白い少女

白い少女

――お母さん。僕、廃人になって帰ってきました。――


                         カメ太郎


 沈滞した学生生活の日々に、ふと夜空を見上げると、僕の胸にはかつての激しかった日々の思い出が走り回る。絶望に沈み込んだり、はては死を思ったり、そんなことのない安穏とした学生生活にいらだちを覚え、僕は思わず窓を開け放って夜空を見上げる。そして壮烈だった日々への激しい郷愁に胸を痛く震わせる。
 あの頃、僕は中学三年生だった。10月の始め頃だった。僕はそのとき犬の散歩をしていた。夕暮れの紅い光に包まれながら犬と一緒に歩いていた。

 埋立地となるまで海水浴場として栄えていた東に雲仙岳が遥かに眺められるためにこう名づけられたのであろう東望の浜の上に二つの高奢な家が棄てられたように並んでいる。もう10年以上も人が住んでいないのであろう。壁には蔓草が生い茂り、雨戸はばらばらに破れている。噂ではかつて医者の一家が住んでいたのだがある夜血なまぐさい殺し合いがまるで嵐が襲ったように起こりいつかこの西欧風の煉瓦造りの家は捨てられその上の家もそれからまもなく不気味な夜の静けさに耐えきれなくなり狂ったように他の処に引っ越していったのだという。そしていつの間にかこの二軒の家は幽霊屋敷として人々から怖れられるようになったのだという。
 僕はそしてこの浜には朧気なまるで夢のなかで見たことを現実に起こったのだと後年錯覚しているように憶えていることがある。それは僕がたぶん幼稚園に入る直前ぐらいのことだったろう。たぶん僕が本河地からこの日見に引っ越してきてからしばらくしてのことだったと思うから。
 それはたぶん大潮で日曜日のことだったのだろう。東望の浜にたくさんの人がいて潮干狩をしているのだった。僕は親戚の叔父さんと一緒に来ていた。その叔父さんが砂のなかに腕を肩の近くまで突っ込んだと思うと手の平ほどもあるちょうど蛤みたいな美しい貝を3つほど取り出して濡れた砂の上に置いた。潮干狩でいつも取る貝の形をしていて、ちゃんとした貝の形をしていてこんな大きいのもあるんだなあ、と思ったものだ。また隣りの叔父さんは鮫の子供みたいな30cmほどの魚を砂のなかに手を突っ込んで取り出したのか(うん、たしかそのように思えたのだけども)鮫の子供みたいなかっこいい(子ども心についそう形容してしまう)魚が潮に濡れた砂の上で躰をくねらせていた。
 僕が砂のなかに手を突っ込んで取り出したのらしい鮫の子供らしい魚に見とれている間に親戚の叔父さんは蛤の親分みたいな貝を次々に取りあげて20個ほどもたまった。僕は“もう取りすぎみたいだな”とぼんやりとその叔父さんを非難と妬みの気持ちで見た。
 もはや埋められたこの浜辺の名所である幽霊屋敷はその井戸がいろいろと噂されているのであった。その井戸は屋敷の何処にあるのか知らない。たぶん下の方の屋敷の庭に蔓草が一面に円柱状に覆っているのがあるが、おそらくそれだろうと思われるけれど、その井戸は屋敷のなかにあるとか、上の屋敷にも井戸があるとか、さまざまな噂を聞いている。そしてその井戸は中を覗くとその者に呪いがかかると言われている。腐敗した血を湛えていて、その血は古いために粘っこく色も変色していて屍臭と肥溜の臭いの入り混じったようないような臭いがするそうである。
 その呪いの血の井戸が有名で僕たちは「その井戸に石を投げ込んでやるぞ」などと小学生の頃、幽霊屋敷に出かけたことがあるが、いざとなると辺りに草がぼうぼうと茂り入りにくいこともあって尻込みして一歩も中に入らずワーツと僕たちの一人が驚かす声を挙げたのを機に僕たちが追いかけっこをするように走って帰ったことがあった。
 その前に僕は不思議な少女との出会いを記して置かなければならない。それはあのことがあった日から8日前、9月26日のことだった。古い日記帳に、まるで宝石のようにその日のことが記されている。それは簡単に5行ほどに書かれているのだが、その一字一字に、少年の時の心のときめきと、蕾のような純真な動揺が表れている。それは始めて恋を知ったときのあの空虚感のようなものだ。生まれてから今までのどろどろとした毎日の積み重ねの末に、やっと花開いたような気持ちだった。突然大気のなかに投げ出されたような感じがして、なんだか空中にぷわぷわ浮いているような感じだった。
 9月の終わりのある日曜日に、僕は町で、まっ白な少女に出会った。もちろん本当にまっ白ではなかったのだけど、まっ白と形容したくなるほど肌が綺麗だった。眺めているのが眩しいほどだった。
 お化粧をしたような目もとと、赤に白みがかかってちょうど朱色に近い唇がとても印象的だった。僕はその少女と松山の競技場付近で出会った。今までにまだ何度も来たことがない長崎市の北西部に僕はなぜだか一人で出かけていたのだ。今もってなぜ僕がその日一人でそこにいたのか解らない。日記にはただ僕がその日、松山付近でその少女と出会ってその感動した気持ちを書いてあるだけだ。でも僕は今でも松山の競技場の付近でその少女と出会って、そして別れるまでのことがはっきりとした背景とともに思い出すことができる。ただ何故その日そこに行ったのか、どうしても思い出せない。
 その日は眩しいほどによく晴れた日曜日だった。僕は松山の電車通りから稲佐山方角へ歩いていた。日差しの眩しさが印象的だった。足元のアスファルトの道が、眩しい日差しに照り輝いていた。走り出したいような気持ちがなぜだかしていた。そのとき向こうからその少女が歩いてきた。まるで今までその少女と出会うために僕はここまで成長してきたのだとでもいうふうに思えた。少女は白っぽい服装をしていたように思う。向こうの橋を渡り切ったときから僕に向かって光を放っているように輝いて見えた。いや、たぶんそれには彼女の頭上のいつになく眩しい太陽が寄与したように思う。僕の視界には歩いて来る彼女の姿と、彼女が今渡り終えたばかりの橋と、そして背後に聳える活水の丘と、そして画面の上の方に太陽の光り輝く白い輪が見えていた。
 あの出会いがまっ赤な日々の始まりだった。激動のような数ヶ月がそれから始まった。それらの日々、僕は毎日激流のような陶酔に浸りつづけた。それが初恋というものだったのかどうか今でも解らない。初恋にしては乱れていた。美しい魅力的な女性ばかりが登場して、まるで夢かと思うほどだった。
 まっ白い少女が僕の傍を通り過ぎるとき、僕はまるで吸いつけられるように、たしかに首を出すようにして少女の姿を追った。そのとき少女はくるっと僕の方を微笑みながら見返した。あたかも僕にそうやって視線を返すのをさっきから心待ちにしていたかのような親しみを込めた視線だった。

