夜明けの憂鬱

夜明けの憂欝

     カメ太郎


(3月13日)
 新聞配達の音だろう。耳慣れたバイクのスタンドの立てられる音がしていた。もう夜は白々と明け始めているらしい。僕は布団の中で死なんとしていた。僕は布団の中で自殺すべきかどうか迷って呻听していた。
 僕はもう26歳になっていた。外は凍えるような寒さと闇だった。僕の部屋もまっ暗で寒く、僕は布団の中で縮こまって横たわっていた。横たわっているだけだった。僕は眠れてなかった。このまま半覚醒状態のまま朝を迎えつつあるらしい。
 これが夢であってほしかった。現実の僕はもう医者になっていて華やかな毎日を送っているのだったなら、と何度も思った。しかし三度目の留年を迎え、しかも僕は確実にまた同じ課目で四度目の留年を迎えようとするらしかった。昨日の電話でそう解った。 
いっそ、タクシードライバーにでもなろうかな、と思った。

悲しかった。でも今日か明日死ぬからいいんだ、とも思っていた。僕は朝九時頃目が醒めた。明け方から眠ったらしかった。
 マクドナルドの夜間清掃員か運送会社に勤めようか、それとも以前アルバイトしたことのある測量会社にでも行こうか、と考えていた。でも○○先生は僕がやめると言うとがっかりしないだろうか、と思った。たしかに○○病院での仕事は楽で華やかだった。しかし心理検査や知能検査の仕事が一段落した今、僕を襲っているのは職場での対人関係のぎこちなさと言おうか孤独感だけだった。そして僕はもう朝の10時になるというのにまだ布団から抜け出られないでいた。




(3月14日)
 まるで僕の心のような雨だった。今勤めている病院をやめ、何処か運送会社にでも運転手として勤めようと思い惑っている僕の心のようだった。それとも季節工として愛知県などに出るか、それとも死ぬか、
 今アルバイトしている病院の仕事はとても楽でみんな『先生、先生』と言ってくれる。しかし日給は3200円あまりにしかならない。
 僕はそれよりも給料のいい所で働きたい。そして今の僕を襲っている憂欝。もう何事にも興味を持てなくなった悲しさと心の中にわだかまっている焦燥感。また留年したことを親に内緒にしている不安。
 僕はだから一昨日竹林の中を柔道の帯を持ってさまよったのだが死ねなくて、そして死ぬ代わりにほかのアルバイトをしよう、アルバイト学生に徹しよう、と思ったのだった。
 僕はもはやテレビを見る気はしない。そして本を読む気なんて全然しない。僕は情熱とやる気をほとんど喪くし、やはり僕の魂はすでに半分霊界へと傾きつつあるらしかった。
 テレビを見ても虚しさと焦りだけが僕を包み込む。僕は何も聞きたくないし何も見たくなかった。僕はもはや半分は自殺霊のようになっているらしかった。
 朝から考えていてだんだんと愛知県かどこかに季節工として働きに行こうという考えの方が強くなってきていた。そして150万ほど貯めよう。それくらい貯めると僕はあと何年留年しても大丈夫なようだった。
 そして生きれるようだった。亡霊のようにだけど生きれるようだった。
 顔のこわばりというか顔のひきつりというか、それさえなければ僕は家庭教師をできるのにと悔しかった。




(3月15日)
 僕の心の中に空洞ができていた。そしてその空洞は徐々に大きくなっていっていた。次第に僕の心の中を侵食し始めているその空洞。僕の涙が音をたてて滴っているその空洞。
 その空洞は寂しさでいっぱいの…孤独の空洞だった。僕は息をするのが苦しいほどに感じられた。…孤独でいっぱいの空洞。
 まだ夜の明けきらないうちに新聞配達の音とともに感じられるその空洞。そこには冷たい北風が吹いている。人生の辛さがいっぱいに詰まっているような空洞。
 徐々に大きくなっているその空洞。それが僕をいたたまれなくさせているのかもしれない。それが僕を泥沼へ泥沼へと引きずり込みつつあるのかもしれない。
 僕は暗い部屋の中の布団の上で眠れずに転々反則していた。もう一番上の布団を着るには暑くなっていた。それで僕はその布団を半分重ねるようにしているのだが、僕はうっすらと汗をかいていた。
 僕は蟹になりたかった。蟹になってこの布団の中からさまよい出て横歩きに誰も知らないよその国へ行ってしまいたかった。僕は蟹に変身し、この世から居なくなり、僕につきまとっているどのような苦労もなくなってしまったら…と何度も思った。




   (3月16日)
 また眠れない夜明け前だ。遠くのトラックの音だけがやけに耳につく。外はまだまっ暗らしい。僕は今夜は4時間しか眠っていない。不眠症の再発がまた起ころうとしているのだろうか。
 春が近いのに夜明け前はまだ寒い。僕の心臓は凍えて氷になってぱちんっと割れてしまいそうだ。そして僕も死んでいったら…。この夜明け前の冷たい暗い空の中に溶け込んでゆきたい。…僕は何度もそう思った。
 氷つく僕の心は自殺者の霊のようだ。
 なんだか僕の心はスライドガラスの上の薄いカバーガラスのようだ。強く握ってしまうと割れてしまう(今にも割れそうな)カバーガラスのようだ。
 そして吹けばすぐに飛んでしまうカバーガラスのようだ。
 でも本当に僕の心がカバーガラスになればいいな、と何度も思った。
 お昼ごろ、暖かくなってきた頃、春風に吹かれて遠くの山へと飛んでゆきたいな、と何度も思った。




