戦国長編小説『蝶や花や』第3話・3幕~天が授けし友~
織田信長(20)……尾張の武将、織田家当主
濃姫(18)……信長の正室、武将
水野忠分(ただわけ)(18)……信長の配下の武将、村木砦の戦いで水野軍を率いる
織田信光(38)……信長の叔父、村木砦の戦いで1軍を率いて織田軍として参戦
弥助(やすけ)(17)……村木砦の今川勢の兵
松平忠茂(20)……村木砦の今川勢大将
明智光秀(21)……美濃の斎藤道三に仕える武将
斎藤道三(60)……美濃の大名で濃姫の父。信長とは同盟関係
安藤守就(もりなり)(51)……斎藤道三の家臣(通称、美濃3人衆)
すでに嵐のような雨は去っていた。織田勢は緒川城に引きあげる途中、野営にて食事や傷の手当てをし、休息を取った。
戦の熾烈さを兵たちから生で聞いた信長は、涙を流しながら、ひとりひとりに礼を言ってまわった。
「信光殿、忠分。本当にご苦労であった」
「南の犠牲が大きすぎました。なんと申し上げればよいか」
忠分が言うと、信光も悔やみ、
「もっと早く門を突破できていれば」
「なにを言う。数の面でも不利であったうえ、敵も精鋭揃いであった。本当によくやってくれた。この恩は一生忘れぬ」
一方の濃姫は、兵たちの傷の手当てをしていた。
「傷は深くない。よし、これで手当ては終わりだ。安静にな」
「かたじけのうございます」
「次はおまえだ。傷を見せてみろ」
そこに馬廻衆が来て、
「濃姫様。敵兵のひとりを捕らえました。どうしても濃姫様にお会いしたいと。危険はなさそうなため連れて参りましたが」
「わたしに? 通してくれ」
「来い」
姿を見せたのは砦で助けた敵兵――弥助であった。
「おまえは弥助。なぜここにいる。なぜ味方といかなかった」
そこに忠分が来て、
「何事だ?」
信長も後ろからやってきて、
「どうしたのだ」
最後に来た信光が、
「この者は、敵の兵か?」
「左様にございます。濃姫様に面会したいと」
「お濃。どういうことだ?」
「あ、ああ……こやつは」
「こちらのおかたに助けていただいた者にございます」
「助けた? 濃姫様、いったい」
「あ、それは、その」
「負傷したわたしの傷の手当てをし、わたしに生きて帰れとおっしゃってくださったのです」
信光が、冷静にそして不思議そうに、
「なぜ助けたのです」
「その者は妻子がいると言っておりました。とどめは刺せませんでした。弥助。なぜ帰らなかった。せっかく生きておるというのに、なぜ家族のもとに帰らなかった」
「剣を交えた相手があなた様でなければ、それがしはとうに死んでおりました。この命、濃姫様のために使わせていただきとうございます」
「なにを言っている。おまえがいるべき場所は――」
「姫様に助けられたこの命、どう使うべきなのか、わたし自信が、一番よくわかっているつもりでございます」
「弥助……」
そこに別の馬廻衆が駆けてくる。
「申し上げます! 敵に加担した村人の生き残りを捕らえました。10名ほどおります」
「そやつの話はあとだ。信光殿、忠分、ついてきてくれ」
一同が罪人として捕らえられた村人のもとへ向かう。
「わたしは脅されてやっただけでございます!」
ひざまずき、訴える村人たちのもとへ先頭で来た信長は、
「こやつらか」
にらみつけた。
「わたしたちは自ら加担したわけではございません。どうか命だけは」
忠分は毅然として、
「殿。周囲からは処刑すべきとの声が多数あがっております。脅されたからとは言え、尾張の村人が敵勢に加担し、これを許したとあっては、
のちのちまた同じようなことが起きます」
信光も是認し、
「同情したい気持ちはありますが、これが戦にございます」
「砦の完成がこれほどに早かったのは村の協力があったからこそ。完成がもう少し遅ければ先手を打ち、このような戦を避けられたことでしょう」
3将全員が処刑すべきと言う。とくに信長は、尾張の命運を背負った立場にある。その尾張の人間が敵に加担したことに激こうしている。落ちついたように見えるが、腸は煮えくりかえっていた。
「どうか命だけは!」
「黙れ、裏切り者が!」
忠分が肩を蹴りつけたのを見て濃姫が村人たちの前に駆けてくる。そしてひざまずいた。
「濃姫様!」
信光が一驚して声をあげた。
「この者たちは関係ありません」
それでも忠分は毅然として、
