思い出の浜辺

思い出の浜辺

                   カメ太郎



 もう夏になりかけた朝の浜辺を僕はさくさくと歩いていた。何故僕はいつもいつもこうついてないんだろう、何故僕はいつもこう、と思い悩みつつ死ぬことを思いつつ歩いていた。死にたかった。誰か一緒に死んでくれる女の子がいれば僕はすぐにでも死ぬだろう。たとえばアルバイト先の通院の女性患者の誰かと。たとえば昨日あの子が口走っていたように。
 僕は孤独だった。顔がひきつる奇妙な対人恐怖症的な病気を持っていた。だから僕は家庭教師のアルバイトをできない。2学期からは昼のアルバイトをできない僕は2学期からどうやって生きてゆこう。そして僕は誰かお金持ちのお嬢さんと結婚することばかりを考えていた。
 そうしたら僕は救われる。そうしたら僕は〇〇〇系の病院の奨学金を貰わずにすみ、僕が前々から目指していた吃りの研究などをできる。まったく僕には向いていないプライマリーケアの医療なんてしないですむ、と考えていた。また、もしかしたらアフリカの難民キャンプで働くことができるようになる、とも考えていた。

 いま僕が踏みしめているこの浜辺は、少年時代から僕を、傷つき安い僕の心を慰めてくれていた思い出の、少年時代からの浜辺だ。
 潮の香りがぷーんとしてきて、傷つき果てた僕の心を慰めてくれる。この懐かしい少年時代からのこの浜辺の香りはいつもいつも心が危機に陥っていた僕の心を慰めてくれていた。落ち込み果てたときの僕の心を、追い込まれたときの僕の心を、いつもいつも救ってくれていた思い出の懐かしい浜辺だ。
 

 僕はこれから暗い想念は捨て明るい想念ばかりをもって生きてゆこう、と決心していた。今日のこの浜辺は僕の人生の再出発の——再生の浜辺だ。暗い暗い想念ばかりもってきたために(今度留年したら死のう、今度留年したら死のう、)と言う暗い想念ばかり持ってきた故に12月に呪われたような留年の仕方をしてしまったのだった。もう暗い想念は捨て(暗い想念は悪魔を呼ぶから)明るい想念をもって生きてゆこう、と決意していた。
 
 今日のこの浜辺は明るく、そう決意した僕の心のなかを象徴するような海だ。青く青く輝く海は眩しく、僕のこれからの再出発の人生の門出のような気もしていた。


 でも僕の心はころころ変わり、暗くなったり明るくなったり、梅雨どきのこの浜辺のようだ。明るい日の次は暗い日の海辺だったり、この浜辺は本当に僕の心のようだ。
 僕は浜辺を明るく歩いたり暗く歩いたり、僕の心は本当に時計のふりこのようだ。


 やはり僕の心は急に変わり(この浜辺が急に暗くなってきたように)さっき再生の決意を抱いたことももう消え果てて、僕は裏の森をじっと見ていた。首吊り自殺をしよう、と考えていた。でも今日は首吊り自殺にとても便利な柔道の帯は持ってきてなかった。

 僕は辺りに何か首吊りに便利な紐が落ちてないかな、と必死に捜していた。でも僕の目に映るのは濡れた石ころや漂流した木の枝ばかりだった。

 お母さん、お父さん、ごめんなさい、と僕は心のなかで泣いていた。僕は心のなかで激しく泣いていた。

 僕は心のなかで激しい罪悪感と戦っていた。僕はロープのようなものを捜しながら浜辺を歩いていた。でもどうせ落ちてないと思っていた。僕の胸のなかはそして激しく燃えていた。
 炎のなかを激しく燃えていた。僕は燃えるように歩いていた。燃え上がってこのまま消えてしまいたかった。
 
