青春への逃避行(作・ゆゆゆ)
青春への逃避行
この地方で雪は珍しく、積もるなんてことは十年に一度もないらしい。羨ましい、と素直に感動した。雪かきの労力を考えなくていいことだけを考えても天国だ。
「冬と言えば雪。クリスマスと言えばホワイトクリスマスだよ。なのに、ツリーはいつまでも緑のままで、あんなむなしいことってないよ」
頬を膨らませ、唇を尖らせ、どこからどう見ても「機嫌が悪い子犬」な印象の菜緒はそう言い切った。いや、雪なんてテレビの向こうで見るだけでいい。雪の怖さを知らない彼女に説いてやりたかったが、これ以上機嫌を損ねられても面倒なので黙っていた。その代わり、話題の変換を試みる。
「でも、今は雪の心配より雨の心配だよ。どうする、当日に雨降ったら」
「振らないよ。だって天気予報晴れだったし」
「もう梅雨入り目前の時期だし、天気予報を信頼しすぎないほうがいいよ。雨天だったとき、どうするか考えておかなきゃ。せっかく集まってもらうなら、全員楽しんでもらいたいよ」
「何で、祝われる側の真澄が一番そういうこと考えちゃうの? 真澄の歓迎会だよ? 転校生よ、我が弱小天文部に入ってくれてありがとう! これで廃部は免れることができる! っていう」
だって、転校初日に泣きながら「天文部に入ってください!」なんて頭を下げられたら、断ることなんて出来ない。星は好きだったし、他に入りたい部活もなかったので選んだだけなのに、歓迎会まで催してくれるほど入部を喜んでくれるとこそばゆいものがある。どちらかというと、裏方に徹していたい性質なのだ。前の学校の学芸会では、白雪姫の劇の照明役をやっていた。ライトは重いし熱いしで大変だったが、確かに役に立っているという達成感が心地よかった。
「計画立てるのとか、案外好きなほうだから。雨降ったら……プラネタリウム、とか。もともと星を見る予定なんだから、雨でも星の見れるプラネタリウムはいい案かも。問題は場所をどうするか、だよね。ここから本物のプラネタリウムは遠いし、お金もかかるし」
「学校でやれば? プラネタリウム」
スマートフォンの週間天気予報を見つつ、ぶうぶう言っていた菜緒が出し抜けに言った。タイミングにも発言の内容にも驚いて、彼女の顔を見つめる。菜緒の大きな瞳は努力の賜物だと誇らしげに言っていたことを思い出す。
「学校って……あるの?」
「あの、三千円くらいのちっちゃいやつだよ。確か、二年前くらいの文化祭でどこかのクラスが使った星空投影機? を部長が半額で買い取ったんだって。一回見たきりだけど、まだ使えるでしょ。きっと埃被っているよ」
「そんな、天文部っぽいものがあるなら先に言ってほしいな……じゃあ、雨天時はそれを使うとして、誰の家で、あるいはどこの施設でやろう?」
「だから、学校でやればいいじゃん」
彼女の繰り返された言葉に、こちらも言葉を繰り返す。
「学校って……日曜日だよ」
「忍び込めば? この学校そういう警備ゆるいからさ、いけるって。現に何度か忍び込んだことあるしね。このご時勢にザルな警備で大丈夫なのかね? まあ、一応用務員さんは見回っているから、その人だけ買収しちゃえば……」
「買収!?」
「うん。こちら青春のためです。美味しい上等なお菓子で見逃してください。なんて言ってさ。あの人冗談わかる人だし、こっちのこと理解してくれるから。あと甘い物好き」
頭を抱えたい気分になった。前に住んでいた地域とはまったく違う。厳重で厳格。子どもは宝物だけれども、それ以上に、いやだからこそ不自由だった。勉強とは机に座ってテキストを解くことで、遊びから学べるものは机上の学習に敵わないのだ。
めちゃくちゃだ。「青春のため」だなんて免罪符がある世界なんて。
「真澄さ、いろいろ考えすぎじゃない? 重くない? もっとはっちゃけちゃっていいと思うよ。まあ、いろいろやった結果が天文部部員三人なんだけどさ」
笑って言う菜緒には核心を突いているという意識がないのかもしれない。テストの点数が思うように伸びなくて、いやむしろ減っていって、どうしようもなくなった逃げ場の見つけることの出来ない子どもの、欲しかった言葉を言っているという自覚が、ないのかもしれない。
思わず、ぎゅっと時計の上から左手首を握りしめる。痛いほどに。痛覚があると言うことが生きている印だと、スマートフォンのディスプレイを流れる膨大な文字の中に見たことがあった。
菜緒は大雑把な計画を口にしている。用務員さんに持っていくお菓子は駅前のケーキ屋がいいかな。いや、最近できたショッピングモールのチョコレート屋がいいか。それとも……
「雨、降らないかな」
「えっ、ちょっと真澄! 何言ってるの!?」
学校に忍び込む。常識を常識とせず、青春を謳歌する。
ぷんすかと子犬のように怒る菜緒に、ありがとうと言う代わりにごめんと謝った。
青春への逃避行(作・ゆゆゆ)