青年たちの浮漂・第二部 憧憬
Aせに立つウィスキーの小瓶。
その向こう側にもうひとりの僕がいて、ただぼんやりとこちらに目を向けている。
その”視線は何処に定まっているわけでもなく、かといってふわふわと浮き漂っているわけでもない。
むしろ重なり合って流れる景色が少しずつ夕暮の中に呑まれ、
茜色に混じった青が深みを増して夜の装いを整え始めると、
もうひとりの僕は反対に鮮やかに浮かび上ってくるのだった。
『彼』が過ごしてきた五年の歳月の記憶とともに……
第一章 みんな夢の中
1
静寂の中に単調なリズムを刻んでいた列車が、突然タタン、タタンと乱れた音を聞かせ、次第に速度を落としていく。
僕は眠りから醒めた時のように大きく背筋を伸ばした。
大きな駅に近付くと引込み線や何やらがやたらと増えるので車輪の音がにわかに騒々しく重なり合う。
「もう大宮か……」
そう思ったとき車内放送がまもなく宇都宮に到着すること、そして宇都宮での停車時間がわずかに三分間であることを告げた。
腕時計を覗いた。七時半を回っていた。上野駅を発車して既に二時間近く経っているのだった。夜行列車の揺れに身を預けていた僕は初めての停車駅と思ったのだが、そうではなかったらしい。大宮にはいったいいつ停車したのか全く記憶がなかった。ひどくぼんやりしていたのだとしても発車してほどなく停車したはずなので、全く記憶にないというのも妙な話である。やはり発車するとすぐに居眠りをしてしまって、大宮を出てから目を覚ましたというところだろう。
繰り返し車内放送があって、程なく列車は宇都宮駅のホームに入線した。
宇都宮駅では十名ほどの客が乗り込んできた。
旅行にでも出かけるところなのか、楽しそうに笑いあうひと組の親子連れが、僕の横を通り過ぎた。その後ろから大きな風呂敷包みを背負った薄鼠色のジャンパー姿の初老の女性が、列車の狭い通路を申し訳なさそうに続く。あとは同じようなバーバリーコートを着たサラリーマン風の二人連れが二組。きっとし出張に出るところか、出張先から戻る旅というところだろう。
通路を挟んだ隣のボックスに四十才代に見える男が座った。すらりと痩せた、穏やかな眼差しの男だった、男は手に持った大き目の紙袋を網棚に乗せてから、着ていた薄手のトレンチコートと上着を脱いで窓の横に取り付けられたフックに吊り下げた。車内は暖房がされていたから寒いことはない。
上着の内ポケットに入れていた財布を尻ポケットに移そうと体を捻ったとき一瞬僕と目があった。
男は気まずそうに笑みを浮かべて小さく頭を下げた。僕も何気なく頭をこくりと下げて、視線を逸らそうと目を窓外に向けると、弁当売りがやってくるのが見えた。僕は大急ぎで窓を開け呼び止めた。車輪のついた台に乗せた数種の弁当の中から幕の内弁当を選んで、千円札を渡す。
釣銭と品物を受け取って窓を閉めようとしたとき、となりのボックスの男が「ちょっと待って」と肩越しに声をかけた。
「俺にも弁当と茶を」
男は割り込むように手を伸ばして受け取り「悪いね。仕事遅くなっちまってさ。まだ晩飯食ってないんだ」と僕に笑いかけた。
男は席には戻らず、僕の向い側に勝手に腰を下ろした。
「仕事の打ち合わせで出てきたんですがね。朝から始めた打ち合わせなのに、終ったのがつい先程ですよ。嫌になりますよ。学生さんもこれからなんでしょ、晩飯」
男はエンジ色の無地のネクタイを緩めて、人懐っこい目で僕を見た。
「ええ……。まあ」
僕が曖昧な答え方をすると男は畳み掛けるように「でしょう……。じゃあ、一緒に食べませんか。駅弁なんてのはちっとも美味いもんじゃないですからね。ひとりで食べても、という意味ですよ」と同意を促した。
「そうですか?ぼくはけっこうイケると思いますけど……」と僕は反論した。
「学生さん。それはねえ、旅の風情っていうスパイスがこいつにはたくさん振りかけられていますからね。ついついごまかされてしまうんです。まあ確かに昔ほど不味くはなくなりましたけれどね」
男は平然と切り返した。僕の反論に対する気配りも忘れずに入れていることに気付いて、さすが年の功と感心した。