(3月16日)
 僕は薄い布団の中で寒さに震えていた。また冬が戻ってきた。それとも僕は風邪でもひいたのだろうか。異様に寒い。
 今日、病院へ行くと僕の机の上にどっさりとダンボール箱が積まれていた。それでも僕は戻ってバックを机の横に置き本を持って2階の面接室で本を読んだ。帰ってくるとダンボール箱のほかにワープロまで置かれていてもう僕の机には何をする余地も残されていなかった。そして僕は悲しくワープロをおもちゃを扱うように打った。
 きっと、同室の女の子が僕がこの部屋に居てもらいたくないためにそうしたのだろうと思った。それで今日は○○先生の部屋にばかり居た。
 僕はそして今夜3日ぶりに酒を飲んだ。なぜか2日酒をやめていた。そして僕はふたたびアル中になったようだ。頭が朦朧としている。
 今は夜の3時半だ。また眠れないのだろう。お酒で無理やりに5時間ほどもはや僕の頭は荒廃しかけている。
 僕は死ぬのをもう諦めていた。暗いけれども僕は生きてゆく決心をしていた。今もまだ死にたい気がよくするが自分は耐えて生きてゆくつもりだった。
 死ぬのだけはよそう、と考えていた。父や母が可哀相だから。僕はいいとしても…父や母のため。
 自殺だけはするまい、と考えていた。父や母のため僕はどんなに苦しくても生きてゆこう、と思っていた。
 でも死んだ方がやっぱりいいかな、とも思ってもいた。
 ふと自分の存在って何なのだろうなあ…って思ってしまう。愛子の手紙をすべて捨ててしまった後悔。川崎さんなどへの僕が浪人時代書いた手紙などもすべて捨ててしまった後悔。僕はなんだか空中に浮かんでいるようだった。僕の存在って空中に浮かんでいるはかない存在に過ぎないようにも思えた。




   (3月20日)
 もう夜は明けている。昨夜は2時から5時ぐらいまで眠れなかった。5時ごろ眠ったのだろう。もう日は完全に上がっている。
 部屋は明るく、僕はこんなに明るい朝は久しぶりだ。もう何時だろう。ビデオのタイマーを見るともう9時半になっていた。
 僕が朝、日記を書かなくなってから何日になるだろう。僕は感動を喪ってしまったらしい。これを精神の荒廃と呼ぶのだろうか。僕は日記を書く気力を喪せていた。そして死ぬことを考える気も。
 転職する気も喪くしていた。今のままの安い給料でやっていこうという気がしていた。タクシードライバーや季節工はやっぱり駄目だなあ、と思ってきていた。
 いつごろからだろう。マスターベーションする気がまったく湧かなくなったのは。あれは去年の2月頃からだ。あの頃から急に不眠になり、と同時にマスターベーションをする気もまったく起こらないようになったのだった。そして何をする気も。
 今日は日曜日だ。スズメの囀りが聞こえてくる。もう暖かくなってきたのでバイクに乗ってもいいかなあと思った。ついこの前まで自殺するか季節工にいくかするのでバイクの修理は(一万円かかるから)するのはやめようと思っていた僕だったのに。
 僕は今日は何をしようかな、ともう暖房の要らなくなった自分の部屋で考え込んでいた。
何ものにも感動しなくなった僕はもはや居きる屍なんじゃないだろうか、とテレビを付けてビデオを見ていてそう思った。何も僕の興味を魅かなかった。以前あれだけ熱中して一日5、6時間も見ていたビデオを見るのも僕はもうもどかしい。
 もう昼なのだろうか。でも僕はまだ寝ている。
 アルバイトのことを考えるとやっぱり死のうかな、という考えが湧いて来ないでもない。塾の講師や家庭教師のようなそんな割のいいアルバイトをしたい。
 空は曇り始めている。もう朝の眩しさは消え、僕の心のように空はどんよりと曇っているらしい。日曜日は僕にとって打ち続く夜明けのようだ。起きようとしても金縛りにあったように布団から抜け出れない夜明けのようだ。
 日曜日は僕にとって辛いものだ。日曜日は一週間のうちの夜明けで、いつもいつも僕の心を重く沈める。僕の心は湖に沈んだ真珠のようだ。ああ僕は真珠になりたい。まっ白い綺麗な真珠に。
僕は真珠になりたい。湖底に静かに横たわる白い美しい真珠になりたい。白く輝く美しい真珠になりたい。そして僕の苦悩はすべて消え失せて、僕は静かな湖底でいつまでも眠りつづけたい。美しい美しい夢ばかりを見ながら、眠りつづけたい。



(3月20日 p.m.7:00)
 もう夜だ。7時の鐘だろうか、5時の鐘だろうか。『夕焼け小焼け』の歌が流れている。僕は小学生や中学生の頃、公民館から流れるその音楽を目安に暗くなるまで遊んだものだ。ああ、あの頃の僕は元気だった。僕はとても元気だった。
 僕は横たわり続けた。この日曜日、僕は布団の上に病人のように横たわり続けた。一度、新聞を見て長距離トラック運転手募集のところに電話をかけた。でも断わられた。そして僕は悲しくまた床についた。
 外はもうまっ暗だった。明日、病院から別の運送会社に電話をしてみよう。タクシードライバーもいいけれどやっぱり長距離トラックの運転手が僕に向いていると思う。
  ああ、雨が降ってきた。僕は半ば眠っていたのだろうか。いや、眠っていたのではない。僕はたしか長距離トラックの運転手になった自分の姿を悲しく瞼に描き出しながら闇のなかに横たわっていた。僕は眠っていたのではなかった。
 まるで涙のような雨だ。しとしとと降り始めたこの雨は。僕の胸のなかをいま滴り落ちている血のような涙だ。
 この雨の音はあまりに悲しいメロデイーのような音だから、僕は起き上がってしまった。そして暗闇のなかにしょんぼりと座り始めていた。
 僕は悲しい精神病者のようだ。一人ぼっちの悲しい精神病者のようだ。
 浅くしか眠れない。そして悪夢ばかりを見てしまう。でもそれはどうでもいいことだった。
 さっきは原子爆弾の夢を見た。昭和20年の長崎に落ちた原爆の夢を。そのとき僕は処刑場に連れて行かれていた。しかし雨が降ってきた。激しく滝のように降ってきた。そして僕は処刑場に連れて行かれなかった。そして僕は遺書に処刑される運命にあった人たちとともに(なぜかその中に僕の父や母や姉までも含まれていた)日見まで逃げた。






