八咫烏(9) 最終回直前2時間スペシャル!!

八咫烏(9) 最終回直前2時間スペシャル!!

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 第九話「偽小判」

 第九話「偽小判」

「ちょっと松葉屋(まつばや)まで行ってくる」
 めし屋を出ると、神妙な顔で烏平次(うへいじ)が言った。
 雷蔵(らいぞう)瓦版(かわらばん)隼助(しゅんすけ)にあずけて烏平次にうなずいた。
「それじゃカシラ。アッシらは読売屋(よみうりや)のほうをそれとなく当たってみやす」
「ごくろうだが、たのむ」
 鋭い眼でうなずくと、烏平次は去っていった。
 隼助は烏平次を見送ると、瓦版を広げて文面に目を落とした。
「義賊・八咫烏(やただらす)が市中に偽小判をばらまいた、か」
 もちろん、デタラメである。自分たちは偽小判などばらまいた覚えはない。烏平次はこの件について相談するため、外神田(そとかんだ)の小間物問屋・松葉屋へと出かけていったのだ。松葉屋の主人・松葉屋(まつばや)伝左衛門(でんざえもん)は、八咫烏の先代の頭目をつとめていた男である。足を洗ってだいぶたつが、いまでも烏平次とはよく顔を合わせているのだ。
 それにしても、いったいだれの仕業なのか。そして、その目的はなんなのか。
「ちくしょう!」
 隼助は瓦版を丸めて地面に叩きつけた。すると、雷蔵がとがめるような口調で「その瓦版、まだ捨てるんじゃねえ」と、とがめるような口調で言った。
「へ、へい。すんません」
 隼助はうっとうしげに横目で雷蔵を伺いながら瓦版を拾い上げた。
 まったく、これから店を出そうってときに、やっかいな事件にまき込まれたものだ。いままで隠れ家としてつかっていた向島(むこうじま)の荒れ寺は引き払うことになったのだ。そして来月、新しい隠れ家として深川(ふかがわ)に小料理屋を出すことになったのである。この話を雷蔵から聞いたのは、四日まえのこと。堅気の商売をしていたほうが、町方(まちかた)に目をつけられにくい。それに、客のうわさ話や仕入れ先からいろいろな情報も得られる。それが烏平次と雷蔵の考えだった。もちろん、隼助にも異論はなかった。なにしろ、店の手伝いとして若い(むすめ)を雇うことができるのだから。隼助は妄想しながらフッ、と笑った。
 ピーヒョロロ……ピーヒョロロ……
 秋空の下で、トンビが円を描いている。
忍天堂(にんてんどう)、か」
 雷蔵が腕組みをしながら低く唸った。忍天堂の瓦版には、だれが偽小判を届け出たのかまでは書かれていない。ただ、『戸口から小判を投げ込まれたので表をのぞいてみると、月明かりの中を三つの黒い影が走り去っていくのが見えた』と書かれているだけだった。
「どこのどいつか知らないけど、オレたち八咫烏を相手にいい度胸してますよね」
「敵は、案外大物かもしれねえぜ」
 雷蔵は組んだ腕の片方を解いて、アゴをさすりはじめた。
「忍天堂の陰で糸を引いているのはだれなのか。こいつぁ、ひょっとすると御上(おかみ)を向こうにまわす羽目になるかもしれねぇな」
「なに言ってんです、雷蔵さん。オレたちは盗っ人。はじめから御上を向こうにまわしてるじゃないですか」
 八咫烏は義賊。庶民の味方ではあるが、御上に追われる盗っ人なのだ。
「ちげぇねえ」
 居心地わるそうに笑うと、雷蔵はすぐにきびしい目つきになった。
「だがな、隼助。いずれにしろ、こいつは御上の仕組んだ罠かもしれねえんだ。ドジ踏むんじゃねえぜ?」
「へい」
 十五のときから六年間、八咫烏として盗みをくり返してきた。八咫烏は義賊である。貧しい者のために罪を背負うことは正義なのだ。そう確信していた。しかし、盗っ人は所詮、盗っ人。法を犯す科人(とがにん)なのだ。盗っ人に正義など、ありはしないのである。だが、それでもいい、と隼助は思った。盗っ人にだって人を救うことができる。たとえ世間から偽善者と言われようがかまわない。オレたちは〝必要悪〟なのだ。
「いくぜ、隼助」
 雷蔵が引き締まった表情で衣紋(えもん)を合わせた。
「いくって、どこに?」
 隼助がマユを寄せると、雷蔵は呆れた顔になった。
「バッカだなあ。おめェさんは。忍天堂にきまってるじゃあねえか」
「……ですよね~」
 隼助もあたまをかきながら笑った。
「バッカだなあ。オレは」
 めし屋の店先で高笑いをする隼助と雷蔵なのであった。

