Fate/defective c.11
第8章
腕時計の小さな時計盤上の針が、午前1時を指した。
私はため息をつき、いつにも増して冴え冴えとする目で辺りを見回す。眠らないビジネス街の中心にある日比谷公園でも、連日連夜の殺人事件と行方不明事件には恐れをなしたのか、人間は人っ子一人見つからない。インターネットでは物凄い勢いで尾ひれの付いたデマが流れ、警察は捜査の糸口を掴めていない。メディアは3人死んだと報道しても、実際行方不明になっているのは一日100人を超えているだろう。学校は相次いで休校に追い込まれ、人々は玄関を閉ざして生活している。住処に鮫が迷い込んだ小魚たちのように、息を潜め、見つからぬように姿を隠している。普段なら激しく車と人が行きかう往来も、時折バスやタクシーのヘッドライトがひとつずつ流れて消えていくだけだ。
異常な光景だ。
「ねえ、東京って、いっつもこんな感じなの? 気味悪いほど静かね」
隣で、キャスターが大噴水の縁に仁王立ちしながら言った。
「いいや。東京はもっと騒がしい都市だよ。だが……」
私はキャスターの隣に座った。ひんやりとした石材が肌に触れる。空を見上げると、昼からさらに天気は悪化していて、雷が遠くで轟き始めている。一雨あるかもしれない。
「一騎のサーヴァントがここまで都市を変えてしまうなんて、異常なことだ」
「……まるでゴーストタウンね。まぁ、人目が無いのは良い事だわ、戦いやすいもの」
キャスターは停止している噴水の水をバシャンと蹴り上げた。
「水がかかるだろ」
「いつになったらアサシンは来るのかしら。あたしせっかくやる気満々なのに。集合場所の東京駅でいったん別れて、日比谷公園で合流って言ったじゃない」
ああ、と私は吐息に近い返事を漏らす。気付いていないのか。
「アサシンとそのマスターならもうとっくに到着しているよ。お前が気付いていないだけでね」
彼女は訝しげに目を細め、辺りを見回す。周囲には花壇と木々が広がっているだけで、もちろん彼らを見つけることはできないだろう。
キャスターはしばらく眉根を寄せ、「あっ」と声を上げた。
「気配遮断ね」
「そうだよ」
風が強くなってきた。雲行きが怪しい。ごろごろと鳴り響く雷鳴が近くなっている気がする。
「それより、マスター? あんな宝具も持ってないサーヴァントを仲間にしてどういうつもり? 聞いてないわよ」
彼女はこつこつと忌々しげに足元をつま先で突いた。狙いのバーサーカーが現れないから苛立っているのが手に取るようにわかる。
「宝具の有無は些末な問題だよ、キャスター。あの英霊は宝具こそ持っていないが、剣技は超一流だ。マスターが真価を発揮すればかなり強力なサーヴァントに化ける」
「はあ、随分とあの英霊に自信を持っているのね。自分のサーヴァントでもないくせに?」
「なんだキャスター、妬いているのか?」
少しからかい気味に鎌をかけてみると、キャスターは目を吊り上げてこっちを睨みつけた。
「違うわよ!」
「そうかい」
「マスター!」
私はムキになるキャスターにふふっと笑い声をこぼした。キャスターは口をへの字にひん曲げ、
「よくってよ!あたしの方があんな暗殺者風情よりずっと優秀な英霊だって思い知らせてあげる!」
いきなり右手をこちらに突き出した。その手には分厚い古書が握られている。
私は目を点にした。
「おい待て、意地を張るのも――」
「第一の光!」
瞬間、私の顔のすぐ横を熱線が通り過ぎた。その直後、ズドン、と鈍い音がする。私ははっとして後ろを振り返った。
キャスターの熱線が焼いたはずの場所、20メートルほど離れたところに、二人の人影がある。
一人は、黒いマントを身にまとい赤毛の髪を風になびかせている。もう一人は、チャコールグレーのスーツに整えられた白髪。いつの間にそこにいたのか、全く気付かなかった。
キャスターがうんざりとした口調で問いかけた。
「魔術で防いだのね。バーサーカーはともかく、そこの紳士。何者かしら」
白髪の老人は、塔のように背筋を伸ばして毅然と立っている。そのよく磨かれた革靴が一歩前へ出て、人工光に照らされたやわらかい芝生を踏みしめた。私は一歩後ろに下がり、キャスターは私をかばうように噴水から降り前に出る。バーサーカーだけが微動だにしなかった。
「聞かれたのなら答える義務がある。ワタシはバーサーカーのマスターだ」
バーサーカーのマスター?
話が違う。奴はマスターをすでに殺しているはずだ。まさか生きていたというのか?
