解んないわ』
----僕らはそうして淋しく向かい合っていた。僕らには本当にもう何年経ったのか解らなかった。ただ、もう冬になろうとしている僕らの思い出の海と、そして寒い夜風に吹かれて震えている海水に濡れた星子さんの姿と、そしてもうどんなことにも興味を覚えなくなった僕とが、お互いポツンと秋の夜風に吹かれながら向かい合っていた。淋しい夜がまた暮れてゆこうとしているようだった。
 僕の哲学的煩悶は、頂点に達し、僕の頭は朦朧となり、僕は雲の上を飛んでいるようで、そして親への哀しみと挫折感で、僕は今にも死んでしまいたい。もし死ねたらいいのだけど、僕は親のために死ねない。

----さっきクルマで従弟を大波止まで送ってきたけど僕の頭は緊張し混乱し何度も事故を起こしかけた。そして今、僕の頭はとても疲れきっている。そして勉強ができない。
 僕は勉強ができない。卒業まで後どれくらい親に苦労をかけ続けるかと思うと僕はせめてもの親孝行のために創価学会に戻ろうかと考えている。でも僕のノドの病気は創価学会のお祈りのため、こうなってしまった。
 僕はいったいどうしたらいいのだろう。ただひたすら勉強し、対人緊張はこのままでももう留年しないように毎日勉強に励んでゆくべきなのだろうと僕は思う。ただこれだけしか僕にはできないのだろう。僕が親にしてやれることは。
                           (11月13日   朝)


『カメ太郎さん、宗教は、創価学会には戻らないの、カメ太郎さん、創価学会に戻らないの、創価学会に戻った元気なカメ太郎さんの姿を私もう一度見たいわ。そうして私、安心して天国へ旅立ってゆくの。もう私が必要でなくなったカメ太郎さんを見てとても安心して。でも戻ないの? カメ太郎さん。日曜日、あれだけ決意していらしたのに。カメ太郎さん。やっぱり戻るのやめたの?』
『ああ、僕はやめたよ。僕は昨日の夜なんか3時間ぐらいしか寝ずに激しく考えた。僕に夢の中でお告げをしたりする、ちょっとした現証で僕が創価学会の戻ることを妨げているのは何なのかよく考えてみた。……

                           (S63・11・7)
 ずーっと白い道が続いているようだ。僕の目の前には、ずーっと白い道が続いているようだ。
               (愛宕の丘から、長崎の町並みを眺めながら)


 白い道は何処までも続いていて、僕ら精神病者を、死ぬまで歩かせるのかもしれない。孤独で他人から馬鹿にされ、精神病者と馬鹿にされ、虐げられ、苦しみ続けて、そうしてやっと死ぬまで、その白い道は続いているのかもしれない。



                完

秋の憂鬱

秋の憂鬱

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
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