    (3月22日)
 11月、12月頃のあの死を決意していた日々と比べて、このころの日々はかなり気楽だ。小説も充分かき溜めたし、もう死んでも飯野だけど、○○先生が23日まで出張でこのころずっと○○先生の部屋を使っていられるから快適な日々だ。でも25日ぐらいから再び転職を考えようと思っている。
 睡眠はやっぱり熟睡できなくてすでに9時ごろから8時間寝てるのにまだ寝足りない心境だ。さっきコーヒーを一杯飲んだ。でもまだ眠たい。
 昨日の晩、マイク・タイソンの世界タイトルマッチを見た。僕もプロボクシングの世界チャンピオンになりたいな、なろうかな、なれるかもしれないぞ、と思うこの頃だ。
今日、帰り際、梅本さんが夫と一歳半ぐらいになる子供を抱えて社宅まで歩いているのを目撃した。梅本さんの夫はあの人だったのか、と思った。
 今、夢を見た。僕は香港か上海だろう、どうも上海のような気がする。
 僕は港の豪華な料亭代わりの船から船へと点々と渡っていた。僕は何者かに追われているらしかった。そして僕はピストルで狙われているらしかった。
 これは今までに何度も見たことのある夢だった。それを僕は久しぶりに見た。高校の頃から見ていただろうか。いや、中学の頃から見ていただろうか。
 僕の前世なのだろうか。僕はそののちピストルで打たれて死んだのだろうか。だから鮮明にそれらのことが思い出されてくるのだろうか。夢にしてはあまりにも色彩に富んでいてリアルだった。
 僕は久しぶりに見た。少なくともこの2年間は見たことのない夢だ。なぜ見たのだろう。なぜ湖の朝に。不思議だ。




 僕は弟の名前を直してやっていた
7つも直してやっていた
 僕たちは極端に貧乏だった
 そして僕は今日死にゆくのだった
 僕が弟にしてやれることはこれしかなかった
 そして僕が親にしてやれることは
 わからない





 ああ僕は長大病院に2週間まえに時間外に行ったときの借金があるのだった。それに中場のばあちゃんの杖の先につけるゴムを買ってきてやらなければならなかった。
 僕は毎日の生活や親への責任などにがんじがらめになったようになっていて、死ぬにも死にきれないでいる。今朝僕を襲っている言いしれない悲哀感・絶望感。僕の対人恐怖は治らず、やはり基礎に行くしか方法はないと思う。でもそれまで僕は何をアルバイトにして留年や卒延などのときのお金を稼いだらいいのだろう。
 タクシードライバーか季節工が一番いいのだろうか。
 死んだつもりになって季節工に応募しようかとも思っている。




 快適な職場を追われた僕はどうしたらいいのだろう。僕は喋るのがとても苦手だ。そして顔がこわばる。僕にはやはり肉体労働しか残されていないようだ。
 昨日、基礎棟の包囲と大脳生理学の㈼生理の教授のところへ言った。そして僕は失望した。基礎も大変なのだと。○○○に入って精神科になった方がずっとましじゃないのかと。
 タクシーの会社へも行った。そこでも『タクシーも客商売だからね。喋らないとね』などと言われた。僕は少し失望した。僕は今の○○病院で働き続けるのが一番のようだった。




 僕の魂は飛んでゆく
窓辺から橘湾を越えて雲仙岳の方へと天草の方へと飛んでゆく
 肉体労働しかできないと解った僕はいじけ
 窓辺から僕の魂は東の空へと飛んでいった
 悲しい旅立ちだった
 僕は悲しみを胸一杯に抱えて鳥になった
でも僕の悲しみは白く清らかで
 僕はまるで白鳥のようだった




   (3月25日)
 ああ、また雨垂れの音が聞こえる。僕の胸の中の涙のような雨垂れの音が聞こえる。それはシトシトと降っている。
 もしも猛烈に降ってくれたら、僕の心はこんなに重く沈むことはないだろう。でも雨はシトシトと降っていて僕を憂欝な思いに沈ませる。僕は今日○○先生の部屋で首を括って死のうかと思っているぐらいだった。
 マクドナルドの夜間清掃員はやっぱりよくないようだ。僕は平和を保ちたい。少なくとも今年の12月、いや来年の3月までは。
 雨垂れのなかを走るトラック運転手に僕はなりたい。あの一人っきりの空間で、東京や大阪などにラジオを危機ながら気楽に走りたい。
 僕は寂しい。でも気楽なトラック運転手になりたい。




(3月26日)
 今日も雨だ。シトシトと雨は降っている。昨夜、睡眠薬を飲んだためか全然起ききれない。もう7時を回っている。
僕は昨夜、何度も目が醒めた。でもいつもと違い黒いドロドロとした川底に引き込まれてゆくような感じで再び眠った。それを何回繰り返しただろう。昨日の夜9時から寝て、まだ起ききれないのだった。




  (3月27日  日曜)
 新聞配達の軽自動車の音が聞こえる。僕は昨夜、何時間眠っただろう。10時間半も眠った。そして今日一日の孤独にどう耐えようか思案している。
 思えば僕は昨夜、○○病院の職員慰労会を途中で抜け出し、寂しくバイクに乗って帰ってきた。そしてレキソタンをその慰労会のためにたくさん飲んでいたため風呂に入ったあとすぐ寝たのだった。
小鳥の囀りが聞こえる。もう朝の8時だ。今日はものすごい日本晴れの日だ。
 悲しみの箱を開けるとそこから悪魔がたくさん飛び出してきて僕を苦しめ始めたのはいつのことだろう。たぶん僕のちっちゃな頃からだ。僕が本河地に引っ越したときもうその壷は開いてて、悪魔は僕を苦しめていた。僕が物心ついたのは3歳の頃からだとして、僕はもうその頃から不幸せだった。
 僕はもう26年生きてきた。たぶん僕が物心がついてないうちにその壷は開かれたんだ。
 そして悪魔は僕の体に緊張と、そして心に不安をもたらしているんだ。

 今の僕には遠くのバスの音やトラックの音しか聞こえない。もう10時だ。僕はなんだか蓑虫になったようだ。茶色い毛布に包まれてこの日曜日も一日じゅう寝たっきりになるのだろうか。
 また孤独な日曜日だ。7日毎に襲ってくる憂欝な日が始まっている。誰からもかかって来ない電話。僕は今日も一日じゅう布団の中に横たわり続けるのだろう。蓑虫のように。26歳の青年なのに。
 なんだか僕の魂は溶けてゆくようだ。涙なのだろうか。僕の魂が液体と化し、溶けてゆく夢をいま見た。僕の魂はもう解けていってるのだろうか。今見た夢のように、落ちぶれ果てて涙の液晶となって流れ出しているのだろうか。