紳士は冷たい笑みを湛えながらその歩を進めた。
「君たちは思っているだろう、バーサーカーのマスターは死んだのではないか、と。いかにもその通り。ワタシは聖杯戦争に遅刻した通りすがりの、老いぼれ魔術師だ。だが聖杯を求め、サーヴァントを従えているという点では君たちと何も変わらない。要するに、我々は殺しあう仲というわけさ」
私は鼻で笑った。
「そんなら話が早くて助かるね。キャスター」
「あたしがやることに変わりはないわ。さあバーサーカー、かかってきなさい! このあたしの邪魔をするというのならね!」
私は考えないようにしていた。気付いていなかったのではない。考えないようにしていたのだ。
バーサーカーにマスターがついた、それは形勢が不利になったことを意味している。バーサーカーはもう魔力の残量を気にせず戦えるのだ。本来の力を取り戻したあの英霊がどれほどの強さなのか。この戦いの末に何があるのかを。
聡明なキャスターがこの事態の重さに気づいていないはずはない。嫌な予感とは、これのことだったのか――
だが不安の渦巻く胸中に反して、黒衣のバーサーカーは微動だにしなかった。電灯の影に沈んだ翡翠色の瞳は一切の感情をうかがわせない冷たさで中空を見据えている。
「どうしたのかね、バーサーカー。思う存分蹴散らすが良かろう。魔力の残量は気にしなくともいい」
魔術師がけしかけてもただ押し黙っているだけだ。
戦う気がないのか?
私が声を上げようとした瞬間、向こうの方が先に声を上げた。
「……聖杯は既に顕現している」
サーヴァントの薄い唇が、そう言った。
「な…!?」
「口から出まかせよ、マスター! 気にしてはダメ」
キャスターは古書を構えたまま怒鳴りつける。だが向こうのバーサーカーはキャスターの声など気にもせず、続けた。
「僕が召喚された時、既に聖杯は結晶化していた。その聖杯の欠陥を感じられるほどに。だから六騎のサーヴァントの魂は必要ない。よって、戦う必要はない」
「聖杯の結晶化…!?」
聖杯戦争における聖杯とは、簡単に言えば戦いの過程で倒されたサーヴァントの魂を集めて作られるもので、始めから形あるものとして存在するものではない。
だが彼は、戦いが始まった当初から聖杯は形あるものとして具現化していたという。聖杯が形を得て、全ての願いを叶える願望器として存在しているなら、サーヴァントの魂は必要ではなく、よってこの殺し合いも必要ではない、とそう言いたいのだ。
私は頭を振った。ならばなぜ七騎のサーヴァントは召喚されたというのか? そもそも、バーサーカーの言うことが本当なら、これは聖杯を顕現させるための戦いではなく、ただの早い者勝ち競争になってしまう。
「七種、相手はバーサーカーよ。妄言や嘘かもしれないわ」
彼女はそう言いつつも、彼の言葉にかなり動揺していた。聖杯が結晶化し具現化していた、それ以上に問題なのは彼が放った「聖杯の欠陥」という言葉だ。
仮に聖杯が実在したとして、欠陥とはなんなのか――
「……なんだ、気付いていたのか」
バーサーカーのマスターがぼそりとごく小さな声で呟いた。私がその意味を問いただす前に、彼は声を張り上げる。
「ああワタシの親愛なる狂戦士バーサーカーよ。お前は血に飢えていたはずだ。なぜそんな妄言を弄してまで戦争を拒む?」
老年の魔術師は嘆息した。彼の芝居がかった言動を無視して、バーサーカーは黒衣を翻し背を向ける。
「聖杯は、僕が正しく、あるがままに使わせてもらう。そんなに戦いたければ一人で死んでおけ」
しめた、と思った。敵は背を向けている。背後から心臓を燃やすには、十分な距離。私がものを言うまでもなく、キャスターは光り輝くページをめくった。向こうに戦う気が無かろうと、こちらとしてはバーサーカーには死んでもらわねば困るのだ。
だがキャスターが詠唱を始めるより先に、老魔術師が震える声で呟き始めた。
「そうか。そうか。それがお前の在り方か。全く、理性などとうに捨てておけばよかったものを」
骨ばった魔術師の指が、首を撫でる。
嫌な予感がした。そしてそれは的中した。
「―――令呪に命ず――」
バーサーカーが目を見開いてマスターの方を振り返った。
「待て!貴様、何故――!」
「――幸福な英雄よ、血に飢えよ。六騎のサーヴァント全てを殲滅せよ。霊基を破壊し、その魂を聖杯に注げ!」
「……ッ」
マスターの首筋から赤い閃光が飛び出て、矢のようにバーサーカーの心臓に突き刺さる。彼は胸を押さえて呻いた。
キャスターが愕然としたまま、うわ言のようにこぼす。
