ティータイム
朝食の時間がずれると昼時になかなか空腹にならなくて困ることがある。
午前中に買い物を済ませる気で目覚ましをセットしていたのについ気持ちよく二度寝をしてしまった私は、慌てて準備をして出かけたものの買い物を済ませて一息ついた時には時計の針が午後二時を指していた。
まだ空腹になっているわけではないが、食事しないと夕食の時間までずれこんでしまいそうなので、軽く食事をしようと最寄のパスタ屋に入った。
午後二時という時間にもかかわらず店内は混雑しており、一人客の私は一番奥の二人用テーブルに案内された。
買い物で疲れた足を伸ばしてぼんやりしていると、隣のテーブルに座った若い男女の会話が耳に入ってきた。
「俺の友達さ、○○(有名企業)に勤めてて給料すげーの。」
「ほんとーすごぉい。」
「俺なんか整備の仕事してるからさ、給料は少ないんだよなあ。」
「へぇーそうなんだぁ。」
会話内容から察するに、知り合って間もない男女のようだ。
それにしても、さっきから男の子のほうは友達の自慢ばかりで、自分自身の話は「いつか独立したい。」と夢物語のようでまるで現実味がない。
相手の女の子に「ねえねえ、その友達にも会わせてよ。」と言われて意中の女の子を友達に取られる未来がありありと目の前に浮かんでうんざりした。
世の中には人間観察が好きな人がいることは知っている。
道行く人のファッションを見たり、飲食店で耳に入ってくる会話を楽しんだりできる人達だ。
私はその逆であまり人に関心を持てない。
道行く人の姿も風景の一部としてしか見ていないのでこちらから知り合いに気づく事は少ないし、通勤電車の車内や飲食店などで嫌でも耳に入ってくる会話もうんざりさせられる。
なんとなく嫌な気分になってさっさと食事を済ませて外に出る。
そのまま帰宅しても良かったが急いで食事したので落ち着いたところで一息つきたいと思い、お気に入りのカフェに足を運んだ。
ちょうど三時のおやつタイムが近いからか、手作りドーナツを提供するカフェ店内は甘い香りに満ちて賑わっている。
窓際の席に案内されて紅茶を注文する。
近くの席には青年が一人座って静かに紅茶を飲んでいる。
少し離れた席に座っている女性達の会話はあまり聞こえてこないのでほっとした。
しばらくしていい香りの紅茶が運ばれてくる。
私がこの店を気に入っている理由は手作りドーナツもさることながら、この紅茶の美味しさにある。
苦いものが苦手でコーヒーが飲めない私は、紅茶にはちょっとしたこだわりがあるのだ。
普段は自宅で気に入った茶葉を使って紅茶を飲んでいるが、今まで経験した飲食店で提供される紅茶は渋すぎたり香りがまったくしなかったりでひどい代物ばかりだった。
コーヒーは専門店まであるのに美味しい紅茶を提供してくれる店が極端に少ない現状、私にとってこの店の紅茶は救いだった。
香りはしっかり匂い立つのに渋すぎず、適温で提供される紅茶は癒しそのものである。
読みかけの小説を開いて物語に沈んで行こうとした時「待ちました。」ともの凄く不機嫌そうな声が聞こえた。
あまりにも不機嫌そうな声だったので思わず隣に目をやる。
「ごめん、バイト先でトラブルがあってさ、もうまいったよ。」
息を弾ませながら長身の青年が向かいの席にかけた。
「今日は特定の空間で時間の流れに差異がある件について話したいと思います。」
「え、うん。俺ホットコーヒーにしよう。」
「前から薄々感じていたんですけれど、特定の空間というのは時差のような長い距離の間で起こるものではなく例えば個々の家の一部屋一部屋によっても違うんですよ。
時間の流れの差異というと少し難しく感じるかもしれませんが。」
「うん、その話はまた後で聞くからさ、実は今日バイト先でやっかいな客にあたっちゃってさ。」
「分かりやすく言えば時計です。
僕の家の時計は昔から何度も新しいものに取り替えているのにキッチンの時計は少しずつ早く進んで、寝室にある時計はだんだん遅れていくんですよ。それって面白くないですか。」
遅刻してきた青年の話をわざと遮るように待っていた青年は滑らかに話し出した。
話の内容があまりにかみ合っていないものだから、つい興味を引かれて耳を傾けてしまう。
「前々から過剰なサービスを要求してくる客で上もそのことを知ってるんだけど、気に入らないことがあれば酷いクレームつけてくるからなるべく刺激しないようにって事で穏便に済ませてたんだよ。
それが、前に担当した後輩が結構な無理難題を融通きかせちゃったらしくてさ、一度してもらったら次からも同じ事をしてもらえて当然と思う客なのにその事について一言も報告がなかったものだから『前やってくれた事なのにどうして今回はダメなんだ。』とわめきだしたんだよ。」
「よくあるパターンですね。何もかも自分で抱え込んでしまう、悪い意味で特別な関係になってしまってるんですよそれ。」
「組織にとって替えの利かない人材はいらないって話か。」
「そう、抱え込むものが多くなればなるほど、そのうち自分で対処しきれなくなるのは分かっているのにどんどん深みにはまっちゃうんです。過剰サービスを求める客っていうのは結構相手のこと見てるんですよね。ここまでなら言ってもいけるんじゃないかとか。そこできっぱり断ることができなければどんどんエスカレートする。一度してもらえたことは次からもやってもらえて当然だと思っちゃうんですよ。欲望は果てしないですから。
でもこの場合、悪いのは客だけじゃないんです。
無理な要求に応えてしまっている方も、応えてしまった時点でもう特別な存在なんですよ。あの人なら、あの店ならやってくれる。と。」
「うーんそうなんだよなぁ。」
「それで、ヨシト君はどうしたんですか?」
「正直バイトの俺が判断できる問題じゃないしそんなこと続ける訳にはいかないからさ、丁重にお断りしたよ。そっからガミガミ嫌味やら説教やら好き放題言われて大変だったけどな。」
「適切な判断ですね。ところでさっきの話の続きですが・・・」
ふいにヨシト君と呼ばれた青年と目が合った。
思わず会話に引き込まれてしっかり聞き耳を立ててしまっていたものだから、急に恥ずかしくなって本をしまい、席を立つ。
レジで会計をしていると「あの、これ落としましたよ。」と声をかけられた。
ヨシト君が本のしおりを手にしている。
「あ、ありがとうございます。」
もごもごと小声で礼を言い、逃げるように店を出た。
電車の中でカフェで耳にした会話を思い出す。
私もサービス業に就いているので今の話の内容に共感を覚えた。一見頼りなさそうに見えたヨシト君だが、無理な事を要求されても断ることができるのは勇気ある行動だ。
今日は人の会話ばかり聞いていた一日だったが、たまにはそういう日も悪くない。人間観察が好きと言っていた後輩の言葉が少しだけ理解できる気がした。
パスタ屋でからっぽな会話をしていた男女は今頃手をつないで仲良くデートしているかもしれない。
未来がほんの少し、明るく見えた。
ティータイム