地の濁流となりて #5

第一部 海の民編 イスーダとの別れ

 パガサのすぐ横でカタランタが,白壁に背をもたれたまま腕組みをしている。顔はうつむいているが,視線はまた鋭さをおびて,まっすぐパガサに向けられている。
 「おい,お前,さっき「時を旅する人」と口にしたよな。あのブッフォとどういう関係だ。」
 長老の思いがけない告白と,海の民との強い絆に想いを馳せていたパガサは,急に尋ねられて戸惑い,答えに窮した。
 「そんな恐い目をしないでよ。ここに来る前,丘で休んでいたとき,ぼくらのところに突然現れて,いろいろと教えてくれたの。すぐ消えちゃったけど。ね,パガサ。」
 マンガラの言葉に,パガサは遅ればせに「うん」と頷く。ブッフォ。あの感じだと,他の長老たちも知っていて,その長老たちよりも,ずっと地位が上のようだ。それに,あの消え方。あんな風に,人は消えることができるのだろうか。
 「マンガラの言った通りだよ。イスーダへ行けと指示されて,そこで工房へ行けば,若者に会えると言われた。でも,名前も知らなかったし,何者かも知らない。どうしてカタランタは,そんなことを聞くの。」
 壁に寄りかかったまま,カタランタは何か考え込むように目を閉じた。しばらくして目を開けると,あの鋭い光は消えていた。そして,静かに口を開いた。
 「ここからかなり離れた辺境の地に,マクレアという部族が住んでいる。彼らの間には,「義人(ぎじん)」と呼ばれる,不思議な力を持つ者があると聞く。「時来りて,義人集い,彼の地を示さん」だったかな。「義人」は,また「転移の旅人」とも呼ばれる。あれが「義人」であれば。」
 カタランタはそこまで言うと,続く言葉は飲み込んだ。義人。不思議な力。「転移の旅人」。「彼の地」が示す場所は分からないけれど,たしかにあのブッフォという人は,ぼくらにも助言をしてくれた。まるで,これから起こることを知っているように。カタランタの言う義人は,「時を旅する人」と似ている。
 「ねえ,カタランタ,マクレアって,さっきの船の言い伝えのことではないの。」
 カタランタを真似たのだろうか,マンガラは白壁に寄りかかっていた。尋ねることも,相変わらず,無邪気に好奇心の赴くままだ。ふう,とカタランタは深く息をついた。
 「マクレアは,伝承の名であり,部族の名であり,統率者の名でもある。彼らは「神意」の部族とも呼ばれ,代々の統率者はその前の統率者の生まれ変わりとされる。統率者を讃える意味で「マクレア」を冠しているそうだ。」
 パガサは息をのんだ。生まれ変わりが統率者になる。そんなことが可能なのか。里を出てから,次々に現れる,次々に知らされる,新しいことの連続に,パガサは目がくらむのを覚えた。パガサも壁に寄りかかる,その隣で,マンガラは「へえ」という顔つきで目を輝かせている。
 「ねえ,そんなことできるの。どうやって分かるの。ねえ,カタランタ。」
 マンガラの質問攻めに,明らかにカタランタはうんざりしていた。関心を失くしたように,一言付け加えただけだった。
 「さあな,俺もよくは知らない。だが,実際,彼らはそうして統率者を決めてきた。それだけだ。」
 部屋の外で交わされた短い会話の間に,長老と工房の若者たちの話は決したようだ。出て来る顔は,ほんの少し前に来た時と違い,みな輝いている。今後への希望と期待,それに未来への意志が,そこにうかがえる。最後にアスワンが,やはり明るい顔で出てきた。
 「パガサ,お前には感謝しても感謝しきれない。パテタリーゾの民がいかに決意を固めたか,お前たちをどのような想いで送り出したか,お前の口ぶりから十分に伝わった。土の民を誇りに思う。そうだ,借りができてしまったな。これから,お前たちはどうする。俺で良ければ力を貸すが。」
