空を読む
「見つけた。寝てんじゃないわよ」
学食と講堂の間の日当たりのいいベンチに将司の姿を見つけて私はその視界に入って仁王立ちする。
将司は、
「寝てない」
「じゃぁなに」
おもむろに、おなかの上に乗せていた大きな一眼レフを私に向けて、
「空を読んでた」
シャッターを切る。
・ 空を読む
・ 桜木とわ
「馬鹿。ゼミ展の書類出してないのあんただけだって、安原先生が言ってたよ」
「んなもん言わなくてもわかるだろー」
「どうせ『空』なのはみんなわかってるわよ」
そう言いながらもう一歩近づくと、彼の顔が影になる。
「ねぇ、どうして前みたいに描かないの」
聞いてはいけないと思うことを、やっぱり私は聞かずにいられない。
「賞も取って、みんなに期待されて、どうして油、描かなくなっちゃったの」
寝そべったまま胸の上でカメラの設定をいじりながら、将司は答えない。
「言ったじゃない、描かずにはいられないって」
将司の描く油絵が好きだった。彼の眼には、こんなに世界が美しく見えてるんだと思うと、めまいがした。
彼の眼を通して世界を見てみたい。ずっと、そう思っていた。
「てかお前、なんで彫塑なのにいつも安ゼミに出入りしてんだよ」
またはぐらかす。
「安ゼミには瑠璃がいるもん。それより油絵で入学して、3年で写真に浮気した人間に言われたくない。あんた、一応絵画研所属なんだからね?」
「そうだっけ?」
「二股男」
さすがの将司もばつの悪そうな顔をする。
「昔の言葉、後生大事に覚えててもらっても困るよ。・・・天才はな、一つのところにとどまらないんだよ」
「嘘。怖いくせに」
寝ころんだ将司の頭の方、隣りのベンチに腰を下ろす。
「ただ自分の感じるままに描いていたのに、それが人の眼にさらされて評価されて、自由に描くことが怖くなったんだわ。昔の無垢な自分のように描けなくなったことが怖くて、逃げてるだけじゃない」
レンズを空に向け、ファインダーをのぞく将司に、
「昔の自分ばかり追いかけてたって無理よ、過ぎたことは美しく美化されていくけれど、それに逃げ込んでたら、どこにも行けなくなってしまう」
聞いているのかいないのか測りかねて、
「自分の眼で直接見るのが怖いから、カメラを持ってるんじゃないの?余計なものが見えないように、空を見上げてるんじゃないの?」
私は余計なことまで言ってしまった。はっとして、将司の顔を見ても、その表情からはなにも読み取れない。
「ねぇ・・・私は、今の将司が描く絵が見たいよ」
おもむろに立ち上がった将司は、私の前に座り込み、私の後ろに空が入るようにあおりで構図を探す。
「ま、そのうちな」
そう言ってシャッターを切ると、ひらひらと手を振って立ち去っていく。
馬鹿。
「あいつにあれだけ言えるのは持田だけだな」
「安原先生」
気がつくと、生協の袋を持った先生が立っていた。
「ありがとうな」
「先生…将司は、また描くようになるでしょうか」
「なるさ、持田がケツ叩いてくれてればな」
「だといいんですけど」
「来年までに、絵画研究室に返さないとなぁ。いかんせん、あいつには写真の才能はない」
そう言って、安原先生が苦笑する。
気づいている。
けれど、怖くて口に出せずにいる。
あいつは、空と、私のことしか撮らない―――
私が彼に許されているのだとしたら、私の役割はなんだろう。私がしていることは正しいのだろうか。
しばらくぼんやりと暮れていく空を眺めてもちっとも答えは出ないから、仕方なく重い腰を上げる。
戻って、作品の続きをやろう。
好きな歌手の歌を、小さく口ずさむ。
「明日が読めるわけでもないのに どうして空を見上げてるんだろう?」
空を読む
2011年の作品。ドリカムの「空を読む」は名曲です。