「ごめんよ」
 雷蔵が忍天堂の暖簾(のれん)をくぐった。隼助も雷蔵につづいて店に入ると、番頭らしき中年の男がソロバンを弾く手をとめて顔を上げた。丸い鼈甲(べっこう)の眼鏡の奥で半開きになった(まなこ)。そして尖った上唇。帳場に座る番頭らしき男の顔は、どことなくカメにそっくりである。隼助は「はっ」とした。カメが鼈甲の眼鏡をつけている――いよいよたまらなくなった隼助は、雷蔵の背中に隠れて忍び笑いをするのであった。
「あの、なにかご用でしょうか?」
 番頭らしき男が帳場のほうからやってきた。
「ちょいと訊きてえことがあるんだが」
 雷蔵が()がり(かまち)に腰をおろした。隼助は〝カメ〟の顔を視界にいれたくないので、腕組をして帳場に背を向けた。
「訊きたいこと、とおっしゃいますと?」
 カメが言った。隼助は肩越しにチラリとふり向いた。カメは雷蔵のよこでひざを折り、片方の手を畳について、口を半開きにしながら隼助と雷蔵の顔をかわるがわるうかがっていた。見れば見るほどカメにそっくりな顔である。自然と笑いがこみ上げてくる。隼助はぐっと歯を食いしばりながら暖簾のそとに視線を放り投げた。
「なに、たいしたことじゃねえんだ。じつは」
 雷蔵はいったん言葉を切って「隼助、あれを」と、右の掌を差し出してきた。
「な、なんスか? 雷蔵さん」
「はやく出しなせえ」
「出せ、って……なにを?」
 隼助がマユをひそめると、雷蔵は顔をしかめてため息をついた。
「瓦版にきまってるじゃあねえか。バッカだなァ、おめェさんは」
「……ですよね~」
 隼助はあたまをかいて笑った。
「バッカだなー、オレは」
 ふと視界の中にカメの顔が飛び込んできた。
 胃がよじれる。
 笑いが止まらない。
 涙も止まらない。
 隼助は腹を抱えてうずくまった。まずい。いくらなんでも笑いすぎだ。これでは怪しまれてしまう。隼助はフー、と息をはき、なんとか冷静さを取りもどした。
 店内が、しんと静まりかえっている。店の隅で瓦版を刷っている職人たちも、みんな動きを止めている。彼らの白く冷たい眼は、すべて隼助に注がれていた。
 涙目のまま、隼助はそっと雷蔵に目を向けた。いまにも能を舞いだしそうな、表情のない顔。雷蔵の眼は、喜怒哀楽を忘れたように白けているのであった。
「いや、バッカだなー。オレは」
 ぎこちなく笑うと、隼助は気まずそうに衣紋(えもん)をなおした。それから「なんちゃって」と、首をすくめて舌を出した。しかし、店内は時が止まったままだ。そして雷蔵も、能を舞う準備をしていた。
「バカじゃねーのオマエ」
 能面がボソリと毒づいた。
「すっ、すんません」
 隼助は居心地わるそうにアゴをしゃくった。このカメじじいめ。あとでかならず剥製(はくせい)にしてやる――隼助は目の端でカメをにらみながら、胸の中で激しく罵った。
「あの~、それでご用というのは?」
 ひざの上で手をすり合わせながらカメが言った。
 隼助は雷蔵に読売を差し出した。すると、雷蔵はカメのほうに顔を向けたまま読をひったくった。
「じつは、こいつのことなんだが」
 雷蔵がカメのひざもとに瓦版を広げた。雷蔵はじっとカメの顔を見すえている。もし、カメに(やま)しいところがあれば、たちまち顔色が変わるはずだ。雷蔵は、そこを見定めようとしているのだ。
 カメは瓦版を拾い上げると、文面にさっと目を通しはじめた。
「ああ、偽小判の記事ですね」
 それから雷蔵の顔を見て、「この記事が、どうかなさいましたか?」と、不思議そうにマユをひそめながら瓦版を返した。
 カメの顔色は変わらない。どうやら当てが外れたらしい。
「八咫烏といやあ、名の知れた義賊だ」
 瓦版を懐にしまいながら雷蔵が言う。
「とてもそんなマネをするたあ思えねぇなあ」
「そうだよ」
 隼助が割ってはいった。
「いったい、どこのだれがそんなことを――」
「おや、お客様がおいででしたか」
 奥の障子から主人らしき男が顔を出した。白髪あたまの恰幅(かっぷく)のいい男だ。
「あ、旦那様」
 カメが腰を上げて主人に会釈をした。
「じつは、この方たちが」
 カメが主人に説明をはじめた。主人は品のいい笑みを浮かべながら、カメの言葉にうなずいている。
「なるほど」
 品のいい笑みをたたえながら主人がうなずいた。
「わかりました。ここはいいから、亀造(かめぞう)さんは仕事をつづけなさい」
 主人がカメを亀造と呼んだ。
 なんてこった――隼助は全身がくすぐったくなってきた。
「ブフッ」
 とうとうこらえきれずに隼助は吹きだした。
 しまった――隼助は慌てて帳場に背を向けると、腕組みをしながらじっと暖簾のそとをにらみつけた。腹の底からこみ上げてくる笑いを、隼助はぐっと奥歯で噛み殺しているのであった。
「おたくが御主人かい?」
 雷蔵が言った。
「はい。てまえが主の久右衛門(きゅうえもん)でございます」
 腕組みをしたまま、隼助は目の端から久右衛門の顔をちらりとうかがった。やはり、久右衛門は大黒様のような品のいい笑顔をたたえている。
「ひとつ訊きてえんだが」
 雷蔵は腕組みをすると、肩越しに久右衛門と話しはじめた。
「偽小判を御上に届け出たのは、一体(いって)ぇだれなんだい?」
「さあ。それはわかりません」
 久右衛門が首をひねった。
「この記事に書かれていることは、奉行所のお役人様から直接聞いたお話なので」
「月明かりの中を走り去る三つの黒い影。これだけじゃあ、八咫烏が下手人だっていう証拠にはならねえと思うんでやすがねえ。それとも、町方はなにか、確かな証拠でもにぎっていなさるんで?」
「それは、わたくしどもにも存じ上げません。たとえあったとしても、おいそれと教えてくれるとは思えませんが」
 眼の動き。声の調子。どこにも不自然さはない。久右衛門は〝白〟だ。隼助はそう確信した。
「なるほど」
 雷蔵も納得したようにうなずいた。
「いや、手間をとらせて悪かった」
 ため息をつきながら立ち上がると、雷蔵は隼助にうなずいて戸口のほうに向かった。

 どうやら忍天堂は関係ないらしいことがわかった。隼助は雷蔵とふたりで浅草蔵前(くらまえ)の通りを両国橋に向かって歩いていた。
「それにしても、うまいことを考えやがる」
 腕組みをしながら雷蔵が言った。
「アッシらが狙うのは悪徳商人。たとえ蔵ん中から千両箱が消えたとしても、やつらが御上(おかみ)に訴え出ることは、まずありえねえ。てめえらの悪事まで露見することになるからな」
 隼助はうなずいた。
「だから、敵はオレたちが偽小判をばらまいた、ってことにしたんですね」
「問題は、その敵が何者かってとこなんだが」
 言いかけて、雷蔵が足を止めた。
「ところで隼助。さっきのことだが」
「へい」
「おめえさん、なんだってあんなに笑いやがったんだ?」
 亀造の一件である。
「だって雷蔵さん。あの番頭、おかしくなかったですか?」
「番頭? ああ、あの眼鏡の男か。あいつがどうかしなすったのか?」
「あの人、カメにそっくりじゃなかったですか? カメが鼈甲の眼鏡をつけて、しかも名前まで亀造ってんですから。ホント、冗談みたいな人ですよね?」
 隼助は亀造の顔を思い出しながら笑いはじめた。
 胃がよじれる。
 涙があふれる。
 笑いが止まらない。
 雷蔵は笑わない。能面のような顔で白けている。
「バカじゃねーの? オマエ」
 と、能面は毒を吐きました。