 砂のなかにも埋もれてしまいたかった。このまま僕は消えてゆき、大空のなかにも溶けてゆきたいと思った。

 このまま僕は青い空のなかに、少年時代の思い出を胸にして消えてゆきたい
 苦しみから逃れ、消えてゆこう
 

 僕はそうしてさくさくと浜辺を歩き続けた。
 すると涙のような雨が降ってきた。父と母の涙のような雨だった。ああ僕は死ぬのだろうかと思って悲しくて悲しくてたまらなくなってきた。
 朝、ここに着たばかりのときはまだ夜明けで今日は雨が降るとは思ってなかったのに——今日は晴れるとばかり思っていたのに——と思って僕は悲しくてたまらなくなってきた。でも死ぬための帯は見つからなくて僕はうずくまって砂を見ていた。小さな小さな砂のひとかけらが僕のようだった。
 
 今朝、明るいとばかり思っていた空は僕の幻覚だったのだろうか。空は青く、しかし暗く澱んでいた。なぜこんなに澱んでいるのだろうかと僕はとても不安だった。
 頬に手をあて何かの恐怖と戦っている自分の姿が見えるようだった。僕を押さえつけるあてのない恐怖。不思議な恐怖。波の音とともに僕の心を揺るがす恐怖。
 僕は海のなかに魚となってこのまま






6月30日

 僕は今日も朝4時ごろ目が醒めてそしてそれから眠れずぼんやりした頭のままこの浜辺にやってきた。今日は風が強く今にも雨が降り出しそうな天気だ。でも僕は昨日買ったヘルメットで元気にアルバイトに出ていこうと思っている。
 今のアルバイトは本当に楽で、でも一日3200円にしかならない。でもほかのアルバイトは昼食が付かずに一日4000円ということを考えると今のアルバイトをずっと続けていった方が良いみたいだ。
 僕は昨日、本気で大学をやめて警察になろうと考えた。またはやっぱり医者になってそして難民キャンプで働くか。それとも大脳生理学の研究をするか。大脳生理学の研究で本当に人類のために役にたつことができるのか、などと考えた。僕は昨日そういう自分の生きる道を考えてとても悩んだ。
 何になるのが世のため人のためになるのか、とてもとても悩んだ。自殺しか残されていないんだという絶望の思いに駆られたこともあった。臨床医の道に進んでも名医にならないことには人を救えない。今の精神科の医者で人を救えるのは十人に一人ぐらいいるだろうか。とても名医にならないことには人を救えないと思う。
でも僕は自分がこれだけ苦しんできたから名医になれる可能性はないこともないとも思っている。
 
 僕はでも高校3年生の終わりごろ、人のいる所でものすごく緊張して頭が働かないという病気に罹らなければ現役で九大医学部に合格できていて、そして僕の青春時代は今とはまったく違ったものになっていたのにと思って悔しさに耐えきれなくなるときもある。僕はあのとき創価学会の信心をそのまま真面目にしていて2月13日に上小島の祈祷師のところに喉の病気を治してもらいに行かなかったら、そうしたら僕は現役で九大医学部に合格できていて僕の青春は違ったものに、輝いていたものになっていたのだろうに、と思うと悔しくてならない。

 ちょっと降ってきた雨も僕が膝の間に顔を埋めて、自分の将来のこと、自分の未来のこと、そして自分に生きる価値があるのかどうかということ、などを考えているうちにいつかやみ、今は周囲はすっかり明るくなっている。僕はこのままこの浜辺に座り続けたい。今日一日じゅうでも座り続けたいと思っている。
 ここに座り続けると僕は変身して蟹になり、すたすたとこの浜辺を横歩きに歩いていって、そして砂の間の穴のなかに入っていって、そして消えてゆきたい。穴のなかは暗く、とても孤独なところとは思うけど。でも僕はそれでもかまわない。そこがどんなに寂しく暗いところであっても。
 
