ワーカーホリック・デコトラック
真夜中の国道を一台のトラックが突っ走ってくる。そのヘッドライトは必要以上に明るく道路を照らす。
「ワオ!!人っ子一人見当たりまセーン」
そのトラック運転手のケヴィンは、前も後ろもどこまでも暗く静まり返ったこの状況を奇妙に感じることもなく、ただアクセルを遠慮なく踏み込んだ。古びた道路看板が、ケヴィンの視界に入りこんでは、またたく間に消えていく。
「この道はかなりやばい」「死」「引き返すのが最も良い判断」などという、人間の不安を煽る恐ろしく不吉な文言がそこには大きく書かれていたが、ケヴィンはその全てを鼻で笑い、無視した。ケヴィンは、この国道に何があるのか、仲間内で語られているのを聞いたことがあった。しかし、それを全く信じていなかった。
「あの国道には妖怪が出るんだ!化けデコトラックだ!」
「化けデコトラックだと!」
「やばいな」
「なんでも夜な夜なあの国道を走り、その長い舌で人間の魂を直接啜るとか」
「直接!」
「そりゃすげぇな」
ケヴィンはそういった噂話を、この国に来てからの今までで飽きるほど聞いた。
妖怪とは、超能力者のようなもので、ケヴィンは深夜のテレビの画面上で、その姿を何回か見たことがある。
ケヴィンにとって、妖怪とはちょっと肌が緑色をしていたり、なんだか首がやたらのびる人間というだけで、時々人々の好奇心を満たしては、すぐに表舞台を去る、その程度の退屈な存在だった。
「おいケヴィン!聞いてるのか?だからあの国道はマジでやばいんだ!絶対使っちゃいけない!」
ケヴィンの同業者のドライバーは、真剣な表情で話していた。ケヴィンには、それが全く馬鹿らしく思えた。
「HAHAHA!」
ケヴィンは笑い飛ばした。
「何デスか?ヨーカイ?あれはただの面白びっくり人間デース。オカルト違いマース。ズルズルー!」
ケヴィンは食べていた豚骨醤油ラーメン(ケヴィンの大好物だ)を勢いよく啜った。
「化物はよく見たら、枯れたススキってコトワザがありマース。それデース。ご馳走様」
「ケヴィン、実際に見た奴がいるんだよ。その化けデコトラックを。そいつはコントロールを失ったトラックから飛び降りて帰ってきたんだが・・・ちょっと頭がおかしくなっちまって・・・」
「その頭おかしい人の戯言なんじゃナイ?ヨーカイとかいうのも」
「いや・・・」
「ノープロブレム!」ケヴィンは勢いよく立ち上がる。
「おいケヴィン!話はまだ・・・」
「私はドライヴィング・キング・ケヴィンデース。そのヨーカイが出てきても、私のドライヴィング・テクニックには叶うはずありませーん。HAHAHA!」
そしてケヴィンは颯爽と、自慢の相棒『マッハケヴィンGO』の運転席に乗り込み、不必要なドリフトでタイヤを鳴かせながら、弾丸のように夜の道路に走り出した。
そんな風に大見得をきって飛び出してきたケヴィンだが、道路があまりに空いていることにだんだん不安を覚えてきていた。前を見ても誰も走っていない。バックミラー、サイドミラーにも、暗闇が映り込むだけだ。ケヴィンは聞いたさっき聞いた話を信じていなかったが、周りに誰もいないのは寂しさを覚えていた。
「ホントに誰もいまセーン」
「みんな怖がりデース。日本人は迷信が大好き」
「フッフーん。話のネタにはイイですけど、そのせいで仕事の効率を下げるなんてのはナンセンスデース。イェーイェー」
ケヴィンはもともと、運転中車内で独り言を言う癖が、かなりあった。さらに今、じわじわと膨らんでいく不安のせいもあり、その独り言はいつもよりも多めだった。
「この仕事終わったら、ラーメン食べよ」
「さっきはショーユだったから、今度は味噌」
「オゥ、でもつけ麺もいいデース。迷いマース」
「昨日買ったご当地の珍しいカップ麺でも別にいいですネー」
ケヴィンは大好きなラーメンのことを考えて、気持ちを落ち着けることにした。ケヴィンはラーメンを愛していた。食べるだけではない。自分でも作る。ケヴィンのラーメン愛はそういうレベルだ。ケヴィンが日本で生活しているのも、日本のラーメンが好きだからだ。お金を貯めて、いつかは小さいけれどおいしいラーメン屋を開こう、ケヴィンはそんな夢も見ていたのだった。
ケヴィンがラーメンのことに気を取られているあいだに、実はサイドミラーに変化があった。しかし、ケヴィンはそれに気づかない。ケヴィンのトラックの後ろから、静かに忍び寄り、ケヴィンが気づいた時には、既にケヴィンのトラックは何台もの改造バイクに包囲されていた。
「パララリラリプー!」独特のクラクションがけたたましく一斉に鳴り始める。無人の国道が突如として乱痴気騒ぎの祭りの会場のような混沌に包まれた。
「ようよう!トラックの運ちゃん!この国道は三日前から、このダシヌケ団のものなんよ!通行料払えや!」『人生を出し抜け』と刺繍された特攻服を着たリーゼントの男、おそらくこの不良グループのボスが、拡声機でケヴィンに無茶な要求を突きつけた。
「通行料!」
「通行料!」
「さっさとはーらーえっ!」
何人もの不良がそのあとに続き斉唱する。悪魔召喚の儀式のような禍々しいシュプレヒコールが、ケヴィンを襲う。
しかし、ケヴィンは慌てるどころかむしろ安心していた。噂に聞いていた妖怪などではなかったからだ。拍子抜けだった。チンケな不良グループごときに、自分の本気の走りが抑えられるはずがない。
ケヴィンは確信にみちた笑みを浮かべアクセルを踏んだ。
「通行りょ…な、なにぃ!」
爆発的な加速だった。それでいて繊細な動きであった。ケヴィンのトラックは、不良グループダシヌケ団の包囲網を難なく脱出した。不良たちはしばし、呆気にとられていたが、すぐに怒声をあげてケヴィンのトラックを追いかけてきていた。
「少し遊んであげマース・・・」
ケヴィンの改造トラック「マッハケヴィンGO」の性能をフルパワーに発揮すれば、不良たちに一瞬で追いつけない差をつけることもできた。なぜそうしなかったのか?ケヴィンは、無人の国道に現れた彼らダシヌケ団に少し感謝していたのだ。この場所を、ひとりで走るのはちょっと寂しかったのだ。寂しさを紛らわすハイスピードレーシングバトルを今のケヴィンは欲していた。
「なめくさりやがってー!通行料払えやオラー!」
ケヴィンは挑発するようにテールランプを点滅させる。不良たちはわけのわからない叫び声を思い思いに吐きながら、ケヴィンを追走する。その手にはみな危険な武器、釘バットやバールのようなものがある。もう一度囲まれてしまったならば、これらの武器でトラックは無残に破壊されてしまうだろう。
「どこまでついてこれるか見ものデース」