「雷蔵さん、あそこでちょっとひと休みしませんか?」
 隼助は両国橋の手前にだんご茶屋を見つけると、指で示しながら雷蔵をふり向いた。
「それじゃ、一服していくか」
 茶屋の床几(しょうぎ)に、ひとりの同心が通りに背を向ける格好で座っている。雷蔵が通りを正面に見ながら同心のとなりに腰を下ろした。「お茶とだんご。二人前」
 隼助は主人に注文しながら雷蔵のとなりに腰をおろした。
 ほどなく、主人が茶とだんごを盆にのせて運んできた。のこり少ない白髪で結った小さなマゲ。そして、盆をもつ手は干からびた大根のようである。
 床几の上にだんごの皿と茶を置くと、主人は目尻にしわをつくって会釈をした。
「どうぞ、ごゆっくり」
 主人は腰を曲げながら店の奥にひっこんでいった。
 雷蔵が通りに視線を向けながら茶をすすりはじめた。隼助は茶をひとくちすすると、丸いだんごが四つ通された串を一本、指ではさんでもち上げた。透き通った飴色から立ちのぼる香ばしい匂い。焼き立てなので、まだ熱い。ひとくち頬張ると、みたらしの甘みと〝おこげ〟の苦みが仲良く手をとりあって鼻腔(びくう)を駆け巡るのであった。
 ふた口めをかじったとき、隼助は雷蔵越しにちらりと同心の様子をうかがった。ひざの上で湯呑の下に掌を添えながら、背中を丸めてうなだれている。まだ口をつけていないのだろうか。湯呑からは、白い湯気が立ちのぼっていた。同心は湯呑の中に目を落としたまま、重い吐息をひとつ、吐きだした。顔は伏せているのでよく見えないが、どこかで見たことのある横顔だ、と隼助は首をひねった。
 同心の向こうに見える両国橋を、ガラゴロと音を立てながら大八車が渡ってゆく。雷蔵は同心を気にすることなく、涼しい顔で茶をすすっている。町方が躍起(やっき)になって自分たちを追っているというのに、まるで他人事(ひとごと)のように落ち着きはらっていた。もっとも、それぐらいの度胸がなければ八咫烏はつとまらないのであるが……。
 隼助がだんごをかじりながら通りに目を向けたときである。
「きゃっ!」
 とつぜん、同心が妙な声で悲鳴を上げた。どこかで聞いたことのある声。まさか――隼助は、おそるおそる同心をふり返った。雷蔵も湯呑を口もとでかたむけながらふり向く。同心はくちもとに手拭いを当てながら背中を丸めている。
「あっつ~い!」
 同心がすっくと立ちあがった。
「ちょっと、おやじさん。このお茶、あつすぎるわよ」
「あっ!」
 隼助は相手を指差しながら声を上げた。
「え?」
 同心がふり向く。
「ブッ!」
 雷蔵は鼻から茶をふきだした。
 毛虫のように太いマユ。しゃくれたアゴ。頬一面に青くのこるヒゲの剃りあと。同心の名は蕪木(かぶらぎ)新之助(しんのすけ)。北町のオカマ同心、雷蔵の天敵だった。
「あらやだ、(らい)ちゃんじゃな~い」
 気色悪い笑顔を雷蔵に向けながら、蕪木は目をパチパチとしばたいた。
「かっ、かぶ……」
 雷蔵はむせかえりながら、苦しそうな表情で胸をたたいている。目は潤み、鼻から茶の雫がしたたり落ちているのであった。
「まあまあ、そんなにお口を汚しちゃって。アタシが拭いてあ・げ・る」
 蕪木が口もとを押さえていた手拭いである。
「そ……それだけは! どっ、どうぞそれだけはごかんべんを!」
 雷蔵は命懸けで抵抗している。蕪木は意地でも拭いてみせる、と言わんばかりに手拭いをふりまわしていた。
 町方を恐れていては、八咫烏はつとまらない。だが、この同心だけは恐ろしい。ふたりのやり取りをながめながら、しみじみと思う隼助なのであった。

