くすねる

 二十代の頃、友達の下宿を訪ねると、何故ここにこれが?というものに目が留まることがあった。そしてそれは、けっこうな割合で、何処からか盗んできたものだったりした。少し例を挙げてみると
 男性の場合。道路工事の現場によくある、コーンとかいう三角錐、瓶ビールのケース、スーパーの名前が入った買い物かご、販促用のアイドル等身大パネル。
 女性の場合。欧州系航空会社の機内食用カトラリー。テロ問題がまだ深刻ではなかった時代なので、プラスチックではなくステンレス製。さらに、同じエアラインのブランケット。
 男性の方は夜陰に乗じての犯行が大半らしいが、私としては女性の「手口」が気になった。カトラリーならバッグに放り込んでこっそり、という感じで持ち帰れると思うが、ブランケットはかなりの大物である。しかも密閉された空間での犯行。単刀直入にどうやったのか質問したところ、腰に巻いて上からコートを着れば大丈夫だったとの事(だからといって真似しないでください)。
 若気の至りの出来心というのか、友人たちは一様に己の犯行を羞じるそぶりがなかった。さすがにブランケットはいかがなものかと思って、「何故こういうものを盗むの?」と訊ねると、「まあ、いいじゃない」とはぐらかされてしまった。

「これ、ちょっとくすねてきたんだよね」という一言とともに、ロゴの入ったボールペン等の小物を見せてくれる人もいるが、どうもこの「くすねる」という言葉こそが、この行為は「盗み」ではないと自分に思い込ませる鍵のような気がする。
 では「くすねる」と「盗む」の意味するところ、いったい何が違うのか?
 最も重要なのは、売り物ではない、という事かもしれない。売り物を黙って持ち帰る窃盗行為は「万引き」として区別される。もちろん実際には、「くすねる」品物も相応のコストをかけて調達されたものだが、値段をつけて販売されているものではない。
 会社で支給されている文具類を自宅に持ち帰り私用に供する、というのもこれに準ずる。既に時効とはいえ私も身に覚えがあるが、因果応報というべきか、今は自腹で買った文具を職場で使う羽目になっている。
 そして顧客に配る販促グッズや粗品を横流し、というのもよくあるパターン。「どうせ無料で配るんだし」という気持ちが盗みのハードルを低くする。
 また、「くすねる」品物はワンアンドオンリーではなく、ワンオブゼム。なので「これ一つぐらい大丈夫」と、所有者に与えるダメージを考慮する必要がない。もちろん実際には損失を与えているのだけれど。
 不思議なことに、この「くすねる」という行為、人によっては武勇伝のような色合いを帯びてくる。盗んだ品物は「戦利品」で、それを手に入れる過程はちょっとした「冒険」として、興奮とともに語られるし、聞き手も何故か「すごいね!」と感嘆したりするのである。
 ただしそれは偶然がもたらしたチャンスに乗じた場合であって、わざわざ盗みを働きに出向いたり、年中これを繰り返しているような輩は単なる窃盗犯としか見られない。そしてこの冒険談を共有できるのは、若いうちに限られる。
 社会に出て何年も経つと、物の値段というものが判ってくる。本来の材料費と、製造にかけた経費と、流通にかけた経費と、関わった人間に払う経費と。何気なく置かれている備品でも、それが無くなったら誰かが補充しなくてはならないと、嫌でも理解するようになる。そうなるともう、軽々しく「くすねる」ことは無理だ。
 航空会社のブランケットをくすねてきた友人も、いつの間にか高い倫理観の持ち主となっていて、もし今の彼女が過去の自分の犯行現場を押さえたら、「人としてどうよ!」と怒り狂うに違いない。人間、変われば変わるものであるが、これを成長と呼ぶのかもしれない。
 というわけで、「くすねる」という行為、たいがいの人は遅くとも三十前に卒業するのではないかと思っていたのだが、先日、この考えを覆すような事があった。
 けっこうな人通りのある道で、私の前を初老の女性が歩いていた。個性的でおしゃれな印象の人で、白髪交じりのボブカットと、デザイナーものらしいコートがよく合っている。軽い足取りで歩いていた彼女は、小さなレストランの前で速度を落とした。その店の前にはオリーブの大きな鉢植えが置かれていて、その根元にはワインのコルク栓が敷き詰められていた。ワインのおいしい店だと一目でわかる、粋な演出だ。
 女性は立ち止まると、コルク栓の一つを手にとった。そしてしばらく眺めていたかと思うと、無造作にコートのポケットに放り込み、また歩き始めた。全てはとても自然に、流れるように行われた。
 所詮、ゴミではあるんだけれど。
 たかだかコルク栓のために、店のドアを開けて「これ、いただいていいですか?」などと聞く人がいるとも思えないが、今のはやっぱりくすねたんだよなあ、と複雑な気持ちは拭えない。
 相変わらず軽快に私の前を歩くその女性の後ろ姿は、さっきほど素敵には見えなかった。
 

くすねる

くすねる

これちょっと、くすねてきたんだよね。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-07-02

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