 これから。ぼくらはどうなるのだろう。カタランタに話したように,ブッフォに言われるままに,ここに来て,若者に会った。その若者が,カタランタなのか,このアスワンたちなのか,分からないが。そうすれば。いや,待て,あの人は最初「海の民の動きに注意を払え」とも,「若者の動きが分かれば,次に向かうべき地も決まる」とも助言された。とすれば,ぼくらも若者たちに同調し,方舟というものに乗る,ということだろうか。
 マンガラのあからさまな視線と,カタランタが横目でこちらを見ているのを感じながら,しかしパガサは言い出しかねていた。方舟は,海の民の若者たちが,「将来の民」を想って造ろうとしているもの。それに,造るのはこれから。木材を調達するところから始まる。完成まで一体どのくらい時間がかかるのか分からない。聞いた感触からすると,その約束の地というところで,「輝石」の真相が明らかになるとも思えない。
 「もし,まだ行き先を決めていないのなら,俺にひとつ提案させてくれないか。湾岸都市マールに拠点を持つ部族がいる。それを束ねているのは,「若き賢王」と呼ばれるエル・レイだ。部族なのに「王」とは変わっているが。彼だったら,もしかしたら,何か事情を知っているかもしれない。」
 湾岸都市マール,「若き賢王」。パガサは黙ったまま,いま少し考えようとした。決めてしまうには,まだ足りない気がする。何が足りないのかは分からないけれど。しかし,他に行くべきあてがあるか,と問われれば,無いとしか答えられない。
 「なあ,パガサ,長老評議会も疑わしくなった今,それも一つの選択肢だと思うのだが,どうだろう。この海の民や,お前たち土の民,他にも砂の民などが住む大地ルーパは,すべて評議会の下にある。だが,辺境の地にあるマールはもちろん,エル・レイも評議会とは無関係だ。それだけでも,行くだけの価値があると俺は思う。」
 なるほど,たしかにアスワンの助言には一理ある。海の民の長老カルヌグがつぶやいた言葉を,パガサは思い出していた。評議会長。「境抜け」の禁忌も「往来」の禁忌も,すべての里の長老たちで決めたのではない,評議会長が定めたもの。
 そのとき部屋から,当のカルヌグが姿を現した。
 「私からもルーパを離れることを勧めよう。先ほどは大変失礼した。マトゥーラは評議会のなかでも,もっとも里を想う長老だ。私が往来の禁を破ったのも,彼の熱意に打たれたからでもある。提議された禁忌に,長老たちは懐疑的だった。だが,評議会長が,臨時最高決定権を持ち出して強引に定めた。それでも反対したのは,マトゥーラただ一人だった。」
 長老が。そうだったのか。あの祠の前で,大勢の民を前にして踏ん張った長老が,里のことを考えていた。ぼくらは,てっきり評議会全体が,まるで何かを隠そうとしていると思っていた。そして評議会の代表の一人として長老が,それに加担しているように感じていた。そうではなかったのか。
 マトゥーラが土の民の未来を,いや,ルーパの未来を賭けた二人の若者。私も,この二人に賭けてみよう。カルヌグは自分の言葉を受けて,何かを感じ,何かを悔やむパガサの姿を見ながら,そう思った。
 「海の民の長老として,方舟建造を進め,更なる禁を破る決意をした今,「輝石」の真相を求め,旅を進めるお前たちに,マトゥーラへの敬意も込めて,伝えておく。」
 パガサから,マンガラへ,そしてカタランタ,それぞれの眼を見て,カルヌグは続けた。
 「評議会はもはや里のためには機能しておらぬ。評議会長が,あの臨時最高決定権を行使した時点で,実質的に全権を掌握してしまったからだ。それまで,評議会長とは名ばかりの,評議会の最終決定を認定する立場だったのだが。なぜ,そうなったのかは,私も含め長老たちも知らぬ。しかし,思えば,あの「輝石」が見つかって以降,評議会長は変わってしまった。何らかの関係があるやもしれん。」
 「輝石」と評議会会長との関係。また,新たな,しかし,解きほぐすには,ぼくらには,あまりに重い推察。自分たちの里の長老の真意にさえ気づけなかったのに。ぼくらで,本当にぼくらで,そんなことが出来るのだろうか。「パガサ」と,マンガラが肩を叩いた。マンガラ。そうだ,行くしかない。里を出てから,決意したこと。里の皆のために。