 僕は蟹になりたい
 そして消えてゆきたい
 僕は蟹になりたい
 敗北者だっていい
 もう学校をやめたっていい
 僕は蟹になりたい



僕の心はカモメのように
 僕の心はカモメのように飛んでゆきたい
 不安や心配でもみくちゃになった僕の心は浜辺から蜃気楼のように消えてゆきたい
もう将来への不安や心配から逃れていってしまいたい
そして暢気になりたい
 毎日を暢気にのほほんと過ごせる自分になりたい
でも僕の毎日はとても厳しく僕の宿命はとても厳しくて
 僕は幸せになれない



僕はやはり警察官になろうかと思う。その方が僕には合っているような気がする。それに早く親から経済的に独立して罪悪感から逃れたい。
 僕は早く親から経済的に独立して心にゆとりを持ちたい。また僕は生きがいを見い出したい。
僕は自分の生きる道が分からない。僕は自分の生きる価値や目的などが分からない。僕の頭は混沌としている。何が僕の生きる目的、生きる道なのか、僕はとても迷っている。






7月1日

 右翼に走るべきか、左翼に走るべきか、僕はとても悩み、僕はなぜか底冷えを感じるこの朝、やはり落ち込み果ててこの浜辺にやってきた。まだ5時30分だった。
 僕はもう今のアルバイトはやめて自衛隊か警察官にでもなろうかと考えてもいる。
 僕を感傷的にするこの波の音。いつもいつも僕を慰めてくれたこの浜辺の香り。僕は警察官になって再生しようかと考えている。
 僕の対人緊張はもう治らないだろう。僕はあとたぶん一年はまた留年するだろう。それならいっそ大学をやめて警察官になった方がいいように思う。
でも僕はやはり暗い大学の研究室でモルモットや顕微鏡を相手に一日一日を送る方が向いていると思う。警察官も喋るのが苦手なこんな僕ではとても苦しいと思う。
僕は医者失格のような気がする。


 僕の体が粉々に砕け散り、この浜辺に雪のように舞い降りて、そして消えてゆければ。
 雪になった僕の体は、そうしてこの浜辺に舞い降りて溶けてゆく。
 中学・高校時代の僕のままで――
 元気だったあの頃の――純粋だったあの頃の――僕のままで――


そろそろ僕も行き詰まってきたような気がする。ここのアルバイトをやめて僕は完全に孤独になり、そして自衛隊に入隊するまでの空白のときに僕は発狂するような気がする。
 僕は今朝早くこの病院に来て、2階の面接室でこれを書いている。浜辺にいてなんだかとてもいたたまれないというか――一人ぼっちの浜辺で僕は体が震えてくるようなとても不安な思いに駆られてしまった。だから逃げるようにして今朝はペロポネソスの浜辺を7時頃後にした。
 でも僕があの浜辺であんなに不安になるなんて――。僕は死ぬことは考えなくなったけど、そのために僕に憑いている悪霊が僕をあんなにも不安にさせたのだろうか、と思う。
 自衛隊に一年いてお金を貯めて復学しようかとバイクの上で思って、そして今それが一番だろうかと思っている。
 今日はでも朝早く来たからバイクの上からたくさんの高校生を見た。今の僕に高校の頃のような元気が戻ってくればいいのに――元気になりたい――とつくづく思っている。
 僕も元気になりたい。以前の元気だった僕に戻りたい。中学・高校の頃の元気だった僕に。






  7月2日  土曜日
        今にも雨が降りそうな天気

今日はバイクで来ようかクルマで来ようかとても迷ったけど結局クルマで来た。3年も留年している親不孝な僕がこんなクルマに乗っていていいのかととても罪悪感に打ちひしがれているけど。
 僕は昨日からとても心が迷っていた。よく題目を唱えた。創価学会に戻ろう、とも思った。でも僕は瞑想法の方が良いみたいな気がして――
 それで昨夜、瞑想法の本を一気に読み返し、瞑想法をしよう、ととても努力したけどなかなかうまくいかなくて――
 そしてまた希死念慮が猛然と湧いてきて――






