星の旅人
1 星の主(あるじ)
ここは、宇宙に数ある銀河の中で、比較的初期に誕生した星々の一つ。この惑星には、知的生命体が唯一つ存在していた。
その生き物は紅く固い皮膚に覆われていて、姿形は恐竜によく似ている。だが、ヒトのように二足歩行をしていて、そこから星の文を読み解き、時節を知る術を心得ていた。
大地が育む季節毎の実りは彼一人には充分だった。彼はそれを欲しいままに貪った。この星の全てが彼のものなのだ。
(流れ星‥‥?)
彼はその日の夜もいつものように空を眺めていた。だがその日は空気を切り裂くような爆音と共に星が墜ちてきた。
彼は煙の上がる方へ急いだ。そこには、彼が見たこともない変てこな物体ーー、宇宙船が不時着していた。バンッという大きな音と共に扉が開いて、中から何か現れた。
「お前は何者だ?」
彼はこの星の主らしく威圧的に尋ねた。
「‥‥、いや~、初めまして。私は銀河を股に掛ける商人です」
それは主が初めて出会った異星人だった。光沢のある青い肌は瑞々しく滑らかで、身に着けた衣服から尻尾を覗かせている。
「この星に何の用だ?」
主は訝しげに尋ねた。
「‥‥はい。私は商いに参りました。ですが、必要なければ直ぐにでもお暇致します。そうは言っても、実は着陸に失敗致しまして‥‥、船を修理する間、滞在をお許し下さい」
商人は丁寧に願い出た。
「‥‥、よかろう。滞在を許そう」
主は商人の殊勝な態度にすっかり気を良くしたのだった‥‥。
「本当にここは美しい星です」
それから二人の奇妙な共同生活が始まった。主にとってそれは新鮮な出来事の連続だった。
(美しい‥‥?)
主はこの星を美しいと思ったことはない。比べる他の星を知らないからだ。そして彼一人で独占していた豊かな実りを客人に分け与えることに少々不満を抱いた。決して飢えるわけではないのに‥‥、彼は感じたことのない心の発露に戸惑った。
だが、良いこともあった。主の持て成しに対する礼に、旅人は船に積んでいた酒を振舞い、一曲披露した。旅人の指が弾く音色は、この星にはない響きだった。夜の帳が辺りを包む中、主は酒に酔い、音の響きにうっとり聞き惚れた。
「この星にたった一人で寂しくありませんか?」
旅人の唐突な質問に、主は小首を傾げた。
「寂しい‥‥? それは何だ?」
主は「寂しい」という感情を知らなかった。
「‥‥」
その日を境に旅人は商人となった。船に備え付けの転送装置を利用して、この星の豊富な資源と文化的で便利な生活を売買した。
主の好きな酒に始まり、身に纏う色鮮やかな毛織物、きらびやかな装飾品。そして主自ら望んだ楽器ーー。商人に手習いを乞い、そうして二人で音を奏でる時間は、主にとって腹を満たす行為とは違う、不思議に、充ち足りた時間になっていた。
だが、主は気付いていた。自身の豊かさと引き換えに、この星が枯渇してゆくのを‥‥。そして三千年に一度実を付ける桃を失った時、旅人に告げた。
「私はこれ以上この星の実りを失うことに耐えられない‥‥。身に纏うものなど私には必要ないのだ。そなたにはこの星から出ていってもらいたい‥‥」
それが主の下した決断だった。旅人の去った星で、主は剝き出しの大地に木を植え続けた。夜には旅人が置いていった楽器を一人で奏でた。
「‥‥っ!?」
その時、主の目から滴がこぼれた。
「これは‥‥?」
その時初めて主は「寂しい」という感情を味わった。旅人との時間は自分自身を知る機会だった。
(もし、もう一度彼に会えるなら‥‥)
それから長い歳月が過ぎたーー。この星が再び実り豊かな星に戻る程に‥‥。主はいつしか奏でることをやめ、以前のように空を眺めることも少なくなった‥‥。
けれど変わらず空は輝いていた。そしてそれはあの時と同じ、唐突だった。この星に再び流れ星が墜ちてきたのだ! 主は期待を胸に急いで駆けつけた。
宇宙船から出てきたのは、紛れもなくあの商人だった。商人はゆっくり歩み寄ると主に差し出した。
「これは、三千年に一度実を付ける桃の種です。‥‥、これをあなたにお返しに伺いました‥‥」
主は胸が一杯になった。商人の手から種を受け取りながら、「一緒に育ててくれますか?」と尋ねた。
「勿論。喜んで」
