一言で表すと

「先生さ、過去に手紙を出せるならどうする?」
 放課後、先生と呼ばれた彼のもとへ参考書を持ってやってきた女子生徒が、ふとそんなことを言った。
「……お前は解説を聞きに来たんじゃなかったのか?」
 彼は生徒の言葉に呆れ口調で返す。その質問に学生時代の思い出が重なったことは、目の前の少女には内緒の話だ。
 女子生徒は彼の面白みのない返答を特に気にするでもなく、「そうなんだけどさー、」と笑って続けた。
「昨日お姉ちゃんの古い少女漫画漁ってたら意外と面白くってさ! その中に……えっと……タイトルは忘れたんだけど、まぁそういう話があって、それでちょっとね!」
 その漫画のタイトルには心当たりのある彼だったが、自分のキャラじゃないからと余計なことは言わずに、ただ「へぇ」とだけ返す。
「いや、『へぇ』じゃなくってさ! どうするの先生?」
 もはやイオン式の解説なんて聞く気もなさそうな女子生徒は、ニマニマと笑いながら彼の答えを待っている。
「そうだな、あえて一言言わせてもらうと、そういう質問は却下だ」
 彼としては変に真面目に答えるよりも、「なんでよケチ」とかいう反応が返ってくるほうがマシだと思って言ったつもりだった。しかし女子生徒は特に何か言うわけでもなく、ただ笑うだけだった。
「何を笑ってるんだ?」
 自分はそんなに笑われるようなことを言っただろうか。もしくは少女の頭がテスト期間のせいでおかしくなったんだろうか。そんなことを考えながら、彼は怪訝な顔で生徒に問う。
「いや、だってさ、ホントに先生、『一言』って言うの好きだなーって思ってさ。先生さ、皆に『ヒトコト先生』って呼ばれてるの知ってる?」
 「一言」は彼の口癖だった。しかし彼自身は大した自覚もなく、もちろん、あまりにもそのまますぎるあだ名がついていたなんてことも知らなかった。
「はいはい、初耳。ほら、化学の質問がないなら、さっさと帰って勉強したほうがいいぞ。『今回の数学は岡澤さんの趣味全開だ』って堀江先生が言ってたからな」
「嘘!?」
 テスト期間なのをいいことに、会話を終了に持っていく。彼の意図に気づいてか否か――おそらく気づいてはいないだろうが――女子生徒はいそいそと筆記用具を片付けた。
「じゃあねヒトコト先生! お願いだから化学は簡単にしてね!」
 漫画を読み漁ったりしなければ普通にできるぞ、なんて言う前に、女子生徒の姿は化学研究室から消えていた。
「過去に手紙を出せるなら、か」
 本来彼の性格なら、それこそ一言「くだらない」と一蹴しているところだが、彼の頭には妙にその言葉がこびりついていた。
 彼はふと思いついたようにルーズリーフとペンを取り出し、作りかけのテストをよそに、「くだらない」問いへの回答をつづり始めた。

***

お前が先輩に出会ったのは、かれこれ半年前のことだったな。
「オブラート」なんて言葉が辞書になかったお前は、高校に入ってから「周囲になじむ」ってことができなくて、まぁいつも一人で。でも特に何とも思わずに、淡々と過ごしていたな。
……委員会なんてものが始まるまでは。
環境委員っていう仕事がよっぽど不本意だったんだな、お前はあからさまに不機嫌で(他人から言わせれば常にそんな表情をしていたみたいだが)、一人でろくに説明も聞かず、黙って座っていたよな。
「君、木曜担当だよね? 私と一緒に」
「……は?」
 突然話しかけられて状況が読めなかったとはいえ、およそ「先輩」に対して失礼な態度をとったお前を特にとがめることもなく、その人は話し続けた。
「ごめんね、いきなり話しかけられてびっくりしたよね。二年A組の和田陽香です。一緒に木曜日の担当をするから、よろしくね」
「……どうも」
 図書委員になりそこなってめんどくさそうな委員会に回された挙句、女子の先輩と二人で仕事なんて最悪だ、とか思ったんだよなお前。もともと女子と話すほうでもなかったし無理もないけど。でも派手なタイプじゃなかっただけ救いだろ?
 和田先輩はお前の仏頂面を気にもせず、柔らかい笑みを浮かべながらまた話し始めた。
「えっと、やることはプリントに書いてあるし、大丈夫でしょう? 朝と放課後、あとは必要に応じてクラスでもちょこっと。面倒かもしれないけど、忘れずに来てくれると嬉しいな。それと……名前、聞いてもいいかな?」
「……前原です」
 まったくもって可愛くない後輩だなお前は。なのに先輩は変わらず笑みを浮かべて
「よろしくね、前原くん」
なんて言うものだから、お前も妙に調子が狂ったような感じだったな。
 これが、お前と和田先輩の出会い。