「なるほど。例の偽小判の探索をダンナがねえ」
 煙管(キセル)に火を点けると、雷蔵はゆっくりと白い煙を吐きだした。
「そうなのよ」
 蕪木はため息をついてうなだれた。
「与力の佐野(さの)様が『ひと月の猶予をやる。それまでに下手人(げしゅにん)()げることができなければ、きさまはお役御免だ』って」
 鼻をすすり、べそかき顔を雷蔵につかづける。
「アタシ、どうすればいいのかしら?」
「どうもこうも、捕まえりゃあいいじゃございやせんか」
 わずらわしげな表情を通りに向けながら、雷蔵はプカプカと煙管をふかしていた。
「でも、アタシ……恐いのよ」
 蕪木が雷蔵の袖にすがりついた。
「とっても怖いの」
 小さく首をふりながら、彼女……いや、彼は涙を流しはじめた。
 オレはあんたのほうが怖い――隼助は顔を背けてだんごをかじった。
「お願い、雷ちゃん。下手人を捕まえてちょうだい」
「なっ、なんでアッシが?」
「ねえ、お願い。あのときのように捕まえて」
 雷蔵は以前、蕪木が追っていた下手人を捕まえたことがあるのだ。そのとき、蕪木はひと目で雷蔵に惚れてしまったのである。
「手をはなしておくんなせえ」
 雷蔵が手をふりほどこうともがいている。蕪木は離してなるものか、と必死にしがみついていた。
「きゃあ!」
 蕪木が気色悪い悲鳴を上げた。
「あっつ~い!」
 どうやら雷蔵の煙管で手の甲を火傷したようだ。
「やれやれ」
 隼助は疲れたようにため息をつくと、湯呑を一息に飲み干した。それから隼助は店の主人に茶のおかわりを三人前たのんだ。
「そういえば」
 うっとうしげに衣紋を合わせながら雷蔵が尋ねる。
「ダンナはさっき、与力の佐野様、とおっしゃいやしたね?」
「ええ、いったわよ。それがどうかしたの?」
 不機嫌そうな声で答えると、蕪木は雷蔵にそっぽを向いた。くちをとがらせながら、火傷をした手の甲をやさしくさすっている。
 主人が茶のおかわりを運んできた。湯呑をもち上げながら雷蔵がつづける。
「その与力ってのは、ひょっとして佐野(さの)紋十郎(もんじゅうろう)様のことで?」
「ええ、そうよ」
 そっぽをむいたまま蕪木が答える。
「すっごくヤなやつなの」
「そうでやすか」
 と、鋭い目つきで雷蔵がうなずいた。
 だんごをかじりながら隼助が尋ねる。
「その佐野って与力のこと、知ってるんですか? 雷蔵さん」
「……いや」
 雷蔵は鋭い目を通りに向けたまま茶をすすった。まるで長年探し求めていた仇に出会ったような目つきである。いったい、雷蔵は佐野紋十郎にどんなうらみがあるのだろうか。
 蕪木は手の甲に視線を落としながら、火傷の傷をさすっている。なよなよとあたまをゆらしながら、くちをとがらせていた。
「ねえ、雷ちゃん」
 手の甲に目を落としながら蕪木が言う。
「八咫烏、って知ってる?」
「ええ。もちろん知ってますとも」
 雷蔵は隼助と顔を見合わせると、まるで〝おめえさんの目のまえにいるじゃねえか〟といわんばかりに嘲笑を浮かべるのであった。
「アタシが追ってる下手人っていうのは、八咫烏なのよ」
 蕪木が重いため息をついた。
「江戸でもっとも有名な〝凶賊〟八咫烏なのよ」
「凶賊じゃねえ。〝義賊〟だ」
 隼助は雷蔵と声をそろえて訂正した。
「そんなやつら、とても捕まえられっこないわよ。きっと、殺されちゃうわ。アタシ」
 手拭いで目頭を押さえながら、蕪木は〝よよ〟と、すすり泣きをはじめた。
 隼助はばかばかしい、というように鼻で笑いながら茶をすすった。
「八咫烏は義賊。人を(あや)めたりなんかしませんよ」
「なによ。あんたに、アタシの気持ちがわかって?」
 蕪木がキッと隼助をにらんできた。
「それとも、あなたなら捕まえられるっていうの?」
「なんだと」
 下手(したて)に出てればいい気になりやがって。隼助がカッとなって立ち上がると、雷蔵がとがめるように咳払いをした。あとは自分に任せろ。雷蔵の目は、そう語っていた。
「ところで、ダンナ。その偽小判を届け出たのは、一体(いって)ぇどんなやつなんで?」
 煙草盆の炭火で煙管に火を点けながら雷蔵が訊ねた。
「アタシ、知らない。佐野様が直接話を聞いて、すぐに帰しちゃったんだもん。アタシも話を聞こうと思ったんだけど、それよりも、おまえは八咫烏の探索に専念せい、って」
「佐野様が、ねえ」
 雷蔵は白い煙をふーっと立ちのぼらせると、目を細くしてうなずいた。この一件には与力の佐野がからんでいる、と雷蔵は思っているらしい。
「ダンナ。その偽小判は、いまここにありやすかい?」
「ええ、あるわよ。届けられた偽小判は、ぜんぶで三枚。そのうちの二枚は、ここにあるわ」
 蕪木が懐をポン、とたたいた。
「アッシに、ちょいと考えがあるんですがね。そのうちの一枚、貸してもらうってわけにはまいりやせんか?」
「え? それはちょっと……どうしようかな~」
 蕪木が目をしばたたかせながら天を仰いだ。
「だいじな証拠の品だし、どうしよっかな~」
 蕪木があまりにもじらしやがるので、隼助はイライラしはじめてきた。
「ダンナ、いいかげんに――」
 隼助に掌を向けて制すと、雷蔵は煙管をくわえながらおもむろに腰を上げた。
「それじゃ、アッシらはこれで」
 と、雷蔵は隼助の顔を見ながら、とぼけたようにこっそりと笑った。
「あ、まって」
 蕪木が雷蔵の袖にしがみつく。帰してなるものか、と袖をひっぱり、なんとか雷蔵を座らせる。
「貸してあげる。貸してあげるから。だから、お願い。帰らないで」
 蕪木は雷蔵の胸に顔をうずめながら〝わっ〟と泣き出した。
 通りを行き交う人の流れが、にわかに止まった。あちこちから、偏見に満ちた冷ややかな眼差しが注がれてくる。雷蔵は煙管をくわえたまま、険しい顔をしている。鼻から煙を立ちのぼらせながら、舐めるように視線を這わせて野次馬たちを威嚇していた。
 そして、隼助は気づいていた。茶屋の主人が、さっきからずっと、暖簾の陰から訝しそうにこちらの様子をうかがっていることに……。

「これが、その偽小判よ」
 蕪木が一枚の小判を差し出した。雷蔵はそれを受けとり、裏と表を一瞥(いちべつ)すると、さげすむように鼻で笑った。
「なるほど」
 雷蔵は通りに目を向けたまま隼助に小判を差し出してきた。雷蔵の横顔を見ながら小判を受け取る。こいつは偽物だ。手にした瞬間、隼助にもすぐにわかった。重さ、厚み、そして光り具合。素人――たとえば小判を見慣れた商人(あきんど)など――でも見抜けるほど粗末な造りである。
「ばかにしやがって」
 隼助は鼻で笑うと、偽小判を床几の上に放りなげて茶をすすった。
「ちょっと」
 蕪木が口をとがらせた。
「大事な証拠品を粗末に扱わないでよね」
 そして、軽蔑するような眼差しを向けながらこう言った。
「あなたって、サイテー」
 蕪木がつん、とそっぽを向いた。このオカマ野郎――隼助は相手の顔をにらみながら胸の中で罵った。
「蕪木」
 両国橋の上からだれかが呼んだ。
「いけない、佐野様だわ」
 佐野を見ながら蕪木がうろたえた。佐野も蕪木をにらみながらちかづいてくる。つり上がったマユ。そして、つり上がった鋭い眼。いかにも悪人らしい顔つきである。
 雷蔵が床几の上から偽小判をひったくり、すばやく袖の下に放り込んだ。それから腕組みをして佐野から顔を背けた。雷蔵が隼助の顔にそっとうなずく。どうやら他人のふりを決め込むつもりだ。隼助もうなずいて、とぼけた顔で茶をすすりはじめた。
 佐野が蕪木のまえで立ち止まった。
 隼助は気づかれないよう、目の端から慎重に様子をうかがった。
「どうだ。下手人の手がかりはつかめたか?」
 腕組みをしながら佐野が言った。
 蕪木はくちをとがらせながら、視線を足元に落とている。彼は、なよなよ、と体をくねらせながら、無言で首をふるのであった。
「まったく。おまえというやつは」
 きびしい口調で佐野がため息をついた。
「ならば、こんなところで油を売ってないで、とっとと役目に戻られよ」
 蕪木をしかりつけると、佐野は見下すように鼻先で笑い、去っていった。
 蕪木はくちをとがらせたまま、佐野の背中を不愉快そうな顔でにらんでいる。
「ふん。なによ、えらそうに。クビにしたきゃ、すればいいじゃない。そしたら、あんたがやってること、ぜ~んぶお奉行様にしゃべっちゃうんだから」
 体をくねらせながら蕪木が毒づいた。
「その話、ぜひ聞かせてもらいやしょうか」
 くわえた煙管を煙草盆にちかづけながら雷蔵が言う。
「話してくれたら、アッシが下手人を捕らえてやりやしょう」
 鋭い眼を蕪木に向けながら、雷蔵はゆっくりと鼻から煙を立ちのぼらせていた。