ケヴィンは、わざと手がもう少しで手が届きそうなほどに減速しては、そこから一気に突き放す、というような走りを不良たちに見せつけた。こうしていけば、ひとりまた一人と、心がおれるだろう、ケヴィンは踏んでいた。実際、そうなっていった。どんなに飲み込みの悪い不良たちでも、これを何度も繰り返しされると、自分と追っている相手の間に横たわる圧倒的な実力差を認めざるをえなかった。弄ばれていることに気づいてしまうのだった。不良たちに見せつけた、ケヴィンのこのドライヴィングは、まるで熟練したプロの闘牛師であった。
だが、一人だけは、ケヴィンが何度突き放そうが、それでも追いかけてきていた。ダシヌケ団団長の男だ。彼は、自分が追っているものとの圧倒的な実力差を誰よりもいち早く気づいた。だが、彼はケヴィンを最後まで追い続けて来ていた。
「ラァー!クソがー!ふざけんじゃねぇぞテメェー!」その声は、すでに最初聞いた声とは違うものだった。叫び続けた声には、血と執念が滲んでいた。
ケヴィンは驚くと同時に、困っていた。ここまで自分を追ってきた人間がいることは純粋に嬉しかったが、そんなに本気にならなくてもいいのに、という気持ちが混ざって、とても複雑だった。一体彼をどうしようか、ケヴィンは悩んだ。無慈悲に突き放すことなど簡単にできる。それをすべきなのか。だが、このまま追われ続けることもできる。ケヴィンは、ダシヌケ団団長に対して奇妙な愛着が湧いていた。しばしのあいだ、ケヴィンは考えていたが、突然の奇妙な声と光で考えは遮られた。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」
「ナァーッ!?なにごとだよーッ!」
ダシヌケ団団長の最期の言葉はそれだった。彼は、突如として現れた、謎のデコトラックに轢かれて死んだ。謎のデコトラックは、奇妙な呪文を唱え、黄色、ピンク、紫、水色、など数々の怪しいサイケデリックな輝きを発しながら、ケヴィンのトラックにやすやすと並走した。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」
ケヴィンは恐怖した。ハンドルがピクリとも動かない。アクセルもブレーキも、どちらもカチカチに固まってしまった。コントロールが効かない。隣にならぶデコトラックは、意味不明な金属片で過度に装飾され、もはや走るオブジェとしか言えない何かだった。車体には『スケバン女番長』『ずるくない漢の道』『急がば回れ』など文字が荒々しく刻まれ、鬼の形相で髪を振り乱した上半身裸の木刀を握る女が、富士山を背景にして白い虎と戦っている。見ただけで正気を失いかねない過激な図案だ。運転席に誰かが座っているのが、かすかに見えるが、不思議な光でシルエットしかわからない。
「ワ、ワーオ・・・」
思わずケヴィンはつぶやく。妖怪化けデコトラックは実在したのだ。彼は混乱し正気を失う寸前の頭をフル回転させる。なんなのだこれは。どうすればいい?
「お前はどこに行くのだ」
頭の中に直接響くような低い声が、ケヴィンに語りかけてきた。
「大阪に、配達・・・」ケヴィンは絞り出すようにして答えた。
「配達・・・お荷物をか?」
「イェース・・・お荷物を配達・・・」
「そうか。なぜ?」
ケヴィンはシートベルトを外し、車内に備え付けてあるハンマーでドアのガラスを割ろうとした。油の表面のように光り輝く男がそれを止めた。ケヴィンのトラックの助手席に彼は座っていた。ケヴィンは言葉を失った。光が網膜に焼き付いた。
「ぬ?」奇妙に光る男は、何かに気づいた。助手席の足元にビニール袋が落ちていた。彼はそれを拾い上げ、中を覗く。ケヴィンが昨日買った、ご当地もののカップ麺だった。
「俺たちはなぜ走るのか?」
彼はそう言うと、カップ麺の入ったビニール袋を持ったままスッと消えた。
ケヴィンは瞬きを5回し、周囲360度を3回見回した。はるか前方にデコトラックのバックランプがグワングワン揺れている。「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」その声がだんだん遠ざかっていく。ハンドルに触ると、動いた。ブレーキを踏んだ。道路とタイヤの摩擦する音が響く。ケヴィンはハンドルをぎゅっと握り締めて、深く息を吸って吐いた。奇怪な男の座っていた席を見ると、ぬるぬるとあぶらぎって濡れていた。
トラックが完全に停止すると、ケヴィンは外に飛び出した。ケヴィンの他には、周りには誰もいなかった。見渡す限り、どこまでも続くかのような道路しかなかった。
「あたしはさー、こういう寂れたパーキングエリア好きだよ」
二人組の女が、人のいない夜のパーキングエリアで食事をしている。一人は白いチャイナ服を着た20代後半くらいのスタイルのいい女で、よく喋り、よく食べている。もう片方のほうは、なぜかアイマスクをした小柄な少女だ。年相応のカジュアルな格好と短い髪をしているが、どうも所在なさげにしている。姉妹や親戚というような血の繋がった関係には見えず、友人というには年齢差がある。だが、全くの赤の他人同士というふうにも見えないなんだか不思議な空気の二人組であった。
「自販機で食べ物買うのってわくわくしない?つい買っちゃうよねーなんか、味もそれなりなんだけど」
「私は苦手です・・・」
「どうしてさ」
白いチャイナ服の女はハンバーガーやサンドイッチ、お蕎麦にアメリカンドッグなどをもぐもぐ食べている、飲み物は紙カップに注がれたアイスコーヒー。すべてこのパーキングエリアの自販機で買ったものだ。アイマスクの少女は、持参したアルミホイルで包んだおにぎりを、ペットボトルの水で喉に流し込みながらちまちま食べている。
「味が苦手というか、機械が苦手なんです。紙のカップが落ちてきて、飲み物がジャーって出てくるそういう自販機なんかでも、私が買うと先に飲み物がジャーって出てきたりするんです。なんか機械に嫌われているみたいなんです」
「そんなわけないだろー!」
チャイナ服の女はケタケタと笑うと、食べ物が喉に詰まったらしく、その後ゲホゲホとむせた。
「だ、大丈夫ですか!」
「おー大丈夫だ、大丈夫。しかし、ホントなのかそれ」
「本当ですよ」アイマスクの少女のその返事は、新しくパーキングエリアに入ってきた大型トラックの駐車する音に被さった。トラックの大きさを感じさせない、スピーディーかつ正確な駐車だった。
トラックから降りてきたのは、憔悴した様子の太った白人の男だった。
アイマスクの少女は、その男の方に顔を向けていた。
「どうしたの」チャイナ服の女が聞く。アイマスクの少女の真剣な様子に気づき、彼女も真剣だ。
「あの人から見える。妖怪が見えます」
アイマスクの少女は、その外人をしっかりと指差して言った。
チャイナ服の女はそれを聞くと立ち上がり、「あたし英語できないんだけどがんばるよ」とつぶやきながら、その憔悴した外人のもとへ近づいていった。
