地の濁流となりて #3

第一部 海の民編 工房にて

 工房から出てきた海の民の集団は,マンガラとパガサ,そして素性の知れない若者をぐるりと取り巻き,誰かの合図で持ってこられた麻縄で,一人ひとりの後手に縄をかけていった。
 最初,パガサは,あの若者の仕草から,自分たちの背後に立った時のように,武器のようなもので抵抗するのだろうと思っていた。じっさい,ギラついた眼つきは,今にも飛びかかりそうだった。しかし,パガサの想像とは異なり,若者は両手の持ち物を下に置くと,黙って縛られるがままになった。
 「あの,ぼくらはどこへ連れて行かれるのですか。」
 マンガラが,こんな時にも無邪気に尋ねている。連れて行かれるのは,長老のところに決まっている。「境犯し」は長老評議会が定めた禁忌だ。里の民には,その罪人を長老に引き渡す義務がある。ただ,とパガサは考える,「境犯し」にどのような罰が与えられるのかは知らない。パテタリーゾに他里の者が来たことはないのだから。長老も禁とだけふれていた。
 大勢の若者たちに囲まれた三人は,すぐ前にある工房の巨大な扉のなかへと連れて行かれた。真っ白な灯に照らされた内部は,高さも奥行きもある割には,物がほとんど置かれていない。灯と同じく壁も白いため,いっそう大きな空間という印象を与える。見た目だけでは何の目的に使われるのか分からない。
 長老はどこにいるのだろう。長老がいないのなら,なぜここに。パガサは壮大な白い空間の中ほどに,大きな木製のテーブルがあるのに気づいた。その上には,何か紙のようなものが敷いてあるようだ。集会場か何かだろうか。それにしては天井が異常に高い。
 「おい,こいつらをその隅っこの方にでも連れて行け。」
 リーダー格と見える,長身の若者が誰彼となく指図する。頭に例の布を巻いている他は,裾が膨らんだ青地の袴のような衣を穿いているだけ。むき出しになった褐色の上半身は筋肉がたくましい。市の灯は橙色だったので,それと気づかなかったが,ここにいる者たちはみな,肌が茶色い。海の民の証だろうか。
 「ぼくたちを長老に引き渡さないのですか。「境犯し」は長老評議会が定めた禁忌のはずですが。」
 パガサのふいの問いかけに,その長身の若者は「ちっ」と舌打ちをしただけだった。何か事情があって,すぐには引き渡されない,ということか。でも,これだけの人数がいて,しかも縛られていては,逃げようにも逃げようがない。
 「アロン,お前,三人を見張っておけ。」
 長身の若者はそう命令すると,他の者たちを手で促して,あの大きなテーブルへ歩いていく。アロンと呼ばれた少年が残り,マンガラとパガサ,それに若者を工房の隅へ連れて行った。逃さない用心のためか,三人とも後手を縛られたまま地面に座らされた。ご丁寧にも,工房の中が見えないように壁を向いてである。
 「ねえ,この工房って何のためにあるの。なんか広いのに,物が置いてないね。」
 またマンガラが,この状況を理解していないように,何気なしにアロンという少年に質問した。体を後ろにねじって少年を見つめている。
 「お前たちには関係ないよ。黙って,じっとしていろ。」
 少年はきつい口調をしようとしているが,無理して悪ぶっているのが分かる。里の小さい子たちが,幼い強気を見せる時と同じだ。そもそも行き来のない里同士,他の里の者に嫌悪感や対立感情を抱いている訳がない。里が離れているだけで,長老たちが禁忌としただけで,里同士が抗争をしているのではないから。
 じっさい,アロンという少年は,初めて見る土の民に興味があるのか,「見張り」と称して,三人の身なりや風貌を仔細に観察している。
 「ぼくマンガラ,こっちが,あ,もう一人がパガサ。君,何て名前なの。」