  (3月30日)
 今朝もまた雨が降っている。静かな静かな雨だ。そして風は冷たく、まるで冬に逆戻りしたようだ。
 昨夜、睡眠剤を2mgも飲んだのに眠れなかった。今までは1mgでも眠りすぎるくらい眠れていた。もう耐性が付いてしまったのだ。
風は強く、そして今日もまた僕が病院へ行く10時頃には病院の坂は道路工事をしていてクルマを長崎保養所に黙って留めてこなければならないのかと思い気が重い。憂欝な雨だ。僕は昨日心理検査で患者を怒らして失敗し、いったい僕は病院のため何か役にたっているのかとても気懸りだ。
自殺も考えるけどやはり死ねない。僕はノホホンと先のことを考えずにやはり生きてゆこう。






(4月2日)
 今、夜の2時42分だ。僕は中学時代----あれは2年生のときだった----毎夜のように夜3時頃になると目が醒めそして怖しい金縛りに会うようになった。あれからだ。僕が心因性発声障害になったのと同じ頃だ。
僕が金縛りに会ってる間、僕は決して幻覚めいたものも幻聴めいたものもなかった。ただ、心臓が早鐘のように打っていて自分がこのまま死んでしまうのではないのかという恐怖に襲われて必死で題目を心のなかで唱えたりしたものだ。そしてそのまま覚醒することもなく再び眠りに落ちていっていた。
それが数ヶ月ほど続いただろう。怖しい金縛りはそしてぴたりと止んだ。そしてあれから僕を泥沼に突き落とした心因性発声障害が起こったんだ。
 もう桜が咲く頃なのに今年の春は異様に遅い。雨がしとしとと降っている。僕は昨日久しぶりに睡眠薬でなく酒で眠った。明日、院長の診察を受けることになっている。






(4月3日)
 何の鐘だろうか。不思議な鐘だ。さっきから除夜の鐘みたいに鳴り響いている。まさか僕の臨終を歓迎する鐘の音ではあるまいか。
 昨日、院長から診てもらって、変な薬を貰った。頭が、割れるように重い。なぜなら昨夜、5日分をすべて飲んだのだから。眠れない夜が怖しかったから。
 さっきの鐘の音は夢だったのだろうか。それとも幻だったのだろうか。今は何も聞こえない。夜明け前の不気味な静寂があるだけだ。
 ああ、遠くから漁船の音がしている。




(4月7日)
 また酒を飲んでしまった。飲むまい、飲むまい、と思っていても眠れないからつい酒を飲んでしまう。
 8時半頃飲んで寝て、10時半頃起き出して腹が割けるほどご飯を食べた。ご飯ばかりでおかずは何も食べなかった。
今は夜の4時。頭も重く、昨夜、ご飯を食べるとき家の人は何か変なことを感じはしなかったかとても気懸りだ。
  もう5時半になっている。一時間半眠れなかった。具合いが悪く、左足の腿の辺りが神経炎を起こしたように苦しいというか気だるいというか、筋肉が腐っていってるみたいだ。
 また酒を飲んでしまった後悔の念と、二日酔いの苦しさが僕をこの夜明けたまらない憂欝の思いに陥らせている。夜は明け始め、また一日が始まろうとしている。
 僕はもう死ぬことは考えなくなっている。死にたい、と思うことも今もよくあるが、どんなに辛くても自殺だけはするまいと思っている。今のアルバイト先はどんどん居づらくなり始め、自分はいなくなった方がずっといいことは解っているが、やめる気力がないのだろうか。ずっと惰性で行き続けている。
 死ぬことを放棄した僕にもまだ死神はとりついて離れていかないのだろうか。確実に僕を自殺の方向へ追いやっているようだ。もうどうしようもない状態まで。
 もう夜の明けるのも早くなり、小鳥の囀りも聞こえてきた。でも僕の心は鉛のように重たい。もう2時間も布団の中で悶々としている。
 朝は僕にとってうち続く夜のようだ。夜が明けないでほしい。もし夜が明けなかったら僕の心はどんなに軽やかになるだろう。
 畳が揺れてるようだ。僕の苦悩する心のように寝ている僕の布団の下の畳が揺れてるようだ。そして僕は闇の中にすっぽりと埋まってゆくようだ。






                           (4月9日)
 ブロン錠を10粒ほど飲んだ。そして点鼻薬を1/3ほど飲んだ。不思議だ。なぜこう眠たいのだろう。さっき、教会の人から電話がかかってきた。もう、7時42分だった。僕はものすごく吃ってろくに話をできなかった。いつもなら朝はほとんど吃らないのに。やはり薬のせいだろうか。
僕は昨夜、思考の停止を覚えてしまい(こういうのを思考の停止と言うのだろう)元気をつけるためと思って(決して自殺なんかじゃなくって)そんなに薬を飲んだ。点鼻薬のせいで口や喉がひりひりして水を何杯も何杯も飲んだ。
 2つとも交感神経刺激剤だと思って元気がつくだろうと思って飲んだのにこの眠たさはいったい何だろう。




(4月17日)
 僕にとって日曜日はうち続く夜のようだ。僕にとって土曜日の夜は明けなくて(夜がずっとずっと、30時間以上もうち続いて)そのまま月曜日になるようだ。 僕は本当に孤独な人間だ。そして本当に失意の、落胆し果てた人間だ。
 僕は孤独で、そして落胆し果てていて、もう生きる意欲や情熱を喪くしかけていて、やはり日曜毎に自殺のピンチがやってきて、そして本当に今日死ぬかもわからない人間だ。でも死ぬにはあまりに寂しくて、それに父や母が可哀相で、死ぬにも死ねない。
 陰欝な天気だ。しとしとと雨が降っている。空を見上げれば涙のように僕の顔に降りかかる。
 僕はこの日曜日いつものようにずっと家にいる。僕の心は暗く、空を行く黒っぽい雨雲のようだ。朝から自殺や心中のことばかり考えている。
死に場所はもう日見中学校のグラウンドと決めている。OOさんを誘って死にたいとばかり考えている。二人で死ねればどんなに楽だろう。僕はしかし今夜にも柔道の帯をもって日見中学校のグラウンドに行って死にたい。もう僕は疲れきっている。