       家にて  夜 7月2日

 僕は今日も本気で自殺を考えた。僕は今日、本当に頭が狂ってしまうほど朝から頭が混乱していた。僕は親への罪悪感がものすごく強く、本当にその罪悪感は僕を自殺へと駆り立ててしまう。
僕が死ねば父や母は悲しむ。そのことを思うと―― でも――
 毎日酒をたくさん飲んでいるからだろうか。今日は朝から頭がとても重い。そして憂欝状態がひどくて——






       7月3日

 僕はこの手紙を家から書いている。なぜかもう浜辺へ出かけてゆく気になれなくて——
 僕の憂欝状態はひどく今日か明日にでも自殺してしまうかもしれない。また、大学を休学するかやめるかして自衛隊に一年ぐらい入隊するか警察官になるか—— それとも創価学会に戻るか——
 創価学会に戻れば元気になるだろう。そうして星子さんが生きていた頃の中学時代などを思いだしてしまうと思う。でも——
 あの頃の僕は、中学時代の元気だった僕は、でも中二の始め頃から喉の病気に悩まされていた。いやあれは中一の一月頃からだろう。僕が市の中等部の総会の司会をすることになってそれから毎日勤行・唱題を欠かさずにやるようになってからだろう。
 あのとき、司会のときも喉がおかしくて小さなかすれた声しか出なかった。

 それから僕は喉の病気のため大変苦しんだ。
 僕の青春時代は喉の病気のために黒く塗りつぶされてきたのかもしれない。
 でも僕は吃りなど喋り方もおかしかった。

 僕は死ぬしかないんだ、とも思えてくる。でも創価学会に戻ったらたしかに元気になれそうだ。
 でも僕は創価学会を呪ってきた。この5年ぐらい僕は創価学会を呪ってきた。

 自分のようなのは死ぬしかないんだ、自分のようなのには生きる資格がないんだ。

 僕は小さい頃からずっと極限状態で生きてきた。いや、大学に入ってから5年間ぐらいは比較的楽だった。喉の病気や吃りなどで悩むことも少なかった。
 でも一年半前から僕を襲っている憂欝感はとても強くそしていま僕は極限状態に立たされている。

 あと4日後に試験があるのに勉強にも手が付かないでいる。






  7月4日

 僕は窓辺にもたれて佇んでいた。土曜日あたりからだろうか。僕はたらない憂欝に襲われていた。僕は浜辺に出てゆく気力だけでなく、手記を書く気力もなくしていた。一日のうち何度も襲ってくる絶望感。そして希死念慮。また留年するのではないかという不安。少年のころ描いていた夢が次々と崩れ果ててゆく悲しみ。窓辺に佇む僕の心はそんなことでこの頃ずっと支配されてきていた。
 自信に道溢れていた日々は去っていた。創価学会をやめるまでの日々が僕の日々が道溢れていたように思えて僕はこの頃創価学会に戻ることをよく考えるようになっていた。懐かしい創価学会。20歳のときやめるまでは毎日毎日ぎりぎりのなかで生きてきた。苦しみのなかで生きてきた。でも僕は負けなかった。創価学会が僕の生きる支えだった。学校から泣いて帰り御本尊様の前に座って題目や勤行を気が晴れるまで2時間も3時間もあげていたことがよくあった。いや僕は中学のころ、高校のころ、浪人のころも、そして大学に入ってからの半年間もずっと毎日2、3時間は題目や勤行をしてきた。浪人のころはそれが一日4時間近くになっていた。大学に入ってからも3時間だった。中学・高校のころも3時間近くずっとしてきた。中二のころそれで一日の睡眠時間は5時間を切ろうとしていた。そんな日々が一年ぐらい続いたとき気が付いてみたら大きな声が出なくなっていた。それに吃りもものすごくひどくなっていた。
 でもあの頃は楽しかったし充実していた。毎日が極限の日々の連続だった。でもだから充実していたのかもしれない。
あの頃の充実した日々。浪人のころ予備校の用務員をしていた創価学会のおじさんに夜の11時半ごろ泣きながら指導を求めていったことがあった。中一に冬のときになったのか、中二の厳しい日々のなかでなったのか分からなかった。でもそのために僕は恋もできなかった。喉の病気への悔しさに僕は高3の9月ごろからものすごくとらわれていた。この喉の病気に罹らなかったら僕は恋もできていたのにと思って悔しくてならなかった。
『僕には中3のころから好きな2つ歳下の女の子がいた。でも僕は喋れなかった。でも喋れなかったのがかえって良かったのかもしれない。』