 次の日、僕はさっそくその屋敷に行った。魚釣りに使うゴムボートの錨に使っているロープをバックに入れて、僕の家が飼っているゴロと一緒にそこに向かった。僕は毎日夕方、この犬を散歩させている。いつもは日暮れどきに散歩させるが、今日は学校が終わってすぐだ。3時半に学校が終わって僕はすぐ一人で帰ってきた。少女の面影が散らついていてとてもうきうきしていた。いつも一緒に帰るクラスのみんなに用事があると言って急いで帰った。だから途中で同級生のみんなと出会ってしまった。
 東望に出ると人はほとんど歩いていない。水族館の前を通り東望の埋立地の前に出ると僕はほっと緊張を緩めた。その間、もちろんその日学校でもずっとだったが、昨日の白い少女の言葉が僕の脳裏を駆けめぐっていた。
『絶対だれにも言っちゃだめ。もし他の人に知れたりしたら大変なことになるのよ。私たち一家の生死にかかわることなのよ。もし警察にでも知れたら私たち一家は崩壊してしまうのよ』
 僕は少女の言葉を太陽に照らされながら夢のように聞いた。次の日も、僕の耳には少女のその言葉が謎めいて繰り返されてきていた。また少女の躰が幻のようになって現れてくる。僕はその日も、次の日も、夢うつつだった。夢のなかから現れた宇宙人のような女の子だった。いや、あの子は本当は宇宙人だったのかもしれない。宇宙人が浦上川にやって来て、僕に謎めいた不思議な言葉を呟いた。
 たまたま僕はあの日あの川のほとりに生まれて初めて出て行っていた。生まれて初めての浦上川の川縁だった。なにの用事もないのに僕はあの日、あそこへ出かけていっていた。
 僕はその日、学校で授業を受けながらも思った。先生の声は僕には入らなかった。ただ僕は運動場の木陰を見て考え耽っていた。----僕の学校にあれだけ魅力的な少女はちょっといない。いや三年生にはいないけど一年生にはいる。眩しかった。僕はその少女のためだったら何だってする覚悟だった。
 新しくできたばかりの広い?ケを僕はゴロと一緒にゆっくりと歩いた。ロープを入れたバックが想像以上に重たい。
 幽霊屋敷の上の家に着いた。以前、たしか一年ほど前だったが、友だち数人とこの屋敷の下の庭をうろうろしたことがある。雑草が繁っていて蛇が出てきそうだ。雑草の高さは1mぐらいもある。僕はゴロを先頭にこの庭を進んで行った。一年余りまったく使っていないといっても、ðニのなかはとても綺麗だ。部屋の造りは外見と同じように西洋風でとても豪華だ。
 やっと井戸があった。それは雑草に囲まれていて発見するのにとても苦労した。地面から80cmほどの高さの井戸だ。蔓や草に覆われている。これが少女が言っていた井戸だろう。
 井戸には蓋がしてあって、その蓋にも草が生えている。これでは近くから良く見ないことには何なのか全然解らない。僕はただ土を盛ってあるだけだろうと思っていた。土を盛ったようになだらかな形をしているのだから。蓋は木でできている。その上に腐食した草が積もっていてそこに小さな雑草が生えている。
 その草を除けるのはひと苦労だった。蓋の周囲の土や草を除けて思いきり持ち上げた。持ち上げるときゴロが喧しく吠えた。人にあまり知られるとまずいのでゴロに静かにするように叱った。幸い人は誰一人として近くを歩いていない。人家がまったくない処だから人は滅多に通らない。
 蓋を除けて懐中電灯でなかを照らすとそこに水が貯ってるらしく光を反射している。井戸の端から落ちた泥がぽちゃんと音をたてた。中はかなり深いらしい。
 ずっと見ていると、なにか吸い込まれそうな気がしてくる。久しぶりに(たぶん2年ぶりかに)蓋を開けたためか、この井戸は大きく呼吸をしているようだ。その呼吸の音が、微かに感じられる。井戸の下の空洞に、久しぶりに新しい空気が入ったとでもいうようだ。