(4月18日)
 僕は昨夜、文学を捨て、創価学会に戻ることを決意し、2時間あまり、勤行や唱題・それに創価学会の本や雑誌を読んだ。また、大学をやめて日蓮正宗のお坊さんになろう、とも思った。昨日の夕方、自殺するしかないところまで落込み果てて、半年ぶりぐらいに勤行・唱題をしたのだった。でも睡眠薬で9時間眠った今朝、もう考えは変わっている。僕は創価学会をとても純粋にやっていた大学一年の11月までもろくなことはなかった。創価学会をやめてからもろくなことはないけれど…
 たしかに題目をあげると生命力と言うか、生きる力が漲ってくる。しかしそれだけではなかろうか。大学一年の途中までも自分にはろくなことはなかった。中学・高校・浪人・そして大学一年の半年間も、ろくなことはなかった。たしかにろくなことはなかった。
 ----僕の心はころころと変わる。昨夜、日蓮正宗の僧侶になろうとまで思った僕は、今朝、もう心変わりしている。そしてちょっぴり涜神恐怖というものが湧いている。
 中学・高校時代もろくなことはなかった。しかし店は繁盛し家庭はどんどん幸福になっていっていたようにも思う。僕は迷う。父や母のために信心をすべきか、それとも…
 僕はいったい何を支えに生きてゆけばいいのだろうか。僕を取り巻く環境は厳しく、昨夜題目をあげながらも何度も現実の辛さ厳しさに絶望の思いを抱いたものだ。
 創価学会をすべきかどうか、僕はとても悩んでいる。
 現実は絶望に満ち溢れ、僕はやはり今日にでも首を括って死のう、とも考えている。現実は厳しく、僕は今にも発狂しそうだ。
 自分は哲学的に行き詰まりを感じてきていた。聞こえてくる風の音も今の僕には虚しさしか感じさせない。
自分の生きる目的というか自分の存在に対する不安と疑問、それらが昨日から僕を自殺へ自殺へと誘っているのがよく分かっていた。
本当に自分は何のために生きているのだろう、そう思って僕は悲しくてたまらなかった。そして僕が死ぬと悲しむであろう父と母の姿を思って…
 僕は昨日久しぶりに創価学会のお祈りをした。今から自殺を思い出の日見中学校までしに行こうかなと考えて苦しんでいたときふと創価学会のお祈りを久しぶりにしてみようと思いたった。思えば正月ごろのピンチのときにもこうしたのだった。
 思えば僕は昨日久しぶりにお祈りしながら大学をやめ僧侶になろうと本気で考えた。しかし睡眠薬を使って9時間寝たあと朝僕はもうそんなことは考えないようになっていた。僕はやはり宗教はするべきでないと、少なくとも非常に神経質で涜神恐怖に陥りがちの自分はするべきではないと、思った。




(5月12日)
 春だ。朝日が眩しい。僕はよくここまで生きてきた。もう夏になろうとしている。そしてバイクの季節に。僕に青春を思い出させてくれる季節にもうなりつつある。
 もう夏だ。僕の抑欝的な気分も解消され、僕は宗教とか共産主義とか難しいことや暗いことを考えずに、バイクやクルマのこと、バイクやクルマのメインテナンスやメカニズムのことなど、そして女などに凝っていこう。そして明るい想念を持って生きていこう。
もう夏だ。きっといいことがこの夏には起こるに違いない。僕は再び3年前や4年前のような明るかった、元気だった自分に舞い戻ろう。
 朝日が燦々と僕の部屋に差し込んできている。もう夏だ。情熱の季節がやって来ようとしている。
 そして僕の心もバイクやクルマのエンジンの鼓動とともに元気になってゆくだろう。もう難しいことを考えずに、明るく、明るく、
しかしスズメの囀りが聞こえるとともに僕の心はふたたび重苦しくなっていっている。駆けてゆく2サイクルの250のバイクの音もますます僕の心を重くする。そして天井がみしみしと音をたてて今にも落ちてこようとしているようだ。
 やはり僕の心は疲れ果てている。また毎日の深酒に蝕まれている。
 差し込む朝日も僕の心を鉛のように重くするだけだ。僕の心は鉛となって星子さんの海に、思い出の海に、沈んでゆくようだ。またそうなったらどんなにいいだろうと思う。
(am 7:18)




(6月2日)
 いつ頃からだろうか。いつ頃から僕はこの手記を書かなくなったのだろうか。僕は空想の世界に遊んでいた。初夏の晴れた日が続いていたからだろうか。僕の考えは現実からかけ離れ、楽しい空想の世界にばかりいた。
今、僕の心はふたたび鉛のように重たい。
 僕はいつ頃からこの手記を中断していたのだろうか。共産主義か○○○か自民党か、などとこの間ずっと悩んできた。○○○の奨学金を貰うべきかどうかは今もとても悩んでいる。そしてまた今日は自民党の本部に悩みを打ち明けに行こうかと、いや自民党の本部に僕が行ったことが知れると僕は※(削除)




 僕はこの空白の間、本気で死を決意したこともあった。また、死ぬ期限を“いつ”と決めて一日一日を悲しく送っていた頃もあった。
 僕は家庭教師をしたい。顔さえこわばらなければ僕は家庭教師をできるのだけど。