それから再びこの星に二人が奏でる美しい音色が響き渡った。それは長い永い永遠とも思える時間、音律を少しずつ変え、輝く夜空に注がれたーー。
2 星の使者
主の星「タウ」から三百光年の彼方にある商人の母星「センシン」。トルリティ銀河の中でもセンシンの科学技術は目覚ましく、スピン鉱石から得られる動力を用いて様々な産業を発展させ、終には惑星間交易を可能にした。
栄える文明が生み出す欲望に際限はないが、如何せん資源には限りがある。センシンの高度な文明を支えるスピン鉱石も慢性的な枯渇状態にあった。
この問題の打開策として科学技術省は仙界と噂されている系外惑星のタウに白羽の矢を立てたーー。
「ナギ兄様。今回の行商を断ることはできないのですか‥‥?」
不治の病の床でナギの妹アスランは懇願した。
「‥‥大丈夫だよ、アラン。これでも私は十六代続く商家万屋の次男坊だ。お前の為に仙界の「三千実の桃」だって手に入れて見せる。だからお前はそれまで達者でいるのだよ‥‥」
妹の不安を取り除くようにナギは笑顔を浮かべ、アスランの頭を優しく撫でた。
「仙界の桃なんか要らない‥‥。ナギ兄様、危険な旅に名乗りを挙げず、どうかこのアスランの傍にいて下さい‥‥」
アスランはナギの手を両手で掴んで祈るように目を閉じた。
「ーー」
タウへの使者に選ばれたナギの真の目的は、センシンが望むスピン鉱石ではなく、妹への妙薬だった‥‥。
「ーー」
妹の瞳の色と同じ、タウの宵の空を眺めながら、本来の目的を先延ばしにしている自身に気付いた。自覚して‥‥、そろそろ潮時だと覚悟した。
主との共同生活の中で、ナギは桃の木がたくさん植わっている、主が桃源郷と呼ぶ地の下に、スピン鉱石の鉱床も眠っていると既に突き止めていた。そして‥‥。
「‥‥っ」
ナギは思わず苦悶に顔を歪め、ぎゅっと目を瞑った。
「‥‥」
感情の波を何とかコントロールし、ゆっくりと再び目を開ける。そこには、懐かしい故郷の夕焼けが拡がっていた。妹の肌の色と同じ深紅色の空。
妹の墓石に供えた「三千実の桃」は、まだ瑞々しさを保っていた。
(くそ‥‥っ!!)
再び溢れ出た感情の波に、ナギは思わずくずおれた。悲しみと後悔と自責の念‥‥。
「‥‥っ、すまない‥‥。すまない、アスラン‥‥」
妹の願いを聞き入れなかったあの時の自分は、万屋の一員として名を連ねたいという己の欲を、自尊心を何より優先させたのだと、本当に大切なものに気付き、それを失った今だからこそ、己の愚かさに打ちのめされた。
跡取りである兄に大人たちの関心が集まり、存在を忘れられた万家の中で、唯一ナギを認め慕ってくれた大切な掌珠。その人を孤独の内に死なせてしまった罪悪感は拭えなかった。
タウから搾取したスピン鉱石は、確かにセンシンのエネルギー不足を補った。だがそれは一過性に過ぎない。第二のタウを求め、科学技術省は再び広大な宇宙をスクリーニングしている‥‥。
「ナグム‥‥。タウでのお前の実績が買われて、科学技術省より再びお前に行商のオファーがきている。これは万屋にとっては僥倖だ。私はお前を誇りに思う」
妹の墓石の前でうずくまるナギの背後から突然、十七代目当主となった兄サグムから言祝ぎを受けた。
「‥‥」
だがしかし、今のナギにはそれとて心に響かなかった‥‥。
「‥‥、ナギ‥‥。アスランはもしタウでお前の居場所を見つけたなら、ここに戻らなくてもいいと言っていた‥‥」
「‥‥!?」
兄のその言葉はナギの心にストンと落ちてきた。そして思わず振り返る。
「お前が幸せなら約束を反故にされたって、アランは構わなかったんだよ‥‥。今だってそうだ。気が進まないならオファーを受けなくたっていい。お前は望むままに生きていいんだよ。それが私とアスランの願いだ‥‥」
その時のサグムの翡翠色の瞳は、当主としてではなく、家族の幸せを願う温かな眼差しであった。
(‥‥僕はこんなにも愛されていたんだな‥‥)
「兄上‥‥。私はタウでやらなければならないことがあります‥‥。一生かかっても私は償いたいのです‥‥」
弟の真摯な眼差しに、「‥‥そうか‥‥」と少し寂しげな微笑みを浮かべ、サグムはナギを抱き締めたーー。
その後再びナギがセンシンの土を踏むことはなかった‥‥。
星の旅人