「ハーイ!ナイスツミーチュ!」
「アー、日本語話せますヨ・・・」
外人の男、ケヴィンは、突然チャイナ服の女に妙に勢いよく話しかけられたが、そっけなく返答した。チャイナ服の女は後悔し、恥ずかしくて笑った。
「良かった、日本語話せるんですか。いやあ良かった。それは。」
チャイナ服の女は、目の前の白人の男をそれとなく観察した。男は、太っていたが、同時にかなりの筋肉も体中に付いており。まるで白熊のようだった。だが、その表情は何かに怯えているかのようだった。
「少しお話したいことあるんです。変な勧誘とかじゃないですよ。立ち話もなんですし、なんか飲みながら・・・」
「私は頭がどうかしてしまったのかもしれない。何なんだあれは・・・」
チャイナ服の女の言葉を遮って、ケヴィンはそうつぶやいた。チャイナ服の女は、確信した。この外人には何かある。妖怪と関わったに違いない。
「大丈夫です。話を聞きます」
「あなたは・・・何だ?」
「あなたをお助けできるかもしれない。話してくれませんか、それ」
ケヴィンは何かを話し出そうと口を動かしていたが、それは一向に始まらなかった。
「焦らなくていいですよ、落ち着いて座って話しましょう。ね。どうぞこちらへ」
チャイナ服の女がそう言ってゆっくり歩き出すと、ケヴィンはそれに従順に続いた。大男のケヴィンは、テーブルにつくと頭を抱えた。
「何か飲みます?買ってきますよ」とチャイナ服の女が聞くと、ケヴィンは「ラーメン」と答えた。
「ラーメンはちょっと売ってないですねー。自販機のおそばと、おうどんならありますけど」
「ア、なら缶コーヒーでお願いします」
「買ってきますね」
チャイナ服の女が戻ってくるまで、ケヴィンは頭を抱えて「オーゥ」「ノォー」「アンビリーバボー」「ジーザス」などと小声でつぶやいていた。アイマスクの少女は背筋を伸ばし、膝に手を置き、じっと正面に座るケヴィンの方に顔を向けていた。缶コーヒーを机に置く音でケヴィンは顔をあげる。
「私はネコマタ、そっちのやつは、ひとつめ。私たちは、妖怪と戦っています」
「妖怪と・・・戦う・・・」ケヴィンは目を白黒させた。あんなわけのわからない化物と、戦う?いやあんなものは自分の見た妄想ではないのか?この人たちは、何を言っているんだ?ケヴィンは白いチャイナ服の女、ネコマタの言葉が飲み込めなかった。
「妖怪なんて・・・いるわけがアリマセーン・・・」
「見たんじゃないの、あなた?」ネコマタは席に座って、飲みかけだった自分のアイスコーヒーを飲んだ。
「私の見たのは私の妄想デース。私はちょっと疲れてるみたいデース」
「ホント?ひとつめ?」ネコマタはひとつめに聞いた。
「嘘です」とひとつめは答えた。
「大丈夫ですから嘘つくことないですよ。えーと、そういえばお名前聞いてなかったですね」
「ケ、ケヴィン・ブラウン」
「ケヴィンさん。えーと、できれば、詳しく教えて欲しいんです。あなたの見た妖怪のこと」
「は、話したくない!思い出したくない!」ケヴィンは『妖怪』という単語に反応し、また頭を抑えて、テーブルにうつ向いてしまった。ネコマタは頭をかいた。
「あーそうですか。どうしよう。ひとつめー。この人の記憶どれくらい見えてる?」
「あんまり、です。この人の見た妖怪は、ぴかぴかしたトラックで、速いってくらい・・・」
「それは私たちの今回の目標であってるの?」
「たぶんそうです」
「でもそっかー。やっぱ話す気になってくれないと、アバウトにしかわかんないかー」
「すいません」
「なんでひとつめが謝るの」
ケヴィンは、二人の会話をきいていた。一体この二人は何者なのだろうか、なぜ言ってもないことがわかったりするのだろうか。エスパーなのか。やっぱりエスパーのエージェントなのか。サイキックで妖怪を倒すヒーローか何かなのか。私はなんて下らない妄想をしているのか。そんなことよりラーメンが食べたい。ケヴィンは悩んだ。
「えーとケヴィンさん」
「はい、なんデース」ケヴィンはネコマタの声に反応し、おずおずと顔をあげた。
「私たちは妖怪と戦うんですけど、情報は多いに越したことはないんです。だからあなたの話を聞きたかったんですけど、やっぱり話してもらえませんか?」
「妖怪というのは、何なんデースか?あなたたちは、なんなんデースか?」
ケヴィンは思い切って聞いた。自分がどういうことに巻き込まれてしまったのか、彼は納得のいく説明を求めていた。誰でも何でもいいから私に説明してくれ、安心させてくれ。それがケヴィンの包み隠さぬ本心であった。ネコマタはしばらく黙っていたが、やがてあまり気乗りしない様子で、ポツポツと話しだした。
「あんまり知らない方がいいと思うのですけど、話を聞く以上、質問には答えなくてはいけないですよねそりゃ。妖怪っていうのは、それぞれの個性が強くて、まとめてこう、と説明するのは難しいんですけど、だいたい共通してるのは、人を襲って、その魂を食べるやつということです。私たちは、そいつらと戦っています」
「魂を、食べる?ホワッツ!?あれは・・・生き物?ゴースト?ホワイ?どうやって戦う?あんなものと?」
ケヴィンはだんだんと、言葉に熱がこもってきていた。言葉は整理されないままに、濁流のように流れ出しそうになる。ケヴィンは、ネコマタが買ってきた缶コーヒーをあけて、一気に半分以上飲んだ。
「実体はあったりなかったり、それは個体によってまちまちです。でも生きています。だから殺せます。あなたが見た妖怪はどんなのだったんですか?」
ケヴィンは、目の前のチャイナ服の女に何か底知れないものを感じた。ネコマタは笑顔だ。ケヴィンの疑問は、ネコマタのぞんざいな回答で溶けるどころか、さらに増えて大きくなっていた。しかし、ネコマタはごく普通に、今度はお前の番だと言わんばかりに、ケヴィンに質問を仕返してきたのだった。
「よ、妖怪化けデコトラック・・・話には聞いていました。ドライバーのあいだではちょっと有名な噂でした。配達途中に事故で死んだドライバーが、妖怪になって夜な夜なあの国道をさまよっていると。私は全然信じていなかった。私はオカルトは信じないぞ!でもあの化物は、いた。何なんデスカあれは。ぬるぬるサイケデリックに光っていた。気づいたら横にテレポートしてきた。わけのわからないことを言っていマーシタ・・・」
「どんなことですか?」ネコマタはケヴィンに続けて聞いた。
「配達をするだとかなんだとか。お荷物がどうとか、そんなことを・・・そうだ、私はあの化物が人を轢き殺したのを見たんだ、人を殺した・・・」
ケヴィンは少し涙ぐんでいた。ネコマタの方は、しばらく黙っていた。何か考えているようだった。
「人が死んだ!」ケヴィンは、悲壮感に満ちた叫び声をあげた。