 久しぶりにクルマに乗ったからだろう。家の傍の急な坂を降りるとクルマは動かなくなった。電気系統からの漏電だろうと思った。JAFを呼んだ。JAFは10分もたたないうちに来てくれた。そしてプラグのかぶりだろうと言う。僕もそう思ってきていた。急な坂をギアをローに入れて(いつもはセカンドに入れるのに今日はものすごい雨だったから安全運転のためもあってローに入れたのだった)その長い急な坂を降りた途端にエンジンの調子が悪くなった。僕は始めものすごい雨だから水がエンジンルームの中に入ってコイルやプラグコードの接点から漏電が起こっているのだろうと思った。しかしよく考えてみるとたしかにプラグのかぶりだろうと思えた。
それから僕はどうにかクルマを家まで走らせてバイクに乗って病院までやって来た。僕の姿は濡れ鼠のようだった。
 クルマの排気管の温度警告ランプが灯いて排気管の触媒のところから異様な臭いがしていた。これで排気管のつまりが起こってエンジンの調子が悪くなり、また排気管の触媒のところを取り替えなければならないようになるのではないだろうかと思うと心が重たかった。
 僕は○○先生の研究室で濡れた服のまま寒さに震えながらこれを書いている。僕は孤独だ。僕は今日も一人っきりでこの○○先生の部屋に留まり続けるだろう。誰とも口をきかずに…
 僕は今日仕事が終わる5時頃、福岡の○○○に電話した。そして奨学金が欲しいことを言った。
 そして月曜の夜7時、長崎駅前の改札口で会うことにした。でも僕のことは長崎の○○○の柴田さんの元に連絡が行き、駄目になるような気がする。
 クルマはもう触媒が駄目になって排気系統の目詰まりが起こるようだ。反対に目詰まりでなくてそのフィルターが焼けただれ排気がスムーズになったのならいいのだけど。
 僕は奨学金のことあまりあてにしていない。また断わられそうな気がするから。また断わられたっていいや、どうでもいいや、とも思っている。
 さっき目が醒めてからもう一時間になるだろう。今は夜の2時半。昨夜また酒を飲み過ぎた。そしてそれでもなぜか眠れなかった。クルマの本を読んだ。またクルマの本を読む前にレスタス(睡眠薬の一種、通常2~4mg)を4mg飲んだ。そうしたらいつの間にか寝ていた。
 そしてまたさっき目が醒めてからまた今度は違う種類の睡眠薬を飲んだ。レスタスより2倍強力だと言われるデパスを3mg飲んだ。それでも眠れず僕はこの手記を書いている。
 今朝も雨だけど僕の心の中は“○○○の奨学金を貰えるかもしれない。そうしたら僕の心の不安はいっぺんに吹き飛んで、ふたたび学一や教養の頃のような元気な自分に舞い戻れる。しかも共産主義を学びそれに共鳴しそれに生きがいを見い出すことができるだろう”と今朝の僕の心の中はいつになく明るい。
 でもそれは希望的観測に過ぎず、やはり貰えないのかもしれない。すべては3日後の夜の会見に懸かっているのだろう。そして僕の将来も。僕の将来の生き方(共産主義に生きるか否かも)




(6月5日  夜明け)
 また眠れない一日だ。僕は昨夜デパスを何錠飲んだろう。4錠は飲んだはずだった。それなのに眠れない。
 お腹はパンパンに張っているくらい食べてもいるのに、それでも眠れない。僕はもはやメジャートランキライザーでしか眠れなくなったのだろうか。憂欝だ。
 今日も日曜日だけど病院へ出かけていこうと思っている。週に一回は休むように、と言われたけど仕事は溜っているしほかに何もすることがないから。
でも母は中場(※1)に行きたがっている。また今日病院へ行っても出勤簿には判を押さないつもりだ。そしてそれだから今日の分の給料も貰われない。
 それに昨日、クルマのエンジンをかなりいじったことが心配で、一度どこかまで行って来なければ母を乗せて行くのが心配だ。
 お腹はこんなに張っているのに何故眠くならないのだろう。不思議だ。


僕は白い気球となり
 母を中場へと中場へと運ぼう
 僕は白い気球となって
 悲しむ母を中場へ中場へと運ぼう

※1 (母の実家のあるところ。母の母はもう死にかけている)




(6月9日 a.m10:45)
なぜこう良くないことばかりが起こるのだろう。またクルマが動かなくなった。この前とまったく同じ症状だ。プラグの被り抱った。そして今回来たJAFの人は『コイル』だと言う。そして修理代は一万円以上かかるという。
 でも僕はプラグをすべて新品にすればいいと思っている。何よりも今の僕の心を重くするのはクルマが火災を起こしていないかということだ。触媒は完全にオーバーヒートしていて社内の中はミッションのところから(触媒はミッションのすぐ下にある)煙がでていた。だから僕はそこに水をコップ一杯かけてきたけどほかにもマットのところもとても熱くなっていた。




(6月11日 土曜 朝)
 今日は福岡の○○○に面接に行くことになっている。クルマは動かないのでバイクで行くことになっているが、今朝は久しぶりに張れている。午前5時50分の空はもう抜けるような青空だ。昨夜、梅酒とホワイトリカーを混ぜたものを飲みすぎ少し二日酔いぎみだけど、ちょうど僕が福岡まで行かなければいけない日にこんなに晴れてくれたことで僕の心はいつになく明るい。でも昨夜の天気予報では午後からは雨だったはずだ。できれば日曜日の夕方まで晴れ続けてくれればいいな、と願っている。
 しかし僕の心が明るいのはいつまでのことだろうか。僕は沈んだ心のまま福岡からかえってくるのではなかろうか。そして奨学生を断わられたら再び希死念慮が猛烈に湧いてきてそして今度こそは本当に死ぬんではないだろうか。
 もし奨学生になったら、400の上等なバイクを買うかナナハンの免許を取りに行こうと思っている。
もし奨学生になったら僕は再生するだろう。そして元気になってナナハンを乗り回すようになるだろう。でも断わられたら… 僕は死ぬだろう…今度こそは。
 昨夜…僕は濡れ鼠のように雨に濡れ…雨に打たれつつ長崎から熊本までバイクでやって来た。雨ガッパを着ていても入り込んでくる雨…。寒かった…。

 ある日…銀の星が落ちてきて…地上で苦しんでいる人たちが皆…可哀そうな人たちが皆…救われるときが来る…と僕は朝、とてもリアルにそう夢を見た。

 そしてそれはいつのことだろう。あと半年もたたないうちにそうならないかな…と僕は祈るようにその夢を思い出そうとしていた。

 そして“心の清らかな人はきっと救われる。心のきたない人は地獄へ行くけど…心のきれいな人はみんな救われる”という言葉を思い出していた。

 そして僕は、早くその日が来ないかな、ハルマゲドンというその日が早く…一日も早く来ないかな、と必死に願っていた。




(6月15日)
 生きるか死ぬか迷っているこの頃だ。もうすぐ前期の授業料を払わねばならない。でも自殺するなら…自殺するのなら払えば損だ。
 2学期からは今のアルバイトもあまりできなくなるだろう。そして夜のアルバイトしかできなくなるだろう。
 7月の熊本の○○○の実習に参加して自分をアピールして奨学金を貰うことが最高だけれど、自分はうまくアピールできるだろうか。うまく誤魔化して振舞えるだろうか。
 一月、僕は奨学金を断わりさえしなければ、そうしたらこんなに苦しむことはなかった。
 また去年の10月ごろ熊本に行ったとき断わらなければ。また安眠できて留年することもなかったのだろうけれど。