「奥方、お立ちください。その者たちは罪人でございますぞ」
「きっと家族を殺すと脅され、従わざるをえなかった者もおります。戦はもう終わったのです。これ以上は――」
「なりませぬ。このようなことが繰り返されれば、同じようにまた戦が起こり、大勢の兵が命を落とします。これが世の習わしにございます」
「家族を脅され、見捨てる親がおりましょうか。やむを得なかったのです!」
「殿、奥方のおっしゃられることは痛いほどよくわかっておりますが、こちらの兵を殺した者もおります」
そして信光は再考すべきでなしと言いたいのか、せりたてるように、だが冷静な声で進言する。
「総大将たるもの、気を強く持たねば天下は取れませぬ。ご決断を」
「……お濃……綺麗なことだけが、正しいとは限らぬのだ」
濃姫は声を荒げ、
「綺麗事ではございませぬ! これは……人として当たり前の感情にございます!」
そこに弥助が駆けてきて、濃姫の横にひざまずく。
「はばかりながら、言上つかまつります。この者たちは従わされただけにございます。自ら従った者も中にはおりました。しかし、それはただ怖かったからでございます」
「よそ者が無礼な!」
忠分が声を張りあげた。村木砦の敵兵は今川の命を受けた三河国の松平勢だと判明していた。
忠分にとって眼前の敵であった松平に加担したことに、信長ほどではないが相当に憤怒している。
「姫様に助けていただいたこの命、ここで捧げてもかまいませぬ。代わりにこの者たちをお救いください!」
「その者を引っ立てよ!」
忠分が命じると、
「自分の妻が膝をつき泣いて頼んでいるというのに、貴様はそれでも夫か!」
一同騒然――忠分が刀を抜いた。
「殿になんと無礼な! 成敗してくれる!」
負傷した兵がひとり、脚をひきずりながら駆けてきて、
「お待ちください! わたしからもお願いいたします!」
と、濃姫の横にひざまずいた。濃姫のそばで戦った鉄砲兵である。
「恐れながら、こたびの戦。勝てたのは姫様のおかげにござります。堀がいかに悲惨な状況でも決して目を背けず、われら味方の兵を信じたからこそ。
さすれば! 姫様にこのご恩をお返ししとうございます。姫様のために、どうかこの者たちに恩赦を」
次々と負傷兵らがやってきてひざまずき、馬廻衆らも信長たちのそばにひざまずき、
「殿! それがしからもお願い申し上げます! どうかご再考を!」
「殿! どうかご再考を!」
それを見た濃姫は、
「おまえたち……」
と落涙する。
こうなってしまっては、忠分も信光も、信長の顔色をうかがうほかない。
信長の怒りはまだ収まっていなかったが、
「好きにしろ。忠分、あとは任せる」
「……承知しました」
忠分は信長が去ったのを見て、
「弥助と言ったな。貴様らに従わされた者たちだ。貴様が責任を持って傷の手当てをし、明朝、村に送り届けろ」
「承知しました!」
「姫様、みなさま、ありがとうございます!」
「ありがとうございます」
「よかった……」
みながそう口にした。
「早速、傷の手当てをいたします」
弥助は何事もなかったように、すぐに治療に取りかかった。
いっときして、濃姫は弥助の様子を見にいった。
「これで終わりだ。姫様。いま、手当てを終えたところでございます」
「そうか。ご苦労。少し、話がある。付きあってくれるか」
と弥助を連れだす。
野営から離れ、ひとけのない場所まで来た濃姫たちは立ちどまり、
「まだちゃんと礼を言っていなかった。あの場に来てくれて、感謝している。しかし、殿にあのような口をきいて、ひやひやしていたのだぞ。
普通なら打ち首になっている。驚かせるな」
「姫様のためなら、あの場で斬られていても本望でございました」
「弥助……どうしてそこまで?」
「ひとつは、申しあげた通り、姫様に助けていただいたからでございます……。もうひとつは……」
「もうひとつは?」
「もうひとつは……姫様に惚れたのかもしれませぬ」
「ふむ……。は?」
「男しかいない戦場で、なぜこうも戦えるのかと。あのとき、わたしよりも遥かに大きな物を背負っていると感じたのです。そんな姫様に、惚れたのかもしれませぬ……」
「おまえの気持ちはすごくうれしい。だが妻が恋しくはないのか?」
