X(エックス)波
透明人間になると、映画やマンガみたいに、本当に好き勝手な事が出来るのかという疑問から作品を書きました。
(おっと危ない)
もう少しでぶつかるところだった。
私は、振り返り様にすれ違った男の後姿を目で追った。そして再び階段を上がると自分の部屋の前に立って周りに人がいないのを確かめ、ソーッとドアの鍵を開け、中に入いった。
部屋は十二畳のワンルーム、中央にソファとテーブルが有り、壁側に液晶テレビを置いている。二階に住んでいるが、マンションが高台の端に建っているため、結構見晴らしはいい。
(ああ、疲れた、腹減った)
ソファに座り、自販機で買って来たカップラーメンを食べながらテレビを見ていると、突然ガチャガチャとドアを開ける音が聞こえた。私は反射的に部屋の隅に飛び退いた。直後に、管理人と、山伏(やまぶし)風の祈祷師が用心深げな足取りで入って来た。
「ここなんですけどね。ドアが勝手に開くのを見たという人が何人もいるんですよ。」
管理人が説明すると、祈祷師は部屋をぐるりと見回し、もおもむろに、この部屋の人はどこにいるのですかと聞いた。
「仕事に行ってますけど」
抑え気味の声で答えた。
「それはおかしい、テーブルの上には湯気の出ている食べかけのカップラーメンがある」
そしてテレビを指差し、誰もいないのにテレビが点いているのも不自然だ、人がいるはずだと言うと、管理人は驚いたような顔をして、「脇口さん、ご在宅ですかあ」と私の名前を呼んだ。
返事が無いとみるや、トイレ、バスルーム、備え付けのクローゼットの中まで調べて回った。
「誰もいません。いや、居ないのを確認してこうやって来ているのですから、いるわけがありません」
それを聞いて私は、えっ?と思った。それじゃ確信犯じゃないか、不法侵入で訴えるぞ、などと思っていたら、
「そんなに興奮しないで下さい、こういう現象は、まま、ある事です」
祈祷師は紙袋の中から、榊(さかき)を取り出し両手で持つと、左右に強く振り始めた。
「ウンバトラー、スンバトラー・・・」
意味不明の呪文を唱えながら、右手を榊から離すと、人差し指と中指を伸ばして、「えい!えい!」とバツの形に動かし印を切った。
そして「なるほどそうか」と呟いた。
何かわかりましたかと聞く管理人に、「ここは霊の通り道になっています」と落ち着いた声で答えた。
話を聞いていた私は「はあ、霊の通り道?」と呆れてしまったが、声を出すことが出来ない。
「そこのドアから、向かいの窓が霊界へと続く、道の上にあります。霊は障害物があっても難なく通り抜けてしまいますが、何らかの理由で霊界波が乱れると、通り抜けができなくなり、やむなくドアを開けるのです」
管理人は不安そうに頷きながらも、カップラーメンとテレビの事を聞いた。
「これも霊の仕業ですか」
「中々良い質問です。そういう質問をされる方はあまりいません」
自分で、カップラーメンとテレビの不自然さを指摘しておきながら、他人に聞かれる事を想定していなかったのか?