                     (6月16日  AM 4:08)
 僕は今朝も浜辺へ出かけていこうか迷っていた。心のなかに荒れ狂う激しい焦燥。僕の心のなかは嵐のなかの荒波のようだった。
 午前4時だ。僕は1時40分頃から起きている。そして超能力開発のための瞑想を行ったりしていた。
 自分は何のために生きていこうかと悩んだり、また『神さま…神さま…』と瞑想しながら念じたりした。
 仙骨の辺りから湧いてくるという陽気は未だに感じられない。そして喉や額のチャクラに思念を集中してチャクラの開発を図ってみたりしていた。
 今朝はきっと波もほとんどないだろう。静かなそして曇り空の浜辺だろう。


 僕はスパイを志願して(スパイのアルバイトをしようと思って)高校時代の親友でいま警察をしている森のところへ共産党や革マルの本をどっさりともっていってそしていろんなことを話したけど…
 僕は自殺するかスパイになるかの選択を今、迫られているようだ。

 そして僕は誰か天使さまのようなお金持ちのお嬢さんが現れて僕を救ってくれないかな、と小石を蹴りながら青い空を見つめていた。

 青い空は僕の哀しみや苦しみを吸い取ってくれる天使さまの懐のようにも思えた。そして今にも天使さまがサンタクロースのようにトナカイに引かれた馬車に乗って青い空からやって来るのかな、と思った。






                        (6月22日 朝)
 僕は昨夜、滑石の駐在所に行き、僕が森に持っていった赤旗などの新聞や○○○関係の資料やそして革マル派の本をどこでどうやって手に入れたかなどを聞かれた。
 今、僕の胸のなかは不安でいっぱいだ。警察から僕の家を強制捜索されないかと不安でいっぱいだ。
 そして小説が、2つの金庫のなかに入れてある小説が警察に没収されないかと、僕の大学に入ってから8年ほどの努力の結晶であるそれらの小説が没収されないかと不安でいっぱいだ。
 僕は久しぶりにこの手記を書いている。僕は人生の歯車が狂ってしまい、とんでもないところに足をつっこんでしまい、そうして今ようやくそのことに気づいて、もうどうして良いか分からないでいる。


 星子さんへ
 僕はもうどうしようもないところまで陥んだのかもしれない。共産党から睨まれ、警察から睨まれ、僕はまた新しい泥沼にはまってしまったみたいだ。

 僕は昨日、警察からの帰りがけ、バイクの上で“死のう”と思った。とんでもないことをしてしまったようだったから。森に革マルや○○○などの本や資料をやったこと、そのために僕はいろんなところから睨まれるようになるようになったことを考えて。


 僕は飛んでゆきたいな 今日も
 ペロポネソスの浜辺へと
 でも僕の心は心配でいっぱいになっていて
 いつ警察が家宅捜索に来るか怯えている
 だから今朝は行けないけどごめんね
 僕は怖いんだ
 いつ、警察が僕の部屋に踏み込んで来ないかと
 僕はとても怖い
 だから今朝は家でじっとしているけどごめんね
 星子さんやゴロに会いに行けないけどごめんね






                      (6月22日 真夜中)
 僕は誰からも狙われている
 共産党から狙われ
 警察からも狙われている
 共産党からはスパイとして
 警察からは要注意人物としていつ家宅捜索されるか分からない
 僕は誰からも狙われ
 そして誰も頼る宛がない


 僕には分からない
 何が不幸な人たちを救えるのか
 何が悩み苦しんでいる人たちを救えるのか
 僕には分からない


 僕は昨夜、遂に眠ることができずに、そして市会議員か県会議員に立候補してそして生協を潰していって共産党を追いつめていこうと考えた。まず長崎の大学から生協を追っ払い、ダイエーやユニードを大学のなかに進出させよう、と考えた。
 そしてそれを全国に広めていって全国の生協を根絶やしにするんだ、と考えた。
 レッドパージを行うんだ、と考えた。




   (6月23日 昼)
 死のうかな、と決意した僕の耳に『ばしっ、ばしっ』と手を叩く音が聞こえてきた。そしてその音はだんだんと近づいてきていた。




(6月24日)
 星子さんへ
 今日もまた激しい雨です。なんだかこういう雨の朝、僕は懐かしい中学や高校時代を思い出してしまいます。星子さんやゴロと過ごした懐かしい中二から高一までの3年間を…。とても懐かしいです。あの頃は厳しい毎日でしたけど、でも僕は元気でした。未来への夢や希望がありましたから…。
 でもその夢や希望はことごとく崩れ果て、僕は今朝ここに来るのに柔道の帯を持ってこようかと思っていたぐらいでした。持ってきてたら、でも激しい雨だからクルマから外に出ていきたくないのでどうせ実行しないでしょうけど…。
 僕の抑欝状態はひどいです。一月、または去年の10月、熊本の○○○の奨学金を断わらなかったなら僕のこの抑欝状態は決して訪れなかったでしょう。でも2学期からはどうも毎日学校へ出ていかなければならないようで今のアルバイトも日曜ぐらいしかできそうにないから。
 誰か金持ちのお嬢さんと結婚したいです。そうしたら僕の抑欝状態もいっぺんで吹き飛んでしまうと思います。



 雨の日のこの灰色の空に
 明るく輝くピンク色の星が現れて
 そして僕の暗く澱んだこの胸に
 再び明るく輝く灯火を灯してくれたなら
 ああ、そうしたら僕も生きられると思うんだけど
 再び以前のように明るく生きられると思うんだけど

 僕に優しく語りかけてくれるその星は
 ピンク色をしていてとても明るくて
 陰欝な僕の胸のなかを明るく照らしてくれる
 そして僕を死の淵から 僕が陥りかけている暗い暗い死の淵から
 僕を救い出してくれると思うんだけど
 胸のなかから心のなかから死に近づきつつある僕を救い出してくれると思うんだけど
 死に近づきつつある僕を救い出してくれると思うんだけど