ベルの音が鳴り響きそれが停まるとプオーンと間の抜けた汽笛が鳴って発車を知らせた。
夜行列車はガクンとひと揺れして動きしだした。
男はふと思いついたように自分の席に戻り、網棚に載せた紙袋を一度下ろして中から缶ビールを二本取り出して戻ってきた。
「さっき待合室で買ってきたんですよ。飲むでしょ、どうぞ」
男はひと缶を僕に手渡し斜向かいに腰を下ろした。僕が缶ビールの料金を払おうとするのを押し留め「お近づきのしるしです。ここは私の顔を立てさせてくださいよ。袖振り合うもなんとやらって云うじゃないですか」男はそういって愉快そうに笑ながら弁当を結わえた紙紐を解いた。
「どうもすみません。いただきます」
礼を言って受け取り、僕も幕の内弁当の包装を開いた。缶ビールのプルトップを抜いて缶を持ち上げて乾杯の仕種をする。
「俺は石川。石川乙吉(おときち)という名で三十五才。学生さんは?」
男は名乗った。四十は越えていると見ていたので意外だった。石川さんは口元に笑みを浮かべて僕を見た。自己紹介を求めているのだ。
隠すこともないわけだから「篝和泉(かがりかずみ)です。先月大学を卒業しました。二十三です」と云って、僕はビールを一口、喉に流し込んだ。
「そうですか。じゃあもう学生さんじゃないんだ。失礼しました」
石川さんは申し訳なさそうに頭をかいた。
「いいんですよ。自分でもまだ自覚がありません」
「そうでしょうね。人間なんてそう突然変われるもんじゃないからね」
「ですよね」
そんな僕にとって、石川さんの言葉は格好の救いに思われたのだった。だから僕はまるで助け舟を見つけたような言い方をしてしまった。
『自分探し』などという都合の良いテーマを掲げて五年間を大学生として過ごした僕だったが、今に至っても回答はその一部分さえ見出してはいないのである。
もちろん原因は僕が何も考えることなく無意味に年月を暮らしたということなのだが、それでも僕なりには一所懸命学生時代を生きてきたと思っているのだ。考えれば考えるほど気が滅入る最近だった。
だから偶然とは言え石川さんという話し相手が現れたのは、ずっと一人旅を続けなければならないはずだったこを思えば、はるかに気持ちが軽くなることに違いなかった。それは見ず知らずの他人との会話に違いなく、はじめは何となく鬱陶しかったけれど、話し始めてみるとそれなりに気持ちが弾んだ。ビールが美味いのがその証だろう。暫くありきたりの話を続けていたが、ふと思いついたように「大学で何を学んできたんだい」と石川さんが聞いてきた。
「写真工学。フィルムの感光乳剤やレンズの設計なんかです……」
僕は少し口ごもってしまった。そのバツの悪さをごまかそうと幕の内に入っていた小さなハンバーグを口の中に放り込んだ。思ったより美味かった・
「なんだか分らんけど難しげだな。まあ何だって『学』って言う一文字がついた瞬間から
付き合いづらいものに豹変するからね」
石川さんは少し笑った。学業成績のほうも優などは殆どなく『良』と『可』ばかりのオンパレードだった。
「いや。僕の場合言葉通りの意味で難しかったんです。どうして卒業できたのか不思議なくらいで……」
確かに授業にはあまり出席もせず、アルバイトと趣味に徹した五年間だった。
「おやおや。でも俺だって同じようなものだったなあ」
石川さんは遠くを見るような目をした。きっと自分の学生時代を思い出しているのだろう。
「どこの大学に行かれてたんですか」
「中央大学。商学部だよ。卒業してもう十二、三年になるかなあ……」
「中大ですかぁ。優秀だったんですね」
「過去形にすることないじゃないか」
石川さんは言って大声で笑った。僕は慌てて頭を振り「そういう意味じゃありませんって。……中大には僕の友人も行ってたから」とわけの分らない返事をした。中央大学をひと足早く、去年卒業した友人がどこかその辺の物陰からニヤニヤしながら見つめているような気配を感じた。……
「まあ、自分で言うのもなんだが、成績はいいほうだったと思う」
石川さんは「でも関係ないことだと思うよ、成績なんてものはね」と云って唇の端をすこし歪めてみせた。