 横に座っている若者に,マンガラが話しかける。若者は黙って俯いたままだ。答えたくないのだろうな,とパガサが思っていると,意外にも若者は,低い声で小さく「カタランタ」と答えた。だが,続くマンガラの「君の大事な仕事って」には,俯いたまま何も答えなかった。このカタランタという若者も,ぼくらと同じく「輝石」の手がかりを追っているのだろうか。
 ふと,パガサは地図を思い出した。パテタリーゾを流れる川の支流が海へ出るところに別の里が書いてあった。川を避けるように森を抜け,丘陵を歩くのが,イスーダへの道だった。あの別の里も,ここイスーダのような海のそばに住む民がいるのだろう。いったい,このディエト地方だけで,いくつの里があるのだろう。それぞれに,異なる民がいるのだろうか。
 「ねえ,パガサ,あの人が言っていたこと,間違っていたのかな。ここに来て,若者に会えば良かったのだよね。」
 海の民に捕まってしまって,大事なことを忘れていた。マンガラの言う通りだ。あの「時を旅する人」の指示に従い,ぼくらは工房に来て,若者に会った。たとえ,カタランタがその「若者」ではなかったとしても,海の民の若者たちは,ここ工房にたくさんいる。しかし,ぼくらはこうして手を縛られている。どういうことだろう。
 テーブルに集まった人々の声がひときわ大きくなったので,壁を向いているマンガラたちにも聞こえてきた。議論か何かだろうか,意見が分かれたか,食い違いかで争っているらしい。
 「だが,専売になっているのだから,長老を納得させない限り無理だ。」「長老を納得させるなど,それこそ出来はしない。禁忌を定めてまで,我らをイスーダに止め置こうとするのだから。」「しかし,木材が手に入らなければ,ルパング・パンへ行くのはおろか,この舟さえ造れないではないか。」
 ルパング・パン,舟。何の話だろう。聞いたことのない地名。それに,舟なら,海の民のこと,持っていて当然ではないだろうか。ぼくら土の民が,鍬や鋤を持つように。わざわざ造らなければならないほど,数に困っている。そういうことなのか。
 ふと,気づくと,先ほどまで俯いていたカタランタが,またあの鋭い光を眼に宿していた。いつの間にか座る位置を変えて,言い争っている人々を見つめている。
 「おい,少年。お前たちは,「方舟」を造るつもりか。」
 カタランタがアロンに低い,けれど威圧感のある声で尋ねた。ぼくらに詰問したと同じあの声の響き。聞く者を慄かせる冷たい響き。
 「お前,なんでそれを。」
 アロンがそう言うが早いか,少し年長の若者が様子をうかがいに寄ってきた。先ほどの口論の内容が,聞かれたと危惧したのかもしれない。たちまち,その若者にアロンが耳打ちをする。カタランタの言葉を伝えているようだ。
 「おい,お前ら,どこから「方舟」のことを聞き出した。まさか,工房を覗いて探っていたのか。長老の命令か。そうだ,長老の命令で探っていたのだな。」
 アロンと違い,こちらの若者には,演技ではない凄みがあった。いや,むしろ知られてはならないことを知られた人間が見せる,切羽詰まった感じがあった。しかし,口にしたカタランタはともかく,ぼくらは「方舟」など聞いたことがない。そもそもどんな舟なのだろう。マンガラはと見ると,「長老の命令」という言葉に,苦笑を浮かべながら頭を振っている。
 「ルパング・パン,約束の地。かつて地上を大洪水が襲った時に,巨大な舟を造り,大洪水を逃れたと聞く。マクレアの伝承。」
 カタランタは,不敵な笑みを浮かべながら,淡々と説明する。パガサもマンガラは初めて耳にする伝承に,驚きを隠せなかった。舟が必要な大洪水。あのシャクが告げた里を襲う土砂などとは桁違いの災害。それを避けるために大きな舟を建造するなんて。
 「お前,何者だ。なぜその伝承を知っている。海の民でも一部の者しか知らないのに。」
 カタランタのこの言葉に,凄んでいた年長の若者は,明らかにひるんだ。側にいたアロンも,やり取りを見ながらぽかんとしている。こちらの小さな騒ぎに気づいたのか,さらに何人かの海の民が,テーブルを離れてやって来る。