 鳥になって飛んでゆきたい。この浜辺から、雨に濡れても、雨に打たれても、負けない強い鳥になって、僕は飛んでゆきたい




(6月26日)
 僕はよくここまで生きてきたものだ。クリスマスの夕方、留年が決まってから半年間、僕は何度も『死のう』と決意した。でも僕は今でも生きている。僕は亡霊とならずにまだ生きている。そして“のほほんと生きていこう”と努力しているこの頃だ。
 僕はこの手記は今朝で終わりにし、のほほんとテレビでも見ていこうと思っている。または魚釣りでもするか。
 星子さんとの思い出の浜辺に今朝出掛けていく気力はあまりない。梅雨の合間の晴れた日のようだけど僕はこの日曜日、クーラーをつけたまま一日じゅう家でごろごろしているかもしれない。そして僕は7月終わりの○○○の研修で良く評価されて奨学生となれることを、もしなれなかったら死ぬかもしれない、または今日も死ぬかもしれない、僕の心は複雑に揺れ動いて、やはり休日は僕にとって危ない日だ。
 創価学会に戻って元気になろうか、という気も少しはある。あと一ヶ月すると山口県から姉がお産のために来る。僕は創価学会に戻るべきかなあ、と考えている。
 窓辺に白い美しい天使さまが現れて、身も心もピンチの僕を救って下さるという願望を僕は去年の11月ごろから持ってきただろう。でもそれはもう幻想と消え果てて僕はこの3ヶ月ほどその願望を抱かなくなっていた。そして死ぬことを、毎朝毎朝浜辺に出て、死にたい欲望と必死に戦ってきた僕だった。

 やはり死を決意した僕にとって日曜日とは憂欝な日だ。僕は家の人に何か残してあげよう、何かしてあげよう、とやはり焦燥感に捕らわれてしまう。

 今日、10時ごろ家を出て、台所で使う『レンジ台』の安くていいのを買ってこようと思っている。そしてそれが僕の最後の親孝行になって僕は霊界へと旅立つのだろうか。


 やっぱり創価学会に戻って元気になろう、という気は少しはある。しかし……
 今もやはり共産党か創価学会かと迷っている。7月終わりの○○○の実習に参加して奨学生として採用されなかったら僕はもうきっぱりと共産党や○○○とは手を切ろう、と思う。そしてお金持ちのお嬢さんと結婚することばかりを願って生きていこう、と思っている。でもそれもそれまで生きていたら、ずっと生きてゆくつもりになったなら、のことだけども。



 僕は鳥になりたい
 窓辺から飛び立って
 星子さんとの(ああもう10年以上も前のことだ)思い出の浜辺へと
 または白く霞む雲仙岳へと
 僕は飛んでゆけたなら
 そしてもう戻って来なくて良いようになったら
 僕はどんなに嬉しいだろう



 僕は石ころを蹴りながら歩いていた。雲は重くどんよりとたち込め、日曜の朝のこの浜辺には岬の突端に魚釣りをしている人が一人いる。僕は石ころを蹴りながら砂浜に靴ををさくさくっと埋めながら歩いていた。
 10年以上も前の思い出に僕は感傷的になって毎朝この浜辺に来ている僕はいつも孤独で、喋る相手がいないと言うか、侘しさと焦りに常にさいなまれ続けていた。
 鳥になりたい、と僕はこの浜辺で何度も思った。沖には黒い鳥が飛んでいる。カラスが牧島目がけて飛んでいるのだろうか。たった一羽で飛んでいる。そしてたしかに牧島目がけて飛んでいる。
 なんだか孤独な僕の心が鳥になってあんなに飛んでいるのかなあ、と僕は思ってそして初めて微笑んだようだった。この浜辺に来て微笑んだことってあっただろうか。10年以上も前からこの浜辺に来ているのに。いつもいつも僕を孤独ややるせなさでいっぱいにしていた浜辺じゃなかったっけ、と思った。
 それに、以前はカモメばかりが飛んでいた浜辺じゃなかったっけ、と思った。白い白いカモメばかりが飛んでいた浜辺じゃなかったっけ、と思った。



 10年前の僕は元気だった
 10年前、僕の心はカモメのように白くて、そうしてとても元気だった
 でも10年後、僕の心は沖をゆくカラスのようになっている




(6月27日)
 星子さんへ
 今日は梅雨なのに抜けるような青空です。沖の天草や雲仙の方には夏を象徴するかのような入道雲がもくもくと浮き上がろうとしています。
なんだか僕は元気だった少年時代に帰ったようです。白い黙々と浮き上がろうとしている入道雲みたいなものを見ていると僕も元気が湧いてきて、元気だった少年時代を思い出してきてしまいます。
その入道雲は僕と星子さんの淡い思い出を象徴するかのように小さな小さな入道雲です。本当に小さな小さな入道雲です。
 その入道雲を見ていると本当に僕ものほほんと生きてゆけるような気がしてくるから不思議です。
 僕もこの夏、暢気に過ごしたいです。難しいことは何も考えずに。




(6月28日)
 僕はもう錯乱状態の一歩手前だったから、昨夜、精神安定剤をたくさんたくさん飲んだ。それで今朝は幾分か落ち着きを取り戻しています。僕はいま、のほほんと青く光る朝の海を見つめています。
 僕は『分裂症』になりたいです。そっちの方がずっと楽です。重症対人恐怖症の苦しみと比べたら。
 僕は薬のせいでぼんやりとしています。それに今朝家を出てくるときとてもからだがきつかった。僕は7月7日にあると言う試験の勉強は待った癖図、その前に死ぬかもしれない。悪魔が僕を呼んでいるようでとても怖しいです。本当に死のうか死ぬまいかとても迷っています。

 僕は青い海に溶けてゆきたい。僕の不安は日に日に増していて僕は発狂寸前になっている。僕は青い海に溶けてゆきたい。そうして魚になりたい。

 そうして僕は白い白い天国へと飛んでゆきたい。今朝にでも飛んでゆきたい。そして苦しみから逃れたい。幸せになりたい。

 僕は天国へ着いたら、26年間生きてきた疲れをみんな洗い流そう。そして僕のもとへと走ってくる星子さんやゴロに迎えられていつもいつも寂しかった僕はやっと友だちを持てたようになって、長く続いた孤独の日々から解放されるんだ。孤独に疲れた僕は……

 僕は魚になって、海面を自由に泳ぎ回りたい。もうアルバイトに行かず、このまま魚になりたい。

『このまま消えてゆきたい。僕の体が小さい粒子になって消えていったなら。この青い青い空のなかに』
 ----生きるのに疲れきった僕は青い海を見つめながらそう呟いていた。叫びたかった。でも僕の声は叫んでも小さな小さな声にしかならない。 



夜明けの憂鬱

夜明けの憂鬱

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-28

Public Domain
自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

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