 実際、和田先輩と仕事をするのはそんなにつらくなかっただろ?
 だるそうにしていても実はそこそこのまじめだったお前は、仕事をさぼるなんて一切しなかったな。でも先輩はそれに輪をかけてまじめな人で、でもガチガチに固まったような印象はどこにもなくて。とりあえず、他の誰かと二人で仕事するよりはましだったはずだ。
 ……お前が冷めた返事しかしないせいで、「仲良く」とまではいかなかったけどな。
「前原くん、そういえば私、前原くんの下の名前知らないよ」
「知らなかったところで支障はないと思いますよ」
「前原くん、毎回来て偉いね」
「仕事ですし、ほめられることでもないかと」
「ねぇ前原くん、堀江先生ってウォンバットみたいで可愛くない? 面白いし。担任なんて羨ましい」
「僕には先輩の言ってることが理解できません」
 まぁ先輩も何の脈絡もなく話題を振ってきたから、その辺はある意味仕方ないのかもしれないけどな。
 とにかく、これだけ失礼な態度を五か月とり続けてもなお態度を変えない先輩に、本当は心のどこかで甘えてたんじゃないか?
一週間前までは。
「ねぇ前原くん」
「何でしょう」
 放課後、いつものように淡々と作業をしていたお前に、先輩はいつもと変わらない明るい声で話しかけてきたな。
「もしさ、過去の自分に手紙を出せるならどうする?」
 なぁんてね、と少しだけ頬を染めて。いつものような学校に関する話題ではなかったけど、お前は特に気にもせずに、先輩の顔を見ることもなくこう言っただろ?
「一言で表すと、くだらないですね、そんな話」
先輩の話を流すことなんて、お前にとってはいつものことでさ、まったく気にもしてなかったはずなのに。
「……まぁ、そうだよね。前原くんってあんまりこういう話興味なさそうだし。ごめんね、変なこと聞いて!」
 先輩の声が少しだけ沈んだものになった気がして、でも自分はいつものように答えただけだって思って、お前はその後特に何も言わず、先輩も何も言わないから、妙に気まずくなってさ。
「今日はこの辺で終わりにしようか。お疲れさま、前原くん!」
 妙に冷たい風と共に、お互い無言のまま仕事が終わった。
 それっきり、お前は先輩に会ってないよな。


 先輩は決して仕事をさぼっているわけじゃない。お前が今一人で作業をしているのは、先輩が風邪をひいたからだ。それは担当の先生からも聞いただろ?
「過去に手紙を……なんて」
 くだらないと一蹴したその話の元ネタはそこそこ人気の少女漫画で、今度映画もやるらしい。それをお前が知ったのは三日前。
それからことあるごとにそれを思い出しては首を横に振るお前は、正直傍から見ればかなり変な奴だ。でもお前は普段以上に周りの視線なんか気にせず、ずっとそればっかり考えてるよな。
「なんで」
 なんでこんな気持ちになってるんだろう、そう言いかけてやめるお前。別に自分はいつも通り先輩の話を流しただけで、気にする必要なんかないって言い聞かせてるんだよな。
 ……なぁ、今からお前の身に起こること、全部当ててやろうか。


 お前は来週も一人で作業をするんだ。先輩の風邪は治ってるけど、ちょうど来週から修学旅行に行くからな。
 それで、何回だって呟くんだ。「なんで」って。
 なんで自分はこんなこと気にしてるんだ。なんで妙に落ち着かないんだ。なんで、なんで、
「なんで僕は、先輩のことを考えてるんだ」
 自分で自分がわからないまま、お前は一週間過ごすんだ。

