夜明けが一番哀しい 新宿物語

夜明けが一番哀しい 新宿物語

(11)

 画伯のやつが車をぶっ付けてしまったおかげで、どうやって東京へ帰ったらいいのか分からなかった。フー子からせびった金はトン子が持って行ってしまった。また、別の車をパクルより仕方がないようだった。

 子豚のように丸っこい短足のトン子は、ともすればノッポと安子から遅れがちになった。
「あんた、早く歩きなよ。置いてくよ」
 画伯が引き起こした事故の現場から一刻も早く遠ざかりたい安子は、トン子のノロさ加減にいらいらして、何度も振り返りながら剣突を食わせた。
「だってわたし、おなか空いちゃって歩けないよ」
 トン子は泣きべそをかいた。
 肩から掛けたポシェットさえが重く感じられる上に、足首まである長いスカートがまつわり付いて邪魔になった。
「ちょっと、お金貸してくれよ。おれ達先に行くからさあ」
 ノッポが苛立って言った。
 ノッポは邪魔なトン子を除け者にして、安子と二人だけになりたかったのだ。
「あたし、キオスクに間に合わないわ」
 安子が言った。
「あんなもん、休んじゃえばいいじゃん。おれん家に来てゆっくり寝た方がいいよ」
「そんな訳にはゆかないわよ」
 結局、安子とノッポはトン子を言いくるめると、彼女の手に千円を残し、自分達は四千円を持って先に帰った。
 トン子は一人になると、むしろホットした。
" あの二人といると、馬車馬のように急き立てられてくたびれてしまうわ "
 それでいてトン子の心は妙に淋しかった。
 何台かのタクシーに出会ったが、トン子は止めようとは思わなかった。心の深いところに画伯の死がこびり付いていて、なるべく人に会いたくない気持ちだった。
 駅までの道がどう続いているのか、よく分からなかった。来る時に車が一瞬、国電の近くを通過した事を覚えていた。それを頼りに歩いて行った。
 家へ帰ったら何時になるのだろう?
 いつも新宿から帰る時は、両親はまだ、起きていなかった。それでトン子は、用意して置いた踏み台からブロック塀をよじ登り、柿の木を伝わって少し開けておく二階の窓から、自分の部屋へ入った。だけどこの時間では、いつものように上手く行くかどうか分からない・・・・
 出来る事なら、道端へ腰を下ろして休みたかった。うるさい安子とノッポがいないと思うと、いっぺんに疲れが出て来て、重い足を引きずり歩いた。ーーー夢の王子様は、今日もトン子の前に現われなかった。
 トン子が土曜日ごとに " ディスコ 新宿うえだ " に通うのは、踊るのが好きなわけでも、仲間達に会うのが楽しいからでもなかった。週日は母の農業を手伝ったり、家事をして過ごすトン子は、周囲に広がる田圃や畑の景色にうんざりしていた。それでトン子は、近くの工場に勤める父が日曜日の休みのせいで、その日は母も朝が遅いため、土曜日の夜になると安心して家を抜け出し、自分の夢を追うようにわざわざ二時間以上もかけて、新宿ヘ通って来るのだった。
 十八歳のトン子には、新宿はいつでも夢を与えてくれる街だった。きらびやかに輝くネオンサインとあふれる人の波。絶え間のない喧騒が、知らず知らずにトン子の心を浮き立たせ、トン子は自分が夢の世界にいる気がするのだった。そして事実、トン子でさえが、当てもなく街の中を歩いている時には、何人かの若者や中年の男達にまで声をかけられて、自分という人間の価値が認められたような気がして来て、心の華やぎを覚えるのだった。
 トン子の胸がキュンとなり、緊張感を覚えるのはそういう時だった。トン子はそんな時、一瞬、男達の誘いにのって付いて行ってもいいかな、と思う。だが、臆病なトン子の心は最後の瞬間に、そんな自分を裏切っていた。心臓が激しく高鳴って、息の詰まるような感じと共に、言葉が口を出て来ないのだった。そしてとトン子は、ハガネのような固い表情で男達から離れていた。
 トン子の心にはそんな時、いつも悔いが残った。どうして、うん、と言えなかったのだろう・・・・。 せっかくの機会を逃がしてしまった、という思いのうちに、絶望的な後悔に苛まれた。そして、最後にトン子がたどり着くのが結局 " うえだ "だった。" うえだ "にはトン子の夢はなかったが、心の安らぎを得られる場所があった。
 最初トン子は、ピンキーを夢の王子様だと思った。赤ん坊のようにピンク色をした美少年のピンキーは、あらゆる女性達の眼を引いた。ピンキーに少しでも心を惹かれた女達は、だが次には、ピンキーの口から出て来る激しい言葉の数々にかならず度肝を抜かれた。トン子もまさしくそんな一人だった。そしてトン子は思った。わたしの求める王子様は、もっと優しくなければならない・・・・
 ピンキーは明らかに女たちを嫌っていた。そのためピンキーが、まだ童貞だという事もトン子は知っていた。トン子はもう、ピンキーにどんな幻想も抱いていなかった。ピンキーは決して心の通い合う事のない一人の仲間だった。
 トン子は夜明けの明るさに染まった街を歩きながら、ピンキーは酒に酔ったまま、何処へ行ったのだろうと考えた。そしてフー子は・・・・? 画伯が事故を起こした事は、もう発見されただろうか? 中で画伯が死んでいるのを見て、みんなは大騒ぎをするに違いない・・・・。
 トン子は鉄の足枷をはめられたように重い足を引きずりながら、今は一刻も早く家へ帰って眠りたいと思った。

                                                     完
 

夜明けが一番哀しい 新宿物語

夜明けが一番哀しい 新宿物語

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2017-07-08

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