「たぶんあなたを追ってきたりはしないと思うので大丈夫ですよ。テレポートとかする実体の薄い妖怪は、場所に縛られてることが多いので・・・」ネコマタはケヴィンを落ち着かせようとした。まだ、ケヴィンから聞いておきたいことがあったのだ。一体、目の前のこの男は、その妖怪・化けデコトラックから、どうやって生きて逃げてこれたのか。この男の運転技術はさっき見た駐車の鮮やかさでわかる。かなりの腕だ。だが、運転技術どうこうで、なんとかなる程度の相手なのか。そうだとしたら、自分一人でも楽に倒せる相手だが、そんな簡単な相手なのか、ネコマタは考えていた。
「ひとつめ、どう?」
ネコマタは、置物のように静かに座っていたアイマスクの少女に小声で聞いた。
「ラーメン・・・?」と、ひとつめは、ネコマタよりもっと小声で答えた。
「ラーメン?」
「ラーメンが見えるんです、なんか。カップラーメンです」ネコマタは頭をひねった。
「それはその、妖怪に関することなの?」
「私に見えるのは妖怪に関することだけなので、このカップラーメンも何かだとは思うんですけど・・・」
「うーん、わからんな!」
ネコマタは考えてもわからなかったので、ケヴィンに聞いてみることにした。
「カップラーメンって、あなたの見た妖怪に関係あります?」
『ラーメン』という単語を聞いたとたん、ケヴィンは、今まで様子はなんだったのかと言いたくなるほど、急に生き生きしはじめた。
「そう、ラーメン。カップラーメン、それデース!それデースよ!あの化物は、私のご当地カップラーメンを持っていきマーシタ!許せマセーン!ガッデム!」
「あー、そうなんですかー。カップラーメンを持っていった・・・」その回答が、期待していたような、その妖怪の弱点とかいうようなものではなかったのもあり、ネコマタは苦笑いした。
「好きなんでしょうか、カップラーメンが」ひとつめはつぶやいた。
「あのカップラーメンはなかなか手に入らない代物だったんデース。フクシマの老舗のラーメン屋『苦節軒』の味を忠実に再現したもので、それをあの妖怪は、一方的に・・・殺されるかと思いまシータ・・・」
ケヴィンはとても大きなため息を吐いた。ケヴィンのテンションの無理な高揚は長くは続かなかったものの、結果的に、彼は普通に話せるくらいに落ち着くことができた。
「トイレ行ってきていいデースか?」ケヴィンはネコマタに聞いた。
「どうぞ」というネコマタの返事を待たずに、ケヴィンはトイレへと小走りで向かっていった。
「カップラーメンと引き換えに命が助かったって感じみたいです。人の魂より特定の食べ物を好む妖怪っているんですか?」ひとつめは、ネコマタに聞いた。
「いると思う。ご飯食べるより、デザート食べるのが好きな人がいるみたいなもん。デザート食べてるだけじゃ栄養足りなくて生きていけないけど。ひとつめもそういうタイプじゃないの?」
「私は好きな食べ物もあんまりないです」
「好きな食べ物見つかると人生楽しいゾ」
「そうなんですか」
「そういうもんだよ。シンプルなもんさ」
トイレから帰ってきたケヴィンは落ち着き払って言った。
「あの妖怪と戦うのは絶対やめたほうがいいデース」
「なぜですか?」ネコマタは、聞き返した。
「あのトラックに並走されたとたんに、ブレーキもハンドルも動かなくなってしまいマーシタ。あぶないデース。近づくだけでも自殺行為デース。なんであんなものと戦うんデース?」
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ。私は何度もこういうことをしてきたので。プロですとも!たぶん、運転はそこのひとつめにやらせれば大丈夫です」
「ええええ!?私ですか!?私運転したことないですよ!?なんで!?」ひとつめは、突然のことにしどろもどろだ。
「大丈夫だよひとつめ。運転なんて簡単だよ。ひとつめマリオカート強いじゃないか。運転もできるって」
「ネコマタさんが運転してくださいよ・・・」
「私はキネシス系とかそういうの、ひとつめみたいに防げないし、車がコントロール効かなくなったら困る。私たちの乗ってきた車借り物だよ?使い捨てるわけにもいかない。あと私は殴り込みがしたい」
「えーと、その・・・せめて練習とかしたいです・・・」
「そんなことしなくてもひとつめは出来る子だとあたし信じてる」
「こ、困ります・・・」
ケヴィンは一人蚊帳の外だった。どうやらこの二人組は、本気らしいというのはわかった。だが、本当に専門家なのか?どうもそういうものには見えなかった。そもそも妖怪の専門家って何だ。一体この二人は何なのだ。トイレの中でもケヴィンは随分考えた。妖怪というものがこの世には存在するかもしれない。自分が見たあれはそうに違いない。ならば、その妖怪とは何なのか、妖怪と戦うというこの二人は何なのか、正体を確かめてみたい。ケヴィンの恐怖には少しずつ興味が混ざってきていた。
「あのー」
「何ですか、ケヴィンさん」ネコマタが反応した。
「あのトラックは、並大抵の車じゃあ、まったく歯が立ちマセーン。速さが全く違いマース。たとえあなたたちがどれだけ強くても、一瞬で置いていかれてしまいマース」
「そうなんですか・・・じゃあ私には絶対無理・・・」ひとつめがぼそぼそと言った。
「私のトラックを使ってクダサーイ」ケヴィンは言ったそばから後悔した。
ケヴィンの改造トラック『マッハケヴィンGO』は、ケヴィンの、走りとラーメンへのこだわりが全て詰め込まれた夢のモンスターマシンだ。ケヴィンは自分の運転テクニックと、「マッハケヴィンGO」に強いプライドを持っていた。しかし、ケヴィンは、妖怪化けデコトラックに、完膚なきまでに、なすすべなく敗北した。その敗北の悔しさが、ケヴィンの心の奥からふつふつと湧き上がり始めていたのだった。大事なご当地カップラーメンを奪われた悔しさも、けして小さくなかった。ケヴィンがネコマタたちに協力を申し出たのには、そのような諸々の理由もあっただろう。
時刻は深夜。草木も眠る丑三つ時である。パーキングエリアには車が何台か止まっているが、人の気配は感じられない。ケヴィンの『マッハケヴィンGO』だけが煌々としたライトをつけている。
「作戦はこうです。たぶんキネシス系の力は影響受けないんじゃないかなという、ひとつめが、ケヴィンさんと運転して化けデコトラックに近づく。私が、化けデコトラックに飛び移る。私が運転手を殴り殺す。全く実体がなくてどうしようもなかったらひとつめがなんとかする。完璧」
助手席に座る白いチャイナ服の女、ネコマタが随分とアバウトな計画を説明した。ケヴィンはなぜこうなったのかと、空虚な笑いを漏らしていた。ケヴィンは運転席に座り、そのケヴィンの膝の上に、アイマスクの少女、ひとつめが座っていた。