 「では,決まりだな。大丈夫だ。イスーダはマールと長く交易をしてきた。海の民のふりをして潜り込めば,不審に思う者はいない。もちろん,ルーパではないから,禁忌も無いし。」
 アスワンは,先ほどとは違う意味の力を込めて,パガサの両肩に手を置いた。その手はやがて,膨大な時間と労力をかけて,希望を叶えるべく,鋸を引き,槌を振るい,巨大な木組みを造る海の男の手だった。すでに固まった強い意志と,決して消えない心の熾火は,きっとパガサにも,伝わっただろう。
 「俺も行く。」
 白壁に寄りかかったままだったカタランタが,壁から体を離し,まっすぐパガサの眼を見つめた。カタランタ。ここに来て出会った若者。名前しか知らない若者。武器のようなものを用い,イスーダに,いや,イスーダに限らず,ルーパ以外の地や人々,そしてその習俗にも詳しい。これから先,何も知らないぼくとマンガラ二人だけでは心もとない。それは事実だけど。
 アスワンたちは,カタランタを土の民だと信じて疑わなかったのだろう。同行して当然なのに,なぜその決意を表明するのか。軽い困惑を,顔に浮かべながら,パガサとカタランタの醸し出している妙な雰囲気を見守っていた。
 「おい,アロン。どこにいる。」
 場が動きそうにないと見たアスワンが,部屋の外の廊下に向かって大声を出した。と,橙色の灯のなか,駆け足の音とともに,小さいアロンが若者たちの間を縫って走り出た。
 「パガサたちを頼めるな。交易連絡船まで連れて行ってやってくれ。後は分かるな。」
 重要な役割を与えられたアロンは,とても嬉しそうに目を輝かせ,白い歯を見せた。「よろしく」という意味なのだろう。パガサ,マンガラ,カタランタと,一人一人の手を握り,力強く大きく振った。
 「アロンはこう見えて,立派なイスーダの漕ぎ手だ。安心して任せると良い。俺が送ってやりたかったが,三人は乗せられないからな。」
 アスワンや他の若者たちに,背中を押されるように,パガサたちは長老の家を後にした。部屋を辞するときに,カタランタがカルヌグを見たときの,恭順と尊敬の混じった表情に,気づいたのはマンガラだけだった。それも無理なからぬことだった。海の民の若者たちは高揚し,パガサは旅路の見えぬ先への不安に囚われていたからである。そのマンガラにしても,見たのがものの一瞬だったので,首をかしげるしかなかった。
 通りに出ると,すっかり夜の帳が下りていて,灯がひときわ橙の色を強めていた。船着き場は,工房とは真反対の方向にあった。そこまで,アスワンたちが皆で案内した。ひっそりとした街と対照的に,誰が合図をしたのか,若者たちは,パガサたちの知らない歌を口ずさんでいた。
 アロンが操舵する舟は,小さな丸木舟だった。専売会から卸した木材の外壁を削り,中をくり抜いて人が座れる空間を作る。それとは別に,丸材を縦に五六等分し,削り出した櫂で,流れを操る。もちろん,マンガラとパガサには初めて見るものだった。
 「これで,この海を歩くの。足も何もないけど。本当に歩けるの。」
 マンガラの素朴な問いは,パガサも考えていた問いだった。ただ,マンガラと違い,パガサは口にしない。カタランタは,何も言わず,皆が舟に乗り込むのを待っている。
 「海は歩かないよ,マンガラ。この櫂で漕いで進む。まあ,とにかく舟に乗ってよ。間に合えば,交易連絡船の船着き場で,今夜中に船が見つかるかもしれない。」
 アロンに促され,マンガラとパガサは,ゆるい波に揺れる舟に,恐る恐る足をかけた。舟がなるべく桟橋に密着するように,アロンは櫂を巧みに操る。二人がようやく乗り込むと,カタランタがひょいと飛び乗った。その衝撃に舟が少し揺れ,マンガラとパガサは怖さから,眼を閉じて手を取り合った。