「えっ、何がですか?」
「何がって……まだ答を出せないでいる。そんな顔しているよ。自分探しだろ……」
見透かされていた。単に自分自身のときと重ね合わせて、それがたまたま同じだっただけなのかもしれないが、僕は顔が火照るのを覚えた。
「図星だったらしいね」石川さんは笑って同じようなものだったな、僕もね」と懐かしそうな目をした。
「それにしても都合のいい言葉だと思うよ。『自分探しの旅』か……」
石川さんが何を言おうとしているのか測りかねていると、石川さんは少し寂しそうな顔をして「だって答なんか初めから解り切っているんだからね。だってそうじゃないか。探しているものは自分自身であって、何よりも身近なものじゃないか」
「ええ。でも自分を客観的に見たとしたら……」
僕が言いかけるのを抑えて石川さんは「カズミくん。もし良かったらそれ、飲まないか?」
そういって窓枠のところに置いたウィスキーのポケット壜を指差した。
笑って壜のキャップに被せたプラスチックのグラスを手渡そうとすると、石川さんは「いや僕はこれで」と云ってお茶の容器についていた小さな湯呑を手に持った。ぼくは壜のスクリューキャップを開け石川さんの湯呑と僕のプラスチックグラスに琥珀色の安酒を注いだ。
通路の突き当りのドアが開き車内販売の売り子が入ってきた。品物を載せたワゴンを押して、売り子が傍に来るのを待って僕達は酒のつまみになりそうなものを見繕い,あらためてグラスを合わせた。
「自分を客観的に見る、って言ったってね、見ようと思っているのが自分自身なんだから、どうしたって主観的になっちまうじゃない。それに見つめられるカズミ君だっていつも客観的な被観察者として自分を曝しているのかい?だから自分探しの回答なんてものは、結局そのときそのときの自分の姿や心、それ以外にはないんだよ。そういう意味で、初めからわかりきっているといったんだ」ウイスキーを一口喉に流し込んでから石川さんはそういった。
僕はその言い方に少し腹が立って少しぶっきらぼうな聞き方をした。
「それじゃ僕は全く無意味なことをしていたことになるんですか」
自分だって同じようなことをしてきたといっていたじゃないか。
ついさっき救われたように感じたばかりなのに今度は腹を立てていることに気がついて僕は少し落ち込んだ。
「そうじゃないよ。そういう意味で言ったんじゃないよ。勘違いしないでくれ」
石川さんは僕が急にふくれっつらをして睨んだものだから慌てて言葉を捜して「あえて言うなら……答を探していると思うことができる貴重な時間を、僕も君も持つことができたということなのさ。四年間もね」
「五年です。僕は」
「そりゃ凄い」石川さんは湯飲みのウイスキーをクイッと飲み干し、ボトルからまた一杯に注いだ。それだけの期間をカズミクンは生きたわけだろ。そしてその君に許された五年とぃいいうの間の君の生き様はどんな風だったかな。だらだらした毎日だったのかな?」
そうなのだ。何も残せなかった割には毎日気が張り詰めていたような充実感があった。僕は僕なりに真剣に毎日を生きてきたつもりだ。
「喧嘩もしただろう。酒も飲んだだろうし、議論もしたことだろう。でも人それぞれみんな精一杯頑張っていなかっただろうか。俺はそうだったな」
「いわれてみればその通りですね……」僕は素直に頷いた
「だったらそれで十分じゃないか。君は君の五年間を使って確かに自分を探したってことになるのさ」
石川さんはここでひと呼吸おいてて探るように僕を見た。ぼくはほとんど空きかけたウイスキーに目をやって「回ってきたらもう一本買いましょうか」と逃げた。、石川さんの言う意味が完全には理解できなかった。
石川さんは顔の前で手を横に振った。
「いや、もう十分だよ。まだ三時間ばかりあるから俺は一眠りさせてもらうよ」と大あくびをひとつして通路を挟んだ席に戻っていった。
終着の青森まで一緒だろうと勝手に思い込んでいた僕は「何処までですか」と通路越しに聞いてみた。
「仙台」
石川さんはそう答えて僕のほうに視線を向け「短い時間だったけれど楽しかった。気に触ったことがあったら戯言思ってと無視してくれ……」そういって前の座席に靴を脱いだ足を投げ出した格好でねをつぶった。
