しくじった女(ひと)

よしの かい 作

しくじった女(ひと)一幕

「しくじった女(ひと)」一幕

 旅行の日程表を挟んで涼子は男と向き合っていた。
「─ねえ、どういう事?」詰問口調で男に訊いた。
「いや、だからさ。たまたま予定が一緒になったんだって─」曖昧な笑みを浮かべて男が応えた。涼子は深い溜息を吐くと、
「ありえないよ。そんなの─」そう口の中で呟いた。

挙式を二月後に控え準備に追われる週末が続いていた。ロマンティックにクリスマスイヴに日取りを選んだ。
「悪くない?みんなに。絶対に予定が入ってると思うよ、そんな日に─」涼子の言葉に男は笑って、
「だからさ。逆に予定してもらおうよ。僕たちの幸せのために─」そう応えてロゼのワイングラスを傾けた。
男は職場の先輩で二つ年上だった。
五年前、涼子が入社した当時から優れた営業実績を重ね上司からも将来を嘱望される生え抜きだった。華奢で少し女性っぽいところがあるのが気にかかったが交際の申し出を受け入れた。
初めてのデートの時、男は抱えきれない程の薔薇とかすみ草の花束をプレゼントしてくれた。どこかのラブストーリーを切り取ったようなキザな一場面を思い少し可笑しかったが、素直に男の優しさが嬉しかった。
実家も地元の名士で、申し分のない縁談に涼子の両親も双手を上げて喜んでいた。
結納を済ませ式場も予約した。毎週末になると必ず式場に出向き細かい打ち合わせを重ねてきた。
そんな華やいだ忙しの中、涼子にとって不本意な問題が持ち上がったのだった。

「どうして?なんでお義母さんと行き先がかぶるのよ?」うんざりした口調を重ねた。
「いいじゃないか。母も前から計画してたらしいんだ。─」男は何が悪いのかと気にも留めない様子で笑った。
「本当に?同じハワイでぇ?─」涼子は改めて疑念の目を向けた。
「宿泊先は違うんだし、何かと便利だよ」重ねて言う男の言葉の意味が分からなかった。
「何が、どう便利なのよ?」問いには応えず、男は湯気のたったミルクたっぷりのココアを美味そうに啜った。無類の甘党だった。
デートを重ねるたびに涼子の中で男に対するある疑惑が浮かび上がっていた。
映画を見ていても食事をしていても何故か必要以上に携帯をチェックするのだ。時折席を立ってはしばらく戻らないこともあった。
自分以外に女がいるのかもと疑ったが、どうもそうではないらしい。そっと携帯の通信履歴を見てみようかとも思ったがやはりそこまでするのは気が引けた。
どうせ仕事の電話なんだわ。エリートだもんね─。そう軽く受け流すことにした。
 付き合い始めて間もないある晩の事だった。
その日、初めて男を自分の部屋に招待し腕によりをかけて料理をこしらえた。
ニョッキのパスタに、ビシソワーズ、マグロのカルパッチョ、甘いものに目がない男のために生クリームたっぷりのパウンドケーキも焼き上げた。ほとんどが料理本とにらめっこしてこしらえたものだが驚く程美味しく出来た。
あまり綺麗でない丸テーブルにクロスでボロ隠しをし満足げに男の訪いを待ちわびた。
男はいつも時間厳守だった。十分以上前には待ち合わせ場所に来ている。
壁掛けの鳩時計が間も無く八時を示そうとしていた。
珍しく今日は遅れるのかしら?─。そう思ったとき、涼子の住むアパートの階下で人の話し声が聞こえた。
カーテンを開け見下ろすと階段の登り口で男が携帯で会話をしていた。
ガラス越しで会話自体は聞き取れなかったが、「ママ」と言う単語が何度か聞こえたような気がした。
自分の前では「母」と呼称している母親のことだろうか。それとも飲み屋の「ママさん」なのだろうか─。
男は大半がマザコンで本当の意味での乳離れが中々できない生き物だ。と、どこかの評論家がのたまわっていた。また全てには当てはまらないが自分の母親を「ママ」と呼称すると言う共通の認識があるとも言っていた。
「マザコン」だけは御免だった。
─まさか。あの人に限ってそんな訳ないわ。くだらない─。涼子はそれ以上考えるのを止めた。
だが実際食事の最中にも何回か着電があった。
その度に男は立ち上がり外に出てわざわざ階下で話をしている。
「─大丈夫?仕事の電話じゃないの?」涼子が訊くと、
「いや、別に。大した用事じゃないから─」そんな返事をするだけだった。
「─いや。美味しいよ、本当に。こんなに料理上手だとは知らなかったよ」落ち着いた優しい口調の褒め言葉が心地良く素直に嬉しかった。
帰り際、二人は初めての口づけを交わした。
男のぎこちなく震える唇が意外だった。思わず入ってしまったのだろうか、強い力で抱かれた肩が痛かった。だがそんな男の初さは決して不快ではなかった。
涼子は目を閉じて男の背中に腕を回した。