 浅草蔵前にある巴屋(ともえや)は、この辺りではいちばん大きな米問屋である。佐野は巴屋の主人、巴屋(ともえや)太左衛門(たざえもん)と結託。米の買い占め、売り惜しみなどで相場を操り、私腹(しふく)を肥やしているらしい。たしかな証拠はないのだが、佐野には以前からそんなうわさがささやかれているのだ、と蕪木は語った。
「なるほど」
 雷蔵はふーっとくちから煙を立ちのぼらせた。
「わかりやした。あとは、アッシらにまかせておくんなせえ」
 煙管で灰吹(はいふき)をたたくと、雷蔵は床几から腰を上げた。
「本気なの? 雷ちゃん」
 蕪木が床几に腰かけたまま雷蔵を見上げた。不安げな表情を浮かべながら、目をしばたかせている。
「下手人の見当は、だいたいつきやした。まあ、なんとかなりまさァ」
 雷蔵は衣紋を合わせると、得意げな表情で蕪木にうなずいた。
「それじゃ、八咫烏の正体がわかったの?」
 蕪木が「はっ」としたように立ち上がった。
「偽小判をばらまいたのは、たしかに八咫烏かもしれやせん」
 雷蔵は胸のところで組んだ腕を片方解いて、アゴ先をさすった。
「だが、偽小判をつくったのは八咫烏じゃねえ。おそらく、どこかの蔵から盗み出したもを、それとは知らずにばらまいちまったんだろう」
 雷蔵はとぼけながら言った。
「つまり、偽金づくりの下手人はほかにいる、ってことですね? 雷蔵さん」
 隼助も雷蔵に合わせてとぼけてみせた。
「そういうこった。なに、明日中にはすべて、かたがつくだろうよ」
「でも」
 蕪木の表情がにわかに曇った。
「佐野様には、なんて報告すればいいのかしら。下手人は八咫烏のほかにいる、なんて言ったら、アタシ、本当にお役御免になっちゃうかも」
「佐野様には、だまっていなせえ。いままで通り、八咫烏をさがしてりゃあいい」
「そう。さがす〝ふり〟をね」
 隼助が言いそえると、蕪木はムッとした表情を浮かべた。頬をふくらませて、軽蔑するような眼差しで隼助をにらんでいる。隼助は相手をばかにするように鼻を鳴らすと、だんごの皿から最後の串をもち上げた。蕪木は、まだにらんでいる。隼助もだんごをかじりながら、雷蔵越しに横目でじっと蕪木の顔をにらみつづけた。
 雷蔵が仲裁するように咳払いをした。
「ここの勘定は、アッシがもちやしょう」
「あっ、いいのよ」
 雷蔵に掌を向けながら蕪木が言う。
「今日は、アタシがおごっちゃう」
 と、気色悪い笑顔で目をしばたいた。
「いや、しかし」
 遠慮をする雷蔵を掌で制しながら、蕪木は懐から紙入れを取りだした。
「それじゃ、お言葉にあまえます」
 ぶっきらぼうな口調で言いながら、隼助は皿の上にだんごの串を放り投げた。
「はあ?」
 げじげじまゆ毛をひそめながら、蕪木が蔑んだ眼差しを隼助に向けてきた。
「だれもあんたにおごるなんて言ってないわよ」
 そして、かすかに嘲笑を浮かべながら、こう吐き捨てた。
「バッカじゃないの」
 口もとでなにごとかつぶやきながら、蕪木が紙入れの中をさぐりはじめた。
 隼助はフッと鼻で笑った。それもそうだ。こいつがオレにおごるはずがない。たしかに、オレがバカだった。だが、少なくともテメエよりは利口だよ、と隼助は胸の中で毒づいた。
「冷やめし食いのくせに、見栄(みえ)はっちゃって」
 隼助は相手を挑発するようにせせら笑った。
 蕪木が紙入れの中をさぐる手を止めた。マユの下から、うらめしそうな目でじっとにらんでいる。隼助はそれを無視しながら「おやっさん、ここ置くよ」と、店の中に声をかけながら、床几の上に穴あき(せん)を数枚、転がした。
「おやじさん、お勘定」
 蕪木が一枚の小判を紙入れの中から取りだした。
「あっ、それは」
 偽小判だ――隼助が言おうとしたとき、雷蔵が蕪木の肩をガシリとつかんだ。
「おまチなセェ!」
 りきんだ口調で歯を食いしばりながら雷蔵が制した。
 ハの字になったマユの下で三角にした眼を血走しらせながら雷蔵が言う。
「そいつをつかったが最後。肩から上が平らになりやすぜ、ダンナ」
 つまり〝打ち首〟である。
 蕪木がゴクリとつばをのみ込んだ。
「ほ、ほほ……。ばっ、ばかね~」
 青い顔で蕪木が笑った。
「じょ、冗談にきまってるじゃな~い。もう。雷ちゃんって、意外とおかたいのねぇ。でも」
 目をしばたかせ、体をなよなよとくねらせながら、蕪木はそっと雷蔵の腕に抱きついた。
「そんな雷ちゃんもス・テ・キ」
 暖簾の影から、主人が戸惑いの表情を浮かべてうかがっている。彼は、勘定をとりに出ていこうかどうか迷っているらしかった。
「それじゃ、雷蔵さん。オレ、先に帰ってますね」
 隼助は雷蔵に背を向けると、両国橋のほうに足を向けた。
「隼助ェ」
 しぼりだすような雷蔵のかすれた声。だが、隼助はふり向かない。いつまでも、末永くお幸せに。隼助は、胸の中でふたりを祝福していた。
 茜色の空に入相(いりあい)の鐘が鳴りひびく。
「秋の日は釣瓶(つるべ)落とし、か」
 夕焼けに目を細めてフッ、と笑う。隼助は陽の沈む橋の向こうを目指して歩きつづけた。どこまでも、ふり向くことなく、隼助は歩きつづけた。