トラックを貸すだけでなく、一緒に運転までする羽目にケヴィンがなったのはなぜか。それは、『マッハケヴィンGO』の巨大なハンドルを握り、運転席の面積を盛大に余らせて座る、アイマスクの小柄な少女が、誰がどう見てもあんまりにも頼りなく、『マッハケヴィンGO』を任せるには不安しか見えなかったからだ。
ケヴィンが「ちょっと無理があるのデーハ?」と言うとネコマタが「うーん、じゃあケヴィンさんも一緒に運転してくれると助かるんですけどー」と突然言い出し、いろいろあって、ひとつめはケヴィンの膝の上に座る、という形に自然と落ち着いてしまったのだ。
「とりあえず、ひとつめもハンドルを握っていれば、操作が効かなくなるということもないと思います。ひとつめは相手が見えたらすぐに私とケヴィンさんに合図して。私が化けデコトラックに飛び移ったら、すぐに距離とって。あとは私の独壇場、といきたいんですけど、実体が薄い相手らしいので、やっぱり手間取りそう。できるだけ細かく通信入れます。ま、やるだけやりますよ」
「大丈夫なんデースカー」
「だ、大丈夫です!ケヴィンさんは私がお守りします!しゅ、出発しましょう!」ケヴィンの膝に座っているひとつめは、やたら気負った声で言った。ケヴィンは、全然安心できなかった。やっぱり死ぬかもしれないなと、他人事のように思った。どんどん不安になったケヴィンは、普段はたいして信じていない神に祈りたくなった。そして、アクセルを踏みこんだ。『マッハケヴィンGO』は、ゆっくりと走り出し、真夜中の道路に溶け込んでいった。
パーキングエリアを出るために走っただけで、ケヴィンはひとつめに驚いていた。はっきり言って膝の上に人を乗せて二人でハンドルを握り運転するなど、二人羽織じみたギャグ、うまくいくわけがないとケヴィンは思っていたが、ひとつめはケヴィンの運転を全く邪魔しなかった。一人で運転しているのと変わらない感覚だった。まるでケヴィンの考えていることが、すべてわかっているかのように、ケヴィンと同じようにハンドルを動かしたのだ。
「あのー、こんな感じであってますか?」ひとつめはケヴィンに聞いてきた。
「あ、あってるもナニーモ」
「すいません、違いますかやっぱり」
「いやいや、完璧デース。スゴイ」
「ほらー。やっぱりひとつめは出来る子だよー」助手席からネコマタが言った。
ケヴィンは徐々にスピードをあげた。心臓の鼓動が早くなる。妖怪・化けデコトラックの出た国道へ、近づいていくにつれて『やっぱりやめたほうが。何の意味があってこんなことをしている』という思いも強くなってくる。ケヴィンはつい癖で、独り言でボロボロと不安を言い出しそうになるが、それは口を結んでぐっとこらえた。
「しっかし、すごいですねーこのトラック。外見は普通ですけど、改造費かかったでしょう。加速の仕方が違う」ネコマタが世間話をするように聞く。
「わかりますか。見た目より内部のパワーとスピードを重視した改造をしていマース。私の自慢のマシンデース」
「スピードメーターがラーメンの丼みたいですけどそれは」
「私はラーメンが好きなんデース。ラーメンが好きで日本に来マーシタ」
「そうだったんですか。ラーメンお好きそうだなーってのは思っていました」
「わかりますか。大好きなんデース。三度の飯はラーメン」
「そんなに・・・」
「こうしてドライバーをしているのも、お金を貯めて将来のラーメン屋の開店資金にするためデース。じゃなきゃやってられまセーン。トラックドライバーはハードワークデース。ン?」ケヴィンは、突然青ざめ、石像のように固まってしまった。
「ケ、ケヴィンさん?」とひとつめ。
「どうしたんですか?」ネコマタは目的の妖怪が現れたのかと思い、周囲を瞬時に警戒した。
「配達・・・途中デーシタ・・・オゥ・・・」ケヴィンはポツリと言った。
「あーそれは・・・まずいですね。すいません」ネコマタは言った。
「いや、その。これは私が決めたことデース。私が・・・」そこでケヴィンは、自分のマシンでないエンジン音に気づく。ハンドルに力を込めた。ひとつめも同時にそうした。近づいてくるそのエンジン音は、一つではなく複数。そして、独特のクラクションが響いて聞こえてきた。
「パララリラリプー!」
何十台にものぼる無数の改造バイクの群れが、激情をこめてクラクションを鳴らし、ケヴィンのトラックに迫ってきていた。そのうちのいくつかのバイクが、はためかせている大漁旗のような旗には『人生を出し抜け ダシヌケ団』という文言が、ドクロマークとともに力強く書かれている。
「こ、怖い人たち!」ひとつめは叫んだ。
「面白人間がいっぱいだ、どうしましょうケヴィンさん」とネコマタ。
「そこのトラック止まれやーッ!殺すぞオメーら!団長殺した仇討ちだテメーッ!」
無数の改造バイクから、ワンパターンな怨嗟の叫びが次々とあがる。不良たちの手には当然のように武器が握られている。どこから入手したのか、拳銃やボウガンのような飛び道具もあり危険きわまりない。ひとつめはハンドルを握る手を片方一瞬離し、合図をだした。ケヴィンは『マッハ』と書かれた秘密のスイッチを迷うことなく押した。
「マッハケヴィン・フルパワー!」
ケヴィンが高らかに叫ぶと、F1マシンも真っ青の驚異的な加速が起こった。そして瞬時にダシヌケ団の姿が見えなくなった。叫び声が後ろへと遠ざかっていく。
「に、逃げすぎるなーッ!」
「は、速くて殺せないーッ!」
「あきらめられっかーッ!」
ひとつめとネコマタも、『マッハケヴィンGO』の加速に驚いていた。二人の身体能力は並の人間のものではなかったので、その加速に難なく耐えることができたが、普通の人間であれば大半の人間が失神するであろう殺人的な加速であった。ケヴィンは歯を食いしばって耐えていた。私の相棒は、なんたる暴れん坊なのか、ケヴィンはそう思い、そしてその後、自己完結した笑いを浮かべた。
「逃げてしまうのは卑怯でしょうか?」
「・・・ケヴィンさんは悪くないと思います。そろそろ来ます」ひとつめが言った。ケヴィンにも聞こえ始めていた。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」繰り返す無機質な男の声である。続いて無数の断末魔と衝突音。
「な、なーッ!」「ギャーッ!」「デコトラッ!」
ネコマタは器用に流れるような動きで『マッハケヴィンGO』の屋根の上に登り、腕を組み直立した。白いチャイナ服が猛スピードの風を受けて激しくはためく。後方ではピンク、黄緑、紫、青、サイケデリックな光が、改造バイクの光を次々に流れるように飲み込んでいく。猛スピードの悪夢のような光景だ。