 僕はいま厳しい毎日を送っている。創価学会に戻って元気になろうか、という気も少しはある。また本当に大学をやめて警察官になることも。
 一年間ぐらい自衛隊に入ることも。また少なくとも今のアルバイト先はやめることも。
 まだ梅雨なのに日は燦々と照りつけ、部屋はどんどん暑くなってきているらしい。今日も今からアルバイト先へ行こうと思っている。そして明後日午後一時半から試験がある。
 今のアルバイト先にももう半年勤めて新鮮さがなくなってきたというか、もっと給料のいいところでアルバイトをしようと思っている。
 明後日試験なのに昨日もあまり勉強をしなかった。僕はお酒のために頭をやられており、そして昨夜飲み過ぎた睡眠薬のためだろうか。僕は暢気に窓辺にもたれて輝き続ける朝の海を見つめている。
 アルバイト先へ出かけて行っても僕はこの2、3日落込み果てていて、夕方にならないと元気が出てこない。そして夕方5時になるとすぐに帰って家で試験勉強をし始めている。でも昨日はテレビのアンテナ線を付けていたけれども。

 この2、3日の頭の重さは酒の飲み過ぎからだろうか。睡眠薬の飲み過ぎからだろうか。そして僕を常に襲ってくる焦燥感と不安から解放されようと薬を飲み過ぎているからだろうか。

 ここ2、3日僕を襲っていた重苦しい憂欝感は本物の死神の憑渭を受けていたからだろうか。だから頭がとても重かったらしい。でも今朝こうやって眩しく輝く海を窓辺から眺めているとその頭の重さが知らないうちに嘘のように退いてしまったのは不思議だ。






  7月6日

 今日は寝坊してどうしても浜辺へ出かけてゆく時間がない。でも僕の魂は飛んでいた。3時から7時まで夢にうなされつつ僕の魂は思い出の浜辺へ飛んでいた。苦しい苦しい夜だった。眠っているのか眠っていないのか分からない苦しい夜だった。

 僕はもう身も心も疲れ果てているのだろうか。今夜、3時から7時までずっと夢のなかで唸され続けてきた。ほとんど起きてたような感じだった。でも眠ったかどうか分からない。

 魔のような夜だった。僕は起きていたようなのに眠っていたと思う。7日は試験なので勉強しなければいけないのに僕は4時間も半覚醒状態のまま横たわり続けていた。
 僕の魂は飛んでいた。僕は3時から7時まで夢に唸されつつ布団の上に横たわりながら僕の魂は思い出の浜辺へと飛んでいた。僕らの元気だった10年前の浜辺だった。ハイセイコーがいたし車椅子の星子さんもいた。それに中学時代の魔だ元気だった僕もいた。だから僕は布団の上でうんうんと唸っていたけど、僕は幸せだった。僕は苦しみながらも幸せだった。まるで僕の少年時代そのままのようだった。そして7時に目を覚ますとそこにはあまり苦しいことはないけれど何事にも喜びを感じきれない死神にとりつかれた自殺直前の僕が布団の上に汗をびっしょりとかいて横たわっていた。






