たった一言の言葉
「いやいや、だって魅力的ですよ。本当に。」
その言葉を照れる様子もなく私に言い放つ間隣にいる年上の後輩から思わず目を逸らす。
魅力的、なんて言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。それにしてもここまではっきりと言い放たれたこの一言を聞くのはむしろ初めてかもしれない。
少しだけ引っ込み思案で、人見知りで。それでいて何故かコミュニケーションは好きな彼が、私は好きだ。タイプ分けするのであれば普段関わらない部類の人間にも関わらず、だ。初めて話した時も、そうだった。全く話したこともなければ関わる様なこともなかった私に、屈託のない笑顔を向けたかと思えば、無邪気にこちらの懐まで入ってくる。いつもふわふわした笑顔で近寄ってきて、二人で話してる時に限って弱さばかり見せる様に擦り寄る。
人に触れることに抵抗もないくせに、私が触れると照れる。私に対して外れない敬語。でも酔うとくっつく。恋愛感情でもなんでもなく、ただただそんな彼が私にとってはとても可愛い人だった。
ある日、何となく時間が合って、先輩である自分の立場を乱用した私は彼を呑みに誘い出した。誘い出した、という言葉に反する様に彼の反応はただただ嬉しそうである様に感じた私は、きっと彼より嬉しそうだったと思う。落ち着かない雰囲気の居酒屋で、会話をする度に通らない自分達の声にクスクスと笑いながら、隣に遠慮がちに座ったお互いは段々と近づき合う。お酒が回った私たちの距離は段々と詰められて行き、お店を出る時間になるころには互いが動けば触れる距離に居た。椅子の端に置かれた互いの掌は、それでも握られることはなかった。
そんな中、途中で言い出したのがあの発言だった。
何か意図があって言ったのかその真意を確かめることは私もせずに、言及せずに「何言ってるの。」と言って私はお酒に手を伸ばした。お酒を飲んでもあまり顔に出ない頰に触れる時も、頭に触れて撫でる時も、細い肩に手を回す時も、どこにも抵抗する様子もなく、どころか私の意識に返事をする様に、強く抱き締め返す背中に置かれた広い掌が心地よかった。
心地がいい。それに尽きる。欲しいとか、付き合いたいとか、奪いたいとか、手にしたいとかそういうものではなくて。ただただそこに居て、私に笑ってくれてお互いが触れることができること。第三者からしたら、きっと都合の良すぎる様な関係性で、聞く人が聞いたら、セックスの相手ではないのかって質問になる。それ位、私達はいい歳なのだから。
ただ、魅力的だと言われた時の表情や態度を見て店を出たその日に関しては、帰りに私に触れる回数があまりにも多くて、自分自身それに応えていたから、互いの中にいつもとは違う感情が生まれることに少し気づいて離れた。人の乗らないエレベーターの中で、二度三度私を強く抱き締める。ただ、声はいつも通りの甘えた声のままで。そんな状態の蒸せた空間の中で、高いのはエレベーターの中の温度なのか、互いの温度なのかもう判断はつかなかった。触れる度に熱くなる胸元と下腹部に対して、抱き締めてくる彼の体も段々と熱くなる。それが、互いの意識を更に朦朧とさせる。
だからこそ、自分と彼が取った結論に私達は驚き、言及もできなかった。エレベーターが目的地に向かう中、抱き締められた手が緩む時だった。互いの目の前にある顔を寄せた私達は、静かに互いの唇を合わせた。ただ、その中にも勢いが合ったために、歯先がぶつかった。その一瞬で、意識を元に戻せば良かったが、私の両掌は彼の頰を支え、彼の掌は私の背中を逃してはくれなかった。もう一度、浅く唇を重ねた後、私たちはエレベーターから降りて、いつも通り話し出した。
駅に着いて、「お疲れ。」なんて会話をした後にもう一度私を抱き締めて帰る彼を静かに見送った。
言及をしたら、きっと唇を重ねるだけでは済まなかったことは重々承知していた。ただ、この一線を超えたとして、きっと私達に変化はないことは、何となくわかる。
私にとって可愛い年上の後輩で、彼にとって魅力的な年下の先輩。頻繁に連絡を取ることもなく、いつも通りのまま。
周りに私達の関係性がいかに絡まる様な理解のできない状況であっても、ただただ、私達は先輩と後輩のまま。
ふわふわした君の笑顔と同じ様に、関係性もこのままでいいのだ。
ただ、次に会うまでに、少し時間は必要であることを、何となくお互い認識をした。
「またね。」
っていう一言が少し苦しい今日は、きっと今日だけだ。たった一言の言葉が、私たちを酔わせたのだから。
たった一言の言葉
なんかふと思い立って描きたくなった作品です。
女性の読者の方にも、男性の読者の方にも、にこやかになれる作品でありたいです。