「もちろん、妻や子に会いたい。しかし、それとこれとは別にございます。戦のあと、傷ついた織田の兵たちを見て思ったのです。みなあなたや信長様を慕い、腕を失っても満足そうに笑みを返している者もおりました。そんな者たちが慕う主君のために、この命を捧げたいと。姫様の歩む道を、ともに歩ませてください。お側に置いてください。命をかけてお守りいたします」
「……弥助」
「はい」
「……おまえも、相当なうつけだな」
「姫様?」
「なら……おまえの命はわたしが守る」
「姫様……」
「これからよろしくな」
「有難き幸せにございます!」
「こちらが言う言葉だ。腹が減っただろう。さあ、いこう」
濃姫は、いずれ弥助を故郷に送り届けようと考えていた。
だがまさか、長い長い付き合いになろうとは、夢々、思わぬことであった――。
凱旋した信長はすぐに守就のもとへ向かった。
「信長殿。こたびの戦、直接参戦できなかったことがなによりの無念にございます」
守就が言うと、信長は片膝をついた。
「なにをされる。お立ちを!」
「そななたちのおかげでみな満足に戦えたのだ。道三殿にお伝えくだされ! このご恩、一生忘れぬと!」
「……しかと、お伝えいたしまする」
その夜は吹雪で、凍えるような寒さであった。
暗闇の中、ひとつのふとんのなかで信長と濃姫は眠りにつこうとしていた。
「すまん」
と天井を見たまま濃姫が言った。
「なにがた」
「出過ぎた真似をした……」
「まったくだ」
「……すまん……」
「恥をかかせてくれたな」
掻き消えそうな声で、
「だから……すまん……」
「ふ……はっはっは」
「信長?」
いつものように晴れ晴れした声で、
「やっと、帰ってこられたな」
「さっきまでの……芝居か?」
「ああ、そうだ」
信長の頭をしばきながら、
「ふざけるな! 女心のわからんやつが!」
「おい、やめぬか! 男心のわからんやつめ!」
やめさせようと濃姫の手をつかんだとき、
「痛っ」
「すまん、手をどうした」
暗闇で見えなかったが、
「かしてみろ」
とさすってやる。
「痛めたのか?」
「そう! そうそう、7人に囲まれたのだぞ! 甲冑をつけていたら、間違いなく死んでいたぞ」
「7人だと! それで、どうしたのだ」
と、驚いて手を止めて問うと、
「これ、手が止まっているぞ」
寝入りそうな声で言う。それを見た信長は、
「方位掌を使ったのか?」
「そうだ」
「おまえが美濃から持ってきた武術書を何度か読んだが、本当にあれを会得できたのか? 八卦の正象を操るなど、人間業とは思えぬ」
「いや、やろうと思えば、だれにでもできることだ。ただ、すべての集中力を使いきるような……それができないと、だめなのだ。だからいまも……眠くてしょうがないのだ」
「いまはもういい。ゆっくり眠れ」
「いやだ。もう少し、起きていたい」
「無理をするな」
「せっかく、あんな地獄から生きて帰ってこられたのだ」
「わかっている。だからこそ、あすもあるではないか」
「なあ信長。子はほしくないか?」
「子?」
「そうだ。わたしたちの子だ」
「そういえば、考えたこともなかった。なぜ子がいないのだろうかと」
「子を作ろうとしないからではないか」
「そうだな。日夜、稽古ばかりでそれどころではなかった。日々が充実していて、子のことなど考えもしなかった。いまは、まだ子はだめだ。またいつ戦になるかわからないのだ。子は、夢をかなえてからでも遅くはない。それに、腹に子を抱えては戦えまい?」
「承知した。もうひとつ聞きたい」
「なんだ?」
「なぜいままで一度も、わたしを抱きたいと言わないのだ? もう、本当の夫婦になれたんだ。まだ気をつかっているのか? それとも、わたしは、女として魅力ないか」
「違う! 頭の先から足先まで完璧な女だ」
「本当か?」
「ああ。だが寄ろうとしたら、肘打ちを喰らううえに、くっつくなと言うではないか」
「それは……ただ恥ずかしいだけだ。ばかもの……」
「お濃……」
「きょうは寒い……外は雪だ……」
「お濃………抱いて、いいか」
「……すまん……もう……ねむ……」
あっという間に眠りについた。
「やれやれ。恥をかかせてくれたな」
微笑んで、いっとき濃姫の手をさすり続けていた信長も、最後はその手に指を絡めて眠りについた。
※エブリスタでの連載をメインにしているため、今後はエブリスタにしぼる可能性があります。まだ考え中です。
戦国長編小説『蝶や花や』第3話・3幕~天が授けし友~