7月8日

 僕はこの頃とても頭が重いけど、昨日は酒を飲まなかったのにとても頭が重かったから酒が原因でないのだろうと思う。
 それはどうでもいいとして僕は炭坑夫にでもなりたい。そこなら一日一万円以上稼げるし、それに死ねるかもしれない。
 みんなが怖がるとても危ない仕事が今の僕にはあっていると思う。
僕は死ぬのが怖くない。死んだ方が楽な感じだ。

 昨日、250ccのバイクが壊れた。今日動くだろうか。そのことを考えて僕はいま落ち込んでいる。さっき、カミソリで手首を切って死のうと思ったぐらいだ。

僕って何だろう。いつもいつも失敗ばかりして、三度ももう留年していて、ときどき本気で自殺のこと
を考えたりしてしまう。〇〇や警察やいろんなところへ頭を突っ込んで、どちらからもスパイだと睨まれていて、そしてこの一週間はとても頭が重くて、今にも発狂しそうだ。
 僕って何だろう。
 今日バイクは一気筒になったり二気筒になったりしていた。昨日薬を飲み過ぎていて帰りがけ畑のなかに倒れ込んでからこうなったのだろう。たぶんキャブだと思う。


 今月末、熊本の〇〇〇の研修に参加して、そして奨学金を貰えるようになれば、僕のすべての悩みは解消するだろう。でも貰えなかったらどうしよう。そうしたら僕はどうしたらいいのだろうか。親のすねをかじり続け、暗くいつも目はどんよりと曇っている。大学を卒業するまで耐えてゆくか。ああ、もしも恋人が現れたなら僕は元気になるだろう。白い妖精のような恋人が現れて僕を救ってくれる——そんな幻想ともつかないものが僕を支配している。白い妖精のような恋人が現れたなら僕の苦悩はすべてなくなると思う。そうしたら僕はすべて救われると思う。


 僕は荒れ狂う海。そこでアルバイトをしようとも思っている。海は小さい頃から僕を救ってくれていた友達だった。
 そしてお金をたくさん貯めてもう〇〇〇の奨学金のことを考えないでいいようになるだろう。そして僕は心に余裕をもって毎日を送れるようになるだろう。






7月9日

 昨日250のバイクのキャブを400のキャブと交換したらスーパーバイクになった。もう400のバイクを買う必要なんてないくらいものすごい加速をするようになった。でもアイドリングがライトを付けると途端にエンストしそうになるので止まっているときには空吹かしをしていなければいけないけど。
 僕のバイクはスーパーバイクになったから、僕の心はいつになく明るい。昨日梅雨明け宣言もされたし、そして僕はこの夏、スーパーバイクで明るい青春時代の思い出を作ろう。誰か女の子を見つけて、そして二人でツーリングに行って。


僕は昨夜、2回も酒を飲んだ。午後10時ぐらいと午後3時ぐらいに。
 僕の心は寂しさでいっぱいで、酒を飲まないと家ではゆっくりとできない。酒だけが僕を慰めてくれる友達みたいだ。
 僕はこの日曜日、何をしようかとても迷っている。自殺でもするか、でも親のことを考えるとできない。
 塾の講師のアルバイトでもしようとも思う。梶井基次郎の『れもん』をすべて暗唱して生徒たちを驚かせてやろうかなとも思う。それに僕の心の支えになってくれる女の子が現れるかもしれない。
7月の終わりの民医連の研修まであと20日もある。僕はこの20日間の焦燥をどう切り抜けていこうかと悩んでいる。奨学生に採用されなかったら——と考えてしまう。
 奨学金を断わられたらそうしたら僕は学校をやめて警察にでもなろうと思う。
 いま、朝の7時だ。僕は今日、塾の講師の面接にでも行こうかと考えている。


 僕はやはり哀しく寂しい日曜日を迎えようとしているみたいだ。もう1時間もここにこうやってうずくまりつづけている。僕は動くことができなく悲嘆にくれながら自分の生きる道や価値を必死に見い出そうとしている。
 僕はこのまま潮風に吹かれながら石になってゆくのだろうか。立岩のあの顔の形をした岩のように僕はなるのかもしれない。