墓穴を掘った形になった祈祷師の目に動揺がみえたが、それはすぐに消えた。かなりの手練(てだれ)とみえる。彼は話を続けた。
「なぜ、食べかけのカップラーメンがあるのか、なぜ、テレビが点いたままなのか。答えは簡単です。ここが霊達の休憩所になっているからです。霊は遠くから歩いてやって来ます。当然疲れます。腹も減ります。おまけにここは見晴らしがいい。霊達にとって安らぎの場所なのです」
「そんなばかな!」
管理人は、声を荒らげた。そうだ、そんな馬鹿な話、ある訳ないじゃないか。
インチキ祈祷師の化けの皮は剥がれたかに思われたが、
「霊に居座ってもらっては困ります。それでなくても、オカルト騒ぎで入居を敬遠する人や、退去する人が出てきているのです。死活問題です。霊を追い払って下さい」
両手を合わせて祈るような仕草をした。
え? そっちなのか。一瞬、目が点になった。
「わかりました。かなり難しいですが、何とかしましょう。さっそく護摩壇を運び込んで祈祷をします」
管理人は慌てて止めた。
「護摩壇を運び込むのはやめて下さい。そんなことをしたら、余計に有らぬ噂が広まってしまいます」
祈祷師は困った様な顔をしながら、
「弱りましたね、そうなると、本殿で行わなくてはなりません。本殿で行うと、ここまで念を飛ばすのが大変です」
と言った。
「お金は出します。ですから・・・」
完全に祈祷師のペースだ。
「それでは本殿で」という祈祷師に、「よろしくお願いします」と頭を下げる管理人。二人は床に散らばった榊の葉っぱを拾い集めて、部屋を出ていった。
やれやれ、やっと静かになったか。私はのびたカップラーメンをズルズルと食べ、テレビの続きを観ながら考えた。管理人に釘を刺しておかなければ、また、訳の分からない輩を連れてくるかもしれない。しかし、どうやって文句を言えばいいのか。
いやまてよ、声だけなら、バレずに済む。すぐに携帯で管理人室に電話をかけ、無断で入って来た事を咎めると、びっくりしたような声が返って来た。
「脇口さんは、会社じゃないんですか」
「ええ、会社ですよ」
口からでまかせを言うと、話を続けた。
「部屋には防犯カメラが取り付けてありましてね、不審者が入って来たら、携帯が鳴って、映像を送ってくるんですよ。全部観ましたよ。今度、あんな事をしたら、不法侵入で訴えますからね」
そして祈祷師とのやり取りを少し話すと、管理人の声が急に震え出し、わかりましたと言って謝罪の言葉が聞こえた。もう大丈夫だろう。しかし・・・。
洗面所に行き、自分の姿が映らない鏡を見て、ため息をついた。
いつになったら、見えるようになるのだろうか。
そう、あの時。
一週間前、街を歩いていたら突然姿が消え、すれ違う人と何度もぶつかった。ぶつかった人は不思議そうに当たりを見回して歩き去った。人ならまだいいが後ろから来た自転車に乗った男とぶつかったときは、あまりの痛さに「ぎゃあ」と叫び声を上げてしまった。男も転んで痛そうにしていたが、耳にイヤホン、左手には携帯を握って離さなかった。
これを見た瞬間、私はキレた。
「このやろう、ちゃんと前を見て走れ!」
意味の通らない事を言いながら、痛さと怒りで、反射的に一発、力を込めて顔を殴ったが、消えた腕では距離感が掴めず、空振りに終わった。その間にも、人はやって来て、転んだ男を見ながらそのまま通り過ぎていったが、私にもぶつかりそうだった。これはいかんと思っても、通行人には見えないのだから、どうしようもない。このままではだめだ。しかし避難しようにもそんな場所は無い。と、空を見上げたとき、電柱が目に入った。仕方ない、そう思いながら、一番近くの電柱に夢中でよじ登った。電柱の上にいるのも辛いものがあるが耐えるしかない。夜になって人通りがなくなると、ソロリソロリと降りて歩道に足を着けたが、同じ姿勢でいた為、体の節々が痛くてすぐには歩けない。夜道をとぼとぼと歩き、マンションにたどり着くと、暗証番号を押して中に入った。
「あれ、何もしてないのにドアが開いたわよ」
「危ないな、機械がイカれてるんじゃないのか」
後ろから聞こえてきたカップルの声にドキッとしながらも、階段を登り、二階の部屋にたどり着くと、人がいないのを確かめてドアを開け、中に入った。
いったい、どうして姿が消えてしまったのだろうか。パニックになりそうだった。
日を追うごとに落ち着きを取り戻していったものの、それでも、いつ、元に戻るのか不安だった。
昼間に出歩くことは危険だ。もし、車にはねられても、姿が見えないから誰も助けてくれない。そのまま野垂れ死にだ。
それに、着ている服まで消えてしまっているのはどういう事だ。普通、体は消えても服は消えないはずだ。マンガやSF映画はみんなそうなっているし、透明人間は、やりたい放題みたいに描かれているがとんでもない。外に出たら命が危ないし、病気になっても医者に診てもらえない。目にゴミが入っても取る事が出来ない。