「派手な食事だけど、ちょっと品がないなー」ネコマタはゆっくりと荷台の上を歩く。全く体の芯がブレない驚きのバランス感覚だ。
「楽しめるならなんでもいいんだけど」ネコマタは歯をむき出しにして笑った。
ケヴィンは、ひとつめが自分の運転の邪魔になるかもしれないなどと、先ほどまでは考えていた。だが、事態は逆転していた。恐怖による震えが、ケヴィンの体を襲っていた。抑えようと必死になってはいるものの、ハンドルを握るだけで精一杯だ。恐怖に震えるケヴィンを冷静にサポートしていたのは、むしろひとつめの方だった。
「大丈夫ですケヴィンさん。怖いですけど、ケヴィンさんは目をあけてハンドルを握っているだけでいいです。私も一緒に頑張ります」
「す、スイマセーン。さすがプロですね・・・」
「プロはネコマタさんだけです。私はあの人とは違うんです」ひとつめは、ハンドルを力強く握り直した。ケヴィンも手に汗をにじませる。
「金縛り、来ました。大丈夫です。私がなんとかします」
ラーメンの丼を模した形のスピードメーターは、すでに最高速を振り切れていた。だが、妖怪・化けデコトラックは、じわじわと『マッハケヴィンGO』との距離を詰めてきていた。ケヴィンはそれに気づき、力なく笑った。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」頭の中に直接響く声も大きくなっていく。サイドミラーに、前衛芸術のオブジェか何かとしか言い様のない化けデコトラックの不可解なシルエットが映り込む。『マッハケヴィンGO』の荷台の上のネコマタは、とびっきり大きな跳躍の準備のために深くしゃがみこんだ。
「3、2、1でジャンプする。オッケー?」とネコマタはひとつめに通信を入れる。
「わかりました。任せます」
「あ、あと言っとくけど、通信の返事なくなったらすぐにドーンとやっちゃって」
「大丈夫ですよ。なんとかなります」
「まだ、どんな敵なのかわかんないよー?一番ワクワクするね、こういう時が。さーん!」
化けデコトラックが近づくにつれ、ハンドルは明らかに重くなっていった。ひとつめは食いしばった。
「にー!」
化けデコトラックと『マッハケヴィンGO』の間は数十メートル。
「いーち!」
ケヴィンもまた、全身に力を込め、目を血走らせていた。必死だった。
「でやぁッ!」
短く力のこもったシャウトを発し、ネコマタは跳んだ。サイケデリックな光の中に飛び込んでいった。発狂した鳥の巣のような運転席の屋根でなく、荷台の上に、ネコマタは音もなく着地した『マッハケヴィンGO』もかなり巨大なトラックであったが、この化けデコトラックはそれよりも、ふたまわりは大きかった。荷台の上から道路までの高さが随分と違った。ネコマタのジャンプはそれにもかかわらず、新体操の演技のようにしなやかで見事であった。
「取り付いた」
ひとつめとケヴィンは、ネコマタの着地の報告を聞き、すぐさまスピードダウンする。一瞬のうちに『マッハケヴィンGO』は、化けデコトラックの後ろを取る。
「やっぱり一瞬しか並走されなければ平気?」ひとつめはケヴィンに言った。
「そうみたいデースね、一気に軽くなりマーシタ」
化けデコトラックの荷台の上にネコマタは立ち上がった。
「過積載・・・誰だ・・・過積載は、許さん・・・」
ネコマタに向けて井戸の底から響くような重々しい声が聞こえたかと思うと、荷台の横面から、何かが蠢きよじ登ってきた。ネコマタは構えをとった。「さっそく歓迎してもらえるとは。嬉しいね」
現れたのは一体ではない。まずは、上半身裸で鬼の形相をした女。長い髪は重力を無視し逆だち、その手には危険なオーラをまとった木刀が握られている。次は、獰猛さを全身に滾らせる白い巨大な虎。そして三番目は、這うように動く富士山である。これら三つは、化けデコトラックの車体に描かれていた絵図である。恐るべきことに、それらは何らかの力によって実体化し、ネコマタの前に立ちはだかったのであった。
先に動いたのはネコマタだった。
「アチョーッ!」古典的な攻撃シャウトとともに、切り込みの飛び蹴りだ。狙いは、前衛の木刀の女。しかし、相手も素早くバックステップでこの攻撃を回避する。だが、ネコマタは素早く着地し、すぐさま次の攻撃動作に移る。のろのろと動いていた富士山に、低い姿勢でのタックルだ。がっちりと相手をホールドすると、ネコマタは富士山を力任せに円盤投げの要領でぶん投げた。
「でやぁッ!」
投げられた富士山は、一直線に木刀の女へ飛んでいくかのように思われた。しかし、それを遮る白い影が横から割り込み、富士山をナイスキャッチしてしまう。巨大な白虎は、富士山を口にくわえ着地する。「GRRRR!」エンジン音のような低い唸り声によって、ネコマタにプレッシャーを与える。富士山は白虎に放されると、もくもくと、真っ黒な火山灰を噴出し始めた。周囲の視界がみるみる悪くなる。ネコマタは、周囲への警戒を強めざるを得なかった。
化けデコトラックは、ネコマタが戦っている間も、高速で走り続けている。荷台の上には常にスピードによる突風が吹いている。しかし、富士山が噴出した火山灰は風に流されず、その場にとどまって、ネコマタの視界を塞いだ。強い硫黄のにおいも立ち込めた。視覚だけでなく、嗅覚も封じられたのだ。そして、聴覚も当てにはならない「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」という質の悪い録音のような声が、断続的に、大音量で、ネコマタを襲っていたからだ。
構えたネコマタの太ももから出血が起きる。火山灰に身を隠した白虎の奇襲ひっかき攻撃だ。ネコマタは磨き抜かれた直感でバク転移動し、辛うじて次の致命的攻撃は回避する。髪を振り乱した鬼の形相の女が、ネコマタが一瞬前にいた場所をオーラ木刀で切り裂いた。完全なタイミングの連携攻撃だった。
「こーれはね、いい殺し合い、できそう」
ネコマタは、その場で軽く不完全なステップを踏みながら、歌うように言った。太ももの傷は浅くない。一瞬の判断が命取りになる、この戦いも、そのような戦いであったが、ネコマタは、それを積極的に選び取ってきた女だった。
「何だかスモーキーデース。心配デース」
「ネコマタさんは、負けません」
『マッハケヴィンGO』から見ても、化けデコトラックの荷台の上に何かが起きていることが見えていた。不思議な黒いもやが、荷台の上に立ち込めていたのが見えていた。だが、ケヴィンとひとつめにも、そうネコマタの心配だけをしている暇はなかった。化けデコトラックは、常に『マッハケヴィンGO』との並走を狙って動いたからだ。その動きは張り付くようなしつこさで、逃げることなどできそうもない。ケヴィンとひとつめは、急加速と急ブレーキを交互に繰り返し、相手との距離を何度も保とうとした。ひとつめはコントロールの金縛りを防ぐことに集中し、ケヴィンは加速のたびに体にかかる負荷に耐えていた。