 ゴロが井戸のなかに落ちた。誤って落ちたのではない。自分から飛び込んだような落ち方だった。まるで井戸のなかに何かがいて、それを追いかけるようにして飛び込んだみたいだ。ゴロが水に落ちた音が長い響きを伴って聞こえた。こんな音響であることは、やっぱりこれは普通の井戸ではない。少女が言ってたように中が広い空洞になっていなければこんな音はしないはずだ。ゴロが水を泳いでいる音がする。そして陸地に上がったのか躰についた水を弾き落とそうと身震いをする音が聞こえる。身震いののち、ゴロは僕に吠えた。それはせっぱつまった吠え方ではなかった。余裕をもったいつもの吠え方だ。少しちがうところと言えばなにかを発見した意味が込められている吠え方だ。やっぱりなにかがあるのだ。少女が行ったように、なにかとんでもない秘密があるらしい。
 僕は持ってきたロープを5mほど離れた処に立っている桜の木に結び付けて井戸を降り始めた。井戸の壁は苔蒸してぬるぬるしていた。この壁に蛇やムカデがいるんじゃないかと思い怖かった。僕が降りてるとき、ゴロは安心したようにくんくんと鼻を鳴らしていた。
 深さは8mぐらいだったろう。8mほど壁を降りるとそこは空洞だった。さらに2mほど降りると水面があった。水に浸かったとき水の冷たさにひやっとした。懐中電灯で照らすがほとんど何も解らない。10mぐらい先に壁らしいのが照らし出されるだけだ。僕の声とゴロの声がこんなに大きく反響することからもこの空洞はとてつもなく大きいことが解る。まっ暗ななかにゴロの目が光っていた。その方向に懐中電灯を向けると闇の中にゴロの姿がぱっくりと浮かんだ。僕は冷たさに耐えながら、懐中電灯を片手にかざして立ち泳ぎのようにして泳いだ。脚は全然つかない。かなり水深は深いようだ。
 ほどなくして陸地に着いた。そのときまっ暗で解らないので脚先を怪我した。中指や薬指のところがとても痛かった。しかし急いで陸に上がった。
 僕は駆け寄ってきたゴロを抱いて懐中電灯で周囲を照らした。まるでテレビでみる鍾乳洞のようだ。長崎にしかも自分の住んでいるところの近くにこんなものがあるとは思わなかった。たぶんコウモリだろうと思う鳴き声が聞こえる。それはこの洞窟の中を飛び回っている鳥が発している声だ。コウモリが少なくとも3羽飛び回っている。ゴロは不安げに僕に寄り添って鼻をくんくん鳴らしている。
 斜め上にぽっかりとまるでお月さまのように井戸の入口が光っている。空洞の中は涼しい。空気がとても澄んでいるように感じる。井戸の入口から空気が音をたてて出ていっているようだ。僕とゴロは口をぽかんと開けてその光る入口を見つめた。たしかに音がしている。僕たちを包むまっ黒な闇から圧迫されたような空気が僕たちを吹き抜けてその入口へと向かう。僕たちの背後の闇から雪女のようなものが出てきて僕たちを脅かすように思えた。
 水滴の落ちる音が背後の闇から聞こえる。僕とゴロは一緒に後ろを振り向いた。人の気配がした。少女の言うことによるとこの洞窟に何かがあるのだ。何かが微かに動いた。
 僕とゴロは今度は闇を見つめた。ゴロは全然吠えずに黙っている。ゴロも何かに怯えている。
 僕は僅かに闇に向かって歩いた。たしかに何かがいる。何かが僕たちを見つめている。それは僕たちに危害を加えるつもりはないらしい。たしかに向こうの方が怯えている。後ずさりしている様子が分かる。
 僕は『オーイ!』と呼びかけた。その声は何回も鼓玉して僕の耳に帰ってきた。闇の中に見えた。闇に慣れてきた僕の目に人の姿が見えた。ゴロはまったく声もたてずじっとしている。
 何かが匂ってきたと思うと躰が思うように動かないのを感じ取った。ちゃんと地面に立っているんだけど、金縛りにあったように躰が動こうとしない。恐怖のために身がすくんだのではない。手足が麻酔にかけられたように動かない。