僕もまた少し眠気が襲ってきて、いつの間にか眠ってしまったようだ。次に目が覚めたとき仙台は既に過ぎていて、石川さんはもうそこにいなかった
車内は明かりを少し落として仄暗く、夜行急行の装いを見せていた。
2
僕はほんの二週間ばかり前に無事に卒業式を終え、故郷へと帰る夜行列車に揺られていた。行き先は札幌。終着駅青森で下車し、青函連絡船に乗り換えて海峡を渡る。さらに函館から急行で六時間ばかりかかる長旅である。
実際は函館が僕の生まれ故郷なのだが、父の札幌転勤のため帰る家も札幌に変わってしまったというわけだ。
青森からさらに船と列車を乗り継いで合計二十三時間の長旅は、年齢に関わりなく強行軍である。在学中は休みのたびスカイメートとという制度を利用して航空機を利用するか、または学生割引を使って常磐線経由の特急寝台車を使っていた。それなのに今回に限ってなぜ普通急行の夜行列車に乗っているのかというと、それはほんのちょっとした思い付きが原因だった。
学生生活を過ごした思い出の地を記録に残そうと、八ミリ映画を撮影などしているうちに、混み合う時期だから切符の手配を早めにしおく必要があると考えていながら、つい忘れてしまったのだ。
慌てて交通公社の窓口に駆け込んだときには、ブルートレインの寝台車は総て売り切れてしまっていた。かといって飛行機は空席があって初めて乗ることができるスカイメートだから予定が立たなく不便だし、そもそも国鉄でさえ満席なのだ当って見るだけ無駄だろうと思った。
それでも根っからの極楽トンボである僕は「時間がかかったって帰る先は一緒、」と考えて、普通急行の普通席を購入したというわけだった。
乗車券を手に入れ券面を眺めていると、故郷である函館に二年ばかり帰っていないことに気がついた。すると僕の心の中の郷愁に火がついた。折角途中下車できるのだから、立ち寄らぬ手はない。
僕は実家に、墓参りをして行きたいので函館に二三泊していって良いか確認の電話を入れた。墓参りのためといえばだめとは云わぬはずである。案の定、母はすぐに許可した。
ただ最後に一言、「働き口、まだ決まっていないんでしょ? 大丈夫なのかい?」と心配そうに言ってきた。
僕は問いかけを努めて明るい声ではぐらかして受話器を置いた。
僕は母の小言を聞いてちょっとだけ気が重くなった。卒業したにはしたのだけれど、就職もなにもこれからの生活設計についてなど全く考えてもいなかったのだ。
というより実を言えば就職ということに関しては、僕はそれほど深刻には受け止めてはいなかった。何も帰郷するや否や勤めに出なければ、一族が食い詰めてしまうこともないわけで、それならば卒業即就職と言う図式に拘らなくとも良いはずだ。
そもそも学んだのは写真工学という分野に関わる事柄で、決して就職についてではない。確かに学生課では卒業生たちのために数多くの企業に対して採用の働きかけを行ったり手続きをしてくれたりする。しかし、だからと云ってそれらの企業の内どこが自分に最も相応しいかというような将来を見越した分析をしてくれるわけでもない。大学の卒業と就職とはたまたま時期的に重なるだけであって完全に別ものなのだ。そう割り切ると束縛から解放されたように時間が膨らんでいくようだった。
大学の学生課まで引き合いに出して意味もない悪口を叩いたが、卒業後は実家に戻ると決めたのも何も動かずにいたのも僕自身に違いないのだから、どこに矛先を向けてもやつあたりになることは避けられない。だからもし実家に戻ってから就職をまだきめていないことについて何か云われたとしても、極力反発などせずに受け流しておこうと決めていた。
職を探すことはともかく、もうひとつしておきたいことがあった。
学生として過ごしたこの五年間を振り返って、その自己評価をするということだ。それが宇都宮でたまたま知り合った石川さんと話しをしていたテーマだった。
石川さんは仙台で下車してしまったが、彼が言っていたように、それは本当にできるはずもないことなのだろうか?
