地の濁流となりて #2

第一部 海の民編 工房をめざして

 丘陵には遮るものがなかった。マンガラたちは,姿勢をなるべく低く保ちながら,イスーダに向けて斜面を急ぎ下った。近づくにつれて,街を包む橙色の灯が明るく,人々の喧騒が聞こえてくる。丘から見たとおり,石造りの建物が重なるように,密集して建てられている。どうやら街を囲う壁も,石を積んで作ってあるようだ。
 「マンガラ。ちょっと待って。あそこ。見て。小さな門みたいなのが開いている。」
 パガサが指さす先には,石垣の壁にぽっかり穴が開いたように,アーチ状の門が設けられていた。その石垣の小さな門の先は,逆さのT字路になっていた。まっすぐ行けば明るい通りに抜け,右と左は壁を取り巻く路地である。丘から検討をつけたところでは,少し左手が中央になる。橙色の陰になっている路地を,二人が選ぶのは当然だった。パガサが先行し,マンガラがそれに続いて,そこから入っていく。
 白い石の建物の表面は,漆喰で覆われ,磨いたようにすべすべしている。パテタリーゾと違い,いくつかの棟が合わさって大きな住まいをなしていた。二人の少し上に設けられた四角の窓から,大人たちの談笑する声や,子どもたちの掛け回る音,赤ん坊をあやしたりする声が聞こえる。人通りが無いのは幸いだった。
 「あの人が言っていた「工房」とかいうもの,どうやって探したらいいのかな。」そう言うマンガラは,辺りをきょろきょろ見ている。工房を探すとうよりも,これまで同様に,好奇心で目につくものを追っているだけに見える。
 「ねえ。マンガラ,探すのはいいけど,あまりそんな風には見ないで。余所者と疑われてしまうから。」
 あの「時を旅する者」は言われた。「湾に沿った街の中央あたりに,工房という大きな建物がある。そこへ行くのだ。」大きな建物。この石の家屋よりも,もっと大きな建物がある。ということは,とにかく大きな建物を見つければ良い,という訳か。問題は,街の中央だな。誰にも会わずには,難しそうだ。
 道なりに白壁を横に見ながら,二人は進んだ。少し先にひときわ明るい灯が見える。そのかなり先に薄暗がりの,こちらと同じような道がある。あれは,たぶん大きな通りだ。
 「パガサ,あれ。かなり明るい道だよ。広そうだね。行こうよ。」
 あ,待って。マンガラは言うが早いか,もう先を駆け出していた。パガサもその後を送れないように,走って追う。慎重という言葉を知らないのかな。あれだけ人に紛れてと言ったのに。もう。
 と,マンガラが灯のなかで立ち止まった。まっすぐどこかを見つめているらしい。
 「待てって言ったよね。なんでそう勝手に走り出したりするの。目立ってしまうよ。ぼくら,もうそんなに子どもじゃないのだし。どうしたの,マンガラ。」
 息を切らせて屈んだパガサが,ようやくそう言ってマンガラを見上げた。そして,自分も,マンガラの見つめる先を向いて驚いた。
 道こそ土を固めたものだが,広いその道の先が見えないくらい,台車がひしめいている。見たことのない果物,おそらく魚と思われる細い銀色の生き物,それらの干物などが,それぞれの台車に,こぼれ落ちそうなほど山積みされている。行き交う台車の切れ間に見える道の両側には,衣,腰巻,なめした皮,杖,奇妙な形の道具が,壁一面にぶら下げてある。
 「これ,たぶん,市だよ。あのパテタリーゾの広場で,月に一度だけ開かれる。そうじゃない,パガサ。」
 そう,市なのだろう。でも,塩や干物,鍬や鎌につける鉄片,何種類かの皮が,敷いた布の上に広げられる,あの里のものを考えれば,規模や物,人の多さは比べようがない。それに,もう宵だというのに,こんなに賑わっている。災い以降は,他の里と行き来が禁じられた,とあの人は言っていたが,まだ交易は続いているのではないのか。