 ゴロを見るとゴロは躰が痙攣したようになって今にも倒れようとしていた。さっき何か細かい粉末のようなものを吸ったような気がする。それが効いているのだろう。しかし意識ははっきりしている。すると闇の中から一人の女性が、たしかに女性だ、うつくしい女性だ、がゆっくりと歩み寄ってきた。僕は放心したようになって倒れようとした。すると女が僕を受け止めゆっくりと地面に寝かせた。その後ゴロに何か注射をした。僕は恐怖のためではない。その麻酔薬のため顎ががくがく震えていた。女は僕を抱いて――柔らかく抱いて――ベットに運んだ。蝋燭が灯されて、それはたしかにベットだった。頑丈な造りの豪華なベットだ。女には少し異様な臭いがした。その臭いはいったい何だったのだろう。苔のような臭いとでも言おうか、そんな臭いが微かにした。コウモリが泣きながら飛んでいるのが見えた。
『坊や。何しにきたの? 誰だろうと思ってとてもびっくりしたわ。そしたら坊やだったのでとても安心したわ』
 女性は20代の後半ぐらいに見えた。しかし何故こんなところに女性がいるのだろう。
『淋しかった。とても淋しかったわ。三月、三月も私は一人っきりだったのよ。一人っきりでこの洞窟の中に閉じ込められていたのよ』
 僕は悟った。この女が三ヶ月この洞窟に閉じ込められていたことを。昨日の白い少女が言っていたことはこのことだったのだ。僕は少女への恋を忘れていった。
 僕は白い少女のことを完全に忘れ去り黒い洞窟のなかを幻を見るように見遣っていた。
 僕は彼女に言われたとおりに地上に出て屋敷に入った。彼女の言っていたとおり玄関の靴箱に大きなバールがあった。そのあと応接室だった部屋へ入り、そこの分厚いカーペットを剥いでいった。するとその下に地下室への入口があった。それは木でできていて軽く開いた。懐中電灯で照らすと中は案外綺麗だ。がらんとしたコンクリートの壁の地下室には油絵のキャンパスや箪笥みたいなのがいくらかあるだけだった。降りてゆくと蜘蛛の巣が顔にひっかっかった。僕はワッと言ってそれを顔から剥ぎ取った。長いこと空気の入れ替えがしてないらしく地下室の空気はどんよりとしていた。僕はこんな部屋に入ったのは初めてだった。静かで完全に外界から遮断されたところだった。僕はやっと白い衣裳箪笥を懐中電灯で照らし出した。
 彼女が言っていた辺りにタンスぐらいの大きさの古びた金庫みたいなのが倒れていた。その下はたしかに扉になっているらしくそこのところだけ鉄になっていた。その金庫みたいなのをそこから除けようとしたが重くて彼女が言っていた辺りに洞窟への入口があった。そこの入口は鉄製でできていて大きな鍵がかかっていた。僕は1m以上もあるバールを使ってその鍵をこじ開けた。
 スライド式の重い扉を開けるとそこには階段があり女の人とゴロが待ち受けていたように登ってきた。ゴロは僕にじゃれついてきた。女の人は喜びのあまり膝をついて泣いていた。

 僕はいつか何処かでこの白い少女と出会ったような気がしていたが、やはり彼女とは僕が中学二年の頃、すぐ近くの松山のテニスコートで出会っていたのだった。そのときはもちろん何も会話もせず、ただなんとなくお互い通りすぎただけだったが、僕の視界の端に白い斑点めいた異星人のような映像が刻まれたことを憶えている。

  

 手記はここで終わっている。少年は死んだのだ。何かの呪いによって呪われ死んだのだ。

 

        完

白い少女

白い少女

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
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