折紙 -迦陵頻伽-
徐々に追加していこうかとおもってます・・・が、不定期です。
00.雰囲気にそぐわないカフェ
ここはカフェ『迦陵頻伽』
巷で隠れた名店として人気なのだが、普通じゃない。
まず、このカフェは都内のビルが密集しているところにあるカフェなのだが、ビルの中にあるわけではなく、ビルの間に、ひっそりとしかし、莫大な存在感を放っている。
鉄筋コンクリートのビルに挟まれ、まるで異世界が侵入したのではないかと思うほど、その風景にそぐわない建物。赤レンガの塀に、漆喰が塗ってある赤い柱、人が一人通れるくらいの入り口には『迦陵頻伽』と書かれた麻の垂れ幕がかかっている。麻の色は日や、天気によって変わる。門の上の屋根は、ご立派な瓦が陳列している。違和感抜群の門を通り過ぎると、飛び石がほぼまっすぐ続いており、脇には石灯籠が建てられている。その周りは両隣のバカでかいコンクリートの塊が見えないくらい、高く密集した竹林。
飛び石と灯籠に従って進むと、木造の建物が見えてくる。しかも、いい具合に建物と空しか見えないから、ここに初めて来た者は、まず夢を見ているのではないかと自分を疑う。夢でないとわかると、まるで幼い子供のように目をキラキラさせて、木造の建物の扉を開ける。
「いらっしゃいませ、今日は天気が良いので、外のテラスでのお食事をおススメしています。いかがいたしますか?」
ランチの時間は、晴れていれば外、それ以外なら中を勧められる。
外は、竹林にぽつんとあるテラス。中は、ほとんどが木でできたテーブルに椅子。外観からすると狭いイメージがあるがそんなことはない。むしろ、周りをコンクリートの塊が覆っているが、そのコンクリートの塊の中央部にぽっかりと空いた隙間と言えないくらい広い場所に店を構えているのだ。狭いわけがない。
「こちらがメニューになります。ご存知かとは思いますが、注文されてからお作りいたしますので、少々時間がかかりますが、そこはご容赦ください。では、お決まりになりましたらそちらのベルを鳴らしてください。すぐに参ります」
そう、ここに一見さんはまず来ない。場所が場所だし、外観も変だし、まず、何の店か門を見ただけじゃわからない。おもに常連さんが、新しい人を連れてきて、その輪が広がっていったという感じだ。必然的に、常連同士が知り合いだったり、修羅場や混乱が起きたりする。その時登場するのは、料理長兼このカフェのオーナー、陶磁のような白い肌、燃えるような赤い髪で金色の瞳を持つ、まだ幼い面影が残る少女である。
「どうかいたしましたか?」
その少女は、誰が誰だか、その人の好みも全て覚えている。常連さんである場合、名前、好みから始まり、話した会話の内容、相手の家族構成や、仕事状況に至るまで、全てを記憶している。もちろん、察しの良さで万事解決に導く・・・のだが、やはりそう簡単にいかない客もいる。
そういう客は丁寧にお帰りいただくのだが、頑固として譲らず、帰らない客もいる。
「おや、そろそろお昼の休憩が終わってしまいますよ」
普段接客を行う店員は二名。黒髪を二つに結わえた紫色の瞳の少女と、男にしては長めの茶髪に緑色の瞳をして、右目に眼帯をしている青年。そこそこ人気のある二人だが、男女共に莫大な人気を誇るのは燃えるように赤い髪と金色の髪を持つ少女。あともう一人、ツチノコレベルで出てくる、主に女性に圧倒的な人気を誇る青年がいる。少女の兄で、少女と同じような肌を持ち、金色の髪と白銀の瞳を持つ青年。女性に向けられる標準装備の笑顔はとても、とても人気がある。大事なことなので、二度言いました。
「またいらしてくださいね、本日の『午後三時のティータイム』はテラスで行います。お越しになられますか?参加されるのであれば、カウンターで署名と参加人数をお書きください。端数はあるとはいえ、注文生産を『迦陵頻伽』では行っておりますので」
ランチタイムしか行っていない『迦陵頻伽』で、月に数回行われる『午後三時のティータイム』。少々値は張るが、普段食べることが出来ないようなお菓子というか、デザートが食べられる機会だ。平日何の疑問も持たずに馬車馬のように働いている非雇用者、特に独身は、お菓子だけではなく、互いの情報の交換や、新しい出会いを求めて、この会、立食パーティーに参加する。こちらも紹介制と言った感じになっているが、『迦陵頻伽』の料理長兼オーナーの出自である家が世界的に有名な財閥である為、紹介されていない有名人や著名人がふらっと現れたりもする。そういう付加価値も含めて重要な交流の場となっているのだ。
ここまでは昼のすがた。夕方から夜にかけての時間は会員制のバーへと変貌する。
カウンターの壁にかかる布は取り払われ、そこから顔をのぞかせるのは、金持ちを唸らせるような美酒の数々。どれも超一流の出来栄えを誇るボトルばかり。オーナーの趣味ではなく、前のオーナーの趣味だったらしく、その種類は多岐にわたっている。
会員制と言ったが、この会員は会員カードを作れば簡単になれるようなものではなく、国家資格を有しその中で高ランクを占めるものが取得できる会員枠だ。
その国家資格とは『折紙』。決して、紙を折ったり切ったりして工作することではない。簡単に言えば、なんでも屋の資格である。武闘から文部までその内容は多岐にわたり、依頼は個人のランクに相当するものしか受けることは叶わない。この何でも屋は二通りに分けられる。前衛を担当し、武力が重視される『折士』、後衛、バックアップを担当し、知識量が重視される『紙士』。大体は同じレベル同士でチームを組み、依頼を遂行する。どちらかのレベルが高かろうと、低い方のレベルの仕事しか受けられないからである。
もちろん店員もこの店にかかわる人はほとんど副業として『折紙』をしている。対して儲けることが出来ない代わりに、世界において重要な資格として扱われている為、高ランクであればあるほど、様々の職種に取り上げられる可能性が高くなるということになる。『折紙』としての報酬は、クライアントから払われるが、その半分は紹介先に入り、残りの半分を折士と紙士で4対6の割合で分けるのだ。これは、絶対的に覆されたことのない割合だ。紹介先がかなり儲かる仕組みに見えるが、紹介先は、月に出た報酬の七割を国に税として納めなければならないから、大して儲かることはない。
この話は、『迦陵頻伽』を取り巻く『折紙』の人々により紡がれる話である。
01.四色家
今日も変わらず、コンクリートのジャングルを太陽がじりじりと照らしている。
ランチの時間が過ぎ、まるで太陽が真上から世界を焼こうと試みているように思えてくる暑さだ。コンクリート製のビル群に囲まれた『迦陵頻伽』も、普段なら程よい日陰と風通しが良いため涼しいのだが、酷暑には耐えられず、室内をキンキンに冷やしていた。
「あっついですねー。紫菜さん、よくこんな日にその服着てられますね~」
暑さを彷彿とさせる赤い髪が、陶磁のような白い肌に張り付いている。たらたらと垂れる汗をタオルで拭き、流し台に立つ年上の少女に話しかけだ。
「ふふ、あこちゃんには言われたくないわ。そのパーカー、暑そうよ?どうみても」
耳の上で二つに結った長い軽くウェーブのかかる黒髪を垂らした紫の瞳の少女。彼女は、黒いセーラー服を着用している。長袖で、スカートがひざ下まである黒いセーラー服は見ていて暑そうだ。本人は涼しい顔で、白いフリルのエプロンを付け、洗物に勤しんでいるが。
「私の服は学校の制服よ。普通科のごく一般的な高校に通っているけど、耐熱加工と冷感加工もされてる、ちゃんとした制服だから・・・でも、あこちゃん。さすがにその厚ぼったいパーカーを一年中着てるのはどうかと思うのよ、私は。」
あこ、と呼ばれた少女は、困ったように眉をひそめる。
「お父様や、お兄様との約束ですから、破るわけにはいきません。それに、この服は、瑠璃お母様からの初めてのプレゼントですから」
「―――『瑠璃お母様』?あこちゃん、確かお母さんは・・・」
「はい、いません。お兄様のお母様なのですが、私とも仲良くしてくださって、『お母様』と呼んでいい、とおっしゃってくださったので、そう呼んでいるんです」
しゃべりながらも、二人とも手は止めず、カフェの掃除と後片付けを続ける。
「でも、白楊の家は大変ね。『折紙』の名家でもあるし・・・今月もお仕事いっぱい頼まれたんでしょ?大丈夫なの?」
「大丈夫です。私が前線に出ることはあまりありませんし、ほとんどはお兄様か、緑君と仕事に行ってますから、疲れるようなことはあまりありません」
「そう?あなたのお兄さんのことは心配するだけおこがましいって感じだけど、ウチの弟は存分に使ってやってね」
「はい、ありがとうございます。あ、日が陰ったんで、外、掃いてきますね」
太陽の攻撃が、分厚い雲で遮られた。夏の天気の変わりようは激しい。豪雨と猛暑のタッグは、容赦なく耐力と気力を削りとる。
「うん、行ってらっしゃい。お皿とか、全部裏に片づけちゃって良いのよね?」
「あ、今日は黒酒さんと桃生さんが、夕飯を食べていかれるとのことなので、数枚残しておいてください」
「分かったわ」
ここ『迦陵頻伽』がカフェから、会員制のバーに変わるのは午後五時。会員制のバーというよりは、ギルド、と言った方が分かりやすいだろうか?
『折紙』という職業において、もっとも重要なのは、情報。仕事における情報や、現在『折紙』として働いている人々の情報。それらは、一般公開されることはないのだ。唯一その情報を手に入れられる場所は、国の最高機関内部の情報端末と、そこから発信されている情報を持つギルドだけなのだ。
パーティーやチームとは違って、ギルドにはレベル制限が敷かれており、ギルドマスターには『紙士』の最高ランクの称号を持った者しかなれない。『紙士』として、どれほど優秀な成績を残したかで、割り振られる仕事のランクや報酬が大きく変動する。
ここのカフェのオーナーの少女、白楊赤穂は『紙士』最高ランクの「札者」の称号を持つ、れっきとしたギルドマスターである。抜けているところが目立つが、かなり優秀な『紙士』であり、それ相応の実力を持っている。彼女が抱えている高レベル専門ギルド『迦陵頻伽』に所属している人数は決して多くない。仕事が、高レベルの物しか選べないということと、オーナーが若すぎて、敷居が高くなっていしまっているという噂が一般的だ。少々違うのだが、それは別に言及しなくてもいいだろう。
「ちーっす!ウチの兄さん来てますかぁ?」
「あ、黒酒(弟)」
「その呼び方やめてくださいよ、紫菜の姉さん・・・ってことは、まだ桃生の兄さんも来てないんですよね?どこ行ったのかなぁ??」
「あなたもその呼び名やめなさい。一つしか違わないでしょう、歳」
『折紙』を職業にする人のほとんどが、一族蟷螂『折紙』をやっていたりする。そうなると、家同士のつながりが強くなる。必然的に子供同士は顔を合わせる機会が多くなり、直系同士では殺伐とした雰囲気が流れているが、傍系になると家同士のごたごたに巻き込まれることなく仲良くなることが多い。
この二人も例外でなく、『黒』の傍系の黒酒の家はもともと『折紙』としてではなく、鳶職として生計を立てているため、その仕事を家族全員で手伝っている。当然『折紙』として働いている傍ら、鳶職も手伝っているわけで・・・。
「兄さんいっちゃん身体能力高いから、今日の足場作り手伝うって約束したのに来ないんだもん。どこ行ってもいないから、ここにいるのかと思ったんだ、けど・・・いないみたいだね」
「そういう話は何も聞いてないけど・・・来たら、連絡しようか?」
「いや、いいや。どうせどっかで聞きつけて消えちゃうんだから」
あきらめたように笑う。
「僕も早く戻らないと、父さんや他の兄さん達だけじゃ仕事はかどんないし」
「そ。でも、一杯ぐらい飲み物飲んでいった方がいいわよ。仕事中にばったり倒れちゃ大変でしょ」
「ありがと。いただきます」
手洗いの手を止めると、カウンター席に案内し、座らせる。紫菜はカウンター内に戻ると、冷蔵庫の扉を開ける。だが、彼女の目当ての物は見つからないらしく、隣の冷蔵庫へと手をの伸ばす。
彼女は、カウンター内の壁に設けられた窓をあけ、外に声をかける。
「あこちゃーん!ジュース、どこにあるのー?」
身長ほどの竹箒を持った少女はガラッと戸を開けると、カウンターに座る少年に一礼し、紫菜に寄る。テーブルの上にグラスと、その中に入っている氷の量から何を探しているのか悟ったのか、冷蔵庫ではなく、地下倉庫の扉を開く。
中には、沢山のボトルが、大きな氷とともに浮いていた。
「この前の大雨の時、ここら一体電気落ちちゃったので、すべてこちらに移したんです」
「ありがと、あ、黒酒(弟)君何飲みたい?・・・・・・弟君?」
黒酒(弟)は固まっていた。紫菜の方、正しくは紫菜の後ろで丁度見えない少女を見て、固まっていた。
「あの、間違ってたら失礼ですが・・・アコウさんですか?白楊の・・・」
「はい。黒酒さんの二番目の弟さんですよね。この暑い中お仕事お疲れ様です、帰りは傘貸しますので、涼んでいってくださいね」
「あ・・・ありがとうございます!!あ、あの、握手!してもらっても!!」
「いいですよ」
「あ、ありがとうごさいます!!」
手を握ると、女の子のように頬を染める。迦陵頻伽において、オーナーを務める事以上に『折紙』にかかわる家としては、最年少で『紙士』の最高ランクを得た恐るべき少女であるとともに、なかなか人の前に現れることのないかなり希少な存在として認められている。さらに、『折紙』にかかわる家の子供としては、尊敬に値すべき人物であるとともに、憧れとして見られている。
「弟君、今日竜さんいなくて良かったね」
「紫菜さん・・・お兄様がいなくて良かったってどういうことですか?」
「たぶん、竜さんがいたら握手すらできなかったんじゃない?ほら、あこちゃん、竜さんがいるときは厨房からほとんど出てこないでしょ?」
「はぁ、まあそうですね」
兄の竜、これも最年少で『折士』の最高ランクをとった優秀な人材だ。
優秀なのだが、その、なんというか、シスコンであるのが唯一の欠点というかなんというか・・・。
「あ、あの、アコウさんって、どんな字を書くんですか?」
「『赤』い稲穂の『穂』で赤穂。お兄様や紫菜さん達は『あこ』って私のこと呼びますよ」
呼んでもいいですよと暗に込められたセリフに対して、大きく横に首を振る。
「僕、いや、私はそんな本家の御息女を呼び捨てにするなんてこと・・・できません」
「そんな、私は・・・いえ、わかりました。また来てくださいね」
赤穂は一礼すると、箒を手に取り外へと掃除を再開しに行った。
その後ろ姿をぼぅっと眺めていた黒酒(弟)は、紫菜が出してくれた飲み物を一飲みにすると、また来ると言い残して帰って行った。
その三十分後、黒酒と桃生が現れた。弟が来たことを黒酒に告げると、苦笑いをするだけで何も言わなかった。どうやら、桃生も今日『迦陵頻伽』に行くことを知り、桃生と共に実家の仕事から朝からずっと逃げていたらしい。
桃生はまだ珍しい一般人出の『折士』である。紫菜の双子の弟と同じ学校、同じ学年だが、歳は一つ上だ。数々の問題を抱える、いろんな意味での問題児で、実力が伴うため周りからは嫌われているが、認められている。この評価は黒酒にも当てはまっていて、この二人はよく問題を起こして仕事先から帰ってくる。だからか、よく二人でいることが多いし、仲も良いらしい。
そして、今月は二人そろってまだ仕事をしてきていない。この二人は、波長の合う人間があまりいないらしく、赤穂がパートナーとして登録されている。ギルドのオーナーである『折士』はギルドの仕事を優先しても良いという暗黙のルールがあるため、この二人は、チームを組まず単独で仕事をしているのだ。やればできるのにやらないこの二人の尻を叩くのは、幼い頃からの知り合いである紫菜だ。
「ふたりとも、まだ仕事してきてないの?」
「「・・・・・・」」
「早く仕事しないと、あこちゃんに怒られますよ」
「でもさぁ、俺の今月の仕事雑誌の取材だよ?やってらんないっての」
「それは黒酒さんがパートナーを捕まえられないからですよね?桃生もおんなじだけど」
「「うっ」」
痛いところを突かれる。
「私でも詳しくなったのよ、あこちゃんに無理言ってここのバイトさせてもらっているから、いやでもね。最初はあこちゃんのこと嫌いだったけど、あの子をそばで見ててその意見は変わったわ。緑風が言ってたことが、身内びいきとかそんなんじゃないってことが分かった。あの子、笑顔を絶やしたことないのよ・・・何があっても、何が起ころうとも」
押し黙る。
押し黙った二人はお互いに目を合わせると苦笑いをして、ばつの悪そうな顔をして押し黙った。
* * * *
『折紙』は、今もっとも注目されている職業だ。その職業をしている人々が、財閥の御曹司だったり、大財閥が指揮をとっていたりもするから、「ノブレス・オブ・リージュ」として注目を集めているのだ。『折紙』で有名な家は、白楊(ドロヤナギ)、黄檗(オウバク)、昏黒(コンコク)の三家。昔は青麻(イチビ)という家もあって、四色家と呼ばれていた。別格とも言われている白楊に反旗を翻し、潰れた家である。本家本流以外の分家は、その名を語ることさえ許されず、皆それぞれ思い思いの名をつけて子供たちは去っていくのだ。
黄槿(ハマボウ)は、黄檗と同じ『黄』の家系で、分家だが本家に大分近い家である。親は根からの『黄』一族といった感じなのだが、一番下の双子が白楊の子供達と仲良くなりすぎているので、本家から睨まれている。そんなことは気にせずに、好きなことをして生きろと子供たちに言い続けられる両親は、会社を興し、本家の力を全く借りずに成功しているため、かなりの好感度を集めているようだ。
黒酒(クロキ)は昏黒の傍系。かなーり離れた家系の為、本家からは見向きもされない。しかし、彼らは、輝かしい功績を世間に知らしめている。彼ら黒酒が『折紙』を一般化させたのだ。昏黒自体、教育に熱心で、高等機関や教育委員会等幅広く手掛けている家なのだ。黒酒は、中等教育と、初等教育に力を注いできた家である。もともと『折紙』の訓練所としての専門機関はあったのだが、武力や学力がそんな簡単につくわけがない。そこで黒酒は、もともと持っていた空地に校舎を建て、身内から教師をそろえ、初等部からの『折紙』専門総合大学をつくった。最初は見向きもされなかったが、白楊が資金援助をするようになってからは、設備も普通の学校と比べて充実するようになり、一般にも知られ、現在ではそれなりの生徒数になっている。
そして、さらにもう一つ、複雑な事情を抱え、この四家に大きくかかわる家がある。苗字が無く、『赤』の一族と呼ばれるその家は、武器を扱う事に関しては、どの家にも、どんなところに所属する人間にも負けない、そんな家だ。現在は白楊の庇護下において生活している。『赤』の一族には不思議な言い伝えがある。それによると、『赤』の一族の宝をその手に入れれば、すべての物をその手中に収めることが出来るであろうと。宝を探ろうと、様々な人間が侵攻し、危険にさらされ、『赤』の一族は一度滅びかけた。そこを、すでに大財閥として幅を利かせていた白楊が保護することになり、今に至る。
今現在、一族として『赤』は認められていない。国籍はあっても、名前しか存在しない空白の一族。直系や、跡継ぎは治外法権が認められ、一般には公開されないが、それなりに影響力をもつ人々として認識はされているのである。
「あーあ、めんどーだなぁ・・・ゲームしたい・・・」
ぎぃ、と椅子をしならせ、誰もいなくなった会議室でつぶやく。誰もいないと思われた会議室には、確かに誰もいなかったのだが、空いている扉は、外に声を届かせた。
「クマさん・・・」
「おぉ、竜クン!聞いてた?」
頭の上から降り注ぐ声。先ほどまで相手にしていたしわがれた声ではなく、若い張りのある声。
幼い頃から聞いている声は聴き間違えることはない。
「ばっちり聞こえてますよ、お久しぶりですクマさん」
竜と呼ばれた青年は、幼い頃から姿が変わらない、もう一人の父親とも呼べるような、クマという母の幼馴染に、はにかむような笑顔を向ける。
竜は、本当の父親と反りが合わないのと、政略結婚の為、両親に愛情と呼べるようなものさえ一切なく、母子家庭のような環境で育った。父親は婿に来たことをいいことに家の金に手をだし、今は、離れで一人暮らしをしている。家族会議や、何かしらの行事の時しか顔を合わせることも、会話をすることもない。そんな空気のような存在よりも、身近にいる母の幼馴染に父性を感じるのは当たり前だろう。
「今日は爺様たちに呼ばれたんですか?」
「うん・・・まぁ。ほら、『迦陵頻伽』を赤穂に任すためにいろいろ無理を通したじゃないか。仕事はこなしてるし、運営も今のところ上手くいってるから、あのジジイどもは納得いかないらしくてな・・・」
「赤穂は上手くやってますよ。それは俺も保障できます」
「ははは、竜クンの保証付きなんて、赤穂も幸せ者だな。そういや、大学院に通いながら仕事してるらしいじゃないか。ちゃんと両立できてる?」
竜に武術を教えたのは『赤』の一族の当主であるクマだ。
いや、世間の一般常識に割と近い知識を竜に教えたのもクマである。大財閥に生きる人々にとって、世界は支配するものでしかないが、すでに支配されている立場のクマの知識や知恵は、竜が普通に紛れて生活するのにとても役に立った。
「できてますよ。『折士』としても、院生としても、ちゃんと成績は収めてますから」
「そっかぁ、瑠璃と同じで君も普通になれるのは大分かかるかと思ったけど、いい友人に恵まれたね」
瑠璃とは竜の母親の事だ。
「あ、新作のゲーム売りに出されるそうじゃないですか。注目度ナンバーワンとか、書かれてましたよ。自信作なんですか?」
「う~ん、自信作ではないけど・・・今回のはレベリングかなりいじってあるから、沢山の専門職に就けるようになってるんだ。ほかにも―――」
「あークマさん、それ以上説明されても俺には分かりませんよ。仮想ゲームはあまりやりませんから」
「そうだったね。最近は赤穂もゲームの作成に協力してくれてるから、ぜひやってみてよ」
「はい。気が向けば」
「きびしーなー」
二人の笑い声は、朱塗りの廊下に良く響いた。
03.仕事
カフェ『迦陵頻伽』の定休日。
普段なら、ギルド『迦陵頻伽』として、一日中やっているのだが、今日はわけが違った。
一つは、今日が月末の定休日で、『紙屋』がやるような仕事の発注など、雑務が全て片付いていること。
もう一つは、月末の定休日に届けに行く予定だった今月の結果報告書がまだ出来上がってないからだ。
その原因となっている桃生と黒酒は、それぞれ夕方までに結果を出すべく、孤軍奮闘していた。
* * * *
黒酒の場合。
任務:月刊折紙の報道取材とそれに関する写真撮影――依頼:『折紙』協会本部
「黒酒君、次の撮影現場いくよー」
「あ、はーい」
黒酒の仕事は、折紙関係者専門の情報提供雑誌の今月の『折士』特集ページの取材を受けること。この仕事は、取材を受けて、それに使用する写真を撮影するだけという非常に簡単な仕事ではあるのだが、精神的苦痛が非常に大きい仕事ともいえる。
あまりに嫌がる『折紙』が多いため、定期的に上位のギルドに回ってくる仕事となった。
今回は『迦陵頻伽』の金以上の取材を頼まれて、赤穂は金一『折士』の資格を持つ黒酒にこの話を振ったのだ。
この仕事は、数ある『折紙』の仕事の中で、単身での任務が可能とされる仕事だからだ。
本来この仕事は、『紙屋』である赤穂に向けられて依頼された仕事だったのだが、竜と父親のクマ、白楊本家の時期当主夫人が反対したため、『迦陵頻伽』の金以上が代わりに送り出されることになったのだ。
まぁ、『迦陵頻伽』に登録しているというだけでも箔が付き、『迦陵頻伽』の情報が出るだけで雑誌発売十分後にはかなりの数の増版がかかるわけだから、雑誌の編集局には『迦陵頻伽』の名が出るだけでウハウハとなれるおいしい仕事というわけだ。
移動はもちろん高級車。なかなか車が使われなくなったこの時代において、高級車も何もないのだが。
運転手を含めて、車に乗り込むのは四人。一日中行ったり来たりを繰り返すので、運転手の補助者が付くのだ。
「黒酒さん、プロフィールを確認してもいいですか?」
「はい、どうぞ」
音もなく静かに移動するのだが、その中でも質問攻めにあうためリラックスする時間はない。
「黒に酒と書いて、クロキ。で、間違いありませんね?」
「はい」
「竜様と同年齢だとか」
「高校までは、ずっと同じクラスでしたよ」
「ずばり、スリーサイズは?」
「秘密です。つか、その質問誰得ですか!?」
大きな丸渕の眼鏡をかけ、かなり深く帽子を被る女性が、この雑誌の特集ページ担当編集者である。
この女性が特集ページを毎月担当するのだが、彼女本人は特集ページの記事を担当しない。文才がないのに編集に選ばれたのには、特集ページで取り上げる人―主に変人奇人―を何の狂いもなく、ただひたすらに憧れ続けるストーカー体質を買われたのだ。
幼い頃の事情など、そんなことはお構いなく、彼女は憧れた人に対して異常と思える執着を見せる。決して「普通」を望む人間にはできないことであり、「異端」を望むような人間にはさらに出来ないこと。対象について調べ上げ、その対象がどんな態度をとったとしても、飽きずにその対象に興味を持ち続けるという「悪癖」は彼女の短所であり、編集として選ばれた理由である。
『折紙』の仕事をやる者は、一般社会になじめなかったりなじめなくなっている人間が非常に多い。特に高ランクの『折士』、『紙士』には、社会的にも人間的にも他人との協調性など考えては、その立場に入れるはずもない人間ばかりのため、癖が強い。よく言えば、自己をはっきりと認識し、他人に後れを取らない意志の強さを兼ね備えている。
「高ランカー『迦陵頻伽』のオーナー『紙士』の素性は?」
過去何十回と繰り返された問い。
「秘密です」
そのたびに返される決まり文句。
質問自体も、彼女の興味も、『迦陵頻伽』に属する『折紙』なら誰でも知っているということこと。
『迦陵頻伽』に加入するためには、白楊の出している契約書にサインしなければならない。内容は、『迦陵頻伽』のあらゆることに対して黙秘を厳守とし、やっぶった場合白楊により鉄拳制裁が下されるという確認のための契約書なのだが、これに同意しサインしないと『迦陵頻伽』には入れてもらう事すらできいない。白楊が無駄にデカイ家の為、誰も逆らえないし逆らう気さえない。
「いい加減答えてくださいよ、私だって気になるんです。『迦陵頻伽』の場所も、『迦陵頻伽』のどの『折紙』に聞いても「秘密です」の一点張りじゃないですか。ここまで私をてこずらせるギルドは初めてですよ?」
まるで、ふてくされているかのような口調とセリフ。
「そんな顔をしてたら、誰だって言う気なくすと思うけど?」
「え?」
顔は、満面の笑み。まるで、いたずらをして気づくかどうかうかがっているが、その様子でバレバレな子供のような顔。
本人の興味と好奇心が『迦陵頻伽』に向けられている限り、決して逃げられないと確信できるそんな顔は、すぐに本人の好奇心のみに埋め尽くされ、高速でノートに文字を書き綴る。
こうなると、車を降りるまでこの様子は変わらない。
黒酒にとっての安息が、今日初めて訪れた。
――はぁ、俺の番ったって、こいつに話すことなんもねーよ
以前、別の雑誌で散々叩かれたとき、その雑誌の編集担当が彼女だった。
その記事は、まだ彼女が竜の外見にだけ興味があった頃、竜の意外な一面として、黒酒が乱闘に加わっている写真を載せて、野蛮であると導く内容だった。
まだその頃『迦陵頻伽』は再開しておらず、赤穂とも出会ったばかりだったため、赤穂のことは一切雑誌には載らなかったのだが、その事件のせいで、黒酒は『黒の一族』から追われる羽目になってしまったといっても過言ではない。
――あ、ここの映画館、今日新装オープンか・・・臨時収入入るし、赤穂ちゃん誘って、みんなで来るか。
あって間もない頃、竜を守った赤穂ちゃんに惹かれて、今もまだその心は残っている。いや、むしろ強くなっている。今の黒酒を前へと駆り立てているのは、ひとえに赤穂への想いといってもいい。
――ほんとは二人で来たいけど、そんなのは竜が許さないだろうしきっと緑風もついてくる。緑風がついてくるようなら桃生もついてくるし、竜が休日として外出するとすれば紫菜はこれ幸いとついてくる。
――赤穂ちゃんと二人だけでどっか行きたいなぁ・・・
黒酒の願いを叶えることはできない。
白楊の事情は、一族から外され、一般人として生きている人間には背負えないほど大きく重い。
そして、一人じゃ背負えないその事情は、その当人である赤穂でさえ、一人では支えきれていない。その事情自体一人で抱えるのに重すぎて、分担して補い合っているのが現状。
白楊に黒酒のいられる場所は、ない。
* * * *
同じころ、路上の上。
「くっそーぉ!」
ドラム缶の前で足を抱える桃生がいた。
イラついてか、ドラム缶を蹴ったは良いが、思っていたよりドラム缶が固く蹴った足の方が痛かったのだ。
イラつく原因はただ一つ。
今回の調査の相手が、調べた場所に居なかったのだ。
任務:青麻の動向を調査せよ―依頼:白楊
一般家庭出身の桃生に、青麻が『折紙』で敵視される理由は知りようがない。尊敬する竜ははぐらかすし、一応非一般家庭出身の黒酒と黄槿の双子は本家からの情報が見込めないため、教えることが出来ない。だからと言って、赤穂に聞くか?となると、恋敵として認識しているため心情的に不可能。
「今回の情報割と高かったのに・・・」
『折紙』として活動していれば、『紙士』からほぼ無条件で情報がもらえる。しかし、『紙士』の本業は任務のための情報収集のため、一個人において情報がかなり偏る。そこで頼りにされるのが、課金制の『紙士』情報統合組合である。ここでは『紙士』から情報を買い取り、情報を必要とする他の『紙士』や単独で行動する『折士』に売りつける。
その情報の中にはガセネタや偽の情報も含まれているが、信憑性の高い情報もある。もちろん法外とまではいかなくても、信憑性の高い情報には高価な値が付く。
青麻は十数年前いきなり没落したことで有名な一族なのだが、有名であったのにも関わらず今現在表の社会で青麻という名前を聞くことはない。かろうじて『折紙』に名を連ねていた有名な家として情報が回っている程度だ。
なのにもかかわらず、青麻の情報はたとえ見ただけでも、かなりの高値で取引される。
「はぁ・・・別の情報探しに行くか」
桃生に、赤穂に情報をもらいに行くという選択肢は存在しない。『紙屋』である赤穂には、自分のギルドに加入している『折紙』の仕事での情報と白楊一族からもたらさせる情報、さらに最高ランカーの竜を抱えるから大なり小なり沢山の情報が手に入る。『紙士』情報統合組合が所有する情報よりも信憑性が高い情報を赤穂は日常で仕入れているのだ。情報量は比べ物にならないほど赤穂の方が多い。
桃生は、新しい情報を買いに、バス停まで歩き始めた。
* * * *
赤穂は久々にやることが無く、まったりした休日を過ごしていた。
テラス側に備え付けてある広々とした縁側に横になり、日向ぼっこをしている。
赤穂の周りには必然的に動物が集まり、休息をとる。縁側の上の屋根には小鳥が身を寄せ合い、下には猫やイタチなどが丸くなっている。ここだけまったりとした別の空気が漂っている。
「あこ、ちょっといい?」
「うん、どうしたの?緑」
緑風が縁側の日に当たるところに足を踏み出しただけで、まったりとしていた動物たちは一目散に逃げ出した。
「ぐれるぞ」
「あはは、仕方ないよ。あんまり仲良くないでしょ、緑は」
赤穂の隣に緑風が座る。
「ここは気持ちいいなぁ」
「うん、私のお気に入りの場所だよ」
ぽかぽかとした日差しは、いい具合に体を温めてくれる。
何もかもどうでもよくなって、忘れてしまうような・・・
「あ、俺赤穂に今日の予定について聞きに来たんだ」
「今日の予定?何もないよ」
本当にぽかぽかの陽気に当てられたようだ。
「何もすることないなら、外行かない?あこと竜さんと紫菜と俺で」
「お兄様に聞かないと。でも、どこへ?」
「映画館で映画でも見ようかと」
「えいがかん?えいが?」
それ何?と首をかしげる赤穂。
赤穂は『迦陵頻伽』の外に出ない。一人で出てはいけないと親に言われているらしく、それを厳密に守っているから。『協会』に毎月の報告書を提出するときも、伝書鳩ならぬ伝書鷹で伝えている。だだっ広い『迦陵頻伽』の中が彼女の世界であり、生活空間なのだ。
「大きなテレビで長編のドラマみたいなのをいろんな人で見る場所だよ」
「へぇ・・・お兄様知ってます?」
くるっと赤穂が振り返った先の柱に竜が寄りかかっていた。
「竜さん!いるなら声かけてくださいよ!!」
「まるで恋人同士だったからな~声かけるの躊躇ったんだよ」
「お、お兄様!!緑をからかうのはやめてください。再起不能になったらどうするんですか?」
「真っ赤になっちゃって、アコは可愛いなぁ」
「からかわないでください!」
「ほんと、仲良い兄妹ですよね、あこと竜さんは」
「緑風、俺はお前も本当の弟だと思っているよ」
今度は緑風が真っ赤な顔になる番だった。
あーだこーだ言ってるうちに、東の縁側は影に飲み込まれた。
忘却効果のある温かい日差しは遮られ、やっと外出する話に落ち着くことが出来た。
「で、あこには先に話したんですけど、行きません?映画館」
竜も承諾し、一応バイトのために来ていた紫菜に事情を話すと、「もちろんついていくわ」と言われ、四人で近くの映画館まで歩くことにした。
04.映画館
最近は、あまり映画館に行って映画を見るという習慣がない人が多い。
画面は小さいが、ネットで映画自体は有料放送しているし、映画館に行ってまで映画を見ようと思わなくなった人が多くなったのだ。
映画館に来る人のほとんどは、映画を見るというよりも、ネットで配信されていない気になる映画を見に来ていたり、好きな俳優やキャラクター、映画館でのみ配信、配布している特別な付録など目当てだ。
人があまりいないのなら、『折紙』として名を馳せてしまった竜も目立つまいと緑風は考えたのだった。のだが・・・
「顔を合わせるのが当たり前だったからもう気にしてませんでしたけど、竜さんもあこもすっごい整った顔つきしてましたね・・・」
赤穂が周りにふりまく笑顔とそれを見て微笑む竜、明らかにこの二人は周りの視線をかっさらっている。
そうでなくても、イロモノの集団に見えるかもしれない。夏だというのに、紫菜は長袖のセーラー服を着用し、少し高めで二つに結ってある長い黒髪が歩くたびに揺れている。赤穂も、長袖の大きめのパーカーを着ている。ひざ少し上のスカートが、大きいパーカーを着ているせいでミニスカートに見えるのはご愛嬌だろう。緑風にいたっては、男子にしては長い髪、左目の眼帯。怪しいことこの上ない。ただ、こちらは半そでに長ズボンと、至って普通の格好だ。一番の問題は竜かもしれない。プリントが入った明るめのポロシャツに七分丈のズボン。流行の最前線、ファッション雑誌に載っていてもおかしくない容姿を装備していれば、十分に他人を目を引くだろう。
「赤穂ちゃん、いくら外に居るからって、あんまりはしゃいではいけませんよ」
「うん、ありがと。紫菜」
そういいながら一番はしゃいでいるのは紫菜だったりする。
先頭を全身黒の紫菜が歩くと、その浮かれ気味な様子に目を引かれ、その後ろを歩く可憐な笑顔と背の愛らしさに目が行き、眼帯を通り過ぎ、完璧な容姿を装備する青年にたどり着くのだ。
「あこ、楽しそうだね。そんなに外は不思議?」
「うん!本当に、久々の外だからね!!」
「久々?」
「ああ、アコは『迦陵頻伽』にきてから外出らしい外出はしてないなぁ」
「そうなんですか?」
「緑と違って私は『迦陵頻伽』に増設した母屋で暮らしてるし、実家に戻ることもできないから」
『迦陵頻伽』は、赤穂がオーナーを務める前は、継ぐ者が現れるまでと、白楊の爺様が運営していた。その前は昼をギルドとして開放し、夜はバーとして運営していたオーナーが居たらしい。その名残で、カウンター席の目の前には酒瓶があるし、店の奥にはビールサーバーやらなんやらが沢山転がっている。
その為か、仮眠をとれるように部屋があるのだが、今はその部屋全体が冷凍庫と化しているので、赤穂一人が十分暮らせる程度の広さの小屋が作られた。
今赤穂は、一人でそこで暮らしている。たまに竜が泊まったりするが、基本は一人暮らしだ。
「あ、紫菜が先行っちゃう。ちょっと前歩いてるね」
そういって赤穂は、スキップし始めた紫菜の後ろを追いかけていった。
「映画館に行くだけなのに、あこもはしゃいじゃって・・・」
「アコは映画館行ったことないからな」
「え!?」
「ないぞ?俺だって見たのは小っさい頃だけだしな」
「・・・ちなみにどこの映画館で?」
「いや、映画館に行くのは俺も初めてなんだ。映画自体、白楊本家にあるホールで学習の一環として見ただけだし」
白楊本家直系、現当主推薦当主最有力候補の住む家は、大邸宅と言ってもまだ小さいと感じるかもしれない家だ。緑風は一度仕事の打ち合わせで竜と赤穂に連れられて白楊本家に入ったことがあるが、竜の部屋にたどり着くのに三時間以上かかったのだ。
その中に倉庫のような建物がたくさん点在しており、その中でも一風変わった建物があるのだ。緑風が竜に尋ねたところ、大きい画面で映像が見えるだけの部屋と紹介されたため、入りはしなかったのだが、それこそが白楊が所有する巨大なスクリーンと高音質の音響設備などが詰め込んである、超豪華な個人用映画館である。
「・・・ちなみに何を?」
「ん?それは―――」
話しているうちに時間は過ぎ、いつの間にか新装オープンの映画館についた。
新装とは言っても、平日の真昼間。客数も少なく、すぐ始まる作品なら簡単に見ることが出来そうだ。
多数の視線を体中に浴びながら、チケット販売員が待機するブースに仲良く四人で並ぶ。
「赤穂ちゃん、何が見たいの?」
「うーん、知らないものばかりなので・・・緑、選んでくれる?お兄様もそれで良いですよね?」
「ああ。構わないよ」
「え、じゃあ・・・」
本日の上映作品、六本。今すぐ始まるようなものはないが、一番近い時間で始まる映画は全年齢対象の物ではない。
なんで真昼間からこんなのやってるんだよ!?普通、朝一番か、深夜にやるやつだろ!?という内容である。ご想像にお任せしたいが。
「次の方、どうぞ」
「はい。えー、『嫌よ嫌よも好きのうち・・・って言った奴出てこいッ!!』のチケット四枚お願いします」
受付のカウンターには、大人・千円、中人・八百円、小人・五百円と書いた札が出ている。
「はい。『嫌よ嫌よも好きのうち・・・って言った奴出てこいッ!!』ですね」
いちいち長い映画のタイトルだ。かまないのは今までの努力のたまものと言ったものか。
割と人気なようだが、席はフリーなため四人並んで座れるかどうか不安である。
「合計、三千百円となります」
すでに緑風は三千五百円をカウンターにだしていた。
「おつりは四百円となります」
受付嬢は手元からベリッと映画の鑑賞券を引きはがすとその上におつりを置いてこちらへ滑らせた。
「ありがとうございました。――次の方。どうぞ」
この仕事について早十年。彼女、受付嬢は、その経歴ゆえ沢山人々を見てきた。
アニメを見るために親からお金をもらい鑑賞券を買いに来た幼い子供。様々な妄想により活力を映画から得ようとする腐った乙女たち。アイドル目当てで人前に出るような顔や格好で来るいろいろなファン達。自分の映画の出来や観客を確かめにお忍びで来た有名人や著名人。
その経験が今日最大限に生かされた。
誰もが振り向き、視線を止めてしまうような美貌とそれをまとってあまりある竜を前に冷静でいられたのだから。・・・内心は全く冷静ではなかったが。
「はい、竜さん。はい、紫菜」
「ありがとう、勝手が分からなくて手伝えなくてすまないな。今度奢るよ」
竜に一度奢られたことのある緑風は少し頬を引きつらせた。
正しくは、竜は一銭も出さなかったのだが、連れて行かれた場所は、そんじょそこらの有名人著名人ではなかなか足を延ばすことが出来ないほどの高級料理店。まだ竜が駆け出しだった頃、そこの主人を助けた事があったらしく、とでもよくしてくれるらしいのだ。
「そんな、気にしなくていいです。その、少し俗世離れしている竜さんが映画館に来たことないのも、その勝手を知らないのも当然なんですから」
いくら知っている仲でも、さすがにああいう場所に慣れていない緑風は、おいしいことはわかるのだが味が分からないという緊張感に襲われ、その時の記憶がかなり曖昧だ。それだけで敬遠する理由には十分だろう。
「そうか、ありがとう」
一撃必殺の竜スマイルは、その余波で緑風の周りにいた人々の頬を染めた。
それを隣で見ていた紫菜は少し頬を膨らませて竜の腕に自分の腕を絡める。
「竜さん竜さん、あちらにこの映画のパンフレットがありましたの。一緒に見に行ってもらえません?」
いくら美人というわけではないにしろ、それなりに顔は良い紫菜の上目使いが炸裂するが、竜にはそんな俗世の技が効くはずもなく笑顔で流される。
「うん。アコ、緑風のそばにいるんだよ」
「はい、お兄様」
しかも仲のいい兄弟愛を見せつけるオプション付き。
「紫菜さん、お兄様を宜しくお願いします」
「・・・よろしくされとくわ」
ちょっと悔しそうに赤穂に返事をし、嬉々として竜を引っ張って行く紫菜。
腕を絡めほんの少し頬を染めている紫菜と、紫菜にだけ笑いかけ紫菜に少しだけ引っ張られるよう歩幅を調節していう竜は、どこから見てもカップルに見えるだろう。
「さて、あこ」
「わかってたからいいよ、緑」
「・・・」
苦笑して赤穂は緑風から鑑賞券を受け取る。
鑑賞券には、小人と明記されている。
「・・・まぁ、財布の助けにはなったよ」
「・・・うん」
赤穂は、義務教育こそ受けていないが年齢は、義務教育真っ最中なお年なのだ。
本来ならば、机を並べ、同じ年頃の子供たちと、好きだ嫌いだとくだらないことに話の華を咲かせている歳である。
竜は院生。緑風は高三、紫菜も同じく高三。赤穂――同じように当てはめるならば――中二。
ここの映画館での年齢による値段の違いは、大人が大学生以上、中人が中・高生、小人が三歳以上小学生以下。
つまり、赤穂はその身長によって、小学生に見えてしまったというわけだ。
「でもさ、勢いでこの映画のチケット買っちゃったけど、どういう話なのかな?」
映画に皆で行こうといったのは、単純な思い付きによるもの。
別に、この映画が見たいから映画館に行こうと誘ったわけではない。ただ単に惰性で選んだ映画がこの映画だっただけの話だ。
「恋愛ドラマじゃないかな?この題名からすると、だけど」
「紫菜がパンフ買に行ってるし、それで確かめた方が早いよね」
とりあえず、紫菜のパンフを待つと共に、浮いた金額でスナックと飲み物を買おうと二人は長蛇の列ができ始めていたカウンター前の列に滑り込んだ。
* * * *
掠は、お礼にともらった川魚を一人炙っていた。
うらやましそうな視線は沢山あるが、そんな視線に答えるわけもない。
掠がこの場所に入ったのは十六番目。この場所自体に特殊な力が働いているらしく、放り込まれたその時から体の老化は全く進行していない。食べ過ぎて太ったり食べなくて痩せるようなことはあるが、皺が加わるとか目が見えづらくなるとかそういうものは全く存在しない。髪や爪は伸びるし体から垢が出るが、日付が変わるその瞬間に体が刻んだ時間がリセットされる。精神が死ななければ、決して死ぬこともおなく、老いることさえない。
この空間は天井こそあるもののその天井は到底届かない高さにあり、天幕は一定の時間を刻むように色や臭い感触などが変わっていく。ランダムに設定される気象は、外の環境と大差ない。しかも、天井はあるが支える柱や壁は存在しない。床は地面だ。草が生い茂っているところ、地面がむき出しになっているところ、石や岩がごろごろとある場所。山はないが谷はあり、滝はないが川がある。無駄な殺生をしなければ、十二分に生きていけるような環境が整えられているといってもいいだろう。
だが、ここに居るのは全員無期懲役との判決を下された者達だ。
死刑と言われた者も数人いるが、というか掠は死刑を下された数人のうちの一人だが。
「まったく、赤穂になんかあっちゃ俺の人生楽しくなくなるだろ・・・」
赤穂に母親は居ない。公式記録によると、交通事故によって死亡したことになっている。生んだ直後に。
「赤穂の才能は親譲りだ」
赤穂が幼い頃、掠は一時世話をしていた。赤穂の世話というよりも、赤穂の武術指南と言った方が適切かもしれないが。
掠に指南されたおかげで、赤穂の強さは一つの国の軍隊を丸々ひねりつぶせるぐらいになった。
「弊害もあったっけか」
強すぎる力を制御するだけの精神力がまだ育っていなかった赤穂は、もう一人の自分を作り出した。ただ武器を振るうだけの存在を。
刀や剣はその性質上、殺生を目的として作られている。その重みは命の重み。
幼い赤穂には、人を殺すという行為自体認めたくないものだった。
「何にもなければいいんだが・・・赤穂」
かつて最強の名を欲しいままにし、かつがれた英雄に投獄された男は黒くなる天幕を見つめる。傍らの剣は当時と変わらぬ姿を維持している。体も当時と変わることはない。
時間の止まったこの空間から出ることが出来れば、彼は覇者としてこの世の全てを壊し続けるだろう。止まることを知らない暴力を止められるものはこの世に居ない。しかし、彼が自分にかけた呪が解けることはない。クマや赤穂がこの世に存在する限り、そのままでいる限り。
* * * *
受付では、思いのほか忙しい平日の昼過ぎに少々戸惑いを感じていた。
通常であれば、お昼時に人は集まらない。週末であるならば、わざわざ昼時に集まってくることもあるかもしれないが、至って普通の平日にはなかなかお目にかかれない。
「ねえねえ、ちょっとおかしくない?」
券の発行が追い付かず、一時休憩をとることに決めた彼女たちは、バックヤードで無駄話に華を咲かせていた。
「えみちゃんのところに顔のいいお兄さん達が来たときからよね?」
「私のレーンの?」
竜達御一行のチケットを発行した恵美は、その時のことを思い出すように首を傾ける。
「そうそう、もうすっごい美形だったよね!!」
「うんうん。よく恵美ちゃん普通に接客できたよね~私だったらダメだよぉ」
「え、そう?まぁ、だてに私は十年接客業やってないわよ」
少し頬を染めてふんぞり返る。
事実彼女は、竜達一行の接客中笑顔を維持し続けたが、内心は嵐が吹き荒れていた。
――何!?この有望株軍団!!背ェ高いのはキラキラしたオーラバリバリ発してるし、眼帯君は一見怖そうなイメージあるけど、これは多分すごいギャップで優しい子ね!セーラー服の子は・・・暑そうね・・・でも長い黒髪はとても綺麗だわ。着やせするタイプなのかしら??で・も、あの赤の髪の子は何!?もうすんごく可愛いんですけど!!!!!!!周りに咲き乱れる可愛らしいお花が見えるわ!!!!!!本当、さっきもイケメンの代表みたいな子が来たけど、この組み合わせも最高ね!!しかも赤の髪の子を皆で囲んで、周りから見えないようにしてるのはなおいいわぁ。ほんと、この仕事良いわぁ!役得役得、目の保養になる!!あー今なら星になったって構わないわ!!!!!!!
「じゃあ、接客業のプロとしておかしな人いなかった?」
投下された質問に皆で首を傾げる。
どんな人間がいたか、思い出そうとするが、竜達一行のイメージが強すぎて他の人の顔が思い出せない。
「・・・ああ、えっと――」
思考を振り返ってみて、イメージが強かった人を脳裏に浮かべる
「――あ」
――イケメンの代表みたいな子・・・
「はら、私のレーンじゃなかったけど、青い目の男の子――」
居たじゃない?
会話は映画館のロビーから聞こえてきた轟音にかき消された。
折紙 -迦陵頻伽-
星空文庫に登録するのは初めてなんですよね~
つたない文章がつづられますが、寛容なお付き合いを要求します(笑)