 もうあれから10年が経つ。僕を慕っていたあの子が亡くなってから——。
 そして僕らが文通していた頃はもう10年以上も前のことになる。僕はもう消え果ててしまいたい。誰もいない静かな浜辺で、そうして何千年も何万年も暮らしたい。僕は消えてゆきたい。もう苦しいことのないところへと、この浜辺から。


 ああ、僕の体は飛んでゆく。広い広いまっ暗な宇宙のなかを僕の体は飛んでゆく。
 そして僕ははっと気がついた。僕はこの広い宇宙のなかのほんの一つのちっちゃな星の一粒ぐらいのちっちゃなちっちゃな存在なのになぜ悩んでいたのだろうと。
 僕の体は宇宙のように大きくなり、やがて永遠の眠りについて、今までの悩んできたこと苦しんできたことが嘘のように思えてきた。なぜ今まであんなに苦しんだり悩んだりしてきたのだろうとも——。
僕は大きな大きな宇宙のほんの一粒の星の上に生きているほんの小さな存在なのに、なぜ今まであんなに苦しんできたのだろうと。






7月11日

 今日は霧が出ている。昨日は一日中家にいてやはり自殺寸前まで落ち込んだ。そして創価学会に戻ろうか激しく迷った。
 あの子と文通していた頃の元気だった自分に戻れるような気がして——。でも僕は五座三座の勤行の必要性に疑問を感じるし——。
 僕は昨夜、何時間瞑想法を行ったろう。そして今の僕の傍らには天使さまがついている。とってもとっても綺麗な——あの子よりも綺麗な——あの子にしようかとも思ったけど霊界からあの子を呼び出すのはあの子が可愛そうな気がして——
 その天使さまはときどき僕にそっと囁いてくれる。そしてよく元気を出すように励ましてくれる。
 明るく感謝の念を持って愛と勇気にいっぱいになって毎日を送らなくてはと励まして下さる。

 僕は明るくならなくてはいけない。そして勇気を持って毎日を生きなくてはいけない。そして人々のためになるように生きなくては——。
 弱気になってはいけない——僕はこれから変わるんだ。明るい自分になるんだ。


 ちっぽけな——ちっぽけな僕の存在が——人を救える道って——
 力のない——頼りがいのない——僕が人を救える道って——
 何処にあるのだろう。
 僕はどのように生きてゆくのが一番いいのだろう。


 僕も立派になりたい。人を救えるような、人に迷惑をかけない、立派な人間になりたい。明るい人間になりたい。喋り方も少しもおかしくなく、声もちゃんと出る、そして顔がこわばったり緊張したりしない人間になりたい。
 そして親を安心させ、周囲の人たちを幸せにさせ、僕は生きていって、そして死んでゆこう。


 何もかも打ち捨てて、僕は霊界への白い階段を歩いてゆきたい。ハイセイコーや星子さんの待つ霊界へと——
 とても長い階段だそうだけど——


 そして僕は小石を掴んで白く波一つない海面へと投げた。まるで湖のような海面だった。空は曇り、僕は山の上のある寂しい湖畔に一人佇んでいるかのようだった。






7月14日

 僕の不安はこの青い水面のようだ。将来への不安と少年の頃描いていた希望が次々と崩れ去っていったこと。暗い大学生活。暗いだけでなく長い長い大学生活。
 昨日エアコンが壊れた。そのこともあって今落ち込んでいる。それに自分の進道というか——〇〇〇の奨学金はまた断わられそうで——
 希望が—— 僕はもっと楽観的に毎日を過ごしていったらいいのかもしれない。
 少年の頃のような元気な僕にはいったいどうやったら戻れるのだろうか。

 僕は今初めて気付いたようだ。この浜辺の風景は少しも変わってない。十数年前と少しも変わっていない。
 でも何かが変わっている。それは僕の心だろうか。それともあの子の魂がこの浜辺から去っていったのだろうか。