 台車の群れを避けながら,二人はその先をなぜか目指した。影から密かにうかがうつもりだったパガサも,この賑わいと物と量に圧倒されたのか,何も言わずに,珍しいものを求めて目移りしながら進んだ。ふと,前に来た台車を見ると,頭に巻いた白布に刺繍された形のものが山盛りになっていた。これが「貝」なのか。
 「ねえ,パガサ。工房どうするの。」
 マンガラがパガサの手を取って揺さぶった。パガサはそれで我に返った。ここは海の民の街。ここに来たのは,使命を果たすため。いけない。すっかり忘れていた。
 「そうだね,マンガラ。ごめん。でも,こんなに台車や物が多くては,道の先も上も見えない。どうしよう。」
 ひとまず,横へ抜ける路地を探して,見つける方法を考えなくては。そうだ,どこか高い場所があれば,街のなかが一望できる。里にある見張り台みたいなものが,どこかに無いだろうか。それを探すにも,まずはこの道から離れて。あれ,マンガラは。
 横にいたはずのマンガラは,いつの間にか離れたようだ。これだけの雑踏では,迷子になってしまう。パガサは,またいつもの,子守り気分で,辺りを見まわそうとした。と,背後でマンガラの声がする。
 「あのう,工房ってどっちでした。」
 まさかと思って振り返ると,マンガラが長いひげをたくわえた,大柄の職人風の男性に声をかけている。やってくれたね,マンガラ。それでは余所者丸出しじゃないか。不審に思われたらどうしよう。隙をうかがって,マンガラの腕を引っ張ってあの路地へ駆け出すか。
 パガサの心配をよそに,マンガラはいかにも無邪気な笑みを浮かべて,強面の男を見つめている。その笑顔に当てられたのか,男が長いひげをさすりながら答えた。ちょうどパガサがマンガラの腕を捕まえようとした時だった。
 「工房。工房と言ったのか。お前らもそうなのか。まあな,俺は反対派でもないが,諸手を挙げて大賛成という訳でもない。年老いた親父とお袋を,残しては行けないからな。そうだな,俺らなんかよりも,お前らみたいな若い連中こそ加わるべきだな。ほれ,あの先に白い灯がもれている建物があるだろ。あれが工房だよ。」
 と男は,道のずっと奥の方を指していたが,何かに気づいたのか。マンガラとその後ろにいるパガサを見下ろした。
 「お前さんたちじゃあ,見えないな。ほれ,肩を貸してやろう。そっちの,こっちへ来い。そっちの方だよ。この顔をそんなに怖がることはないだろう。取って喰おうっていうのではないのだし。」
 そう言うと男はおずおずと近寄るパガサの腰を,ひょいと腕に取ると,パクワの実を片手で取るように,自分の肩に座らせた。マンガラは,自分が声をかけたのに,という表情をして口を尖らせた。
 顔を赤らめながら,パガサが黙って男が指さす方角を見ると,台車がひしめき,壁一面に商品が並べられている市のずっと奥に,半円状のひときわ大きな建物があった。正面の,これまた大きな扉が半開きになっていて,白い光がもれている。あれが「工房」。
 「おじさん,ありがとう。」
 肩から下ろしてもらって,パガサは小声で言った。
 「おおよ。せいぜい頑張れよ。なかなか長老は首を縦に振らないだろうが,お前らに,イスーダの未来がかかっているからな。じゃあな。」
 自分だけずるい,と頬を膨らませているマンガラをなだめながら,パガサは男性の言葉を考えていた。「反対派」,「残していく」,「イスーダの未来」。何のことだろう。工房へ向かう目的もそうだが,そもそもこの里のことを,ぼくらは何も知らない。だから,何かが起きようとしているのは分かるけど,それが何なのか見当もつかない。
 「ねえ,パガサ。せっかく教えてもらったのだから,「工房」に行こうよ。場所,分かったのでしょ。声をかけたのはぼくなのに,自分ばっかり見せてもらって。今度は考えごとなの。」
 マンガラはそう言ってパガサの手を引っぱる。男が指さした方向だけは知っているので,そちらへ引っ張って行こうというつもりらしい。