「スゥー・・・」
化けデコトラックの荷台の上で、ネコマタは静かに深く息を吸い込んだ。火山灰が不快だが、それは耐えた。そしてなんと、目を閉じた。
「GRRRR!」
白虎がその隙を見て飛びかかる。ネコマタは目を閉じたままだ。その首筋に白虎は噛み付いた。ネコマタは深々と噛み付かれ、大量出血する。一体これは、どういう意図だったのか、それはすぐに明らかになった。
「痛いッ!」
ネコマタは力強く叫びながら、首に噛み付いたままの白虎を固く掴む。そして、白虎を足元にデタラメに叩きつけたのだ。白虎はあまりの衝撃に、一発で噛み付きを解く。失神していた。ネコマタの首から大量の血が滴り落ちる。ネコマタは、もう一度掴んだ白虎を持ち上げ、叩きつける。化けデコトラックの荷台が、衝撃で歪む。だが、まだ終わらない。ネコマタはさらに叩きつける。そしてもう一度。繰り返しもう一度。血が舞い散る。ネコマタも、白虎も、血みどろだ。ネコマタの白いチャイナ服は、血に染まっていた。白虎もすでに、白くなかった。赤かった。
敵の攻撃をあえて受けてからの、肉を切らせて骨を断つカウンター。ネコマタの狙いはそれだったのだ。この視界で闇雲に攻撃を仕掛けては、体良くあしらわれ消耗し、つまらなく負けるだけ、ネコマタは、そう考えた。
ネコマタは、荷台の屋根に空いた真っ黒な穴に、白虎だった赤い肉片をぞんざいに落とした。ネコマタからは見えなかったが、デコトラックの側面の白虎が描かれていた位置に、赤い肉片の絵が現れた。
ネコマタは一歩、前へ歩いた。木刀を握る女と富士山は、相手の視界だけを奪う火山灰によって、圧倒的に有利な状況にありながら、ネコマタの一歩の前進に怯えて、下がった。
「イ、イヤァーッ!」
鬼の形相の女は、ネコマタに直線的な突撃をする。その構えはカチカチに固まっていた。ネコマタは笑う。
「見えたッ!」
危険なオーラをまとった木刀は、ネコマタの頬を一瞬かすめただけだった。ネコマタは、鬼の形相の女の首をすれ違いざまに掴む。そして、そのまま押し倒した。
「ア・・・ア・・・ウ・・・」
鬼の形相の女は、木刀をその手から落とし、首を掴むネコマタの手を必死で引き剥がそうとしたが、それは叶わなかった。ネコマタは両手で、全体重をかけて、女の首を絞めた。足をばたつかせる無意味な抵抗も、徐々に力を失っていき、鬼の形相の女は、動かなくなった。ネコマタが立ち上がると、その死体は化けデコトラックの屋根にずぶずぶと沈み込んで消えた。化けデコトラック側面に、鬼の形相の女の死体が、赤い肉片の隣に現れる。ネコマタの手によって、地獄絵図が完成していったのだ。
「ド、ドッカーンッ!」
残された富士山は、破れかぶれの噴火攻撃を仕掛ける。高熱の溶岩が大量に降り注ぐが、ネコマタはやすやすと回避する。ネコマタほどの感覚の持ち主に対しては、その溶岩の高熱は「ここに飛んでいます」と位置を正確に教えているようなものだ。ネコマタは、その溶岩の出ている根元がどこか冷静に見極めた。化けデコトラック荷台の、隅っこだった。ネコマタは、助走する。そして、勢いよく富士山を、蹴り飛ばした。プロのエースストライカーのごとき鮮やかなシュートが決まる。ネコマタは、富士山が夜空にまっすぐに飛んでいくのを目で追いながら深く屈んだ。
「そろそろトンネルです」ひとつめからの通信だ。
「わかってる」ネコマタは答えた。数秒後、ネコマタの頭上で、トンネルの入口の壁に富士山が激突し、大爆発を起こした。その後、木っ端微塵に大爆発している富士山が背景となり、化けデコトラックの車体側面の地獄絵図は完成してしまった。
短いトンネルを抜けると、火山灰もすべて消え去っていた。ネコマタは息を整え、運転席へと近づいた。その足取りは重い。白虎により首に受けた傷は深刻であった。歩く度に血が流れる。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」ネコマタは舌打ちした。頭にガンガン響くこの声は、運転席に近づくたびに大きくなる。傷を負ったネコマタには、不愉快極まりなかった。
「もうやめろよいい加減に」
ネコマタは小さくつぶやくと、ドアのガラスを足で突き破り、運転席の中に飛び込んだ。ハンドルを握っていたのは、油のようにぬるぬると、サイケデリックに輝く男だった。ネコマタは一瞬の迷いもなく殴りかかった。ネコマタのパンチは、男を貫通した。
「・・・ひとつめ。あとは頼んだ」ネコマタはそう言った。サイケデリックな男は、ぬるぬると貫通した穴を埋めて再生し、何事もなかったかのように瞬時にもとの形に戻った。
「お前は走っているのか?どんなお荷物を持って?」
ネコマタは運転席から飛び出し脱出する。そのまま道路へ落下するかと思われたが、そうならなかった。
「反則だよなーこういうの」
ネコマタの胴体は、空中でサイケデリックな色の液体の刃に引き裂かれ、二つに分かれた。高圧で噴射された液体による横なぎの斬撃は、運転席の男の腕から発せられていた。
「ノオオオオォォォォッ!」
ネコマタの上半身のみが、『マッハケヴィンGO』のフロントガラスにぶつかり、張り付いた。ケヴィンは、この世の終わりのような悲鳴を上げた。
「落ち着いてください、ケヴィンさん」ひとつめはしっかりとした口調でケヴィンに言い聞かせた。
「落ちついてられマースカッ!死んでますよ!死にマースッ!」
「ネコマタさんなら大丈夫です。ケヴィンさんは運転を」
「大丈夫じゃないデスヨッ!死体ッ!」
「いやー負けた」
『マッハケヴィンGO』の助手席に、ほとんど透明のネコマタがいつの間にか座っていた。透き通ったネコマタは、自分の上半身をフロントガラスから取ると、それを細かくちぎって、おやつを食べるように気軽に食べた。
「でも、結構弱らせたと思う。ひとつめ、いけそう?」
「いけそうです。金縛りも、もうしてきていません」
「よかったー。あ、ケヴィンさん。すいません、背向けて食べてますね。これやらないと復活できないんです」
「背向けても透明なので意味が・・・」
「そこに気づくかひとつめ・・・」
ケヴィンは、細かいことは考えないことにした。そしていまさらながら確信したのだった。この二人は人間ではないのだと。化物なのだと。ケヴィンはハンドルを握った。ラーメン丼の形のスピードメーターを見た。そうして他のことは考えないことに決めた。それが最善の方法だと気づいた。
「ケヴィンさん、運転ひきつづきお願いします」ひとつめはそう言うと、ケヴィンの膝の上から脱し、『マッハケヴィンGO』の屋根によじ登った。