 船着き場はモレスコ湾のもっとも奥にあった。内海の静かな水面は,街から離れるにつれて,すでに現れていた月の光を,たゆたう帯となって照らし返した。最初は恐れていた二人も,リズミカルに水を掻くアロンの櫂と,舟横に波が当たって立てる音,そして,ゆらめく光の面にすっかり魅せられていた。と,心にゆとりができたのか,ふいにマンガラが言った。
 「ねえ,カタランタはどうしてぼくらについて来たの。」
 三人でいる事実をすっかり忘れていたパガサは,質問をマンガラに先んじられた悔しさと,そもそもそんな質問をしなければならない状況を許した自分に,やるせない不満を覚えた。事情を知らないアロンだけは,やはり困惑の表情を浮かべている。
 「さあ。強いて言うなら,お前たちと出会ったからかな。」
 そう言うカタランタは,あの妙な長い道具を肩に当てて片膝を立てて座っている。海の先を見るでもなく,月を見るでもない。どこまでも分からない奴だ。ぼくらの知らないことを知っているくせに,自分のこととなると,いつもこうやってはぐらかす。
 「そう睨むな。パガサ。お前の考えていることは分かっている。だが,俺にもそれなりの事情がある。時が来れば,いや,その時になれば,必ずすべてを話す。だから,今は詮索しないで,同行させてくれ。」
 「時が来れば」ってどういう意味だろう。また謎が増えた。まったく納得できないけれど,「必ずすべて話す」なら,まあ。マンガラが腕をとんとんと叩く。何だよ,マンガラと,見るとマンガラがにんまりと笑っている。そうだな。たしかにカタランタがいなければ,ぼくらも先へは進めなかった。たぶん,これからもきっとそうだろう。
 「カタランタは土の民ではないの。」
 アロンが櫂を規則的に漕ぎながら,カタランタ一人にではなく,三人に尋ねた。やり取りを聞いていて,思うところがあったのだろう。
 「まあ,元を辿れば俺も土の民のようなものだ。この道具がそれを明かす。獣の肉に孔を穿つ貫(つらぬき)と,刃が三つ叉になっている卍。土の民が,まだ森に暮らしていた頃に,動物を狩る道具の名残とされる。」
 カタランタは肩に当てていた道具を見せ,それから腰に帯びた金属を見せた。アロンに説明しているようで,実際はパガサとマンガラに向かって言っているのは明らかだった。
 「昔は,旅に当たって土の民の案内役をしたとも,パテタやリーゾの植えられた土地を荒らす動物から守るために,一時里に召し抱えられたとも聞く。昔の話だが。」
 土の民は昔,森に暮らしていた。カタランタのように武器を持って,動物を狩っていた。今の里の林には,武器を使ってまで狩るような動物はいないし,いたとしても武器を持たない。田畑が荒らされたこともない。ぼくらが知らない昔のことなのか。
 「そうだ。パガサ。お前はよく物事を考える方だと見る。その袋に入れている地図,ルーパを網羅した地図,それが「在る」意味を考えたことがあるか。いや,無いはずだ。旅の途中で考えてみてくれないか。」
 不敵とも,悪戯とも言える微笑みを浮かべながら,カタランタは短い身の上話を結んだ。地図の「在る」意味。長老から託された地図に何の意味が。少し謎に近づきそうになると,また謎が増える。まったく,カタランタは。
 「みんな,あそこの灯を見て。あれが交易連絡船の船着き場だよ。」
 アロンの大きな声が,パガサの思考を妨げた。橙の灯に照らされた広い船着き場には,乗ってきた舟の数倍は大きいと思われる船が何艘も停泊していた。パガサもマンガラも,思わず立ち上がって巨大な木の塊の群れを見つめた。

地の濁流となりて #5

地の濁流となりて #5

パガサの働きもあり,海の民の長老カルヌグは方舟の建造を許した。しかし,マンガラたちは次に向かうべき場所が分からない。「輝石」のなぞを解くために,彼らはどこへ向かうのだろう。第一部「海の民編」完結。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-25

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