 「うん,マンガラ,分かったよ。今は「工房」が先だね。見せてもらった感じだと,けっこう距離があるみたいだから,あまり台車やお店を見ずに,歩いて行こう。そうそう,今度は急に走り出さないでね。お願いだから。」
 頷いたマンガラと手をつないだまま,「工房」のある方角を目指して歩き出した。もしここが,今日の夕方まで進んだ草原や森であれば,二人を見つめる視線に,少なくともパガサなら気づいたかもしれない。だが,たとえ気づいたとしても,その視線の主を突き止めるのは不可能だっただろう。
 そして,この通りを行き交う海の民も,二人に鋭い視線を注ぐ,この者の存在には気づかなかっただろう。
 パガサとマンガラは,はぐれないようにしっかり手をつないで,イスーダの市を歩いた。最初二人は,台車をすり抜けながら進んでいたが,それに群がる人も避けなければならないので,思うように進めなかった。パガサの提案で,道の脇の店の前を通ると,台車の真ん中を行くよりは楽になった。
 もっとも,店の品は路上にまで溢れていたので,マンガラが,なめし皮を踏んだり,杖の山につまずいたりして,その度に店主らしき人から,罵声を浴びせられるのだった。
 「マンガラ,もう少し足元に注意しながら歩いてよ。商品を壊したりしたら,弁償しなきゃいけないからね。物がたくさんあって慣れないのは分かるけど。」
 パガサはそう言いながらも,下に並べられた商品の隙間へ正確に足を置く。土に大小の丸を描いて,そのなかに正確に足をいれる,里の遊びと同じ要領だ。マンガラも注意はしているのだが,ときどき横にある見たこともない商品に目を奪われてしまう。
 「ごめん,パガサ。どうしても気になってしまって。それより,これどこまで続くの。こんなに先だったの。」
 たしかにずいぶん歩いた気がする。マンガラに言われて,パガサもそう思った。もうそろそろ,見えてきてもおかしくはない。あれほど大きな建物なのだから。
 「あ,もしかして,あれなの。すごく大きな,上が丸くなっている。ねえ,パガサ。」
 見上げてみると,あの男の肩から見た半円の工房が,台車のひしめくところに覆いかぶさるようにそびえている。目の端に見えていたはずだが,おそらくこの大きさでは,見ていたとしても,道のもう一方にちらちら見える白壁としか思わなかっただろう。
 しかし,これほどの大きさなら,あの丘から見えても不思議はないのに。
 市のある通りが,ぷっつり切れた。それはまるで,市が,その巨大な「工房」に道を譲るかのように思えたし,「工房」の前のスペースが,何か別の目的で確保されているかのようでもあった。いずれにしても,建物に引けを取らない大きな広場の前,「工房」はそのような場所にあった。そして,その巨大な扉の間から,先ほどまで通ってきた道幅ほどもある,真っ白な光の筋が伸びていた。
 「パガサ。そこから入っても大丈夫かな。あの人が言った通り,「工房」まで来たけど。ねえ,どうするの。」
 白壁の脇でマンガラがささやく。そう,あの人は「工房という大きな建物がある。そこへ行くのだ。」と指示された。だから,ここまで来た。けれど,引っかかるのはその続き。「二つ目に,若者はそこにいる。行けば分かる。」これは,工房のなかの話だろうか。それに,この場所を教えてくれた,あの男の言葉も気になる。入ったら,何かに「海の民」として,イスーダに関わることになるのだろうか。
 「おい,お前ら。海の民じゃないな。「モレスコの幸い」は巻いているが,ここの人間じゃない。どこから,何の目的で,イスーダに入った。禁を承知で,他の里に来るとは,よほどの事情だろう。言え。」
 パガサは戦慄を覚えた。後ろから,頭に何か冷たいものを当てられている。金属製の刃物か何かだろうか。海の民でないことも見透かされてしまった。どうして,マンガラが尋ねたあの男には分からなかったのに。マンガラは。
 横にいるマンガラを見ようとすると,また声が言った。