「敵さんの本体は液体だ。オイルだ。にゅるーってすげぇ速い。一発で全部蒸発させろ。魂惜しんで適当な威力で撃つんじゃないぞ。全力だーッ!!わかるかーッ!!ひとつめーッ!!やるしかねぇんだぞひとつめーッ!!」
透き通ったネコマタは、自分を食べながら、ひとつめに声を荒らげて叫んだ。
『マッハケヴィンGO』のコントロールはひとつめが何もせずとも完璧だった。妖怪・化けデコトラックも、ネコマタの攻撃で弱っているのだ。速度は下がり、運転のキレも明らかに悪くなっている。ハンドルの金縛りもなくなっていたので、ケヴィンは思うままに本来の運転技術を発揮できた。
ひとつめは『マッハケヴィンGO』の運転席の屋根の上に立ち、アイマスクを外した。その目は、名前の通り、ひとつしかなかった。顔の中央にひとつだけ、大きな目があった。
ひとつめは、前方を走る妖怪化けデコトラックを射抜くように睨みつけた。そして懐から銃を取り出し構える。揺れ動くサイケデリックな光が、少しずつひとつめの方に近づく。ひとつめには、妖怪・化けデコトラックの本体がどこにあるのか、はっきりと見えていた。
「お荷物迅速・お届します・丁寧親切安心対応・お荷物迅速・お届けします・丁寧親切安心対応・・・」規則的なリズムで感情を感じさせない低い声が聞こえてくる。
「どうして嘘を!あなたの本音を!話してください!」ひとつめは、銃を構えながら、叫んだ。
ひとつめが叫ぶと、断続的な声は止まり、化けデコトラックは不気味なほどに静かに沈黙した。その後、強い風に乗って、ポツリと返事が返ってきた。
「俺は、ただの燃料だ。俺を燃やして、俺は走る。なぜ、どこへ」
その声は、夜の闇の中にすぐに溶けて消えてしまうような、弱い男の声だった。
「マッハケヴィン・フルパワー!」ケヴィンは最後の力を振り絞り叫んだ。
『マッハケヴィンGO』は、化けデコトラックと一瞬だけ並走した。ひとつめは、化けデコトラックの運転席に座る男の顔を見た。目も耳も鼻も口もない極彩色の顔だった。男は、手を伸ばしてきた。サイケデリックな液体の刃が、グンと伸びて襲いかかる。しかし、車間距離がありすぎた。その刃は『マッハケヴィンGO』に少しも届きはしなかった。男の伸ばした液体の刃は、ごく普通の手の形へと戻ると、そのまま虚しく宙をさまよった。ひとつめは、引き金を引いた。
閃光が走った。ひとつめの銃口から放たれたのは、実弾ではなく、真っ白い光の渦だった。昼のような明るさだった。その光の渦は、運転席の男、デコトラックの燃料タンクを含むデコトラックの車体の半分以上を、道路ごと、ゆっくりとえぐり取り、消滅させた。
妖怪・化けデコトラックは、その車体の半分以上を失うと、惰性でほんのわずかの間走り、道路に倒れた。残骸は瞬く間に形を失い崩壊し、粉になって消えた。あとに残ったのは、ほんのわずかな、キラキラと輝く石のようなものだけだった。
ケヴィンはブレーキを踏んだ。そしてそのまま座席から壊れた人形のように座り込んで、動こうとしなかった。緊張の糸が完全に切れて、全く力が入らなかったのだ。
透き通ったネコマタは外に飛び出すと、化けデコトラックの残した輝く石を拾い集めた。
「さっきあれだけヤンキー殺してたのにあんまり量も質もないなー」
「妖怪になってから日が浅かったのかな」
「あんだけ強かったくせになんかなー」
ネコマタはそのようなことをつぶやきながら、拾った輝く石も食べた。ひとつめは『マッハケヴィンGO』の屋根の上にうつ伏せに倒れていた。意識は辛うじてあるようだったが、全く動かなかった。しばらくしてネコマタが寄ってきて、腕だけ動かしてキラキラと輝く石受け取ると、ひとつめもそれを、ポリポリとかじった。
「HAHAHA・・・HAHAHA・・・」
ケヴィンは車内で一人、笑い続けていた。
「クビになりマーシタ」
ケヴィンとひとつめ、ネコマタは、朝のサービスエリアで食事しながら会話していた。無人のサービスエリアではなく、大きな規模の賑わっているサービスエリアである。朝早くだというのに、人も結構いる。ケヴィンはラーメン。ひとつめもラーメン。ネコマタも、机にはラーメンが置かれているが、紙袋に入った自分の断片を食べていた。ほとんどの部位を食べきったためなのか、ネコマタはよく見ないと透明だとわからない程度の透明度だ。
「ちょっとくらい許してもらえるかと思いまシータが、全然ダメでシータHAHAHA!」
「すいませんケヴィンさん・・・」ひとつめは心底申し訳なさそうに謝った。ぺこぺこと頭を下げた。ケヴィンは、配達の途中であったことをすっかり忘れて、ひとつめとネコマタに協力していたのだった。正気に帰ったケヴィンは仕事先に電話で必死に連絡をとったが、前々からスピードにかまけて荷物を破損したりしていたこともあり、ケヴィンは無情にも解雇されてしまった。
「ケヴィンさんには感謝してます。ケヴィンさんがいなかったら私死んでました」とネコマタ。
「あなた死んでませんでしたか?なんで生きてるんデースか・・・」
「何度も言いましたけど、そういう体質なんです。幽体離脱で緊急脱出できる」ネコマタは紙袋の中身を食べ終わり、机に置かれたラーメンに手をつけた。
「おいしい!」とネコマタが叫んだ。
「そうでしょそうでしょッ!」とケヴィンも思わず叫んだ。
ラーメンは何だかどろどろしたクリームシチューみたいなスープの、非常にこってりした豚骨味だった。チャーシューもすごいごっついのが乗っているカロリーの塊のようなラーメンだ。
「このサービスエリアの話題のラーメンなんデース。私は話題のラーメンにむやみに流されるような愚は、そうそういたシマセーン。でも、このラーメンは本物デース。わざわざこのラーメンを食べに来るために、このサービスエリアを訪れる人もいるっていうのも納得いきマース。中毒性がありマース。唯一無二な」
「うん。中毒性あります。うまいうまいうまいズルズルー!」とネコマタ。
「ナイス!いい食べっぷりデース。そういう勢いのいい食べ方をすると、スープの香りと麺を同時に楽しめマース。ラーメンはレンゲに麺を乗せてフーフーして食べるものではないんデース。イェー、私も食べマース、ズルズルー!」と、ケヴィン。
「ズルズルー!」
「ズルズルー!」
「ゴクゴクー!」
「ゴクゴクー!」
ネコマタとケヴィンの二人に対して、ひとつめの食はあまり進んでいなかった。口に合わなかったのだ。油っぽくてなんかダメだ、とひとつめはこのラーメンに対し思っていたが、それは口に出さなかった。勧めてくれたケヴィンさんに悪いと思ったからだ。
「おいしいですね、ずるずるー・・・」
ひとつめは、思ってもないことを低い声で機械のように言った。だが、ケヴィンもネコマタも、それを全く聞いてはいなかった。
ワーカーホリック・デコトラック