なにもないという

なにもないという

なにもないという退屈

なにもない

なにもない。

それは安定、単調であるとも言える。
強弱や緩急もさほどなく、一定のペースで変化の波も穏やかであるということ。

生活のこと、仕事、自分の心、人間関係。
いろんなことを、計画的にリスクがないように、一定の安定・安全の結果を望む。
それは多くの人が、日々の生活で求めていることだと思う。

その一方で、刺激を求めるのが人でもある。
サプライズ、旅行、誕生日、非日常体験。
ただ、そんな刺激でさえ、
一定の限度があり、自分がコントロールできる範囲内にコントロールしたいと望んでいる。

しかし、刺激のようにコントロールできることは稀で、
時に求めてもいない、刺激以上の、衝撃にも似たできごとが起こる。
嘘や偽り、ケガ、病気、災害、死。

安定も、刺激も、衝撃も、
全て今日もどこかで、誰かの身に起きている。

そう考えると、そんな衝撃を受けると、
なにもないこと、安全で単調である毎日が、幸せだと思えることもある。

なにもないという

なにもないという幸せ

なにもないという

なにもない生活。 その生活は退屈か幸せか。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-17

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