 モヤモヤして一週間、結局お前は何もわからないまま先輩に会う。
 先輩は前とほとんど変わらない様子なのに、お前はずっと落ち着かなくてさ、
「修学旅行……楽しかったですか?」
「え?」
 いつもならお前から話を振るなんて考えられないのに、今回ばっかりはいつも通りに振る舞えなくて。
「すごく楽しかったよ。宿のお料理だっておいしかったし、京都では和菓子とか作ったりしてね……って、なんか食べ物のことばっかりだね」
「……ほんとですね」
 でも普段すべての会話を一言で済ませてたせいで、お前の中でだけ気まずい空気が流れる。
 別に無理して話を続ける必要はないのに、何か話さないといけないような気がする。
「……ねぇ前原くん、何かあった?」
 先輩はこういうときだけ無駄に鋭くて困るな、なんて思うのと同時に、お前は思わずそっけない返事をする。
「いえ、別に何も」
 ……ほんとにお前は、なんでこういうときだけ本調子に戻るんだ。
「そっか、ならいいんだ」
 先輩のその返事を最後に、また両者無言になる。

「よし、今日の作業終わり! お疲れさま、前原くん」
 三週間前みたいなことを言って帰ろうとする先輩を、なぜかお前は引き止めたくなってさ、
「和田先輩」
「……なぁに?」
 優しい先輩はお前の突然の声かけにも笑顔で振り向いてくれるから、そこからお前は止まれなくなって。
「変なんです、最近。僕はいつも通りに会話をしたつもりだったのに、その時の、先輩の様子が、変に感じて……気にする必要なんか、なかったはずなのに……妙に気になって。ずっとそれが頭の中で回ってて、モヤモヤしてて……」
 あぁ、お前は困惑した、泣きそうな表情(カオ)で言うんだ。
「……僕のこの気持ちを、一言で表せないんだ!」
「……そっか」
 黙ってお前の話を聞いてた先輩は、そっとお前のそばに来て、優しい声で、
「あのね、前原くん……」

***

「前原先生」
 化学研究室の扉が開いて、入ってきたのは彼の同僚だった。
「あれ、和田先生。どうしたんですか、こんなところまで」
「どうしたも何もないですよ。もうここだけなんですからね、電気がついてるの」
 彼女は少しむっとした顔で答える。いつの間にかそんな時間になっていたのか、と、彼は苦笑した。
「まったく……こんな時間まで何をしてたんですか?」
 そう言いながら、彼女は彼の手元を見やる。彼がテストをつくっているわけではないのは明らかだった。
「過去の自分に手紙を書いてたんです。告白がダサかったのを改善してもらおうと思って」
「あぁ、あの時の? ふふ、あれはあれで可愛かったと思いますよ?」
 学生時代を思い出して笑う彼女の顔は、数年たっても変わらないままだ。
「……僕はそれが嫌なんですよ」
 彼は不機嫌そうな顔でルーズリーフを丸め、ごみ箱に放り込んだ。
「あれ? せっかく書いたのにいいんですか?」
「はい、やっぱりくだらないってことが分かったので」
 そう言いながら机の上を片付ける彼に、「そういうところは変わらないね」なんて笑いながら、彼女は彼を待つ。
「でも、どうして?」
 彼女の少し寂しそうな顔を見た彼は、そっと彼女に近づいてささやいた。
「一言で表すと、陽香さんのことがどうしようもなく好きだから、ですね」
 これは変わりませんから。どこかいたずらな笑みを浮かべた彼は、また何事もなかったかのように片付けを再開した。
 彼の言葉にしばらく固まっていた彼女は頬を染め、蚊の鳴くような声で言った。
「瞭くんのバカ……」
 その姿に、「先輩」の面影はなかった。

一言で表すと

 はじめまして、紫藤明日視です。
 今回は、母校の文芸部誌に投稿した作品をこちらにも、ということで。
 今作品のアイデアは、お題サイト「原生地(http://sky.geocities.jp/koinokagi/odai/index.htm)」様より、お題「一言で表すと」を拝借しました。また、今作品に登場する某少女漫画のモデルは『そこそこ人気の』とか書きましたが、私個人はとても大好きな作品です。分かる人には分かるかな……。
 初投稿で、いろいろと未熟な部分も多々あったかと思いますが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
 これからもちょくちょく上げていきますので、よろしければ暇なときにでも覗いてやってください。

一言で表すと

初恋に対する戸惑いみたいなものを書いてみたつもりです。 感情って、一言で表せちゃうような簡単なものじゃないんですよね、きっと。それでも人はできる限り簡単に、この難解な代物を表そうとするんですね。厄介だけどそれが面白いなって、私はそう考えているんですけど、皆様はどうでしょう。この作品は、私が考えたことをつらつらと物語にしてみただけですが、そういうのが伝わればなと。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-09

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