 荒れ寺にもどると、隼助は庭の奥、囲炉裏のある部屋のほうに向かった。もう()()(午後六時ごろ)を半時(はんとき)(一時間)ほど過ぎている。蒼い夜空には、きらきらと小さな星が降っているのであった。
「あれ?」
 奥の部屋の障子から灯かりが漏れている。どうやら烏平次が先に帰っていたらしい。隼助は沓脱石(くつぬぎいし)の上に雪駄(せった)をぬいで障子を開けた。
「カシラ、もどってたんスか」
 部屋に入ると、囲炉裏のまえで烏平次があぐらをかいていた。うっとうしいヒゲ面が、うっすらと撫子色(なでしこいろ)に染まりはじめている。
「雷蔵はどうした?」
 どんぶりで酒を呷りながら烏平次が言った。肴は天ぷらと漬物、いつもとおなじである。
「さあ。そろそろ来るんじゃないんですか」
 隼助は障子を背にして囲炉裏のまえに腰をおろすと、蕪木といちゃつく雷蔵を想像しながら湯呑に酒を注いだ。
「いや、朝までもどらないかもね」
 含み笑いをしながら酒を呷ると、烏平次が妙な顔でマユをひそめた。
「なんだ、なにかあったのか?」
「じつはね、カシラ」
 隼助は茶屋の一件を烏平次に話した。
「そいつは災難だったな」
 烏平次が愉快そうに声を上げて笑った。
 それから隼助は佐野のことも話した。
「佐野、か」
 烏平次が神妙な表情でうなずいた。
「カシラもしってるんですか? その、佐野っていう与力のこと」
「この一件は、すべて佐野と巴屋が仕組んだことなのさ。伝左衛門のとっつぁんも、まちげぇねえと言っている」
 やつらは、悪事で儲けた金を八咫烏に横取りされるのを恐れていた。たとえ土蔵が破られたとしても、巴屋は御上に訴えることはできない。もし町方に台帳を調べられるようなことになれば、佐野との関係が露見してしまうからだ。
「そこでやつらは、おれたちを偽金造りの下手人に仕立てることを思いついた、ってわけだ」
 今回の事件をいち早く察知した伝左衛門は、配下のものをつかってすべて調査済みだった。もちろん、偽小判を届け出た人物もつきとめていた。浅草鳥越町(とりごえちょう)にある源七(げんしち)長屋に住む左官職人で、名は徳松(とくまつ)。年の頃は三十五、六で、佐野が子飼いにしているヤクザの賭場(とば)に、かなりの借金をしていたようである。
「佐野は、それを棒引きにすることを条件に、こんどの〝仕事〟を徳松にもちかけたのさ」
 徳松は、やつらに利用されただけだ。放っておいてもいい。どんぶりを呷りながら、烏平次はそう言った。しかし、事の真相を知る徳松は、佐野にとって都合が悪いはず。
「カシラ。徳松は口を封じられるかもしれませんね」
「――そんなこたぁさせねえよ」
 障子の外から雷蔵の声がした。
「おう、もどったか。雷蔵」
 囲炉裏の炭を火箸でつつきながら烏平次が言った。
「へい。どうも、おそくなりやして」
 雷蔵が障子を入ってきた。
「徳松に会ってきたんですか? 雷蔵さん」
 たくあんをかじりながら隼助は尋ねた。
 囲炉裏をはさんで隼助の向かいに雷蔵が腰をおろす。
「ああ。身を隠すように忠告してきた」
 それから松葉屋へよってきた、と雷蔵は言った。例の偽小判をあずけてきたのだ。伝左衛門なら、偽小判を複製することができる。
 仙蔵の湯呑に酒を注ぎながら、烏平次が黄色い歯を見せて笑った。
「そいつを巴屋の蔵ん中にばらまこうってんだな?」
「お察しの通りで」
 雷蔵がニヤリとした。佐野を偽の書状で巴屋に呼びつけ、そこへ蕪木が踏み込む。土蔵の中の偽小判を証拠に、佐野と巴屋を一網打尽にする。湯呑をかたむけながら、雷蔵はそう言った。
「その偽小判は、いつごろ仕上がる?」
 雷蔵の顔を見ながら烏平次が天ぷらをかじった。
「今夜中には仕上がるようで」
 明け方までに百枚はできるだろう、と伝左衛門は言ったらしい。
「雷蔵、隼助」
 どんぶりに酒を注ぎながら烏平次が言う。
「明朝、〝お勤め〟に出る」
「どちらまで?」
 隼助が訊く。
「無論、巴屋だ」
 と、烏平次。
「刻限は?」
 雷蔵が鋭い眼を烏平次に向ける。
(とら)(こく)(午前三時ごろ)」
 浪人髷(ろうにんまげ)のヅラの下で鋭い眼を光らせると、烏平次はどんぶりの酒を一息に飲み干した。
 隼助は雷蔵と目を合わせてうなずき合った。