 「動くな。頭に穴が開くぞ。お前の相棒も動くな。もっとも,相棒の方は,動けば首が飛ぶけどな。」
 逃げることもできない。二人とも殺される。殺される,二人とも。もし殺されれば,パテタリーゾの人々のあの決断も,勇気も,全てが無駄になる。あの病にやがて皆が侵されてしまう。そうなれば,里が,里が無くなってしまう。こんなところで,殺されたら,いや,殺されてはならない。
 「どうして分かったの。せっかく白い布を巻いたのに。そう,ぼくらは海の民じゃない。里の人たちから頼まれて,ここに来た。パテタリーゾの民。土の民だよ。」
 パガサが考えている間に,マンガラが明るい声で素性を告げた。一瞬,パガサはその勝手な振る舞いに怒りを覚えたが,考えてみれば,素直に告げる以外に取るべき方法はない。まったく,マンガラは。境の民と悪魔には怯えるくせに。勇敢なのか,楽観的なのか。
 「なに。土の民。あの土の民か。ここからは五百歩距は離れているぞ。どうしてだ。理由を言え。」
 頭に当てられた冷たい物は,微動さえしない。土の民と知った驚きとは裏腹に,まったく冷静にぼくらの命を狙っている。海の民とは,そういう性質なのだろうか。土の民が土に向き合って生きているように,海の民も。とにかく,マンガラに任せると話の順序がでたらめになる。ぼくが話すしかないか。
 「東の彼方,パテタリーゾの近隣に「透明な輝石」が現れた。その頃より,里に病に罹る者が多くなり,里人たちが徒党を組んで,長老に詰め寄った。そして,開かれた臨時討議会の一命で,ここイスーダへ来た。「輝石」の手がかりを求めて。」
 パガサが言い切ると,頭に当てられていた物が下された。納得してもらったのか,それとも海の民の長老に引き渡されるのか。ゆっくりと振り向いた。そこには,白布を巻いてはいるものの,妙な長い道具と変わった形の金属を持った若者が立っていた。
 「そうか。「輝石」か。では,もう一つだけ。お前らは里の外へ出たことないはずだ。どうやってここまで来た。教えてくれ。」
 若者の口調からは,先ほどまでのような鋭さはなくなっていた。むしろ,悲しみを含んでいるようにも聞こえる。どうしてだろう。海の民もやはり「輝石」の影響で災いを受けているからなのか。パガサは思う。
 「それはね,これ。長老が貸してくれた地図。これを見ながら,ここまでやって来た。」
 マンガラがパガサの包みから,勝手に取り出してその若者に見せた。
 「マンガラ,何を勝手に。」
 パガサは注意しようとしたが,若者が,渡された地図をとても丁重に受け取り,慎重に丁寧に開く仕草に気を奪われた。地図を見ながら,何を思うのか,唇が震えている。市の灯に反射した目には,涙まで浮かべている。その地図に,何をそんなに。
 「手荒な真似をして悪かった。俺も海の民ではない。お前たちとは違うが,お前たちと同じく重要な仕事があって,ここに来た。」
 そう若者は口にしながら,すぐにまっすぐ前を,鋭い眼差しで見つめた。マンガラとパガサがそれに気づいて振り返ると,「工房」の扉の隙間から,十何人もの人々がこちらを見ている。そのうちの誰かが叫んだ。
 「おい,全部聞かせてもらったぞ。お前ら海の民じゃないらしいな。土の民の者が,ここイスーダに,しかも俺たちの工房に何の用だ。」
 その声に呼応するように,さらに続々と扉からあふれ出てきた。マンガラとパガサ,それに若者は,次第に彼らに囲まれていった。

地の濁流となりて #2

地の濁流となりて #2

パテタリーゾの災いの原因を求めて,湾岸都市イスーダに潜入する土の民マンガラとパガサ。「時を旅する人」が命じたように「工房」を目指す。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-15

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