 「おい,どうした。こいつらが何かしたのか。」「言うことを聞かないのか。」「アロン,しっかり見張っていろと言われたじゃないか。」
 皆が三人を見下ろしながら,口々に小言を繰り返す。
 「おい,ここを束ねている者を呼んでくれ。言い伝えることがある。」
 カタランタは,ずっと鋭い威圧する眼差しと,低く,しかし太い響く声で言い放った。ぼくらとそんなに年齢は変わらないと思うのに,このカタランタという若者が見せる,人を慄然とさせる感じは,どこから来ているのだろう。パガサは,後頭部に当てられた冷たい感覚を思い出していた。
 先ほどの,ひときわ背丈の高く体格の良い若者が,数人に付き添って目の前に来た。
 「お前か,方舟の伝承を知っているのは。そうだとしたら,ますますこのままじゃあ放っておけないな。」
 ふたたび苦笑とも取れる笑みを見せながら,カタランタは,やはり感情のこもらない淡白な口調で応える。
 「やはり。本当だったか。方舟を造り,ルパング・パンを目指す。それが,この者らと同じく,「境犯し」の禁に触れることは,知っていよう。それならば,なぜ,この者たちを拘束する。」
 方舟と呼ばれる舟を造って,「境犯し」を試みる。どうしてそのようなことを。ここの長老は,他の海の民の人々は,どう思っているのだろう。そのときパガサは,市で工房の場所を教えてくれた,あの職人風の男の言葉が頭に浮かんだ。
 「まあな,俺は反対派でもないが,諸手を挙げて大賛成という訳でもない。年老いた親父とお袋を,残しては行けないからな。そうだな,俺らなんかよりも,お前らみたいな若い連中こそ加わるべきだな。」
 残しては行けない。若い連中こそ加わるべき。ここにいる若者たちが,カタランタの言うように,イスーダを抜け出ようとしている。
 「アスワンさん。こんな部外者に説明する必要はないですよ。そんなことより,俺たちには考えなきゃいけないことが,まだまだたくさんあるのですから。」
 横から別の若者が,体格の良い若者に声をかける。パガサは,カタランタの挑発とも抗議とも取れる言葉を引き継げるのは,「境犯し」を行った,自分しかいないと直感した。しかも,このタイミングを逃してはいけない。
 「すみません。聴いていただけますか。ぼくたちは,ぼくたちの意志だけでここに来たのではありません。里の西にある「透明な輝石」が原因とみられる病が,蔓延したので,ぼくたち若者だけでなく,年長者も加わって長老に直談判しました。「輝石」を何とかしなければ,土の民は滅びてしまうのではと。そうして,民の総意として,ぼくたちが禁忌を承知で派遣されたのです。」
 知らない間に,白い工房の中央にいた若者たちが,みな三人の前に集まっていた。パガサが言い終わると,「アスワン」と呼ばれた若者をはじめ,他の若者もしばらく発言の意味を考えているようだった。ふと,カタランタが,例の不敵な笑いではなくて,納得したような,心地良さそうな笑みを浮かべているのにパガサは気づいた。
 「土の民,お前たちに,一つ確認して良いか。土の里の長老は,「境犯し」になることを知りながら,お前たちを里から出したのだな。」
 パガサは若者の目をまっすぐ見つめたまま,大きく,しかし粛然と頷いた。このパガサの頷きは,海の民の若者たちの間に,見えない波紋を引き起こしたようだった。みなが,俯いたり,顎を手でこすったり,腕を組んだりしている。しばらくの沈黙の後,今度はテーブルではなく,三人の周りで議論が巻き起こった。
 「長老が許しを与えることなど,あるのだろうか。」「長老評議会の決定に背くようなことをするはずなどない。」「いや,「輝石」のことであれば,もしかしたらあり得るかもしれない。」「しかし,長老が許すなど。」「むしろ,長老が許すのであれば,木材も手に入るかもしれない。」