 翌日。複製した偽小判は、予定通り巴屋の蔵の中に置いてきた。巴屋に出向くよう、佐野にも偽の書状を届けてきた。隼助は雷蔵、そして、北町同心の蕪木新之助の三人で巴屋へ向かった。
「ねえ、雷ちゃん。やっぱりよしましょうよ。アタシ、怖いわ」
 雷蔵の袖をひっぱりながら蕪木はふるえている。
「心配しなさんな。きっとうまくいきまさァ」
 さりげなく蕪木の手をふりほどきながら雷蔵が笑った。
 三人で巴屋の裏口へまわった。隼助は周囲に人の気配がないのを確認すると、板塀に手をかけて飛びこえた。
「大丈夫、だれもいません」
 隼助が裏口の(かんぬき)を外すと、先に雷蔵が木戸をくぐってきた。
「早く来なせえ」
 雷蔵が躊躇する蕪木に手をふって促す。蕪木は不安げな表情で周囲をきょろきょろと気にしながら木戸を入ってきた。
「佐野は、そろそろ来るころだな」
 屋敷のほうに目を向けながら雷蔵が小声で言った。物陰に隠れながら、三人で庭のほうへ向かう。
「それにしても、いまの身のこなし。アンタ、ひょっとして盗っ人なんじゃないの?」
 蕪木が疑り深い眼を隼助に向けてきた。
「まさか。そんなわけないじゃないですか」
 たしかに、オレは盗っ人。それも八咫烏だ。捕らえられるものなら捕えてみろ――隼助は顔を背けながらほくそ笑んだ。
 三人で庭へまわると、太い松の陰の茂みに身をひそめた。
「だれかくる」
 鋭い声で雷蔵がささやいた。外廊下を歩いてきたのは鋭い眼の武士(さむらい)、与力の佐野である。佐野のうしろを、ガマガエルのような顔をした恰幅(かっぷく)のいい男が歩いている。
「あれが巴屋太左衛門よ」
 ガマガエルに目を向けながら蕪木が声をひそめた。
 ふたりは庭に面した部屋に入ると、障子を開け放ったまま話をはじめた。
「どうだ、巴屋。商売のほうは繁盛しておるか?」
「はい、おかげをもちまして。これは、いつものお口汚しでございます」
 巴屋は菓子箱を佐野のひざ元へ差しだした。
「いつもすまんな。巴屋」
 佐野が口もとでニヤリと笑う。
「いえいえ」
 巴屋が愛想笑いをしながら顔のまえで掌をふる。
「佐野様には日ごろよりお世話になっておりますので、ほんのお礼の気持ちでございます」
「うむ。これからもたのむぞ、巴屋」
 ふたりが歪んだ笑顔で低く笑った。
「ところで、佐野様。例の盗っ人、八咫烏どもは、まだ捕まりませんか?」
「やつらの正体を知るものは、だれもおらん。われら町方でさえ、やつらが盗みをはたらいたというたしかな証拠はつかんでおらんのだ」
「だから、やつらを偽金造りの下手人に仕立てたのではございませんか。偽金造りは天下の大罪。やつらは、もう義賊ではないのです。奉行所も、いままでのように見て見ぬふりはできますまい」
 だが、佐野は言う。
「やつらは並の盗っ人ではないのだ。そう簡単には捕まらん」
 しかし、巴屋は鼻で笑う。
「所詮は盗っ人にございます」
「されど盗っ人、だ」
 佐野がきびしい口調でじっと巴屋を見据えた。
 茂みの中で、隼助はじっと息をひそめながら、ふたりのやり取りをうかがっていた。雷蔵と蕪木も、隼助のそばで身をかがめながら、じっと客間の様子をうかがっている。
「ところで、巴屋。火急の用向きとは、いったいなんじゃ?」
 佐野が訊ねると、巴屋は妙な顔でマユをひそめた。
「と、おっしゃいますと?」
 佐野もマユを寄せながら腕組みをする。
「その(ほう)、わしをからかうつもりか?」
「いえ、滅相もございません。わたくしは、からかってなど」
 巴屋が引きつった笑みのまえで掌をふった。
「では、この書状はなんじゃ?」
 佐野が懐から一通の書状を取りだした。そして、巴屋に突きだしながら「これは、その方がしたためたものではないというのか?」と、鋭い眼で追及した。
 佐野から差し出された書状を広げると、巴屋はにわかにうろたえはじめた。
「わっ、わたくしは、このようなもの書いた覚えはございません。それに、これはわたくしの字ではございません。まっ赤な偽物です」
 このへんでいいだろう。隼助と雷蔵は目でうなずき合い、ふたりで茂みから飛びだした。
「そうともよ。おまえさんを呼んだのは、アッシらでさァ」
 雷蔵が佐野をにらみつけながら言った。
「きさまら、何者じゃ」
 こちらに鋭い眼を向けたまま、佐野が座布団のわきに置いた刀に手をのばした。巴屋はびっくりした表情で雷蔵を見たまま固まっている。
「うん?」
 佐野が松の木のほうを見てマユを寄せた。
「おまえは、蕪木」
 佐野は狼狽しながら相手を指差した。
「ちがう、ちがいます!」
 蕪木は松の木の陰で目をつぶりながら首をふっている。
「ダンナ、しっかりしてくださいよ」
 隼助は少しイライラしながら蕪木の袖をつかむと、むりやり茂みの中から引きずりだした。
「佐野様、こっ、これはいったい」
 巴屋がうろたえながら佐野の背中に隠れる。
「はっ、話はぜんぶ、きき、聞かせてもらったわ。ふっ、ふたりとも、神妙にしてちょうだいっ!!」
 蕪木が十手の先を相手に向けながら声をふるわせた。
「ふん、猪口才(ちょこざい)な」
 佐野がせせら笑った。
「おとなしく八咫烏の探索をしていれば、こんなところで命を落とさずにすんだものを」
 佐野が鋭い眼を冷たく光らせながら、スラリと刀を抜きはなった。蕪木は十手の先を相手に向けたまま、ガタガタとふるえながら後退りをはじめた。
 隼助は雷蔵とふたりで蕪木のまえに立った。刀をわきに構えながら、佐野が庭へ降りてくる。雷蔵が相手に鋭い眼を向けながら身構えた。隼助も、片方の手で蕪木をかばいながら身構える。佐野は鋭い眼のまま、口もとに歪んだ笑みを浮かべながら、じりじりとちかづいてくる。
「三人とも、この世に(いとま)をとらせてつかわす。覚悟せい!」
 佐野が刀をふり上げたときである。
「おっと、そこまでだ」
 隼助の耳に、烏平次の声が聞こえてきた。裏口とは反対のほうからだ。
「カシラ」
 隼助が口もとに笑みを浮かべてうなずくと、烏平次もうっとうしいヒゲ面で不敵に笑いながらうなずいた。
「おのれぇ。もう一匹ねずみがおったか」
 佐野が烏平次に切っ先を向けた。
「ふざけるなぃ」
 烏平次が笑い飛ばす。
「ねずみはテメエのほうじゃねえか」
「下郎め。言わせておけば――」
 ――御用だ! 御用だ!
 烏平次のわきを二手に分かれながら捕り方がなだれこんできた。
「北町奉行所筆頭(ひっとう)与力(よりき)大橋(おおはし)左門(さもん)である」
 先頭に立っている陣笠姿の武士(さむらい)が、十手の先をまっすぐ相手のほうに向けた。
 佐野がうろたえながら刀を引っ込める。
「こ、これは大橋様。どうして、このようなところへ」
「北町与力・佐野紋十郎、ならびに巴屋太左衛門。そのほうらを偽小判密造の(とが)により召し捕る。神妙に縛につけい!」
「おっ、おまちを」
 巴屋があわてて座敷から転げ落ちてきて、地べたに両手をつきながら訴えた。
「お、おまちください。これは、なにかのまちがいです。てまえどもは、偽小判など造った覚えはございません」
「左様」
 佐野が巴屋のあとをつづける。
「偽金造りの下手人は八咫烏にございます。巴屋は、いっさい関わりございません」
「それがあるから、こうして参ったのだ」
 大橋が捕り方のほうにうなずいた。捕り方のひとりが千両箱をかかえてまえに出る。
 佐野は訝し気な目つきを千両箱に向けている。