 席次表から招待状、料理の種類に至るまで細かいところほとんど全てに男の母親のチェックが入った。
「一生に一度の大事なことだからね。失礼がないように、慎重に計画しないと」そう言う男の口添えも素直に受け入れた。
涼子が選んだ引き出物にも駄目出しがあった。
招待客の年齢や家族構成、男女の区別まで考えに入れた思慮深いもののつもりだったが義母はよし、としなかった。
直接、義母と相対しての色々な指示なら意見を返すこともあったかも知れないが夫となる男を介しているため話はいつも一方的で取りつく島がなかった。
「お義母さんと話しさせてよ」ある時不満を露わにしてそう言って見たが母も忙しいから、と軽くあしらわれた。義母とは結納の時に会った切りだ。
何より陰に隠れた存在に支持されているようで、それが何より不満だった。

「─ねえ、新居の事なんだけど。─考えてくれた?」
これも義母の口利きで男の実家の近隣に決められてしまっていた。
涼子の母親は足が悪く今年の初めに肺炎を患って以来体調が思わしくない。そのことは男も知っていて新居はせめて二人の実家から中間くらいにしたい、と兼ねてから申し出ていた。
「─契約が済んでるんだ。もう母が敷金も収めてくれたし─今回は無理だよ」
今回はって次なんていつになるのよ。そう言いかけたがぐっと言葉を呑み込んだ。
「僕の実家のすぐ近くだからさ。何かと便利だよ」ココアに指をのばし悪びれもなく男が続けた。
涼子の中で何かが弾けた。次の瞬間、
「だから、何が、どう便利なのッ─」思わず強い口調の言葉が出た。男が驚いた風に目を上げた。
涼子は改めてじっとテーブルの上にある旅程表を見つめた。
「─わたし、嫌だよ」不満を吐露したのではなく、ただ素直な言葉だった。
「え─」男が小さく声を上げた。
「嫌だよ。お義母さんと一緒の行き先なんて」きっぱりしたその言葉に迷いはなかった。
「あなたの実家の近くで暮らすのも嫌」男がたじろいだように涼子を見た。
「何でみんなお義母さんなのよ─。わたしたちの結婚でしょ?」怒りに似た感情が首をもたげてきていた。
「でも、ママが─いや、母が一生懸命考えて」男がそう言いかけた時、
「ママぁ?─」涼子の言葉が被せた。
「え?─い、いや」そう一瞬うろたえた男に、
「あなた今、ママっていったわねッ」涼子は立ち上がると詰め寄るように男を見下ろした。
立ち上がった時腿がテーブルに当たり震動でココアがこぼれた。
「三十にもなって、ママぁ─?」涼子が言うと、
男は言葉もなくココアで膝を濡らしたまま蒼白に目をあげた。

 取り繕いは全て男の母親が済ませた。
主賓の予定だった社長を始め職場の上司たちには破談の言い訳を涼子の側になすりつけた形だった。
同僚たちからもあれやこれや詮索されたがそんなことは別にどうでも良かった。
言い訳は一切しなかった。理りは自分にあると胸を張っていた。
揶揄中傷を受けて萎縮してしまうほど自身が弱くないことも新たな発見だった。
ただ心から喜んでくれていた両親にはきちんと詫びた。
「─ごめんね、お母さん。わたし、今度はわたしの家族も大事にしてくれる人探す」
母は黙って頷いたあと、
「縁が無かっただけだよ」そう言って笑った。
「─うむ。まあ、何だ。お前は俺に似て美人だからな。引く手あまただ」仏頂面を崩さずに父が言うとあまりに無表情なその様子が可笑しくて、涼子は笑った。

 数日後、涼子は辞表を出した。
上司をはじめ同僚たちにも引き止められたがその半分はやはり詮索に色めきだっていた。
恥じることは何もなかったが男と同じ社屋にいるのが嫌だった。

 普段は見慣れない平日の駅前通りのベンチに腰掛け、涼子は大きく背伸びをした。
色づきにはまだ少し早い銀杏の街路樹にメジロが踊るように戯れている。
メジロはいつも仲良く、いつどんな時も夫婦でいるのだ、と誰かに聞いた。
丁度目の前を今、白髪の夫婦が仲睦まじく手を繋いで通り過ぎた。
「─ようし、負けないぞォ」涼子は両膝をパシッと叩くと弾みをつけて立ち上がった。


  以下、二幕へ

しくじった女(ひと)

しくじった女(ひと)

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-07-11

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