相当困難を要するだろうことは僕にも分るような気がする。 しかしああして面と向かって、できるわけがないと否定されると、反発して見たくもなる。
いや、少し違う。石川さんは答を出すことなどできないと言ったわけではない。学問のことなど意識の内に存在すらせず、ただ充実した自由な学生時代を満喫したいだけの不真面目な学生たちに、『自分探しの旅』はそうやすやすと答を出させはしないだろう。そう石川さんはいったのだ。
ただそれには裏があって、見方を変えるとそう苦労することもなく満足のいく結果は出せる。石川さんはそう考えているようだった。
つまり種明かしをすると、『自分探しの旅』では探しているのも自分、探されているのも自分なのだ。だからどんな答を出してもブレることはないはずである。
それならばいまここで振り返ってみて、その期間を自分が本当に真剣に生きてきたかどうか。それだけを思い返してみることだ。
もし確かにそうしてきたと実感できるならば、それで十分だ。その充実感こそが『自分探し』の答とすべきものなのだ。そんなふうに考えているようだった。
確かに過ごして来た日々は常に全力投球してきたつもりでいる。だから石川さんの考えが正解だとするなら僕の肩の荷はずいぶんと軽いものになってくれるのだけれども、僕としてはいささか信じがたいところもある。
僕はいったい何にたいして一生懸命だったのだろう。人生に対してというほど大それたものでも、今日明日を食いつなぐというほど切迫したことでもない。それは分りきっている。それならば……
島根県から来たテツや、静岡の火草薫や広島からやってきていたオヤジ、その他にも大勢できた友人達との絆といった類のことなのか。
これもどこか違う……
大学生なのだから学業に関してだろうか。完璧にそうではない。執筆活動に関してでも競馬や映画鑑賞といった趣味のことでもない。それらがみな当てはまりそれでいてどこか違うとも思われた。ただひとつ、一生懸命だった暮らしの様子だけが、浮いたように僕の頭の中を漂うものだから、僕はその対象さえ見つけたならすべて解けるという間違った解答を振り払うのに結構努力しなければならなかった。
「僕は五年前、大学生活を始めようとしたとき、その何に魅力を感じたのだったっけ?」
ふと、そう思った。
僕はあのとき大学生としての生活のいったい何に憬れたのだったろうか。すべての原点はここにあるような気がした。
3
憧憬……そう僕達をこの大学に引き寄せたものは何らかの憧憬であったはずである。
あまり世に知られていない学校だったためみゅ憂し倍率が低かったとか、特殊技術系の大学で他にはあまりない技術過程が実習できるとか、或いは都内にある芸術学部との交流が盛んで、有名な写真家との交流を図ることができる等々、大学の学生募集用パンフレット的なうたい文句ならばいくつでも出てくる。
確かにそれらは魅力には違いなかった。
しかし僕にとって憧憬と言えばやはり耳ざわりの良いあの言葉。『自分探しの旅』であったように思う。
それは普通の精神の下では,とても照れくさくて言えたものではないけれども、妙に胸をくすぐる響きがあった。そしてそれはほとんど『親元を離れての一人暮らし』というのと同じ意味あいに受けとめられるものだったような気がする。
「カズミはどうしてこの大学に来た?」
ほぼ一年前のことだった。相模湖までドライブしようといって走らせる車の中で、フロントガラスに目を向けたままそう質問してきたのはグズラという愛称で呼ばれている栗沢和夫だった。
「自分を見つめなおそうと思って……」
あのとき僕は軽率にもそう答えたことを覚えている。
「くだらん。何の答にもなっとらん」
いつもは穏やかな物言いのグズラにしては、めずらしくはっきりとした語調でいった。
何が気に食わなかったのか分らず「じゃあ、お前はどうしてだ」と僕は問い返した。
グズラがハンドルを繰りながら回顧するように話し始めたことは期待していたことと現実との落差のことだった。