だが、まだ深刻な問題がある。仕事にいけないことだ。最初は風邪で休み、次は親の危篤と言って会社を休んでいるが、後は順番に親戚を殺して行くしかない。しかし、これもいつまで通用するか。首になる前に元に戻りたい。
鏡を見ながら考え込んでいると、「ピンポーン」とインターホンが鳴った。
インターホンに付いている液晶画面を見ると、メガネをかけて帽子を被った五十代の紳士風の男が映っていた。居留守を使うことも出来たが、ちょっと心に引っかかるものがあった。
「何か御用ですか」
声だけなら、誰と話しても別に支障はない。
「君に話したいことがあるのだが、ここを開けてもらえないだろうか」
男は、低く、少し響きのある声でしゃべった。
「どういうお話でしょうか」
「消えている君の姿を元に戻しに来たのだ」
それは本当か、それともはったりカマして、部屋に入るつもりか。いや、はったりではないだろう、男は私の姿が消えている事を知っているし、姿を戻してくれると言っている。どうする。しかしここは開けるしかないだろう。期待を込めて、マンション入口のドアを開けると、男は静かに入って来て、エレベーターに乗り、部屋の前にやって来た。部屋に招き入れると、
「すまなかった、随分苦しい思いをしただろう」
見えない私に向かって頭を下げた。
「私の姿が見えるのですか」
「別に見えている訳では無い。このメガネで君の体から出ている熱を感知して、認識しているだけだ」
普通のメガネにしか見えないが、そういう機能があるのか。それなら姿が見えなくても分かる訳だ。
「そのまま、動かないでいてくれないか」
今度は背広の内ポケットから銀色をした懐中電灯の様な物を出すと、私に向かって、ボタンを押した。
「もう大丈夫だ、しばらくすると君の体は見えるようになる」
痛くも痒くもなかったが、本当に姿が見えるようになるのか。いや、そんな事より、聞きたいことがある。
「あなたは誰なのですか」
男はちょっと考える仕草をしながら、人間工学の研究をしているとしか言わなかった。
詳細を話さないということは、もしかして国家機密プロジェクトか?防衛省がらみか、などと考えていたら、男は小さな定規をポケットから取り出し、腕に押し当てた。
「五センチか」と呟いた。
なんだ、何が五センチなのだ。理由を聞くと「君の体から出ているX波だよ」と答え説明を始めた。
「X波が君の体から五センチの高さまで吹き出し、服ごと君の体を被っているのだ」
どういう事だ、よくわからない。
「我々は、人間の体温を電気エネルギーに変える装置の研究をしているのだが、その過程で、体から様々なエネルギー波が出ているのを発見し、その中でも、不思議な波長を出すエネルギ―波に着目し、X波と名付けた」
なるほど、少し分かりかけて来たぞ。というか、素直に理解しないと、思考が停止しそうだ。
「研究の結果、これが人間の姿を消してしまう波長である事がわかり、X波を増幅する装置を作ったのだが、まだ、試作品が不安定だったのだろう、ちょっとしたショックで誤作動を起こし、ビームが君に当たってしまったのだ」
そういうと男は、X波を照射する装置を見せてくれたが、さっきの懐中電灯みたいなやつと同じ形状だった。違いは色だけだ。こっちは白い。でも、いつビームを浴びたのか皆目見当がつかない。そのことを正すと、
「装置を分析した結果、照射した時間が十五時三十二分だという事が分かった」
と言った。
十五時三十二分といえば、地下街を歩いていた時間だ。脳裏に地下街の様子が浮かび上がってきた。「あっ!」あの時だ、混雑する人ごみの中で、すれ違いざまに、ジュラルミンのケースを持った男とぶつかった。男は無言で頭を下げたが、急いでいたのか、直ぐに人混みの中に消えてしまった。目の前にいるのは、あの時の男だったのか。それから直ぐ、地上に出て歩いていたら、姿が消えてしまったのだ。その間、十分位だっただろうか。
「それにしても、誤照射した相手が私だと言うことが良く分かりましたね」
「ああ、ちょっと厄介な事になると思ったが、このマンションのオカルト騒ぎを聞きつけてね。調査した結果、君に間違いないとの結論が出た」
結論が出た、か。研究者らしい言い方だが、まあいい。
「おお、君の体が見え始めたぞ」
言い終わるや否や、直ぐに腕時計に目をやった。
「所要時間は十分五秒だ」
私も慌てて両手の平を見た。本当だ。一週間振りに見る手は、今までと何の変わりもなかったけれども、まるで宝石のように輝いて見えた。
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