 次第に熱を帯びていく論争の最中に,しかし,あの長身の若者が右手を高く挙げた。水を打ったように,一瞬にしてそれまでの騒ぎが収まった。
 「もういい,みんな。このアスワンの名において,彼ら土の民を信じることを,ここに誓おう。この者たちが禁忌を犯してまで,ここにいる理由は他にない。土の里は,ここからはるかに離れている。好き好んで,遠く離れた他の里に忍び込む者などいない。」
 アスワンはそう言うと,マンガラたちの縄を解くように命じた。他の者が,まだ完全には納得がいかないような表情を見せるなか,一人少年アロンは率先して三人の縄を解く役目を買って出た。
 「あんたたち,凄いね。禁忌を破って,遠いところを,ここまで来るなんて。俺のお母さんも,妹も,あの変な病気にかかっている。約束の地か何か,よく知らないけど,そこに行けば,二人の病気も治るかもしれない。だから,俺,舟を造るのを手伝いたいって思って。」
 このアロンの言葉に対してだったのだろうか,それとも縄から解放されたからだろうか。パガサとカタランタが,縛られた跡をさすっていると,破顔したマンガラが,少年の肩を強く叩きながら言った。
 「アロン,お前,良い奴だね。おれ,マンガラ。よろしく。」
 握手のために差し出された手を,気恥ずかしそうに見つめるアロンの背後では,また別の議論が始まっていた。
 「しかし,アスワンさん。仮に長老が許さないとなれば,舟も造れない。別の手段も考えておくべきでは。たとえば,湾岸都市マールから直に木材を届けてもらうなど。マールとの付き合いは,かなり永いものです。事情を話せば。」
 この提案を聴いたリーダーのアスワンは渋い顔をしていた。湾岸都市マール。どこのことだろう。里を出てから,初めて目にし,初めて耳にすることが多かったパガサにも,未知の世界はまだまだ広大に開けているようだ。カタランタは,返してもらったあの武器のようなものを,一つは背にかけ,一つは草色の丈の短い袴に吊るしていた。
 「マール。エル・レイの治める辺境の地か。あの地は長老評議会の権限も届かない土地。たしかに掛け合ってみる価値はある。ただ,先立つものが必要だな。あの舟には,かなりの巨木を使う。こちらの通り一遍の事情などでは,申し出を飲み込んではくれないだろう。」
 腕組みをして両目を閉じながら,アスワンは低く唸るように答えた。マンガラとパガサの二人には,相変わらず事情がさっぱり分からない。だが,旅装を整えて,何の感慨もなさそうに事態を見守るカタランタは,やはり何かを知っているようにパガサには思える。
 「やはり,長老に掛け合う他ない。無理は承知だが,それでも舟の建造には,我らだけでなく,イスーダに住まう者の未来がかかっている。ここにいる土の民も長老を説き伏せたではないか。さあ,土の民よ,お前たちに一つ頼みたい。俺たちに同行し,長老の説得に力を貸してもらえないだろうか。」
 マンガラはパガサの表情を求める。ふと,アロンが二人の袖を引っ張っていた。
 「俺からも頼むよ。お母さんと妹の命を救ってくれ。お願いだ。」
 パテタリーゾの臨時討議会の興奮と,希望と,願いと,そして人々が心から流す涙を,パガサは思い出していた。マンガラたちに相談するまでもなく,パガサの心は決まっていた。
 「ぼくたちで良ければ,協力します。」
 その言葉を聞いたカタランタがまた微笑んでいた。

地の濁流となりて #3

地の濁流となりて #3

海の民に拘束されたマンガラたち。しかし,長老の元へは連行されず,工房へ置き留められる。そこは,白い巨大な空間だった。なぜ連行されないのか,海の民の若者たちの目的とは。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-17

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