グズラも始めは大学生としての四年間に自分と言うものを客観的に見つめなおしてみたい。そう考えていたらしい。しかし月日が経つにつれて、自分がただ親元を離れて、自分だけの暮らしがしてみたかった。それだけだったことに気付いたという。それは自分探しなどと呼べるものではなくただの怠惰でマンネリズムに陥った堕落した生活に過ぎないというのだった。彼に言わせれば、自分探しをするには例えばいろいろな境遇に自分を置いて、その中で自分がどう行動するかをじっくり観察するとか、そう非日常の環境設定が必要となるはずだ。それなのにいま自分は、学生としての環境が作り出した空間の中で、ただ日々を送っているだけだ。入学してから約四年間、何とか環境を変えようともがいてきたが、何も変えることはできなかった。学生生活をしていくときに前提となる大きな大きな束縛があったからだ。これでは自分探しなどできるものではない。
グズラは寂しそうな顔をした。その寂しさは『自分探しなどできようもないもの』というグズラ自身が出した結論そのものではなく、回答をそこに導かざるを得なかったある種の抗いがたい束縛というものにあったのだろう。
「束縛って何だ」
僕が尋ねたとき、グズラは自らを鯉のぼりに例えた。
「自由に大空を泳いでいるように見えるけれど、頑丈な糸できっちりと繋がれていてどこへも行けないんだよ。もし何とか糸を外して飛び出すことができたとしても、ほんの数秒間風に乗れるだけで.あっという間に墜落してしまうだろうね」
この強い糸というものが、グズラの自分探しに終止符を打たせたのだろう。
最初の内、僕はグズラのこの回答に割り切れない不満を覚えた。グズラがなぜそのような束縛を何の抵抗もせずに受け入れてしまったのか、理解ができなかったからである。
しかしそれから数ヶ月の後、グズラの口から「俺、菓子屋を継ぐことにしたよ」と言う言葉を聞き、それが何のわだかまりもない明るい声だったことで、ああグズラの自分探しは本当に終ったのだと納得したのである。
それがグズラが出した『自分探し』に対する回答によるものなのか。それとも結局与えられた環境から逃れることができないままグズラの自分探しは未完に終ったと言うことなのか、それは彼の胸の奥深くにしまい込まれることになったのである。
そして日が流れ、ほんの何日か前のことだ。
卒業式を終えた僕たちは、グズラと二人だけの最後の飲み会を開いた。
グズラはまだすることがあるから暫くここに残るということだった。僕は日付が変わったら昼過ぎにでも屋敷を引き払って、東京の親戚に挨拶だけしてからそのまま故郷へ向かうことにしていた。
だから最後のチャンスだった。
ぼくは未練がましいとは思ったけれど、もう一度だけ聞いてみることにした。
「なあ、グズラ……」
僕はグズラの目をまっすぐに見て尋ねた。「おまえの憧憬ってどういうものなんだ?」
グズラが「憧憬かぁ」と呟いて和やかな眼差しを僕に向け「そうだなあ……アン・ルイスみたいな女性かなあ……」と答えたのである。
アン・ルイスとは、『Sカラーフィルム』のテレビコマーシャルに起用されて人気の出た売り出しの清純派の外国人モデルである。
僕の質問に対する解答としては、これは明らかにグズラの勘違いだろう。その答を聞いた僕は呆気に取られて、その先に続けようとしていた言葉をなくしてしまったのである。
しかしグズラの勘違いは逆に僕自身が初心を忘れていたと言うことの証でもあったのだ。
多分はじめはそんな面倒くさい理屈などなかった。溝口屋敷のあの部屋で始めて顔を合わせたとき、とにかく僕達の瞳はみなきらきらしていたはずだ。どういう過程を経て溝口屋敷にやってきたのかはそれぞれの胸の中に隠れて見えなかったが、期待と希望に満ち溢れたその瞳に宿るきらめきは嘘偽りのないものだった。
そこには何の制約も義務もなくただ明日からの希望溢れるであろう出来事に胸を膨らませているだけだったのではなかったろうか。
4
車内は仄暗く明かりが落とされ、あちこちから穏やかな寝息が聞こえていた。腕時計を覗くと午前二時を少し回ったところである。列車はひたすら走り続けている
ふと車窓に目をやると、窓全体が息を吹きかけたように曇っていた。
掌を広げて曇りをふき取ると、掌が冷たく濡れた。
窓の外は塗りつぶしたような漆黒の闇が広がっていて何も見えない。きっと深い山の中でも走っているのだろう。窓ガラスの水滴を拭き取ったところに僕自身の姿が妙にくっきりとこちらに目を向けているだけだった。
石川さんと飲んだ安酒の酔いが抜け切っていないのか、再び睡魔が襲う……
僕はまた目を閉じた。列車の揺れだけが確実に僕を故郷へと運んでくれているような、そんな気がした。
盛岡駅を過ぎると列車は八戸を回り太平洋岸に沿って北上する.