 巴屋はガマガエルよろしく地面に這いつくばっている。額に汗を浮かべながら、うろたえた表情を千両箱に向けていた。
 捕り方が大橋のそばに千両箱を下ろした。大橋は巴屋を見たまま、十手で千両箱を指し示した。
「これは、そのほうの蔵にあったものだ」
 捕り方がふたを開ける。大橋が千両箱の中から小判を一枚取り出し、巴屋のまえに放りなげた。
「それが動かぬ証拠だ」
「こっ、これは」
 巴屋は両手で小判を拾い上げると、にわかに顔色を変えた。
「そんなばかな!」
 うろたえる巴屋の手から佐野が小判をひったくった。
「どっ、どうしてこれが巴屋の蔵に」
「それから、もうひとつ」
 大橋が一枚の紙きれを懐から取り出した。
「先刻、こんなものが奉行所に投げ込まれてな」
 大橋は文面を声に出した。
「例の偽小判は巴屋の蔵から盗み出したものに相違なく(そうろう)
 読み終えると、大橋は手紙を裏返して、白地に黒く浮き出た三本足の烏の絵を佐野に見せつけた。
「そっ、それは八咫烏の」
 佐野が狼狽を浮かべながら三本足の烏を指差した。
「もはや逃れられんところと観念せい」
 三本足の烏を見せながら大橋が言った。
 佐野が地面に片ひざをつき、ガクリとうなだれた。両手を地面についたまま、巴屋もガクリとうなだれるのであった。
「それ」
 大橋が十手をふって、捕り方に指示を出した。
 佐野と巴屋は縄をかけられ、裏口のほうへ引き立てられていった。
「やりましたね、カシラ」
 まわりに聞こえないよう、隼助はそっとささやいた。
「どうやら、うまくいったようで」
 衣紋を直しながら、雷蔵も烏平次にうなずいた。
「いや、みんなごくろうだったな」
 うっとうしいヒゲ面で烏平次が笑った。
「蕪木のダンナは?」
 烏平次が訊くと、雷蔵は松の木にちらりと目を向けた。
「なるほど」
 苦笑しながら烏平次が肩をゆらした。
 蕪木は松の木にだきついたまま、ブルブルとふるえていた。
「やれやれ」
 隼助は嘲笑を浮かべながら首をふった。
「蕪木」
 大橋が蕪木を呼んだ。しかし、蕪木の耳には大橋の声が入らなかったようだ。松の木をだいたまま、ブルブルと怯えている。
「これ、蕪木」
 大橋が肩をたたくと、蕪木は「きゃあっ」と気色悪い悲鳴を上げながら飛びあがった。
「しっかりいたせ、蕪木」
 呆れた顔で大橋が笑った。
「ま、まあ、大橋様」
 蕪木はようやく正気に戻ったようだ。
「ようやった、蕪木。こたびのそのほうの働き、きっと奉行に報告しておこう」
「でも、アタシはなにも」
「偽小判密造の黒幕は佐野紋十郎。それを突き止めたのは蕪木新之助だと、あの者が知らせに参ったのだ」
 大橋が烏平次を目で示しながら言った。
「ダンナ、お見事でございました」
 烏平次がヒゲ面でほほ笑みながら蕪木に会釈をした。
「ところで」
 陣笠の下で大橋の目が鋭く光った。
「そのほうらは、いったい何者だ」
「へい」
 雷蔵が一歩まえに出る。
「蕪木様とは、ちょっとした知り合いで」
 大橋はだまったまま、じっと鋭い目を向けてくる。三人の顔をジロリ、ジロリと、かわるがわるうかがっていた。
「あの、大橋様。あの人たちが、どうかなさって?」
 蕪木が目をしばたかせながら言う。
「いや」
 大橋が、ふと例の書状に目を落とした。三本足の烏の絵の書状だ。彼は、じっと烏の絵をにらんでいる。自分たちを八咫烏だと疑いはじめたのだろうか。隼助は烏平次と雷蔵の顔をちらりと見た。ふたりとも涼しい顔でとぼけている。そう。町方を恐れているようでは、八咫烏はつとまらないのである。
 大橋がジロリと目を上げた。疑うような細い目で、じっとこちらをにらんでいる。
「あの~、お役人様」
 落ちついた口調で雷蔵が言った。
「どうかしなすったんで?」
 大橋が顔を伏せて、にわかに肩をゆらしはじめた。
「いや、大義であった」
 ふいに表情を和らげると、大橋はカラッと笑った。
 やれやれ。隼助はこっそりとため息をついた。
「そのほうたち」
 大橋が指差しながら言った。
「あとで奉行所に来てもらおう」
「え、どうしてです?」
 隼助はにわかにうろたえた。
「なんだ、褒美がほしくないのか?」
 まるでこちらの反応を楽しむかのように、大橋は口もとで笑っていた。
「いえ……。きっとうかがいます」
 隼助が答えると、大橋は声を上げて笑いながら去っていった。
 雷蔵が笑みを浮かべて吐息をついた。
「あのダンナ、気づきやしたね」
「らしいな」
 烏平次も浪人髷のヅラをかきながら苦笑した。
「だったら、どうしてオレたちに縄をかけなかったんですか?」
 隼助にはよくわからない。
「おれたちは必要悪、だからさ」
 立ち去ってゆく大橋の背中に目を向けたまま烏平次がつぶやいた。
 隼助も、大橋の背中を見ながら「必要悪、か」と、小さくつぶやいた。
「それじゃ、アッシらも行きやすか」
 雷蔵が裏口のほうへ歩きはじめたときである。
「雷ちゃ~ん」
 蕪木が手をふりながら駆けてきた。ヒゲ剃りあとが青くのこる顔に気色悪い笑みを浮かべながら。
「行こ」
 雷蔵の腕に蕪木がギュッと抱きついた。
 雷蔵の顔が引きつる。
「行くって、どこに?」
「や~ね~、雷ちゃんったら。アタシとの約束、もう忘れちゃったの?」
 どうやら雷蔵は、偽小判を借りる見返りとして、無事に事件を解決できたらふたりっきりでスッポン料理を食べに行く、という約束をしていたようだ。
「そ、そうでやしたねえ。すっかり忘れてやした」
 冷や汗を浮かべながら、雷蔵はムリヤリ笑っていた。
「もう、ばかね~、雷ちゃんたら」
 ホホホ、と蕪木が笑う。
「いや~、バッカだなあ、アッシは」
 あたまをかきながら、雷蔵は引きつった顔に作り笑いを浮かべているのであった。
「それじゃあ、雷蔵。おれたちは先に()えってるぜ」
 烏平次が裏口のほうへ向かって歩きはじめた。
「それじゃ、雷蔵さん。どうぞごゆっくり」
 隼助も烏平次のあとにつづいた。
「隼助ェ」
 しぼりだすような雷蔵のかすれた声。隼助はふり向かなかった。
「カシラァ」
 烏平次もふり向かない。青空の下で、トンビが大きな円を描いている。お幸せに――胸の中で祝福しながら、隼助は歩きつづけた。烏平次とふたりで、だまったまま、どこまでも歩きつづけた。    

―― 次週、最終回! お見逃しなく!! ―― 

八咫烏(9) 最終回直前2時間スペシャル!!

  次週、最終回 「義賊・八咫烏!」
              ご期待ください!!

*エンディング
 https://www.youtube.com/watch?v=6vklAiHHBQc
 
*おまけ
 ・おれたちゃ八咫烏!(終盤の巴屋に乗り込むシーンで使用した挿入歌)
  https://www.youtube.com/watch?v=TnQAJLv03kk
  https://www.youtube.com/watch?v=MGQkybnoEu8

八咫烏(9) 最終回直前2時間スペシャル!!

時代劇コメディです!

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1.  第九話「偽小判」
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8
  9. 9
  10. 10