「なぜ…聖杯はもう完成しているのに……殺しあう意味はないのに…聖杯の入手が目的じゃないっていうの? そんな、あり得ない…」
「ハハハ! そんな些細なことを気にしている余裕があるのかね!? ワタシはとにかく貴様たちを殺したくてたまらないのだよ! 戦争とはそういうものだ、殺しあってこそ意味のあるものだ! さあバーサーカー、殺し給え、屠り給え! 全ては、崇高なる、ワタシの悲願のために!」
バーサーカーは胸を押さえたままマスターを睨みつけた。その指先は怒りのあまり震え、翡翠の瞳はマスターを射抜かんばかりに燃え上っている。
「聖杯を手にしたら……あの人を生き返らせたら…お前を真っ先に殺してやる……!覚えておけ、愚かな魔術師よ!お前のように、我欲に満ちた人間が、最も憎い!」
「何とでも言うがいい!今の貴様はワタシのサーヴァントだ。ワタシの目的のために働いてもらわねばな!」
バーサーカーは吼えた。そして私とキャスターを睨みつけてくる。私も負けじと彼を見た。
どんな理由があろうと敵は敵だ。適当に相手をして、隙を見て聖杯を探しに行けば――
「危ない!」
キャスターの一声ではっとする。彼女が思いきり私を突き飛ばし、私がいたところに鋭い刃が突き刺さった。
見上げると、バーサーカーがぞっとするほど冷たい表情でこちらを見下ろしている。その手には今まで無かった、大きな鎌を握っていた。
「君たちは運が無かったんだ。君たちは悪くないし、恨みもない。だが――ここで死ね」
「マスター下がって!」
キャスターが熱線を放つのと、バーサーカーの鎌が振り下ろされたのが同時だった。
「第一の光!」
ズン、と音を立ててバーサーカーの鎌に光が突き刺さる。だが彼はそれをものともせず、容易く振り払う。
「第二の光!」
「くどいね」
キャスターが光を放ち、バーサーカーが防ぐ。私は後ろに下がってその戦いを見ていた。キャスターが何度もページをめくり、本から光が放たれる。その度、バーサーカーは鎌で防ぎ、その刃を勢いよく薙ぐ。何度も、何度もその攻防は繰り返された。
「……っ、星よ! きゃあ!」
ふとした瞬間に、キャスターがバーサーカーの一薙ぎで足元をすくわれ、バランスを崩しひっくり返った。熱線が空へ向かって放たれる。その隙を逃さず、バーサーカーは鎌の刃を振り上げた。私は叫んだ。
「キャスター!」
「……死ね」
目を瞑りかけて、私は歯を食いしばる。だめだ。諦めてはだめだ。何か、使える魔術は無かったか―― だが、間に合わない。
「遅い!」
ガキン、と鋭い音がして、私ははっと顔を上げる。
キャスターの目の前に、群青色の着物を着た長髪の男が立ちはだかり、バーサーカーの鎌を一振りの刀で受け止めていた。
「そんな鈍間な太刀筋で、この私に勝てると思うな」
「……生きていたんだ、群青のアサシン。いいや、その剣技…真名は佐々木小次郎といったところかな」
「お前には関係ない事だ。答える義理もなし。あの夜の雪辱、今ここで晴らせてもらう」
バーサーカーが口角を微かに持ち上げて、ふっと息を漏らした。……笑ったのか?
「残念だけどそうはいかない」
二人は少し睨み合って、同時に退いた。アサシンがキャスターに手を貸し、立ち上がらせる。キャスターは苦笑しながら言う。
「いつまで隠れてるのかと思ったわ」
「面目ない…出る機会を窺っていたのだが、話がどんどん進んでしまうので機会を逃していたのだ。ああ、マスターなら危険なので隠れてもらっている。案ずる必要はござらぬよ」
アサシンとキャスターは並んでバーサーカーの前に立った。バーサーカーは相変わらず冷えた目でこちらを眺めている。
「さあ、仕切り直しと行くわよ。来なさい」
「……一騎でも二騎でも同じことだ。だが丁寧に相手をしている時間はない」
雷がすぐ近くで鳴り響いた。
雨が一滴、空から落ちてきたかと思うと、すぐに大粒の雨の束になって降り注ぐ。私は為すすべもなく白衣に雨水を染み込ませて立ちつくした。
「だから―――」
バーサーカーの持つ大鎌が鈍く光を放った。
魔力が収束し、風になってバーサーカーのもとに集まる。私はさっと全身に冷や汗をかいた。
「二人とも危ない! 宝具だ!」
黒衣が風に煽られて激しくはためく。そのマントの下には、ギリシャのものだろうか――銀色の西洋風の武装を纏った体が見えた。
「第一宝具、展開――― 此れは永遠を損ない、生命の首を狩るもの。神聖を以て不浄を絶て――― 『不死身殺しの鎌』」
Fate/defective c.11
to be continued.