どのくらいうつらうつらしたのか分らないが、次に目を開くと窓外には雪景色が広がっていた。三月中旬と云っても、東北地方はまだ冬に包み込まれている。
陽はまだ昇っていなかったけれどもやがて朝を迎える支度が整ったのかとでも言い薄明かりが徐々に大きくなっていく。窓外を流れる薄墨色の塗り絵に、神様が少しずつ少しずつ色彩を重ねていっているような思いで、僕はその風景を見ていた。
鉄路に沿って荷沿って道路が走り、その向こう側は白い波が打ち寄せる砂浜だった。雪は道路を覆っていたが、土手を下りた所で打ち寄せる波に消えている。寒々とした砂浜が広がるその向こう側が太平洋である。
暫く何を考えることもなく流れ行く景色を見ていると、ふと浜松市の中田島砂丘を歩いた時のことを思い出した。
五年前の秋……
砂丘と言ってもせいぜい海水浴場の砂浜に毛が生えたくらいのものだろう。そう考えていたぼくは見事に知識の欠如を曝け出すことになった。数百メートル先に波打ち際が見えるものの、左右は見渡す限り果てしなく広がる砂の世界だった。砂丘はなだらかな起伏を見せながら圧倒的なボリュームで地形を封じ込め、浜辺などという一語では決して言い終えることのできない威圧的な広がりなのである。
「これが中田島砂丘よ」
ガリョウというニックネームで呼ばれる松木雅良が、レイバンの奥から砂丘を見て少し誇らしげな声で言った。
「どうだ、思ったより広いものだろう」
「ああ」としか声が出なかった。故郷の北海道にも大きな砂浜はあるが規模が違う気がした。
アラブの種族を率いたロレンスが、サハラ砂漠を越えたとき見たのはこんな風景だったのか、などとつまらない思いに耽っていると「カズミ、下りて来いよ」というガリョウの声が足下のほうから聞こえてきた。
ガリョウはいつの間にか砂丘全体を見渡す展望台から砂丘の中に入り込んで、今度は僕の身の丈の倍ほど下った辺りから見上げている。
僕は頷いて下へ降りるための道を探した。しかしそんなものはどこにも見当たらない。
「どこからでも良いけぇ、下りてきいさい」
ガリョウはじれったそうに僕のほうに目を向けている。
僕は恐る恐る砂地へと足を踏み出した。
足元は思ったよりもしっかりとしてはいたのだけれど、勾配がきつくて下るのに骨が折れた。スピードが乗ってつんのめりそうになる。足を踏ん張ると、今度はいくらしっかりしているとは言っても砂地である。たまらずに尻餅をつき、そのまま砂とともに流されてガリョウの横を通り越し、さらに一メートルほど下の窪地のようになった所でようやく止まった。
「かったるい男だなあ。上ってこんか」
ガリョウが愉快そうにいう声を聞いて何とか立ち上がった。
周囲を見渡すと、ちょうど擂り鉢の底のような所まで滑り落ちたようだ。ぐるりを砂に取り囲まれていて,中央部分の最も低い場所に呆然と突っ立っている格好である。
そればかりか擂り鉢はそれほど深いわけでもなかったから、もぐら叩きのもぐらよろしく穴の中から首だけ外に出しキョロキョロ周辺に気を配っている。そんな情けない有様だった。気を配ると言っても僕が立っているのは穴の一番底だし、深さもそれほどのものではない。ガリョウの立っている所は僕の目の前だし、その上に見える滑り落ちた擂り鉢の上端までも僕の位置から高さにしてに二メートル強というところだろう。当然見上げる僕にはいくら首を捻ってみても砂の擂り鉢の内側と、中段の小さな平地でニヤニヤしながら僕を見下ろしているガリョウの姿しか見えない。
僕は何とか這い上がってガリョウの横に立ち、ジーンズにまとい付いた乾燥した砂を払った。
ガリョウはただ黙って笑い顔を見せていた。