 〇〇〇か創価学会か僕の心は大きく揺れ動いている。しかし僕には瞑想法でもしていた方がいいような気がする。

 本当に天使さまが現れないことには僕はこのままどうかなってしまいðサうだ。自分自身を反省してみると自分はいつも人を避けて一人ぼっちだった。一人が好きというかそれとも

 僕の心の不安は大きく揺れている。青い海面のように大きく揺れている。
 僕の心にさざなみが立って、僕は身を固くしてその不安に耐えている。
 でも僕は耐えられなくて、今にも発狂しようとしている。
 頬を押さえて今にも叫び出したく思っている。






7月15日

 昨夜ほど悪魔から翻弄された夜もなかった。悪夢をたくさんたくさん見た。いつものように酒に酔って11時ごろ寝たあと2時23分だっただろう——目が醒めた。もう文学なんか捨ててビデオでも見ようかな、と思った。また少し小便もしたかった。でも僕はクーラーを入れっぱなしにしていても暑くて寝苦しい夜、起きずに再びまた眠り始めたらしい。そしてそれから7時まで僕は悪魔と戦い続けることになった。
 なぜ起きなかったのだろう、と僕はとても後悔している。朝7時ごろ、南無妙法蓮華経と唱えつつ僕はやっと起き上がった。しかし謗法を重ね続けているからだろうか、数ヶ月程までのようには題目の効果も少なく、気は晴れず頭はもやもやとしているばかりで元気は出て来なく僕は憂欝な心のまま起き上がった。
 もう浜辺へ出てゆく時間の余裕も心のゆとりもなかった。もう民医連に入ることはやめて真光か創価学会で突っ走ろう、“手のひら療法の科学”とか“気の科学”の研究をやろう。それが人のために一番なるんだ、と思った。


 僕の心ははばたいて——苦しい苦しい毎日から逃れて——気楽な天国へと早く行きたい。
 僕の頭は毎晩の深酒のために蝕まれて記憶力が極度に悪化してしまっている。卒業すること——国家試験に合格すること——僕はあまり自信がない。もっとアルバイトをたくさんしてお酒なしに眠れるようにならなければ僕は本当にだめだろう。


 僕の心は大きく大きく溶けて行って——空になりたい。青い青い空になりたい。そうして誰にも優しく明るく振舞えるようになりたい。今のいじけた自分から早く逃れたい。今の病気に負けている——小さい頃からの病気に負けていじけている自分から——早く脱却したい。






  7月16日

 この思い出の浜辺はこの半年間、いやもっと前からときどき来ていたような気がする。苦しみ果てていた僕を救ってくれていた浜辺だけど、僕は何か宗教に救いを求めようと考えている。
 僕は今日はコーヒーも飲んで来なかったし、タバコもこの2、3日飲んでない。しかし酒だけは、酒だけはやめきれず昨夜もたくさん飲んだ。
酒が一番悪いんだと思う。でもやめきれない。
 創価学会に戻ればやめきれるような気がする。しかし僕には喉の病気がある。だから僕は創価学会の信心はできないようだ。
 中学・高校時代はあんなにも苦しかったけど創価学会をしていたから元気でいられたのだと思うけど——






     7月18日

僕はへこたれない
 僕はもう決してへこたれない
 どんなに辛い日々が続いても
 僕はへこたれない
 僕はカモメのように生きてゆこう
 白い美しい心になって
 カモメのように生きてゆこう






7月21日

 僕は元気だった頃の——あの中学・高校時代の自分を、海を、この浜辺を思い出そうとするけど、僕は思い出せない。もう日々は過ぎてしまっている。あの頃の日々は遠い遠い遥かな昔のことになってしまっている。
 僕の心は戻らない。元気だったあの頃の僕の心には戻らない。


思い出の浜辺

思い出の浜辺

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain