或る日
ある日突然、わたしは今まで見えなかった、モノを見るようになった。
自分の異変に気づいたのは、通勤電車の中でだった。いつもの時間帯で車両は立錐の余地もなく満員だった。息苦しい車両内でぼんやりと窓の方を見ていると、車外の電信柱に何かが座っていた。それは手足はあった物の、人間とは言えない異形の何かだった。私は目をこすった。ここしばらく、根気が求められる仕事にかかっていたので、目の疲れかと思った。しかし、確かにそれは人間ではなかった。
ちょうどぬいぐるみくらいの大きさだったが、凝視すると、そいつはニヤリとこちらを向いて笑った。わたしは恐ろしくなって、恐怖のあまり一瞬目をそらしたが、次に見たときにはその柱には何も居なかった。
東京の郊外から山手線を串刺しにするこの線は、昔から事故が多い。特に不況の昨今は飛び込み自殺が多く、いまでは鉄道利用者も慣れっこになっていて、そういうことがあったときは、そそくさと私鉄や地下鉄利用へと機械的に切り替える。
今日もその事故にあったので、Y駅でわたしは乗り換えた。乗り換えのために人の流れる方向へ自分も歩き出していくと、次の異変が起こった、前の前を歩いている人の背中に何かが乗っている。それはまさしく先ほどの電柱にいた物と同じような異形の者で、色は浅黒く眼球が飛び出て、その人の肩をかじっていた。かじられている方は、歯を立てられる度に、その肩をさすっている。
周りを見ると今まで見慣れた人が行き交う風景とは違う、そこかしこに異形の者が或いは人の頭に乗っていたり、或いは何匹ものヤツらが人を取り囲むように歩いている。そいつらを連れたり、肩や頭に載せている人間にはどうもその自覚がないようだ。
辺りには髪が抜け落ち、あばら骨を浮かせた半裸行の者や腹を大きく膨らませた青い顔色のギラギラした目をした者があちらこちらに座ったり、立っていて人間の行き交いを見つめながら次の獲物を品定めしているようだ。
昔、平安絵巻にあった羅生門近くに居たと言われる百鬼のようであった。それらの醜悪な面相に気分が悪くなって、しばらく駅のホームに屈んで気分の晴れるのを待った。
───このまま帰ろうか、いや・・・今日は確か、わたし宛に来客予定だった
時計を見た、定刻よりも10分ばかり過ぎている。とにかく、ヤツらをあまり見ないようにして歩いた。乗り換え電車の中でも、時折こちらに視線を送ってくる者が居るが、下を向いて何とか、会社の最寄り駅まで辿り着いた。
改札を出ると、あまりの状況に、あっけにとられた。
お互いの手に刃を持ち、その刃物で互いの身を害し合うヤツ等。吐瀉物に群がって、嘔吐物を口にほおばりながら、隣のヤツを牽制している一群。
目も口もなくただ真ん中に穴が開いているだけだが、手足は異様に細く、ゴミ箱の近くを通る毎に顔を腐った食物にこすりつけているヤツ。
物を口に入れる度に、腹から炎をだして身を焼け焦がし、のたうち苦しみながら火がおさまると、また食物を口に入れ、再び火を出してのたうつ事を繰り返しているヤツ。
頭髪が足元まで垂れ下がって、身体にべったりと付着しているが、歩く度にカミソリのように、その髪で自分の身体を刺し、傷つけているヤツ。
わたしが見ているこの世界は何なのだ、この異様な世界の中を普通に人が行き交いしている、いや気づかないと言うよりも、どうやらヤツらの有様が見えないようだった。これは自分達の世界に、ああいうヤツらの世界が進出してきているのか?それとも元からこうなのか?
わたしは会社へと急いだ、とにかく急いだ。出社時刻はとうに過ぎていた。
何も見ないようにして受付を通り、一人、エレベータに乗ってフロアに着いた。
エレベータの中で、わたしは思わずため息をついた。扉が開いて急ぎ足で営業部門のセクションに向かった。
いつもお茶を入れてくれる隣の女性に挨拶しようとして、彼女を見たときに、わたしはまた目を疑った。
女性の頭を目がつり上がった化け物が鋭い牙を突き立てていた。そういえば、この女性はいつも、頭が痛いと言っていた。今日もこめかみの辺りを押さえている、そのこめかみ辺りに鋭い牙が刺さっていた。彼女の頭痛、それはこういう事だったのか?。
わたしは凍り付いた、足が震えている、このセクションもああいうヤツらのクロスしている場所だったのか。
目をゆっくりと部長の席に移すと、キツネのような目をした、明らかに人間ではない動物が後ろに立っている。なにか電話がかかってくる度に、この背後のにいる化け物の言うとおりに口を合わせている、いや喋らされているのか。その口調や手振りがまるで操り人形のように後ろにいる化け物と同じなのだ。
ゆっくりと着席しながら、前の同期を見た。そいつも何かに取り憑かれているようだ。同期の耳元の所に口まで裂けた異様な化け物が肩から覆い被さるように、張り付いている。舐めるようにギロリと、その化け物がこちらを睨んだ。
わたしは目をそむけた、その違和感は、以前から何か肌が合わないというか、虫の好かない同期だと思っていたが、あれはこいつに張り付いている化け物の視線だったのか。
また気分が悪くなってきた、ちょっと席を離れる、と隣の彼女に言ったが
牙を立てている化け物が、こちらを睨んだまま、ずっと視線を投げかけてくる。
私は、急いで廊下に出た、そこもヤツらの進出場所だった。廊下の日の当たらない所にうずくまっている、口が針の穴のようになったヤツや、腹がふくれたヤツが目をギラつかせて横たわっていた。
───何故こんな物が見えるようになってしまったんだろう・・・?
思い当たる節はなかった、昔から霊感などとは縁遠い方だった。テレビで時折スピリチュアルな番組を見ても、そう言う世界に興味がなかった。そんなわたしにああいうヤツらが見えるとはとんでもない皮肉だ。
───俺にも何か取り憑いているんじゃないか?
わたしは、はたと気がついた。焦った、自分で自分を見るには・・・鏡だ。鏡のある部屋・・。
トイレだ、上の階に確かトイレがある。階段で急いで駆け上がった。
男性用に駆け込んで、手洗いの前の大きな鏡に、恐る恐る自分を映した。
──よかった、何も映っていない。
わたしはホッと安心した、が、
待てよ、鏡に、なぜ、なぜわたし自身が映っていないんだ。
或る日
ありがちなお話ですかね