狭いテラス状の部分に肩を並べる形でガリョウの様子を窺った。
ガリョウはまっすぐ前を見つめたまま遠くを指差し「さっきの展望台から見る景色とまた違うだろ」と云って振り向いた。
確かに上から眺めた砂丘は圧倒的な広がりを見せ付けていた。それに較べてわずか一メートルくらい下りただけなのに、より水平な視野を与えた。その分砂丘の機微がくっきりと浮かび上がってくるようだった。ならば先ほど落ちてしまった穴の底から見た風景はいったいなんだ。何故か口惜しさが湧き上がってきた。
「広さは制限されるが、細かい所まで良く見えると思わないか」
その通りだと僕も思った。
僕が頷くのを見てガリョウは「俺はここからの景色ほうが好きだ」とひとり言のように呟いた。
その呟きに重なりこむように、風景は東北地方の海岸風景へと戻った。
砂浜の広がりは砂丘と較べるとはるかに小さいものだったが、その先に広がる大海原はA同じように世界の果てまでまで続いているはずだ。
果してガリョウがそこまで計算して僕を砂丘に誘ったかどうかは分らないが、もし人生の進路を考えさせるためにしたことだとするなら僕はリョウのように最初から視点を低くして見通しを確保しようとするより、むしろ冒険だって構わないから高い所から広く見綿すことができるポジションに身をおきたいと思った。
ガリョウは今どうしているのだろうか。
中田島砂丘に僕を誘った次の年ガリョウは父親を亡くし、経済的問題で大学生生活を断念し故郷へと帰っていった。
その後一二度連絡を取り合ったけれど、やがて音信も途絶え手紙も返送されるようにな
ってしまった……。
僕は一瞬、小波が打ち寄せる砂浜の一隅に、サングラスをかけた背の高い痩身の男が、サングラス越しにはるか彼方を見つめて立っている姿を見たような気がして息を呑んだ。しかしそれが僕の思い違いであることは明らかだった。この寒中に波にぬれて砂浜に立つ人間などいるはずもなかった。目を凝らしてみても、案の上窓外には冬の装いを残した海岸が寒々と流れているばかりだった。
やがて列車は浅虫(あさむし)駅に停車した。青森県の小さな温泉町である。
通りは防潮堤に守られていて、その海上には岸からほんの二百メートルほど沖合いにお椀を伏せたような小さな島が浮かんでいいる。湯の島というらしい。
浅虫駅では男女の二人連れが列車から降りた。
腕時計を覗くと時計の針は五時半を過ぎていた。もうここまで来ると終着青森駅までもう一息である。
僕は両手をそろえて大きく上げ、思い切り背筋を伸ばした。体中の間接が軋むような音を立てた。
寄添うようにして駅舎から出て行く二人連れを何気なく目で追っていると、車内放送があと四十分ほどで終着青森に到着することを告げた。
最後の車内販売品を積み込み、五分ほどして列車はまた走りだした。
僕は列車に乗り込んでからの心の動きのようなものを、考えるともなく思い返していたけれども結論は何一つとして出てこなかった。ただ気にかかることがひとつだけあった。昨夜語り合った石川乙吉という中年会社員のことだった。
常識的に見て、たまたま乗り合わせたからと言ってすっかり打ち解けて酒を飲み、『自分探し』などという面倒くさい話題で真剣に話し合ったりするものだろうか?
むしろ昨夕この列車に乗り込んだ僕は発車と同時にウイスキーを飲み始め。酔って眠り込んでしまった。その夢の中に現れたのが石川さんだった。つまり僕自身が、僕の心にある疑問点や成し得なかったことに対する後悔などを夢の中で石川さんの口を借りて僕に語り聞かせた。ただそれだけの事ではなかったろうか。そう考えたほうがどうやら全うなことのようにも思えるのである。
つづく
青年たちの浮漂・第二部 憧憬